暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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2009年 01月 18日 ( 1 )

禅 ZEN

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仏教が日本に伝来したのは6世紀半ば(代表的な552年、538年以外にも諸説ある)であるが、筆者の持論として民衆にこの教えが啓蒙され信仰・支持されたのはやはり鎌倉仏教の影響が大きい。無論、奈良時代には東大寺の大仏や、全国に国分寺・国分尼寺が建立されたがこれは国策の域に過ぎなかった。唐から高僧を招聘したが、それは政治を支える手段であったが、平安時代に入り、最澄と空海が中国から持ち帰った密教の影響は大きかった。特に天台は教学として日本で始めてというべきオリジナルな学問として、仏教を目指すものにとって比叡山は教学最高峰として君臨し始める。だが、これも最澄当時の崇高な理念は時を経て堕落し、教学だけが残り実践としての仏教の布教や、釈尊の教えに対する帰依という志を持った者は殆どいなくなった。だが、時代が京都貴族政権から、関東の封建社会に移りつつあった時、荘園から領土に、日本は民の選択の余地がなく急速にその支配形態を変更した時に、所謂「民百姓」の生活不安から本当の意味での心の拠り所を求めていたと同時に、荒れ果てた国内と人心救済のために、己の私欲一切を捨てた高い志を持って現れた仏教伝道師が作ったのが鎌倉仏教である。法然とその弟子親鸞、日蓮、一遍、禅宗の栄西とこの映画の主人公道元がその代表である。筆者は特にこの曹洞宗とは縁があり、家の仏教も曹洞宗のみならず、祖父の菩提は東京西麻布の永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)にあり、また自身も禅を求めていた時代があり、それは、曹洞禅の持つ、生活即信仰という部分である。あるがままに座る、座禅とは特別なことでは無いという教えは、己を律するためには実は一番難しく、信仰とか修養というものが人の一生を掛けても成し遂げられるかどうかは分からないという「悟りの境地」という部分だけにあるものでなく、実生活の中で如何に己自身に向き合えるかとという実践を重要視しているところに強く引かれたからである。そして、同時期に極楽浄土を推奨した浄土宗や浄土真宗も、「南無妙法蓮華経」で「仏性」が顕現すると言った法華宗(日蓮宗)も、日本に初めて禅を紹介した臨済宗も、或いは、浄土真宗より更に進んで阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説いた時宗(時衆)も、皆それぞれ民に如何に釈尊の本質を伝え、人心を救済するかのために不撓の精神で修行を重ねた理念の高い僧たちによって布教されたのである。つまりはこの時代がわが国における本質的な「仏教伝来」と言っても過言では無い。

だが、過去に「日蓮」以外は余り作品化になりにくかったのは、日蓮の法華経は当時の国家だけでなく人民をも否定した。それだけ刺激の強い布教活動だったち言える。一方で親鸞は現世の行いが来世を決めるという未来待望論であり、日本の土壌には可也合致したのかもしれない。稲作国家であるわが国の民は、民俗的美学に「お任せ」という部分が根本的に強い。春に種を蒔けば、秋には実りが来る、転じて現世で唱えれば、来世は極楽に行けるということと一致するのである。また、ご存知のように曹洞宗はふたつの本山、ふたりの開祖を持つ。大本山永平寺の道元と、大本山総持寺の瑩山である(曹洞宗という呼称を用いるようになったのは瑩山からである)が、別に分派している訳ではなく、宗の基礎と教学を創設した道元とその基盤である永平寺と、一方、本格的に宣布普及を行った祖としての瑩山と総持寺である。現在でも表だっていないが永平寺派と総持寺派があり、無論、布教に力を入れだした総持寺派が圧倒的に多い。そういう意味でも、鎌倉仏教は日蓮以外は物語になりにくいという点があったのは事実である。

さて作品に関してであるが、やはり前述の通り、道元の生涯を追っただけになってしまい、例えば「偉人伝まんが」と余り変わらなかったのも事実である。ただ「典座(てんぞ)教訓」に力をい入れていた部分は、曹洞宗派にも、また一般にも余り知られるところのない部分なので良かったものの、事実、中国で「典座係り」に受けた影響は多大であると解釈され「半尺の水」(道元が川で水を一尺掬い、半分は川下に必要な人がいるから返したという教訓)も、この典座の精神から出ていると考えるとこの部分はもっと強調して良かった。弟子の俊了が教えを捨てたのも、典座担当になってから己の信仰と相反するところで葛藤してしまうオチがあるのだから、余計に開祖として求め、修得したところを強調して欲しかったと思う。また、この作品で鎌倉仏教の布教という観点では一番鍵になっていたのがおりんの存在であったにも関わらずここも説明不足に終わった。時の権力者、北条時頼に意見した(伝承にはそうあるが事実は分からない。何故なら時頼は同じ禅宗でも臨済宗の建長寺を後に建立している。波多野義重は実在の人物であり、鎌倉に招請されてはいるが意見をしたかは分からない)ところより、おりんを救済した、有能な弟子俊了を失った場面を掘り下げた部分の方が、鑑賞者には道元とこの教えの本質を訴求できたと思う。つまりは2時間余りの時間で内容が欲張り過ぎたのであろう。

また、中村勘太郎も(父勘三郎譲りで)滑舌が悪く、台詞が聞き取りにくくはないが(中国語はそうでもないが)感情移入の妨げになる部分もあった。ひとつ、裏情報であるが、ラスト前に寺院から托鉢に沢山の僧が出てくるシーンは、この作品のために寄付をしたスポンサー寺院のご住職であるらしい。エンドロールに沢山の寺院名を出すよりずっと粋な計らいだと思う。また、個人的には禅修業で訪問した大雄山最乗寺(神奈川足柄)のシーンが幾つもあり感激したが残念ながら映画作品としては今ひとつであった。


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by turtoone | 2009-01-18 14:40 | 映画(さ行)