コーチ・カーター
2005年 08月 10日
勿論、スポーツモノであるから、それなりの轍は殆どすべて踏んでいる。脱落もするし、戻る時にはドラマもある。恋もあり、従って悩みもあり、そして自惚れも油断もある。バスケットというチーム・プレーだからこそという連帯感も備わって来るのも大事な要因だ。しかしながら、今までのバスケ映画(スポーツ映画)と明らかに違う点がふたつあった。
ひとつは音楽である。全編に流れるのはHIPHOPである。これは学校のある街、生徒の置かれている環境を表現するのにはとても効果的に使われていた。台詞もリリックが生徒たちの日常の会話に用いられている点を表現する場面もあり、音楽が所謂、「効果としてのBGM」でなく、文化的要因として舞台設定の土台のひとつに使われた点は高く評価できると同時に、ストーリーをより分かり易い物にしてくれた。
もうひとつ、これは文章だと余り伝わらないかもしれないが(鑑賞すれば言いたいことはすぐ分かって頂ける)、エンディングの部分である。「シュートを放つまでは一緒だが、しかし・・・」というストーリー。その後はご自身でお確かめ頂きたいが、言うなれば、クライマックスがシュートとイコールで無い。そう、クライマックスはもう少し手前にある。だからこれでも良いし、感動する場面は既に終わっている。感動の場面をシュートの前後に持ってきている。これは、事実に忠実だからというだけでなく、スポーツ物が、クライマックスで感動し、そのままエンドロールという最後にどっと畳み掛けて終わりというだけでなく、この作品の様に、感動を前後におくことで、実話であるところを強調し、且つ、最も映画を通して言いたかった余韻というのを観客に保持してもらう効果を生み出した。当然、この余韻が会場が明るくなっても残っていた。この最後の作り方、筆者は高く評価したい。
良く例に挙げるが、このタイプの作品で最も完成度が高いと筆者が評価するのは「ヤング・ゼネレーション」であるが、あの作品も最後は畳み掛けてしまい、いわば「勝利」に酔いしれ、作品の主題を最後に喝采の中にうやむやにしてしまった。あの映画もこういうラストの纏め方にすれば、感動の余韻をもっと残せたと思う。
昨日はバンド映画で、本日は、筆者的に言うと、その前にやっていた部活である「バスケット」が題材だ。実は我々も母校では20年ぶりの全国大会へ行った。そして、この作品と同じ様なラストになった。しかし、こんなコーチは居なかったし、こんな指導は受けられなかった。なぜなら、我々はロッドのいうところの「クワン」には遭遇できなかったからである。
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by turtoone
| 2005-08-10 21:44
| 映画(か行)