アイランド
2005年 07月 26日
多分、この作品をご覧になった殆どの方が思われているのは、「なんだ、予告編と変わらないじゃないか・・・」ということである。最近の予告編というのは、上手く作っている一方で、ストーリーを全部見せてしまっているものが多い。しかも以前と違い予告編は映画館だけでなく、最近はネットでもいつでも観られる訳だから、ひとり当りの予告編鑑賞数は増えている筈だ。又、映画館で気になった作品は、自宅でオフィシャルサイトで確認するという方も多いと思う。更に言えば、筆者の様にある程度ストーリーを予測している方も多い。勿論、如何に予告編を上手く作るかによって観客動員も違うから、その製作にも当然力が入る。最近で絶妙だった予告編は「エターナル・サンシャイン」と「コンスタンティン」。それぞれ記事にも書いているが、予告編と本編が見事に相俟って鑑賞効果を生んだ例である。詳細はそれぞれの鑑賞記事に書いているので、ここでは触れない。
クローンというものに関して少し考えてみたいのだが、例えば、筆者に関して言えば、「私の・・・」クローンって必要なのだろうか? もし、必要だとしたら誰が? 私が、家内が、子供が、親が、まさか企業や国家が??? 少なくとも、私は自分で必要としていない。家内に聞いたら愚問だと一笑に付して終わりだろう。それは親子も変わらないと思う。残るは国家だけなのだが・・・。しかし、例えば、アメリカ大統領とか、偉大なる科学者とかはクローン体が一体や二体存在していた方がイザという時に良いかもしれないって次元の話なんだろうと思う。筆者には無縁だ。さらに言えば、クローン羊なんかが居たように他の生命体をクローン培養するなどということはもってのほかだ。地球という生命体を人間の都合で征服し、ひいては破壊する行為だということは、恐らくダーウィンの進化論を教わった学生なら「神への冒涜」なんていう宗教論を振りかざさなくって理解できるであろう。人間はそんなに偉くも、立派でもない。だが、そういう意味では、この作品は、クローンの原点が「軽かった」。そう、簡単に言えば、筆者みたいなのが、自己の意思でクローンを持っている? これ以上はネタバレになるので書かないが、そういうノリであった。これは、作品の出来不出来と関係なく、「クローン必要論」からは許されるレベル、そう、子供のときに誰しもが欲しがったパーマンのコピーロボットのレベルだけに、筆者的には許せてしまった。というか、そういうオチなので、何かもっと大きな物を期待していると裏切られるかも?
カーチェイスの迫力は凄かった。2017年には、キャデラックに750馬力のエンジンが積載されるそうだ。そんなに高額でなかったと思うので、このクルマは買いだ。それと、スカーレット・ヨハンセンの「唇」って、どうしてあんなに「絵」になるのであろうか? ユアンでなくても、あの「唇」のためなら、体を張って悪と戦っても(それで死んで本望とは言わないが・・・)いいんじゃないかって思ってしまった。また、いつもながらジャイモン・フンスーはいい役を貰うと思う。「グラディエーター2」って本当にある? あるとしたら、彼(ジュバ)が主役ということで。
それよりも、最後に解き放たれた人たちが社会に復帰すると厄介なことになると思ったのは、この映画をご覧になったすべての人が思ったのではないだろうか? ラストから始めても作品が出来てしまいそうで怖い。
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by turtoone
| 2005-07-26 18:17
| 映画(あ行)