暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(は行)( 72 )

墨攻

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中国の歴史作品というのは筆者にとっては欠かせない。中国というのは、歴史と文明と思想の宝庫であり、そこには、広い国土と共に、その中で育まれた多くのスケールの大きな人物、自由な思想、そして独自の文明があり、一方でこの大陸を舞台に多くの国が興亡を繰り返して来た。その中国史を題材にした大作というと、やはりどうしても「ラストエンペラー」がトップに出てきてしまうし、どちらかというと近代の方が作品にし易いようだ。又、日本人に馴染みのある部分では「三国志」、「項羽と劉邦」、「水滸伝」という辺りは小説も多く、それに継ぐのが、「太公望」、「始皇帝」、「楊貴妃」、「チンギス・ハーン」、「阿片戦争」、近代では「孫文」、「毛沢東」、「蒋介石」といったところであろうか。しかし、この「墨子」をテーマにしたところは凄いなと思っていたら、これは日本のコミック作家の作品らしい。なんと、日本にもこんな壮大なテーマを書ける人間が居たなんて感動である。筆者も実は、「墨子」の研究(とまではいかないが、儒家をテーマに書いた提出論文の関連で墨子並びに墨家を調べていた)の際に、日本では殆どまともな資料が手に入らなかった経験があり、だから墨子だけで作品を書いてしまうなんて不可能に近い仕事である。

そもそも文化大革命以降、中国に自国の立派な歴史を編纂しようという考えは、国家の政策に反する事とされるようになり、六四天安門事件後の政府政策により、一般の国民にまで正確な中国史を伝えることさえ禁じられた。今日、悠久なる中国4000年の歴史の中の数々の事件を取り上げて作品化するというのは、大変困難なことになってしまったのかもしれない。しかし、そんな中で、本作品のように、中国、日本、香港、韓国という4つの国と地域の融合プロジェクトとして仕上げたことの試みには大変大きな拍手を贈りたい。

以前は中国で最初の皇帝国家となった「秦」が、古代史の中心として研究されていたが、最近では、この「秦」の前にその皇帝という構想を持っていた「趙」が「周」の流れを最も継承した国として研究の中心となっている。周といえば、儒家を取り入れた(皇帝という名称は使わなかったが)国家としての機能を最初に持った国であった国家として、その後の中国の歴史興亡に大きな影響を与えているが、戦国七雄の中でも、秦に政(始皇帝)が現れるまでは、趙は七雄で最も勢力があった。政の出生も趙である。そういう意味では、この作品は中国の歴史を紐解く中でも新しい解釈であり、勿論、推測・想像の部分多いが、歴史に限らず新しい研究は仮説から始まるものであり、同時に墨子を扱ったという大胆な発想にも脱帽である。今や、世界で最も携帯電話販売数が多い国であるが、一方で、歴史は1949年から始まっていると教わって来た年代が成人しているという世代の、99%が最も尊敬している人物は「毛沢東か周恩来」である。世界の色々な国から中国史を研究するグループも来ているが、輸入品と変わらなく冷遇されているのも事実。国家の存亡に歴史が邪魔になるというのは分らなくも無いが、ギリシャやローマ帝国よりも、もっと昔から国家という概念を持っていたこの国の海外からの研究者には、協力をしないまでも、せめて自由に活動させることにより、新たな歴史的事実が発見できるものと確信する。

また、この作品には「儒教」という思想ら対して、ひとりの人間が、国と戦争と愛と人生の中で、何が大切であるのかということを真剣に考え、また、それらを語り合っている。日本でも、封建時代の武家というのは、「武士は食わねど高楊枝」という言葉の通り、階級・貧富に係わらず常に高い志を持ち、立派な生き方をしていた。中国では紀元前400年から、こんな立派な人たちが居たと思うと、我々は素晴らしい祖先を持っているのだと思う。ローマにも共通することであるが、この時代の人間は、良く「考える」ことを訓練され、実際にも良く考えて行動していたと思う。折りしも六カ国協議が再開した昨今、我々はもっと考え、知恵を出し、融和していかなければならないと反省させられた。

作品も見事だった。アンディ・ラウは良かった。又、ファン・ビンビンという女優を始めて知ったが、大変素敵な人だと思う。(私がソフィア・コッポラだったら彼女を主役にして楊貴妃を撮るだろう・・・って、失礼、これは言い過ぎ)。脚本も良かったし、美術で言えば、あの趙軍の気球の様な乗り物というか攻撃法は気になった(筆者の認識では気球を始めて軍事利用として戦法に使ったのは18世紀ナポレオンだ)が、まぁ、この辺りの自由な発想は良しとしたい。ただ、音楽はどうも「トロイ」以降、史劇はみんな同じ様な旋律と遣い方をされているのが気になったが、総合的には予想以上に良い出来だった。ラストでもうひとり、人物が並んで歩いていることを望んだところは裏切られたが・・・。


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by turtoone | 2007-02-10 23:12 | 映画(は行)
2007年新年、ホテル・シアターの第2弾鑑賞記事である。この主人公の設定、アルゼンチン在住のポーランド系ユダヤ人といわれただけで、国際感覚の薄い筆者には、もう何が何だかわからない。ポーランド系ユダヤ人と聞いただけで、勝手ながら大変悲惨な過去を持っていたるではないかと邪推してしまう。いけない偏見である。一方でプエノスアイレスといえば、「南米のパリ」といわれるほどの美しい街であり、アルゼンチンの首都で人口は丁度名古屋と同じくらいであろb0046687_20512821.jpgうか。気候もわが国と似ている。筆者は勿論、行った事がなく(ブラジルとペルーには行ったので、近くまでは行っているんだなぁ~)多分、今生では余程、テレビのクイズ番組で全問正解者が出たときに偶然応募して、偶然が重なり当選した場合でもない限り、行く機会は無い。それから、「ブエノスアイレス」というカンヌで監督賞を取った香港映画があったと思った。筆者の苦手な同性愛がテーマだったので観ていないが、だから、映像ですら、この都市をちゃんと確認したことすら無い。つまり、この設定と筆者は、日本人とフランス車以上に遠い位置関係にあるというのが、まずもって作品の冒頭からの印象である。

しかしながら、冒頭から実にテンポの良い作品だ。こう感じる大きな要因は言語の響きの心地よさもある。どうやら、筆者はスペイン語とか、あっちの言葉の方が好きな様だ。そして、やはり最初から興味を持った点が主人公であり、アルゼンチンの青年が、今更、欧州諸国に興味と憧憬を持っているなどという現実はこの作品に触れるまで、全く、知り得なかった世界であり、感覚である。大学でポーランド語の勉強をされている方なら分るが、筆者にはポーランドへの憧憬どころか興味もない。言い方が悪いかも知れないが、筆者にはポーランドの事を知ろうとしてもそんな時間的・金銭的余裕もなく、従って、ポーランドの事を調べる時間があるのなら、ギリシアの音楽、イタリアの政治、アルバニアの文学などを勉強したいと思ってしまう。ただ、これも筆者の時代感覚が現代青年と多少ずれているのかも知れないのは、要するに、長いことこの国は「東欧」だった訳で、ソビエト連邦同様西側諸国に関しては随分もの間、ベールに包まれていたことは事実。最近になってこの国の良さ、例えばバルト海に面している美しい大地というイメージが、前述のクイズ番組や、その翌日夜のどちらかというと余り売れていなくて時間に余裕のある(でも、稀に香椎由宇ちゃんみたいな超売れっ子も出たりする・・・)俳優が長期滞在する番組の舞台になったりする。だから、この感覚の違いは民族的なことだけでなく、ジェネレーション・ギャップなのかもしれない。

b0046687_2052530.jpg作品に戻って、ガレリアの社会を描いているが、面白いのは、アルゼンチン社会の縮図であると同時に、主人公の視界で描いているものでもある。だから冒頭のガレリア紹介の部分ではその紹介の度合いがとても狭いのであるが、結末でガレリアの今を紹介するが、このときはかなり広い視野を持っていて、その分の主人公の人間的な成長がさりげなく語られている。大変心にくく、上手い演出である。物語と同じ目線で言えば、主人公アリエル(←どうもこの名前は「リトル・マーメード」を想像してしまう)がボーランド国籍を取ろうとしている内に、それが徐々になんの意味があるのかを自分でも分らなくなっていく。そこに、ガレリアの中の様々な騒動、祖母の存在、そして母を捨てた父が戻ることになり、アリエルが本当に大事な環境というのは何なのかを確認するという、まさに青春ムービーなのである。そう、こういう青春ムービーって、実は、日本映画の最も得意とするところなのではないだろうか? ただ、日本の青春映画ってこんなにテンポが速いもの余りないし、残念なのは政治的な背景は余り語られない。だから、そういう青春映画というのは、実は作ってみたりしたら良いのかもしれない。昔、筆者がまだ邦画を良く見ていた時代に「ヒポクラテスたち」という名画があった。これは直接で無いが、政治を語ったりしているが、こういう内容でテンポの良い作品を作れば良いんじゃないかって勝手に思う。

ブエノスアイレスとは「良い空気」という意味らしい。最終的に父も息子も求めたものはこの空気なのだろう。それにしてもタンゴっていいなァ・・・。アルゼンチンに行きたい!!


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by turtoone | 2007-01-05 22:53 | 映画(は行)
b0046687_15282239.jpg「かもめ食堂」を貸してくれたTrapから一緒に借りた作品。レビューを上げてなかったのでここで書くことにした。その前にひとつお詫びがあり、「かもめ食堂」のことでやたらリアリティの欠如的なコメントを書いたが、あの作品は群よう子さんの作品らしい。また、監督である荻上直子さんも、若い頃からフィンランドでの生活体験があるらしい。その辺りはTrapに指摘された。その同じ、荻上作品として、最初観たときから実は結構色々印象に残っていて、「かもめ」もその辺りの流れで借りたのであった。

結論からいうと、筆者的には「かもめ」も良いが、この表題作の方が作品としては好きである。冒頭の無知から来るお詫びとして、どうせフィクションなら、原作の有無に係わらず、この辺りまでやってくれと思うからである。そして本作品で大きかったのは、伝統とかしきたりとかの大切さを再確認したこと。しかし、一方でそれが間違いの時もある。守るべきものとそうでないもの。継承出来るものと出来ないもの、これは概して一律でない。だからこそ進歩も成長もあるのが人間の営みなのである。そして社会では発展があり、文化が生まれる。つまり、文化とはただ継承していくだけでは新しいものは何も息吹かないと言っているのである。これは中々斬新な提案であり、且つ視点の角度を少し変えていて面白い。

特に、もたいを起用した事でその伝統の部分に強迫という要素が加味されたところも大きい。冷静に考えて髪型を統一、しかも時代錯誤な坊っちゃん刈りで、そのことが例えば転校生が現れたり、隣町へ行ったりという機会がなければ分からないという、なんとも馬鹿ばかしさが、前述した伝統とか文化の継承という側面においては、勘違いや取り違えの根源であることも同時に訴えている。実に愉快だ。だからではないが、もっと文化的勘違いな部分を強調しても良かった。つまりは、神道とキリスト教という妙な宗教混合行事にもこの髪型がリンクしている様に、全ては「吉野刈りありき」の時代錯誤でなく、吉野刈りは時代錯誤と文化継承の狭間で頑張っている「象徴」だとした方が良かったのではないか。もたいの持つ役者としての存在感を考えたら、どちらかというとこの土地の地元民が皆、この不条理な文化継承を良しとしているのでなく、数少ない伝統を守り反対されつつも、本当の意味で、継承されるもの、つまりは髪型という外見の修飾にのみこだわる現代少年とそれを制御しきれない荒廃した教育構造にまで問題視してくれた方が良かったと思う。

ただし、作品の動機と、最終的な着地点とのズレがあったのも事実。この作品を観た諸兄の動機は、もっと何か色々なものを修得できるので゜はないかと期待をした筈だ。そう、ただ単に「吉野刈り」だけで終わってしまうとは思わず、その辺りを考えると随分消化不良だったのではないか。筆者の年代だと、まだ幼少の頃は「坊ちゃん刈り」はある程度は市民権を持っていた。スポーツの部活をやるので坊主にしなくてはならないという事実と比較すると、まだ「坊ちゃん刈り」の方がましだと思われる節があったのも事実。そして物語も途中から少年たちの冒険小説?みたいな側面に入ってしまう。冒頭に述べたように、こりテーマにリアリティを追求していないにしても、だからこそもっと面白い展開や、少なくとも風刺のひとつやふたつは欲しかったと思う。

前述したように、文化に対する提言は良かったのだから、後はその表現手法である。「かもめ」も含めて、今後この監督作品には注目していきたいと思う。


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by turtoone | 2006-11-17 15:31 | 映画(は行)
b0046687_1710187.jpgこの作品で描かれているルワンダのツチ族とフツ族の紛争に関して、筆者が当時一番最初に知り得たのは、週刊雑誌「News week日本版」である。他のどのメディアよりも早くそして詳しく記事が掲載されており、特に、見開き4ページか何かの特集の時には、このふたつの部族の成り立ちやなぜ、彼等が争っているかという歴史的背景がこと細かく執筆されていた。映画の中にも一部、フツ族、ツチ族の事に触れられているが、この台詞だけでこの紛争を理解するには、知識の無い人には不十分だと思った。但し、筆者が知ることが出来たのは、その記事、及び前出の週刊雑誌のその後の報道のみで、最終的に1000万人が惨殺されたとか、両民族が逃げ場を求めてアフリカの大地をさまよっているという結果論だけだった。欧米や日本るメディアはこの大事件に関しての報道に関しては至って消極的(というよりも殆ど無視に近い)だったと言わざるを得ない。アフリカを扱った作品(映画に限らず)に触れるたびに、この大陸を16世紀以降、勝手に線引きをしてきた欧州の国々の大罪を糾弾したく思う。今、我々が習っていたり、旅行の際に見ることのあるアフリカ地図は、そこに住んでいる人の主張の欠片はひとつもなく、ただ、欧州の傲慢や輩によって分捕り合戦の末作成された地図であることを、我々は再認識しなくてはならないと思う。そして、初めてこの事件を知ってから10年以上が経ってしまったが、今も改めてこの映画作品により、当時の事実関係が世界に初めて紹介されたということと、自身にとっても当時の断片的な報道記事だけでなく、当事者の声の発信を受け止めることが出来たことがこの作品鑑賞の目的でもあり、意義でもある。筆者的には長い時間が係ったか、作品のみならず、自己の時間的背景に関しても感動せざるを得ない。それくらい、我々は同じ地球上の民族であるこの大陸で起こっていることに無関心なのである。作品の日本公開は映画ファンの署名運動によって実現した。冒頭に偉そうなことを書いたが、筆者はこの署名にも参加できなかった。

特に、この映画作品では、当時この両族の争いがある程度収束された段階から始まっている。筆者が記事で始めてこの紛争を知った内容よりも、もう少し後のことである。記事では国連軍が介入しこの一件も収束しそうであるが、この両族に改めて刻まれた遺恨は大きく、筆者と同じく、これは欧州諸国の大罪だと纏めている。イラク戦争もそうであるが最前線で何が行われているか、或いは援軍が退去してしまってから本当の悲劇が始まるということが、実は一番大きな問題である。国際問題というのは、所詮「地域問題」として捉えきれない部分であり、イスラエルしかり、ボスニアしかりである。ここいいながら、今現在のルワンダやコンゴの問題も本質を知りえる訳ではない。しかし、結局「地域問題」というのは、その地域で解決しなくては何も生まれないというのも事実。であるからこそ、この作品の主人公である。ホール・ルセサバギナという人が、自らの手で同じ民族を守ろうとした行動は、凡人の自分には賞賛を表す言葉すら見つからない。よく「アフリカのシンドラー」などと言われるが、何々の何者でなく、彼自身の行動は何かと比喩・比較できるものではない。

又、この作品は必要以上に特別な効果を強調していなかった。例えば、音楽で言えば、勿論全編にアフロミュージックが流れているが、そこには日常を感じるだけで、例えばこの紛争の危機を音楽で表現しようとしたりということはなかった。子供たちが普通に音楽にのって踊っているシーンが幾つかあるが、この紛争の最中なのに、子供たちはそれを知らない。逆にそのことが「効果」となり余計、罪もない小さい子供たちがなぜ犠牲者になるのかという悲惨さを強調することにも繋がっている。また、ホテルでの滞在に関しては、勿論部屋数に対して絶対的に人数が多いのだが、その滞在の悲惨な様子も描いていない。多分、この一流ホテルにいることは安心と当時に、普段の生活よりもきっと良いのだから、そういう不満や悲惨は表れない。ポールが懸命に食料を調達している場面くらいに抑えているのは、この滞在が当時のルワンダの環境からしてみればという部分に、逆に悲惨さを受け取ってしまう(これは文明国にいる人間の奢りかもしれない)。この妙に物事を強調しなくてもその内容がしっかりと伝わってくる処に、この民族紛争の悲劇と、脚本の出来の良さと映像との連繋、カット割の良さがなせるところだと思う。これら映画の基本である。

ハリウッドスターをルセサバキナ夫妻役の配してどうかと思ったが、二人ともしっかりとこの歴史的事実を伝えるのに充分な演技力を持っていたと思う。


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by turtoone | 2006-10-29 17:16 | 映画(は行)
b0046687_155926100.jpg今年のオスカー発表前日までは、最も注目の高い作品であったにも係わらず、蓋を開けて、主要部門は監督賞と脚色賞のみの受賞となった途端、一気に扱いが小さくなった可愛そうな作品である。日本公開もその前後という良い時期であったのに、然程、脚光を浴びなかった。そういえば、筆者もレビューを書いていなかったので、新作DVD発売の機に少し触れておこうと思った(今年はこのパターンが多い)。

残念ながらこの作品は所謂「ゲイ」という部分が公開前はやたらとクローズアップされたが、筆者にはそんなことは殆ど感じなかった。昨年の「バッド・エデュケーション」なんかの方がずっと艶かしい。この作品は60年代だが、今やこの地球上には65億の人間がいるのだから、男同士の友情表現のひとつとしてこんな関係になるのは、別に不自然なことではないと思うし、筆者はこういう表現は出来ないが(出来るか出来ないかは、実は分らない・・・経験がないのと、しようと思ったことかないだけだ)別にあってもよいのではないか。つまり、人間の関係というのは「ひとり」では築けないわけで、たまたまそういう相手とめぐり合ったこと(男女間の恋愛だってそうだ)が運命なのである。

以前にもこのブログで書いたことかあるが、映像として「美しい物」がよりよいと考えているので、主観的には(決して偏見でなく)、男同士より、女同士の方が絵的にも美しいし、男同士に「美しさ」は感じられない。この作品も同じで、男同士のラブシーンなんていうのは見るに耐えないのは事実、しかし、ストーリー的に必然性を感じられたのは、やはり「友情」の発展形だからかもしれない。しかも最初は「羊」守という環境で生まれるというところも(ご存知の様に羊はそういう対象で良く使われる)何と無くユーモアがあり、(決して本気でなくあくまでもジョークで・・・)自分だったら羊を選ぶなんて(「羊を食おう」なんと台詞もあったし・・・)同軸で観ることをしてしまった鑑賞者が結構いるんじゃないかと思ったのは、筆者だけではないはずだ。

それに、この物語はもっと人間の核心をついているテーマが根底にある。そのキーワードは、やはりアメリカという国が建国以来、ずっとずっと蔑ろにしてきた「差別問題」であろう。ある意味で「クラッシュ」なんかと同軸で描けるのは、人間というのは、何時どんなときでも自分以外の「他」を差別してしまうという戒めであり、この作品にはそういう日常のレアーケースが沢山出てくる。雇用者と労働者の関係、親子の関係、貧富の関係、男女の関係。勿論そのすべてに「差別」があってはならないが、アメリカは長いこと、その問題をずっと「人種問題」に代表させ、同時に他の差別を封印してきた。この問題こそが、今後、この国が本当に問題解決に取り組み、同時に背負うものの大きい課題である。奇しくも、こういう作品のオンパレードになった第78回オスカーだったのである。

映像は大変良かった。最初の雲からして少しいやらしさを感じた(公開の時も同じことを思った)のが、その後すぐに払拭されてしまう映像の数々だった。俳優の演技に関してはそれぞれが、何とも評価の難しい役どころだったが、アン・ハサウェイが新境地に挑んだことは評価できる。但し、次回作は「プラダを着た悪魔」なのであるが。


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by turtoone | 2006-09-30 16:03 | 映画(は行)
b0046687_17493197.jpgイギリスの中世史、さらに、スコットランドの歴史となると、片や世界の中心の国の歴史である一方、こちらは極東という最も遠いところにある国の人間としては、大学で英文学とか英国史を専攻していない限りは全くといって馴染みが無い。筆者は歴史が好きではあるが、流石にこの地域のこの時代までには精通していない。しかし、近いところは多少わかる。例えば、この時代は百年戦争の少し前である。百年戦争といえば、ジャンヌ・ダルクである。そして、十字軍遠征の時代でもある。日本は何をしていたかというと、鎌倉時代で2度の元寇に遭っていた、初めて他国からの侵略戦争に相対している時代であった。ということは、中国は元の時代である。元時代の三大発明というのは、ヨーロッパに渡り、ルネサンスの発明に繋がっている。そんなことを考えていると、歴史というのは全部繋がってしまうから面白いものなのである。

ウィリアム・ウォレスという人物も全く知らなかった訳では無い。誰かの何と言う曲か全く忘れたが、イギリスのミュージシャンだったかが歌っていたと思う。良く、このブログに書くことなのであるが、世界の中心大英帝国と、極東の孤島わが日本という国は大変似ている点が多い。詳細は割愛するが、だからそういう日本の軸で考えてみると、この頃の日本は前述したように、2度の元寇により、日本は政治力も財政力も、更には国民ひとりひとりの活力も大いに疲弊していた時代である。「ブレイブハート」における、スコットランド民族の独立への過程と行動は日本史には中々当てはまらないが、わが国に民衆運動が本格的に始まるのは室町時代になってからの「百姓一揆」辺りであり、そう考えるとヨーロッパより150年以上も遅れている。しかも単一民族指向である国には、独立とか解放という「自由」を勝ち取るものではなかった。民族的な意味での反抗という観点では、有史以来朝廷への反抗はあるものの、世界史的観点という土壌にのるもの殆どない、やはり極東なのである。

中世という時代は全世界的に、「残酷な時代」であった。仏教的に言うと「末法の時代」であるが、確かにこの時代(末法元年を1052年からこれまでの間)というのは、その以前よりも人間社会か混沌としていると考えられる。日本国だけを考えても武士のという新しい階級が台頭して、政権も握っている。この映画作品も公開時には、「News week」等、アメリカの週刊誌に、「エグイシーンが50幾つもある」などと、作品自体の評価より、映像の残酷さを強調された。しかし逆に考えると、それが真実に近いかどうかは別として、残酷な時代だったことを表現することに関しては、それまでの歴史映画作品より戦闘シーンのリアリティの追求は、この映画が最初であり、これ以降の作品は、「グラディエーター」にしても「ギャング・オブ・ニューヨーク」にしても、残虐さのリアリティ追求を継承している。そういう意味では映画史に残る歴史作品の金字塔なのである。

例によって歴史的事実と作品の「差」に拘りを感じるのは、グラディエーターと同じ、ウォレスへの拘りである。実際にエドワード1世の崩御とウォレスの死刑の時期は一致としないし、ロバート1世(ブルース)の最後のシーンとコメントの後、一旦はノルウェーへ追放になる。又、エドワード1世の死後はイザベルが実権を握り、夫を更迭しわが子エドワード3世の摂政になるが、最終的には息子から更迭されてしまう。作品ではこの3世とウォレスの関係を親密に取り上げているが実際には不可能だったであろう。しかし、名君の誉れ高いエドワード3世出生の逸話に繋がる映画特有のエゴイズムは、「グラディエーター」にも継承されていて、単なる歴史ドラマとしてだけでなく、映画としての付加価値を十二分に盛り込んだ作品として価値も評価も高い。

最後に俳優について述べると、ソフィー・マルソーが出ている。あの「ラ・ブーム」で、全世界、勿論日本のファンも席捲したソフィーである。この作品の後、中々良い作品に恵まれていないが、本当に綺麗な女優さんで、密かに筆者もファンである。

因みに、この作品は筆者評価の特A作品である。


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by turtoone | 2006-09-22 23:54 | 映画(は行)
b0046687_17104020.jpgこの作品に関しては改めて何も紹介する必要が無い。ならレビューなんて書くなと思われるだろうが、逆の言い方をすれば、この作品に対する感想というのは、色々な人がいろいろな視点をもって述べても、全て正解だと思う。勿論、映画というのは文芸作品であると同時に大衆娯楽であるから、どの作品に関してもそれは同じである。但し、何故、敢えてこの作品の鑑賞記事でそのことを言いたかったというと、この作品自体がそういう視点で製作されているということと、この作品は「アメリカ」そのものだからであるということである。

まず人生に「普遍はない」ということ。これは決して悪いという意味ではない。冒頭に「チョコレートの函」で例えているように、変化があるから人間の一生涯というのは貴重なものであり、一人一人の存在に何にも替えがたいものなのであるということを全編に亘って強調している。フォレストは、20世紀後半の重要な部分に全て絡んで登場するが、これは別にフォレストだからでなく、時代を創出して来たのは合衆国という、他に世界の何処にも例の無い「特別な国家」といういわば「民俗史」を代弁している。それを一人の人生に凝縮させたことより、その特別な国家の道のりを合衆国民の共通項としたのである。この手法は大変支持された。

次にフォレストに代表される様に、この時代にアメリカは「走って」来た。但し、日本の高度成長期とは違い、皆が皆走っていた訳では無い。走っていたのは僅か一部の人間であり、その一部がアメリカを揺ぎ無い世界一の大国に成長させて来た。勿論、主人公であるフォレストの「居場所」いうのは、その「走って、牽引して来た人間」の居場所とは対照的にあるところが大変興味深い。だから、その両対極にある人間が、SFXを介して「出会う」のが、この作品のスパイスになっている。勿論、この部分の編集、効果その他の技術に関しては最新であるかどうかよりも、演出と相俟った完成度の高さは、まさに映画が「総合芸術」という言葉に相応しい。

もうひとつはその主人公フォレストの「位置」に注目したい。筆者は、フォレストの設定で「知能指数が低い」ことより、「南部出身者で且つフォレストという命名」に興味を持った。これはこの物語自体への導入であり、言わば骨格をここに置いたということは大変価値があったと感じる。それを示すように、フォレストは自分の名前を必ず2回呼ぶ。フォレストをミドルネームにも持ち、その命名の由来を自分自身に言い聞かせ、同時に社会に表現しているということである。合衆国の歴史は南部から始まったという誇りを失わないという設定が、如何にも映画らしい。

これらのことから、この作品はまさに「アメリカ合衆国」そのものであると言えよう。そして、作品の完成度を上げるべく演技や脚本も満点に近いが詳細に関してはここでは割愛する。音楽も単にヒットパレードではなくアメリカ音楽史を知る上で言うことがないし、この選曲には、20世紀の後半で音楽の舞台は完全にヨーロッパからアメリカに移ったことを主張している。個人的には、フォレストが3年以上走る箇所のBGM(ジャクソンブラウンだったり、ボブ・シガーだったり)が一番好きである。(勿論、レーナードも)。作品の完成度が高いが、残念なのは物語の設定や問題提起が良かったのに比べると、ストーリー性に欠けてしまった点が全体的に少し弱かったので、特A作品にはならなかったが。

最後に一番気になるのが、「平和集会」の場面。スピーカーコードを抜かれてしまったところでフォレストは何を語ったのか、筆者は原作を読んでないから(書いてあるのかどうかも・・・)分らないが、前後の流れから、「ババ」の事だと思うのだが・・・?


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by turtoone | 2006-09-21 23:11 | 映画(は行)
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全米では数々の記録を塗り替えているらしい、この続編であるが、筆者は、この僅かの間に、「パイレーツ・オブ・カリビアン」は大きな軌道修正をしたのだというのが、作品鑑賞直後の感想である。

ディズニー作品の完成度の高さに関しては、改めて又、ここで取り上げる積りはないが、「パイレーツ~」が大きく変わった点として、次のシーン、次のシーンが「こうなるだろう」と分かってしまうのだが(敢えて、観客にも分からせてしまう・・・)、そうなったとしても、又、「笑える連続」の素晴らしさである。原住民との追っかけっこといい、宝箱の取り合いシーンといい、「次はこうなる」と思いきや、そうなり、それが又可笑しい。考えてみれば、「分っていても面白い」ということは突発的な笑いだけでなく、真に面白いからなのだろう。そしてこれは、前作もそうだったのであるが、続編ではアクションの部分にそれが大いに盛り込まれているところに大きな特徴がある。例えば、「インディ・ジョーンズ」とか「バック・トゥー・ザ・フューチャー」シリーズのアクションの特徴は「じれったさ」であった。ひとつが解決すると、又、新しいひとつの問題が持ち上がる。考えてみれば、社会も「そういう時代」だったのかもしれない。かといって、この「パイレーツ~」のアクションが何を意としているのかは分らない。その辺りは次の作品を見ないとなんともいえないのであろう。

又、「呪われた海賊たち」(余談であるが、こういう副題がついていたということも今回始めて知った。第一作の公開時にはシリーズになったりするという想定が筆者の中にも全くなかったのだと思う)の時と比べると、主要3人物各々のグレードが大きく変わっていること。ジョニデはこの間2回もオスカーにノミネートされ、名実共にハリウッドを代表する大スターになった。オーリーも、 「トロイ」「キングダム・オブ・ヘヴン」「エリザベス・タウン」でビックスターとの共演、及び、主演を張ることのできる俳優に成長した。キーラも、同様である。しかし、この3人が、元の役柄という鞘にきちんと納まっている一方で、存在感がグーンと増したのも事実である。ジョニデは別として、今回作品として最も不安だったのは、ジェフリー・ラッシュが出ていないということ。前作では彼の存在が一番大きかったところである。確かにその部分の関しては、必要以上の大仕掛けやデヴット・ジョーンズと配下の海賊たち(彼らの姿はモンスターであっても最早海賊ではないね。)の極端なメークでカバーしてはいないか。それだけ、この娯楽作品の中にあってあのオスカー俳優の存在は大きかったと(だからラストは・・・ これ以上はネタバレになるので)誰もが認識していると思うが、それを除いても、この主要3人は良い役柄に成長した。

そして、これは結構色々な人が言っておられるが、筆者も同様に思うのは、「パイレーツ~はスターウォーズになった」ということである。これには色々な意味がある。まずは「記録的」にも、冒頭で書いたように初動記録を塗り替えられた作品は「エビソード3」である。又、前述したが、「海賊というよりもモンスター」みたいなキャラクターはスターウォーズに出演する数々のエイリアンを思い出させるし、ブラックパール号はファルコン号であるなど細かい点の類似点は多い。

勿論、賛否両論(というか、否ばっかりだろうな・・・)ある、第2作のエンディングもしかりなのであるが、筆者的にはふたつあって、ひとつは、「スターウォーズに代わった」ということである。30年もの間、映画界を席捲してきたこの作品の後継者的存在として、製作者側にも、鑑賞者側にも、その意図と希望があったということである。無責任なようであるが、これはやはり次作を観てみないとそれが正しかったかどうかは疑問である。もうひとつは、これも前述したような、「新しいアクションの方程式」を考えたことである。スターウォーズはシリーズの中に独特の「連繋」と「共通項」を作ることによって、鑑賞者に過去作品を「思い出させる」という工夫をした(詳しくは「エビソード3」 のレビューで)。「パイレーツ~」は、ディズニーの特性をフルに発揮したこの手法が新しい映画界のムーブメントとして「スターウォーズ」を継いでいく存在に「なりつつある」という事である。

しかし、この作品だけでひとつのアトラクションのみならず「ティズニーランド」を造れてしまうのではないか。


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by turtoone | 2006-08-15 15:30 | 映画(は行)
b0046687_1072144.jpg総合芸術である映画というのは、大衆娯楽であると同時に、時に大型メディアとしての機能も併せ持つ。戦争映画、特に第二次世界大戦モノはどちらかというと娯楽的作品として伝えられてきた。世界大戦においてアメリカは正義であり良心である。そしてその精神にのっとった戦場の英雄達は輝かしい活躍をし、中には殉職した者もあった。こういう感じである。そして、(それが真実か否かはどうであれ)、映画という世界の持っている冒頭の影響力から、アメリカは国を挙げて、こと、戦争に関しては大衆娯楽という大風呂敷の中に、メディアとしての国民へある種の洗脳を吹き込んで来た。これは申し訳ないが、ハリウッドを中心としたアメリカ映画界の罪であり、過ちである。

筆者は戦争映画は正直なところ余り良くわからないし、勿論そんなに好きでは無い。要は、過去の作品はとにかく戦場のシーンが圧倒的に多いからであり、最近この矛盾点は何なのか少し研究してみようかと思ったりもしている。戦場というくくりに関して言えば、例えばスペクテル史劇といわれる歴史モノにも、勿論戦場が出てくるがはじめに戦場ありきではない。残酷とかエグイとかいう括りで考えれば、刀で首を切り落としたり、矢が瞳を突き刺したりする方がずっと残酷である。しかし、何故、昨今の戦場の方が残酷に感じるのはリアリティの問題である。筆者の年代はベトナムを知っている(勿論、戦場に行ったという意味ではない)。ベトナムで何が行われていたかではないが、その戦争自体に反戦運動という名前で大反対している行動を、日本でも良く見かけた様に、リアルタイムなものほど、リアリティを感じるのである。もうひとつには、戦争映画というのは、あまり政治を描いてこなかった。歴史モノというのはどちらかというと「政治ありき」で、主人公も歴史に名を残す人物が多く、(歴史は勝者が作るといってしまえば終わりであるが)その一過程として戦場シーンが出てくるのであるが、昨今の戦争映画は人物の描写も弱いが、政治との関わりが薄いものが殆どであった。人物描写という点では、例えば「西部戦線異常なし」などの名作では、必要以上に小隊の人間関係や、ひとりひとりの人物に焦点を当てていて、またに、ラストに繋がる部分では、暗に軍部批判をしていると感じられるのであるが、まだ政治しの関わりに関しては希薄であった。寧ろ前述したように、「パットン大戦車軍団」のような戦争ヒーローを創出することで、戦争当時の政治より、公開当時の政治的配慮を感じてしまうのである。奇しくもこの両作品はオスカーの作品賞を獲っており、前者が文豪レマルクの名作という題材も良く、又その後(1933年)の反戦映画のスタイルを決定付けたものである一方、後者の様な作品が実は筆者がこれまでの戦争映画に疑問符を投げかける象徴的な内容であることは、ここまで書かせて頂いた部分で多少、お分かり頂けたと思う。

この「プラトーン」も、オスカー作品である。作品賞だけでなく、監督賞、音響賞、編集賞と4部門に輝いた。しかも、オリバー・ストーン監督はすぐ後の4年後にも「7月4日に生まれて」で同じくベトナムを扱って2度目の監督賞を獲得している。この作品は所謂リベラリストといわれる人たちから大絶賛を受け、これまでの英雄指向の映画作品やベトナムの報道、及び公開当時の世界各地の局地戦争への介入に関する報道はプロパガンダであるという言論が堰を切った様に湧き出した。そういう意味では、映画界に「戦争解釈の自由」が生まれた様に、この後は自由解釈の作品が増えて来た。この作品で筆者的に興味があるのは、出演人物が「政治」を語っていることである。政治というのは、何も国家政治だけではなく、小隊のあり方だったり、お互いの生き方だったりしていて、それがその言葉を発する「人物成り」というところに大いなる興味を感じる。勿論、この作品が絶賛された「ベトナムの真実」という部分はセンセーショナルであったが、所謂オリバーストーンのベトナム3部作の中で、筆者的には「7月4日に生まれて」を高く評価しているのは、この「プラトーン」から更に一歩踏み込んで、一人物の人生を通しての戦争を通じた政治背景とその関わりを描いたからである。(プラトーンはその題名通り「小隊」から政治に対して発しているのであろう。)

同時にこの作品は(制作費の問題もあったかもしれないが・・・)、大変魅力的に俳優が沢山出演している。後々のビッグネームも多く、この辺りにもストーン監督の俳優を見極める「選出眼」の非凡さをも感じられる。


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by turtoone | 2006-05-04 10:10 | 映画(は行)

フライトプラン

b0046687_125362.jpg

予告編効果の高い作品だった。実は、公開週に観賞したのだが、然程インパクトが無かったのと、アフターワークで睡魔との戦いだったので、きちんと評価出来ないと思ったのでレビューを書いていなかったのだが、少し時間があったので記事を挙げておこうと思った。予告だけで鑑賞してしまう作品は多く、これもそのひとつだが、予告編が大事だなぁと思うのは、正直、邦画などで予告編だけで「見たい」思った作品は数少ないのに(昨年は「星になった少年」くらい・・・?)ハリウッドは、ついつい騙されるのである。「フォーガットン」、「アイランド」などと同じで、この作品もそうであった。

但し、残念ながら予告編から想定できる様なもの凄い展開はない。ネタバレするのも早く、仕掛けが分かってからは興醒め(というか、わざとらしい引っ張りがあったりするので、展開も悪くなった)し、逆の意味での予告編効果から、次の展開が安易に想定できる。まさかここまで狙ってはいないだろうから、作品の内容に比べ、予告編で色々見せ過ぎた観もある。もっと裏があると思いきや、そうでもないので正直満足感が少ないのかも知れない。

しかしながら、映画というのは、物語だけでなく、他にも見るべき物も結構あって、この作品においてはまずは美術。飛行機のセットは感動モノである。又、こんなセット空間の中で、力一杯演技をしてくれた、乗客エキストラ(邦画やテレビ番組でいうエキストラとは違い、ハリウッドのレベルは、一人一人がステイタスの高い役者である)の面々。セットと演技の相俟った素晴らしい「仕事」である。正直、これらのシーンの撮影は大変だったと思うと、物語の展開より、そちらを結構くまなく見ることができたので良かったのかもしれないと納得している。

演技のことでいえば、ジョデイ・フォスターであろう。彼女の渾身の演技も凄かった。「母親」である。ここのところ映画鑑賞という土壌では、父親役に感動することが多かったが、この「強い母親」は良かった。「母」とは元来強いものである。原始女性は太陽であったとかなかったとかでなく、子供の愛し方も心で応対する男親にくらべ、女親は子宮で応対する。だから母の愛は無条件である。だが、その無条件な愛を映像描写できた作品はそんなに多くない。そういう意味では。このジョディ・フォスターは「凄かった・・・」。但し、ジョデイに関して言えば、作品に恵まれているとはいえない。「ハンニバル」を蹴って「パニックルーム」に出て以来、作品には恵まれていないといえよう。「ロング・エンゲージメント」のチョイ役は良かったが…。しかし、筆者は今でも彼女がミスアメリカであることを信じて疑わない。例えば、今後の彼女の役どころであるが、初の女性米大統領候補役(残念ながらまだフィクション)とか、アメリカでなければ、イギリスのサッチャー首相とか、ここのところ、リベリアやチリでも初の女性大統領が選出されている。そう、ジョデイには女性大統領役が似合うのではないか?

正直途中で不覚にも居眠り(妖怪大戦争以来、作品に陳謝)。そのときに良い場面を見逃したかなぁ?


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by turtoone | 2006-02-05 12:58 | 映画(は行)