エターナル・サンシャイン
2005年 03月 20日
まず、この作品は事前プローションの勝利である。何故なら、筆者がシアターまで行ったからである。勿論、今年度オスカーの脚本賞も後押ししたが、「ナショナル・トレジャー」を振って、近所のシネコン上映では、何と記念すべき当作品の鑑賞者第一号になり記念品まで頂戴したが、何もそこまで見たい衝動に駆られたのは予告編の上手さであり、その他のプロモーションも上手だった。要するに簡単に言えば、予告から筆者が想定した作品とは「全然違った」ということだった。別に悪かったのでは無い。しかし、拍子抜けした。ところが、時がたつに連れこの映画の良さがどんどんわかってきたのである。その経緯を書いてみる。
筆者はジム・キャリーが大好きである。その割には意外にも、このブログで彼の関連作品のレビューを書くのは初めてだと思う。事実、自身のコレクションに彼の作品は結構多い。だから勝手に「コメディ」だと思った。実は、ジムはコメディも良いが「マジェスティック」なんかも良い。兎に角、次のシーン、またその次のシーンを期待できる役者である。コメディで、予告編の様なロマンスがあって、そして、「ネバーランド」でその存在を見直したケイト・ウィンスレットの出演(しかもオスカーで主演女優候補に・・・)、極め付けが「脚本賞」である。つまり、ここに筆者の勝手な「エターナル・サンシャイン」サークルともいうべき物を脳内にある希薄な情報の集合体として構築してしまったことである。「ジムとウィンスレットが織り成す、過去の記憶と現在が入り混じった抱腹絶倒の痛快ラヴ・コメディ」。これが、筆者の脳で形成された、この作品の鑑賞前のあらすじである。正直、地下鉄のドアに挟まれながらも駆け込み乗車する(この挟まれ方が如何にもジムなので・・・)迄は、それを信じて疑わなかったが、その後映像がスタートして20分ぐらいと、通常の映画作品としては可也遅めの「タイトル」が出た時に、やばっ、この映画、予想と可也違うぞと、その後は展開を読みきれず、焦りながらの鑑賞となった。
そして、上映終了後に思ったのは、オスカーの「脚本賞」の選考も、昨年は「ロスト・イン・トランスレーション」だし、一昨年は兎も角もその前は「ゴスフォード・パーク」だし、近年、随分変わって来たと思ったことと、もうひとつは、今、ここで見たことも、実はこの作品と同じ様に、一体何処までが現実で、どの部分が削除されたのかが不明であるという強迫(脅迫ではなくこっちの強迫)観念に捉われた。根が単純なので感化され易いのである。この辺りを突き詰めて書くと、間接的にネタバレとなるのでもこの辺りで止める。
作品とは関係なく、我々の日常の記憶というのも大変いい加減だ。特に、映画鑑賞でさえ、120分も作品を見ていると、前半の「記憶」は既に飛んでいる。良く、「昨夜は飲みすぎて、どうやって家に帰ってきたか分からない」ということが3年に一度くらいあるが、あれは脳神経科の医師によると、「過度の飲酒に依る、一時的な記憶障害に陥り、家に帰る行程の記憶が途切れている」らしい。確かに、人類は「記憶」が苦手な種族なのだと思う、だから、これだけ「記録」の媒体がヒットしたのだとも思う。
思うに、良い思い出というのは忘れないものである。そういう意味で人間は都合が良く、悪いこと嫌なことは忘れる。「自分に都合の悪いこと」はもっと忘れる。しかし、恐怖の体験を忘れられなくなる場合がある。一種の「トラウマ」であり、それに関しては、アメリカを中心に世界的に精神医学が進んでいて、様々な研究や、サポート体制ももまだまだ不十分かも知れないが、かなり関心も高く進んできている。
映画を観終わった瞬間は、筆者の予想と大きな違いがあった部分で、中々この作品自体を受け入れられなかったが、その後、今の様なことを色々考えさせられたということに関していえば、自分の中で作品の主題が大きく広がって、そのためには「めぐりあう時間たち」や、「バニラ・スカイ」ではないが、もう何度か、この「映画の順序」と「現実の順序」の整理をつけるためにも見なくてはいけないと思った。
かといって、そんなに他人様にお薦めできる作品では無い。ケイト・ウィンスレットの演技は良かったですが・・・。今回気づいたのですが、彼女、最近、ウィノナ・ライダーに似てきませんか?
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by turtoone
| 2005-03-20 22:50
| 映画(あ行)