暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

西の魔女が死んだ

b0046687_17552853.jpg


この原作が100万部を越えるベストセラーだということを、シネコンで見終わった後立ち寄った書店で知ったが、如何に原作に忠実だったのか、それとも原作を越えられたのかは別として、なんて色々な要素を詰め込みすぎた作品なんだろうかと思った。対比が都会の喧騒(というシーンは出てこないが)とか、登校拒否、ダブルインカムなどやたらと現代社会の病巣になりうる要素のてんこ盛りに、田舎のスロウライフ生活一本で通そうとしている部分にはそもそもの作品としての無理があり、速読が出来、文学青年だった過去と比べ、最近は特に日本の新刊は週に1冊程度しか読めないから原作の存在すら知らなかったが、批判している訳ではなくこういう類の小説が売れてしまうということに疑問を感じる。

同様にこの作品の構成に関しても可也疑問を感じた。所謂「魔女修業」というと「魔女の宅急便」くらいしか思い浮かばす、だが実祖母が魔女だというリアリティのなさは、その時点で残念ながらアニメの原作に負けている。勿論、箒に乗って宙を飛べとか鼻をクチュクチュさせて荷物を簡単に運べということでなく、本当に自分の祖母が魔女なのであればその誇りだけで十分実社会でやっていける筈だと思うのだが、前述したように、現代の病巣を全部詰め込んだような家庭を勝手に築き上げ、対してそこにやれ自然の営みやら、人間の尊厳や価値やら、非文明的な生活やらをぶつけた総称としての魔女を置いていることに、そうか、現代の人間社会ってそんなに酷いものなのかって疑問に思う。舞の家族って別に特別なものではないし、夫婦ともに仕事を持っているとはいえ両親共にしっかりしているし、作品で見る限りとてもわが子のことを気遣っている。今、子供のことに体当たりできない親が多い中で、立派な親だと思う。父親だってそうだ。魔女とは当然義理の母だからぎこちなさはあるが、義理の父を尊敬していることを娘になんの飾りもなくストレートに話す。久しぶりにあって多感な中学生の娘とこれだけ話ができるということは仕事もしっかりとしているということだ。つまり。そもそも作者が想定していた対比は残念ながらこの物語設定では生まれない。欲張りすぎなのである。明治から戦後直後の作家作品はもっと骨太でイデオロギーがあった。今はこれがベストセラーなのかと思うとも残念ながら空虚感が広がるだけだ。

サチ・パーカー(確か本名はサチコ・パーカーだったかと・・・)は、親日派父、スティーヴが大女優シャーリー・マクレーンと別居してから以降、しばらく日本で暮らしていたから日本語も流暢であり、魔女って感じ(筆者の大好きなシャーリーは魔女役をやったけどね。母は今でも魔女みたいな雰囲気がある)はしない。寧ろりょうちゃんの方が狐みたいで、こっちが東の魔女みたいだと思う。余談だがりょうちゃんは雪女もできそうだが、雪女だったら「小雪」の方が適役かなぁと、余計なことを考える時間を与えてくれたほど、中盤は暇な作品だった。ただ、ゲンジの存在だけは場所は田舎とか自然に囲まれたかどうかしらないが、人間社会を描いている。そのゲンジに対して舞が最後まで受け入れられない部分はこの物語りで唯一よくわかるところであるが、問題はそれが年頃の娘に対してのゲンジが、ぶっきら棒な田舎の人間だからか、大人の男としてなのか、ただ、第一印象で嫌いなのかは彼女の内面でもわからないというのがこの年頃の娘であり、だからそれに対して結論を迫ったり、彼女の応対に必要以上に理を通そうとする魔女の対応も、どうも魔女らしさを感じないし、祖母らしさのかけらもない。説得力にも欠けている。一体、舞のバカンスの意味はなんだったのかというのが最後まで霧の中に包まれてしまったところが残念だった。だから最後の自動車のシーンで一気にまとめに入った舞の台詞は頂けない。

それから最後はあの花でなく、やはり野いちごを山一杯にしてくれなかったのかなぁ。魔女の最後の魔法でもなんでもいいからさって、ティム・バートンだったら原作を越えてやってくれたのに。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-07-05 17:57 | 映画(な行)
昨年度の新作劇場鑑賞本数の著しい減少(98本)傾向に歯止めをかけるために、今年は随分ハイペースで劇場に通った。レイトショーも随分行ったし、週末まとめ鑑賞も行い、それでもやっとこさ観た本数は、71本。ペースとしては昨年・一昨年を上回っているが、なかなか週3本ペース(26週だから78本)には追いつかないものだ。上半期のランキングを発表しようと思ったのだが、今年度作品は少しDVDで観直したい作品も大変多いので、一応点数は出しているが、ランキングに関しては年末に纏めようと思った。

さて、下半期だが、年頭に発表した「2008年期待度ランキング」と随分様相が変わってきたようだ。たとえば第1位にした「ワルキューレ」は色々悲劇が重なりどうやら公開は来年2月になりそうだし、第2位のレッドクリフは2作品に分割される模様。三国志の大ファンなのに「赤壁の戦い」を2回に分けられるなんというのは屈辱以外なにものでもない。

なので、ランキングも少し変動がある。但し、上半期に比べると全体的に期待度は低い。後半は鑑賞本数が落ちるのかなぁ・・・。

1.レッド・クリフ
2.ブーリン家の姉妹
3.パコと魔法の絵本
4.この自由な世界で
5.コッポラの胡蝶の夢
6.敵こそ、わが友~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~
7.わが教え子、ヒトラー
8.ティンカー・ベル
9.純喫茶磯辺
10.コレラの時代の愛
次点 帰らない日々、ダークナイト、ハンコック

b0046687_2318519.jpgやはりそうはいっても他に然程期待の大きい作品もなく、やはり「赤壁の戦い」が筆者の中では抜きん出ている。また邦画が2作入っている。期待度ランキングで邦画がトップ3入りしたのは「千と千尋の神隠し」以来である。その宮崎の新作は今回は期待度が低い。しかし、ミニシアター系が随分並んだのも、下半期は期待の寄せられる大作に乏しいという言い方もできる。とにかく「ワルキューレ」の延期はテーマがテーマだけに残念だ。

ともあれ、羅列した作品は、単館上映が多いから、下半期は東京中を飛び回ることになりそうだ。


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-07-02 23:07 | 映画関連

奇跡のシンフォニー

b0046687_23501039.jpg


なんで邦題はシンフォニーなのだろうか、演奏した曲はラプソディー(字幕では狂詩曲と出ていたが、これは原語のrhapsodyを直訳したからだと思う。全部が聴けなかったが、いずれにしてもシンフォニーではない。)なのにと思っていたら、そうか、これは演奏された曲の事ではなく、この物語の構成自体がシンフォニーであることに気が付いた。シンフォニーという音楽形式は「ソナタ形式」の楽章をもった楽曲のうち、一番規模の大きなもののことを言い、そのソナタ形式とは二つ以上の対照的な主題が呈示され、様々に議論を展開し、やがて安定した状態で再起する音楽の構成法である。また、コンチェルトと違い、ひとつの楽器が傑出して引っ張ることはない。様々な要因が奇跡に繋がったという作品全体の総称であるのだから、この邦題をつけた人間は相当、音楽に精通している。

素晴らしかったのは、音楽をひとつの効果としながらも、同時に中軸に据えていたこと。冒頭のボーカルとチェロの不協和音の融合にはじまり、生まれた赤子に回転木馬のオルゴール音を小さな手で握り締めるシーンはこれから展開するこの主人公の運命と、同時にストーリーの進行を鑑賞者に予測させる、秀逸な場面であり、殆どの映画ファンはこの時点でラストは想像できる。しかし、そのラストへのプロセスが今迄のよくあるこのパターンの作品とは違う。

ただ一方でかなりの無理もある。エヴァンが日にちを正確に覚えているのは違和感がないが、母ライラが事故の日からの日数を覚えているか? (彼の存在はずっと後に知ったのだから・・・)口笛だって施設の誰かが吹けた筈だし、また、11年も第一線から退いて音楽教師になっていた彼女がすぐに世界一のオケのソロチェリストになれる程、クラシックの世界は甘くない。一方でエヴァンのパートは良く考えてあり、幾ら天才でも音階という理論は習得できるが、楽器演奏の実際では、ギターの場合右手のピッキングはそう容易くできる物では無いから、この奏法しかなかったところは良く考えられた作品だ。

ミュージシャンもの、コンサート映像やドキュメント、更にはミュージカル作品以外でここまで音楽を主題に持って来た作品は私の記憶にない。特に空間にある音、世の中に溢れる音をひとつひとつ丁寧に追いかけ、それをひとつの曲という完成された形にまで頭の中で作り上げるという天才少年のプロセスを見事に示した点の評価は高く、さらにこの試みの斬新さには心から拍手を送りたい。オスカー・ミュージカル作品「シカゴ」にも一部こんな実験が見られたが、その比ではない。また、昨年の「魔笛」とも違うコンセプトであるが、音楽(及び効果音としての音と音楽の使用に関して)を映画という総合芸術の中でここまで全編に渡り、引き上げた功績は大きい。賞讚したい。

だからこそ残念だったのが少年の指揮。ここ迄天才なら指揮も、全身で自分の音楽を伝えられた筈。なぜなら彼は一貫して音楽で親を探そうとしていた訳で、いわば、このラプソディーはその集大成である。天才子役の彼に、本当の指揮を指導すれば、ラストに向けてもっと感動的になった筈で、前述した脚本の無理と演出不足の減点は歪めなく、この点は本当に残念だ。そのために総合評価は若干落ちるが、「テラビシアにかける橋」(奇しくも今週DVDが出た!)と同じ様に絶対に劇場で、(特に父子セッションは戦慄が走るぞ!)観て頂きたい作品だ。

それとエヴァンが作曲した曲は全部聴きたいな。DVDが発売になったらメイキングに入らないかなぁ。いや、それよりも父子セッションをもう2~3曲聴きたい。DVDの特典につけて欲しい!!


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-06-28 23:38 | 映画(か行)

ザ・マジックアワー

b0046687_17255355.jpg


三谷は有能なテレビ脚本家であるが、やはり映画人ではない。というのも、不思議と彼は必ずある特定の「枠組み」を作る。名作「ラヂオの時間」がそうであるように、その枠組みの中で様々なこだわりを持って作品を構築していく。だから、当然のことながら完成度は高い。しかし「みんなの家」では失敗した。シナリオ自体が映画向きではなかったし、メインの配役も唐沢以外は技量が欠けていたり、ミスキャストが多かった。そして、なにしろこの作品は「枠組」がなかった。いわゆる、単発のテレビなら誤魔化せるレベルと映画の大きな壁を思い知ったのがこの作品である。監督作品ではなかったが「笑の大学」は舞台での実績のある作品ではあめが、「取り調べ室」という枠内での出来事で、しかもここでは登場人物を最低限に絞ったと同時に自分では監督をやらなかった。この試みでいけるかどうかを試していたに相違ない。そして続く「THE有頂天ホテル」でも同様、ホテルという枠組みの中で展開した。しかし、この作品では異常なほどに出演俳優が多いだけで、各々の個性を活かすことがまったく出来なかった。

そんな中、本作品では、前作でキャスティングが今一でその演技と役者魂が全く活かされなかったふたり、佐藤浩市と西田敏行の二人をベストポジションに据えたことがもっとも大きかった。しかも、三谷はその枠組みも前作より更に大きくし港町までに広げた。そしてギャングの世界に固執することで、鑑賞者から余計な興味を取り除いた。要は、これが三谷の最も得意とする自分ワールドへの引き込みである。三谷が、映画でこれが出来なかったのは、劇場という空間を意識出来なかったからである。テレビは至ってプライベートな空間であり、その函の中に身を投じることは、別に三谷作品に限らず至って簡単なことだ。しかし変わりに飽きられるのも早い。気に入らなければスイッチを切られるだけだ。たが、映画はそうはいかない。映画は中座されたり、眠られた方がまだましで、最後迄見られた挙句駄作という烙印を押されたら最後。そしてその可能性は不特定多数である。前作の賛否両論で三谷が学んだことは、枠組みはひとつでは足りないという事。つまり、観客の経験測に委ねるのではなく、自らの世界に閉じ込める事である。そこに「映画撮影」というもうひとつの枠組みを作りあげた。ギャングと映画。このなんとも現実感のない設定でありながら、一方で過去に名作を沢山残している事例を踏襲しつつ、鑑賞者に対しては作品序盤から何か見落とすと置いていかれるというぞという焦燥感を植え付けた。そして期待通りに最初のタイトル前に主要人物をすべて出して物語の全容を紹介した。これが大成功だった。

それから、今回は今までこだわっていた1シーン・1カット・長回しの手法を捨てた。カット割を多用することが王道かどうかは別として、少なくとも本作は前作にあったアングルの無理は少なかったという点で拘りを捨てたのも正解だった。特に親分・西田と殺し屋佐藤の出会いのシーンは秀逸で、前述したようにこのふたりだから出来た緊張の連繋は、カット繋ぎの映画でも十二分に鑑賞者を満足させるものであることを実感した筈だ。さすがは「敦煌」コンビである。又、過去の名作へのオマージュも色々と手がこんでおり、特に、「アンタッチャブル」のオマージュはリアルタイムでなく、時間差攻撃的に笑いが後からついてくるので、会場会での笑いが色々なところで微妙にズレを生じているのも面白くも、オッ、彼はこのシーンを知っているな、あの人はあの映画を熟知しているなということが、映画の本編以外にも楽しめる要素となったことも見逃せない。

しかしながら、冒険とか斬新という点では、やはりテレビにおける三谷の勢いを感じることが出来なかった。
古畑はもとより「王様のレストラン」であり、「総理と呼ばないで」にみられた日本の脚本家としては類い希な独自性を映画の土壌で発揮できないのは、いつもながら残念である。やはり「ラヂオの時間」が衝撃的過ぎたのか、映画作品として自身のデビュー作を越えることは難しいと思われる。佐藤とのコンビネーションは良かったが、やはり彼には、唐沢寿章が必要なんじゃないかって、事実、この映画でも唐沢の登場シーンが、ストーリー構成上あってもなくてもどうでも良い内容であったにも関わらず、可成り強い印象が残っており、それは「THE有頂天ホテル」と同様である。前作のレビューでも書いたが、三谷には「驚きの発想」が欲しいのである。テレビではそれが出来るのだから余計に残念だ。作品は面白かったが面白いだけでは三谷作品には満足しないし、主役の村田同様、これで終わって欲しくない逸材だ。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-06-08 23:31 | 映画(さ行)

つぐない

b0046687_21284785.jpg


タイトル(邦題「つぐない」、原題atonement「償い・贖罪」)からして、どうなるか結末が見えてしまうのは上映以前に残念ではあるが、妹なりの始末の仕方には感動。このラストのために考えられたタイトルであるのなら可也凝っていると賞賛するし、同時に本作品は全編を通しての起伏も良く、秀逸な作品だった。

このブログには良く書くが(いや、何度も書いて恐縮だが・・・)日本と英国の時代が、いよいよこの頃には既に同軸で動いている。片や資本主義の発祥で20世紀初頭までは世界一の国であるのと比べ、つい、160年前までは鎖国をしていた日本という可也開きが大きかった二国間は、20世紀の初頭には日英同盟を締結している。物語の設定である1935年はヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言した年。当然ながら欧州第一国のイギリスには極度な緊張が走る。日本はというと、この年は目だって大きな事件がなかったが(大きいといえば、「天皇機関説」が正式に批判され、自由主義が後退、ファッショに向かう国内情勢は翌年、226事件で最悪の方向に・・・)、欧州の動向と呼応するように、アジアの中での孤立化へと向かっていく時代であった。つまりは英国がこの年代の時代背景の中でこの原作を作った文化的土壌と比べると、日本は大きく後退しているという言い方が正しい。なぜなら、この時代の日本でこの作品のようなを舞台を設定することはできないからである。同じ島国でも、第一次大戦と第二次大戦間のわが国は言い方を変えれば「暗黒の時代」である。

さて、本作品に関してだが、オスカーその他の評価が高かったが、同じコンビの前作「プライドと偏見」が良くなったので、それこそ偏見を持っていたためと、ミニシアター系上映だったために鑑賞も遅れた。しかし、ブロガー各位の評価が高く、これが躊躇していた背中を強く押してくれた。そしてそれはとても大正解であった。いつもながらブロガー各位に感謝、色々と見るべきものがたくさんあった作品だった。幾つか代表的なものを羅列すると、まず、脚本の手法としての小刻みはフラッシュバックは効果的だった。人が何かを認識する際に最も伝わり易いのは結論を先に示す事である一方で、確かに言葉等を媒介にする場合には時間の短縮になるが、語彙の理解度が著しく異なる関係に於いてはそこから連想されるものの差異は大きく、結局は最上の方法ではなく、そこから生む誤解は大きい。考えてみれば人間世界の争いの殆どは結論を急いたことによる物だと言って良い。そしてそのことはこの映画の中でも、ブライオニーの事件の認識と、更に彼女の証言という部分に取り上げられている。手法そのものを物語にもリンクさせているところは大変興味深い。そして、その為にこの作品の構成のにくいところは、結論としての映像手法を幾つか先に見せておいて、一番肝心な場面は言葉で言い切った。だから余計に迫力があったし、劇中の人たちだけでなく、鑑賞者に対しての説得力を上げた。この構成、及び脚本・演出は見事である。

又、これは誰しも高評価を下したと思うのが、計算されつくしていた効果音である。軸にはタイプライター音を使い、ボールの壁当て、棒を持った襲撃等、それらがすべて主人公の心臓の鼓動に同機すると同時に観客にも同期する。蜂の音もそうだ。ブライオニーの鋭い視線を遮るためには全く異質の素材を持ってくる必要がある。それを蜂にすることにより、彼女を誘導すると共b0046687_21291127.jpgに鑑賞者にも彼女のエモーショナルラインを引き継ぎつつ、大事な庭の場面へと導く。まぁこれはほんの一部なのであるが、実にひとつひとつのシーンが丁寧に作られ、効果だけでなく、美術も特にブライオニーの部屋の中など、細かいものに沢山の拘りとその後への布石を作っている。兎に角「プラ偏」では序盤良くて、後はトントンと進んで退屈だったが、本作品はすべてのシーンに見ごたえがあった。その後の戦闘シーンもしかり、ブライオニーの告白もしかり。物語の構築には何の不満もなく、期待以上の作品だった。銀幕で観られて良かったと思う。

キーラは余り好きな女優ではないが、相手役を見事に演じたのがなんとタムナスさん。また、3人のブライオニーは、大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴを差し置いて、シアーシャ・ローナンが圧倒的に良かった。この人はまだ13歳だが公表されている写真をみると素顔は本役よりもずっとオトナっぽくて凄い存在感のある女優。俳優的にも今後が楽しみな作品だった。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-06-07 23:54 | 映画(た行)

ラスベガスをぶっつぶせ

b0046687_235453.jpg


大袈裟な邦題が鑑賞中にもずっと脳裏に残り、物語は大したことないと思いつつも、カードだけではなく一体どんな映画的秘技が隠されているのかと思いきや、要するに、「レインマン」程度の21の知識ではまったく理解できないカード・カウンティングが根底にあり、でも、最後まで見たら、なんだ別に自分とあんまり変わらないじゃん!って、妙にすっきりとした感想を持った。

久々のレイト・ショー。しかし眠くならなかったのだからきっと銀幕に集中していたのだろう。ストーリーは省略するが要するに大金が必要になり、天才的な頭脳と暗記力でカードをカウントすることでベガスでブラックジャックをやって儲けようという映画作品だ。カードを数えること自体は違法ではないが、でかく稼ぐからカジノにとっては厄介だ。筆者はギャンブルを全くやらない(性に合わないし、ギャンブルで勝てる気がしない。宝くじすら買わない。昔は馬を見るのが好きだったのでついでに馬券を買ったこともあるが、馬が好きなのは昔乗馬をやっていたから)から根本的に分からないが、21ってカードをああいうように数えていて、どんな場面で勝利になるの。勿論ルールは知っているが、この作品、途中でレッスンがある割には、そのカウントがどのように勝利を導いたかというプロセスが全く分からない。主人公が喜んでいるから勝っているのはわかるけど、ただただカメラはたまに21になる絵札を写す程度で、要するに、どうカウントしているからどういうカードが来て、だからディーラーにはこういうカードが行って、結果、このゲームはこう勝ったのだという説明がどこにもない。だからカードのシーンは全然面白くなかったし、筆者はダスティン・ホフマンの「いいとき2枚、悪いとき1枚」の方が単純でずっと良く分かったのだが・・・。

ただ、この物語冒頭に述べたように、数学の天才がベガスを舞台にしているから特別なものの様だが、翻って自分に照らし合わせてみたら。進学とか就職とかの人生の節目って気持ちがらついて色々迷い、冒険をしたくなるものではないかなぁって、自らの経験上そう思う。筆者もそうだったし自分の友人たちも、特に大学や就職が決まった時はそうだったし、それは人それぞれ様々だった。オトナの異性と火遊びした奴。ポンギでナンパをしまくった奴。インペリアルのスイート借り切って毎晩パーティやってた奴。クラブ(うそうそ、筆者の世代はディスコだよ)でDJやってパトロンとこで寝泊りしていた奴。突如アメリカに行って一流商社入社を蹴飛ばした奴。カレラで卒業式に来て切符きられた奴(実は、この中のひとつが筆者だったりして・・・)。前述したカードの部分の説明が不足していたので、30万ドルの学費が必要なのはわかるけど、主人公が本当に欲しかったのは、金なのかジルなのかどっちなんだか分からなかった。筆者だったらジルだなぁって、ベガスのシーンはそう思った。

余談だが、数学者と呼ばれている人たちの思考回路って自分と違うと思う。多分、脳の伝達組織が著しく発達しているのだろう。友人に何人か数学者がいるが、彼らは、唯一筆者が人に自慢できる速読すらもできる。最近分かったのだが「読んでない」のである。構成を分析する能力が高いから、文字ではなく、数式のように分析するのであろう。文字だって数字だって、人間社会においてコミュニケーションツールという見方をすれば同じであるから。

ラストも弱かった。ただ、たまにはこんな映画作品を見ても良いのかなあとも思った。レイトショーだったし、たが、ケイト・ボスワースだけは後を引いてしまい、帰宅してから「スーパーマン・リターンズ」と「ビヨンドtheシー」を観てしまった。夜更け迄(ついでにスペンサー迄、トホホ)。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-06-06 23:42 | 映画(ら行)
b0046687_091015.jpg


前作の「第1章:ライオンと魔女」 では、映像化が不可能と言われた原作の世界観をディズニーティストに纏め上げ、今までにないファンタジー大作を創り上げた記念樹を映画界の歴史に残したが、今回は物語は単調であるものの、第1章との繋がりや前作で創出したナルニア国の世界観をどのように維持するか。また、勧善懲悪の内容と違い、様々な要因が交錯する表のストーリーとは違った裏にあるものをどれだけ上手く表現できるか等、注目に値する問題が山積しているこの作品であったが、鑑賞後の感想は、流石にディズニーの一言に尽きるのである。

全部で7章からなる「ナルニア国物語」はそれぞれは短い物語であるものの、この第1章と第2章にその後の物語のテイストがすべて詰め込まれているので少々この繋がりをこの時点で総括するのは小説の上では難しい。特に、作品でも処理が難しかったのがラストの部分と、同時に前作から1303年後のパラレルワールドとぺペンシー兄弟のロンドンでの実生活との連繋である。因みにこの太陽暦(という比較でよいのかは別として)とナルニア暦が1:3であることは、次回作の第3章「朝びらき丸 東の海へ」が本作より、英国で1年後、ナルニアで3年後という単純比較で初めて明らかになるが、パラレルワールドを行き来できる、キテレツの航時機みたいな感覚での時間移動だとすれば、その年代差が正しいかどうかは分からない。しかし、ディズニーの上手さというのは、暗に作品や台詞の中に未来を予測させるヒントを沢山残しているところである。特に本作では、前作でVFXの素晴らしさはすべて見せてしまったから、その技術を必要以上にひけらかすことをしていない。勿論、圧倒的に戦闘シーンが多いからひけらかしはしなくてもその恩恵には十二分に授かっている。しかし、更に一歩踏み込んだ部分が、例えば森の中のネズミが活躍するところだったり、木の根っこが巨大投石台を倒すところだったり、或いは、ナルニア族の戦法にも、ただ単にVFXの技術の駆使だけでなく、その可能性を引き出した仕掛けとその表現法のマッチングのひとつひとつに大いなる感動を与えてくれる。そうか、こういう風に使うのかって、最早、これは教科書である。

原作を大きく変えた効果も沢山あった。なんといっても、カスピアン王子の年齢設定である。原作では13歳であるが、映画では思い切って23歳にした。王位継承者が成人していて叔父が摂政というのも少し無理があるが、そんなことを考えさせない冒頭の展開と、もうひとつは一際光るベン・バーンズ効果である。映画ナルニアが前章から恐らく多くの鑑賞者に、前回、そして今回も与えていた不安は、この4兄弟で国が統治できるのかという部分ではないか。LOTRの強力なチームワークや、統治より精神世界を重視しているSWと違い、この物語はナルニアという国の歴史とぺペンシー4兄弟の歴史である。しかし、この23歳の凛々しいカスピアン王子への期待が、冒頭の疑問と不安を払拭した。だが、一方で4兄弟のナルニア入りも角笛リンクであるものの、この見方同士の出会いというのがぎこちなく、当然ながらナルニア第一帝であるピーターと、この時代では敵であるテルマール王子にとっては伝説が甦ったという現実の受け入れへの葛藤が描ききれず、結果、スーザンを媒介としてラストは結局そこに落ち着くのかという予測がこの時点で立ってしまうので、ディズニーお得意の13歳少年の未来観をもってきた方が良かったのかもしれない。しかし、それはひとつの意見であってこの王子の設定は見事である。

但し、作品の裏の部分では気になることも多く、特に基督教をベースとした宗教観は原作者C.Sルイスという人を考えれば当然で、アスランの存在が第2章で更に大きくなったこと、ネズミ一族のバグパイプ効果によるイギリスの歴史観、及び、ルーシーを女王陛下と称したナルニア族とこの国の未来観には、原作者の確固たる宗教観(信仰心)と当時英国への風刺が十二分に組み込まれている。この辺りは今後の作品化で最も危惧しなければならない要因で、果たしてディズニーティストで如何に覆いつくすのかという部分には今から興味津々である。そしてエドマンドである。第1章でも白い魔女との最初の接触が彼だったように、この物語はエドマンドを中心に見ると、この国や国の住人たち、及び現在についても、またぺペンシー4兄弟についても一番良く分かるのであるが、今回、目立たなくとも最も主張させていたのがエドマンドという役柄である。最初から次回作への伏線であり、且つ、役柄だけでなく俳優に対する思い入れもディズニーは上手い。なにしろ、アニメにおいては役柄も俳優も同じだから、そのオマージュの連鎖はなかなか他のプロジェクトチームでは実現できない部分なのである。

すべての面で前作を上回っていた。2作続けて尻切れトンボにしないラストを考えると、構成面でもLOTRを越えている。2010年公開予定の次回作にも期待大。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-05-25 23:57 | 映画(な行)
b0046687_17294121.jpg


不思議なのだが、日本人はなぜかラフマニノフ好き。モーツァルトが好きなのに、ラフマニノフっていうのも良く分からない。いいじゃない音楽なんだからって言われるかもしれないが、それは要するに何だっていいじゃないって事なんだと思うが、一方でこの国の芸術教育にもよるところである。それでもって、美術は印象派が好きだっていって、ルノワールだとミーハーっぽいから、ちょっと理知的にセザンヌとか、美的にドガとか、少数派でシスレーが良いなんて言ってみせたりしている。兎に角ハチャメチャな芸術観には、それで良く正常で居られるといつも関心する。ラフマニノフに戻れば好きな曲の殆どはピアノ協奏曲第2番。日本人的一般知名度もベートーベンなら5番、ブラームスなら1番、モーツァルトなら40番、ラマニノフなら2番(セルゲイはシンフォニーではないが…)と言う感じ。これも良く分からないが・・・。ただ、ウォルフガングに沢山有名な曲があるのと比較して、セルゲイはそんなに沢山曲があるわけではないからだろうが、でもピアノ協奏曲第2番って例の逸話がある以外はそんなに日本人が好きな旋律かどうかは疑問である。そうそう、なぜそんなことを言っているのかすというと、漸くここのところ落ち着いたが、この作品はミニシアターだからかもしれないが、連日混雑していて中々好きな行きたい時間に良い席が取れなかった。

だから可也無理な時間で鑑賞したのだが、良いと思ったのは最初の演奏会の部分だけで、後は全く面白いところがなかった。同時に何を描きたいのか不明瞭であった。さらにいうのであれば芸術家とは偏屈が多いが、彼はそれ以前に駄々っ子であるということだけが印象づけられた作品であった。邦題に「ある愛の調べ」というからには、彼の音楽をどのように誰が支えていったのかという興味が沸くわけであるが、そんな愛が満ち溢れたという以前の超自己チューであり、音楽的に行き詰っても自分を省みることを しない行動。このことが事実がどうかは別にして、今までラフマニノフに抱いてきた良のイメージを一転させてしまう内容でもあった。懸命な日本人ファンはこれを機に、イメージだけでなく、彼の音楽性を評価して欲しいものだ。

但し、物語中には可也興味深い部分もあった。リスト以上の才能といわれ。リストは作曲家としては二流という発言があったが、これは注釈が必要。というのは、作曲家よりも演奏家を上に見ているところが感覚的に違うという誤解をお持ちなってしまう展開であるが、ラフマニノフの音楽の才能で筆者がその卓越したものをひとつあげろといえば「編曲」である。彼は、ピアニストであると同時に偉大なる編曲家であった。特に独奏のための編曲は素晴らしく、バッハ、シューベルト、チャイコフスキーと数が多い。それから、チャイコフスキーが尋ねてくるという設定があったが、彼は既に19歳で歌劇「アレゴ」を書き、初演でピョートルから絶賛されているから、これは少し時代がおかしい。また、亡命の時期とアメリカツアー、及びロシア革命の時系列も少しおかしかった。そのアメリカンツアーで、スタインウェイ社がパトロンで、なるほどこの会社がこうして名を上げて来たのかという経緯には納得。20世紀初頭からアメリカは広告の国であり、こういう手法がいともたやすくマスコミ、ひいては巨大メディアに継承されたために、現代までのプロパガンダ大国を作り上げたピエロだったということが明解である。スタインウェイは今でいう、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並び称される言うビアノの3大メーカーであるが、リストがベヒシュタインを支持、ドビュッシーに至っては「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」とまで言わせており、また、ベーゼンドルファーは各国の皇室ご用達品だったのに比べて、スタンウェイはピアノ作りが根本から違っていたために幾度も経営に苦労をした。前2社はそもそもがチェンバロメーカーで、音響的に残響豊かな楽器つくりをコンセプトとしていたのに比べ、スタンウェイはアメリカを市場と考え、中規模なコンサート会場でのビアノ製作に目指したのが所以である。(因みに筆者の家にあったのはベヒシュタインのアップライト、宝の持ち腐れであった。今も実家に20年以上調律していない家具として埃を被っているはずだ。) ラフマニノフは広告塔として新しい楽曲を「このピアノから生み出した」ことに価値がおかれる猿回しの猿だったわけで、そう思うと、なるほど、欧州やロシアでなく、アメリカ直輸入のクラシック音楽であり、イギリス出身でもアメリカ直輸入のビートルズやストーンズと変りが無い訳で、日本人が「好きな訳」だ・・・。このスタンウェイ社との経緯が分かったことだけが、筆者のラフマニノフに対する新しい発見であり、あとはマイナスイメージが大きく(そんなに大好きな音楽家ではないが・・・日本人なのに。だってピアノ協奏曲ならヨハネスやピョートルの方がずっとずっと旋律も技法も上じゃない?)正直、内容はどうでも良かった。

残念なのは、音楽家を扱っている割に、音楽が良くなかったこと。これはもう論外。最後のテロップで芸術的創作で事実と異なる旨のエクスキューズがあったが遺憾。事実の究明こそ芸術の追究であり、追究のない芸術的創作なんていうのはは無い筈だ。


公式サイト


allcinema ONLUNEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-05-24 23:07 | 映画(ら行)
b0046687_22501844.jpg人一倍音楽には精通している積もりのある筆者であるが、苦手としているジャンルのひとつにシャンソンがある。というか、一般的にはシャンソンとはフランス語で歌われる曲であって、音楽的に特別な構成を持っている訳ではないから、ジャンルという言い方をするのはおかしい。語源だってカンツォーネと同じである。結構、素人さんでもシャンソンを習っている方が居て、たまにチケットを買わされて、3回に1回くらいは付き合いもあるから花束などを持っていくが、如何せん、立派な会場を貸しきっても4割未満の入りで、500人近くの義理立て来場者が居るが、良いと思ったことは一度もない。だから、正直、エディット・ピアフも、「愛の讃歌」もシャンソンというところとは別の次元で知っていたが、エディット・ピアフの「愛の讃歌」は、パチンコのCMで流れるまで知らなかった。そう、偉そうに言うわけではないが、シャンソンというのを音楽だと思っていないのかもしれない。前述したカンツォーネの方は名曲も多く、筆者も(自ら、お世辞にも上手いとはいえないが・・・)、新宿辺りのビアノの伴奏で歌っちゃったりする。尤もピアノ伴奏ってカンツォーネに合わないが・・・。

ところでこの作品の鑑賞は本当に疲れた。シアター公開の際もそう思ったし、今回のDVD鑑賞でも同じことを思った。しかし、マリオン・コティヤールの演技を見ているわけだから物語にそんなに拘ってもいない。音楽とは天賦の才が備わって初めてそれを外部に紹介することができる、ある意味で言えば「神の領域」に存在するものであると私は確信している。才がないものにはその「オト」を発見したり、それを再現することができないからだ。多くの人間は、メロディを簡単に口ずさむことができるが、それが、オリジナリティなものなのか、そうでないのかの判断というのを瞬間的に自分で下すことは難しい。案外、オリジナリティって多いものである一方、人間は記憶のできる動物だから、以前に聴いたフレーズを何十年ぶりかに再生することだって出来る。脳の持つ力は果てしない。しかし、そのフレーズを第三者に伝えることは難しい。その媒介として音楽理論が存在する。音階とかコードとかいう便利な共通記号である。しかしながら、その限られた才能を持っている人というのは、その才能を使いこなすことなく生涯を終わってしまうのである。ヴォルフガンクが一番良い例である。同時期に追従できる音楽家は一人もいなかったが、確かに600曲以上の沢山の曲を残したが、例えばルートヴッヒの9番や、ヨハネスのブラ1みたいな、桁はずれの曲は作っていない。敢えていえば、未完成のレクイエムである。そう、残念なのは、その才能に恵まれた人々がそれを生かしきれずに終わってしまうことだ。

エディット・ピアフも然りで、同じことを繰り返す。どうして酒や薬になるのか。彼女には理解者も大勢いたのに、と考えると、鑑賞以前に興醒めしてしまうものだ。そしてその連続がこの映画作品である。逆に言えば、そう思わせるほどのマリオンの演技が素晴らしいというしかないのかもしれない。「ロング・エンゲージメント」はもとより、「世界で一番不運で幸せな私」などは忘れられない演技である。だが、ここでもやはり疑問。素晴らしいけれど、まだ30歳前半の彼女が偉大なのかもしれないが、どうしてこんな酒と薬づけの婆さまの役をやるんだ? で、もって判で押したようなオスカー主演女優獲得って訳で。このあたりは、本当に解せない。以前、オスカーは精神異常者かアル中の役が一番取りやすいって言われたが、昨今はデブか爺さま婆さま、それにキモイ役だろうね。

作品も才能溢れる音楽人生でなく、破滅色が強かった。それでも歌うぞ「愛の讃歌」って、そんなに名曲なんだろうかと、フランス人の音楽性をとても疑う。確かに芸術家の輩出は多いが音楽家っていうと、ベルリオーズ、サン・サーンス、フォーレ、ラヴェル、サティってとこで、これって言うすごい人はいないようで・・・。

あっ思い出した。ドビュッシーがいたじゃないか。ロマン派から現代音楽への橋渡しの時代に印象主義を取り入れ、且つ音楽による「心象の喚起」を目指した偉大な音楽家が。そうそう、それに、ポール・モーリアとリチャード・クレイダーマンもそうだ。なるほど、結構紳士が多いので、逆にピアフが「物語」になったのだって、妙に納得した。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-05-21 23:57 | 映画(あ行)
b0046687_15304393.jpg


オスカー作品賞に輝いた 「ノー・カントリー」と同年代が舞台の作品である。9.11以降のアメリカから揺るぎい自信が失われたのか、特にメディア系はやたらと過去に遡ろうとする。アフガンという地域との関係を考えると、それはこの時代1979年に始まっているからであろうが、不思議とアメリカという国は歴史に学ぼうとすればするほど、その歴史の真実を掘り下げるのでなく、その歴史にある汚点を消去し、都合良く書き直そうとはしていないか。歴史で消去できないものは現在、そして未来そま元凶を断ち切るための消去を画策していないか。「ノー・カントリー」同様、この作品を鑑賞してただ一人の議員が何かをしたというより、この国家としての基盤が脆弱な国が長いこと世界を引っ張ってきたという現実と、今後もそれを継続しようとする恐怖に苛まれたのは筆者だけであろうか?(筆者だけなら良いのだが・・・)

憶測であるが、ご存知のようにこの作品はトム・ハンクス自らが放映権を買ったが、実は、もっと「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のようなコメディとしての作品化を考えたのだと思う。しかし、実際に本年75歳になる通称チャーリー・ウィルソン(本名チャールズ・ウィルソン)本人にあって、多分、随分映画のコンセプトを変更したのではないか。そう思うのは、まず、説明調の台詞が多すぎる。周知の事実として、1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した際、当時大統領のカーターは十分にこの侵攻に対応できず、「弱いアメリカ」を全世界的に植えつけてしまった。結果、同年の大統領選でカーターの再選はなく、レーガンが大統領になり、名実共に完璧な操り人形としての役者大統領を前面に出した、米国民にとっては悲劇といえる長い共和党支配が始まる。筆者もチャーリーという人はこの作品化の話まで全く知らなかったが、対ソビエトに対する軍事費が10億ドルという話は、如何に委員会があるとはいえ、民主党政権では考えられるものではない。事実、彼は議員になる前は海軍士官であり、しかも民主党のテキサス選出議員。よくよく考えると条件がかなり揃っているのである。またジュリア・ロバーツ演じる大富豪、反共の愛人が彼のパトロンであることも、なるほど、小説より良くできた話ではないか。だから、軍事に金を出しても、その後の学校建設などには「強いアメリカ」には全く興味がなく、予算が出るはずがない。要するに、政治家の正義感が何処に働くかって奴で、例えばよくある族議員が環境を訴える人たちに共鳴し、委員会で反対を下して英雄になるっていう美談と同じパターンであり、たまたま、「強いアメリカ」を表現するために、レーガン政権はアフガニスタンからソビエトを蹴散らし、モスクワ五輪もボイコットした(勿論日本も・・・)という「オモテの歴史」を裏で支えていた一人である。しかし、例えば、その後学校を作れなかったとか、「いずれわかる」なんていう部分は物語的にも可也不自然で、2003年時(9.11より後なので・・・)の小説発表時に付け加えられたものではないかと推測できる。更に、その後の異常なブッシュ政権による当地域への対策が更にこのストーリーを脚色する手伝いをし、仕上がった物語ではないか。残念ながら、筆者としてはノンフィクションとしての面白さより、どこをどう後付してこの実話(的)を構築したのかの方に気をとられた鑑賞になった。

要はこういう内容ならああいう予告編はないだろうという典型的な作品で(筆者は良く予告編に騙される)勝手な先入観を持って鑑賞してしまったので、随分ヘンテコなレビューになったが、何か「ホワイトハウス狂想曲」みたいなお気楽議員と思いきや全然な違い、出身や選挙区の事情、票のバックボーンも色々ある部分なのだから、予告編はもう少し本編に近いところで作って欲しかったなと思う。

個人的に、トム・ハンクスはコメディが良いから。また、ジュリア・ロバーツは久々でこのブログでも勝手ながら随分長いこと心配しているが、今作品については処置無しってところ。化粧シーンが、なるほどオモテの顔はこうやって作るのかというのが良かったかなという程度。このふたりの共演は初めてなのになぜか期待もなく、鑑賞中も殆ど演技的な発見がなかったのは残念。それよりも、フィリップとエイミー、それにチャーリーズ・エンジェルが美女だけでは無いってところが良かった。それと、エンドロールで監督がマイク・ニコルズって遅まきながら気がついたが、確かこの監督はもう喜寿くらいだよね。未だに彼の名前を聞くと真っ先に「バージニア~」と「卒業」が出てくるのってダメかなぁ。本作品は彼の得意分野でもある風刺が利いていなかった。最早、何をいっても今のアメリカに風刺なんて効き目がないのかもしれない。

それと予告編には流れていたドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」は本編に使われていなかったような。1972年のヒット曲だから仕方ないかも。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
# by turtoone | 2008-05-18 15:37 | 映画(た行)