暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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2009年 期待度ランキング

A Happy New Year!
I wish us 2009 will be great!!



1. ベンジャミン・バトン 数奇な人生
2. チェ 28歳の革命
3. ワルキューレ
4. レッドクリフ PART2
5. チェ 39歳 別れの手紙
6. グラン・トリノ
7. ディファイアンス
8. オーストラリア
9. セントアンナの奇跡
10. ダウト あるカトリック学校で
次点 ミルク、20世紀少年 第2章 最後の希望、フロスト×ニクソン、ある公爵夫人の生涯、三国志

2年連続、「ワルキューレ」と「レッドクリフ」のワン・ツーというのも芸がないので(ご存知の通り、「ワルキューレ」は2008年中に公開されず、「レッドクリフ」は2部作だった)、1位は筆者にしてb0046687_22483043.jpgはちょっと変わったところを持ってきた。また「チェ・ゲバラ」には可也期待している。というか予告編の減量し精悍になったデル・トロを観たら、早くも主演男優賞モノかなって。2部作だが、ゲバラはキューバ革命を起こす前半の方が゜やはり期待が大きい。カンヌでは一挙4時間30分の上映だったらしいが、本音としては筆者も通しで鑑賞したい。完成と公開が遅れ、且つ、トムの今後を占うといわれる「ワルキューレ」の出来は本当に心配だ。「グラン・トリノ」も、「イーストウッド最後のオスカー主演受賞チャンス」と言われているが、演技もさることながら、物語が興味深い。上記以外にも、「イエスマン」、「バーン・アフター・リーディング」、「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」、「7つの物語」、「トワイライト 初恋」、「天使と悪魔」、「愛を読むひと」、「シャッター・アイランド」にも注目。邦画では20世紀少年の続編以外に、「少年メリケンサック」、「ジェネラル・ルージュの凱旋」、「ニセ札」、「鴨川ホルモー」、「ディア・ドクター」、「インスタント沼」、「MW ムウ」、「デッドヒート・ヴァージンロード」、「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」、「ガマの油」といったところ。

2008年は久しぶりに年間150本ペースだったのに11月、12月で大きくダウン。また、以前の様に鑑賞した作品のレビューをすべて書く時間がなくなって来ている。今年は、まず昨年末の積み残し未鑑賞作品のレビューからになると思う。

「ぴあ」の季刊ムックの発売が遅れているので、来年公開の作品のすべてを把握していないが、本年もマイペースで、良い作品に出会えれば良いと思うし、そのために、映画雑誌の提灯記事やメディアの紐付き評論家なんかよりも、ブロガーの記事が頼りである。

本年も皆様の素晴らしい「着眼点」にお世話になること大なり。年頭より感謝。


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# by turtoone | 2009-01-03 22:52 | 映画関連
映画という総合芸術は時には世相を反映するものであった。しかし、ここ数年映画にそういう「高尚な価値体系」を見出すことが出来なくなっている。特に、アメリカ。この世界恐慌の再来を映画という土壌で予測できた内容はあったのだろうか。勿論、今年は「アメリカの原点」に帰ろうと試みた作品が幾つもあった。しかし、それらの起点は9.11であり、その意味では巨大マスメディアの垂れ流し情報と大きな相異はない。そして映画も規模は巨大メディアと同格もしくはそれ以上の力を持ったものの、それに見合う「芸術性」は忘れ去り、それに見合う「大仕掛け」に偏向した大衆娯楽となった。勿論、それが悪いと言っているのではないが、1940年代にあった映画作品の「初々しさ」というものが殆ど忘れられ、同時に映画だから出来る「主張」も置き去りらされてしまった様だ。

今年は前半71本、後半は特に12月に来てペースが落ち56本、合計127本の鑑賞であった。しかし、邦画が41本と、久しぶりに30%以上を占めた。例年通り、筆者の採点による、B+ランク以上(85点以上)の作品を公表させて頂く。

1. ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 95点
2. レッドクリフ Part1 93点
3. ジェシー・ジェームズの暗殺 92点
4. つぐない 92点
5. ダークナイト 91点
6. ブーリン家の姉妹 91点
7. 告発のとき 90点
8. スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 90点
9. テラシビアにかける橋 88点
10. おくりびと 88点
11. 奇跡のシンフォニー 88点
12. ザ・マジック・アワー 87点
13. ノーカントリー 86点
14. 容疑者χの献身 86点
15. JUNO/ジュノ 85点
16. バンテージポイント 85点
17. 20世紀少年 第1部 85点
18. ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛 85点

(点数が同じ場合、物語20点満点の配点を上位に、それが同点の場合は10点満点の獲得項目が多い作品を上位にしている。)

b0046687_22562556.jpg2年振りに「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」が特A作品(95点以上)に輝いた。この作品は筆者の好きなパターンが沢山詰め込まれているので、贔屓めの特A入りだったかもしれない(尤も、特A作品なんてみんなそうか・・・)。「レッドクリフ」はPart2が早くも来年の特A入りの予感をさせる期待の高得点である。この2作の比べ、「ジェシー」、「つぐない」、「ダークナイト」は可也評価に迷った。それぞれレビューでも書いたが、「ジェシー」は、物語云々より、登場人物の駆け引き、心理描写が素晴らしく、また観客をそこに引きずりこんでしまう構成と技術は卓越している。「つぐない」は、脚本・編集・効果といったところは今年度のどの作品よりも優れているし、また斬新さを打ち出してくれた。「ダークナイト」はスーパーヒーロー物としては過去に観た作品の中でも最高点を付けたのは、現代の世相にスーパーヒーローは不要だということをスーパーヒーロー当人の内面から提言した。つまりは、冒頭に述べた様に、以前の映画の枠組では絶対に高評価をされないこれらの作品は、逆に、ある部分で「傑出した何か」を持っていることで、特別な作品になっているのである。それは「ブーリン」にも言えることで、実は「エリザベス・ゴールデンエイジ」はこのランキングには入っていb0046687_22574345.jpgないように、「正統派」を描くより、サイドストーリー的作品の方が面白いのである。
邦画も健闘した。というか、後半は邦画のレビューばかり書いていたような気がする。ただ、洋画にも言えることであるが、ミニシアター系が殆どランクインしていない。今年に限って言えば筆者の鑑賞したミニシアター作品は散々であり、この中では「JUNO/ジュノ」くらいであろうか。また、近所のシネコンが、つい数年前なら単館系作品をショートで上映することがあるという点もあり、以前とくらべ、拡大と単館の区分けは難しくなった気がする。


さて、同時にこれも恒例である、各部門賞を同時に発表させていただく。

作品賞 「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
主演男優 ダニエル・デイ=ルイス (ゼア・ウィル・ビー・ブラッド)
主演女優 アンナソフィア・ロブ (テラビシアにかける橋)
助演男優 ヒース・レジャー (ダークナイト)
助演女優 シアーシャ・ローナン(つぐない)
最優秀監督 ポール・トーマス・アンダーソン(ゼア・ウィル・ビー・ブラッド)
脚本賞 つぐない
美術賞 レッドクリフ Part1
音楽賞 奇跡のシンフォニー
撮影賞 レッドクリフ Part1
効果賞 つぐない
特殊効果賞 テラビシアにかける橋
編集賞 つぐない
最優秀アニメーション 該当なし 
最優秀邦画 おくりびと
企画賞 スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
特別賞 緒形拳

悩んだのが「主演女優」である。妥当だと思ったのは「エディットピアフ」のマリアン・コティアールと「ア・ウェイ・フロム・ハー」のジュリー・クリスティー。しかし、何れもアル中とアルツハイマーという特別な役柄。ここ数年、何か特別な役柄が賞を独占するという傾向があり正統派を選びb0046687_22584992.jpgたかった。そこでケイト・ブランシェットが出てきたが、「エリザベス」の作品の出来と、今まで多く彼女を選んで来たが一方で更にそれらから抜きん出ているかというと疑問も多かった。助演女優のシアーシャが早々に決まっていたし、それではいっその事U20から将来の映画界を背負って立てる人材をと、エレン・ペイジとアンナソフィア・ロプの一騎討ちとなった。助演男優も、当初は、ケイシー・アフレック(ジェシージェームス)と、ハビエル・バルデム(ノーカントリー)の争いだったが、「ダークナイト」で一転、ヒース・レジャーを選出した。ヒースは主演といっても良いくらいだと思うが、哀悼の意を込めているものの、だからといって優遇した訳でなく、映画史上に残る名演であることは衆目の一致するところではないか?
その他の賞では「つぐない」が目立つ。脚本賞も迷ったが、逆の見方として脚本の完成度が高いから、こういう技術賞にも波及したという言い方も出来る。昨年の「パンズラビリンス」と同じパターンである。アニメーションを該当なしとした。「ウォーリー」をここで選ぶかどうか迷ったのだが、アニメという枠ではないし、他に秀作が殆どなかったのも事実。この分野も興行成績は取れても、所謂「お子様」というドル箱狙いだから、ここ数年で過渡期に入った様だ。事実、宮崎ですらまだ「ハウル」はそこそこ見せ場があったが、「千と千尋」が頂点であり下る一方である。ディズニーもしかりで、新しい才能に期待したい。
b0046687_23272948.jpg邦画でも各賞を選びたかったが、40本程度の鑑賞では賞を選出できる基準に達しているとは思えず遠慮したが、主演男優は本木雅弘(おくりびと)、主演女優は永作博美(人のセックスを笑うな)、助演男優は堤真一(容疑者xの献身)、助演女優は上野樹里(グーグーだって~)である。実は公表していないが、毎年この賞だけは選んでいて、本木は「シコふんじゃった」以来の二度目の選出、上野に至っては、主演女も含めて3度目である。堤と永作は初選出。
特別賞に緒形拳を選んだ。日本の映画人で一番好きな人だった。映画ではないが最後の出演となったテレビ番組「風のガーデン」は、今年の隠れ1位かもしれない。

例年よりもコメントが長くなったが、2006年の総括で「分岐点」といったが、ついに今年は映画そのものが世界中で「過渡期」となった様だ。経済のように「世界恐慌」へ一触即発の状態にあることを再認識したい。


ご参考までに・・・

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# by turtoone | 2008-12-29 23:28 | 映画関連

「ハッピーフライト」

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「ハッピー・フライト」(原題はVIEW FROM THE TOP)というグウィネスが主演のハリウッド作品があったが、これは燦燦たる内容だった。中黒が間にない邦画「ハッピーフライト」はそんな過去の忌まわしい鑑賞体験が邪魔をして、全く異なる内容だと知っていたが中々鑑賞に踏み切れなかったが、後押ししてくれたのはテレビメディアで見せる綾瀬はるかの「天然」であり、要するに、このところサイボーグや座頭市という突飛な役が続き、銀幕では天然ぶりを発揮していなかったので、それが見られれば良いと思い、シネコンまで足を運んだ。

ところで、いつから「キャピン・アテンダント」という名称がメーンに使用されるようになったのであろうか。筆者の時代は「ステュワーデス」という呼称が主流で、また、女性にとって憧れの職業でもあり、筆者の友人にも「塾」やソフィアを優秀な成績で卒業して「スッチー」になり、高給(尤も筆者の知り合いは皆家も良かったが・・・)と株の売買などで、20代で一財をなし、起業して今今では中小企業のオーナー社長(ひとりは公開もしている)になっている。つまりはスッチーと言われていた時代は、現役は高級外車(BMやベンツじゃないぞ、フェラーリやカレラだったぞ)を乗り回し、広尾や麻布の億ション(不思議と皆この辺り)を賃貸で借りていて、10年以内で独立して自分の会社をもった、客室乗務員史上、最も良い時代のことを指すのかもしれない。勿論そうでない人も沢山居るはずだったが、筆者の友人に関して言えば、スッチーは人生の最終目標でなく将来のための通過点であり、その時代にしっかりと知識と知恵と経験、語学に見磨きをかけつつコミュニケーション能力を強化しつつネットワーク(常連上客とのコネクション)、さらには軍資金を貯めこんでいたのである。しかし、よくよく考えると、筆者はこの同時代を本当になにも貯め込まずに過ごしてしまったが、スッチーに限らず、当時「時代」に流されず、しっかりと自分を見つめて来たものだけが、全体の1割くらいであるが、その後、地に足のついた現代を送っていると考えると、この「ステュワーデス」という単語は筆者にとってあの時代を総称できる呼称であり、現代その呼称を使わないことには大変高い意義を感じるのである。

作品についてであるが、1フライトに関しての様々な人間ドラマが軸になっていて、映画作品なのか、ANAの宣伝なのか分からなかったほど、色々な要素をこれでもかっと詰め込みすぎた感は全くもって歪めない。しかも、別に作品に必要だとは思えない要素も多くて、この部分は宣伝以外に何者でもない。矢口史靖が可也その宣伝要素を払拭するためにカット割をいじっているが、逆にいじり過ぎてしまった部分もある。このフライトの乗客はそれは大変な目にあったと思うのであるし、こんなに1フライトに色々な事件が起こるのも作りものの世界にしか考えられない。筆者もここ2~3年は減ったが、海外・国内合わせて問わず年間30フライト程度飛行機を利用するが、まず、ビジネス・エコノミーを問わず、まず機内で何かクレームが発生したことはないし、悪天候で目的地に到着できなかったことは2回(広島行きが羽田に帰着、熊本行きが福岡に変更)、悪天候でフライトが伸びたのが台風の影響で宮崎で1回、組合のストライキで鳥飛ばなかったのがホノルルで1回、ダブルブッキングという航空会社のミスでフライト便が変わったのが台北で1回だけ。たまたま恵まれてるのかも知れないが飛行中の機体の揺れは当然あることだと思っているから、トラブルの確率は1%以下である。そう考えるとこの作品は映画をメディア化してしまった企業の横暴であり、それを綾瀬のキャラで天然に暈そうとしている節が後味の悪い鑑賞であった。唯一の救いは時任三郎の「何とかなる」的な発言。この作品の全てを象徴していて、もし航空会社の宣伝映画なら、絶対に「何とかする」が決め言葉なのに、この辺りが矢口の風刺なのだとしたら、今後の彼の作品をこの経験を活かしたもっと良いものになるだろうと、その部分だけは期待する。

どうみても「ハッピー」なフライトではない。冒頭にも書いたように「ハッピー・フライト」という言葉の呪詛がまだ続く?


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# by turtoone | 2008-11-24 21:48 | 映画(は行)

ブーリン家の姉妹

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16世紀は世界中が構造的に大きな変化を遂げた世紀であったが、特に、英国と日本という極東西の島国は特にそれが顕著であったと言える。英国は、ヘンリー8世という寵児の出現に丹を発しており、中でも、ローマとの決別は画期的なことであったが、同じ様に宗教的な因子で考えると、日本では織田信長という寵児が同じ様に宗教を厳しく弾圧した。信長の場合は、人心を惑わすものとした一方で自らを神格していたが、基督教に関しては寛容であったのは、当時日本で然程影響力を持ったものとして認知していなかった点にある。この極東西の繋がりは、ローマカトリックが欧州では力を失ってきた(あくまでも国を維持するという意味で)ことに端を発して、だから、行く着くところはアジアであった流れがあり、それによって伝来した基督教は信長には庇護されたと言ってよい。しかし、その後の天下人には忌み嫌われた。こう考えると、この時代の連繋は興味深い。

さて、その稀代の君主であったヘンリー8世がといえども世継ぎには頭を悩ましていた結果、この作品から始まった一連の「後継者争い」の名実共に種蒔きをしてしまうのである。なぜ、権威にある人間は自分だけでなく、子々孫々にそれを維持しようと考えるのか。生物の種の保存とは別に、人間特有の面白くかつ難解なテーマである。これは権威だけでなく、人間の世の中にはどんな世界にも「肉親後継」問題が派生する。筆者のように権威も財産ももたない人間はそんなこと考えたこともなかったが、二女に恵まれた筆者に向かって「男子はいらないのですか」と年の若い後輩までもが聞く。実に難解な発言だ。

この作品では、ブーリン家の姉妹、アンとメアリーがいずれもヘンリー8世に寵愛されるさまを描いているが、ここで面白いのは、アンとメアリーの姉妹がどちらが上であったかは当時の文献からは読み取れない。また、姉妹の母であるエリザベス・ハワードもヘンリー8世の愛人だったと言われる。更に後年、姉妹の従姉妹であるキャサリン・ハワードはヘンリー8世の5番目の王妃になっているから、この系図はグチャグチャである。但し、ヘンリー8世が教皇クレメンスと対立し、イングランドは帝国であると発言・破門されたが、1534年に国王至上法を発布し自らをイギリス国教会長とし、カトリックを脱退、ここに俗に言うプロテスタントの誕生があるが、これをすべて、アン・ブーリンとの結婚、及び、キャサリン・オブ・アラゴンとの離別が原因とした上で、その裏で気丈に振舞った彼女を長女としているが、一般的に性格的にはおっとりした長女より、次女の方が気丈だと言うし、現に、メアリーの子孫たちは皆、彼女が長女だったと伝えられている。イギリス歴史学者の間でも学説の分かれるところだが、英国が他の欧州国より少し変わっているのが、長子とその他との区別である。これは日本にも共通するが、英国では、男女に関わらず上の者を優先する(日本は歴史的にも男尊)。しかも、アンは後の英国を築きあげたエリザベス1世の母でもあるために、姉が産んだ子が私生児で、妹が王妃という訳には行かないのであろう。この辺りは当時の人物においても、また、後世の研究者にもなかなか譲れない英国人のプライドを感じる。ヘンリー8世自身も、兄、姉、妹のいる第3子である。映画でメアリーに「下の子の気持ちが分かる」節のことを言っているが、だとしたらやはりアンが妹の方がこの国王の心情も察するし、もうひとつ言えば、最初の王妃キャサリンは最初は兄アーサーと結婚していた。兎に角、この辺りは複雑な要因が結構絡み合っている。

作品に関してであるが美術の時代考証が良く整っていた。特に「エリザベス・ゴールデンエイジ」(少し派手過ぎた・・・)よりも、宮殿の再現や、衣装に関してはかなり高い美術考証だったと思う(「恋におちたシェイクスピア」と同じ、サンディ・パウエル)が、残念なのは照明。当時の再現のためか特に室内はどうしても全体的に映像が暗くなってしまっている。それから音楽に関してであるが、リック・ウェイクマンのソロデビューアルバムに「ヘンリー8世の6人の妻」という名作があるが、以前にミュージカル作品のレビューでも書いたが、19世紀に芸術家がコラボをしていた様に、この題材なら、現代的なミュージックシーンでコラボして欲しいと思う。結構重たいテーマを背負った作品だったが、それを感じさせなかったのは、ナタリーとスカーレットがそれぞれを演じ分けていた点と、エリック・バナが、有能な君主でありながら、しかし人間というものは悩み苦しみ、結論を出していくものだという宿命を現代人に分かる感覚で演じてくれたところで作品全体がすっきりしたと思う。エリックに関しては 「ミュンヘン」同様、地味だが演じることに長けた役者であることを見直した。


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# by turtoone | 2008-11-08 16:57 | 映画(は行)

レッドクリフ Part I

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「ワルキューレ」の国内年内公開がなくなり、年頭の筆者の期待度ランキングでは結果的にトップなった作品がいよいよ公開された。というより、ここ数年「スペクタル史劇」の映画作品が大変多く、このブログでも、中国といえばなんといっても「三国志」であることを何度となく書いてきた。しかし、そのためにはハリウッドの巨大マネーが必要だが、同時にに三国志だけでなく、悠久なる中国4000年の歴史を踏まえている人間でないとこの作品化は大変難しいと思っていたが、ジョン・ウーという適役がいたことをすっかり忘れていた。この作品化が昨年の今頃明らかになったからなんと一年間。待望の鑑賞であり、まず、そのことに感謝である。「三国志」は日本でも人気が高く、筆者も自称フリークだと思う。そして、数ある名場面の中でやはり、スーパースターが揃う「赤壁の戦い」が題材にしやすいのは当然だと思う。しかしながら、後述するが、そのスーパースターを無理やり一堂に会しすぎてしまったのはどうかと思う。ジョン・ウー監督なればこそ、「三国志演義」に沿って欲しかったと思う。

そもそもの「三国志演義」という書物自体がかなりのフィクションであることは間違いない。実際、正史である「三国志」はつまらない。また、この当時には邪馬台国も出てくる「魏志」が文献として残っているが、これも少し後に書かれたものだから信憑性は低い。今回の作品はニ分割されてしまったが、最初から申し上げると、所謂一般的に言われる「赤壁の戦い」の場面は今回は出てこない。それよりも「長坂の戦い」が冒頭に出てきて(これは予告編での予想通り)まず、監督の作品に対する方向性が十二分に表現される。特に、趙雲が劉備の長子、阿斗を戦乱から救いだし、敵陣を突破して劉備の元に届けたときの劉備の名場面がカットされたのはこの作品が、単に「三国志演義」に捉われず、新しい解釈を加えた赤壁の戦いならぬ「レッドクリフ」を創作しようという意欲と意図が感じられるのであるが・・・。(劉備はこのとき、わが子を地に投げ捨てて「この子のせいで大切な将軍を死なせるところだった」と言ったという。自分の世継ぎより優秀な家来を大事にするという意味では劉備の人柄を感ずる一節だったので、カットされて残念であるが・・・)。つまり、4月の後編になるが、「10万本の矢を集める」、「孔明風を呼ぶ」などという、所謂「赤壁の戦い」における名場面はすべてカットする方向にあるのかもしれない。そういえば、周瑜と諸葛亮が戦法を手のひらに書いて見せ合うシーンもなかった。

また、前半のクライマックスに設定された「赤壁の戦い前哨戦」に関しては、三国志演義には出ておらず、「三国志」に「戦いがあり、連合軍が勝ったが、詳しいことは分かっていない」とかいてあるが、このとき曹操軍は僅かな手勢しか出陣させておらず、連合軍の手の内をみるために出陣させたという。周瑜がここで流れ矢に当たった設定になっているが、それは、赤壁の戦いの終盤の部分であるが、この辺りを上手く繋げたところはなるほどと頷ける部分でもある。しかし。決定的に違う点は、この戦いは「連合軍」になっているが、本当に連合したりは、水上戦になってからで、この時点で諸葛亮は半分人質のような形で呉軍と共に行動しているが、殆どが周瑜、程普、呂蒙が率いる呉が戦ったもので、この時点で劉備(まだ蜀という名前は名乗っていない)軍がこの呉の領内に居たということは全く考えられない。孫権の妹を娶るのも、赤壁の戦いが終わった1年後の「同盟」のためであり、この辺りは、初めてこの作品を見て「三国志」を知る人たちには誤解を与えてしまうと思う。特に、筆者的には、三国志で一番好きなのは周瑜と趙雲だから、彼等ふたりのツーショットシーンは涙が出るほど嬉しいから、ものすごく複雑である。しかし、この脚本が、所謂「三国志ファン」の心を捉えているところは見事。つまり、三国志の主要人物である、曹操、劉備、孫権、周瑜、関羽、張飛、趙雲、魯粛といったところのひとりひとりをとても丁寧に描いていることだ。だから有り得ない戦いや饗宴はこの際仕方ないと思う。それから関心したのが数々の戦法を見事に再現してくれた。このあたりは、孫子の兵法でしか読んだことがないので、実際にこの様に軍が動いてくれると、これらの陣形や戦法が如何に実戦的なものなのかを証明してくれた。ただ、残念なシーンも多く、特に、孫権が机を刀で叩き切ったのは真っ二つだったのに、端っこしか切れてないし、呉と劉備軍のひとりひとりを丁寧に描いていたにも関わらず、魏の人物、例えば張遼とか荀彧、程昱(それぞれ、それらしき人物は居たが)等をきちんと描いて欲しかったと思う。それと、小喬を演じた映画初出演のリン・チーリンは絶世の美女である。

いずれにしても色々斬新なところは高く評価できるが、これらは後編を観てから総合的に評価をしたいが、今作品だけでも期待通りの出来上がりで、高評価である。但し、願わくば、三国志を知らない方は、中途半端に関わるのであれば、全く関わらずこの「ジョン・ウー版三国志」で終わってほしいし、もし、しっかりと関わりたいのなら、「Part.2」までの間に、ゲームやダイジェスト本でなく、是非、吉川英治先生の「三国志」全8巻を読破して欲しい。その方がもっと、この映画版「レッド・クリフ」の狙いが良く理解できるから・・・。


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# by turtoone | 2008-11-03 16:30 | 映画(ら行)

追悼、緒形拳

邦画のみならず、映画界の逸材が天寿をまっとうした。

b0046687_1524228.jpg筆者の中で、日本人俳優の中で最高の演技と役作りが出来る男優というのは、この緒形拳と高倉健しかいないと思う。緒形拳は、日本アカデミー賞においても、主演男優賞は、高倉健の4回に継ぐ、3回受賞している。これは確か三国連太郎と並んでいる筈だ。しかし、受賞作の中に「復讐するは我にあり」が入っていないが、これに関しては、第2回に「鬼畜」で受賞しており、2年連続になってしまうのを避けられ、結果「衝動殺人 息子よ」の若山富三郎が受賞したが、後年、高倉健が2年連続受賞したこともあり、この第3回のミスジャッジは、数ある日本アカデミー賞(尤もオスカーの名前を拝借しているだけで、この賞の権威、及び選考過程やそのレベルの低さ、退廃さにはなんの魅力も効力も感じないが・・・まだ、ブルーリボンの方が進歩的でましかな?)の首を傾げる選定の中でも可也重要な部分だ(今年が一番ひどかったのは言うまでもないが)。邦画が良くならないのは、こういう賞を選考する人たちが一番遅れていることであると確信する。映画ファンブログの批評の方がずっと質も高い。多分、自分でお金を払って映画鑑賞しているから当然だとも思うが。

緒形拳が銀幕を賑わしてた時代が、筆者も一番邦画を沢山みていたのだと思う。なかでも「楢山節考」、「復讐するは我にあり」、「鬼畜」、「火宅の人」、「北斎漫画」、「女衒」、「魚影の群れ」、「社葬」、「おろしや国酔夢譚」と作品を上げれば限がない。そして、これらの作品に敢えて順位をつけるのは難しいが、筆者の採点によると、Aランクにある「楢山節考」、「復讐するは我にあり」、「鬼畜」、「火宅の人」の順になるであろうか。この4作品は筆者の採点でもA作品に入っており邦画で4作品ひとりの俳優の作品が入っているというケースは他にない。採点云々を越えた凄い存在だったことは事実である。また同時に彼は、大河ドラマでも数々の印象的な役をこなしている。流石に「太閤記」、「源義経」は記憶にないが、「新平家物語」、「風と雲と虹と」、「黄金の日々」、「峠の群像」と、その後「太平記」以降の作品は準主役級となったが、印象的だったのはやはり大石内蔵助を演じた「峠の群像」、藤原純友も演じた「風と雲と虹と」、秀吉を演じた「黄金の日々」のベスト3である。そして、テレビといえば忘れてならないのが「必殺仕掛人」である。藤枝梅安シリーズは映画にもなり、藤田まこととの競演は結局スペシャル番組1回だけだったが、これも印象的なシリーズだった。更に、数々のテレビ番組ナレーションが全て良く、石坂浩二と並んで、俳優のナレーションは絶品であった。

緒形拳の功績は2枚目俳優でありながら、「性格俳優」というジャンルを日本で一番最初に確立した人である。いや、この言い方は正しくなく、彼の後には、彼に続く性格俳優が出ていないのも事実である。

緒形拳は日本映画界の至宝であった。このブログでは彼の出演作品を一度も取り上げたことがないが、追悼の意味も込めて、これから幾つか作品をきちんと見直してみようと思う。スパらしい作品を沢山残した緒形拳に改めて感謝と敬意を表する。



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# by turtoone | 2008-10-18 15:06 | 映画関連

容疑者χの献身

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今年度の期待度ランキングには出なかったが、実は密かに今年一番期待していた作品かもしれない。そもそも昨年のテレビ放映中から映画化を前提としていたコンセプトに感銘していたので、気合いの入れ具合にこちらも久々に民放のドラマとしては全部見た。フジでは「踊る大捜査線」などもテレビ、及び映画で大ヒットしたが、最初から映画化は明言していなかったからそれを考えると斬新なコンセプトと同時に(映画の側から見れば)もの凄く金をかけたプロモーションであり、テレビを利用しているということは、そのプロモーション費用の殆どは自腹ではなくスポンサードされているということ。取り組み自体が斬新だし、フジ報道機関としては有能な論説も少なく一流ではないが、こういうメディアという面では柔軟性も高く賢い。そして福山。何か他人の気がしないと言ったら、本人並びにファンの方々に怒られる(既に家族に顰蹙をかっている)が、彼のことはデビュー当時から良く知っている。カラオケでも良く熱唱させて頂いている。この辺りを総合すると実は陰の期待度ナンバー1だったりしている。

ところでこの作品は、現代版「罪と罰」である。また、意外でもあり、そして感心したのは、テレビと違い「映画版」。というか映画の作りに徹していたところである。単なる小細工でなく、スクリーンを細かく観ていると湯川博士で無くても鑑賞者にも謎が解ける展開と見せ方、つまりはテレビのようなあっと驚く科学現象を使って解くのではなく、然程仕掛けの規模も大掛かりにせず、2時間という時間を上手く使って人間ドラマを作り上げた。この感覚もとても斬新であった。特に湯川と石神の人間性を前面に出しつつ、かといってそれを対比させるのでなく、二人の人生観を丁寧に描いたところは好感が持てた。特に、筆者においては前述したように、テレビ版が結構毎回派手で度肝も抜くようなトリックを巧みに操っていたことから、それをそのまま銀幕にスケールもアップして持ってくるのかと勝手に想像していたので、それが良い意味で裏切られたことは嬉しい。同時にテレビ版では、事件そのものの謎を解くのではなく、あくまでね湯川には事件の背景は誰がやったかではなく、そのトリックを科学的に証明することに徹していたが、終盤になってトリックだけでなく、事件の背景やその人間関係にも多少興味を持ち始めた湯川が現れて来ていたが、今回は、その湯川自身が「天才」と認める数学者が相手で、後半は、寧ろそのトリックよりも、以前の同級生で天才数学者石神という人間に興味を持ち、結果的にそれが、この完全犯罪を覆すヒントになったという構成が、テレビ版とも上手く連携しつつ、且つ、映画らしい作品を作り、同時にこの作品はこれだけで完結させたことは大変大きい。

また、そのためのキャスティングもよく、特に松雪の存在は大きかったし、レギュラーメンバーである、柴崎、北村のキャラはテレビよりも際立って見えた。そして今回作品の中心のふたり、福山と堤は前述したように言うまでもない。

筆者もそうであるが、確かに凄く大きなスケールのガリレオを期待していたが、そこを思いっきり裏切ってくれて、新しい人間ドラマに仕立ててくれたことは大きい。そして、願わくば、映画のシリーズとしてガリレオは定期的にこの路線で続けてくれると良いと思うのだが・・・。


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# by turtoone | 2008-10-05 23:57 | 映画(や行)

イキガミ

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この作品も原作はコミックらしい。今日本が世界に誇れる文化というのは、コミックとアニメとゲームの三つだということを本当に痛感する。同時に、文学とか美術とか音楽という芸術文化の基礎が底上げされずに、付帯的な文化の質だけが上がっていることに関して考えると、未来がどうなのかという点に関しては多少
心配な気がする。新しい文化の潮流であることには違いないのだが、基礎もまた重要で、その辺りが確立されていないと新しいものは生まれて来ないから。

「国家繁栄維持法」というネーミングも余り良くない(繁栄という言葉は維持するものではないから日本語的に少し可笑しい)法律が可決施行されるのは今世紀にあって、社会主義国はもとより、北朝鮮だって有り得ないだろうが、その辺りは原作者の一流の嘲笑だろう。要はそんな「形」はどうでも良いのであって、重要なことは生命の尊さを認識することが、長い歴史の中で人間ら根本から忘れ去れたものであり、同時にそれを回復することが世界平和に繋がる、基本的なことであるが、だから故、それは人類とか国家とかという大きな単位に課せられたものではなく、一個人と、個人の次に大きな集合体である、家族に課せられているというところがこの作品の根底にあるコンセプトであり、その総論のために、沢山の各論としての例を出している。実に良く考えられた内容であり、このコミック原作の土壌と展開には脱帽する。エンドロールで(連載中)とあるから、今もこの物語はショートストーリー的に色々な「イキガミ」のケースが示されていると思うが、湯川教授ではないが、実に興味深い(このレビューは次回予定)作品である。

今回映画作品で取り上げられた3話は、実際にコミックにあったものかどうかは知らないが、この3話共に実に良く出来た内容である。ストリートミュージシャンが最後に歌う歌。自分の選挙に息子ら届いたイキガミを利用する女性議員。そして、事故で失明した妹に最後の望みで角膜移植を願う兄。どれもが「精一杯生きようとしている人間」を表していて、しかし、なんらかの理由で社会から逸脱しつつある現実は、本人にも社会にも責任があると同時に、だからちょっとしたきっかけがあれば、それは変える事だって出来るのだと言っている。そのチャンスと対称軸に置かれる「厚生保健省」(ついでながらこのネーミングも少しおかしい。厚生と保健は同意語であるから行政の機関名としては不適当。敢えて言うのなら保健厚生か、省庁ではなく、委員会とかNPO・・・一例としては海外の機関で「保健省」としか和訳が無いこともあるが。まぁいいか)の存在が本来この法律の意図するところと正反対の恐怖を押し付けているところがブラックユーモアで面白い。しかも、この法律に対する罪が「思想犯」というのも可笑しく、最早、この厚生保健省なるものは、警察庁と同等の権限があるという、まさに自由主義国家には考えられない発想だ。だからこそ逆にこの物語のメッセージを伝える重要な役割になっている。

松田翔平の演技も良い。この作品は法律とか機関に捉われるのでなく、鑑賞者も人間にスポットを当てて欲しい。1000人の一人という確率は他人事ではないし、また「イキガミ」というオンも「生き神」を想像できて、また尚、面白いではないか。


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# by turtoone | 2008-10-04 23:08 | 映画(あ行)

20世紀少年

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待望の鑑賞である。先週の三連休も含め、自宅近くのシネコンは映画作品の各シアターへの振り分けが大変下手だ。1000名入る会場から小さいのは150名程度だが、兎に角前から思っていたが割り振りが下手過ぎる。確かに住宅街にあり、また駅前にありというところで色々な鑑賞者の種類があるものの、だからシネコンなのであって、例えば、最新の興行ランキングなんか全く無視をしている。だから先週は「おくりびと」「パコ」は各回共売り切れ、「ポニョ」なんて未だに2スクリーン、しかも大きな会場を同時でやってて、片方はガラガラ。ランキングトップを独走中の本作品も今週になってやっと大きなスクリーンに戻った。しかし「ウォンテッド」が始まっているのと、同時に「アキレス」の入場予測を見誤った様で、そのお陰か、本作品はベストポジションでゆったり鑑賞できた。

この作品には二つの大きな期待があった。ひとつは主人公の境遇が同年代であること。もうひとつは邦画には珍しい3部作であること。同年代であることに関して言えば、それだけでなく、ケンヂとは随分ダブルことが多い。その筆頭はミュージシャンだったこと。筆者は80年代にまでグラムロックを引きずっていなかったし、ミュージシャンは皆27歳で死ぬなんてことは、言われてみればであって当時そんな意識をしていなかったが、日本の音楽シーンを考えるとあの時代にグラムをやるなんて全くの時代錯誤かよっぽど翔んでいるかのどちらか(そういえば「翔んでいる」なんて言葉は筆者の青春時代に流行った言葉だったような・・・)。ケンヂのその後(例えば安易にコンビニを始めた経緯)を考えると前者なのだが、「よげんの書」のことを考えると実は後者だったのかも知れないが、この種明かしは思いっきり次回作の主題になりそうだ。(この部分は筆者の思っていた通りの展開になりそうで思わずニンマリ・・・)。邦画の3部作というのも、これがとてつもないベストセラー(コミックは余り詳しくないのだが・・・)という訳ではないのに、それを60億円を掛けての制作という「気合」がとても気に入った。筆者における映画鑑賞って、偉そうなことを書いていても、時代設定とか気合とかで、もう相当良いところまで行ってしまうのだ。そして豪華キャストもそのひとつの要因だ。

唐沢大好き、常盤(生誕日が一緒、年は違うけど・・・)大好き、トヨエツ大好きだから、もうこの段階でこの作品はオッケーなのだが、今回はこの時代設定に沢山の拘りを見つけた。裸足で走る子っていたし、自転車の変速機ってそうそうあの場所についていたな。そして大阪万博の松下未来館の影響もあって「タイムカプセル」はあの当時、どこの学校でも流行っていたし、個人的にも実家の庭には、妹と当時の彼女と3人の宝物を色々埋めた(その後全面改築したので、多分掘り返されたと思うけど)。少年誌のノンブルもああだったという、基礎的なところに加え、同年代でないと見落としてしまうような細かい設定に迄生かされていたところが個人的には嬉しかった。実は欲を言えば、もっと時代的な部分で「音楽」に拘って欲しいと最初は思ったのだが、ケンヂが音楽を断念したという設定からのフラッシュバックだから、逆に音楽を最小限に留めたというところも作品のポリシーを感じられる。

一方で難点も多く、出演人物が多すぎたこと。主要7人の顔ぶれだけでも贅沢なのに、そこに関わってくる面々がカメオ出演も含めて豪華絢爛。逆にこの作品に出ていないと邦画の第一線にいないみたいな印象さえある。また、時代の場面切り替えが不自然に多すぎた。筆者は全く同年代だから年号がでなくともその時代を象徴するものがひとつでも出てくればすぐに自分の歴史と重ね合わることでその時代を把握できるが、そうでないと難しいと思う。特に、60~70年代というのは大変複雑な時代で、大阪万博のコンセプトが「人類の進歩と調和」だったように、すべての局面で日々変化・発展をしていた時代であり、現代とはそのスピードが違う。また、同時に日本人の生活基準というのが大きく変わっていった時代であり、この辺りは1年、2年違うだけで全然時代の背景となるもの、生活のベースとなる部分が違っている。一緒に観にいった次女がやはり分かりづらかったのが、ケンヂたち主人公の目線だったという。その部分に関しては納得する。ただ、この作品がハリウッド的でなく、邦画の新しい可能性を引き出す役割をしつつあることは認める。3部作を制作費という札束で作るのではなく、ある意味で日本現代史の表裏一体で捉え、未来に対しての負の財産も踏襲したテーマの表現は、大枚はたいただけで作れるものではない。少しだけだが、そのことを証明してくれた第1部であった。

ラストもすっきりしていた。少なくとも「LOTR」みたいに尻切れトンボではなかった点も、邦画らしいといえばその通りなのかもしれない。


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# by turtoone | 2008-09-21 15:19 | 映画(な行)

グーグーだって猫である

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以前、私が実家に居たときには犬を飼っていたが、現在の家族ではまず、猫を飼うことは未来永劫にない。理由は3つあり、長女が猫アレルギーであること、集合住宅なので基本的にペットが飼えないこと、そして3つ目に、私も家内も子供の頃にペットへの死別を体験している身としては、あの悲しみをもう二度と味わいたくないというのがあるだろう。最近の風潮としてペットを家族だと位置づける方々もいらっしゃるが、筆者は犬や猫はやはり「飼う」ものであって共棲しているとは思えない。犬が私の替わりに仕事をそてくれるか、猫がゴミを出してくれるのか? そう考えると、良い悪いは兎も角、日本の社会に於いて、犬や猫は人間の暮らしに迎合するほかはなく、それはもしかして犬や猫にとってはとても不幸なことなのかも知れない。私、というか実家で飼っていた柴犬は室外に犬小屋があり、長距離散歩もさせたが庭を我が物顔で走り回っていられたし、トイレだって自由(自分で後始末するしね・・・)。そこへ行くと室内で買われている犬猫は大変気の毒で仕方ない。親友が猫を飼っていた時期があったが、夜中になると室内を飛び回ったり、寝ている顔を舐められたり(でも親友の可愛がっている奴だから邪険にできなくて)つくづく自分は猫好きでなくて良かったと思ったことがある。その猫は親友が近くの公園に散歩に連れて行ってベンチでうたたねをしてしまったら、その間に姿をくらまして帰って来なかった。世田谷のお屋敷街なのできっと大きな邸宅に飼われて今頃は幸せな暮らしをしているのだろうと、そのとき本気でそう言っていた親友の発想を疑った。また、私も寒い冬に庭先でミュウミュウ泣いている猫が余りにも可愛そうだったので、冷蔵庫からミルクとパンの残りをあげたら喜んで食べた白い猫が、翌日、玄関先に鼠の死骸を置いていったのには驚いた。自らが幼少のとき猫を飼っていた父曰くは、この鼠は食事の御礼だという。猫の恩返しだったが、その鼠の死骸の始末も大変で、それ以来、猫の悲しい声が聴こえても、心を鬼にして絶対に食事を与えることはしていない。そんな訳で、どうも猫とは相性が良くないのである。

この作品はタイトルに興味があった。「グーグーだって」の「だって」である。「だって」という言葉は「ダトテ」の転換語で「○○でさえも」というのが正しい使い方だ。また、接続語として使用する場合には「そうではあるが・・・」、「そうだとしても・・・」という意味がある。つまりはグーグーではなく、それ以前に何かが存在するのであるが、その後に続く「猫である」という言葉には色々な想像ができる。素直に「猫」という代名詞として捉える意外に、例えば、漱石の韻を踏んでいるという考え方もできるし、猫は他の猫という考え、或いは擬人化した猫という考えも成り立つ。つまりは色々な解釈の出来る表題であるように、この映画作品ではその表題の通り色々な捉え方のできる作品であった。しかし、逆にそれで主題を見失ってしまう要素も沢山あったのも事実。例えば、吉祥寺の町をとても丁寧に紹介していて良かった反面、そこに引きずられてしまう危険もあったし、ナレーションがアシスタントのナオミ(上野樹里)と麻子先生(小泉今日子)の二本立てのために(更に言えば英会話スクール講師も部分的だがナレーターの一人)、二人のストーリーが猫との関係とは別次元で進行していまうというところ。この辺りは主題を見失う要素となってしまった。つまりは、結局麻子先生に訪れたアクシデントって、サバとグーグーに次々に人間のエゴで犯した罪の報いだっていうところが主題として理解してよいのか否かが不明だし、もしそうでないのならどうしてそういうストーリー展開にしたのかも理解できなかった。なので、この辺りはタイトルの「だって」の含みがどういう意図なんだろうかが分からないと主題が映画作品だけでは見えてこなかった。但し、原作を読む予定はないので謎にしておいても良いかなぁと思う。そんなことはないが、もし、どうしても猫を飼わなければならない環境になったときに読んでみようかと思う。

但し、猫が余り好きでなくて、また、タイトルや主題が良く分からなくても、映画作品としては結構楽しめたのは、細野晴臣の音楽に寄るところも大きい。あと、上野樹里だろうか・・・。映画出演が多いだけに、銀幕での存在感は大きい。ただ英会話講師の下りは頂けないし、意味が無い。それから青自は? 色々消化不良に終わった部分もあったが、これらをすべて「ダトテ」に集約させるのだとしたらコンセプトは面白いが構成には無理があった。


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# by turtoone | 2008-09-15 17:56 | 映画(か行)