暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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驚いた。今年は予想を殆ど外した。筆者の拙ブログを可也前からお読み頂いている方ならお分b0046687_221423.jpgかり頂けると思うが、今年は一昨年の事もあって私情をすべて払拭した。公平、そう偏りのない公平な目でこのアカデミーに臨んだ結果がこれだ・・・。正直、力が抜けてしまった。でもうれしい。いや、やはり嬉しくない、複雑な心境だ。そう「複雑」という言葉をこれほど体験したことは過去に無い。

何の事かといえば、それは作品賞と監督賞。「ディパーテッド」はファン投票という下馬評での支持率のトップだったから、結局はオスカー側の迎合? そして監督賞。ご存知の通り、筆者としてはスコセッシは生きている好きな監督としては1、2を争う。だからこそ何故、この作品で? なぜ、「ギャング・オブ・ニューヨーク」や「タクシードライバー」、「レイジング・ブル」でなくて、この作品。解せない。絶対に解せない。オスカーはスコセッシ嫌いでは無かったの。だから、ノミネート作品は違うけど、もしかしたらこの勢いで行くかと思ったディカプリオはまたまたおあずけ…。正に、第二のトムクルーズへの道をまっしぐらである。ここでは、オスカーのレオ嫌いは維持継続。余程、あのタイタニック発言が尾を引いているのであろう。

まぁ、納得したのは主演、助演の女優賞。「クイーン」はまだ、観ていないから分からないが、ジェニファー・ハドソンは文句無し。凛子で勝手に盛り上がっていた某国であるが、そもそもがノミネートで4位入選だから(しかし、このネット時代でアメリカの映画の裏情報だって分ってしまう昨今、よくテレビっていうメディアはあれだけ大騒ぎをするねぇ~お笑いだ。「硫黄島~」だって5位入選だから、絶対にないのに・・・)。

とにかく、スコセッシに関しては大ファンを自負している筆者が評価しているのは、この作品でにく、ここ数年、彼が映画界で成し得てきたハードワーク。最近は監督作品こそ少ないが、製作総指揮、出演、更にはアフレコの出演までまさにフル回転だった。そういう意味では努力賞。いや、やはり筆者的には、オスカー得意の「ギャング~」の「お詫び受賞」なのであろう。しかし、監督賞としては6度目(その他、脚色で2回あり)のノミネートでの初受賞。なので嬉しい。だけど、シツコイ様だが、なぜこの作品?

今年のオスカーの傾向は「国際色」であった。そういう意味で外国語映画賞が一番面白かったが、これも、「バンズ・ラビリンス」が他の殆どの部門を獲得しながら、「善き人のためのソナタ」に持ってかれた。(というか、筆者は後者を応援していたから・・・)。脚本賞も納得の「リトル・ミス・サンシャイン」。こう考えると、なんだ、殆ど順当じゃないかと思いきや、こんなことを書いているのは、やはりスコセッシ・ショックだったのだ。

b0046687_22223159.jpg敢えて、スコセッシ・デイカプリオファンとしてここで宣言。スコセッシとディカプリオの次回作「フランクリン・ルーズベルト」で、再び、作品・監督賞、さらには主演男優も入れて三冠に輝くであろう。

それにしても前述したオスカー今年の売り物である「国際色」から一番遠い作品が受賞したことも、オスカーらしいっていえば「らしい」。

それと、凛子さんのドレスは素敵だ。彼女はまだまだ何度もチャンスがある。彼女こそ今後を期待できる国際派女優は今までにいなかった。その点も最後に付け加えておく。でも、これは殆どの映画ファンはそう思うから・・・。やっぱり、三冠宣言だ。(そうそう、この構想中の作品に凛子さんも出ないかなァ、在米日本人の役柄で。若しくは権利獲得で棚上げになっている黒沢作品「酔いどれ天使」でも良いが・・・)


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by turtoone | 2007-02-26 22:30 | 映画関連

幸せのちから

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「人間万事塞翁が馬」という故事成語がある(ちなみに「人間」は「じんかん」と読み、人間のことでなく世間一般のことを指す)が、このサクセス・ストーリーはそもそも骨密度測定器を購入するという大馬鹿なことを起こさなければ、成功には繋がらなかったとと、逆に買わなかったらあんな悲惨な生活にはならなかったと考えれば、「塞翁が馬」であろう。

そういえば、日本がバブリーな時代(ちょうどそんな邦画も公開しているが)反対にアメリカは不況で、日米首脳会談では必ず日本の貿易黒字が取り沙汰された。貿易黒字なんて、とどのつまりは為替の影響だから別にアメリカの不況や就業率に直接影響だどないのだが、1ドル80円なんて時代に触発され、馬鹿な経済学者は1ドル4円時代が来るなんて喚いているから、外交巧者アメリカの思う壷であったのだ。アメリカの失業率も過去最高となり、ようするにそんな時代の話であるが、資本主義の機能成長レベルから行くと、15年くらい遅れている日本にとってはまさに今、現在の話であると思って良いと思う。当時は、リアルタイムで結構サクセスストーリー的、ビジネスマン作品が多かった。シリアルなものよりコメディっぽい方が面白かったりするが、ここのところはそういう作品も少なくなっていたのは、やはりアメノカンドリームは不況な時ほど、その憧れを大きくするのであろう。しかし、厳しいよね。日本が幾ら成功報酬主義になったとしたって、こんなに厳しくはないよ。尤も、無給研修期間に31人の顧客を得て、そのまま就職できたとすれば、多分それはそのまま彼の成績給として計上されるから、(というか、初任給はその契約ロイヤルティーが支払われる。1ヶ月分にだと思うと相当な額の筈だ)成功者は良いが、後の19人はそのまま解雇だから、その契約報奨金って、結局会社に入るのだから、資本主義というのはどういう形をとっても企業が儲かるように出来ている。但し、企業主はこういうだろう。「6ヶ月間シスコの一等地のオフィスを自分ひとりで借りれるか」と。要するに、契約形態が少し違うが、フルコミッションの保険営業みたいなもので、だから成功者とそうでない者の比率で考えたら、日本だったら20対1でなく、2000対1くらい。本当にそれで成功している人間なんて一握りもいないのであるから。

逆にいうと「チャンス」をくれるだけでも、日本は肝要(安易という単語が正しいかも)で、アメリカの場合、その入口に立つまでが大変である。ハーバード並の学歴とビッグビジネスの経験、若しくは会計士や弁護士程度の資格が無い限り、その入口に立つことすら許されない。しかも、推薦人には推薦した責任も生じる訳で、つまりは誰にも失敗は許されない。この辺りが日本とも企業における責任の範囲と度合いのレベルの差がありすぎるのであり、トヨタを除いて日本が世界企業、特にアメリカの企業に適わないのはこういう責任観念とリスクヘッジを常に念頭においているという重さであろう。そういう意味では、この作品でガードナー(ウィル・スミス)は、人材課長のトゥイッスル(ブライアン・ハウ)が彼を判断する力が無かったら、ただのルービック・キューブ王者で終わってしまうところだったのである。だが、そのルービック・キューブを持ってきたのは妻のクリス(タンディ・ニュートン)だったのだから、やはり「塞翁が馬」。

どうも、この作品は妙に予備知識が邪魔をして、やたらと「ペーパームーン」とダブってしまい、ただ、ストーリーを追うはずが余計なところへも関心が行ってしまった。特にウィル・スミスの実子、弱冠8歳のシェイデン・クリストファー・サイア・スミスで、もしオスカーを取れば、ティタム・オニールの9歳の記録を破るとす何とか言われていたが、残念ながらノミネートはされなかった。というか、特に光る個性や勘を感じることはなかった。それよりも、ウィル・スミスの方で、今年はオスカーのチャンスであろう。前回ノミネートされた「ALI」の時には、同じ黒人男優のデンゼルに譲った。(でも、あの年はどう考えても、2年連続でラッセル・クロウだったね・・・)。まだ日本では男優賞のノミネート作品は他に見ることができない(レオさまも「ブラッド・ダイヤモンド」だから)が、この作品は、「ALI」や「エネミー・オブ・アメリカ」の様に全編で演技の上手さを感じる作品ではない。ただ、ラストの雑踏の演技は見事(あの場面だけは泣けた)。117分間見てきた総括をたった30秒余りで演じているところは見事だったと思う。

「塞翁が馬」に戻るが、ああいう結末になって幸せになったとしたら、何もコメントされなかったが、可哀想なのは妻のクリスだと思う。特にタンディ・ニュートンは「クラッシュ」の役柄と重なり余計に不憫な気がしてしまったのは、多分、筆者だけでは無い筈だと思う。


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by turtoone | 2007-02-11 17:00 | 映画(さ行)

墨攻

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中国の歴史作品というのは筆者にとっては欠かせない。中国というのは、歴史と文明と思想の宝庫であり、そこには、広い国土と共に、その中で育まれた多くのスケールの大きな人物、自由な思想、そして独自の文明があり、一方でこの大陸を舞台に多くの国が興亡を繰り返して来た。その中国史を題材にした大作というと、やはりどうしても「ラストエンペラー」がトップに出てきてしまうし、どちらかというと近代の方が作品にし易いようだ。又、日本人に馴染みのある部分では「三国志」、「項羽と劉邦」、「水滸伝」という辺りは小説も多く、それに継ぐのが、「太公望」、「始皇帝」、「楊貴妃」、「チンギス・ハーン」、「阿片戦争」、近代では「孫文」、「毛沢東」、「蒋介石」といったところであろうか。しかし、この「墨子」をテーマにしたところは凄いなと思っていたら、これは日本のコミック作家の作品らしい。なんと、日本にもこんな壮大なテーマを書ける人間が居たなんて感動である。筆者も実は、「墨子」の研究(とまではいかないが、儒家をテーマに書いた提出論文の関連で墨子並びに墨家を調べていた)の際に、日本では殆どまともな資料が手に入らなかった経験があり、だから墨子だけで作品を書いてしまうなんて不可能に近い仕事である。

そもそも文化大革命以降、中国に自国の立派な歴史を編纂しようという考えは、国家の政策に反する事とされるようになり、六四天安門事件後の政府政策により、一般の国民にまで正確な中国史を伝えることさえ禁じられた。今日、悠久なる中国4000年の歴史の中の数々の事件を取り上げて作品化するというのは、大変困難なことになってしまったのかもしれない。しかし、そんな中で、本作品のように、中国、日本、香港、韓国という4つの国と地域の融合プロジェクトとして仕上げたことの試みには大変大きな拍手を贈りたい。

以前は中国で最初の皇帝国家となった「秦」が、古代史の中心として研究されていたが、最近では、この「秦」の前にその皇帝という構想を持っていた「趙」が「周」の流れを最も継承した国として研究の中心となっている。周といえば、儒家を取り入れた(皇帝という名称は使わなかったが)国家としての機能を最初に持った国であった国家として、その後の中国の歴史興亡に大きな影響を与えているが、戦国七雄の中でも、秦に政(始皇帝)が現れるまでは、趙は七雄で最も勢力があった。政の出生も趙である。そういう意味では、この作品は中国の歴史を紐解く中でも新しい解釈であり、勿論、推測・想像の部分多いが、歴史に限らず新しい研究は仮説から始まるものであり、同時に墨子を扱ったという大胆な発想にも脱帽である。今や、世界で最も携帯電話販売数が多い国であるが、一方で、歴史は1949年から始まっていると教わって来た年代が成人しているという世代の、99%が最も尊敬している人物は「毛沢東か周恩来」である。世界の色々な国から中国史を研究するグループも来ているが、輸入品と変わらなく冷遇されているのも事実。国家の存亡に歴史が邪魔になるというのは分らなくも無いが、ギリシャやローマ帝国よりも、もっと昔から国家という概念を持っていたこの国の海外からの研究者には、協力をしないまでも、せめて自由に活動させることにより、新たな歴史的事実が発見できるものと確信する。

また、この作品には「儒教」という思想ら対して、ひとりの人間が、国と戦争と愛と人生の中で、何が大切であるのかということを真剣に考え、また、それらを語り合っている。日本でも、封建時代の武家というのは、「武士は食わねど高楊枝」という言葉の通り、階級・貧富に係わらず常に高い志を持ち、立派な生き方をしていた。中国では紀元前400年から、こんな立派な人たちが居たと思うと、我々は素晴らしい祖先を持っているのだと思う。ローマにも共通することであるが、この時代の人間は、良く「考える」ことを訓練され、実際にも良く考えて行動していたと思う。折りしも六カ国協議が再開した昨今、我々はもっと考え、知恵を出し、融和していかなければならないと反省させられた。

作品も見事だった。アンディ・ラウは良かった。又、ファン・ビンビンという女優を始めて知ったが、大変素敵な人だと思う。(私がソフィア・コッポラだったら彼女を主役にして楊貴妃を撮るだろう・・・って、失礼、これは言い過ぎ)。脚本も良かったし、美術で言えば、あの趙軍の気球の様な乗り物というか攻撃法は気になった(筆者の認識では気球を始めて軍事利用として戦法に使ったのは18世紀ナポレオンだ)が、まぁ、この辺りの自由な発想は良しとしたい。ただ、音楽はどうも「トロイ」以降、史劇はみんな同じ様な旋律と遣い方をされているのが気になったが、総合的には予想以上に良い出来だった。ラストでもうひとり、人物が並んで歩いていることを望んだところは裏切られたが・・・。


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by turtoone | 2007-02-10 23:12 | 映画(は行)

ディパーテッド

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スコセッシが監督賞を受賞したが、ゴールデン・グローブでは、「ギャング・オブ・ニューヨーク」に次いで二度目。いよいよ、ディカプリオと共に、オスカーに殴り込み! と、思いきや、レオさまの方は「ブラッド・ダイヤモンド」でのノミネート。レオさまは、この両方の作品でノミネートされていたゴールデン・グローブは受賞出来なかった。予告編でやたらと「ブラッド・ダイヤモンド」が気になってしまったのも事実である。筆者としても今、一番気になっているコンビなのであるが、常に次回作の話題がつきまとい、「酔いどれ天使」の予定が「ルーズベルト大統領」がこのコンビの次回作としては先になるらしい。一般的な評価は区々であるが、筆者の中では「ギャング・オブ・ニューヨーク」が、スコセッシ作品としても、又ディカプリオ出演作としても最も評価が高い。だからどちらかというと前作「アビエイター」もしかりで、このコンビでは、歴史モノか人物モノが有り難く、それ以外のジャンルというのは然程、大きな期待は出来ない。変な言い方であるが、スコセッシ監督は、ディカプリオをデ・ニーロ的に使って欲しくないという感じが優先しているのかもしれない。だが、筆者の勝手な思い入れや思惑とは別に、この作品で賞を取ったり、また、オスカーでもノミネートされているという高い評価を受けているという事実もしかり。又、筆者は、この原作となる「インファイナル・アフェア」という作品をそんなに深く知らない(微妙な言い方だが、観たことはあるのだが、余り覚えていないという事実。つまり、二度は見ていないということだ・・・)。だから、純粋に物語を追って行くというごく基本的な作品鑑賞をすることになった。

物語はそんなに深い内容ではない。但し、アイリッシュに拘っているところがスコセッシらしい。それから大きな驚きもない。これも、実にスコセッシらしく、ラストまで想定した通り(というか、ああいうラストでなければ150分も観て来た意味がないという言い方が正しい??)であり、こういう部分でスコセッシ監督はファンを裏切らない。また、それはラストだけでなく、冒頭部分も、成るほど、スコセッシの言うとおりだと妙に納得してしまう展開である。つまりは、オープニングとラストでしっかり主張しているから、中がそんなに深くなくても印象としては残る作品である。「ギャング~」はラストが今ひとつ(というか、妙に意見を述べすぎ)、「アビエイター」は冒頭で鑑賞者に余計なトラウマを与えすぎたのに比べると、この監督にしては普通っぽいけれど、全体的に纏まって見える印象を作り出せたのは大きかった。それと、ギャングモノ作品に位置づけることのできる中では、必要以上に合衆国国家を感じさせないところも良かった。ご存知の通り、ギャングモノは、必要以上にアメリカの裏社会を描くことによって国家論に繋がるところが多く、同時に、暗に国家を遠まわしに語りたがる。勿論、それはそれでも良いし、「ゴッドファーザー」などは、それが主題みたいな作品だ。だが、この作品は「ギャング~」と同じ、一地域の、一部分で完結させている。これは、アメリカ全国家の問題なのであるという様な押し付けがましや、過剰な取り上げもしていない。この辺りが大変好感の持てる作品だったし、結果、上映時間も全く気にならなかった。そう、筆者的には、内容といい背景といい、現代版の「ギャング・オブ・ニューヨーク」だったという見方である。

演技も良かった。ジャック・ニコルソンとマーチン・シーンは流石である。ディカプリオは、今回特に何か特別に印象的な演技をした訳ではない。ただ、前半の「刑事のカオ云々」の部分で、あれだけ簡単に自分の顔を変えてしまうところは驚きだ。いよいよ安心して観ていられる域に達して来たようで、この筆者の安堵感はオスカーで賞を取る取らないの次元では無い。また、マット・デイモンも、これだけ演技巧者に囲まれると、役者というのは上手くなるものだなぁと関心した。逆に言うと、それ以外の部分、例えは、音楽とか美術は特筆するものがなかったが、逆に言えば悪いところは無かったので、それだけ本筋に沿った作りになっていたというのも事実。「アビエイター」はそれぞれが主張し、印象が強かったために、作品全体の纏まりを悪くしたが今回は逆であった。

総じて、コメディ作品に「大逆転」という名作があるが、この作品はシリアス版大逆転とでも言えようか。ディカプリオがもう身分を偽っているのは限界だという辺り、同時にデイモンも、この際育ての父を裏切ってもというふたりの極度な感情の部分に、不届きにも筆者はこの作品を思い出してしまった。特筆すべき部分はなく、特別に評価は高くないが、良く出来た良い作品である。しいて言えば脚本が良かったのであろう。欲を言えば、スコセッシらしさが少なかったという別の言い方が出来るのかもしれない。


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by turtoone | 2007-02-03 21:36 | 映画(た行)

マリー・アントワネット

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今年の期待度でこの作品を第2位にしたのは、明らかに「期待度」という言葉に相応しく、作品の良し悪しでなく「期待」が高いということである。おっと、そんな書き方をすると、この作品の出来が悪かったように聞こえてしまうが、それに関しては後述する。

何故、この作品に多くの期待を寄せたかというと、まずソフィア・コッポラ。こういう作品の監督をやれば、彼女の本当のところの実力が分ると思ったから。筆者は「ロスト・イン・トランスレーション」くらいしか知らないが、あの作品に関しては、筆者は然程高い評価は出来なかった。確かにオスカーで賞を取っているが、全体的に邦画的な流れを感じた作品であった。そういう意味ではカット割は結構面白かったと思うが、偉大なる監督である父親譲りというよりも、スタッフ構成などを見ても、親の七光りを強く感じてしまったせいもある。簡単に言えば、評価がしにくい作品であった。今回は筆者も鑑賞者として、又、一研究者としても多少評価を出来得る範疇だからしっかりみれると思う。それと、キルスティン・ダンスト。まずは。彼女をこの有名な王妃役に抜擢した感覚には脱帽する。キルスティンとマリー・アントワネットの共通項というのを探すのは大変難しい。しかし、この辺りにも、ソフィアのこのテーマに対する考え方が現れていて、要するに歴史上の人物を、現代女性の視点で捉えようという試みであることは良くわかる。この辺りから、可也、期待度が上がって来たのであろう。

しかしながら、正直なところ、全体を通して作品の安定感が無かったのが事実である。簡単に言えば、マリーを追っているのか、歴史を追っているのかが最後まで掴めなかったのが事実。世界史の一事実として、それは彼女がギロチン処刑されたことと、フランス市民に新しい国家観念が芽生えたという時代の偶然の重なりであり、現代のフランス国民には、彼女を庇護する声が多いことも事実。あの、プライドの高い国民がそう述べるのであるから、これはフランス史の悲劇としか言いようがない。だが、日本人には「ベルばら」のお陰で、ナポレオンよりも何をした人なのかの認知度としては、可也高いヨーロッパ史の人物である。だから随分誤解も沢山受けていて、この作品でも、当時のフランスの対外政策が、国家の威信を保つためと同時に国民生活を窮乏させていったことを述べている。だとすれば、14歳でフランスの皇太子妃となり、当時、ヨーロッパでも最も権勢を振るっていた王国の後継を委ねられた一少女を、もっと期待通りに少女の観点で描いて貰いたかったのは事実。ドレスと靴とケーキと美少年に憧れるのは、時代が変わっても同じなのかも知れないが、それは、今の時代の少女には普通のことかも知れないが、当時はごく限られた一部のことであるのだから、もっと「同盟のためにフランスへ嫁いだ少女の動揺」を描き続けて欲しいと思った。例えば、彼女は、国境の儀式には驚くものの、ヴェルサイユ宮殿を見てもそんなに驚かないが、本当にそうか? オーストリアの王家に生まれた彼女だからこそ、同じ皇族でも、これだけ格式が違うのかということは、他の誰かではなく、彼女だから分ることではないかと思う。冒頭に書いたような言い方をしたのは、この作品の評価は一般的にかなり低い様であったからで、でもそれは、筆者にとっては、物語の軸がマリーなのか、フランスなのか、その辺りが明確でないために全編にわたり焦点が呆けたせいであると思う。残念だ。

衣装など美術は素晴らしかった。この辺りには随分お金を使っていると思う。特に、ケーキや靴や帽子は、多少現代を意識して作られているのかも知れないし(というか、筆者の知る限りこういう資料を知らないので・・・)キルスティンの着ているドレス等はもう少し後世のデザインの様な気もしたが、その辺りは「忠実な史劇」を作ったわけではないから良いと思う。しかし、だとしたら前述もしたが、オーストリアからフランスへ行った辺りの「格差」を表現した方が良かった。事実、衣装等には現れているが、例えば、馬車1台をとっても、然程の違いは分らない。この序盤のシーンを彼女なりに脚色することで、この作品は随分鑑賞者を「掴め」たのだと思うのだが。音楽も中途半端だった。選曲でなく、使い方である。現代の音楽を前面に出すのなら、いっそのこと、オペラも現代曲でやったらどうか。確かにミュージカルではないが、そのくらいやらないと「ムーラン・ルージュ」の様に、鑑賞者に訴えられない。また、選曲がマニアックな部分もあり、それが余り映像的に面白いシーンでないと、誰の曲だったか聞き込んでしまう部分もあった。音楽に凝るのは良いが、ミュージカルでもミュージシャンの作品でもなく、あくまでもこの作品にとっては物語を飾る一部でしかない。「ロスト・イン~」でも感じたが、どうもこの監督は、音楽を懲りすぎる嫌いがある様だ。

全体を通して、マリー・アントワネットの作品でなく、良く、民放の世界を旅する番組にあるような、最近の若い女優が、一日マリー・アントワネットを体験した、そんなレポートみたいな作品になってしまったと思ったのは、筆者だけではないと思う。また、もうひとつ、やはり本物のヴェルサイユ宮殿にはフランス語しか似合わない・・・?


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by turtoone | 2007-02-02 23:52 | 映画(ま行)