暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(は行)( 72 )

b0046687_22525060.jpg筆者の拙い鑑賞経験の中で、この作品内容は、現実と非現実の境界を無くした最初の作品である。今でさえ、色々な空想ものがあらゆるジャンルに蔓延っているが、この様な文芸作品の中で主人公の強い思いと意識を表現し、更に、非現実な実現を軽いタッチの「夢実現」の描写をしているところにこの作品の秀逸さを受け取ることができる。

「ジョー・ブラックをよろしく」という映画作品と同様、この作品も物語の進行が悠然と進む。だがこの作品の上映時間は106分と決して長い訳ではない。しかし、その一方でメッセージがこれだけ沢山凝縮されている映画作品も珍しい。テンポがスローなのは、上映当時はまだブームでなかったスロウライフを模索させるし、同時に現代アメリカ社会の時間進行の速さも皮肉っている。そして、一番大事なものを忘れ去ってはいないかという警告をフィールド、つまり「ベースボール」というアメリカで生まれた「文化」を通して語りかけて来るのである。しかも、「エイトメンズ・アウト」でも作品化されている様な大リーグ史上有名な事件を取り上げ、しかし、それでも大変理知的に、芸術的・紳士的に、事件としてでなく物語性を前面に出した味付けと製作コンセプトは、アメリカ人のみならず、現代文明圏に棲息する人間は皆、考えなければいけない問題である。事件性でなく、本当に大切なことを忘却してしまっているすべての人間を問題視しているのである。

それでいて難解でない。この作品の良さはそこにある。そしてそれは簡単で「答えは自己の中にある。」からである。主人公の中から声が発せられ、外部の情報を元に、主人公の頭の中でその謎解きのプロットが構築されていく。そう、人間は、全て、自己の中に問題と回答を抱えて生きているのであるが、喧騒の中でその回答を見つけられないばかりか、自己の中からの問題提起すら忘れてしまっている。「迷ったときは心の声に従いなさい」と、少年時代に読んだ数々の冒険小説の究極のテーマはそこにあった様な気がしてならないが、それを今一度思い出させてくれた作品でもある。

ケビン・コスナー(ケビン・コストナーという説もあるが)が最高。今思うとケビンはこの時代が一番良かった。1987年「アンタッチャブル」、1989年のこの作品、1990年「ダンス・ウィズ・ウルブス」、1991年「JFK」迄が彼の最も良かった頃だと思う。その後は、スタローンと並ぶ、ラジー賞の常連となったが。一方でケビンはベースボールの作品によく出演しているし、同時にに彼はベースボールがよく似合う。トム・クルーズも「ベースボール好き」な役が多い(本人も本当に好きだから仕方無いが)が、役柄的に少し背が小さいのが残念。

筆者はベースボールは独立宣言、南北戦争に並ぶアメリカの歴史的現象だと捉えている。そして歴史的であると同時に新しい提言でもある。ベースボールはアメリカの未来を開いていく可能性でもある。だから現代人が忘れつつある問題点を、一方でとうもろこし畑という合衆国異民族の集合体が共通に思う郷愁を表現していると同時にベースボールに託したのである。心休まる作品だ。


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by turtoone | 2006-01-28 22:59 | 映画(は行)
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「プライドと偏見」同様の宣伝コピー。どう考えてもこの作品が「恋におちたシェイクスピア」を例えに出すのは、監督がジョン・マッデン、主演がグウィネス・パルトロウだから「あの感動から7年」という言い方は正しいが、それに比べて「プライドと偏見」に関しては疑問が残る。そのマッデン監督にしても、間に「コレル大尉のマンドリン」一作品を挟んでのグウィネスとのコンビであり、またグウィネス自体も、7年前の名作以降は女優として輝かしい活動をしているとはいえなく、ご存知の様にプライバシーが前面に出ているなどということから、色々な意味で注目の作品となったのも事実である。今週封切りの中でもまずは、どうしてもこの2作の比較をしたかったので、敢えて「スタンド・アッブ」、「有頂天ホテル」という問題作・話題作をふってまでの鑑賞であった。

最初にグウィネスが27歳の役をやっているところが驚いた。確か、「シェイクスピア」に出演したときがその年齢くらいであった筈だ。序ながらグウィネスの演技について書くことから始めたいが、この作品での演技は、彼女が一流の女優として成長した証になった。このストーリー同様、彼女も父との死別があり、また、母となり、一段と人間としての深みを感じることが出来た。特に、監督・脚本・プロデュースをこなす、父、ブルース・パルトローはグウィネスがこの世界に入ったきっかけにもなった人物で、尊敬して止まない父親以上の存在であったという。当作品のヒロイン・キャサリンと全く境遇が全くダブルのである。その父親役にアンソニー・ホプキンスと、更に「アトランティスのこころ」で共演したホープ・ディヴィスが今回は父娘役(グウィネスの姉役)で出演しているところも中々興味深いキャスティングである。今回のグウィネスの役どころは大変難しい内容であった。父を尊敬し、父と同じ才能を秘めながら、父としてでなく天才数学者への羨望と嫉妬を併せ持つ。しかし、その父は最早、老いと病から娘の介抱がなくては生きててかれない。それだけなら良いが、その父を崇拝して止まない数学者の卵(ジェイク・ギレン・ホール)が、悪気は全くないもののこの父娘の中に執拗に割り込んでくる。父の病を知っているグウィネスにとっては、だからこそ自分も同じ病いにかかると自己暗示に係り、同時に自分を見失っていく。というこれだけの要素の多い役を僅か100分少しの作品で表現するのだから、大変な役だったが、無難というよりも寧ろ、グウィネスの新境地を出しながら見事に演じきれていた。正直、ヴァイオラ&トマス・ケントの様なビューティーアンドセクシーな俳優・演技ではなかったが、今の彼女には、どんな人間もみんな悩んでいるが、悩んでいるから解決策も見つかるのだし、明日への希望もそこから生まれてくるという世界中への強いメッセージを贈れる演技が出来る様になったといっても過言ではない。そういう意味では、7年前の主演女優賞よりも、演技の質は数段高いところに上がったと言い切れる。

数学という学問の深さについての筆者の見解は、「ビューティフル・マインド」のレビューで書いたのでここでは割愛する。しかし、この父娘もそうであるように、天才とは悩み多きもので、また、天才にしか理解できない(嫌、天才にも理解できない)のがこの社会の運命だったり、親子関係だったりするのであり、これは数式で表すことが出来ないからである。但し、この作品では、その天才というものの理解を、「ビーティフル~」が二人称であつたのと違って、一人称で解決・表現しようとした点は、この企画の試みに拍手を贈りたい。

しかし、途中でホプキンス演じる父が証明した「数式」って、本当に凄い内容なのだろうか? 数学という理念・概念を数式でなく言語でした表現できない筆者にとってはチンプンカンプンだったので、もし、何方か数学に精通されている方がいらしたら、是非、お教え頂きたい。


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by turtoone | 2006-01-15 00:11 | 映画(は行)

プライドと偏見

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「恋におちたシェイクスピア」のレビューで書いたように、奇しくも今週あの名作の栄誉を広告手法に使用した、2本のオスカー狙い作品が公開された。この「プライドと偏見」と「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」である。まずは、上映時間の都合から表題作を先に鑑賞した。

原作は、「ブリジット・ジョーンズの日記」でも知られる、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」。この作品がやたらとオスカーの呼び声が高いのは、この原作に基づいた文芸ロマン作品にある。よくよく考えてみるとこの一年はこの類いの作品が少なく、所謂「オスカー好み」のひとつである文芸大作が少ない。18世紀末のイギリス、その保守的貴族社会の中での男女関係は、昨年の作品賞「ミリオンダラー・ベイビー」に繋がる人間ドラマをも彷彿させる。

しかし、正直なところを書くと、筆者的には前半は睡魔との戦いであった。確かに冒頭から舞踏会の場面までは流れが良かった。イギリスの爵位の無い中流家庭の描写は美術的には良く出来ていた一方で、物語は特に目新しい素材もなくトントンと進んでしまう。しかし、約50分くらいのところで急展開する。それ以降は、ストーリー的には次のシーン、また次のシーンへま期待が膨らむテンポの良い展開である。この辺りまでくると、漸く、この5人娘の家庭と、それぞれのキャラもしっかり把握出来る様になる。言い方を返れば、序盤の舞踏会のシーンを除けば、やっとこの辺から面白くなってくるのである。逆にいうと、前半は、やたらとこの時代の背景(女性には相続権がなく、資産家の男性と縁組をしないと幸せが訪れない)説明と、長女の話を引っ張りすぎてしまった感がある。実は、筆者がもっとも感情移入できたのが、ベネット夫人(5人娘の母)役のブレンダ・ブレシンであったのも自分で笑ってしまう。「親」という立場もあるが、5人も娘が居て、自分以外の家族の6人が全て女性だと、父親(ドナルド・サザーランド)はこんな借りてきた猫みたいになってしまうのかという部分での共感(筆者は3人の女性に囲まれて同居)もあるが、彼女のコミカルな名演技も含め、作品の出演人物の中で最も共感が出来た。逆の言い方をすれば、キーラ・ナイトレイ演じるヒロインが然程魅力的に感じなかった。キーラはまだ若いからかも知れないが、感情が前面に出てこない俳優だ。黙っていると潤んだ瞳が綺麗なので素敵な女優だなぁと思うが、後は得意の超早口(これはどの作品でも同じ?)くらいで、残念ながらまだそこまでである。今後に期待。

さて、冒頭にも書いた様に、この作品がオスカー候補になるかどうかに関しては甚だ疑問である。文芸ドラマという領域で考えても、そんなに内容の濃い物語だとも思わない。一昨年、「コールド・マウンテン」でレネーが助演女優賞を獲得したが、内容的に、この作品と比較しても、「コールド~」には見劣りしてしまう。美術も、単純に「シェイクスピア」と比較はできないか、このオスカー作品が17世紀イギリスの町並みの再現と、衣装その他に歴史的考現学を持ち込んだ新解釈を打ち出したことに比べると、そんなに観るべき物が無かった。それに前述したが、やはり前半の退屈な部分は、作品への感情移入を妨げられたという点で大きなマイナス要因である。

敢えて賞に絡むとすれば、助演女優で母役のブレンダ・ブレシンだけでなかろうか?


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by turtoone | 2006-01-14 21:36 | 映画(は行)

HERO 英雄 ~My Collection~

b0046687_23185135.jpg秦の政。所謂、後の秦始皇帝には様々な伝説・逸話が残っているが、中でも群を抜いて多いのが、この作品の冒頭でも語られているように暗殺の話である(先日も地上波でそのような番組を放映していたそうだが見逃してしまった…残念)。中国4000年の歴史に於いて、その以前には無かった皇帝という地位と概念を取り入れたのも秦王だし、その後にこの大陸を統一した政権国家は20世紀の半ば迄この方式を取り入れた。中国の歴史が名称は同じでも全世界の何処にも存在しないこの皇帝という考えは全くもって不思議且つ、奇異である。始皇帝はそれ以外にも、多種多彩な統一国家としての力を民百姓に迄浸透させる制度や理念を確立したが、余りにも多いのでここでは割愛する。

作品に戻ると、以前に「ラスト・エンペラー」でも触れたが、中国の歴史を取り上げた作品で、中国国内で制作された物を除いては圧倒的に近世史が多い。だが、この作品はアメリカに輸出され、公開時期は日本よりずっと後だったが、興業成績は観客動員3週連続1位になるなど大ヒットであった。この作品の何処にアメリカで支持される要素があるのかは筆者には分からない。勿論、アジアの一員としてこの豪華キャストの共演は見逃せない。しかし、それよりもこの作品が、たとえばオスカー作品の「ラスト・エンペラー」が人間の内面を必用に描写したのに比べ、本作は舞台設定か紀元前230年にあるものの、内容は同時期のローマ帝国のテイストを使ったところが受けたのではないか?始皇帝とは、アジアの歴史の中でも最も壮大なる「人物」である。

しかし、この作品では、敢えて彼の本質には触れていない。秦王が偉大なことは、この作品に出てくる様な、歴史のオモテ舞台には出てこないものの、たくさんの賢人に支えられその創意だったというところに終着してしまうのが、まさに新しいタイプの、悠久なる中国の現代的歴史顛末の新境地なのであろう。科学や数学と違い、歴史には正確さがない。学問としては常に想定が付きまとう。勿論、科学も仮設から始まるが証明をされなければこの学問は成立しない。しかし、歴史というのは何時の時代に於いても、支配者の概念であり、それは時に簡単に上書きされることもある。今の中国という国は残念ながら、始皇帝に成りたくてなれない輩は五万といるが、その他の賢人たち、所謂「英雄」が居ないのである。この辺りの隠された風刺は中々ではないか?

映画作品としては、ワイヤーアクションの不自然さは歪めないものの「グリーンディスティニー」等と比較するとずっと良くなった。この辺りがまだまだハリウッドの足元にも及ばないのは、アクションの技術や人間工学としての不自然さでなく、構成や脚本というトータル的な部分でのアクションの取り入れ方である。「カンフーハッスル」の様な娯楽作品なら何も文句は言わないが、この作品は歴史ドラマという側面が強いのだから、そのドラマという組立の中の一要素としてアクションを考えないと、この傾向は変わらないと思う。折角、「秦王に10歩まで接近」という良い意味で物語のねっこを持っていたのだから、その部分だけに拘って欲しかった。

しかし一方で色は鮮やかだった。美術全体では、ラストエンペラーに見劣りしてしまうのは当然仕方ないが、よくそれらの色の示す意味合いが掴みきれなかった(これは筆者の鑑賞力、分析力不足)けれども、この色彩感覚は無条件で好きだ。それと、上映時間が丁度良かった。これは公開当時、チャンイーモア監督も自負していた
部分である。氏の取り組みがよくわかる。

アジアの作品としては良くここまで頑張って作ったと思っただけに、敢えて課題を羅列させて頂いた。


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by turtoone | 2005-12-06 23:34 | 映画(は行)
b0046687_2344088.jpg映画というフィールドを考えた時、一映画ファンとして考えることは単純で、「映画でしか出来ない事はなんだろう?」という事である。筆者がこの表題作を、もしかしたら他人より高く評価するのはそういう部分なのかも知れない。

ノーベル数学賞受賞のジョン・ナッシュなんていうコアな人物は、恐らく日本人は基より、アメリカ人にだって、そんなにメジャーな人物では無い。同時代に話題になった有名人だったら、例えば、レジー・ジャクソン、ジョー・モンタナ、カール・ルイスという方が圧倒的に認知度が高い筈である。筆者は幸か不幸か、先輩にその道のオーソリティが居たので、彼の理論に関しては、フラクタル理論と同じレベルで教わっていた。数学者とは面白い人種で、彼等は世の中の事の殆どすべては数学で証明できると言い、それだけでなく、その証明に関して、膨大な時間と労力を費やしている。素晴らしいエネルギーだと敬意を表したい。ご苦労な事であるが、数学の「す」の字も知らない筆者には、何処か、次元の違う世界の出来事としか思えないのも事実である。更に言えば、彼の様な稀代の天才が統合失調症となると、まさになんとかは紙一重であり、筆者のような凡人には益々以て不可解だ。しかし、有り難い事にそんな凡人にも偉大な天才のマインドを大変分かりやすく描写し映像化してくれた、ロン・ハワードとブライアン・グレイザーの功績は、特典映像のサブタイトルにもあるように、Beautiful partnerであり、又、Bang-up jobである。

この作品のすごいところは観れば観るほど内容に引き付けられ、より、ナッシュという人を理解でき、更に、この作品を映画化したかった意図が鮮明になってくる点である。考えてみれば、数学というフィールドに立った時の人間社会って、どんななのだろうと考える。例えば、交通渋滞という我々の社会では、ごくごくあたりまえの事象でありながらその理由は難解な問題も、数学という土壌の上ではいとも簡単に証明できたりはしないか?或いは、もっと極端にいえば、我々が全くもって計り知れない概念である「運命」なんていうパラグラフに対してさえも、数学という学問の範疇でいえば、簡単な方程式で解けるのではないか? 数学者ではないが、例えば、血液型とか星占術などという運命めいた類いは数学でいえば、統計・確率という学問の範疇ではないか? 数学という考え方は、目に見えるものにしか本質を見出だそうとしない現代社会からすると、奇怪且つ一番遠いところに位置付けされる学問なのである。であるからして、統合失調症にしても、それは医学的な領域の結論であり、勿論、幻覚という物を証明できる術は人間社会においては「視覚的認識の不可能な物体」なのであり、よく分からないが、数学上は可能なのかも知れない。というような感想を持たせる様に、この作品は「統合失調症」や「幻覚」に対して何の偏見も持っていないのである。それは、本来人間が持ち合わせている「美しい心」というのを全面的に肯定し、この人物に係わっているすべての人間の「美しい心」を表現描写しているからである。この作品の主題は、強い「人間力」であり、同時にそれは「生命力」でもあるということである。例えば、こういう人間力は、人間社会の外に解答を求めて(例えば、フォース等)いることが殆どであったが、歴史物を除いて、この解答を人間社会の内側で、しかも人間という一物体の中に求めた内容というのはごく僅かである。であるからして、この作品は観るたびに感動を、しかも新しい感動と、更には可能性という「人間力」を与えられるのである。

少し薀蓄を書くと、「ナッシュの均衡概念」は1950年に導入され、翌1951年には、「ナッシュの交渉解」を発表した。何れも「ゲームの理論」であり、特に前者は1838年のクルノー概念まで遡り、その応用にしか過ぎない。ゲーム理論はおおむね、二つの広い分野に分けられる。非協力(あるいは戦略的な)ゲーム、そして協力(または結託) ゲーム。ナッシュはすべての協力ゲームはいくつかの非協力ゲームに分解できるはずだと主張している。この立場は「ナッシュ・プログラム」として知られている。非協力ゲームの文献の中では、「標準 (normal)」形ゲーム(静的)と「展開 (extensive)」形ゲーム(動的)を区別することもある。ナッシュの「均衡化」理論は、その後様々な学者に研究されることによってその理論自体が肉付けされ、より完成されていったといえる。

作品の中で、ナッシュは囲碁を「勝てる手を打ったのに負けたのは、このゲームが完全ではないからだ」といっている。これが負け惜しみでなく、本当だとするか否かは、数学者のマインドを理解するよりも難しいが、それよりも、ゲームが完全か不完全かは別として、「負け」という概念を一端は受け入れている。これが天才数学者の大研究に連なる「失敗な成功の母」なのであろう。

ひとつ残念だったのは、この名演技が、ラッセル・クロウのオスカー主演男優賞V2に成らなかったこと。この年、オスカーは彼の演技力より、スキャンダルの多い人間性をオスカーの偉業に相応しくないと判断したのであった。ジョン・ナッシュとは正反対の評価をされた訳であった。


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by turtoone | 2005-11-28 23:10 | 映画(は行)
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昨年、前作では実現しなかったが、ここ数年このシリーズと「L.O.T.R」を家族4人揃って近所のシネコンに観にいくのが恒例となっていた。ついに今回からはそれも字幕になった。昨年、つまり、「ハリーポッターとアズカバンの囚人」でそれが実現しなかったのは、1.2作を観て、筆者自身がこのシリーズをシアターで観る価値をなくしていたからで、それは大いなる間違いだったことをDVDで気がついたことは、既に前作のレビューで書いた。だから、今作品は、迷わず初日にシアターに行き、しかも、娘達の成長から揃って字幕で観ることができた。因みに、今回は中2の長女の「字幕デビュー」となり、次女は既に昨年小4のとき、「キングアーサー」で字幕デビューを果たしている。部活などもあり年に5~6本しかシアターで映画を観られない長女に比べ、お気楽で映画好きの次女は月1本は何かしら作品を観るので、その差なのかも知れない。筆者に似たわけではないのだろうが・・・。

実は、筆者はこの原作は読んでいない。というか、ハリポタも、前作から、映画の持つ視聴覚支配の影響から、原作を読んでも、イマジネーションが映画作品になってしまう。まだ、「秘密の部屋」くらいまでは、主要3人は別としても、ハグリッドや、スネイプ等は、自分の想像したキャラが勝っていたが、流石に、3作目にもなり、また、何度かDVDで見直していたりすると、もう幾ら原作でイメージを膨らませても、すべてが映画作品に出てくるキャラの顔になってしまう。昭和のテレビッ子世代は、これだから怖いのである。しかし、4作目は原作を読んでなくてこの鑑賞が、「炎のゴブレット」初体験で良かったと思った。「アズカバンの囚人」のレビューでも書いたが、この3作目で監督が変わったが、作品自体も大きく変わり、多少ダークな色合いが出た一方で、映画作品としてのクオリティぐっと向上した。そして、今作品では更に、スケール・アップしたと同時に、このシリーズ作品の方向性を位置づけることに成功した。この点は大変高く評価できるし、シリーズの最高傑作である。

幾つか例を上げると、まず、出演人物の内面をきっちり描写することが出来た。これはまずもって、新しい監督、マイク・ニューウェルの功績である。彼の直近の作品に「モナリザ・スマイル」があるが、同様に大勢の人物のひとりひとりの内面を表現することに成功した経験を今作品にも上手く活かした。終盤で、主要3人が「自分達も変わっていく」ということを仄めかす台詞があるが、そこに決着させる様に、特にこの3人の内面をものの見事に描写し表現した。そして、その結果が、3人の今まで以上の演技表現に繋がった点は監督の力であろう。又、そもそも、この作品は以前から脇がいつも締っていることで有名だが、前作で大活躍したゲイリー・オールドマンが殆ど姿を見せない中、今作品では、ブレンダン・グリーソンが本当に素晴らしく、職人芸としての演技を全編で熱演した。ここのところ、「ギャング・オブ・ニューヨーク」、「コールド・マウンテン」、「ヴィレッジ」「トロイ」「キングダム・オブ・ヘヴン」と話題作に軒並み出演し、しかもすべての作品で印象に残る演技を披露してくれていたが、本作品は演技的にも彼の代表作になると言っても過言では無い。又、今作品では必要以上にダンブルドア校長を意識的に観客に印象づける場面が随所にみられたが、これは、前作で、リチャード・ハリスの逝去に伴い、マイケル・ガンボンに変わったものの、まだ、以前のダンブルドア校長のイメージが一般に残っているところを払拭するものと思われる。そして、それは見事に成功したと言えよう。ハリポタは子供の観客も大変多く、第1作から観ている子供たちには前作の校長先生は多少違和感があったと思うが、今回は、もしかしたら賭けに出たのかも知れないが、これは成功だったと言える。子供という鑑賞者を馬鹿にしてはいけない。大人よりずっと純粋で、小手先だけでは感動を与えられないのが子供たちの感性である。前作のキュアロン監督は、寧ろそんな事はあまり気にしない芸術家タイプであるが、人間描写のニューウェルは、その辺りまで拘ってくれたのである。

但し、この作品は、完全にこのシリーズを、半分子供向けから、完全に大人向けにしてしまった。勿論ファンタジーであるのだからどんな世代にでも楽しめるが、その方向性の転換と自作(一応最終章?)への展開に向けて作品の骨格全貌を明確に示した点では、何度も申し上げるが、映画作品としてはシリーズ最高傑作であった。

それにしても、ウォルデモートをレイフ・ファインズが演じていることを鑑賞後プログラムで知った。ということは次回作では顔が戻っていることを期待したいのだが・・・。原作を読んでおこうかなぁ。


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by turtoone | 2005-11-27 22:20 | 映画(は行)
b0046687_1058333.jpgサイコサスペンスという分野の作品をそれまで置かれていた地位から一気に芸術的に高い次元迄引き上げたという事に関して言えば記念すべき且つ、価値のある作品である。が、敢えて筆者的な評価で申し述べれば、以上の事は工作された結果論に過ぎない。まず、この作品を前述の領域迄引き上げた要素の一つにオスカー総舐めという事実がある。しかし、正直これにはクエッションマークである。この年の最高傑作は「JFK」だったと信じて疑わない。作品の構成から、その意図、時代への問題提起、斬新性、又撮影や美術に至までほとんどの点でヒツジを上回っている。敢えてヒツジが上回っていると言えば、アンソニーホプキンスの演技力と、ジョディーというヒロインの存在くらい。後述するがカメラワークに新しい可能性を示唆してくれたものの、その点でいえばJFKの実写とそれに絡めた撮影の連携を試みた編集技術と、同時にその構成を導き想定した脚本には到底適わない。逆の言い方をすれば、これだけの名作がオスカーに蹴られたのはそれだけの理由があり、やはり、アンタッチャブルな暗殺事件の全容をハリウッドの問題児がメガホンを取ったという理由以外に考えられない。かといって、主要部門をすべて受賞させてしまうというのもかなりやりすぎで、こうなると悪意の見せしめ以外の何者でもない。要するにこの類はもう作るのではないぞという警告だったのだと思う。しかし、この試みならぬ、オスカー的良識は逆効果となり、メディアは、この作品の出来如何に係わりなくJFKとその事件の全容究明を競ったのである。これだったら、作品の芸術性のみを高い評価で帰着させて、オスカー作という厚いオブラートに包んでしまった方が得策だったかもしれない。

この物語はトマス・ハリスの同名ベストセラーを完全映画化したものであるが、1960年代より全米で出没し始めた、連続殺人鬼の実話がモチーフとなっている。作品の構成としては、主役であるドクター・レクターをストーリーテイラー的存在にしながらも、その観察者として、ジョディー・フォスターという、ミスアメリカ的存在を配しているところで、鑑賞者の目線を彼女の目線に合一させた脚本は評価したい。しかし、このジョディーの目線に合わせた演出効果の部分を全編にわたって引っ張ってしまったことで、中盤以降に盛り上がりの欠ける作品になってしまった事も事実である。さらに言えば、筆者がよく指摘する、主題とクライマックスのズレが生じた作品は観ているものを戸惑わせる代表例である。この作品のポイントは、タイトルにもあるように、羊にある。幼少時代のトラウマをドクター・レクターが問診する。本来は事件解決の重要証言を取りに来た実習助手を、いつのまにか彼の患者にしてしまいカウンセリングを受けさせている。この段階から、ジョディーに感情移入している鑑賞者も同時に、医者から患者に立場が逆転するように展開していくという流れであり、これはこれで中々面白い手法である。しかし、同時に、彼女のFBI実習生という立場を強調するが為に必要以上に他人、特に「男の目線」を意識させるカメラワークが多すぎる。このカメラワークの斬新な発想自体は悪いものでは無いが、残念ながらこの作品には合致しなかった。つまり、その度毎にまた、実習生クラリスに戻され、更に、ドクター・へクターの前では患者に戻されるという連続があるために、折角、一番ポイントになっている「ヒツジの告白」の部分に焦点を絞りきれず、単なる連続殺人事件を解決する勇敢な女性FBI実習生の話になってしまったのである。これでは、ドクター・レクターをアンソニー・ホプキンスという稀代の名優を使って出演させた意味が何も無い。

残念ながら、この映画作品は、全米を震撼させた(と言われているが、興行収入も、公開日数も然程ではなかった筈である。オスカーを取らなければ、これほど話題にならなかった)というが、原作に見られる緊張感や期待感は、映像では確認することが出来なかった。実は、それを一番分かっていたのが、監督のジョナサン・デミと、ヒロインのジョディだったのではないかと思うのは、現に、このシリーズの続編「ハンニバル」、「レッド・ドラゴン」の何れにも関与していない。特に、ジョディに関しては「パニック・ルーム」という超駄作に「この作品には是が否でも出なくてはいけないと思った・・・」というコメントを残し、同時期に撮影を予定していた「ハンニバル」の出演を断った。彼女が出ていたら、このシリーズも又、見方が違ったのかも知れない。

そういえば、そのジョディ・フォスター自身も、1988年の「告発の行方」に続いて、2度目の主演女優賞(この作品は、「カッコーの巣の上で」以来のオスカー主要五冠に輝いた)と、女優として一番波にのっていた時代だったのかも知れない。序ながら、このヒロイン役には最初、ミシェル・ファイファーが第一候補だった。当時「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」で注目され上昇気流にあった彼女は、この脚本の残虐さに、出演を辞退したが、ジョディは自らこの役をかって出た。しかし、残念ながら、この役どころをこなすには、エール大学卒の才媛にはプライドが高過ぎたたのかも知れない。余りにも有名なレーガン大統領暗殺未遂事件の関連等もあり、色々な意味で話題の出演となったが、個人的にはこの役はミシェルの演技を見たかったというのが本音である。

この年のオスカーには、アニメで初めて「美女と野獣」もノミネートされ話題となった。結局、話題性が先攻し、選考が甘かったオスカー史上でも後世に汚点を残した年であった。


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by turtoone | 2005-11-23 11:14 | 映画(は行)
b0046687_10162481.jpgアメリカという国の歴史は浅い。勿論この場合の国という定義は、ヨーロッパ仕様の近代的国家に当てはまる言い方で、大地に根付いた民族の存在は古い。コロンブスがこの大地を発見したのが1492年で、歴史的発見の如くのたまっているが、ヨーロッパ暦に初めてこの地域が認知されただけである。そういう言い方をすれば、この発見が今日の国際情勢の悲劇の始まりだったかも知れない、なんて書いていると、論旨がつい先日アップした「パールハーバー」と変わらなくなってしまうので、ここらで止めておく。

土地への執着というのは、世界中、どこの民族にも共通して持っている観念だ。いや、言い方が悪かったかも知れない、一言で言えば人類は皆、土地に執着がある。しかし何故最初に別の表現をしたかと言うと、執着はしているものの、その内容が細部で、民族毎、あるいは人それぞれでかなり違う。たとえば、ネイティブアメリカンなどは、大地こそが神に近い存在であると考える。アフリカンもそう考える者が多い。新大陸発見時代、地元のアフリカンに道案内兼荷物持ちを依頼したヨーロピアンが、ある場所から何日もアフリカン達が動かなかったという。不思議に思ったヨーロピアンが通訳を介して尋ねたところ、「体はこの場所に着いたがまだ魂が到着していない。この土地に、まだ魂が入ることを許されていない」と答えたそうだ。

我が国などは、もっと現実的且つ顕著である。源頼朝が武家社会を立ち上げた理由のもっとも大きな要因は御家人の地べたを守り、従来の貴族支配下の荘園に対しての争議にあたり、個々に争うよりも集団で対応した方が断然有利だと考え、武士達も、その交渉団の団長として、源頼朝が適切だと考えたからである。要するに、頼朝と言う人は現代で言えば、被害者団体会長である。が、しかし、その団長により力をもたらすために彼は幕府を開く7年も前の1185年に、全国に守護・地頭を配置している。義経が悲劇のヒーローの様に言われるが、源氏と平家の喧嘩に勝っただけ。武家社会という運動会の騎馬戦大将として活躍しただけで、生活の恩恵を何ももたらしていない。それは、実は清盛も一緒である。封建制度が武家の間で領地という土地を媒介に成立した一方で、農民はひたすらアジアでもっとも稲作に適した肥沃な土壌で米作りに撤していた。結果、江戸時代には世界にも極めて稀な大名の勢力が土地の広さではなく石高で比較された。武家は稲作生産の多い土地を求め、一方農民はより豊作を願った。戦後は各個人が不動産という有形でありながら実際は帳簿上の資産の虜になった。と言うわけでこの物語の根底を為す土地への執着とは可成、異質である。

この物語は全編が土地の話である。自分の土地を持てという父の遺言から始まり、その実現が大団円になるが、合間に新地を求めた人間の足跡をアメリカ開拓史とうまくリンクさせて描いている。しかし、一方でこの作品は最初にシアターで鑑賞したときの感動がその後ビデオやDVDで観ても全く感じられない。その原因は未だ分からないが、もしかしたら、トムクルーズとニコールキッドマンの当時夫婦の共演作品であるからかも知れない。公開当時、熱々のこの二人は、どちらもスターダムに伸し上がる発展途上だった。この作品を観て誰もがこの夫妻がハリウッドのトップスターになることを確信する、そんな役者の勢いと、夫婦共演として呼吸のピッタリあったところの両面を堪能できたのだと思う。
この作品の夫婦共演の呼吸の良さと比べると、名作であるが「アイズ・ワイド・シャット」の方は、各々の演技力は上がっているものの、何か二人の間に深い溝があると思うのは、結果論からの偏見だろうか(逆に作品としては「アイズ~」は、それが良いのだが・・・)

いつも言うようだが、この時代のアメリカ史を扱った作品をもっと製作して欲しいと願う。


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by turtoone | 2005-11-19 10:44 | 映画(は行)

ブラザーズ・グリム

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この作品はコンセプトが見事だった。童話というのは所謂、ファンタジーである。しかし、この21世紀のエンタメ界で一大勢力を形成したファンタジー勢力分布派もはや留まるところを知らない。勿論始まりはスターウォーズであったが、その原作をも超え、幾重にも積み重ねた沢山の企画と構想と描写に対し、スペースファンタジーという領域では残念ながらこれを超える物は作れないと誰もが断念した。製作者は断念すれば良いが、しかしながら、一旦上げられた視聴者のレベルという物はそう簡単には下げられない。美味しいものを食べ続けてよく「舌が肥える」というが、この場合目が肥えるとでもいうのだろうか?いや、敢えて真面目に自問自答して言えることは「目」だけではない。五感のすべてが高いレベルに持ち上げられたと言ってよいだろう。さらに、その後のスペースファンタジー作品は常に、この作品と比較されるという生みの苦しみを背負わされた。そして残念ながらスターウォーズシリーズを超える評価を与えられた同類作品は皆無である。

しかし21世紀に入り、全く違うファンタジーの傾向が現われた。ハリポタとL.O.T.Rである。この2作品はそれまで大作制作を半ば諦め、大きなシートを覆い被されたこの領域に風穴を開け、続編を発表するごとにその穴が大きく広がった。そして短期間でファンタジーの新勢力を形成し、同時にあらゆる可能性があることを提示した。来春から公開される一大ファンタジーのナルニアもこのムーブメントから輩出されたことは言うまでも無い。

この表題作は前述したような超大作では無い。しかし、グリム兄弟を余りにも有名で、又誰もが知っている彼らの代表作品の名場面と連繋させ、一般的に他の童話作家が夢と希望を与えることに比べて、残酷で人間臭さを表現したという後世の人間の論評も区々な彼らを「実は詐欺師だった…」言い切ってしまったところが凄かった。これぞ、コンセプトの勝利である。何度も書くように筆者は今年の作品の中では「ネバーランド」の評価がやたらに高いが、あの作品も余りにも有名なピーターパンを作者のジェームスバリに視点を併せて、新しい物語を構築したコンセプトであり、その定義に当てはまるのは、やはりこれもやたらと筆者の評価が高い、「恋に落ちたシェイクスピア」(まだレビューを書いていない…近々書かなくては)である。こういう作品は鑑賞前から期待も大きく、従ってその分筆者の評価もハンディが着く。2005年秋冬期待度ランキングでも第2位だった。しかし、その期待度が裏目に出ると、「バッド・エデュケーション」の様な事になってしまうのである。

結論をいうと、この作品はコンセプトは良かったが、構成はこの手の作品の「お決まり」だった。はじめに、主役人物の背景を説明するショートストーリーが入り、次に本題への導入、そりゃないだろうという主人公の行動が故の失敗と、簡単などんでん返し。更に誰でも分かる安易な謎解きと、ピンチからの脱出が幾つか続いたのち、展開上絶対無理なこじつけと、作品のどこかに隠されていたキーワードをなんとか引っつけてエンディングへと滑り込む。そう、これは「娯楽作品」の鉄則、王道である。この作品、コンセプトが良かったのに、それだけであとは斬新な物は殆ど発見できなかった。ある意味「ヴァン・ヘルシング」と全く同じで向こうは娯楽大作に撤していたから評価を高くしたが、こちらは、そのための詐欺師という設定だとすると、作品前半に抱いていた期待と興味が中盤からすべて薄れてしまい、グリム童話との連繋から「エエー?まさかあの話を持ってくる~?」というオチ迄途中で分かってしまうという有様だった。

マット・デイモンとヒース・レジャーはそれぞれ持ち味を発揮してくれた。特にヒース・レジャーは期待通りの演技だったし、これも、余り「好き嫌い」では食べず嫌いに入る俳優マット・デイモンも少しテンションが高すぎたきらいもあるが、そこそこの出来で新境地、「ボーンアイデンティティー」とかではなく、こういう役柄が出来るのであれば、これからも少し注目したいと思わせた。しかし、この作品は正直なところ、ピーター・ストーメアとジョナサン・プライスという二人のベテラン演技巧者に救われた。彼等二人が居なかったら「娯楽作品」の楽しさをも感じることが出来ず、本当に企画倒れになってしまったところであった。

この作品がそうであるとは言わないが、最早、大作になりきれない中途半端なファンタジーは必要とされないのかも知れない。


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by turtoone | 2005-11-16 00:06 | 映画(は行)
b0046687_23183042.jpgこの作品を見ていると、結果的にアメリカという大国を世界の大戦に巻き込んだのはどうやら日本国らしい。実際問題、アメリカは他国との戦争で本国が戦場となったことは一度もない。アメリカは長いこと国内で南北戦争とその後の問題の処理に奔走していたからであろう。当時は世界に冠たる軍事戦闘力を兼ね備えた日本軍に対しての真珠湾後の応対と米国民の動揺は計り知れなく、この作品にも描かれている通り、政治も、そして国民生活もある種の不安な日々を送っていたに違いない。冒頭に書いたように、結果的にはこれが「世界の警察」アメリカの序章になっているとしたら(事実なってしまった・・・)現在の世界状況を基礎をわが国の安易な発想で作り出してしまったのである。確かに日本は、欧州の植民地支配からアジアを守ろうという大きなビジョンがあった。しかし、それはあくまでも後世、つまり現代の見方からすると、必ずしもその方法論は正しかったとは言えない。良く「それは歴史に委ねよう」という種の言葉を、その時期その時期の偉大なる政治家はしばしば口にするが、もしこの時期のことを「委ねた」としたら、残念ながら、大いなる間違いだったとしか言えない。但し、これだけは申し上げるのは、敗戦国だからとして日本やドイツだけが悪い言い方をされるのは、「勝てば官軍」の理屈であり、やはりどう考えても、世界中が間違った時代だったのであり、しかもアメリカの参戦は、新世紀に入ってもそれを継続させてしまっているのである。

Remenber pearl harborは、現在でも米国民の根底を形成する一要素になっているようだし、この作品が真珠湾攻撃60年(アメリカにも還暦って感覚があるのか?)を記念して制作をされているという意図があるとしたら、なんと疑心暗鬼な国民性だと疑ってしまう。我が国は浮沈空母(それも困るが…)では無かったのか?

作品についてだが、ブラッカイマー制作の中でも特に撮影効果と技術の拘りを感じる。真珠湾攻撃にスポットを宛てた作品としては、「トラトラトラ」や「ファイナル・カウントダウン」等があるがたとえば零戦の低空飛行シーンといい、或いは、戦艦アリゾナ沈没シーン(個人的にこのカメラワークは後のキングアーサーの氷原シーンに連携していると思う)の描写は流石だと言わざるを得ない。但し、この作品は娯楽作品ではないので、残念な点をあげれば、人物に感情移入するのが難しかったと言える。主役の二人は竹馬の友で飛行機乗りが夢。しかし一人は文字認識の障害が、もう一人は先の世界大戦で外傷的精神傷害になった父を持ち、そして愛している。戦争の持つ悲劇として、形あるものの破壊・崩壊と共に、人間の絆を引き裂くという無形な残酷を表現するのは常であるが、前述した撮影効果に比較すると、ストーリー構成が余りにも平坦であるが故に後半30分は、ルーズベルトが車椅子から立ち上がる場面以外に見所はなかった。

この作品は日本でも、特にシニア層に支持された。筆者は以前サイパンにいった際、広島原爆投下の任を受けたパイロットが、その重さに妙切れず失意のどん底に落ちて任務を執行できずに裁判にかけられたり、実際に参加した人間が帰還してからより、自問自答、自己嫌悪に陥り志願除隊や自殺、はたまた精神障害に至った米軍兵が何人も居たことを現地の老人から聞いた。その史実と比較して、この作品におけるRemenber pearl harborはこんなにいとも簡単に描いてしまって良いのかという疑問符を投げ掛けたく思う。歴史に学ぶという事は、過去を忠実に再現することも然りだが、もう一つ過去の反省に立った改善のための提言だと思うからである。勿論、歴史は人が作るものである。が、だからといってこのアメリカの進路を左右するほどの大きな歴史的分岐点を竹馬の友だけで表現するというのは、余りにも短絡的過ぎないだろうか?

180分つきあって、残ったのは疲労感だけであった。

最後に俳優については敢えていう必要もない、既に御馴染みである3人、「グッド・ウィル・ハンティング」のベン・アフレック、「ブラック・ホーク・ダウン」のジョシュ・ハートネット、そして「セレンディピティ」ケイト・ベッキンセイルが共演している。ここでも輝いているのは、ケイトであり、その後の「ヴァンヘルシンク」「アビエイター」の好演の予感を既にこの作品の時点で感じることが出来る。イギリス出身でオックス・フォード在学中から映画出演し、ついに3年で中退してしまうほどのめり込んでしまった彼女は、それでいて妙にインテリぶっていないところに好感が持てる女優である。久々に、モノクロフィルム映像で観てみたい、そんな女優だと思う。但し、この作品は、真珠湾60年記念作品化以外に、何も得るものは無いが・・・。


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by turtoone | 2005-11-14 23:30 | 映画(は行)