HERO 英雄 ~My Collection~
2005年 12月 06日
秦の政。所謂、後の秦始皇帝には様々な伝説・逸話が残っているが、中でも群を抜いて多いのが、この作品の冒頭でも語られているように暗殺の話である(先日も地上波でそのような番組を放映していたそうだが見逃してしまった…残念)。中国4000年の歴史に於いて、その以前には無かった皇帝という地位と概念を取り入れたのも秦王だし、その後にこの大陸を統一した政権国家は20世紀の半ば迄この方式を取り入れた。中国の歴史が名称は同じでも全世界の何処にも存在しないこの皇帝という考えは全くもって不思議且つ、奇異である。始皇帝はそれ以外にも、多種多彩な統一国家としての力を民百姓に迄浸透させる制度や理念を確立したが、余りにも多いのでここでは割愛する。
作品に戻ると、以前に「ラスト・エンペラー」でも触れたが、中国の歴史を取り上げた作品で、中国国内で制作された物を除いては圧倒的に近世史が多い。だが、この作品はアメリカに輸出され、公開時期は日本よりずっと後だったが、興業成績は観客動員3週連続1位になるなど大ヒットであった。この作品の何処にアメリカで支持される要素があるのかは筆者には分からない。勿論、アジアの一員としてこの豪華キャストの共演は見逃せない。しかし、それよりもこの作品が、たとえばオスカー作品の「ラスト・エンペラー」が人間の内面を必用に描写したのに比べ、本作は舞台設定か紀元前230年にあるものの、内容は同時期のローマ帝国のテイストを使ったところが受けたのではないか?始皇帝とは、アジアの歴史の中でも最も壮大なる「人物」である。
しかし、この作品では、敢えて彼の本質には触れていない。秦王が偉大なことは、この作品に出てくる様な、歴史のオモテ舞台には出てこないものの、たくさんの賢人に支えられその創意だったというところに終着してしまうのが、まさに新しいタイプの、悠久なる中国の現代的歴史顛末の新境地なのであろう。科学や数学と違い、歴史には正確さがない。学問としては常に想定が付きまとう。勿論、科学も仮設から始まるが証明をされなければこの学問は成立しない。しかし、歴史というのは何時の時代に於いても、支配者の概念であり、それは時に簡単に上書きされることもある。今の中国という国は残念ながら、始皇帝に成りたくてなれない輩は五万といるが、その他の賢人たち、所謂「英雄」が居ないのである。この辺りの隠された風刺は中々ではないか?
映画作品としては、ワイヤーアクションの不自然さは歪めないものの「グリーンディスティニー」等と比較するとずっと良くなった。この辺りがまだまだハリウッドの足元にも及ばないのは、アクションの技術や人間工学としての不自然さでなく、構成や脚本というトータル的な部分でのアクションの取り入れ方である。「カンフーハッスル」の様な娯楽作品なら何も文句は言わないが、この作品は歴史ドラマという側面が強いのだから、そのドラマという組立の中の一要素としてアクションを考えないと、この傾向は変わらないと思う。折角、「秦王に10歩まで接近」という良い意味で物語のねっこを持っていたのだから、その部分だけに拘って欲しかった。
しかし一方で色は鮮やかだった。美術全体では、ラストエンペラーに見劣りしてしまうのは当然仕方ないが、よくそれらの色の示す意味合いが掴みきれなかった(これは筆者の鑑賞力、分析力不足)けれども、この色彩感覚は無条件で好きだ。それと、上映時間が丁度良かった。これは公開当時、チャンイーモア監督も自負していた
部分である。氏の取り組みがよくわかる。
アジアの作品としては良くここまで頑張って作ったと思っただけに、敢えて課題を羅列させて頂いた。
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作品に戻ると、以前に「ラスト・エンペラー」でも触れたが、中国の歴史を取り上げた作品で、中国国内で制作された物を除いては圧倒的に近世史が多い。だが、この作品はアメリカに輸出され、公開時期は日本よりずっと後だったが、興業成績は観客動員3週連続1位になるなど大ヒットであった。この作品の何処にアメリカで支持される要素があるのかは筆者には分からない。勿論、アジアの一員としてこの豪華キャストの共演は見逃せない。しかし、それよりもこの作品が、たとえばオスカー作品の「ラスト・エンペラー」が人間の内面を必用に描写したのに比べ、本作は舞台設定か紀元前230年にあるものの、内容は同時期のローマ帝国のテイストを使ったところが受けたのではないか?始皇帝とは、アジアの歴史の中でも最も壮大なる「人物」である。
しかし、この作品では、敢えて彼の本質には触れていない。秦王が偉大なことは、この作品に出てくる様な、歴史のオモテ舞台には出てこないものの、たくさんの賢人に支えられその創意だったというところに終着してしまうのが、まさに新しいタイプの、悠久なる中国の現代的歴史顛末の新境地なのであろう。科学や数学と違い、歴史には正確さがない。学問としては常に想定が付きまとう。勿論、科学も仮設から始まるが証明をされなければこの学問は成立しない。しかし、歴史というのは何時の時代に於いても、支配者の概念であり、それは時に簡単に上書きされることもある。今の中国という国は残念ながら、始皇帝に成りたくてなれない輩は五万といるが、その他の賢人たち、所謂「英雄」が居ないのである。この辺りの隠された風刺は中々ではないか?
映画作品としては、ワイヤーアクションの不自然さは歪めないものの「グリーンディスティニー」等と比較するとずっと良くなった。この辺りがまだまだハリウッドの足元にも及ばないのは、アクションの技術や人間工学としての不自然さでなく、構成や脚本というトータル的な部分でのアクションの取り入れ方である。「カンフーハッスル」の様な娯楽作品なら何も文句は言わないが、この作品は歴史ドラマという側面が強いのだから、そのドラマという組立の中の一要素としてアクションを考えないと、この傾向は変わらないと思う。折角、「秦王に10歩まで接近」という良い意味で物語のねっこを持っていたのだから、その部分だけに拘って欲しかった。
しかし一方で色は鮮やかだった。美術全体では、ラストエンペラーに見劣りしてしまうのは当然仕方ないが、よくそれらの色の示す意味合いが掴みきれなかった(これは筆者の鑑賞力、分析力不足)けれども、この色彩感覚は無条件で好きだ。それと、上映時間が丁度良かった。これは公開当時、チャンイーモア監督も自負していた
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by turtoone
| 2005-12-06 23:34
| 映画(は行)