デイ・アフター・トゥモロー ~My Collection~
2005年 08月 22日

ひとつは、「宇宙人の襲来」と「氷河期到来」という非現実と現実のバランス感覚である。どちらかというと、近い将来に現実的になる確率、つまり「現実感」があるのは後者である。なぜなら、地球という惑星の長い「記憶」の中に、同様の現象が存在しているからであり、それは科学的に証明されているからである。前者はそういう事実があったかもしれないが、「記憶」という部分では地上の残されたサインなどがあると言われるが学術的には証明できてはいない。しかし、現実感がある一方でこの作品で描かれていること、つまりは学術専門家が決死の覚悟で救助に向かうということには全くといって現実感が無いというのが本音である。だとしたら、この作品が現実的に感じられるのはどういう内容なのかというと、異常気象を起こしたり、地球が氷河期状態になったときに、実際どうやって身の安全を守るのかという事についての学習マニュアルであれば現実感が沸いて来る。要するにこの物語は殆どが非現実なのである。一方で「ID4」は現実的では無い宇宙人の襲来である一方、大統領が中心となり、色々な人々が様々な知恵を出すさまが描かれている。勿論、「反則」に近いロズウェル事件なんかも引っ張り出してくる。フィクションであるが故に、その物語の落としどころも自由という便利さがある。よく、歴史物で架空の人物を設定するパターンである。架空の人物というのは最初の導入で上手く使えば使うほど、後々の展開に大変有利に描ける。そう、後々の展開次第の一番良い場面で、その人物を「生かす」も「殺す」も自由だからである。それと同じで、何時しかこのまったく自由な解釈によって作り上げられた「敵」をどう回避するのかに没頭してしまう。このバランス感覚を絶妙に保てたのが「ID4」であった。
もう一点は、「救助」の対象であった。「デイ・アフター~」は、N.Y.の図書館に閉じ込められた息子たちを共助に向かうのに比べて、「ID4」は、宇宙空間に浮かぶ母船をターゲットにするその方向性である。こういう作品は完結に導く挑戦が大きければ大きいほど「焦点」を暈かす効果にもなり、同時に鑑賞者の興味対象を分散させる効果がある。特に、「ID4」では、この母船攻撃の成否より二人組のチームワークの方に観客の心配が集中する。更にいえば、宇宙人への攻撃はこれだけでなく、その前後も色々な人が色々な手を下しているところが、効果を倍増している点がある。この辺りは作品の「主題」だけに拘るのでなく、観客がと゜ういう興味を持ち、どういうエンディングを望んでいるかという「駆け引き」が生じていて、全体的な作品のレベルを上げられたと考えられる。
「自由の女神」は又、被害にあってしまった。しかしこの手法は「猿の惑星」で使い古された描写。自由の象徴であるのなら、もう少し警告色を強めても良かったのでは無いか。
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by turtoone
| 2005-08-22 12:21
| 映画(た行)