暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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東の尾曽が土俵を下りる日

「西の山本、東の尾曽」と言われた時代があった。
日本の大学相撲選手権で、高知県出身で同志社大学の山本敏生(現:土佐ノ海)と、茨城県水戸市出身で専修大学の尾曽武人(現:大関 武双山)の二人がアマチュア相撲界を席捲していた頃に言われていた言葉である。

尾曽少年は、茨城県相撲連盟理事長の長男で、父の指導を受けて小学校 4年生で相撲を始め、b0046687_23311713.jpg子供にしては過酷な程の練習と食事を課せられたが、泣きながらも耐え、後に「相撲版『巨人の星』」と言われた。水戸農業高校 3年生で全国高等学校相撲選手権大会で優勝した後に専修大学 3年生で全日本相撲選手権大会で優勝し、中途退学して鳴り物入りで入門した。

角界でもその持って生まれた天分を発揮し、輪島以来の学生出身横綱の呼び声が高く、特に第一次全盛期の貴乃花の連勝を止めた一番などは、じっくりと相手の動きを熟知した、「既に横綱相撲」と言われた。

しかし、不思議なことに、特に武蔵川部屋の力士は、親方が「相撲巧者」と呼ばれた元横綱三重の海なのに、弟子は元横綱武蔵丸を筆頭に突き押し一辺倒が多く、結局これだけの立派な体(183.5センチ、175キロ)を持ちながら、大関どまりだった。かいなの返し方ひとつだけでも親方の技を習得すれば横綱になれるほどの器だったと思うと、大変残念である。

しかし、まずは本当にお疲れ様と、今日までの健闘の日々を心から讃えたい。
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by turtoone | 2004-11-17 23:50 | スポーツ