暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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奇跡のシンフォニー

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なんで邦題はシンフォニーなのだろうか、演奏した曲はラプソディー(字幕では狂詩曲と出ていたが、これは原語のrhapsodyを直訳したからだと思う。全部が聴けなかったが、いずれにしてもシンフォニーではない。)なのにと思っていたら、そうか、これは演奏された曲の事ではなく、この物語の構成自体がシンフォニーであることに気が付いた。シンフォニーという音楽形式は「ソナタ形式」の楽章をもった楽曲のうち、一番規模の大きなもののことを言い、そのソナタ形式とは二つ以上の対照的な主題が呈示され、様々に議論を展開し、やがて安定した状態で再起する音楽の構成法である。また、コンチェルトと違い、ひとつの楽器が傑出して引っ張ることはない。様々な要因が奇跡に繋がったという作品全体の総称であるのだから、この邦題をつけた人間は相当、音楽に精通している。

素晴らしかったのは、音楽をひとつの効果としながらも、同時に中軸に据えていたこと。冒頭のボーカルとチェロの不協和音の融合にはじまり、生まれた赤子に回転木馬のオルゴール音を小さな手で握り締めるシーンはこれから展開するこの主人公の運命と、同時にストーリーの進行を鑑賞者に予測させる、秀逸な場面であり、殆どの映画ファンはこの時点でラストは想像できる。しかし、そのラストへのプロセスが今迄のよくあるこのパターンの作品とは違う。

ただ一方でかなりの無理もある。エヴァンが日にちを正確に覚えているのは違和感がないが、母ライラが事故の日からの日数を覚えているか? (彼の存在はずっと後に知ったのだから・・・)口笛だって施設の誰かが吹けた筈だし、また、11年も第一線から退いて音楽教師になっていた彼女がすぐに世界一のオケのソロチェリストになれる程、クラシックの世界は甘くない。一方でエヴァンのパートは良く考えてあり、幾ら天才でも音階という理論は習得できるが、楽器演奏の実際では、ギターの場合右手のピッキングはそう容易くできる物では無いから、この奏法しかなかったところは良く考えられた作品だ。

ミュージシャンもの、コンサート映像やドキュメント、更にはミュージカル作品以外でここまで音楽を主題に持って来た作品は私の記憶にない。特に空間にある音、世の中に溢れる音をひとつひとつ丁寧に追いかけ、それをひとつの曲という完成された形にまで頭の中で作り上げるという天才少年のプロセスを見事に示した点の評価は高く、さらにこの試みの斬新さには心から拍手を送りたい。オスカー・ミュージカル作品「シカゴ」にも一部こんな実験が見られたが、その比ではない。また、昨年の「魔笛」とも違うコンセプトであるが、音楽(及び効果音としての音と音楽の使用に関して)を映画という総合芸術の中でここまで全編に渡り、引き上げた功績は大きい。賞讚したい。

だからこそ残念だったのが少年の指揮。ここ迄天才なら指揮も、全身で自分の音楽を伝えられた筈。なぜなら彼は一貫して音楽で親を探そうとしていた訳で、いわば、このラプソディーはその集大成である。天才子役の彼に、本当の指揮を指導すれば、ラストに向けてもっと感動的になった筈で、前述した脚本の無理と演出不足の減点は歪めなく、この点は本当に残念だ。そのために総合評価は若干落ちるが、「テラビシアにかける橋」(奇しくも今週DVDが出た!)と同じ様に絶対に劇場で、(特に父子セッションは戦慄が走るぞ!)観て頂きたい作品だ。

それとエヴァンが作曲した曲は全部聴きたいな。DVDが発売になったらメイキングに入らないかなぁ。いや、それよりも父子セッションをもう2~3曲聴きたい。DVDの特典につけて欲しい!!


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by turtoone | 2008-06-28 23:38 | 映画(か行)

ザ・マジックアワー

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三谷は有能なテレビ脚本家であるが、やはり映画人ではない。というのも、不思議と彼は必ずある特定の「枠組み」を作る。名作「ラヂオの時間」がそうであるように、その枠組みの中で様々なこだわりを持って作品を構築していく。だから、当然のことながら完成度は高い。しかし「みんなの家」では失敗した。シナリオ自体が映画向きではなかったし、メインの配役も唐沢以外は技量が欠けていたり、ミスキャストが多かった。そして、なにしろこの作品は「枠組」がなかった。いわゆる、単発のテレビなら誤魔化せるレベルと映画の大きな壁を思い知ったのがこの作品である。監督作品ではなかったが「笑の大学」は舞台での実績のある作品ではあめが、「取り調べ室」という枠内での出来事で、しかもここでは登場人物を最低限に絞ったと同時に自分では監督をやらなかった。この試みでいけるかどうかを試していたに相違ない。そして続く「THE有頂天ホテル」でも同様、ホテルという枠組みの中で展開した。しかし、この作品では異常なほどに出演俳優が多いだけで、各々の個性を活かすことがまったく出来なかった。

そんな中、本作品では、前作でキャスティングが今一でその演技と役者魂が全く活かされなかったふたり、佐藤浩市と西田敏行の二人をベストポジションに据えたことがもっとも大きかった。しかも、三谷はその枠組みも前作より更に大きくし港町までに広げた。そしてギャングの世界に固執することで、鑑賞者から余計な興味を取り除いた。要は、これが三谷の最も得意とする自分ワールドへの引き込みである。三谷が、映画でこれが出来なかったのは、劇場という空間を意識出来なかったからである。テレビは至ってプライベートな空間であり、その函の中に身を投じることは、別に三谷作品に限らず至って簡単なことだ。しかし変わりに飽きられるのも早い。気に入らなければスイッチを切られるだけだ。たが、映画はそうはいかない。映画は中座されたり、眠られた方がまだましで、最後迄見られた挙句駄作という烙印を押されたら最後。そしてその可能性は不特定多数である。前作の賛否両論で三谷が学んだことは、枠組みはひとつでは足りないという事。つまり、観客の経験測に委ねるのではなく、自らの世界に閉じ込める事である。そこに「映画撮影」というもうひとつの枠組みを作りあげた。ギャングと映画。このなんとも現実感のない設定でありながら、一方で過去に名作を沢山残している事例を踏襲しつつ、鑑賞者に対しては作品序盤から何か見落とすと置いていかれるというぞという焦燥感を植え付けた。そして期待通りに最初のタイトル前に主要人物をすべて出して物語の全容を紹介した。これが大成功だった。

それから、今回は今までこだわっていた1シーン・1カット・長回しの手法を捨てた。カット割を多用することが王道かどうかは別として、少なくとも本作は前作にあったアングルの無理は少なかったという点で拘りを捨てたのも正解だった。特に親分・西田と殺し屋佐藤の出会いのシーンは秀逸で、前述したようにこのふたりだから出来た緊張の連繋は、カット繋ぎの映画でも十二分に鑑賞者を満足させるものであることを実感した筈だ。さすがは「敦煌」コンビである。又、過去の名作へのオマージュも色々と手がこんでおり、特に、「アンタッチャブル」のオマージュはリアルタイムでなく、時間差攻撃的に笑いが後からついてくるので、会場会での笑いが色々なところで微妙にズレを生じているのも面白くも、オッ、彼はこのシーンを知っているな、あの人はあの映画を熟知しているなということが、映画の本編以外にも楽しめる要素となったことも見逃せない。

しかしながら、冒険とか斬新という点では、やはりテレビにおける三谷の勢いを感じることが出来なかった。
古畑はもとより「王様のレストラン」であり、「総理と呼ばないで」にみられた日本の脚本家としては類い希な独自性を映画の土壌で発揮できないのは、いつもながら残念である。やはり「ラヂオの時間」が衝撃的過ぎたのか、映画作品として自身のデビュー作を越えることは難しいと思われる。佐藤とのコンビネーションは良かったが、やはり彼には、唐沢寿章が必要なんじゃないかって、事実、この映画でも唐沢の登場シーンが、ストーリー構成上あってもなくてもどうでも良い内容であったにも関わらず、可成り強い印象が残っており、それは「THE有頂天ホテル」と同様である。前作のレビューでも書いたが、三谷には「驚きの発想」が欲しいのである。テレビではそれが出来るのだから余計に残念だ。作品は面白かったが面白いだけでは三谷作品には満足しないし、主役の村田同様、これで終わって欲しくない逸材だ。


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by turtoone | 2008-06-08 23:31 | 映画(さ行)

つぐない

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タイトル(邦題「つぐない」、原題atonement「償い・贖罪」)からして、どうなるか結末が見えてしまうのは上映以前に残念ではあるが、妹なりの始末の仕方には感動。このラストのために考えられたタイトルであるのなら可也凝っていると賞賛するし、同時に本作品は全編を通しての起伏も良く、秀逸な作品だった。

このブログには良く書くが(いや、何度も書いて恐縮だが・・・)日本と英国の時代が、いよいよこの頃には既に同軸で動いている。片や資本主義の発祥で20世紀初頭までは世界一の国であるのと比べ、つい、160年前までは鎖国をしていた日本という可也開きが大きかった二国間は、20世紀の初頭には日英同盟を締結している。物語の設定である1935年はヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言した年。当然ながら欧州第一国のイギリスには極度な緊張が走る。日本はというと、この年は目だって大きな事件がなかったが(大きいといえば、「天皇機関説」が正式に批判され、自由主義が後退、ファッショに向かう国内情勢は翌年、226事件で最悪の方向に・・・)、欧州の動向と呼応するように、アジアの中での孤立化へと向かっていく時代であった。つまりは英国がこの年代の時代背景の中でこの原作を作った文化的土壌と比べると、日本は大きく後退しているという言い方が正しい。なぜなら、この時代の日本でこの作品のようなを舞台を設定することはできないからである。同じ島国でも、第一次大戦と第二次大戦間のわが国は言い方を変えれば「暗黒の時代」である。

さて、本作品に関してだが、オスカーその他の評価が高かったが、同じコンビの前作「プライドと偏見」が良くなったので、それこそ偏見を持っていたためと、ミニシアター系上映だったために鑑賞も遅れた。しかし、ブロガー各位の評価が高く、これが躊躇していた背中を強く押してくれた。そしてそれはとても大正解であった。いつもながらブロガー各位に感謝、色々と見るべきものがたくさんあった作品だった。幾つか代表的なものを羅列すると、まず、脚本の手法としての小刻みはフラッシュバックは効果的だった。人が何かを認識する際に最も伝わり易いのは結論を先に示す事である一方で、確かに言葉等を媒介にする場合には時間の短縮になるが、語彙の理解度が著しく異なる関係に於いてはそこから連想されるものの差異は大きく、結局は最上の方法ではなく、そこから生む誤解は大きい。考えてみれば人間世界の争いの殆どは結論を急いたことによる物だと言って良い。そしてそのことはこの映画の中でも、ブライオニーの事件の認識と、更に彼女の証言という部分に取り上げられている。手法そのものを物語にもリンクさせているところは大変興味深い。そして、その為にこの作品の構成のにくいところは、結論としての映像手法を幾つか先に見せておいて、一番肝心な場面は言葉で言い切った。だから余計に迫力があったし、劇中の人たちだけでなく、鑑賞者に対しての説得力を上げた。この構成、及び脚本・演出は見事である。

又、これは誰しも高評価を下したと思うのが、計算されつくしていた効果音である。軸にはタイプライター音を使い、ボールの壁当て、棒を持った襲撃等、それらがすべて主人公の心臓の鼓動に同機すると同時に観客にも同期する。蜂の音もそうだ。ブライオニーの鋭い視線を遮るためには全く異質の素材を持ってくる必要がある。それを蜂にすることにより、彼女を誘導すると共b0046687_21291127.jpgに鑑賞者にも彼女のエモーショナルラインを引き継ぎつつ、大事な庭の場面へと導く。まぁこれはほんの一部なのであるが、実にひとつひとつのシーンが丁寧に作られ、効果だけでなく、美術も特にブライオニーの部屋の中など、細かいものに沢山の拘りとその後への布石を作っている。兎に角「プラ偏」では序盤良くて、後はトントンと進んで退屈だったが、本作品はすべてのシーンに見ごたえがあった。その後の戦闘シーンもしかり、ブライオニーの告白もしかり。物語の構築には何の不満もなく、期待以上の作品だった。銀幕で観られて良かったと思う。

キーラは余り好きな女優ではないが、相手役を見事に演じたのがなんとタムナスさん。また、3人のブライオニーは、大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴを差し置いて、シアーシャ・ローナンが圧倒的に良かった。この人はまだ13歳だが公表されている写真をみると素顔は本役よりもずっとオトナっぽくて凄い存在感のある女優。俳優的にも今後が楽しみな作品だった。


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by turtoone | 2008-06-07 23:54 | 映画(た行)

ラスベガスをぶっつぶせ

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大袈裟な邦題が鑑賞中にもずっと脳裏に残り、物語は大したことないと思いつつも、カードだけではなく一体どんな映画的秘技が隠されているのかと思いきや、要するに、「レインマン」程度の21の知識ではまったく理解できないカード・カウンティングが根底にあり、でも、最後まで見たら、なんだ別に自分とあんまり変わらないじゃん!って、妙にすっきりとした感想を持った。

久々のレイト・ショー。しかし眠くならなかったのだからきっと銀幕に集中していたのだろう。ストーリーは省略するが要するに大金が必要になり、天才的な頭脳と暗記力でカードをカウントすることでベガスでブラックジャックをやって儲けようという映画作品だ。カードを数えること自体は違法ではないが、でかく稼ぐからカジノにとっては厄介だ。筆者はギャンブルを全くやらない(性に合わないし、ギャンブルで勝てる気がしない。宝くじすら買わない。昔は馬を見るのが好きだったのでついでに馬券を買ったこともあるが、馬が好きなのは昔乗馬をやっていたから)から根本的に分からないが、21ってカードをああいうように数えていて、どんな場面で勝利になるの。勿論ルールは知っているが、この作品、途中でレッスンがある割には、そのカウントがどのように勝利を導いたかというプロセスが全く分からない。主人公が喜んでいるから勝っているのはわかるけど、ただただカメラはたまに21になる絵札を写す程度で、要するに、どうカウントしているからどういうカードが来て、だからディーラーにはこういうカードが行って、結果、このゲームはこう勝ったのだという説明がどこにもない。だからカードのシーンは全然面白くなかったし、筆者はダスティン・ホフマンの「いいとき2枚、悪いとき1枚」の方が単純でずっと良く分かったのだが・・・。

ただ、この物語冒頭に述べたように、数学の天才がベガスを舞台にしているから特別なものの様だが、翻って自分に照らし合わせてみたら。進学とか就職とかの人生の節目って気持ちがらついて色々迷い、冒険をしたくなるものではないかなぁって、自らの経験上そう思う。筆者もそうだったし自分の友人たちも、特に大学や就職が決まった時はそうだったし、それは人それぞれ様々だった。オトナの異性と火遊びした奴。ポンギでナンパをしまくった奴。インペリアルのスイート借り切って毎晩パーティやってた奴。クラブ(うそうそ、筆者の世代はディスコだよ)でDJやってパトロンとこで寝泊りしていた奴。突如アメリカに行って一流商社入社を蹴飛ばした奴。カレラで卒業式に来て切符きられた奴(実は、この中のひとつが筆者だったりして・・・)。前述したカードの部分の説明が不足していたので、30万ドルの学費が必要なのはわかるけど、主人公が本当に欲しかったのは、金なのかジルなのかどっちなんだか分からなかった。筆者だったらジルだなぁって、ベガスのシーンはそう思った。

余談だが、数学者と呼ばれている人たちの思考回路って自分と違うと思う。多分、脳の伝達組織が著しく発達しているのだろう。友人に何人か数学者がいるが、彼らは、唯一筆者が人に自慢できる速読すらもできる。最近分かったのだが「読んでない」のである。構成を分析する能力が高いから、文字ではなく、数式のように分析するのであろう。文字だって数字だって、人間社会においてコミュニケーションツールという見方をすれば同じであるから。

ラストも弱かった。ただ、たまにはこんな映画作品を見ても良いのかなあとも思った。レイトショーだったし、たが、ケイト・ボスワースだけは後を引いてしまい、帰宅してから「スーパーマン・リターンズ」と「ビヨンドtheシー」を観てしまった。夜更け迄(ついでにスペンサー迄、トホホ)。


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by turtoone | 2008-06-06 23:42 | 映画(ら行)