暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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<   2008年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧

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久しぶりにハリウッドらしい、そして骨太で、ストーリーをはじめ、監督や脚本、役者は勿論のこと、音楽や美術、効果、編集に至るまですべてにおいて「気合の入った」作品を観せて貰った。総合芸術としての「映画」という名に相応しい、そしてまた、余韻を残さないラストなのに、作品の中に沢山の問題提起をしてくれた鑑賞であった。

公開前からアメリカンドリームの闇の部分という触れ込みがあったが、この作品の時代背景は、西部開拓時代が終焉し、アメリカ人は更なるフロンティアを海外に向けていかなくてはならない時代であった。最初にこの物語の主人公ダニエル・プレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)が金を採掘している1898年は、アメリカがハワイ王国を半ばなし崩し的に併合し、その領土を太平洋まで拡大した年と同じである。その後、スペイン領キューバの反スペイン暴動に便乗し、スペインとの間で米西戦争を起こしたが、この開戦には、当時普及していた新聞が、国民の反スペイン感情を煽動するという大きな役割を果たした。新聞によって煽動された大衆が戦争を要求した最初の例となり、ご存知のように、以降米国政府はこの情報戦略を積極的に利用した。米西戦争に勝利、中米を経済植民地とし、また太平洋ではプエルトリコやフィリピン、グアム島などを領有した。さらに、日本と西欧によって中国の分割が進んでることに目をつけ、1900年に清の門戸開放・機会平等・領土保全の三原則を提唱し、中国市場への進出を狙った。更にその後1905年に日露戦争の調停役を申し出るなど、国際的な立場向上を目指した。日露戦争に日本が勝利を収めたことから、西欧諸国の矛先は日本に向けられたが、米国も同様であり、「オレンジ計画」と呼ばれる対日戦争計画を進めることになる。そして、この時代に呼応するように、石油や電力を中心とした第二次産業革命が起こり、豊富な石油資源を持ったアメリカの工業力は英国を追い抜いて世界一となった。そして強力な企業連合体や独占体が成長し、エクセル、カーネギー、モルガン、ロックフェラーは一代で巨大企業にのし上がり、巨万の富を得た。その後のアメリカ経済は彼ら財閥によって動かされることとなるが、これがこの作品の「表側の時代背景」である。また石油採掘に限って言えば、ピークの時代はもう少し以前の1860~80年代で、機械堀り油井の発明が採掘に拍車をかけ、ロックフェラーがクリープランドで成功しスタンダード石油の設立が最高のアメリカン・ドリームであろう。ダニエルの時代は少し遅れている中で映画に出てくる油井も当時のものにしては少し旧式である。

そしてこの作品で筆者が最も注目した点は、この時代の「教会と布教」であり、特に「聖霊派教会」のアメリカにおける存在である聖霊派(せいれいは)とは、キリスト教の教派のうち、三位一体(父と子と精霊)の位格のひとつである聖霊の働きを強調する教派や集団の俗称である。元来はプロテスタントのホーリネス教会から1900年頃に始まり、結果的に分岐した教派であるペンテコステ派が代表として挙げられる。時代的にも丁度この頃、1914年にアッセンブリーズ・オブ・ゴッドが設立。キリスト教プロテスタントのペンテコステ派世界最大の一派である。ここにも野心的な牧師、イーライ(ポール・ダノ)を配して、もうひとつのアメリカの闇の部分を表現している。そして、この一見すると100年前の歴史上の出来事描いているが実は、現代米社会へり風刺と提言に満ち溢れた作品である。ダニエルの持つ自立精神は、この100年間に異常なまでに合衆国が執着してきた世界一の国家権力に相当する。目的のためには手段を選ばない。また拾い子ながらわが子と育てたHWの生い立ちとHW自身の決意はこの国の過去と将来を模索している。拾い子とは、多民族を現し、だが欲望のためには子孫も顧みることはしない。また自国の意に適わないものは制裁も辞さない。世代による考えの相違は常に繰り返す。宗教観も同じである。聖霊派を題材にはしているがたまたまこの時代の象徴だっただけで、要は現体制への批判が込められている。未だ戦争に終止符を打てないブッシュは、相変わらずキリスト教を楯とした聖戦を気取っている。彼のパフォーマンスとイーライーの降臨の一体どこが違うというのだ。

ダニエル・デイ=ルイスに関しては、「ギャング・オブ・ニューヨーク」で2度めのオスカー主演男優賞(この年「G.O.N.Y」からはディカプリオも同じく主演男優の候補になっていた)を確信していたが、前回は逃がした。一時は俳優をやめて靴職人になっていたほど、自分の納得した作品にしか出演しないので有名であるが、最初の受賞である「マイ・レフト・フット」以上の演技であった。また、ポール・ダノ(2役)も期待以上だった。そして、やはり、ポール・トーマス・アンダーソンである。「パンチドランク・ラブ」以来5年振りの監督作品であったが、兎に角視点が斬新である。今作品も正統的なアメリカ映画になってしまう内容であるが、そのハリウッドにある正統性を守りつつも、例えば最初の20分は台詞らしい台詞がなかったり、音楽の使い方やラストにも象徴される奇をてらう脚本構成は、彼の斬新さと、毎回映画作品に込められた問題提起を作品内で見事に終着させていると言える。言いっぱなしの映画作品が多い中で、彼の作品ほど、誰にでも理解でき、誰にでも自分の主張を明確に伝えるという監督は、映画が物語も含めて複雑にしようという動きとは全く正反対な取り組みとして、今後も高く評価が出来るものである。エンドロールで「ロバート・アルトマン」に捧げるとあったが、アメリカの巨匠に捧げる価値のある、高レベルな作品になったことは言うまでもない。

全編で音楽をジョニー・グリーンウッド(レディオ・ヘッド)が手がける中、筆者的にはブラームスのヴァイオリン協奏曲第3楽章という、クラシックでも十指に入る個人的に大好きな曲が入っていたことも加点対象となった。 「ミュンヘン」(2006年)以来2年2ヶ月ぶり、筆者的に特A作品である。


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by turtoone | 2008-04-27 23:09 | 映画(さ行)
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公開前から情報が限られていたこともあったのか、筆者の予想とは違い、意外に信頼できるブロガーの方々の評価も思ったほど悪くなく、中には絶賛をしている友人もいたので、ならばということで少し公開から遅れたが鑑賞した。結論としては、この作品を筆者は「映画作品」として論ずることはできない(別にそんなに偉そうに言っている訳ではない。ただ、筆者は映画評論家でなく一映画ファンであるから・・・)。これは映画ではない。映画としての採点は不可能である。しかし、金を取って物を 見せるという、所謂、興行としての感想・評価を述べたいと思う。無論、以下、映画的表現を使わざるを得ないボキャブラリーの貧困さにはご勘弁頂きたい。

この手持ちビデオによる85分の映像を見て「この程度なら自分でも撮れる」って言っている輩が鑑賞後に沢山いたが、勘違いするなよ。このアングルといい撮影といい、とくに照明との兼ね合いは絶妙である。プロが使えば、家電に毛の生えたホームビデオカメラでも芸術作品が作れるっていう証である。これは兎に角脱帽。この撮影機材は知らないが、本当に、我々が子供の成長記録に使っているようなカメラだとしたら、スゴ過ぎである。重複するが照明は更に素晴らしい。映像とか画像って、やはり最大の難関は採光・遮光なんだということを教えてくれた85分間である。しかし、残念な点としてはカメラがうますぎた。例えば、左から右へのスパンのときの静止がうますぎた。ビデオカメラの撮影を経験したことのある人ならお分かりだろうが、右目はファインダー越しに、左目は(初心者は殆ど瞑ってしまうが・・・)直接被写体を見ているから、素人映像っていうのは、左へスパンする場合は被写体の位置を把握しているからぴたりと静止できるが、逆は被写体を確認するのがスパンするのと同時になる。勿論、今は、液晶ファインダーで確認ができるが、そうすると被写体を探すのに今度は多少カメラが上下してしまうのである。これを防ぐ方法はひとつだけ。そう、三脚(一脚だとブレの原因になる)を立て、ファインダーで確認しなくても予めスパンと同時進行で被写体を確認するしかない。しかし、このストーリーでは三脚を立てた形跡はない。つまり、ハッドは冒頭でカメラの使い方を分からない節の台詞を言っているから却ってこれは余計だった。任せとけ、オレはこう見えてもカメラだけには自信があるんだぜとでも言ってくれたら、前述した「残念」にならなかった。また、凝っているのかどうか、最後にこのカメラがオートフォーカスだった余分な映像があったが、これも最後に逆効果になった。実は筆者は最初からこのカメラの焦点照準の速さには驚いていた。勿論、これは皮肉で、素人があれだけスパンを繰り返していたら、子供の運動会の大玉ころがし映像と同じでピントはしょっちゅうズレル。だからある程度動きのあるものは、固定でとるのが素人でも定石である。しかし、この作品はずっとオートで撮影していたらしい。前出のハッドはカメラの初心者だから勿論ピントとズーミングを同時にできる技術などない。もうひとつ、余計なことをいうと、室内も、夜の外も、店の灯りも、、そして早朝もすべて同じホワイトバランスで撮っていたのであろうか。この辺になると余計な突っ込みなのかもしれないが、この素人映像という閃きがあったのだからここまで凝って欲しかった。途中で入った夜の電気屋(?)でも蛍光灯による映像の乱れがなかったし、全編を家庭用ビデオで撮影しなかったというところも暴露してしまった。まず、これが映像に関しての感想である。

しかし、この作品に託されたメッセージというのは色々あって興味深い。まず、映像というものの信頼性に関する警告である。この作品は現在進行の映像と撮影者のコメント、さらに回りの人間の言葉によって出来上がっているが、しばしば、映像と言葉か合わないところがある。勿論、脚本的にわざと併せていないのであるが、要するに、カメラり持つ範囲と人間の目の範囲は視野が違うということと、撮影者とそうてない人の視野も違うということである。我々は眼に見えるものは信じるが、それはあくまでも実際にその現場を見たものだけであって、カメラを通したものは既に違う、極端に言えばマスコミやメディアのフィルターがかかったものは既に真実ではないという警告である。今に始まったことではないが、それを、同時進行している「人間の言葉」とシンクロさせて批判したという試みは始めてだと思う。この手法には拍手したい。もうひとつ、これは既に「ユナイテッド93」で使われていたが、同時進行しているものに関しての人間の記憶のいい加減さであり、十人十色な解釈である。今更理科の時間でもあるまいが、人間というのは、眼でみえたものを脳で解析する。つまりは脳には「瞬間」を捕らえる能力と「記憶」を再生する能力があるが、時としてこのバランスが悪くなることがある。脳神経の疾患や症状というのは医学が解明されてここ数年で飛躍的に進歩しているが、同じものを見ている複数の人間が次の瞬間違うものだと判断し、記憶する。これは現代社会の情報供給量の膨大さを皮肉っていると同時に、情報分析力に欠ける人間の絶望を語っている。筆者には今回出てきたモンスターは情報社会って奴が形を変えてきたのだ(だから格好も陳腐だし、かなり行動も間抜けな野郎だった)と思っている。このあたりのテーマに関しては正直、受け止めるものがたくさんあった。もうひとつ、情報ソースが全くなくなったときの人間の行動の愚かさと結末も説いているが、ここになると全部ネタバレすることになるし、かなりな長い文章になってしまうのでここでやめたい。

奇しくも(まさかこの作品が公開されるまで長引いているとは誰もが思わなかったが・・・)、民主党の大統領候補者選びが終着していない中、オパマ氏が指示される中に「サウンドバイト」が影響力を失いつつあることを証明しているが、この作品もそういう意味でのメディア批判のてんこ盛りであるということを筆者的には評価した。但し、映画作品としてではなく、である。巷には続編があるという噂だが冗談じゃない。もし、続編があるのなら、この出来事をちゃんと「ゴジラ」みたいに撮って欲しいと思うだけだ。無論、筆者はあのモンスターじゃ観にいかないが・・・。


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by turtoone | 2008-04-26 22:42 | 映画(か行)

大いなる陰謀

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とにかくメッセージの多い作品だった。その場の台詞やカット毎には良く理解でき、受け止められたのだが、実際作品を観終わった段階で、ではトータル的に何が残っているかというと、鑑賞中に受けたメッセージを集約されたものが何一つ自分の中に残らなかったという珍しい作品鑑賞になった。なぜだろうかと自問自答したことを下記に述べてみたい。

まずは、国民とか世論とかは、もうアメリカには必要ないのかということ。翻って、日本だって重要なことは、一体だれが決めているのだろうか。特に昨今日本でも一番気になるのは「国民は納得しない」とか「国民が怒ってますよ」いう「国民」の大安売り。政治家もマスコミも皆この言葉を使う。政治家に至っては、与党も野党も、場合によっては区・市議会議員のレベルでも言われる。この場合の国民って一体誰をさしているのだ。マスコミに至ってはもっと卑劣だ。とにかく「こんなことでは国民は納得しませんね」っと、国民を出汁にして勝手な議論を振り翳す。これがまだ、討論番組か何かの一コマなら多少は許されるものの、例えば朝のニュース、特に8チャンネルかなんかで国営放送に居場所がなくなり追い出されたKYなオヤジにまで「国民」呼ばわりされると、一体あなたは何様かといいたい。結局は国民ってそういってるあんた自身なんだろうと。しかし、それを平気で公共の電波に流出しているメディアの既に大衆感覚に麻痺している昨今の実情はそれ以上に救い難いのであるが。

そして、日本を理解すれば最近のアメリカ理解できる。欧米と日本の距離感というのは、中世と比べると600年掛かったがやっと同軸で推移するようになった。前述した原因を作ったのはアメリかでは9.11であるが日本ではというと、勿論、小泉政権である。悲しいかな国民の半分以上がその物珍しさから支持・賞賛しつつ、筆者はいかに政策のひとつひとつの検証が希薄で、実現を伴うとは思えない数々の内容に対し色々な場面で反論していたが、直近の老人医療保健改革も含めて、国民は常に政治やマスコミの都合の良い様に使われるだけだ。小泉に至ってはそのシビリアンコントロールの大変長けていたし、こればブッシュがテロに対して自分の都合で敵国を特定したに等しい。「国民の声を反映する」という国民っていったい誰だったのか?要するに、「お前だろう」と言いたい。そして、この米日の国民不在の国家運営は、既に6年間も続けられている。

そういう意味で、この作品が制作された土壌というのは良くわかるし、レッドフォードだからこそ作品化できたということもその通りだと思う。しかしながら残念なのは、伝えたいメッセージを構築するシテュエーションを絞りきれなかったということと、上院議員と敏腕記者の対話のシーンが多すぎたといえないか。筆者は、寧ろ大事なのは、この時代に自らの理想を掲げ、それを実証するために戦地に赴いた若者であるし、同時に、その責任と、学問に絶望した学生を立ちなおさせようとする教授なのであって、その視点からみれぱ、上院議員と記者の会話をカット的に処理するか、そういう「会話の場があった」ということだけで、後は各々をショット的に入れ込めば良かったと思うし、作品が短いのは良かったが、この構成を守りたいのなら説明不足が多すぎて、120分を超えるのは仕方ないが、バックボーンを明確にすべきだった。問題提起をしたにもかかわらず、最終的にあとは自分で考えろという作品の終わり方は納得がいかない。

こういうジャンルの作品は筆者がもっとも好むべき範疇であるが、前述のように、脚本よりも、メッセージありきになってしまった原因は、上院議員にトム・クルーズ、敏腕記者にメリル・ストリープという超大物を持ってきたために、このふたりのやりとりが演技的にも質が高く、また上手いがゆえに面白く、結果、当初の予定からこちらが重視されたのではないかという憶測も成り立つ。単なる会話ではなく、このあたりのシーンは迫力があった。映画の作品のサカ゜というべきか、役者が良すぎて作品の主題がぼやけてしまうというの、何もこの作品に限ったことではないが。

原題にある"Lions for Lambs"は、「愚鈍は羊たちに率いられた勇敢なライオン」という、第一次大戦時にイギリス軍を皮肉ったドイツ将校の名言である。この作品における羊とは勿論野心しかない政治家であり、ライオンは自己の意思を体現する若い命である。レッド・フォードがメガホンを取り、自らも出演してまだ伝えたかったことはここにあるはずなのに、現在の世論に麻痺せられたアメリカ人、そして勿論日本人にも、一体このメッセージがどれだけ伝わったかが疑問である。これから鑑賞を予定されている方に、ひとこと言えるとすれば、もしかしたらこの作品は原題だけ深く心に刻んでいただき、作品はご覧に成らない方が良いかもしれない。いつもメルマガを送ってくれる20世紀フォックスには申し訳ないが、残念ながら筆者はそう思う。但し、政治家の戯言やマスコミの横暴にこれからも自分を見失わないという自身がある方は、是非、ふたりの勇敢な「ライオン」を中心に鑑賞して欲しいとも思う。


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by turtoone | 2008-04-20 13:38 | 映画(あ行)
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こんな作品を観にいきたくなる時というのはやはりそれなりに色々と理由があると思うのだが、そういう境遇に人生ってみんなそうなんだよって優しく答えてくれた作品だった。

しかし、贅沢な映画作品だ。ノラ・ジョーンズが歌い、ノラ・ジョーンズが出演しているのだから、冒頭からストーリーよりも、ノラのボーカルとノラの演技(演技よりもそれを見事にカバーしたカメラワークは最後まで見事だったかな・・・)に見入ってしまった。が、ジュード・ロウ。彼は最近素晴らしい役者になったねぇ。彼の演技がそのノラへの凝視を見事に遮ってくれた。そのことによって物語に戻ってこれたというのが本当のところ。正直、数年前まではジュード・ロウって余り好きな俳優ではなかったのだが、最近は良い作品に出ているし、もともと演技は良かったが最近は輪を掛けて演技巧者になってきたね。筆者の中では、トムとか、ディカプリオとかという、もうこの人が出ている作品は絶対に見逃せないという領域に久々に入ってきた男優である。

信じること。至極単純なテーマだが、この作品の根底には「信じる」ということがどういうことなのかを丁寧に描いている。信じられるものとは何か。どこまで人を信じられるのか。自分を信じるとはどういうことか。そんな人間関係の中の基本的なことなのだが、世の中というのは逆に人を疑いだしたら限がない。最初にブルーベリーパイの話が出てきて、そんなにこのパイが売れ残るのかと思いきや、これがこの伏線になって、鍵の話へと進む。もし、パイを食していないのならこの物語、つまりは、エリザベス(ノラ・ジョーンズ)の新しい人生は始まらないのだから、この辺りの展開は単純に見えるが、既にテーマを最初から提示している構成はいきなり手の内を明かすという点では如何にも作品自体に相当な自信をもっているウォン・カーウァイ監督の姿勢が感じられる。

というか、こんなこと色々書いていては限が無いがこういう作品は余り論じるものではないと思うのでこのへんにしたいが、前述したカメラ・ワークが結構気になったのはスチル映像である。
アングルには必要以上な拘りがあった割にはスチルの使い方が安易だった気がする。そう、気がするだけでこういうところは1回の鑑賞では法則性が見出せないし、それよりもストーリー重視で観ていたので中盤以降は殆ど気にならなかったが・・・。カメラといえば監視カメラも気になった。そんなものコレクターしてるなんて 「セックスと嘘とビデオテープ」なのって、一瞬思い出したが、ラストでなるほどあの席にっていうところへの布石になっていたところも、カメラの拘りって部分では脚本全体から拘っている部分を感じた。

俳優も皆良かった。特に、デヴィッド・ストラザーンは「グッドナイト&グッドラック」が凄く渋くて好きだったのだが、また、違った一面を出してくれて、比較的若い出演陣をうまく引っ張っていたと思うし、レイチェルに至っては、出番は少なかったがオスカー助演受賞作よりずっと良かった。

何か特別なものは何もないのだが、丁寧な作品製作と主題の設定に、妙に心に残る作品だった。


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by turtoone | 2008-04-16 00:19 | 映画(ま行)

バンテージ・ポイント

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年に何回かあることだが、筆者の早とちりから思わず作品を妙に違った方向に勘違いしてしまうものがある。この作品もそういう意味では鑑賞前には大いなる勘違いをしていたために、大きな意味で裏切られた。但し、裏切られ方が悪いわけではないから、まぁ作品としては楽しめたというのが、全体の感想である。但し、予め申し上げておくが、評価は余り高くない。

この作品は、果てしなくドキュメントに近いフィクション作品であると勝手に思っていた。事実、事前情報で得た映画関係の雑誌等には、それらしい下りが多かったし、しかも勝手に単館上映作品だと思っていたから、近所のシネコンで観られると知ったときは少々驚いた。だが、長々映画ファンをやっているのなら、キャストを観た段階で「ドキュメントに近いフィクション」であるとは思ってはいけないはずだ。迂闊であった。

但し、作品の構成としては、11時59分58秒からを繰り返すこの方法はある意味で短編集の様な趣向もあり、これはこれで良いと思ったが、但し、時間軸が多少違うのか(この部分はDVDを買って復習しなければ)不自然な繋がりがあった点は歪めない。この方法を取るのであれば、時間軸を象徴する何かひとつの「タイムキーパー」を存在させるべきであった。例えば、折角中継車から始まっているのだから、テレビキャスターの文言をその時間軸の基準としておけば、その「決まり文句」を何度も聞くことによって、鑑賞者は、この様々なポイントがそれぞれどう動き、どうリンクしているかということをもっと明確に分かったはずである。勿論、この表現法でも、作品自体が複雑ではないから別に見落としているというものはないが、逆に、そういうタイムキーパーを作ることで、もっと見落としがないかという臨場感を鑑賞者に味わってもらえる効果を作り出せたはずだ。この点は大変残念である。

それから、ラストへもっていく流れの中で、それまでの内容を全部払拭してしまう展開はどうなのかと思う。簡単に言えば、カーチェイスのことだ。なんだ。これがやりたかったのかっていう伏線は、ハワード(フォレスト・ウィッテカー)が家庭ビデオカメラを撮影しながら追跡する辺りでお決まりになりそうだって分かってしまうんだが、まだ、このあたりではドキュメントっぽさを残していたのに、やっぱり最後でここまで積み重ねたものを全部投げ出してしまったと思う。この点は残念だし、もっとうまい繋げ方はなかったのかと、今現在では筆者にも浮かばないが、これも後で復習の楽しみとして残しておきたい。

筆者的には、デニス・クエイドが良かったかな。このところ何か代表作が無かったし、筆者的には「エデンより彼方に」以来、何かピンと来るものがなかったのと、作品には出ているのだが日本未公開が結構多かったので、彼がスクリーンに出てきたときはシガニー・ウィーバーと同じように驚いていたと思う。あと、前出のウィッテカーは良かった。あと、「ミュンヘン」に出ていた、アイェット・ゾラーが出ていて、中々目を引いてしまう素敵な女優さんだと思う。

前述したが、折角中継車が入っていたのに、ここからの展開がなかったのも残念。勿論ストーリーとしては悪くはないと思うので、ドキュメントタッチ版「ボディガード」とでも言えばよいのであろうか。筆者的には見事に裏切られたが、ドキュメントも娯楽も好きな人には、実は1本で2倍楽しめる作品なのかもしれない。


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by turtoone | 2008-04-13 23:55 | 映画(は行)

ノーカントリー

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今年度のオスカー作品賞。但し、2年連続、オスカーは何を基準に作品賞を選んだのかという疑問だけが残った作品鑑賞であった。

9.11以降、アメリカは何を基準に何処へ行こうとしているのかが本当に不明瞭に成ってきている。昨今の大統領候補選びもそうだ。民主党といい共和党といい、勿論候補者を選ぶ合衆国民が、国家になにを求めているのか、また、それ以前に自分たちが何を要求したいのかが分からない。しかし、これは何もアメリカだけではなく、昨今のわが国も同じかもしれない。だが重大事としては、本来そういう国家の姿勢に苦言を呈することの出来る人物や組織、団体がなくなってきているということも事実。特にマスコミの体たらくは全世界に共通することだ。映画というのは広い意味でいえば、芸術という部分にも、報道ではないが主張するという部分とメディアということではではマスコミという分類にも入る。少なくとも、その映画の世界での最高峰にある表彰が、なぜ、こういう作品ばかりを選出するのかが全く理解できない。

とはいうものの、作品を否定しているわけではない。こういう作品があっても良い。少なくともその作品の奥底に潜む主張は理解できるからである。前述したが、今アメリカが何処に行こうとしているかの問題点を見事に現した作品だし、それは暗に今に始まったことではなく、1980年に始まったことであると言っている。この時代設定は無視しても構わないと思うが、この年代を重視したほうがこの作品化はより理解できる。特にモスの行動である。200万ドルという大金を冷静に処理するかと思えば、思ってもみない行動に出る。しかし、それはベトナムを戦った男のその後の時代では全く無意味になってしまった誇りである。そして二人の追う男がいる。一人はユーモアを持たない男である。アメリカ人に本当の意味でのユーモアがなくなったのは何時からだろうか。そう、丁度この時代に関わってくる。世界の頂点に立っていたアメリカ。世界で最も強かったアメリカは、1979年にロシアにアフガニスタンに侵攻されその面目を失うこととなる。中東にも多くの火種を抱え、もはや、第2次世界大戦終戦の頃からの勢いは全くみられなくなった。ユーモアをなくした国、それが今のアメリカであり、その起源は丁度このころである。さらにもう一人の追う男こそ、昔ながらのアメリカである。恐らく、南北戦争以降ずっとこの場所を統治してきた一族の末裔である。自由の国アメリカで一番似合わないもの、実力の国アメリカに一番必要でないもの、それは世襲である。そして、それがもうこの時代には通用はなくなっている、こんなアメリカのど田舎でも通用しなくなっていることを主張している。この特異な3人の人物をうまくバランスさせることで、作品を見事に構築した。

もうひとつ、今回はネタバレスレスレで言わせていただくが、この3人の物語からの「消し方」に興味がある。そう、この3つとも「消却」してしまわなければ、これからのアメリカは無いという風刺が込められている。モス、シガー、ベル保安官の順番で前述解説したそれぞれの役割は、この物語にあるように「消えて」いかなくてはならないというのが、この物語を通して主張されたアメリカの将来への提言である。武器や戦争はいらない、ユーモアを取り戻せ、そして権威は自ら捨て去れというのが、コーエン兄弟が提唱するアメリカの道標であろう。この辺りの流れは一方で呆気なく思われるシーンもあるが、どうして作品全体を通して考えると可也深い。

但し、冒頭に述べたようにこういう作品をオスカーに選出した意味は全く分からない。作品として出来が悪いといっているのではない。沢山ある作品の中ではこういうものもあっても良いし、奥底にあるものを考えると高く評価をすることも出来る。しかし、これが年度を代表する作品だということには可也問題があると苦言を呈しておきたい。本当にここ数年、いや、極端にいえば、筆者は2001年「ビューティフルマインド」を最後にすべての作品がその年を代表するとは思えなく、納得していない。もうひとつ、ハビエル・バルデムの助演男優賞も非難する。予告編を観て「海を飛ぶ夢」以上の演技を期待したが、全くもって外された。勿論彼の演技は好きだし、今回の太りっぷりといい、髪型といい役作りは工夫が見られるが、これでは、ジョージ・クルーにーとシャー子さま、レネーと同じ「太ったデ賞」でしたないではないか。はっきり申し上げ、ケイシー・アフレックの方が上であった。そう、ケイシーで思い出したが、これだけの人と人とが関わる作品なのに、「ジェシージェームスの暗殺」のような心理戦が殆どなかったのも残念。その辺りが加わるともっと評価も上がったのだと思う。

筆者的にはラストの2シーンにやたら注目。子供のシーンと保安官の夢。シガーが去った直後の子供の会話には注目して欲しい。そして、保安官の台詞が案じるアメリカの未来にも。但し、ここも、最後で問題提起に長々係ったことを一気に纏めに入った、というか慌てて纏めたという印象だけが残ってしまった作品になった。要するに、この作品はモーツァルトの「レクイエム」やシューベルトの第8番交響曲を高く評価しているようなものである。ちょっと例えがまずいかな??


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by turtoone | 2008-04-06 22:45 | 映画(な行)