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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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「レッドクリフ PartⅡ ~未来への最終決戦~」

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昨年のカンヌ映画祭上映以来、まさかの作品二分割。そして、「レッドクリフ PartⅠ」に至ってはレビューにも既に書いたが、これまでの「三国志演義」に於ける、無論歴史的事実からみれば可也脚色された「通説」があったにも関わらず、新たにジョン・ウーとしての新解釈を随所に加えた「赤壁の戦い」ならぬ「レッドクリフ」は、自他共に認める「三国志フリーク」の筆者を困惑のどん底に突き落とし、しかし前作においては、この作品は「赤壁」では無いという自分自身の勝手気儘な納得の上に、何とか、この日の上映に併せ這い上がって来た。そして本作においては「孔明、風を呼ぶ」をクライマックスへの前兆として、一体どこまでこの「通説」に対して歪んだストーリーを修復できるのかをひとつの大きなポイントとして鑑賞に望んだのであるが、前作、趙雲の劉禅救出劇と同じく、この「名場面」を削除した。この事実が判明した瞬間、筆者のこの作品に関しての緊張が切れたのは言うまでもない。「三国志フリーク」がそれぞれどのシーンに思い入れがあるかは別として、ただ、その三国志の中の名場面、名台詞を二つも切ったことには、いくら、ジョン・ウー版レッドクリフだとしても合点がいかない。ウー監督自身のこの物語への思い入れも理解はできるが、但し、一方で中国五大文学の頂点に君臨する名作、多くの故事来歴を生んだに対しての敬意を感じられないのは残念であった。

「孔明、風を呼ぶ」は、現代文学で最も忠実に演義を再構築したと世界的にも評価の高い吉川英治の「三国志」の一タイトルにもなっている。勿論、孔明が祈祷で風を呼べる訳がない。演義にも注釈があるように、諸葛亮はこの時期に南東の風が吹くのは知っていた。しかし、敢えて、それを祈祷によって吹かせたことに、この同盟の名を借りた人質孔明が、呉に対して最後の奉公を果たす訳で、この場面がなくしては「赤壁」もなければ、赤壁後の、呉蜀の婚姻による同盟と、その後、蜀の擁立に対する、魏呉の同盟もすべてありえない。周喩はこの戦いで受けた傷が元でなくなる(赤壁の後、曹仁が周喩の病気を知って攻め込むが、逆に討たれてしまうという江陵の戦いもある)が、都督無き後の呉は一気に力を失い、周喩の最後の弟子である陸遜は魏の圧力に耐え切れずに、やむを得ず、関羽をだまし討ちにする。しかし、今度はそれを理由に曹操がまた呉を攻めて来る。いわば、赤壁は、曹操時代の終焉であり、もう一方で三国時代の始まりであるのだ。三国志フリークならよく知っている人物に「諸葛謹」と「龐統」が居る。何れも呉に縁のある軍師で、前者は諸葛亮の兄であり、魯粛と共に人質孔明を呉に招聘した人物である。後者はこれも有名で孔明と共に「伏龍鳳雛」と呼ばれ(孔明が伏龍、龐統が鳳雛)、この二人を軍師にできた者が天下を取ると言われた。龐統はこの当時、呉に居たが、そもそもが文武両道な呉にあって、周喩や陸遜のように「智に長けたものは武道にも長けている」というのがこの国の伝統で、諸葛謹のような軍師オンリーというのは珍しく、龐統も大きな功績を認められなかった。結果的には龐統は赤壁の後、孔明の薦めもあって劉備の傘下に入るが、結局、蜀は「伏龍鳳雛」を手に入れたにも関わらず天下を取れなかったのである。(これには近年の研究として、天下三分の計で劉備が蜀帝になっただけでも、当時の劉備の実力から考えると、天下を取ったことよりも大きな奇跡だと言われている)。実際にこの赤壁の後に、周喩は孔明が呉以外の国に居ては後々に呉に取って厄介なことになると、暗殺を謀るが、魯粛からそれを知らされると、呉軍赤壁の勝利を確かめず夜陰に紛れて蜀へ脱出する。この作品にあるようにこの稀代の天才軍師ふたりは「ライバル」であっても「友」ではなく、孔明にとって友は「魯粛」であったのが近年の研究成果である。その解釈に立つと、劉備が「孔明を待っている」(しつこいようだが、そもそも劉備は最初から呉との同盟で呉軍になど入っていないし、孫権・周喩などとは面識がないからこれも可笑しいが・・・)、という台詞、さらに、10万本の矢の際に孔明と共に舟に乗る魯粛の立場と心境は良く描かれていて、このあたりは、「レッドクリフ」らしくなく「赤壁」である。つまりは、後編になり、その辺りの「軸」にブレが出てきてしまったのも事実である。

ただ、筆者は前述した「歴史」及び「歴史小説」の通説を遥かに越えた試みとして、「デブ助」のくだりは高く評価したい。80万分の1であるが、いつの時代にも戦争があり、そして、その一兵卒はどう生きているのか。日本人は結構こういうテーマが好きであり、だから、下剋上だったり、木下藤吉郎が大出世したり、幕末の下級武士の活躍は好きであるが、儒教という国を治めることが最も大切だとされる国教のこの国で、一兵は80万分の1ではなく、存在すらが殆ど「無い」。そんな、中国文学の主流にあって、決して秀でていない普通の人間を描いた価値は大きく、それが、孫権の妹(尚香なんて人物は出てこないが、後の劉備夫人である孫夫人であることは前編のながれからも明らか)が絡み、彼女がおなじく「民」を国の中心とした劉備に嫁ぐというのも新解釈としては面白く、ここには、中国歴史編纂への挑戦が感じられる。また、曹操がなぜ天下を取れなかったかということに関しても厳しく追及しており、呉の二人を斬ったことはもとより、大事なときに「華佗」が居なくなって同様しているが、これは、この作品にも名前が出てくる「曹沖」事件の伏線を敷いている点が大変興味深い。そう、曹操は肝心な時に肝心なブレーンが居なかったから天下を取れなかったのである。しかし、一方で先ほどの一兵卒の心境になり「家族の元に帰るのだ」と言わせている。思うに、日本の歴史と比べると、中国は「裏切りの歴史」であり、「裏切り」に関しては余り、卑怯だとか思うことはない。裏切られた自分を「魅力のない人物、徳のない人物」だと省みることが多く、だから裏切りを恨んだりということは少ない。曹操が、それまでの天下人と違ったのは、そういうことに寛容でいると「国治」にはならないのだという新しい感覚を持った人だったに違いなく、そういう人物だったからコレだけ軍事力があっても、天下人にはなれなかったという、「レッドクリフ」的解釈を残してくれたのである。

しかし、一方で、周喩と諸葛亮が音楽に精通しているところに対し、詩人曹操という側面(曹操は武人としても一流だったが、詩人としての才能も大変高く評価されている)をきちんと表現してくれたり、単なる通説だけを追うのでなく、文化面も加味してあるところは作品としての評価はとても高い。これまでの三国志というと、諸葛亮は「三顧の礼」の三度目の際、昼寝から起きていきなり詠んだ詩が素晴らしいと、次の間に控えていた劉備が感激したという逸話が残っているが、実際に作品も多数残し、また、詩の形式を新しくしたという才能溢れる曹操の姿に触れたものは少なかったからだ。

筆者が周喩と共に大好きな趙雲は、前編に続き、今度は友の大事な人を救出する。これも、演義にはない、趙雲の名場面だから、まぁいいか。それから、もう一度書くが、リン・チー・リンの美しさは「奇跡的」だと思う。そう、この美しさは数学の確率でも証明できない「奇跡的」な範疇なのである。(しかし「苦肉の計」は小喬の策だったとは驚いたって、このレビュー突っ込みなしで行きたかったが、唯一の突っ込ませて欲しい)。

最後に、まだまだ書ききれないが、採点は複雑で、Part2も特A入りは難しいが、この作品は通して観たら、つまり、カンヌの上映に立ち返れば多分、特Aである。なので、年末、前編・後編のDVDを通して観てから最終採点をすると思う。でもやはり映画館で通して見たいものだ・・・。


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by turtoone | 2009-04-12 17:35 | 映画(ら行)