暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

バック・トゥー・ザ・フューチャー ~My Collection~

b0046687_117125.jpg以前にもこのブログでも述べさせて頂いたことがあるが、この「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という作品が公開されてから以降の映画を取り巻く環境というのは大きな「暗黙の了解」が出来てしまったと考えている。それは「過去」や「未来」との時間移動に関して、意図も簡単に表現されるということである。それは、「時間移動」という面もそうであるし、特に「近未来」に関しての解釈が色々な意味で多様化して来たという側面である。そして面白いのは、観客が映画という範疇の中で、この時間移動という感覚に対して、全く違和感を感じなくなっていったことである。同時に、「タイムマシン」という極めて科学者の創造物にしか過ぎなかったものが、「デロリアン」というスーパーカーの王様の様な具体的物体へと置き換えられ、ひいては代名詞となっていった。

こうした映画界の大きな「革命」に寄与した作品というのはそんなに沢山あるわけではない。では、今更ながら、なぜこの「バック・トゥー・ザ・フューチャー」がそれほどの影響力を持つ作品だったのかを考えてみると、映画制作の「模範解答」というのが導かれるから面白い。

第一に、この作品は「コメディ」である。なぜコメディにしたかというよりも、一番分かりやすい手法を取ったものと思われる。この作品以前にひとつの「近未来」の指標となっていた映画作品は何といっても、キューブリックの「2001年宇宙の旅」である。「近未来」については、「パート2」が殆どなので、詳細はそのレビューで書くが、キューブリック作品の難点は哲学的過ぎて可也難解であることと、残念ながら人間社会が殆ど描かれていない点にあった。又、本作品が公開された1985年から考えて、16年後の2001年(今となっては既に過去であるが)にあの名作に描かれた「宇宙の旅」というのが、実際には不可能あろうという観が、映画ファンの間には蔓延していた。この辺りを踏襲して分かりやすさイコールコメディという手法を取ったのが見事であった。

第二に、この「パート1」の主題というのは、主人公を「未来に返す」ということだけである。1985年で可能であることを30年前にどのように出来るかとということを「デロリアンのエネルギー確保」を中心に描き、その回答の導きに対して、研究と偶然の遭遇が科学を生み出すという学問の本質を鋭く突いている。マクフライが1985年のチラシを持っていなかったら不可能だったところなどが、如何に天才科学者でも研究能力には限界があるが、偶発的な発想や外的要素が科学的発見と発展に貢献してきたことを暗に促しているところは注目である。またこれは科学も芸術も一緒だというスピルバーグの映画人としてのプライドを"Johnny B Good"の演奏シーンに反映しているところがコメディなのである。

第三に、時間移動というテーマを扱うことによって、人生は一瞬にして変わるというメッセージを全編に渡り送り続けていることだ。30年はひとりの人間にとっては長い月日であるが、それはどんな些細な事でも、その30年を大きく変えてしまうし、逆に言えば、これはアメリカ人の大変好きなフレーズであるが、「運命は何時でも自分次第で変えられる」という点である。そして、これは主人公のマイケル・J・フォックスの人生観ともオーバーラップして、特に、後々この作品と彼自身の人生との関連が感動を呼び、映画ファンの心に今でも残っているというのが大きいのではないか。

これは、番外として、この作品の功罪であるが、「じれったい」シーンを一般的に流行らせたのも、このシリーズと「インディ・ジョーンズ・シリーズ」の影響である。

最後に筆者の率直な感想をいうと、最後に恋人のジェニファーが出てきて、マーティ(マイケル・J・フォックス)が綺麗だと見とれるシーンがあるが、なんともあの気持ちは本当に良く分かる。


バック・トゥー・ザ・フューチャーのファンサイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング
[PR]
by turtoone | 2005-05-25 23:14 | 映画(は行)