暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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前作の「第1章:ライオンと魔女」 では、映像化が不可能と言われた原作の世界観をディズニーティストに纏め上げ、今までにないファンタジー大作を創り上げた記念樹を映画界の歴史に残したが、今回は物語は単調であるものの、第1章との繋がりや前作で創出したナルニア国の世界観をどのように維持するか。また、勧善懲悪の内容と違い、様々な要因が交錯する表のストーリーとは違った裏にあるものをどれだけ上手く表現できるか等、注目に値する問題が山積しているこの作品であったが、鑑賞後の感想は、流石にディズニーの一言に尽きるのである。

全部で7章からなる「ナルニア国物語」はそれぞれは短い物語であるものの、この第1章と第2章にその後の物語のテイストがすべて詰め込まれているので少々この繋がりをこの時点で総括するのは小説の上では難しい。特に、作品でも処理が難しかったのがラストの部分と、同時に前作から1303年後のパラレルワールドとぺペンシー兄弟のロンドンでの実生活との連繋である。因みにこの太陽暦(という比較でよいのかは別として)とナルニア暦が1:3であることは、次回作の第3章「朝びらき丸 東の海へ」が本作より、英国で1年後、ナルニアで3年後という単純比較で初めて明らかになるが、パラレルワールドを行き来できる、キテレツの航時機みたいな感覚での時間移動だとすれば、その年代差が正しいかどうかは分からない。しかし、ディズニーの上手さというのは、暗に作品や台詞の中に未来を予測させるヒントを沢山残しているところである。特に本作では、前作でVFXの素晴らしさはすべて見せてしまったから、その技術を必要以上にひけらかすことをしていない。勿論、圧倒的に戦闘シーンが多いからひけらかしはしなくてもその恩恵には十二分に授かっている。しかし、更に一歩踏み込んだ部分が、例えば森の中のネズミが活躍するところだったり、木の根っこが巨大投石台を倒すところだったり、或いは、ナルニア族の戦法にも、ただ単にVFXの技術の駆使だけでなく、その可能性を引き出した仕掛けとその表現法のマッチングのひとつひとつに大いなる感動を与えてくれる。そうか、こういう風に使うのかって、最早、これは教科書である。

原作を大きく変えた効果も沢山あった。なんといっても、カスピアン王子の年齢設定である。原作では13歳であるが、映画では思い切って23歳にした。王位継承者が成人していて叔父が摂政というのも少し無理があるが、そんなことを考えさせない冒頭の展開と、もうひとつは一際光るベン・バーンズ効果である。映画ナルニアが前章から恐らく多くの鑑賞者に、前回、そして今回も与えていた不安は、この4兄弟で国が統治できるのかという部分ではないか。LOTRの強力なチームワークや、統治より精神世界を重視しているSWと違い、この物語はナルニアという国の歴史とぺペンシー4兄弟の歴史である。しかし、この23歳の凛々しいカスピアン王子への期待が、冒頭の疑問と不安を払拭した。だが、一方で4兄弟のナルニア入りも角笛リンクであるものの、この見方同士の出会いというのがぎこちなく、当然ながらナルニア第一帝であるピーターと、この時代では敵であるテルマール王子にとっては伝説が甦ったという現実の受け入れへの葛藤が描ききれず、結果、スーザンを媒介としてラストは結局そこに落ち着くのかという予測がこの時点で立ってしまうので、ディズニーお得意の13歳少年の未来観をもってきた方が良かったのかもしれない。しかし、それはひとつの意見であってこの王子の設定は見事である。

但し、作品の裏の部分では気になることも多く、特に基督教をベースとした宗教観は原作者C.Sルイスという人を考えれば当然で、アスランの存在が第2章で更に大きくなったこと、ネズミ一族のバグパイプ効果によるイギリスの歴史観、及び、ルーシーを女王陛下と称したナルニア族とこの国の未来観には、原作者の確固たる宗教観(信仰心)と当時英国への風刺が十二分に組み込まれている。この辺りは今後の作品化で最も危惧しなければならない要因で、果たしてディズニーティストで如何に覆いつくすのかという部分には今から興味津々である。そしてエドマンドである。第1章でも白い魔女との最初の接触が彼だったように、この物語はエドマンドを中心に見ると、この国や国の住人たち、及び現在についても、またぺペンシー4兄弟についても一番良く分かるのであるが、今回、目立たなくとも最も主張させていたのがエドマンドという役柄である。最初から次回作への伏線であり、且つ、役柄だけでなく俳優に対する思い入れもディズニーは上手い。なにしろ、アニメにおいては役柄も俳優も同じだから、そのオマージュの連鎖はなかなか他のプロジェクトチームでは実現できない部分なのである。

すべての面で前作を上回っていた。2作続けて尻切れトンボにしないラストを考えると、構成面でもLOTRを越えている。2010年公開予定の次回作にも期待大。


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by turtoone | 2008-05-25 23:57 | 映画(な行)
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不思議なのだが、日本人はなぜかラフマニノフ好き。モーツァルトが好きなのに、ラフマニノフっていうのも良く分からない。いいじゃない音楽なんだからって言われるかもしれないが、それは要するに何だっていいじゃないって事なんだと思うが、一方でこの国の芸術教育にもよるところである。それでもって、美術は印象派が好きだっていって、ルノワールだとミーハーっぽいから、ちょっと理知的にセザンヌとか、美的にドガとか、少数派でシスレーが良いなんて言ってみせたりしている。兎に角ハチャメチャな芸術観には、それで良く正常で居られるといつも関心する。ラフマニノフに戻れば好きな曲の殆どはピアノ協奏曲第2番。日本人的一般知名度もベートーベンなら5番、ブラームスなら1番、モーツァルトなら40番、ラマニノフなら2番(セルゲイはシンフォニーではないが…)と言う感じ。これも良く分からないが・・・。ただ、ウォルフガングに沢山有名な曲があるのと比較して、セルゲイはそんなに沢山曲があるわけではないからだろうが、でもピアノ協奏曲第2番って例の逸話がある以外はそんなに日本人が好きな旋律かどうかは疑問である。そうそう、なぜそんなことを言っているのかすというと、漸くここのところ落ち着いたが、この作品はミニシアターだからかもしれないが、連日混雑していて中々好きな行きたい時間に良い席が取れなかった。

だから可也無理な時間で鑑賞したのだが、良いと思ったのは最初の演奏会の部分だけで、後は全く面白いところがなかった。同時に何を描きたいのか不明瞭であった。さらにいうのであれば芸術家とは偏屈が多いが、彼はそれ以前に駄々っ子であるということだけが印象づけられた作品であった。邦題に「ある愛の調べ」というからには、彼の音楽をどのように誰が支えていったのかという興味が沸くわけであるが、そんな愛が満ち溢れたという以前の超自己チューであり、音楽的に行き詰っても自分を省みることを しない行動。このことが事実がどうかは別にして、今までラフマニノフに抱いてきた良のイメージを一転させてしまう内容でもあった。懸命な日本人ファンはこれを機に、イメージだけでなく、彼の音楽性を評価して欲しいものだ。

但し、物語中には可也興味深い部分もあった。リスト以上の才能といわれ。リストは作曲家としては二流という発言があったが、これは注釈が必要。というのは、作曲家よりも演奏家を上に見ているところが感覚的に違うという誤解をお持ちなってしまう展開であるが、ラフマニノフの音楽の才能で筆者がその卓越したものをひとつあげろといえば「編曲」である。彼は、ピアニストであると同時に偉大なる編曲家であった。特に独奏のための編曲は素晴らしく、バッハ、シューベルト、チャイコフスキーと数が多い。それから、チャイコフスキーが尋ねてくるという設定があったが、彼は既に19歳で歌劇「アレゴ」を書き、初演でピョートルから絶賛されているから、これは少し時代がおかしい。また、亡命の時期とアメリカツアー、及びロシア革命の時系列も少しおかしかった。そのアメリカンツアーで、スタインウェイ社がパトロンで、なるほどこの会社がこうして名を上げて来たのかという経緯には納得。20世紀初頭からアメリカは広告の国であり、こういう手法がいともたやすくマスコミ、ひいては巨大メディアに継承されたために、現代までのプロパガンダ大国を作り上げたピエロだったということが明解である。スタインウェイは今でいう、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並び称される言うビアノの3大メーカーであるが、リストがベヒシュタインを支持、ドビュッシーに至っては「ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」とまで言わせており、また、ベーゼンドルファーは各国の皇室ご用達品だったのに比べて、スタンウェイはピアノ作りが根本から違っていたために幾度も経営に苦労をした。前2社はそもそもがチェンバロメーカーで、音響的に残響豊かな楽器つくりをコンセプトとしていたのに比べ、スタンウェイはアメリカを市場と考え、中規模なコンサート会場でのビアノ製作に目指したのが所以である。(因みに筆者の家にあったのはベヒシュタインのアップライト、宝の持ち腐れであった。今も実家に20年以上調律していない家具として埃を被っているはずだ。) ラフマニノフは広告塔として新しい楽曲を「このピアノから生み出した」ことに価値がおかれる猿回しの猿だったわけで、そう思うと、なるほど、欧州やロシアでなく、アメリカ直輸入のクラシック音楽であり、イギリス出身でもアメリカ直輸入のビートルズやストーンズと変りが無い訳で、日本人が「好きな訳」だ・・・。このスタンウェイ社との経緯が分かったことだけが、筆者のラフマニノフに対する新しい発見であり、あとはマイナスイメージが大きく(そんなに大好きな音楽家ではないが・・・日本人なのに。だってピアノ協奏曲ならヨハネスやピョートルの方がずっとずっと旋律も技法も上じゃない?)正直、内容はどうでも良かった。

残念なのは、音楽家を扱っている割に、音楽が良くなかったこと。これはもう論外。最後のテロップで芸術的創作で事実と異なる旨のエクスキューズがあったが遺憾。事実の究明こそ芸術の追究であり、追究のない芸術的創作なんていうのはは無い筈だ。


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by turtoone | 2008-05-24 23:07 | 映画(ら行)
b0046687_22501844.jpg人一倍音楽には精通している積もりのある筆者であるが、苦手としているジャンルのひとつにシャンソンがある。というか、一般的にはシャンソンとはフランス語で歌われる曲であって、音楽的に特別な構成を持っている訳ではないから、ジャンルという言い方をするのはおかしい。語源だってカンツォーネと同じである。結構、素人さんでもシャンソンを習っている方が居て、たまにチケットを買わされて、3回に1回くらいは付き合いもあるから花束などを持っていくが、如何せん、立派な会場を貸しきっても4割未満の入りで、500人近くの義理立て来場者が居るが、良いと思ったことは一度もない。だから、正直、エディット・ピアフも、「愛の讃歌」もシャンソンというところとは別の次元で知っていたが、エディット・ピアフの「愛の讃歌」は、パチンコのCMで流れるまで知らなかった。そう、偉そうに言うわけではないが、シャンソンというのを音楽だと思っていないのかもしれない。前述したカンツォーネの方は名曲も多く、筆者も(自ら、お世辞にも上手いとはいえないが・・・)、新宿辺りのビアノの伴奏で歌っちゃったりする。尤もピアノ伴奏ってカンツォーネに合わないが・・・。

ところでこの作品の鑑賞は本当に疲れた。シアター公開の際もそう思ったし、今回のDVD鑑賞でも同じことを思った。しかし、マリオン・コティヤールの演技を見ているわけだから物語にそんなに拘ってもいない。音楽とは天賦の才が備わって初めてそれを外部に紹介することができる、ある意味で言えば「神の領域」に存在するものであると私は確信している。才がないものにはその「オト」を発見したり、それを再現することができないからだ。多くの人間は、メロディを簡単に口ずさむことができるが、それが、オリジナリティなものなのか、そうでないのかの判断というのを瞬間的に自分で下すことは難しい。案外、オリジナリティって多いものである一方、人間は記憶のできる動物だから、以前に聴いたフレーズを何十年ぶりかに再生することだって出来る。脳の持つ力は果てしない。しかし、そのフレーズを第三者に伝えることは難しい。その媒介として音楽理論が存在する。音階とかコードとかいう便利な共通記号である。しかしながら、その限られた才能を持っている人というのは、その才能を使いこなすことなく生涯を終わってしまうのである。ヴォルフガンクが一番良い例である。同時期に追従できる音楽家は一人もいなかったが、確かに600曲以上の沢山の曲を残したが、例えばルートヴッヒの9番や、ヨハネスのブラ1みたいな、桁はずれの曲は作っていない。敢えていえば、未完成のレクイエムである。そう、残念なのは、その才能に恵まれた人々がそれを生かしきれずに終わってしまうことだ。

エディット・ピアフも然りで、同じことを繰り返す。どうして酒や薬になるのか。彼女には理解者も大勢いたのに、と考えると、鑑賞以前に興醒めしてしまうものだ。そしてその連続がこの映画作品である。逆に言えば、そう思わせるほどのマリオンの演技が素晴らしいというしかないのかもしれない。「ロング・エンゲージメント」はもとより、「世界で一番不運で幸せな私」などは忘れられない演技である。だが、ここでもやはり疑問。素晴らしいけれど、まだ30歳前半の彼女が偉大なのかもしれないが、どうしてこんな酒と薬づけの婆さまの役をやるんだ? で、もって判で押したようなオスカー主演女優獲得って訳で。このあたりは、本当に解せない。以前、オスカーは精神異常者かアル中の役が一番取りやすいって言われたが、昨今はデブか爺さま婆さま、それにキモイ役だろうね。

作品も才能溢れる音楽人生でなく、破滅色が強かった。それでも歌うぞ「愛の讃歌」って、そんなに名曲なんだろうかと、フランス人の音楽性をとても疑う。確かに芸術家の輩出は多いが音楽家っていうと、ベルリオーズ、サン・サーンス、フォーレ、ラヴェル、サティってとこで、これって言うすごい人はいないようで・・・。

あっ思い出した。ドビュッシーがいたじゃないか。ロマン派から現代音楽への橋渡しの時代に印象主義を取り入れ、且つ音楽による「心象の喚起」を目指した偉大な音楽家が。そうそう、それに、ポール・モーリアとリチャード・クレイダーマンもそうだ。なるほど、結構紳士が多いので、逆にピアフが「物語」になったのだって、妙に納得した。


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by turtoone | 2008-05-21 23:57 | 映画(あ行)
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オスカー作品賞に輝いた 「ノー・カントリー」と同年代が舞台の作品である。9.11以降のアメリカから揺るぎい自信が失われたのか、特にメディア系はやたらと過去に遡ろうとする。アフガンという地域との関係を考えると、それはこの時代1979年に始まっているからであろうが、不思議とアメリカという国は歴史に学ぼうとすればするほど、その歴史の真実を掘り下げるのでなく、その歴史にある汚点を消去し、都合良く書き直そうとはしていないか。歴史で消去できないものは現在、そして未来そま元凶を断ち切るための消去を画策していないか。「ノー・カントリー」同様、この作品を鑑賞してただ一人の議員が何かをしたというより、この国家としての基盤が脆弱な国が長いこと世界を引っ張ってきたという現実と、今後もそれを継続しようとする恐怖に苛まれたのは筆者だけであろうか?(筆者だけなら良いのだが・・・)

憶測であるが、ご存知のようにこの作品はトム・ハンクス自らが放映権を買ったが、実は、もっと「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のようなコメディとしての作品化を考えたのだと思う。しかし、実際に本年75歳になる通称チャーリー・ウィルソン(本名チャールズ・ウィルソン)本人にあって、多分、随分映画のコンセプトを変更したのではないか。そう思うのは、まず、説明調の台詞が多すぎる。周知の事実として、1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した際、当時大統領のカーターは十分にこの侵攻に対応できず、「弱いアメリカ」を全世界的に植えつけてしまった。結果、同年の大統領選でカーターの再選はなく、レーガンが大統領になり、名実共に完璧な操り人形としての役者大統領を前面に出した、米国民にとっては悲劇といえる長い共和党支配が始まる。筆者もチャーリーという人はこの作品化の話まで全く知らなかったが、対ソビエトに対する軍事費が10億ドルという話は、如何に委員会があるとはいえ、民主党政権では考えられるものではない。事実、彼は議員になる前は海軍士官であり、しかも民主党のテキサス選出議員。よくよく考えると条件がかなり揃っているのである。またジュリア・ロバーツ演じる大富豪、反共の愛人が彼のパトロンであることも、なるほど、小説より良くできた話ではないか。だから、軍事に金を出しても、その後の学校建設などには「強いアメリカ」には全く興味がなく、予算が出るはずがない。要するに、政治家の正義感が何処に働くかって奴で、例えばよくある族議員が環境を訴える人たちに共鳴し、委員会で反対を下して英雄になるっていう美談と同じパターンであり、たまたま、「強いアメリカ」を表現するために、レーガン政権はアフガニスタンからソビエトを蹴散らし、モスクワ五輪もボイコットした(勿論日本も・・・)という「オモテの歴史」を裏で支えていた一人である。しかし、例えば、その後学校を作れなかったとか、「いずれわかる」なんていう部分は物語的にも可也不自然で、2003年時(9.11より後なので・・・)の小説発表時に付け加えられたものではないかと推測できる。更に、その後の異常なブッシュ政権による当地域への対策が更にこのストーリーを脚色する手伝いをし、仕上がった物語ではないか。残念ながら、筆者としてはノンフィクションとしての面白さより、どこをどう後付してこの実話(的)を構築したのかの方に気をとられた鑑賞になった。

要はこういう内容ならああいう予告編はないだろうという典型的な作品で(筆者は良く予告編に騙される)勝手な先入観を持って鑑賞してしまったので、随分ヘンテコなレビューになったが、何か「ホワイトハウス狂想曲」みたいなお気楽議員と思いきや全然な違い、出身や選挙区の事情、票のバックボーンも色々ある部分なのだから、予告編はもう少し本編に近いところで作って欲しかったなと思う。

個人的に、トム・ハンクスはコメディが良いから。また、ジュリア・ロバーツは久々でこのブログでも勝手ながら随分長いこと心配しているが、今作品については処置無しってところ。化粧シーンが、なるほどオモテの顔はこうやって作るのかというのが良かったかなという程度。このふたりの共演は初めてなのになぜか期待もなく、鑑賞中も殆ど演技的な発見がなかったのは残念。それよりも、フィリップとエイミー、それにチャーリーズ・エンジェルが美女だけでは無いってところが良かった。それと、エンドロールで監督がマイク・ニコルズって遅まきながら気がついたが、確かこの監督はもう喜寿くらいだよね。未だに彼の名前を聞くと真っ先に「バージニア~」と「卒業」が出てくるのってダメかなぁ。本作品は彼の得意分野でもある風刺が利いていなかった。最早、何をいっても今のアメリカに風刺なんて効き目がないのかもしれない。

それと予告編には流れていたドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」は本編に使われていなかったような。1972年のヒット曲だから仕方ないかも。


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by turtoone | 2008-05-18 15:37 | 映画(た行)

最高の人生の見つけ方

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やたらと評判が良く評価が高いので、マンデラの初日を蹴って急遽鑑賞に行った。いやいや本当に隙の無いくらい良く出来てる作品だ。ハリウッドならではの作品であり、なんと言うか「優等生」なのである。しかし、どうだろうか、原題は別として邦題の「最高の人生の見つけ方」ってところに固執すると、これが人生なのかい? そんな疑問を沢山残した作品だ。

「人生は如何に人から学べるか?」ハリウッドの好きなテーマのひとつである。設定も良く、裸一貫から一代で築いた大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と、大学教授になる夢を捨てて、家族のために生涯を捧げた男カーター(モーガン・フリーマン)が妙に不自然に出会う。この辺りのリアリティが「病室は二人一室」という台詞だけに頼っていたので大変弱いのだが、そのあとの展開はハリウッド映画の教科書的な展開だ。なにしろ、演技巧者のふたりが良い。ニコルソンとフリーマン。このオスカー男優の共演は始めてだったであろうか。どちらも個性的だから、最初に病室で出会ったシーンはやけに実際もそうだったんじゃないかと興味をそそる。自分の病院が嫌ならすぐにでも変更は可能であるのに、妙にその部分だけは従順でない秘書トマス(ジョーン・ヘイズ)の存在感に、勘の良い方はその後の展開のキーマンになつていることを予測できるのだが、ラストはやられたな。そう、このラストの軽いドンデン返しも含めて、大変良くできた作品である。まるで優等生のような映画の作り、二人の老人とその人生のサイドストーリーに正直その通りだと思うが、よくよく鑑賞を終えると、ただ、その連続なだけ。とても良く出来た作品なだけで、それ以上がない。(とても良く出来たものにそれ以上が必要なのかというツッコミは別として)

例えばこのふたりの役柄が逆だったらどうなったか。違和感で終ったか、それともこの二人だからもっと刺激的に演じられ、本当に人生はどんな人にとってもかけがい物なんだって伝わったんじゃないかって考える。つまりは、勿論役者ありきの映画なんだが、要するに、この二人を持ってきたから良く出来た作品で、そうでなければ成立しないところが逆にすごく怖い作品なのである。そんなの当たり前じゃないかって言われるかもしれないが、筆者が言いたいのは、だからハリウッドは今以上の映画作品を作れる「要素」が見つからないんだよって言いたい。最高の人生は見つかったのだから、最高の作品を作れる要素をもっと見つけて欲しいと思うのは偏屈な批評かなぁ。この作品では秘書 トマスの存在が大きい。台詞に関しても、彼が絡んでいるときは常に一言一言が巧みで次のシーン、或いは後半の部分を予測させてくれている。だから二大スターの共演も良かったがその部分を上手く繋いだ橋渡しとなった。きっと撮影中もそうだったのじゃないかと憶測できる。

もうひとつ、最後は金を使ったが、そうじゃなきゃ「最高の人生」が手には入らなかったんじゃないかって誤解を受ける作りである。勿論、エドワードの立場で言えば、最良の友を見つけた。そしてその友人のお陰で後継者も。勿論トマスがその後継者の後見人になることも含んでの終わり方は素晴らしい。しかし、カーターの方はどうだった。最後の一族の団欒が彼の望みだとするのはこの脚本からすると説明不足であり、かつ弱い。つまりは大学教授になりたかった彼は、最後に優秀な弟子を得たのであるというように理解しないとこのふたりの関係はイーブンにならない。しかし、それはちょっときつい言い訳だ。つまりは、この辺りの「辛さ」が、やはり今のハリウッド映画界の行き詰まりを象徴してはいないか。邦題だけで考えれば、フリーマンとしては「ミリオンダラー・ベイビー」役柄のほうが、人生の尊さを語っていると言えないか?

蛇足だが、カーターはあれだけ雑学(だけではないが)が詳しいのに無駄にしてきたという45年の中で一度もクイズ番組に出なかったのか? 出ていたら恐らくクイズ王になれたし今から出ても遅くなかったよなと、結構そう思った方はいなかった?それからエドワードの結婚遍歴って、ニコルソンの私生活と殆ど同じだっていうのにも笑った。そう、筆者はどうも他の人と違うところで笑っていたらしい。そうそう、輪廻転生のカタツムリの話は基督教徒のジョークとしては最高だ。

人生に優等生なんかいないのに、結果的に優等生な映画を作ってしまった部分が残念だが、兎に角良くできている作品であることは間違いない。ご覧になる予定の方は、是非、細かい部分にも拘って鑑賞されたし。


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by turtoone | 2008-05-17 22:11 | 映画(さ行)
b0046687_22441310.jpgポツダムといえば、フリードリヒ2世が建造したサンスーシー宮殿である。筆者が学生時代にまだ、東西の壁があった頃、このブランデンブルグにあるポツダムへの訪問はドイツにホームステイをした際に最も楽しみにしていたひとつであった。今ですら自由に行き来できる場所にあるものの、当時、東欧諸国に入ることは大変なことであった。勿論、日本人である以上この場所で何が行われたかということは当然知っている。しかし、それ以上に祖父は第2次世界大戦以前のドイツに留学して法学を学び、父は東側に入ることはなかったが、やはりこの国で医学を学んだ。そういう筆者にとってこの国には特別な郷愁がある。だからポツダムではバッハの名曲をウォークマンで聴きながら、只管、この宮殿の素晴らしさに酔いしれていた。

この作品はいわゆる映像作品としては実に良く出来上がっている。第2次世界大戦終戦直後のベルリンの街並みを見事に再現し、同時に全編をモノクロームで作り上げたにも拘らず美術のリアリティは素晴らしく、一瞬当時の映像ではないかと思わせる古めかしさも見事に表現している。美術だけでなく、出演人物もエキストラのひとりひとりにも凝っていて、世界の大勢を決める重要な会議を行っている一方で、町や人に現れる退廃的な表情を、特に対比させるほど嫌らしく、皮肉ッぽくなく、自然に流しているあたりは素晴らしい。ど頭のワーナーのロゴと音楽効果と共に、この映像全編は本当に細かいところへの執着が感じられる。ソダーバーグらしいと言ってしまえばそれで終わりなのだが・・・。

一方でこの作品はなぜか評価が低い。これは、公開当時から、殆どの映画ファンが共通して下していた評価であった。なぜだろうかと考えるとそれはこのストーリーにある。まず設定が難しい。いや、別に難しいわけではなく、この作品はどんどん難しくしてしまっている。公開当時この作品を「カサブランカ」や「ブラック・ブック」と比較している評があったが、全然違うわけで、だがそれは評した方が悪いのでなく、この作品を作った方が悪い。モノクロだから、第二次世界大戦だから「カサブランカ」と比較するのは決して悪いわけではないが、方や当時としては俳優も音楽も最高で芸術的に高い作品だったにも拘らず、この作品には、前述した高い技術点はつけられるものの、芸術点は評価するに値しない。そうでなくてもモノクロという日常と比べると「少ない情報量」に対して、鑑賞者はなにを見て満足するかというと、それはストーリーに他なら無い。にも拘らず、前半30分あたりでこの作品は突如、話の骨格を失ってしまう。そう、誰が
この中で最後まで生き残れるかがわかってとまうのである。これがもし、「分からせた」としたのなら、この監督は余程、この時代を舐めているのか、それともこの映像作品に技術点だけで勝負を挑んだかのどちらかである。まぁ、筆者にはどちらでも構わないのだが、まず、前者ではないと信じたいのは、このストーリーにあることは、「大した問題ではない」ということ。「ブラック・ブック」のヒロインとは境遇が違いすぎる。つまりは、簡単に言えば、鑑賞者を飽きさせるほど中身のない物語というわけだ。

また、俳優も余りよくない。特に、筆者が最近高い評価をして、ここのところ筆者の選出する「助演女優」の常連であるケイト・ブランシェットは、モノクロ映画にもかかわらず「綺麗に」撮ってもらえていない。大体この監督は女性を綺麗に撮ることができないことは知っていても、だったらケイトなんて使わないで欲しい。また、主要3人では唯一、俳優陣の中では光っていたトビーも可也早い段階で引っ込めてしまう。そんな多くのリスクを背負ったにも関わらずやはり最終的に何を見て欲しかったのかという作り手のメッセージは、「技術点」以外に、なにも伝わってこになった。なぜだか、そんなガッカリ感が、この作品を鑑賞した方の殆ど正当な評価だったので、全体的に低かったのだと思う。そういう筆者も非難しながらもケイトが出ていたから仕方なく?DVDをライブラリー棚に飾ってしまうのだと思うが。

原題の「The good german」で日本公開しなかったのも残念である。作品内容も含めて、この邦題では全然意味が違うじゃないですか?


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by turtoone | 2008-05-13 22:44 | 映画(さ行)

紀元前1万年

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この作品を製作するにあたり、かのローランド・エメリッヒ監督は「歴史は映画の教科書ではない」と断言している。だからこちらも細かな歴史的考証に全くツッコミを入れる積もりは無かったが、いざ鑑賞をすると、そもそもこの映画作りに関しては前作同様、もうこの「なんでもあり」体質には、嫌気がさしてきた。ツッコミ云々より、鑑賞を中止して大いびきをかいて寝てしまおうかと思ったほどである。

そもそも人間の起源とはいつのことか。2001年に発見された「トゥーマイ」は定説を覆した頭蓋骨といわれ、起源は500~600万年前の東アフリカから、700万年前のチャド(中央アフリカ)に訂正されたのである。現代人より大きな脳を持っていたと言われるネアンデルタール人の滅亡が25000年前、言語能力が低かったのでクロマニョン人に滅ぼされたというのが一番新しい研究により導かれた説である。それで、問題の紀元前1万年というのは何かというと「氷河期」である。この最後の氷河期が終わるのが今から10000年前、つまり、BC8000年であるからにして申し訳ないがこの作品は設定からしてもう駄目なのである。多分10000という数字が限が良かったに過ぎないというその程度なのだろう。歴史的考証以前の問題である。また、ピラミッドも色々言われているが、筆者が注目したのはそれよりもスフィンクス。あの顔といい大きさといいどうみたってカフラー王の大ピラミッドにあるスフィンクスである。ピラミッドと違い、スフィンクスはそれぞれ顔が全然違うが代表的なものはカフラー王のピラミッドを守るあのスフィンクスであり、最早代名詞にもなっている。このあたりは検証が甘かった。ようするに、一応総合芸術を担う映画人が、こういう短絡的なミスを犯すというのは、一映画ファンとしてだけでなく、絶対に許せない初歩的な誤りであろう。前作といい、こういう基本的な所は「自由解釈」と開き直るのではなく、映画人の誇りとして注意して欲しい。

また、残念なことにメッセージ性に欠けていた。部族を超えた心が芽生えたという訳ではないという前置きの元に、しかし一方で神という存在の前にひれ伏す以外何もないとする恐怖感を上回る、奴隷化されたそれぞれの部族を助けるというのは単に「お告げ」だけの問題なのか。古代物というのは、つまるところ必ず出てくるのがシャーマニズムであり、しかし、それぞれの部族のいう「神」と、祟りを与える「神」が同レベルで語られるところにそもそもの無理がある。簡単に言えば自然神よりも生き神を上に見ているところが最後まで違和感として残った。このあたりは例えば黒人部族の繋がりの後ろ盾には同一の「自然神」があるというようにことを匂わせるとか工夫が欲しかったと思う。そうすれば、この欧米あたりを意識したデレーの部族(しかしティクティクって名前はちょっとないよな・・・)をサーベルタイガーだけで「予言」だと受け入れる以外に、これらの部族との境界線と、同じ大陸の部族との団結力を見事に表現できたと思うのに残念だった。それからマンモスなんだけど、集団で逃げておいて、一頭はぐれたからといって急に攻撃してくる習性を持っている動物ってちょっと現代の感覚では分からない。古代にはそういう動物っていたのだろうか。殆どが本能で行動する動物だから、そんなに戦闘本能を持っているのだとしたら、人間から集団で逃げたりはしない。それから起源前1万年のマンモスとしては顔かたちがもっと古い時代の出土の骨から復元されたマンモスだったのも残念だった。最近の調査で、マンモスは狩猟で滅亡したのでなく、植生の変化か伝染病の説が強い。前者は氷河期が終わり、海面温度が10℃以上も上昇したことによる食料不足、後者は人類がアメリカ大陸に上陸することによる家畜から発生する伝染病という環境の変化である。だが家畜らしき動物は集落に見られなかったから後者ではない。それから例のピラミッドではマンモスを家畜として使っていたが、これは「L.O,T.R」でやはりトロルを家畜的に使っているシーンと同じくらい笑えた。これではマンモスでなく、ただの象ではないか。この映画では最も大きなみどころのひとつ「マンモス」がこういうの部分で自滅してしまったのだから、他の部分はどうでも良いと思う。

ただの娯楽大作だとするのであれば、紀元前1万年なんてタイトルで時代を特定してしまうのもおかしい。だから筆者はそうでなくメッセージ性を期待したが、「ID4」の様なメッセージには、前述した理由で繋がらなかったというのは、如何に作品の土台作りが大切だということを教えてくれた。少なくとも歴史は映画の教科書ではないのなら、そうでない分野の作品を作れば良いのだし、中途半端なメッセージとしてしか受け取れないような出演人物の構成造りが如何に無駄であるかがよく分かる作品である。そういう意味では、ほんの少しだけ歴史考証をきちんと構築していれば、(というか、監督自身が知っていれば)きっと彼なりの気づきによって、メッセージ性の高い作品になったと思うと残念だ。彼は、そういう資質のある監督なのだから。

そうそう、不覚にもいびきはかかなかったが、オリオン座を見て「Little DJ」を思い出してしまった。


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by turtoone | 2008-05-06 19:08 | 映画(か行)
b0046687_20474557.jpg公開以前からオスカーを賑し話題になっていた作品であるが、日本公開後も一段と世間の話題をさらったという印象がある。第79回(2006年)アカデミー賞では、メキシコ/スペイン/アメリカ合作ながら、撮影賞、美術賞、メイクアップ賞を受賞。この勢いで外国語映画賞も獲得するのかと思われたが、これは「善き人のためのソナタ」が受賞した。オスカーに何からの形で絡んだ作品の中では、作品賞をとった「ディパーテッド」よりも、賛美両論を浴びたのではないかと思うほどである。公開中にレビューを書けなかったので、新作(といっても、もう1ヶ月以上たってしまったが)DVDの発売で再度鑑賞したので、この機会に書き残しておきたい。

この作品を称しては色々な言い方をされているが、「大人のファンタジー」と等というよりも、別に大人だとか子供だとかではなく、ダークでグロテスクな世界観という言い方があっていると思うが、これはPG-12作品で公開時には確か吹替もなく、ファンタジー作品としては、子供が観ることが殆どできなかったから言われたのであろう。しかしながらこのダークでグロテスクな世界観というのは、はっきりいって子供向きではないことは事実である。むしろ、登場人物やキャラクターも含めて、ともすると子供が観てしまいそうな設定であり、そうなると結構殺戮のシーンなどがのリアリティの高い部分があるので、大人同伴という「警告」のための指定ではないかと思われる。

また、この作品に関しては、VFXの使い方も中々細かくて、大仕掛けがあるわけではないが、VFXの効果を十二分に生かした使い方をしている。特に、蟷螂が妖精になるあたりは、中々巧みであり、この作品におけるVFXの意義を象徴している使い方である。この監督の「作り物」に関する姿勢が一番現れている。そして、勿論、筆者もそうであるが、この細かい部分での美術とか撮影という部分には大変高い評価をくだしているし、一般的にもこの作品はこういう部分の評価が高く話題にされ勝ちであるが、実はこの作品は根底にあるテーマに関してが筆者にはそれら以上に興味をひいた。

この作品のテーマは「自立」である。主人公の少女オフェリアに「早く大人になって」といいつつも、実は一人で生きられない母。前後をわきまえず短絡的な判断で事を為す大尉。自らも言っているように「長年の勘」だけが頼りで行動も結果も信念がない軍人である。反政府ゲリラも多くの内通者の協力なしには成り立たず、結束も、また、ひとりひとりの意思も弱い。そして、その結果、様々な顛末はすべて自分にふりかかってくる。天に唾を吐けば自分に降りかかるという奴だ。しかし、その中で唯一純粋に振る舞うオフェリアであるが、面白いのは、他のファンタジー作品にある程度保障されている、主人公故の安心感はこの作品には微塵も無い。その一方で彼女だけが自立というものに背負わされてその試練を乗り越えていく。勿論、そこには、少女らしい可愛らしさが蠢いている。ドレスをグチャグチャにしてしまったり、食べ物を口にしてしまったりと、その辺りのオフェリアの愛くるしい一連の行動が作品の中で唯一の救いであり、また、全体的に暗くなりがちなストーリー展開に光明を残していてくれる。だから、普通の人でも最後まで鑑賞に絶えられる作品なのである。

冒頭のシーンが結末に繋がるという部分は、作品の途中で分かってしまう脚本であるから、意外に安堵してご覧になっていた方は多いと思われ、ラストの心の準備は出来ているが、結局あれしか終わり方がなかったのかと思うと寂しい気がする。筆者がこの作品をA評価にしなかったのは、このエンディングにある。エンディングで作品の評価を格下げしてしまうというのは極めて珍しいがここ数年はそういう作品が増えてきたのではないかと思う。

オフェリアの洋服の色や、蟷螂、森といい、「緑色」がとても大事に表現されていた。ご存知の通り緑とは「平和」「平穏」「癒し」「安らぎ」を現す色。この要素の多い作品を最後まで困惑せずに鑑賞できたのは、もしかしたらこの「緑色」のお陰かもしれない。


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by turtoone | 2008-05-03 23:39 | 映画(は行)