暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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バベル

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作品タイトルが「バベル」とあって、勿論これはバベルの塔のことを指す以外に何物でもなく、その旧約聖書にある「バベルの塔」の話の内容は、アダムとイヴのエデンの園と同じくらい聖書を知らない人でも知っている話である。この作品はタイトルが「バベル」であった分、相当得をしたと思う。当たり前のことであるが映画の作品名は大事だと思う反面、昨年のオスカー作品賞「クラッシュ」と色々な意味で比べながらの鑑賞になってしまった。逆の言い方をすると前述は嫌らしい褒め言葉であり、もしタイトルが「バベル」でなかったら、一体、この作品って最終的に何が言いたかったのかという部分も消化不良で終わっていたに違いない。そう、タイトルに助けられた作品なのである。

この作品のレビューというのをネタバレしないで書くのは大変難しい。だから以後はひとりよがりな文章(いつもそうか・・・)になってしまうと思う。この作品で関心したことが幾つかあって、まずは時系列の整理である。この手の作品では多いのが、時系列の順不同である。しかし、この作品は可也前後はするものの非常に上手く纏まっていた。そのひとつの理由はまず、ひとつひとつのシーンの時間配分になるのかもしれない。ひとつひとつを然程引っ張らなかったが、逆の言い方をすると、ひとつひとつのシーンに余り重要なメッセージを残さなかったともいえる。それから、本来なら必要以上に引っ張りたくなる部分(例えば、ケイト・ブランシェットの手術のシーン)で、次のシーンに切り替えたり編集も上手だった。次にロケハンが良かった。特に、東京の街のロケハンは最高に良かった。ただ、決して偏見でなく、聾唖の人たちがああいうことを求めているのかは日本人の自分の日常としては考えられなく、一高校生の行動としても、菊地の取っている行動は理解できる範疇ではない。ロケハンの話に戻れば、モロッコやメキシコは分らないが、やはりきっとこちらも良い場所を見つけたのだと思う。同時にカメラワークも良かった。特に、射撃されたバスの中での撮影は、良くあんな狭いところで撮れたし、そうでないところで撮ったとしたら、余計にその臨場感を伝えるところは見事だった。これは、昨年の「ユナイテッド93」にも通じる。そして、もうひとつが音楽。この作品の見所として、4箇所の同時撮影というのが売り物だったが、ロケハンが良かったものの、物語としてそれを感じられるものは少なく、一番その違いを感じることができたのは音楽だ。但し、ひとつ残念なのは、東京のシーンで、日本を感じさせられる音楽ってのはないのかなぁと、ディスコティックでも古いミュージックしかかからないとは残念だ。ゲーセンのシーンでは倖田來未かなんかがかかっていても良かったのではないかと。

良かった点もあった一方で、理解できない点が多かったのも事実。特に、東京が選ばれた理由。そして、その設定も分らないし、それを無理やり結ぼうとしたことも良く理解できない。筆者の立場として、ひとつだけ接点を作って考察するとしたら、それは父親としてである。父としてそれぞれの事件を考えると、例えば猟銃を子供に持たせなければならないという境遇。年頃の娘を分ろうと努力して、しかし仕事などで実行できない現実。妻の心を癒すための旅行へ来たものの一方でふたりの子供たちをベイビーシッターに預けているのがごく普通な白人社会。それに、直接父親とは関係ないが、そのベイビーシッターが最愛の息子の結婚式出席のために仕方なく預かった子供を連れ出し国境を越えなければならない不法入国者の母。このどれもがそれぞれ今世界のあらゆる地域で起こっていて、何も、誰も疑問を持たず、日々運行している事柄である。しかし、一旦、何か事が起こってわかるように、これらは本来人間としての営みとして果たして良いことなのだろうかという疑問だ。猟銃事件もコヨーテを撃つための猟銃が人を撃ってしまうように、それは猟銃に違いはないのである。ふたりの白人の子供のベイビーシッターがしたことが本当に悪いことであろうか。その辺りの問題定義は良かったのであるが、やはり、それらを連繋させる「何か」が足りなかったために、やはりこれも、NHKスペシャル世界同時ドキュメントになってしまったのである。昨年の「クラッシュ」も、それぞれの問題定義の観点が良かったのに、これらを繋ぐ要素が希薄だった。この作品は、多分、家族がそのキーワードだったのであるが、繋ぎ方を間違えたのである。冒頭に書いた作品タイトルが、唯一、このそれぞれの物語を繋ぎとめることの出来たキーワードであり、結果的手段になってしまったのは残念だ。

「バベル」は、言語が同じだと人間は悪いことをするからと神が言語をバラバラにして分らなくしてしまい、人間は地球上のあらゆるところへ分布してしまったが、それ以降の長い年月の間で、人間は言葉だけでなく、お互いに心を合わせるということまで失ってしまった。最小単位の家族という中でさえも。と、ここまで言いたかったにしては、物語の構築が甘かった部分は顕かである。この物語の唯一の救いは、ヘリコプターのシーンでブラビが別れ際に世話になった男とのやりとりがあり、モロッコの男の態度とブラピの表情に、人間としての希望を感じるのは筆者だけでないことを願いたい。


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by turtoone | 2007-04-30 22:42 | 映画(は行)
b0046687_9284055.jpg昨年冬の公開作品であったが、DVDを観なおしてレビューを書きたかった。そのタイミングとして「クィーン」の直後というのも、筆者としては色々な意味で英国に向いていたので効果的ただったと思う。ヨーロッパの歴史、取分けイギリスの歴史は大変分りにくい。特に、日本人からは実はヨーロッパというところは最も理解できる範疇の外にある。その大きな要因を占めているのが、民族と宗教である。日本は(一応・・・)単一民族であり、宗教に関しては神道と仏教がある。民族の争いがあったわけでもない。又、宗教といっても、唯一絶対神ではない。このふたつの人間精神の骨格を形成する要因の違いは大変大きい。筆者がヨーロッパ人を理解できない根本がここにある。そして、ヨーロッパに対して日本人が大きな勘違いをしているのは、歴史教科書と観光である。世界史の歴史教科書は、所謂受験用のものであり、その本質を記述してあるかに関しては残念ながら乏しい。また、高度成長期以降、懐が暖かくなった日本人はヨーロッパへ大挙して観光へ出かけ、ルーブル美術館やトレビの泉などを見て、ヨーロッパのを知ったという勘違いを起こした。そのことが悪いとは言わないが、それらは上っ面のもてなしであって、入国で揉めたり、財布をかっぱらたりしない限り、その国の本質は分らない。

しかし、イギリスというのは、この理屈からは理解できないが、いつも言うように「島国」という地理的条件で、わが国とは共通点が多く、つまりは、日本人がヨーロッパを理解するには、この国の歴史と現代を分れば、それがとしも近道になるというのが筆者の持論である。(何度も書いて申し訳ないが、余り発想力が乏しいもので・・・) だが、イギリスで言うアイルランドに当る日本周辺の国家や地域は全く該当するものが無い。だから、長いアイルランド史においても、また、この作品の時代、つまりは一般的に「イギリス併合時代」と言われている時代も、更には、自由国と共和国に分かれて以降の歴史も、筆者には全く理解できない。なので、この作品も、もっと本質的にこの国のことを分っていれば今以上に細部が分るし、(正直、日本人の感覚では分らない台詞や単語が幾つかある)、さすれば多分、評価ももっと高かったと思う。残念ながら、筆者の持つ「島国理論」でも、この地域の、(極東の人間として)難解かつ複雑な歴史とその上に語られた物語の主題を十二分に理解することは出来なかった。

ただ、一方で映画作品として高い評価を与えられるのは、この作品の設定にある。つまりとしても分り易いのが、主役に兄弟を持ってきたことである。普通の兄弟である。一人はアイルランド義勇軍のリーダーであり、弟は優秀な医師である。しかし医師になる筈が、友人の残酷な最期に遭遇し、義勇軍入りをする。そして、この二人がその後、イギリスとアイルランドの間で合意された「英愛条約」を機会に袂を分かつことになる。これ以降、アイルランドは、条約によりイギリス連邦下のアイルランド自由国が建国されたが、アイルランドを分断することになった条約が批准されると、国内のナショナリストたちは条約賛成派と条約反対派に二分され、両者の間には内戦が発生し多くの犠牲者を出した。この民族主義者間の分断は現在のアイルランドの政治にも大きな影響を与えている。1937年にはアイルランド憲法が公布されエールと国名を変えた。そして、特筆すべきは、第二次世界大戦には度重なるアメリカからの勧誘を断り、中立を維持したことである。テッドとデミアンの二人の兄弟で言えば、彼等は、条約差賛成派と反対派に分かれている。そして最終的には争い違う道を行ったが、その功績と思いは民族に継承された。憲法の公布、大戦への不参加は、彼等兄弟が切実に願った歴史的結果だったのである。この兄弟を軸としてアイルランド史を見ると大変分りやすい作品なのである。構成、コンセプトの勝利である。又、それを必要以上に重視させない効果として、ダンという人物をうまく使っている。彼こそが、彼等兄弟より前に、民族のために戦ってきた人間である。この人物を兄弟の間にいれることによって、この作品そのみのからドキュメンタリー性を取り除くことに成功した。

映画作品としては、例えば、音楽(主題歌は良かったが・・・)とか、撮影、さらに編集に拘って欲しい部分もあり、それが秀逸なら更に高く評価できたかも知れないが、個人的には大変支持したい作品である。DVDを購入して、もう4回も観たが、まだまだ細部は観落としていて、勿論この作品だけでこの時代のアイルランドを理解しようなんて所詮無理な話であるが、やはり分らない箇所が多い。

ただ、作品の最後に余計なテロップ、つまりアイルランドはどうなったかとか、北アイルランドにも触れていなかった点は大変高く評価する。この物語はただ歴史を追ったのでなく、歴史に翻弄された二人の兄弟の話だという製作者の誇りを強く受け止めたからである。


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by turtoone | 2007-04-27 23:45 | 映画(ま行)
b0046687_23581754.jpg終戦後60年を越えてからというもの、大東亜戦争に関する色々な新しい記録や解釈が堰を切って溢れ出てきたと思うのは筆者だけだろうか。まるで戦時中の大本営発表の虚偽通達が戦後も続いていたように、長いこと我々はこの戦争に対しての様々な封印に、間違った解釈をせざるを得なかった。必用に掲載を拒まれた戦争歴史の教科書表記、東京裁判にかかわる膨大な映像と資料、靖国参拝の公人・私人問題の是非、更に、実際にこの戦争が当時どのように決定されたかという御前会議の詳細に関しても、敗戦が決まった直後から21世紀になるまで、殆どと言って重要なことは公開されずに来た。だから、この作品に関しても、所謂、「父親たちの星条旗」と2部作であり、日本からみた「硫黄島決戦」という日米の比較論にたつのでなく、当時、敗戦が濃厚だったにも関わらず、何故この地で尊い若い生命を落とさなくてはならなかったかという反省を、アメリカの映画界から痛烈に突きつけられたという戦争総括に立たなければならないと思う。そういう点で、この映画作品に関わること、例えば、当時の戦場の考え方やから始まり、その戦争総括という意味あいに於けるまですべてに関して、日本はやはりアメリカの底力には到底適わなかったという結論がくだされる。だから敢えてここでは「父親~」との比較論は記述しない。

筆者の持論として日本の封建精神が完全に幕引きされたのは、大東亜戦争の敗戦だと分析している。事実、この戦争前迄に残っていたのは、尊王だったり、特攻とか玉砕という「滅私」な理念と風習であった。この精神の根本となったのは、封建制であり、一方で19世紀の後半に体制は武家から朝廷に戻ったものの、実際の運営はそれ以前に下級武士と定義された層であり、彼等がその政治的権威を掌握するためにはどうしても朝廷という「錦の御旗」が必要なのであった。新憲法で象徴天皇になった訳ではなく、既に明治憲法時代から、天皇とは象徴でしかなかった。しかも、2回の大国との戦いと世界大戦を経て、欧州に遅れること2世紀たって、軍部というものがこの極東の国でも政治介入をするようになった。つまりは、国力の一極集中として利用された天皇の権威と、その手段として封建精神は残された。もっとも、封建制度とは土地が介在し成り立つが、ここには地べたは関与していないから、封建という言葉は厳密に言うと間違っているかもしれないので、敢えて「精神」という言い方をした。同時に、この作品にみ一部出てくるが、最後の決戦を控えた兵士たちがひとりずつ洞窟の中の小さな社に参拝をしているように、天皇は神道の神にも直結している存在であった。大宮で製パン業を営んでいた本当の一般民に代表される全日本国民の共通観念として、この「神」は存在し、同時にこのような一般民まで日本の果ての硫黄島に送り込むしか無い状況下でも戦争を止めざるを得なかった理由は、最早、世界に対する面子とかではなく、暴走させてしまった尊王体系と封建精神の融合を国内部で止めることができなかったに違いない。そして前述したが、この戦争が外圧によって終結したように、我々の戦争に対する真実の解釈も、まさに映画という側面ではクリント・イースト・ウッドの「外圧」によって覚醒させらられたのではないか。我々はもっと戦争の真実を、平和憲法を掲げている国民の誇りとして、探索し研究し、そして二度と犯さないと自信を持って言える基盤を作らなければならないのである。

映画作品に戻ると、イースト・ウッド監督は「ミリオンダラー・ベイビー」から以降、彼のテーマとして「人間の尊厳」があると書いて来た。本作品でもそれが全編に語られている。特に、ロス五輪金メダリスト、バロン西陸軍大佐(この映画では中佐だが、殉死したので格上げになったと推測する)の負傷した米兵に対する行動にはそれが集約されている。史実では米軍から「投稿勧告」が出されていたのは有名であるが、敢えて、イースト・ウッドは違う観点から彼を描いた。馬術競技のメダリストという点がこの人物自体を、カウボーイでもあるイースト・ウッド自身に印象的に写ったのだと推測する。このシーンが筆者としてはこの作品の一番の見所だと思う。

勿論、戦闘シーンの全てにおいて、今の日本映画界が太刀打ちできるレベルではない。また、日本語台詞のおかしな言い回しも随分気になった。だが、そんなことはどうでも良いと思ってしまうほど、この作品は、我々が子孫としてきちんとこの戦争総括を継承しなくてはいけないという責任感を感じさせられるのである。


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by turtoone | 2007-04-22 23:59 | 映画(あ行)

クィーン

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今年期待度第1位に上げた待望の鑑賞であったが、予想通り、いや、予想以上の出来であった。

Great Britain すなわち英国と日本は地球の中心と極東という地理的に大変離れた場所にある一方、島国であり、又王室が現在も存在するという共通点が沢山ある国として、単純な興味から真剣に学ぶ点にまで、色々と比較・参考にする事が山積している地域である。最近特に思うのは、国民の誇りというものに関して言うと、英国が大変高いのはもとより、わが日本も本来的にはそういう基盤を持ち合わせている国民であるということだ。日本は鎖国という時代が長かったが、結果論としてこの時代があったから中国のように欧米の戦略をされなかったという意見と、一方で長崎出島を中心に世界との交易の窓口を一本化し、厳選していたから、植民地化されずに対等な扱いを受けたという考え方があり、両者ともに正答に近い。王室が存在しても、唯一、英国と違うのが宗教観である。神道というのは、言い換えれば皇室の宗教であり、天皇という存在は民衆のトップであると同時に、この神道を司るトップでもあるということだ。少なくともキリスト教圏には現代英国のように形式的にはそうであっても、こういう発想はない。英国、グレートブリテンが創設したのは、1707年で、イングランドのアン王朝が継承、アン女王は初代の王位保持者である。国旗に示されるように、十字のイングランド、×模様とスコットランドとウェールズの三国を併せて現在のユニオン・ジャックになったことは有名だ。

エリザベス2世、正しくはエリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウインザーは連合国王のジョージ5世の第1子として誕生し、王位継承権は第3位だったが、父が病弱で早逝したために、1952年に即位して既に50年を越える。こう考えると、最早、「生ける権威」である。わが国の象徴天皇とは違い、英国における王位とは君主と政府の両方を表し、現在では英国連邦の君主であると同時に英国国教会の長でもある。チャールズ皇太子がダイアナ・スペンサーを皇太子妃に迎えたのが1981年、ダイアナ妃が20歳の時であるが、その美貌と境遇から現代のシンデレラストーリーとして世界中から憧憬の眼差しで見られた。同時に、積極的な彼女の行動は、この王室が一般に開かれる、そんな期待を一身に集めたのである。2児の母、いわんや王室後継者の母となっても、彼女を取り巻く環境で起こる出来事は、マスコミの過剰発表も重なり、必要以上に世界中に注目をされ、脚光を浴び、無責任な意見や誹謗・中傷が常に彼女のまわりを取り巻いた。一方で、皇太子の不倫問題も重なり1996年正式離婚、彼女のコメントにもあるように私人となった。又、この作品のもうひとりの主役である、イギリス第73代首相トニーブレアは、労働党党首としてその手腕と主張、更に若さを評価され同党の大勝利と共に、1997年5月2日、議会の最高責任者となる。この事件はそんな最中、その年の8月31日にパリで起こる。

この作品によると、兎に角ブレアの判断が素晴らしい。若くして、革新から首相になりいきなり世界中を驚かせた事件がこのダイアナ元皇太子妃の事故死であるが、その対応を大変早く、それは当時18年ぶりに政権をとった労働党の不安定と若いということで不安視された英国民の疑念を払拭した。しかし、それだけではなかったのが、この作品に現れている、ブレアの葛藤である。彼の葛藤があって始めて、女王を理解し同時に国民をも理解させた。同時にそれは、当時在位50年の偉大な女王のこれまでの様々な苦悩も、このブレアの取組みにより、国民と、何よりも女王自身に振り返させることに繋がった。

人物作品は、亡くなった人間を描くより、存命中の人物を題材にする方が難しい。特に、エリザベス女王とは、恐らく、全世界的に最も知名度の高い人である。そしてブレアでもある。イラク侵攻問題でのアメリカ同調作に英国での支持が下がりつつあるが、この様に作品で当時の彼の活躍を紹介されると、所詮は映画であったも世論は少し変わるのではないか。

そして本作は作品のコンセプトが良い。王室のバッシングに走らず、当時、全世界から非難された王室を悪戯に擁護するのでなく、ひたすら理解しようとした。勿論、前半のパリ事件の映像の部分は編集にもう少し工夫が欲しかった。例えば、「JFK」があれだけ古い映像を使いながら、全く違和感を感じない編集の妙をみせたのに比べると、正直、実写報道映像のクオリティはずっと高いのだから、ここは残念だった。もっとも、ここを必要以上に強調しなかったのも作品の趣旨から考えれば良かったのかもしれない。作品後半のブレアの女王を理解した台詞は、筆者的には映画史上に残る戦慄を与えてくれた。また、事故死時に出た、殺人説等の風説も全く無視した作品つくりも高い評価に繋がった。

これがイギリス映画だというのが、又、良い。欲を言えば、証言がもう少し欲しかった。それもテレビに出ていない様な、そして一般人のもので、それがあれば、歴史的資料としての意味合いも出来て、だとしたら筆者の評価も特Aまでいったと思う。物語と脚本が良かっただけに、このプラスアルファがあればと思うと少し残念だ。また、他の要素に比べると音楽がいま一つだった。美術はホワイトハウスの様に、良く一般に紹介される施設ではないから、中は良く分からないが、コスチュームデザインや女王のメイクアップなんかは、王室の私生活が現れていて良かった。

そして何といっても、ヘレンミレンの演技は、オスカー史上、屈指の主演女優賞的名演だ。


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by turtoone | 2007-04-21 23:54 | 映画(か行)
b0046687_11512790.jpg戦争映画というのは、鑑賞中は良いのだが、鑑賞後に残るものというのはいつも切ないことが殆どである。同時に責任感も感じる。自分達の世代では二度とこういうことを起こしていけないと思いつつも、所詮それは自己満足で、こうしている間にも、地球上の色々なところで争いが絶えないのは事実である。ただ、この作品で必要以上に認識づけられたのは、戦争という枠の中で国家とは何かという定義づけである。いや、少し違う。戦争が新しい国家を作り、その国家が次の戦争を始める、という連鎖の中で、国家が形成された19~20世紀前半というのは、実は、人間史においても全体的に色々なものが変革して行った時代であることの認識だ。その中にあって、この作品のような最前線での出来事というのが、唯一、後世に伝えるべく価値のある事実なのかもしれない。

国家とは何か。人間の歴史は争いの歴史という言い方も出来る。だから、近代の争いが大きく様変わりしたのは、ひとつに国家という括りは大きなポイントであるといえる。ただ、例外もあって、例えば中国という地域は、お上は皇帝という概念を持ちつつも、一般庶民に浸透はしていなかった。当時の国家の権威はなにかというと、升を作って、秤という、統一基準を制定したことによる。

しかし、一方で国家があってもなくても変わっていないものが戦場である。戦場の悲惨さのいうのは、国家という概念のあるなしには関係がない。筆者の母校はミッション系で、学内には「神と国とのために」という碑が立っている。欧州史はまさに、この言葉に代表される戦争の歴史を繰り返したという言い方もできる。しかし、この神と国の二つが対等に並ぶ事などは有り得なく、どちらかというと、民主主義という目覚めがあるまでは、人間は、国家という極めて不安定で確固たる保障の無いものに比べて、寧ろ神に誓いをたて、神と契約を結んだ。だから戦うということも、神への誓いという極めて個人的な物である。そして、キリスト教には、懺悔と赦しがあり、人間は罪を犯しても赦される。(又は、神によって裁かれる)それはとても個人的な側面であるが、時として体勢はこういう個人の信仰心を巧みに利用し、聖戦の名の元に大衆を動かして来たのである。

そこに、国家という、観念でなく機構が備わった時、理念として神以外の大義名分が必要になって来た。これを最初に上手く操ったのはナポレオンであり、次はヒトラーである。彼らは宗教と言う形而上の理想でなく、自由、独立、民族、独尊という形而下の理想を掲げたのである。実は、わが国の戦争に対する個々の理念もこれに近い。この点に関しては「硫黄島からの手紙」のレビューで触れる。作品の中で、同じ神を崇拝していながら、他方を否定し、自を肯定する牧師の演説があるが、これこそ、国家において、既に宗教が如何に形骸化してしまったかを物語っている。これに比べ、クリスマスの牧師の祈りは新鮮だ。

映画作品に触れると、公開中はダイアン・クルーガーの存在に賛美両論あった。筆者も上映館での鑑賞では甲乙つけられなかった。要するに、実話に忠実で余計なヒロインを登場させない方が良かったということと、ヒロインを登場させて物語に膨らみを持たしたが、歌唱の部分は口パクで、それを差し引いても良かったかどうかである。DVDで観なおすと後者が良い。前者は、ただドキュメンタリーもどきで終わってしまうことに成りかねないのと、長々と書いて来たわうに、この時代は個々の戦士に個人と国家が交錯している時代である。だから、改めてスポットを当てる人物を創作で作った方が、作品の意図が明確に出来たのである。

しかし、戦場のサッカー対決は、イングランド、フランス、ドイツというワールドカップ並の、三国の対決がもっとも印象的だった。国際情勢は大砲を持たずに、核をちらつかせずに、サッカーの勝ち負けで解決できる情勢にはならないのだろうか?


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by turtoone | 2007-04-18 11:52 | 映画(さ行)
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この上映鑑賞に関しては、邦画ではあるが色々な期待が交錯していた。その昔(って表現で良いのだろうね・・・)一世を風靡したカドカワ作品であること。さらに制作費も邦画では破格であったり、エキストラも相当数を使っているなどという数字のバックボーン、そして筆者的に背中を押したのが「墨攻」の高評価であった。同じように中国の作品で、日本が製作に係わっていることの興味が一番であったのは間違いない。但し、その期待は台詞の第一声でものの見事に弾け飛んでしまったが。

ところで、世界史の中でも余りにも有名且つ偉大な人物であるチンギス・ハーンの映画化を、中国は無理だとしても、何故、いま、ハリウッドが作らないか甚だ疑問だが、最近わかったことは、多分、良く知らないのだと思う。だからヒットもしないであろう。というのも、アメリカでなく、比較的中国に近隣の東南アジアや西アジアからの留学生にチンギスの事を尋ねたら、知っていたのは、トルコの留学生だけであり、彼女も元帝国の創始者という程度であり、それは彼女が研究していた項目に間接的に元の事を調べる必要があったという程度で、何というか、積極的に知ろうとした訳でもなく、同じに、知ろうとしないと入ってこない環境にある訳である。(余談だが、寧ろ彼らには徳川家康の方が認知度が高い) わが国はその辺りの事情が随分違う。チンギス・ハーン本人については、九郎判官義経の悲劇とリンクしている。又、元寇というキーワードでも、フビライ・ハーンはチンギスの孫に当る。更に、この表題作でもある「蒼き狼」という文言はチンギス・ハーンの別名であるが如く馴染みが深い。コミックもしかり、ゲームソフトもしかりと、その人気と認知度はわが国民には「三国志」と同じレベルの高さである。しかし、良く考えると、かくいう筆者も、中国を代表する歴史上の5人に彼は入らない。(以前にも書いたが5人だと「太公望」、「始皇帝」、「孔子」、「諸葛亮」、「孫文」)10人だとしでも、「管仲」、「司馬遷」、「項羽」、「劉邦」、「毛沢東」というところで、中国史が好きな筆者でもまだこの段階では入ってこないようだ。だか、それは一方でチンギスというと、中国史というよりモンゴルという印象が強いのかも知れない。現在の中国教育からは、絶対にチンギス・ハーンの映画化なんてあり得ないから、やはりこの偉大なる人物のことは日本で製作せざるを得ない現実がのしかかるのであろう。残念だ。

しかし、冒頭でも書いたが、残念なことに、第一声の「日本語」台詞にがっかりしてしまった。モンゴル語の必要はないが、やはり日本の事でないのに日本語というのは大変興ざめする。「ラスト・サムライ」で英語台詞を語る渡辺謙と同じくらいの、もの凄い違和感がある。そして、全編にわたり、当たり前のことであるが、とても日本映画らしい作りであった。それから破格の制作費を使ったらしいが、とてもそんな風に見えなかったのが残念。エキストラも1シーンだけ、ハリウッド作品並みの「大勢」な場面はあったが、ハリウッド作品レベルの壮大さを感じることは出来なかった。残念である。また、「墨攻」のようなコンセプトの勝利もなかった。結局はお金を掛けたらしいが、何も、作品として現れなかったのは本当に残念である。

ただ、中々普段は分らない日本人俳優の良い演技、新しい側面を見られたのは収穫だった。具体的には、袴田吉彦、平山祐介、保坂尚希、そしてAraといったところであろうか。角川春樹といえば、古くは、「犬神家の一族」であり、「人間の証明」、「蘇る金狼」などは、本当に力の入った作品であった。邦画における新しい可能性を引き出しのもこの頃であった。但し、確かに、ハリウッドにある大作指向が強かったのも事実。当時と比べて、ハリウッドは制作費もスケールも10倍以上に膨れ上がったのに比べ、邦画は全く土壌が変わっていない。

今後、カドカワに期待したいのは、当時持っていたハリウッド的大作指向でなく、もうひとつの部分、つまり映画人としての斬新なアイデアと貪欲な向上心である。


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by turtoone | 2007-04-14 22:50 | 映画(あ行)
b0046687_17492177.jpgローリング・ストーンズは、1960年代から第一線で活躍し続ける、名実共に「世界最高のロックバンド」である。この「活動し続ける」ということが特に価値のあることで、例えば、再結成をしたバンドだったり、或いは、バンドは残っていても、それぞれのメンバーが別の活動をしていて、もう5年も経つ、なんていう例のある中で、やはりストーンズは別格である。更に、もうひとつ、ストーンズは活動し続ける中でも、殆どメンバーが変わっていない。敢えていえば、オリジナル・メンバーの5人の中で、このブライアン・ジョーンズの穴を埋めただけであり、それも、ミック・テイラー、ロン・ウッドと受け継がれ、それも1975年に移籍し、既に30年以上も一緒だから、オリジナル・メンバーと言っても過言ではない。しかし、このローリング・ストーンズという名前を聞いて、ミックでも、キースでもなく、ブライアン・ジョーンズの名前をすぐに脳裏に浮かべる人というのは相当な音楽通である。(筆者は自分でいうのも可笑しいがそのひとり) この作品でも一部描かれているように、ストーンズの初期の音楽と、同時に、彼等が第一線まで上ってこれたのは、ブライアン無しでは全く考えられなかったことであるから。

ブライアン・ジョーンズの変死因は、1969年以降、長いことドラックよる自殺だと言われて来たが、ブライアンと交流のあった建築業者フランク・サラグッドが1993年の死の床で殺害を認め、さらに、当時人工呼吸を試みたスウェーデン人のガールフレンド、アンナ・ウォーリンが2000年にサラグッドの殺害を主張したことを受けて、今回の映画作品化に繋がった。この映画作品はその殺害に至るまでのブライアンのプライベートを中心に、ストーンズ創生時代の回顧シーンを織り込んで製作されているが、いまひとつ残念なのは、音楽才能溢れるブライアンの描写はたいへん少なく、酒とドラッグと女に溺れて破滅して行くところが中心にあることだ。ミュージシャンにつきものの三点主義、しかし、その犠牲の上によって作られる天才的な音楽、なんて構図はわざわざ映画作品にしなくったって大方の事は大方の人が了解済みな訳で今更である。

ストーンズの創世記は、当時のイギリスのミュージシャンの殆どがそうであったように、黒人のブルースである。デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバー曲であることも有名だ。しかし、ストーンズが他のグループとは違い、例えば取り訳同時代の超ヒットメーカー、白人なのに黒人の様に歌うと評されたプレスリーや、ブルースもそのひとつとして様々な音楽を取り入れたものの最終的にはアングロ・サクソンの域に留まったビートルズと違い、完全に黒人になりきったところにあり、それが現在でも黒人ミュージャンに敬意を表される数少ないバンドでもある訳だ。そして、その黒人音楽の可能性を更に広げていった側面を担っているのがブライアンの一際高い音楽性であった。特に、楽器に対しての執着は強く、ギターやスライドギターだけでなく、ハーモニカ、ピアノはもとより、シタール、ダルシマー、メロトロン、木琴、マリンバ、リコーダー、クラリネットといった多彩な楽器の演奏に現れた。そして、面白いことに、このブライアンの音楽への探求というのが、ブルースという音楽法則の中で、キース・リチャードのリズムギターと、チャリー・ワッツのドラムというリズムの核に繋がった。それが、前述した、後々のメンバーはブライアンの後釜で補強することで事なきを得た部分で済んだのである。ミック・テイラーにしても、ロン・ウッドにしても、何れもリード・ギターでありながら、このポストが変わったとしても、ストーンズに大きな音楽性の変化がなかったのは、ブライアンによって作り上げられた磐石のストーンズ基礎が揺らぐことがなく、今日まで続いていると言える。更に言えば、ブライアンの後ストーンズの看板を背負ったのは、キースでなく、ミック・ジャガーであったということも大きい。磐石の音楽基礎はそのまま、その上にエンタメ性を積んでいったのが、1970年代以降のストーンズである(勿論、看板はミックであるが、根底はキースが守っていた)。このエンタメ性は、解散したビートルズの後継を担うことにも繋がった。これがポピュラーミュージックの中心に君臨するストーンズを作り上げたのである。

映画作品としては、そんなに面白い作品ではないが、今、創生期のストーンズを扱ってくれたことは一音楽ファンとしは大変有り難いことだと思った。ストーンズイコールブライアンだとしても、そろそろ筆者の中でも忘れかけていた訳で、そういう意味では、この作品を観て、恐らく20年ぶりくらいにストーンズのファースト・アルバム「The Rolling Stones(英盤)」(米盤は「England's Newest Hitmakers The Rolling Stones」)をターンテーブル(CDでも、ipodでもないぞ!!)に乗せた。この作品がなければ、この機会も当分無かったかも知れない。余談であるが、アニタ・パレンバーグに関しては、イギリス映画「パフォーマンス」で、ミック・ジャガーと共演したのは知っているが、この映画に出てくる作品に関しては良くわからない。同時に、ブライアンがこの作品音楽担当したのかも筆者には分りえず、お詳しい方がいらしたらお教え頂きたい。


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by turtoone | 2007-04-12 01:38 | 映画(は行)
b0046687_13171858.jpg冒頭から申し訳ないが、昨年公開を見逃した作品で、だから今、このレビューを書きながらとても後悔をしている。筆者がこの傾向の作品を筆者が見逃す事は珍しい。題材も好きな要素が揃っている。開拓史時代、ネイティブアメリカン、歴史人物モノと、忙しくても時間をほじくり出してでも観に行く内容なのに、何故留ったのか。その理由は、ファンには申し訳ないが、多分、コリン・ファレルなんだと思う。それも、やはり、歴史モノである「アレキサンダー」を引っ張ったのと、ジョンスミスの印象との不一致があったのだと思う。鑑賞以前に配役面で、その有無を決めることは滅多にないのだが、確かに公開時は丁度一年前くらいで、忙しなくても作品鑑賞の有無を、ブロガー皆様の記事で判断することも新しい基準として取り入れた時期だったから、前述の固定観念を打開する記事にまで辿りつけなかったのかもしれない。そういう訳であくまでも筆者としては総合的な評価は別として、かなりこの作品は色々な意味で「好きな作品」であるが、それについては後述する。

さて、ジョン・スミスについて少し知っていることを書くと、実は知っている事は余りなく、歴史的事実でいうと一般的に「ヴァージニアを命名した人」というのが残っているのと、所謂、17世紀当時の探検家であり色々と書物を出版しているが、日本語訳はないので、筆者が読んだ書物は一冊もない。前者は、命名というよりヴァージニア社の一員としてジェームズタウン建設者として入植。その後、この作品にもあるように先住民と交易を試みて失敗、処刑されかかったところを一族の長の娘、マトアカ(ポカホンタスー正式な発音はポカハンタスで「小さないたずら者」という意味の幼少からのあだ名)に助けられる。又、後者に関しては、「New England Trials」や「The Generall Historie」という書物を出版し、この中でポカホンタスに助けられたことを書いているが、これは既に、彼女の死後で、その信憑性に関しては怪しいのが後世の判断である。

一方、ポカホンタス側から書くと、先に述べた入植者の身代わりとして誘拐され、捕虜となり、解放条件として捕虜となっていたイギリス人の解放、大量の武器の引き渡し、トウモロコシによる多額の賠償の支払いという過大な条件を提示された。この時期、彼女は英語を教わり、洗礼を受けたところは、その通りこの作品にも描かれている。後、彼女はヴァージニアにタバコ栽培を確立したジョン・ロルフと結婚し、名を「レベッカ・ロルフ」と変え、平和な生活を続けた。ところが、ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウン事業継続の困難を悟り、ポカホンタスを、新世界の安全を広報するための材料として使うことを考え、夫ロルフと共にイングランドに連れられ、ジェームズ1世に謁見し、「インディアンの姫」と紹介され大センセーションを巻き起こし、新世界アメリカ最初の国際的有名人となる一方で、より多くの投資と王の関心をもたらした。実は、彼女が最初に捕虜にされた時に、それ以前から入植者に恋人が居たという噂があり、それがたまたま後世のジョンスミスの救出話と一体化したのが彼等のロマンス話になったのだと言われているが、どちらが本当かを証明するものは何もなく、どちらかというと恋人は作り話であるという説が強い。ご存知のようにディズニーは恋人説を取っているが。

作品評に戻ると、兎に角好きな要素が多い。まず作品全体がゆったりと流れる。これは、この当時の時代を感じると共に「ネイティブの時」を感じる。一方で入植者が来なければ、今でもアメリカ大陸はこういう悠長な生活をしていたのだと思う。スローライフなんていう言葉が負けてしまうほどの印象を上手く描写した。更に、セリフが少ない。憶測であるが、多分、当時この大陸では実際にはそんなに喋らなかったのだと思う。喋る必要もないのと、人間生活というのは、人間同士のコミュニケーションだけでなく、もっと自然との対話であるとか、そういうことかが大切だったんだということも教えている。更に、カット割りが良い。自然の風景を合間、合間に入れることでネイティブが自然と共に生きている事を暗に示している。そういう処をとても大事に撮っている。そして、前述したジョン・スミスとポカホンタスである。蛇足であるが、ポカホンタスは、ディズニーアニメのヒロイン中ではムーランと、アリエル(リトル・マーメード)と共に筆者の三大ヒロイン。良く人にかなり変わった選択だと言われるが、動のポカホンタス、知のムーラン、美のアリエルであるし、他にも筆者の好きな要素の言い方で変えれば、インディアンのポカホンタスであり、歴史のムーランであり、音楽のアリエルだから間違っていない。

前述したが、カット割とシーンの構成は見事である。特に、新しい手法ではないだけにこの構成には脱帽する。シアター鑑賞しなかったのが悔やまれる作品であるが、今後は名画座での再演を見逃さない様にしたい。


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by turtoone | 2007-04-09 02:23 | 映画(な行)
b0046687_1145327.jpg2004年のヴェネチア国際映画祭の金獅子賞をはじめて、映画界で高い評価を受けた作品であるが、なんとも悲しく切ない物語である。
"困っている人"の為に、奉仕をするという精神は素晴らしく、それも自分の体験によるところであるから何とかしたいという思いを実際に行動しているところは立派である。だが、残念ながらこういう善道の周囲には必ずそれに乗じた、「悪」とまでは行かないがそれに程近い因子が介在するのが人間社会の営みである。ヴェラだってこの因子がなければ"困った人"の情報がそんなに沢山入る筈もなく、このような事にはならなかったかもしれない。ただ、堕胎自体からして「合法的かどうかが云々」だとはいえ、人間の生命という側面から考えれば良い事の訳がなく、だから、映画作品としてそこ迄メスを入れる事がなく、単なるメッセージだけで終わってしまったのは残念だ。ヴェラの様な人なら、自分のしてきたことが間違いだと気が付いて更生すれば、その後は"困った人"たちに自らの経験から、授かった命を育てることの素晴らしさを説いて回る人に変貌して貰いたかったと思うのは欲張りだろうか。1950年代という時代背景もさることながら、この作品の鑑賞終了後に異様な空虚感を感じたのは、そんな点からなんなだろうと思う。

ことろで、ヴェラ・ドレイクを演じたイメルダ・スタウントンであるが、この女優さんは筆者の高得点評価作品、「恋におちたシェイクスピア」といい、とても優しい演技をする。「恋におちた~」でも、グウィネス・パルトロウ演じる、ヴァイオラの心境を写し出す難しい役柄をこなし、縁組という側面では孤立していた彼女の立場の唯一の味方として作品を支え、ヴァイオラを指示する鑑賞者とのパイプラインになっていたところが大きい。この作品のこの役も彼女によるところが大きく、ヴェラのやっていることが(治療自体は心許無いが)決して悪意に取られない部分も、この女優の持つ、演技だけではなく包括能力の器が大きいというのであろうか、それに拠るところ大である。この女優さんでなければ、この作品の意図も伝わらなかっただろうと思うから、前述したように、この話題で終わってしまったことは残念だ。

ラストシーンも少し淋しい。ただ、筆者が後日談を勝手に欲張った様に、その後は鑑賞者各々に託されているのだとしたら、一鑑賞者としては申し訳ないが荷が重い。この問題は色々な国々で色々な問題を抱えているから一概にいえないが、人の問題と神の問題、人の法律と神の法律を抱えている地域は更に複雑だろうと思う。その点で島国の筆者には、道理的問題が先に常に立ち、その部分と法整備は又、違う部分がある。ある意味、人と神の法が同一視されないだけ、なんでも一緒くたにされてしまう反面、厄介な事柄が少ないという部分もある。そういう意味では、法廷シーンで、彼女自身の困った人の過去が暴露されなかった事が、この作品の唯一の救いではないか。


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by turtoone | 2007-04-07 00:41 | 映画(あ行)
b0046687_17525047.jpgkossyさんの人気ブログ「ネタバレ映画館」「人生は、奇跡の詩」のコメントでトム・ウェイツの事を書いたら、この表題作のことを触れられていて、そういえば、筆者のブログにはこの作品のレビューを書いていないことに気が着いた。と、いうか、この作品って東京周辺でも結構色々なところで(勿論、ミニ・シアターだったのだか・・・)上映していて、DVD化された時もまだ、上映されていて、ネットショッピング25%引きのDVDが自宅に届いた日に、自身三度目の上映館鑑賞に行ったという、不思議な作品である。この作品に必要以上に筆者が引かれてしまうのは、この手の作品には多い、複数の短編集の中にある、根拠のない共通項である。映像的な共通項としては、基本的に二人芝居、コーヒーカップ、チェッカーフラッグ模様のテーブルクロス、そして煙草である。

兎に角、一発目の「ロベルト・ベニーニとスティーヴン・ライト」からいきなり妙に笑いが取れる。本作品はそもそも、アメリカの人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』において、ロベルト・ベニーニとスティーヴン・ライトを起用して撮影した「コーヒー&シガレッツ/変な出会い」が始まりで、その後、2作目の「双子」が作成されたのは暫くたってからである。このプロジェクトを一気に有名にしたのが、3作目の「カリフォルニアのどこかで」であり、作品化は1993年と、第1作の製作から既に7年が経っていたが、このイギー・ポップとトム・ウェイツの顔合わせでカンヌ映画祭の短編部門最高賞を受賞したことが、一般にも広く知り渡ったのである。そしてそれ以後も10年以上にわたって製作された全11編を纏めたのが、この「コーヒー&シガレッツ」という作品である。短編集にしては撮影のタームが長いのと、この間、ジム・ジャームッシュが全編の監督、及び製作にも当っていることが大変興味深い。

この短編集に関しては、鑑賞者によって色々な好みがあると思うし、又、その好みを色々な人に観てもらい、色々その批評を伺いたいと思う作品である。筆者は、この中では、やはり最初のベニーニとスティーヴン(ここでは、ベニーニの"スティーヴ"の繰り返しが彼らしくって良い)、それからミュージシャンの共演である、トム・ウェイツとイギー・ポップ(なんといってもオチが最高。このふたりのミュージシャンを存じている方には台詞も最高だと思う)、作品は短いが、コンセプトが一番好きな「ルネ」(自身を演じている、ルネ・フレンチも謎が多くて素敵)、そして、ケイト・ブランシェットの二役である。特に、他の作品が殆どチェッカーのテーブルクロスなのに、この短編と、2作目の「双子」は違う。ケイトは二役を演じているから、その辺りの連繋を考えると面白いし、同時に何度も見ることによって、どの作品とどの作品がどのようにリンクしているのかをフローチャートにするのも面白い作業である。筆者は時間がなくてそのチャート作成作業をしていないが、一日自由な時間があったら(そんな時間があったら朝からハ晩まで映画を観ていると思うが・・・)作業するのも良いかと思ったりしている。

それと、シガレットである。筆者は1日3箱以上は吸っていたヘビースモーカーだった20年前と比べると、未だに意志が弱く、数は4日で1箱程度と随分減ったものの、スモーカーである。煙草が1箱1000円になってくれたら絶対に止められるのにという責任転嫁をこの時代にまだ言っている。どちらかというと最近、カフェインの量は減っている。特に冬季は冷えるのと重なってやたらと利尿頻度が増えるのと、やはり、夜のコーヒーは睡眠の妨げになることがあるからだ。お陰で最近は少ない睡眠時間を熟睡し、夢を見ることも余りい。コーヒーにシガレットはつきものであるが、筆者にとっては、寧ろ、ブランデーとか、バーボンなんかの方がシガレットと似合うと思っている。でも、別の意味で、この作品にあるような「会話の妙」には、やはりリカーよりコーヒーなんだろうと納得する。

日本に無い慣習としては、コーヒーで乾杯をするところだろうか。少なくとも、筆者とその周りにはこういう風習はない。


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by turtoone | 2007-04-03 22:53 | 映画(か行)