リチャード・ニクソン暗殺を企てた男
2005年 06月 24日
この作品の主人公のモデルも、現代でいう「普通の人」である。しかし、その「普通の人」が起こした事件だったからこそ話題にもなり、又同時に、普通ではなく、「人よりナイーヴな性格が故に」とか色々な尾鰭が付いてしまう。勿論、これは事件後のことであり、だからこそドラマにもなったのである。そう考えると、サム・ビックという人が本当にここに描かれている様々なことが原因でこの暗殺未遂を起こしたのかどうかということは甚だ疑問である。歴史が勝者のためにあるように、この事件も後の人の都合により、事実の中から取捨選択され、時代に適応した解釈に結びついているだけだ。そしてこの「都合」が以前は事後の学者たちの研究材料だった物が、20世紀以降は、マスコミという価値体系がその判断を短時間に下しているだけである。
ショーン・ペンは独特のスタイルを持った俳優である。勿論、ハリウッドの第一線にいる役者は皆独特であるが、例えば、日本では公開が先になった「ザ・インタープリター」の時は全くといっていいほど存在感の無い役柄だった。別に彼である必要はなかった。しかし、この役といい、例えば最近では「ミスティック・リバー」しかり、「アイ・アム・サム」といい、どうしてこう存在感のある役とのギャップが激しいのであろうか。別に悪い意味でなく、彼は今世紀に入ってからは実は「賞獲り」に興味を示していたに相違ないと思われる節がある。以前は、賞には関係ない、又「オスカー嫌い」等というレッテルを貼られていたが、実は、その執着は深かったと思われる。特に「ミスティック~」等は、かなり肩に力が入っている箇所も幾つかある。今回の演技は、その「ミスティック~」や「サム」なども凌ぐ、人間の本来的な弱さや未熟さを如実に表現していた。そして、この「独特」な俳優で無い人間がこの役をやった場合に、多分、殆どの観客は、彼・サム・ビックこそが時代の被害者だという「誤答」を招くところが、ショーンが演じたために、どんな事情があったとしても、殺人事件は事件で裁かれるものであるし、やはり、彼は「普通の人間」では無いというところが強調された。こういう「表面的でない難しい役柄」をこなせるのが、ショーン・ペンの存在価値であるといえる。
尤も、この作品も彼がこの役をやっていなければ、わざわざ劇場まで足を運ぶこともなかったが・・・。ショーンファンで無い人はDVDでも十分である。いや、見なくてもいいかもしれない。ストーリーは、恐らく、映画ファンを自負されている人なら、貴方の思っている通りの展開であるから・・・。
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by turtoone
| 2005-06-24 21:45
| 映画(ら行)