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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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「ハッピーフライト」

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「ハッピー・フライト」(原題はVIEW FROM THE TOP)というグウィネスが主演のハリウッド作品があったが、これは燦燦たる内容だった。中黒が間にない邦画「ハッピーフライト」はそんな過去の忌まわしい鑑賞体験が邪魔をして、全く異なる内容だと知っていたが中々鑑賞に踏み切れなかったが、後押ししてくれたのはテレビメディアで見せる綾瀬はるかの「天然」であり、要するに、このところサイボーグや座頭市という突飛な役が続き、銀幕では天然ぶりを発揮していなかったので、それが見られれば良いと思い、シネコンまで足を運んだ。

ところで、いつから「キャピン・アテンダント」という名称がメーンに使用されるようになったのであろうか。筆者の時代は「ステュワーデス」という呼称が主流で、また、女性にとって憧れの職業でもあり、筆者の友人にも「塾」やソフィアを優秀な成績で卒業して「スッチー」になり、高給(尤も筆者の知り合いは皆家も良かったが・・・)と株の売買などで、20代で一財をなし、起業して今今では中小企業のオーナー社長(ひとりは公開もしている)になっている。つまりはスッチーと言われていた時代は、現役は高級外車(BMやベンツじゃないぞ、フェラーリやカレラだったぞ)を乗り回し、広尾や麻布の億ション(不思議と皆この辺り)を賃貸で借りていて、10年以内で独立して自分の会社をもった、客室乗務員史上、最も良い時代のことを指すのかもしれない。勿論そうでない人も沢山居るはずだったが、筆者の友人に関して言えば、スッチーは人生の最終目標でなく将来のための通過点であり、その時代にしっかりと知識と知恵と経験、語学に見磨きをかけつつコミュニケーション能力を強化しつつネットワーク(常連上客とのコネクション)、さらには軍資金を貯めこんでいたのである。しかし、よくよく考えると、筆者はこの同時代を本当になにも貯め込まずに過ごしてしまったが、スッチーに限らず、当時「時代」に流されず、しっかりと自分を見つめて来たものだけが、全体の1割くらいであるが、その後、地に足のついた現代を送っていると考えると、この「ステュワーデス」という単語は筆者にとってあの時代を総称できる呼称であり、現代その呼称を使わないことには大変高い意義を感じるのである。

作品についてであるが、1フライトに関しての様々な人間ドラマが軸になっていて、映画作品なのか、ANAの宣伝なのか分からなかったほど、色々な要素をこれでもかっと詰め込みすぎた感は全くもって歪めない。しかも、別に作品に必要だとは思えない要素も多くて、この部分は宣伝以外に何者でもない。矢口史靖が可也その宣伝要素を払拭するためにカット割をいじっているが、逆にいじり過ぎてしまった部分もある。このフライトの乗客はそれは大変な目にあったと思うのであるし、こんなに1フライトに色々な事件が起こるのも作りものの世界にしか考えられない。筆者もここ2~3年は減ったが、海外・国内合わせて問わず年間30フライト程度飛行機を利用するが、まず、ビジネス・エコノミーを問わず、まず機内で何かクレームが発生したことはないし、悪天候で目的地に到着できなかったことは2回(広島行きが羽田に帰着、熊本行きが福岡に変更)、悪天候でフライトが伸びたのが台風の影響で宮崎で1回、組合のストライキで鳥飛ばなかったのがホノルルで1回、ダブルブッキングという航空会社のミスでフライト便が変わったのが台北で1回だけ。たまたま恵まれてるのかも知れないが飛行中の機体の揺れは当然あることだと思っているから、トラブルの確率は1%以下である。そう考えるとこの作品は映画をメディア化してしまった企業の横暴であり、それを綾瀬のキャラで天然に暈そうとしている節が後味の悪い鑑賞であった。唯一の救いは時任三郎の「何とかなる」的な発言。この作品の全てを象徴していて、もし航空会社の宣伝映画なら、絶対に「何とかする」が決め言葉なのに、この辺りが矢口の風刺なのだとしたら、今後の彼の作品をこの経験を活かしたもっと良いものになるだろうと、その部分だけは期待する。

どうみても「ハッピー」なフライトではない。冒頭にも書いたように「ハッピー・フライト」という言葉の呪詛がまだ続く?


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by turtoone | 2008-11-24 21:48 | 映画(は行)

ブーリン家の姉妹

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16世紀は世界中が構造的に大きな変化を遂げた世紀であったが、特に、英国と日本という極東西の島国は特にそれが顕著であったと言える。英国は、ヘンリー8世という寵児の出現に丹を発しており、中でも、ローマとの決別は画期的なことであったが、同じ様に宗教的な因子で考えると、日本では織田信長という寵児が同じ様に宗教を厳しく弾圧した。信長の場合は、人心を惑わすものとした一方で自らを神格していたが、基督教に関しては寛容であったのは、当時日本で然程影響力を持ったものとして認知していなかった点にある。この極東西の繋がりは、ローマカトリックが欧州では力を失ってきた(あくまでも国を維持するという意味で)ことに端を発して、だから、行く着くところはアジアであった流れがあり、それによって伝来した基督教は信長には庇護されたと言ってよい。しかし、その後の天下人には忌み嫌われた。こう考えると、この時代の連繋は興味深い。

さて、その稀代の君主であったヘンリー8世がといえども世継ぎには頭を悩ましていた結果、この作品から始まった一連の「後継者争い」の名実共に種蒔きをしてしまうのである。なぜ、権威にある人間は自分だけでなく、子々孫々にそれを維持しようと考えるのか。生物の種の保存とは別に、人間特有の面白くかつ難解なテーマである。これは権威だけでなく、人間の世の中にはどんな世界にも「肉親後継」問題が派生する。筆者のように権威も財産ももたない人間はそんなこと考えたこともなかったが、二女に恵まれた筆者に向かって「男子はいらないのですか」と年の若い後輩までもが聞く。実に難解な発言だ。

この作品では、ブーリン家の姉妹、アンとメアリーがいずれもヘンリー8世に寵愛されるさまを描いているが、ここで面白いのは、アンとメアリーの姉妹がどちらが上であったかは当時の文献からは読み取れない。また、姉妹の母であるエリザベス・ハワードもヘンリー8世の愛人だったと言われる。更に後年、姉妹の従姉妹であるキャサリン・ハワードはヘンリー8世の5番目の王妃になっているから、この系図はグチャグチャである。但し、ヘンリー8世が教皇クレメンスと対立し、イングランドは帝国であると発言・破門されたが、1534年に国王至上法を発布し自らをイギリス国教会長とし、カトリックを脱退、ここに俗に言うプロテスタントの誕生があるが、これをすべて、アン・ブーリンとの結婚、及び、キャサリン・オブ・アラゴンとの離別が原因とした上で、その裏で気丈に振舞った彼女を長女としているが、一般的に性格的にはおっとりした長女より、次女の方が気丈だと言うし、現に、メアリーの子孫たちは皆、彼女が長女だったと伝えられている。イギリス歴史学者の間でも学説の分かれるところだが、英国が他の欧州国より少し変わっているのが、長子とその他との区別である。これは日本にも共通するが、英国では、男女に関わらず上の者を優先する(日本は歴史的にも男尊)。しかも、アンは後の英国を築きあげたエリザベス1世の母でもあるために、姉が産んだ子が私生児で、妹が王妃という訳には行かないのであろう。この辺りは当時の人物においても、また、後世の研究者にもなかなか譲れない英国人のプライドを感じる。ヘンリー8世自身も、兄、姉、妹のいる第3子である。映画でメアリーに「下の子の気持ちが分かる」節のことを言っているが、だとしたらやはりアンが妹の方がこの国王の心情も察するし、もうひとつ言えば、最初の王妃キャサリンは最初は兄アーサーと結婚していた。兎に角、この辺りは複雑な要因が結構絡み合っている。

作品に関してであるが美術の時代考証が良く整っていた。特に「エリザベス・ゴールデンエイジ」(少し派手過ぎた・・・)よりも、宮殿の再現や、衣装に関してはかなり高い美術考証だったと思う(「恋におちたシェイクスピア」と同じ、サンディ・パウエル)が、残念なのは照明。当時の再現のためか特に室内はどうしても全体的に映像が暗くなってしまっている。それから音楽に関してであるが、リック・ウェイクマンのソロデビューアルバムに「ヘンリー8世の6人の妻」という名作があるが、以前にミュージカル作品のレビューでも書いたが、19世紀に芸術家がコラボをしていた様に、この題材なら、現代的なミュージックシーンでコラボして欲しいと思う。結構重たいテーマを背負った作品だったが、それを感じさせなかったのは、ナタリーとスカーレットがそれぞれを演じ分けていた点と、エリック・バナが、有能な君主でありながら、しかし人間というものは悩み苦しみ、結論を出していくものだという宿命を現代人に分かる感覚で演じてくれたところで作品全体がすっきりしたと思う。エリックに関しては 「ミュンヘン」同様、地味だが演じることに長けた役者であることを見直した。


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by turtoone | 2008-11-08 16:57 | 映画(は行)

レッドクリフ Part I

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「ワルキューレ」の国内年内公開がなくなり、年頭の筆者の期待度ランキングでは結果的にトップなった作品がいよいよ公開された。というより、ここ数年「スペクタル史劇」の映画作品が大変多く、このブログでも、中国といえばなんといっても「三国志」であることを何度となく書いてきた。しかし、そのためにはハリウッドの巨大マネーが必要だが、同時にに三国志だけでなく、悠久なる中国4000年の歴史を踏まえている人間でないとこの作品化は大変難しいと思っていたが、ジョン・ウーという適役がいたことをすっかり忘れていた。この作品化が昨年の今頃明らかになったからなんと一年間。待望の鑑賞であり、まず、そのことに感謝である。「三国志」は日本でも人気が高く、筆者も自称フリークだと思う。そして、数ある名場面の中でやはり、スーパースターが揃う「赤壁の戦い」が題材にしやすいのは当然だと思う。しかしながら、後述するが、そのスーパースターを無理やり一堂に会しすぎてしまったのはどうかと思う。ジョン・ウー監督なればこそ、「三国志演義」に沿って欲しかったと思う。

そもそもの「三国志演義」という書物自体がかなりのフィクションであることは間違いない。実際、正史である「三国志」はつまらない。また、この当時には邪馬台国も出てくる「魏志」が文献として残っているが、これも少し後に書かれたものだから信憑性は低い。今回の作品はニ分割されてしまったが、最初から申し上げると、所謂一般的に言われる「赤壁の戦い」の場面は今回は出てこない。それよりも「長坂の戦い」が冒頭に出てきて(これは予告編での予想通り)まず、監督の作品に対する方向性が十二分に表現される。特に、趙雲が劉備の長子、阿斗を戦乱から救いだし、敵陣を突破して劉備の元に届けたときの劉備の名場面がカットされたのはこの作品が、単に「三国志演義」に捉われず、新しい解釈を加えた赤壁の戦いならぬ「レッドクリフ」を創作しようという意欲と意図が感じられるのであるが・・・。(劉備はこのとき、わが子を地に投げ捨てて「この子のせいで大切な将軍を死なせるところだった」と言ったという。自分の世継ぎより優秀な家来を大事にするという意味では劉備の人柄を感ずる一節だったので、カットされて残念であるが・・・)。つまり、4月の後編になるが、「10万本の矢を集める」、「孔明風を呼ぶ」などという、所謂「赤壁の戦い」における名場面はすべてカットする方向にあるのかもしれない。そういえば、周瑜と諸葛亮が戦法を手のひらに書いて見せ合うシーンもなかった。

また、前半のクライマックスに設定された「赤壁の戦い前哨戦」に関しては、三国志演義には出ておらず、「三国志」に「戦いがあり、連合軍が勝ったが、詳しいことは分かっていない」とかいてあるが、このとき曹操軍は僅かな手勢しか出陣させておらず、連合軍の手の内をみるために出陣させたという。周瑜がここで流れ矢に当たった設定になっているが、それは、赤壁の戦いの終盤の部分であるが、この辺りを上手く繋げたところはなるほどと頷ける部分でもある。しかし。決定的に違う点は、この戦いは「連合軍」になっているが、本当に連合したりは、水上戦になってからで、この時点で諸葛亮は半分人質のような形で呉軍と共に行動しているが、殆どが周瑜、程普、呂蒙が率いる呉が戦ったもので、この時点で劉備(まだ蜀という名前は名乗っていない)軍がこの呉の領内に居たということは全く考えられない。孫権の妹を娶るのも、赤壁の戦いが終わった1年後の「同盟」のためであり、この辺りは、初めてこの作品を見て「三国志」を知る人たちには誤解を与えてしまうと思う。特に、筆者的には、三国志で一番好きなのは周瑜と趙雲だから、彼等ふたりのツーショットシーンは涙が出るほど嬉しいから、ものすごく複雑である。しかし、この脚本が、所謂「三国志ファン」の心を捉えているところは見事。つまり、三国志の主要人物である、曹操、劉備、孫権、周瑜、関羽、張飛、趙雲、魯粛といったところのひとりひとりをとても丁寧に描いていることだ。だから有り得ない戦いや饗宴はこの際仕方ないと思う。それから関心したのが数々の戦法を見事に再現してくれた。このあたりは、孫子の兵法でしか読んだことがないので、実際にこの様に軍が動いてくれると、これらの陣形や戦法が如何に実戦的なものなのかを証明してくれた。ただ、残念なシーンも多く、特に、孫権が机を刀で叩き切ったのは真っ二つだったのに、端っこしか切れてないし、呉と劉備軍のひとりひとりを丁寧に描いていたにも関わらず、魏の人物、例えば張遼とか荀彧、程昱(それぞれ、それらしき人物は居たが)等をきちんと描いて欲しかったと思う。それと、小喬を演じた映画初出演のリン・チーリンは絶世の美女である。

いずれにしても色々斬新なところは高く評価できるが、これらは後編を観てから総合的に評価をしたいが、今作品だけでも期待通りの出来上がりで、高評価である。但し、願わくば、三国志を知らない方は、中途半端に関わるのであれば、全く関わらずこの「ジョン・ウー版三国志」で終わってほしいし、もし、しっかりと関わりたいのなら、「Part.2」までの間に、ゲームやダイジェスト本でなく、是非、吉川英治先生の「三国志」全8巻を読破して欲しい。その方がもっと、この映画版「レッド・クリフ」の狙いが良く理解できるから・・・。


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by turtoone | 2008-11-03 16:30 | 映画(ら行)