キングダム・オブ・ヘブン
2005年 05月 20日
その一方で、なぜ、作品の出来が今一なのかというと、やはりトータルバランスが悪いのである。他のジャンルではこのバランスの悪さというのは余り目立たない。なぜなら、こういう歴史大作は美術にしても、衣装・効果・そして何よりその時代設定がすべて日常からすると「特異」だからである。音楽も聞き入ってしまうし、美術なども必要以上に捉われてしまう。そうしている内にストーリーは進んでいるので、見落とした部分が個人個人で欠落してしまうというハンディを背負っている。また、現代の話ではないから、出演人物への感情移入も難しい。その出演人物も多いので、誰に移入するかも迷うところであり、さらに言えば移入する動機付けが必要である。これらを考察すると、「グラディエーター」や「ブレイブ・ハート」の完成度の高さは、主人公の「動機」がはっきりしているところにある。「家族を失った者の復讐劇」という筋を一本通すことで、この時代を超えたテーマに、鑑賞者は目的を失うことが無い、これが大きな点である。
ところで今回は実に期待が大きかった。十字軍の物語であるということ、そしてリドリー・スコット監督であることの2点である。オーリーはまだ若いし、演技力に期待の出来る俳優ではないので(しかし、その割には悪くはなかった)人物への興味と新しい人物解釈は捨てていたが、それだけに、ストーリーに集中することが出来たのも事実である。
そして、このジャンルでは欠かせないお約束の戦闘シーンは、「グラディエーター」以上であった。特に、聖地エルサレムをサラセンが攻めてくるシーンは圧巻である。この映画の歴史的背景を言うと、1187年にエルサレムが陥落するという第2次十字軍遠征の最後の物語である。1187年というと、1185年に源氏が平家を壇ノ浦の戦いで滅ぼしたのであるから、わが国では「やぁやぁやぁ我こそは」とか、敵方の扇に矢を射止めてヤンヤーヤンヤーと喜んでいる時代である。それと同じ頃に地球のはるか西側ではひっきりなしに火の玉が飛んでくる戦争をしていたと思うと、フィクション性が強いと分かっていても驚きだ。その100年後、日本は「元寇」があったが、その際はまだ弓矢で戦っていた鎌倉軍は、「てつはう」(飛んできて弾ける鉄の玉)に驚いていたというのだから、もし、この火の玉の攻撃戦車を所有しているサラセンや十字軍が日本に攻めて来ていたら今の筆者自身が存在していなかっただろうと余計な事を考えてしまった。
また、リドリーが「グラディエーター」で必要に取り組んだ出演人物の内面描写は今回も健在。しかし、前作は主役3人を演出し表現しきれたのに比べ、今回は前述した様に主役級には残念ながら求められないレベルであった。その代わり、脇がしっかり演技してくれた。リーアム・ニーソンであり、ジェレミー・アイアンズであり、さらにはデビット・シューリスである。リドリーの巧みなところは適材適所な人員配置をするところであろう。勿論CGを使わないという姿勢も評価できるが、だからといって素晴らしい戦闘シーンなのではなく、人間ドラマとして人物をひとりひとりを丁寧に描いているところである。この監督は一般的に「エイリアン」や「ブレード・ランナー」のイメージが強いせいか「舞台設定」 や凝った映像を追求する点の評価が高いが、筆者にはそれよりも最近は「マッチスティック・メン」等に見られる様に人物を掘り下げることに秀逸な監督だと思う。それゆえに、オーリーの演技も然程気にならなかったのだ。これはまさに演出の妙である。
ラスト・メッセージは重く受け取らなければいけない。なぜ、十字軍を選んだのか、その中でもこの場面を描いたのか。リドリー監督の真意が最後に分かるからである。
参考までに十字軍関連年表を
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by turtoone
| 2005-05-20 22:39
| 映画(か行)