暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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<   2007年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

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久々の、というか、本当に何十年ぶりかの試写会鑑賞である。というか、試写会イベントを主催している側には何度か立ったことがあって、それでもバブルの時代だった。その後は小さなプレビューなら映画関係者は何時でも観られることを知り(でも、平日の昼間なので中々・・・)、だから純粋な試写会は前回はなんの映画だったかは覚えていない。一方で最近はネットの関係でよく試写会のお知らせは頂戴する。今年も「マリー・アントワネット」「ディパーテッド」も頂戴したが、日時が合わなかった。今回は偶々日時と場所のタイミングが良かった。しかも場所が「中野サンプラザ」って、こんな広い場所でも試写会をやるんだって少し驚いた。しかし、この会場での試写会は、この作品をよりスケールアップさせた。

中野サンプラザには数々の思い出がある。それは70年代後半から80年代にかけて。まだ東京ドームがなく、来日ミュージャンの大きな公演といえば、武道館が定番で、武道館では一杯にならないミュージシャンの東京コンサートの殆どはこの会場だった。尤も、音響が滅茶苦茶に悪い武道館に比べれば、ファンとしてはサンプラザの方が良かった。本当に感動的な数々のコンサートをここで体験したが、一番忘れられないのがThin Lizzyのコンサート。そもそも開演予定時間の18:30になっても始まらず、(理由は、リハで音響にメンバーが納得しなかったと後々ミュージックライフかなんかで読んだ・・・)しかし、開演した途端に、ファンも弾けまくって(筆者も前から3列目くらいだったから可也きていた)演者も乗りまくり、当時はデビュー間もないから、持ち曲はすべて使い果たして最後はビートルズやビーチボーイズ、プレスリーまで演奏した大ロックン・ロール大会になった。三度のアンコールで終わった時間が深夜の12時を回り、殆どの人は終電がなかった、そんな伝説のコンサートがここで行われ、筆者はその場所に居た。

さて、作品についてであるが、筆者はこの作品に関して大きな勘違いをしていた。某映画雑誌によるとこの作品は「レオナルド・ディカプリオとジェニファー・コネリー」の顔合わせも話題となっているアクション・サスペンス。ラストサムライのエドワード・ズウィック監督が南アフリカ共和国とモザンビークでロケを敢行。アフリカの地で様々な事情からピンクの巨大ダイヤモンドを追いかけることになる男たちのドラマを、スリルあふれるストーリーに仕上げている。」と紹介している。だから、単にアクション作品だと思っていた。とんでもない。この作品には、昨年来世界の映画界がその真髄に斬り込んでいる「アフリカ問題」の重要要素をふんだんに盛り込んだ、言わば集大成的な作品とも言える。舞台となったシエラレオネ共和国は、多分日本人にとっては知る人ぞ知る場所。ギニアとりべりアに国境を接していて、所謂奴隷制から解放された黒人の居住地として英国から独立した国家である。しかし、この国の悲劇は(勿論その前にもあったが)この時を境に本格化してくる。独立後はまさに政権とクーデターの歴史、1991年から内戦が始まり、現在も収束しているとは言えない。同時に、本作品のタイトルでもあるダイヤモンドは「紛争ダイヤモンド」と言われ、南西地域に埋蔵量が多いが、産出された殆どが非合法的に密輸出されている。これらが反政府組織RUFやシエラレオネ国内外に存在するテロ組織(アルカーイダなど)の資金源となっている。今回の作品化には、9.11事件が背景にあることもこの辺りから推測される。更に、作品では、この国の内戦で一番の犠牲になっている少年兵をクローズアップしている。

そして、前述した試写会場が中野サンプラザという点が、この作品上映を更に衝撃的なものにした。音響効果である。特に戦闘シーンの容赦ない銃弾音、戦闘機や戦車の音が上映会場一杯に響きわたる為、兵士のみならず女性も子供も容赦なく殺戮するその惨状のリアリティはアフリカの今起こっている悲劇を如実に伝えることに最高の効果を発揮したのである。もし、この会場でなかったに、この事実は筆者に伝わらなかったであろう。シネコン程度の音響では多分、伝わらなかったと思うだけに、この青春時代より慣れ親しんだ会場の音響に感謝したい。アフリカの現状が生々しく描写された150分の作品。そくな訳でディカプリオの演技を細部まで見る余裕もなかったのが事実。そんな中でもジャイモンは流石に表現力が素晴らしかった。というか、作品の性格から、彼に感情移入していたのは事実。

アフリカ諸問題の映画作品化が増えている。同時にアメリカも自国の過去の歴史検証が進んでいるが如く、同じ様に作品化が多い。この傾向は昨年あたりから顕著に現れ、今年はその類の作品が軒並み続く。アフリカ問題の病巣は深刻で、さしづめ本作品は少年兵の問題が筆者にとっては大変ショックであった。アフリカをこんな地域にしてしまったのはすべてが白人と、それに類する人間の欲だと思うと悲しく、同時にに残念ながら我々は無力である。「ホテル・ルワンダ」もそうであったが、この地域において、人間としての疑問や不条理に出会ったら、行動するしかない。その行動が例え、たった一人の決意であったとしても、それが、大きな変革に繋がるのである。この作品でも、小さいかね知れないがその行動が大切なんだと結論づけている。地域の問題・国家の問題と相手は大きいかも知れないが、でもそれに対して個人が何が出来るのか。筆者には到底出来ないが、少なくとも、何が出来るかを考えようとすることでも進歩なのではないか。

シエラレオネとはポルトガル語で「ライオンの山」という意味である。この作品でも殺戮が繰り返される村々のすぐ近くのサバンナにはライオンをはじめ、動物が生息している映像も流している。それが必要以上に鑑賞者に訴えているのも事実。筆者的にも高得点な作品であり、勿論、映画館、それもなるべく音響の良い上映館を選んで欲しいと思う。


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by turtoone | 2007-03-24 23:41 | 映画(は行)

ドリームガールズ

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トニー賞を総なめにした舞台の映画作品化であるが、モデルがシュープリームスだったり、ビヨンセが自身の境遇に類するものがありと、色々と公開前から話題の多い作品であった。又、ジェニファー・ハドソンが堂々のオスカー助演女優賞を受賞し、公開直前では彼女が可也クローズアップされた作品となった。筆者にとっての音楽は、多分、余りにも近すぎて職業にしなかった程大事なものであるが、どうも、映画におけるミュージカルという試みは、何度もこのブログで書いているように、特に音楽的に余り褒められたものではない。但し、あくまでもミュージカルという領域で考えれば、この作品は、監督のビル・コンドンが「シカゴ」の脚本も手がけているから、多少「実験的ミュージカル」を期待していた部分もあった。しかし後述するが、彼の脚本の経験も、筆者の前述作鑑賞の経験の何れも、この作品を鑑賞するためには大変な邪魔者になってしまったのが正直なところである。

大体、ミュージカルって、どうして突然歌いだすのであろうか。それから、如何にもミュージカルですってというシチュエーションを作ってしまうのであろうか。つまり総合すると何故この作品をミュージカルにしてしまったか。この点は鑑賞が終わってからも随分引きずってしまった。だって、ミュージャンの作品なのだから、如何に原作がミュージカルであったとしても、それに拘る必要って何もなかったと思う。ハリウッドはどうして、舞台作品の映画化がこんなに好きなのだろうか、解せない。特にジェニファーが突然歌い出すシーンは多く、そのまま楽曲に入るのは良いが、やはりそれが、妙に説明調に転換する。しかも、ミュージカルには不可欠のダンスは無い。その辺りの空虚感は歪めない。筆者はオペラに然程造詣が深くは無いが、オペラがどちらかというと、先に音楽ありきという構成手法に比べると、ミュージカルって、音楽は後付けな気がしてならない。

もうひとつはジェニファー・ハドソン扮するエフィー・ホワイトとどうして主役にしなかったのだろうかと思う。ここも、原作に拘ることに固執してしまう必要性を感じなかった。映画って、もっと映画でなければ出来ないって事をやって欲しいと思うし、その為に、ジェニファー・ハドソンという10年にひとりの逸材にめぐり合えたのだから、そういう作品化もありって気がしてならない。つまりはこの作品でも、実はビヨンセ・ノウルズを主役に据える事によって興行の成功を演出したのではないかという物語さながらの勘ぐりもある。そう、この内容だったら、ミュージカルを捨てて、エフィーも主役にもってきて、グループが成功していくのと相反的に描くことによって、実在するシュープリームスの伝説をより表現できたのだと確信する。その方が、ボーカル交替の話も、盗作の話も、また、モータウンレーベルの大成功と黒人ミュージシャン台頭の新時代到来という現実についてのサブストーリーとして貴重な作品になれたのではないか。これはそう思うのでなく、確信している。そうすれば、ジェニファーも主演女優賞(尤も、この作品でも立派に主演女優という感じてあるが・・・)を獲得したであろう。同時に、序盤のカーティス・テイラーJr.(ジェイミー・フォックス)との関係から、リードボーカル降板後のふたり(エフィーとカーティスの二人)の光と影がもっと明確に描写されて、より、現実味を帯びたのではないだろうか。だからこそ、前述したふたつの点に、一鑑賞者の立場で生意気かもしれないが、拘りたかったのである。「愛についてのキンゼイレポート」であれだけ人間の内面を描写できたこの監督だからこそ、「シカゴ」でなくそっちの面に期待していたのも事実である。

ミュージカルは否定したが、音楽性の大変高い作品であった。特に冒頭からグイグイ鑑賞者を引っ張っていったのは迫力は流石である。この演出は世界広しといえどもも、アメリカにしか無い事実であるし、又、良くこれだけ才能のあるエキストラが沢山いると思うと、日本を始め、世界中何処の国も、総力としての音楽性には到底適わないことを実感した。音楽もエンタメもこの国の宝である。そんな音楽帝国を築いて来た60年代の平均値を底上げしてきたのがシュープリームスの様なグループであった。アメリカの至宝を題材にした作品なのだから、もっと至宝らしく扱って欲しいと願うのは筆者だけだろうか? 蛇足であるがジェニファーは逸材だ。次はロバータ・フラックとかディオンヌ・ワーリツクとかも意図も簡単にこなしてしまうのではないかと、彼女を見ていると黒人女性ボーカルの音楽映画への期待は高まる一方だ。

序でながら、ラストは可也感動的である。特別な要素は無いが、最後の最後で「音楽的満足感」が一気に噴き出るのである。それからもうひとつ、ローレル役のアニカ・ノニローズの方がシュープリームス時代のダイアナ・ロスに似ている思ったのは筆者だけでないはず??


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by turtoone | 2007-03-21 21:14 | 映画(た行)

カサノバ ~新作DVD~

b0046687_18494693.jpgジャコモ・カサノヴァという人物については、彼の自伝「我が生涯の物語」(邦題は「カサノバ回想録」)にあるように、生涯で1000人の女性とベッドを共にしたということ以外にそんなに詳しくない。それと、彼の生涯の舞台となっている18世紀のベネチアという都市には大変興味があり、この作品はやはりその二つの点が大きな見所であった。だが、銀幕の題材としてのカサノバは、過去に何度かあり、記憶に新しいのはフェリーニ監督作品である。今回は筆者も以前のミニ特集を組んだこともある、ラッセ・ハルストレム監督作品。どうも筆者の持つカサノバのイメージとは全く合わないのであるが、その辺りはこの監督の新境地なのだという多くの期待が公開時からあった。尤も、公開は昨年の6月くらいだったか、勿論、シアター鑑賞したのだがレビューを書くことをずっと怠ってしまっていた。多分、この作品は新宿のタカシマヤタイムズスクエアで観た記憶があり、この頃は「ウォーク・ザ・ライン」「リバティーン」も同シアターで鑑賞したと思うが、東京は結構広くて筆者の鑑賞したい作品をこの都市で鑑賞するには、新宿・渋谷・恵比寿・六本木・日比谷、そして銀座の各館を制していないとそれは不可能であり、逆な言い方をすると映画鑑賞には大変不便な都市であるとつくづく思う。

但し、この作品には、今までにない創作された「カサノバ」が登場する。そしてそれは単なる創作でなく、カサノバとその周りで起こった様々な出来事の集大成を作っている興味深い内容になっている。まずは、フランチェスカ。カサノバが心を寄せる女性役であるが、歴史上で同様の名前はカサノバの弟であり、有名な彼の肖像画を描いた人物としても有名だ。この辺りのオマージュというのが面白いと思っていたら、その後はそのオンパレードであった。例えば、女性をかけた決闘であったり、有名な「鉛の監獄」からの脱獄に成功したり、或いは、カサノバを継ぐ者としてジョバンニという本当の弟の名前を使っていたりと、実際の彼の生涯に本当に起こった出来事を時系列を修正して一本のストーリーに仕上げているところは大変興味深い。カサノバの恋愛遍歴が後世にも轟いているのは、彼自身の快楽と同時に、その交際する異性の側の快楽に常に注意を払っていたことにあると言われている。つまり誘惑者としてばかりでなく、誘惑されることにも喜びを見出していたり、多くの美女を同時に愛することによって、それら異性を人間として同等の存在として尊敬したという点が当時の18世紀の他の人間よりは一歩も二歩も先んじていたことにある。又、文献に寄れば、男性にも興味を持っていたり、異性装も関心があった。一般的にカサノバの生業を当時は「策術家」と呼んでいたが、彼が精通していたものは作家、或いは劇作家というだけでなく、ビジネスマン、外交官、スパイ、政治家、哲学者、魔術師等様々であった。しかし、自由人という訳でなく、寧ろこれらの職から禄を食んでいるというよりも、これらの才能を社交術として用いて、その場その時の演出ら長けており、その対価としての報酬で身を立てていた。つまりは、本物のプレーボーイだったという言い方も出来る。

18世紀のベネチアは、略、オスマン帝国の侵略下にあるという地理的にも複雑な環境であった。12世紀にはマルコポーロを輩出し、世界展望にたっていた同都市であるが、この当時は制海権をオスマンに支配されていた為に、イタリアの他の都市とは、また違った発展に繋がった。それはキリスト教的にもそうであり、その辺りをこの作品でもカサノバの「功罪」と併せて描写している、この辺りは大変物語の裏に隠されているものが深い。カサノバ以下、この作品の出演者がベネチアという都市を駆け巡るのであるが、そのひとひとつの描写・美術には満足させられる。同時期の音楽家として知られるヴィヴァルディの曲も作品内に挿入されていて、この構成のセンスは一際光っていると言える。

ラッセ監督のテイストが十二分に発揮された歴史人物モノだった。ヒース・レジャーも実にこの難しい役をこなしていたが、やはり、ジェレミー・アイアンズ、オミット・ジャリリ、オリヴァー・プラットという脇が見事であったことも上げられる。しかし、本当にこの監督は悪者を作らない。そして、幸福感あふれるラストは、この監督の新境地への成功と、新解釈版カサノバが受け入れられたことを示すものであったと思われる。


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by turtoone | 2007-03-11 18:48 | 映画(か行)
b0046687_16202365.jpgトランスセクシャルとは、性同一性障害の中で、特に強く自己の解剖学上の性に対しての不快感を感じ,外科的手術による解消の欲求が強い人と医学的には定義付けられているらしい。
そもそもその性同一性障害というのは、性に関する精神障害のひとつで、自分の解剖学上の性に対して不快感やそぐわない感じを持ち,反対の性になりたいと強く望むものである。そう文章で言われても難しく、簡単に言えば、正反対にある性を望み、特に、TSはその外科的にそれを解消しないと納得しないということらしい。しかし、筆者はその専門でないから良く分からないが、性同一性障害が精神障害に分類されているということも良く分からない。全然観点が違うかもしれないが、古来、生物というものは正反対の性を好むものなのである。本能的に、或いは情緒的にそれを好む類もある。但し、例えば人間においては、すべてが、情緒的でない場合もある。本能とはそういうものであり、それは昆虫の交尾と余りかわらない。だが、極めて理性的にいえば、反対の性への憧れは、その性への現実を成し遂げたいと思う心理というものに、別段、異常性や病的な要素を感じない。断っておくが筆者にはそういう要素はない。だが、ないからといってその要素がある人間、特に、この疾患に関しては、それが精神的病気だというようには全く思えないのである。要するに、対岸にあるものへの憧憬を現実とするだけで、それは究極の憧憬で良いのではないかと思う。無責任な、且つ、全く素養の無い発言で申し訳ないが、事実、そう思う。

ただ、この作品は実に、物語の設定は良かった。トランスセクシャルを実現させようとする主人公に、何年も会うことのなかった(というか存在すら知らなかった)息子が現れるのだから尋常ではない。しかし、その割に単調な流れだったし、方向性もこれで良かったのか筆者には纏めきれない内容である。又、残念だったのは、やはり結構安易にロード・ムービーに入ってしまったこと。ロードムービーって作品を纏めていくのには大変使いやすい方法である。だがそれ故に、逆に作品の主題を暈かす要素も持ちあらせている。この作品もそれらの例に違わず、父子の時間と理解を取り戻す為の手段として使われているのだが、そこで起こる出来事というのは、残念ながら普通の映画好きを驚かすような展開は出てこなく、すべて想定の範囲内←(もう古い言い回し?使ってて恥ずかしい・・・)で終着している。この辺りも残念であった。

しかし、フェリシティ・ハフマンの演技は見事だ。筆者は最優秀昨年の主演女優に彼女を選んだのは、この役柄は派手さがないから単調に見えるが、男から性転換した女性というさまを細かいしぐさ、たとえば、化粧するしぐさだったり、指先で物を掴んだりするところなどのこだわりは絶妙だった。見事に表現していて良かった。この辺りを見ていると、筆者はトランスセクシャルって、ジェンダー概念とリンクしているような気がしてならない。要するに、彼が求めたのは、性ではなく女性のような生き方であったのだと。つまりは、性同一性障害という精神疾患があるとしたら、それはジェンダー概念によるところのこの現代に自分の生きるところを見つけられないという社会性の欠如。それがイコール病的要因なのではないかと思う。男の性で母の役をやったって良いのだ。但し、彼の場合はその不快感が外科的手術に固執しただけではなかったのかと。

又、同時にこの作品では民族というルーツにこだわっている。ユダヤとネイティブという、とてもかけ離れた二つの対比。共通のキーワードがあるとしたら、蔑まされた事くらいではないか。いや、どちらも誇りを持っているという事が共通しているのかもしれない。当事者ではないから分からないが…、現代社会に投げかけているメッセージは多い作品である。


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by turtoone | 2007-03-05 16:03 | 映画(た行)