暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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<   2007年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

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TDR(別に東京に限らなく全世界にあるディズニーランド)のアトラクション「カリブの海賊」を始めて体験した時に一体だれがこの超大作シリーズを想像できただろうか。「ID4」の超大型宇宙船をある朝、空一杯の雲からイメージできたローランド・エメリッヒの様に、この世界は新しいことを想像できる者は大成功する。パリレーツの最新作は、1作目とも2作目とも違う、そんな映画界に生きる人間の限りない想像と創造の底力を十二分に味わえた作品だった。

正直、ジョニ・デのコスチュームやキャラに圧倒された第1作。テーマパークのアトラクションの様に次々と展開し、しかも笑いの取れた第2作と、それぞれがシリーズ物には違いないが、一方でそれぞれのテーマと方向性を煮詰めた製作された期待の最新作は、前2作とも違う、「海賊とその世界」に只管拘った製作コンセプトを持っていた。しかも、流石にディズニーだと思うのは、それを娯楽大作としてこなしてしまうところであろう。特に、映画ファンになら誰もが思い出してしまう他の作品との意味のない連繋、沢山出てくる幻影のジャック・スパロウとウンパ・ルンパ、海賊の親分の集合はジェダイの会議(残念ながらヨーダがいないが)の様だし、一番ディズニーっぽかったのは、カリプソの変身。あれはどうみたって実写版「リトル・マーメード」であり、「真実の愛など無い」なんて叫ぶのかと思った。そして蟹になってしまった時、やっと、ああそうか、死の世界で舟を動かしたのは誰だったのかが分るし、ターナー父の台詞で、結末は見えてしまうんだが、妙に冒頭のコインを落とした少年が引っ掛かって、この連繋は何なのだろうと悩んでいる内に、次のシーンへと。2作目のエンドロールの後のシーンも引っ掛かっていたら、一番いいときに出てきましたなあのわんこは。それと、今回安心して観られた要素はなんといっても、バルボッサでしょう。筆者がジェフリー・ラッシュ好き(勿論ジョニデも)というのもあるけれど、なんと、味方としてこれだけ心強い男っていない。又、ディヴィ・シ゜ョーンズがなんとも前作と違って可哀想に思えたのは筆者だけか。(いや、実は前作も気持ち悪いと思っただけで憎らしいとは思えなかった。) そう、怪物が退治されるシーンはなかったけれど、前述したカリプソのシーンで思い出した「リトル・マーメード」のアースラーの様に退治されたんだなぁと、同じ蛸だか烏賊だか分らない化け物だけに妙に後から納得したり。実に良く出来ている作品である。

そして、少しだけだが、資本主義へ移行する世界の動向を皮肉っている。東インド会社は世界で最初の株式会社であることは世界史を習った人間なら誰でも知っている。当時の流通業として海運が経済と国家の存亡に大きなキャスティングボードを握っていたこともしかりである。銃や刀や武器だけの戦争は既に終わっていて、紀元前に領土を拡大するために侵略が行われた方法がそろばんに変わっただけで、人間の欲というのは相変わらず変わらないものである。そんな欧米民族の限が無い征服欲から比べると、海賊なんていう存在はとても可愛くて、ずっと人間的で、また愛らしい。「掟」があり「掟」から外れないことがどれだけ大事なことか。海賊から学び、現代の資本主義社会、文明社会を反省ことは多い。しかし、それを前面に押し出しているのでなく、あくまでも「大衆娯楽作品」として、風刺しているところがこの作品の価値なのである。

サブタイトルによるとこれが最終作品なのだろうか。冒頭に書いたが、筆者にもっと創造力があれば、これだけのドル箱作品をみすみす終わりにしてはならないので企画提案したいのだが・・・。キース・リチャード(いや~泣けましたね。ジョニ・デが最初に役作りの時、彼をイメージしたというが、まさか本当に出てくるとは・・・ギターも爪弾いてしました、感激です)も出てきたことだし、ジャック・スパロウの父の時代の海賊モノって絶対アリだと思うんだが。


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by turtoone | 2007-05-28 01:27 | 映画(は行)
b0046687_13102524.jpgヒロインの役は宮崎あおいがやっているが、本当はもっともっと子供みたいな想定だったのだと思う。どうみたってあおいちゃんでは髪がぼさぼさで、妙な服を着ていて、また成長ホルモンが足りなかったとしても、そんじょそこらの女子大生よりは可愛い過ぎる。だが、映画作品としてはあおいちゃんに対する気持ちを感情移入出来てしまうから、終盤は涙・涙のオンパレードになれる。そんな作品である。

純愛モノが流行っているが、愛とは純粋な気持ちなのだから、何かと、「純愛」なんて区別をする必要もないと思っている。またならば「偏愛」って言うのが純愛とどう違うのかっていうのも、当事者は兎も角も、人様がとやかく言うことではない。人間誰しも自分が大事であるし、自分が大事だと思わなければいけない。しかしその「自分」を形成していく構成要素の中に、人や物を愛する、大切にするという気持ちがどの程度あるかによって、その人間の度量が違ってくるというものだ。簡単な言葉でいえば「許容力」というのでもあろうか。愛というカテゴリーは、その構成要素のひとつになるものというよりも、もっと純粋な「感情」であるし、要素ではなく、その要素から発せられる結果でもある。だから、「愛」の解釈は人それぞれであるし、経験則が少ない内は、自分の表現の仕方、相手から発せられるメッセージの受け止め方は脆弱であり未熟である。
この作品が、その「純愛」というカテゴリーの中で強調しているのは「滅私な愛」である。そして、どう考えても、ヒロインの感情はそのことで尽きても良いという見方を変えれば「異常な行動」である。つまりは、みの論法で行くと純愛は異常行動を引き起こすということだ。勿論、この「異常」という言葉は悪い意味で使っているのではない(良い意味としても使っていないが)。そして、「愛」を否定するつもりは無いが、「愛」だけでは残念ながら人間は生きられないし、だからと言って愛が悪い訳ではない。「人間力」を高めるために
「愛」は不可欠なものであることは間違いない。

ご存知の様にこの作品は堤幸彦監督作「恋愛寫眞」のアナザーストーリーである。筆者はこの作品を見ていないから終盤の展開は涙オンパレードになったが、この辺りが純愛モノとして再生された効果であると思う。そそう考えると、最近の純愛作品ブームの根源は「泣きたい」というところに帰着するのかもしれない。日常で「泣く」ことが少なくなった、それは日本人のある種の美徳のひとつとして感情を表に出すのは相手に失礼だとされることの慣習とは別に、やはり感動がなくなって来ているのかもしれない。感動とは、43インチ画面の向こう側の特別な人たちが作り上げたものであって、一般の日常にあるものでは無いという勘違いと、感動できない心の貧困の相違ない。しかし、そういう意味では、この作品を「純愛ドラマ」と定義づけるか否かは兎も角、こういう感動は日常の身近なところで有り得る現象なのだということを気づかせてくれるのには大きな効果があると思う。こういう「感動の工夫」は大歓迎である。

宮崎あおいは本当に良い女優である。松嶋菜々子、仲間由紀恵と継承されている清純派女優路線を継ぐのは彼女であることは間違いないし、演技力からみても前述ふたりよりは素質が違うのだから、是非そうなって欲しい。勿論、この作品は、少女漫画のヒーローよりも格好良い、玉木宏の効果も大変大きいのであるが。作品の良し悪しで評価をするのでなく、こういう映画を観るのも良いと思った一本である。


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by turtoone | 2007-05-06 01:02 | 映画(た行)

ゆれる ~新作DVD~

b0046687_23455683.jpgこの作品は中々骨太の気合の入った作品だ。邦画で気合の入った作品というと、筆者の中では、「復讐するは我にあり」とか「太陽を盗んだ男」とか「楢山節考」とか、要するに20年以上も前の作品なのだが、今それらを観てもどうかは良くわからない。観た時期というのが自身も血気盛んな上昇気流に乗っていたという事があるのかも知れない。最近はコンサバなのかもしれないが余り邦画で気合の入った作品に出会った経験がないから印象が残った。

男二人兄弟というのは、筆者にとって全く想像もつかない環境である。筆者には妹がひとり、又子供も女二人姉妹なので、全くといって経験則が無い。ただ、男ふたりだったらどちらが良いかと尋ねられたら、即座に「弟が良い」と言ってしまうだろう。別に兄貴が欲しいという訳ではないし、何故だか分らないが、弟が良いと思う。下が妹だとしても現実に「兄」であり、そういう意味では兄に飽きたのかもされない、因みに家内は長女で下に弟がいるから、余計なのかも知れない。

家族に、中でも実は最も心を許せる存在というのは兄弟である。どんなに厳しくもなく、怖くもない親だったとしても、親というものは基本的に立場が全く違う。少なくとも友達にはなれない。しかし、兄弟というのは、時として色々な存在と化してくれる。特に昨今、日本では兄弟の数が少ないから余計である。昔のように、兄弟が5人も6人もいれば、不思議とそれぞれの役割というのが決まってくるのは。集団生活の慣わしで、人数が多ければ多いとほど役割というのは細分化される。それは企業でも同じで人が集まるというのはそういうことだ。しかし、一方で兄弟の数が少ないとその役割は増える。と、同時に○○の~という決め付けがされやすくなるのも事実。この兄弟もそうであるが、兄弟が6人も居れば、例えば同時に学期末で通知表をもらって来たとしたって、「誰が一番良くて、誰が一番良くない」くらいで間の4人は余り注目されない。しかし、二人だと(二人とも学年トップなんて兄弟は稀にしかいないから・・・)顕かに出来る子と出来ない子に分けられてしまう。そんなものだ。

そして兄弟というのは簡単に分りあうことが出来る反面、簡単に甘えあい、簡単に傷つけあうことが出来てしまう。ついさっき尊敬し誇りに思っていた者を、次の瞬間嫉妬と憎悪の固まりになる。それが兄弟間の間だけで済んでいた時代から、今は少子化、そして中には一人っ子もいるから、その対象が兄弟以外の外の者に向けられ、結果的らそれが発生する悲劇は、成るべくしてなったこの国の犯罪の種子である。ただ、この弟の最終的な決断は、それまでの揺らいだ兄弟関係に終止符を打とうという強い意志であった。裁判という法の裁きでなく、人として人が裁くという事、これが当事者にとって本当に正しいことかどうかなんて、人生の最期の時を迎えても分るものではない。そういう意味では弟の行動は筆者には残念ながら理解できない。敢えて言うことができるとすれば、穿った見方かもしれないが、自分に降りかかる積年の呪詛を兄を介在にして取り放ったとでも言うのであろうか。吊り橋のやりとりがどう見えたかではなく、どう見たのかがこの作品の大きなポイントであり、その「どう見えたかという種」は自身の行動による自責の念が一番強かった筈であるからだ。邦画がこういう作品を作ると上手いと思うのは、実は、この国の民族の根底に脈々と流れる共通の血潮なんだと思う。言い方を変えれば「泥臭い」って奴だし、こういう作品を筆者は歓迎する。

しかし、ひとつ気になり、且つ感心したのは、8ミリカメラテープに「昭和55年」という表記の映像があるが、この時代に8ミリ撮影しているのは相当な通だと思う。筆者の記憶では確かにまだ高額だったけれどビデオカメラがそろそろ出回っていたし、相当な動画好きだった伯父も、もうこの時代には8ミリの「テープが手に入らない」と、撮影を止めてしまっている。従兄弟も殆どが成人していたということも関係があったかもしれないが・・・。序でながら、あの中途半端な重量で持ちにくいカメラであの程度の手ぶれで取れるのは、お母さんの腕前は大変なものだと思った。


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by turtoone | 2007-05-05 23:47 | 映画(や行)
b0046687_22232642.jpg世間は黄金週間であるが、やりかけの仕事が山積しており、例年のように遠出をすることも出来ないし、それどころか日中2時間纏まった時間もないので、最近観損ねたり、もう一度観たい邦画作品を友人のtrapから借りて鑑賞することにした。

この作品を鑑賞前は、結構どこにでもあるサクセスストーリーだと思っていた。常磐ハワイアンセンターというのは、まだハワイが3泊5日で59800円なんていう超格安な時代ではなく、仮に行かれたとして、滞在ビザの取得が必要だったり、ワイキキの一等地に宿泊できなくてもひとり30万円は下らなかった時代に、手軽にハワイ気分に浸れるということで注目された、わが国ではテーマバークの草分け的存在である。ただ、当時、その存在を知ってはいたが、筆者の周りでは余り、ここに行ったという話を聞いたことはなく、何故か、夏休み前にここに行くといっていた友人が、夏休みが終わっても自慢するでもなく閉口していた傾向があった。所詮、偽者は偽者で、そういう言い方をしたら失礼かもしれないが、東京ディズニーランドに行くのとは訳が違う。子供でも本物とそうでないものの違いを分けることは出来るのだと思ったのが、70年大阪万博に行ったときと、カリフォルニアのディズニーランド行ったときである。そんな体験があるから、この作品も然程興味がなかったし、俳優さんにも魅力を感じられなかった。

筆者がこの作品を敢えて観ようと思ったのは、「69」を撮った李相日監督作品だということが最近分ったからである。「69」は、ご存知村上龍の1969年全共闘佐世保事件関連の自伝作品であり、この作品を執筆から随分時間がたって現代に作品化した意気込みと、その映像センスに惚れたのである。だから、そもそもは村上の始まり、李監督、そして本作品と、その流れがなかったら絶対に鑑賞しないパターンである。前述したが、「どこにでもあるサクセスストーリー」では無い期待が生じたのであろう。この作品で注目すべきは、炭鉱と娯楽という新旧入れ替わりの町の描写を、ドキュメントぽくなく扱った部分にある。日本が自由主義国家として成熟していく中で、その基盤を支えてきたのは炭鉱である。それも世界の国々に比べてこれだけ短期間に発展から閉鎖までが興亡があった国も珍しい。それだけ日本は欧米に追いつくために国民を上げて国力のレベルアップに努めてきたのである。この映画作品を観て、こんな感想を持つ人間は殆どいないと家内にも言われるが、筆者にとってはその国策の名残が、観光に変貌していく時代の流れと、一方でその悲哀を必要以上に感じるのである。だから、この作品の中ではトヨエツに一番感情移入できたのであり、だから、この作品は邦画としては高く評価ができるのである。

もう少し、キャスティングに魅力が欲しかった。松雪や蒼井が悪い訳ではないが、少し偏屈かも知れない筆者の前述した思いに応えられる演技力をもった俳優ではないからだ。前述したように、このテーマパークは所詮、偽者。その偽者を作品内でも描写したいわけではないのだから、本物の見せ掛けで無い演技力が欲しかったという高望みかもしれない。日本という国を背負っていた炭鉱への最低限の敬意だと鑑みるからだ。


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by turtoone | 2007-05-04 22:24 | 映画(は行)

クリムト ~新作DVD~

b0046687_22242614.jpgクリムトというと思い出すのが、昨年だったか、史上最高値で、彼の作品「アデーレ・ブロッホバウアー1」が売却されたことであろうか。実際、偉大なる画家グスタフ・クリムトの物語であるが、彼は生存中にその才能を認められた数少ない幸運な画家という言い方も出来る。又、クリムトというとやはり「エロス」という単語とは無縁ではいられない。考えてみれば映画作品の画家モノも結構多い。しかし、大体が芸術家なんていうひとたちは、ハチャメチャな人生を送っていて、その生涯がそのまま芸術みたいな人ばかりである。筆者なんかもも若い頃は芸術家っぽく振舞ったりしたことがあるが、本当の芸術家ではないからどこかで常識に填まってしまって結局偽者だって自覚してしまうのである。だが、筆者の周りには、やはり芸術家っていうのが何人か居て、勿論、こんなクリムトの時代と違うから、それなりに食うに困らないでやっている輩も居たりする。でも彼等に共通していることといえば、やはり常識という枠には絶対の填まらないという事である。

ところで、この作品は「クリムト」の一体何を描くのか、公開の時から気になってしまったが、それも良く分からない内に見逃した。というか、筆者が知っているクリムトは、筆者の感覚では全く理解できない後期印象派の作品の数々と、もうひとつ、人間クリムトという部分では、最愛の弟、エルンストを若くして亡くしたことと、何といっても、ウィーン大学大講堂の天井画の『学部の絵』である。この天井画は『哲学』、『医学』、『法学』の3部からなり、人間の知性の勝利を表現するという依頼者の意図を全く無視し、これら3枚の絵は理性の優越性を否定する寓意に満ちたものを製作することで、後々までにも大論争を引き起こした。つまりは、筆者の知っているクリムトというのは、そんなにストーリーにするのに面白い人物ではないということであった。前述したエロスというキーワードもあるが、芸術なんて所詮、エロスも求めるものの中のひとつの選択肢で、自画像を書かない画家はいても、裸体を書かない画家はいない。そんな、クリムトに対する大きな期待と誤解が入り混じって余り良い鑑賞にはならなかったのかも知れない。映画作品としても、芸術家としての想像力の一端を表現することに成功したが、物語としの繋がりは良くなかった。

ところで、ジョン・マルコビッチであるが、驚いたのはクリムトに良く似ているということ。この俳優は個性の強い人で、余り役作りはしない人なのかと今まで思ってきたが、それは大いなる誤解だったのかも知れない。この演技で観る彼は、随分アクが取れ、年齢と共に渋さを増してきた。但し、奇妙な俳優だけに、これも演技だとしたらやはり恐ろしい。又、画家の作品だからかも知れないが、美術は良かった。特に前半で全裸のモデルが何人も天井から下がっている布のブランコに乗っているシーンなんて、何とも美しい。そう、完成品の絵画から想定した創作現場は見事であった。こんなシーンばっかりなら良かったんだが。

彼が出ているので作品の合間合間で「ジョン・マルコビッチの穴」に通じるものを感じてしまったけれど、考え過ぎの様で・・・?


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by turtoone | 2007-05-02 23:25 | 映画(か行)