暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2006年 12月 ( 9 )   > この月の画像一覧

2006年は色々な意味で映画鑑賞の分岐点になる一年だった。まず、自己の反省として、鑑賞した作品が少なかったこと。なんとか100本には達したけれど、例年の7割以下であった。1週間に3本を目指している(←数を大事にしている訳ではないが、今、世界各国の作品を観るには、例え取捨選択してもこの程度の鑑賞は必要)筆者としてこれは、体力的に休日のまとめ鑑賞ができなかったこと。又、それに関しては、シネコン上映作品の平準化も大きい。シネコンは、スクリーン数が多いのだから、もっと、ミニシアター作品公開の柔軟性を出して欲しい。それから、邦画が大健闘した。例年より邦画を観た回数も多かった。但し敢えて苦言を呈すれば全然面白くない。邦画はもっとハリウッドなんかに、迎合した創りではなく、独自路線を踏襲して欲しい。残念ながらイーストウッド作品で分かる様に、同様な傾向の作品化は資金力が違い過ぎるので、ハリウッドには敵わない。差別をテーマにした作品が多かったのも特徴。だが、一方で個々の作品コンセプトに「深み」が感じられない傾向もあった。だからという訳ではないがブログに記事を書くのも躊躇ってしまう事が多く、結果、記事を書かず仕舞いだったり、DVDで再度確認してからという難解なもの、逆に軽すぎるものもあったと思うが、こう思うのは筆者だけなんだろうか。そんな一年のランキングを、85点(B+というランク)まで発表させて頂く。

1. ミュンヘン 95点
2. ユナイテッド93 93点
3. メルキアデスエストラーダの三度の埋葬 91点
4. スタンドアップ 91点
5. カポーティ 90点
6. グッドナイト&グッドラック 90点
7. 麦の穂をゆらす風 90点 
8. 父親たちの星条旗 89点
9. ホテル・ルワンダ 88点
10. カサノヴァ 88点
11. 硫黄島からの手紙 87点
12. ダ・ビンチコード 87点
13. 敬愛なるベートーベン 86点
14. ウォーク・ザ・ライン 君につづく道 85点
15. リバティーン 85点
15. 人生は、奇跡の詩 85点
15. 有頂天ホテル 85点

b0046687_18425626.jpg
毎度、申し上げて恐縮であるが、筆者の採点方法は9項目に分かれて、それを合計した100点満点。同点の場合は基本的に各項目の高得点が多い作品を上位にしているが、15位の85点3作品は点数配分が全く同じだったので同ランクとした。「ミュンヘン」は、95点を超え、「グラディエーター」以来の「特A作品」となった。しかし、昨年に比べると90点以上の作品は少なく、(90~94点をA作品としている)やはり、個人的に共感できなかった(こういう採点法でなるべく主観を除いている積りなのだが・・・)作品が多かったのかも知れない。個々の作品に関しては、それぞれのレビュー(すみません、まだ書いてないものは早々にアップします・・・)をご参照頂くと幸b0046687_18432342.jpgいであるが、総評として「ミュンヘン」や「ユナイテッド」の作品の作り方には映画職人気質を感じる。「メルキアデス~」には、ハリウッドらしくない人間味を、「スタンド・アップ」、「麦の穂~」には、最近映画作品で軽視されつつあるエモーショナルラインを重視し鑑賞者を大事した構成を、又、「カポーティ」と「グッドナイト~」には、アメリカ近代史の事実を追及することで、今後のアメリカ国民のあるべき方向への提言をと、やはり90点以上の作品には、夫々作品の意図が明確に、しかも根底をしっかり支えているものばかりだと思う。

続いて各部門を発表させて頂く。(作品賞は自動的に「ミュンヘン」である)

主演男優 フィリップ・シーモア・ホフマン (カポーティ)
主演女優 フェリシティ・ハフマン (トランスアメリカ)
助演男優 バリー・ペッパー (メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬)
助演女優 フランシス・マクドーマンド (スタンド・アップ)
最優秀監督 トミー・リー・ジョーンズ (メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬)
脚本賞 メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬
美術賞 ダ・ヴィンチ・コード
音楽賞 ウォーク・ザ・ライン
撮影賞 ミュンヘン
効果賞 ユナイテッド93
特殊効果賞 キング・コング
最優秀アニメーション ライアンを探せ 
最優秀邦画 有頂天ホテル
企画賞 ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女
特別賞 ユナイテッド93

この各賞の選出だが、部門によって可也迷ったものが多かった。決定的ではなかったり、例年に比べるとクオリティが低かったり、色々である。まず主演男女優と助演女優は文句無くこれで決めた。助演男優は難しかった。今年の中で最も迫力があったのは、「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」b0046687_18434222.jpgのアンソニー・ホプキンスだったが、この拙ブログでこの超大物を今更助演に選出するのもと思い、しかし、それ以上に印象的演技という意味ではこの人を選出した。俳優に関しては他の3部門がすんなり決まったので、余計悩んだのかもしれないが、彼を選んだ自信はある。監督も迷った。スピルバーグとジョージ・クルーニーも捨てがたかったが、スピルバーグに関してはある意味で別格。筆者自身が過去に5回も選出しているのでもう殿堂入り、というわけではないが「シンドラーのリスト」よりも良い作品を監督したら・・・ということにしたい。また、クルーニーに関しては次回作を見てみたい。脚本もかなり悩んだ。「ユナイテッド93」、「ミュンヘン」、そして過去に余り高評価をしなかった「クラッシュ」である。ここでは「メルキアデス~」の時系列の構成が良かったことで、この作品にした。音楽賞も「敬愛なるベートーベン」が捨てがたかったが、ホアキンがあそこまでやってくれたという賞賛を込めて。最優秀邦画は上記ランキングで最も点数が高かったので。しかし、ここ数年では邦画の中で一番点数が低いし、今年はベスト10にも入れなかった。こうしてみると、やはり、ランキングで上位に入った作品は、トータル的な良さだけでなく、それぞれの項目からの評価という点でも高い。あくまでも、映画作品からの批評・選出であるから、洋画も邦画も同じ土壌で語ってしまって不公平かも知れないが、お許し頂きたい。

こんな一年の総括になったが、やはり、自己満足かも知れないが6年間出なかった特A作品があったことは自分でも嬉しかった。


ご参考までに・・・
発表!2005年 シネマの総合評
発表!2004年 シネマの総合評


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-30 18:44 | 映画関連

人生は、奇跡の詩

b0046687_9261625.jpg
勝手な偏見かも知れないがイタリア人というのは皆、詩人の様だ。観光程度にしかこの国を訪れたことが無いから、筆者のこの国民との接点レベルでは致し方ない。それと、やたら早口?良くもあんなに沢山喋ることがあるのと、どこで息継ぎをしているのだろうというのは、未だもって不思議である。以前に某大学のイタリア語劇なるものを観たが、そう思うのはアクセントのせいなのかも知れない。いずれにしても、やはりイタリアにはラテンな血統的感覚と陽気な慣習の二つは、ぬぐいされないのは事実。

ロベルト・ベニーニは、かの「ライフ・イズ・ビューティフル」以外に、そんなに良く知っている人ではないが、とにかく彼の「ラ・リ・ル・レ・ロ」は気持ちが良い。勿論、それだけでは無い類稀な才能には感服というより嫉妬に近い感慨がある。ただ、この作品に関しては公開前より、賛否両論があり、それもかなり両極端で、いわゆるテレビのお茶の間濁し系は、「ライフ・イズ~」に匹敵の名作という評価から、専門誌やウェブの個人評価は厳しい物が多く、この暮のせわしない合間に、出来不出来、好き嫌いは別として、結構抑えておかなくてはいけない作品が並びたつ中、余計に気になったのも事実である。

しかし、筆者の結論を言ってしまうと作品の発想は良かったが、残念ながら構成に関しては捏ね繰り回し過ぎた観があるのは歪めない。それは、例えば文学でいうところの、純文学という定義とは少し分類が違うかも知れないが、所謂、最近、日常の中の非日常を現すのにやたらと人間を超えた領域を使う事に対して、この作品は人間世界の中だけで処理しようとした。筆者が純文といったのは、いわゆるSFとか、超次元での解釈を加味しないと解決しない問題提起とその決着方法が多い最近の映画作品に対し、それらの反則技を使わずに、この物語を完結させた試みに関して、発想は良かったと申し上げたい。しかしながら、そのために物語の設定や進行に無理が生じたのも事実で、この構成は物語を完結させる為にはこれで良いのかもしれなかったが、鑑賞者としては何とも頭の中が整理されない内に終わってしまったというのが率直な感想である。特に、イラクという空間を何故選んだのかは、もしかしたら超現象よりも理解し難いのは事実。恐らく、この映画作品をご覧になった人の殆どは、この点に関して違和感があるだろうと思う。しかも、詩人だからこそこのイラクという場所で何かを残せるのではないかという大方の期待が、このベニーニ作品だからこそ有りうるというのは、「ライフ・イズ~」を引きずっている鑑賞者には、筆者も含めて当然の成り行きだと思う。しかし、あの名作と違いイラクである必然性も無いし、それ以上に訴える物も少なかった。

一方で二コレッタ・ブラスキが美しくて良かった。筆者が常々述べている女優を美しく撮るという映画世界の言わば鉄則をひたすら実践してくれる、数少ない監督の一人である。ブラスキュを綺麗に撮れるのは、流石にご主人の特権であり、愛情である。最愛の女性をこれだけ美しく撮っているという銀幕に映写された事実だけで、この物語は見事に完結するのであるのだから、そのプライベートをリンクさせるのは常道では無いかもしれないが、だからこそ、必要以上に設定と展開をこねくりまわして欲しくなかったのである。

それと、何と言ってもトム・ウェイツである。ある場面にしか出てこないが、トム・ウェイツは最高のミュージシャンだ。まだ10代の頃、久保講堂(だったと思う。今は無きの・・・)で聴いた彼の渋い声は、この映画で完全に脳裏に蘇った。

前述した様に、試みは良かったが結果的に無理があった。しかも「ライフ・イズ~」を皆で引きずってしまい、期待も大き過ぎた。これだけだと大した作品ではないのだが、女優ニコレッタ・ブラスキの美しさとトム・ウェイツの音楽で作品的な満足はあった。DVD化したら何度も観る必要性を感じた。なぜなら、それはやはりベニーニだからである。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-24 00:32 | 映画(さ行)
b0046687_2334416.jpg最初に申し上げておくが(というか、以前に「見たい映画をつなぐタスキ」で書かせて頂いたが)、この作品は筆者の鑑賞した映画の中で最高評価である。多分、後々にも筆者に取ってこれ以上の作品は出てこない。と、どうしてそんなところ迄も言いきってしまうかというと、要するに筆者という一人間そのものが変わらないからである。決して大袈裟でなく筆者はこの作品と出会う為に映画を観てきたのだと思うし、又、この作品は今後も最低年一回は観ようと思う。

何がそんなに惹き付けるのか?まず題材である。第二次大戦下、戦争の象徴でもある非業な人種差別であるナチとユダヤが題材である。有史以来、人間の歴史とは民族の興亡であるが、その興になるも、亡になるも必ず争いはつきまとう。言い替えれば、人間の歴史とは戦争の歴史である。その中で、最も多くの国と地域と人民を巻き込んだのが、この世界大戦である。これだけ大きな戦争はこれから後、スターウォーズ迄ないであろう。その大戦の中でも最も悲惨な出来事なのが、アウシュビッツである。(失礼ながら悲惨に最もなどと言う言い方はいけない。ヒロシマだって、南京だって悲惨かつ非業である。)しかし、このユダヤ人に対しては戦争の悲惨さに加え、民族差別と迫害の象徴である。そしてヒトラーはこの優秀な民族を最も警戒し、かつ侮蔑しつつ、戦略のみせしめとして、ユダヤ人を世界中の晒し物に仕立てることを計略した。それだけヒトラーにとってユダヤとは最大の脅威だったに相違ない。

そんな絶望と恐怖の最中に、一筋の光明と希望を描いたのがこの作品だ。にも関わらず、この物語は少しも理屈っぽいところがなく、物語も複雑化していなく難解でない。そういう説明を要するに箇所は台詞やナレーションという説明調を極力避け、殆ど映像で処理をしている。しかも、モノクロ作品である。唯一のカラーは赤い外套の幼女と蝋燭のともしびだけ。これは、スピルバーグが尊敬してやまない黒沢作品に通じる。一方でモノクロは難しい。写真もそうだがモノクロは「物を言わない」。というか「発信しない」。しかし、その中で、美術や視覚効果はきちんと表現されている。別の言い方をすれば、モノクロの持つ「物事を特定しない」効果を十二分に活用した作品とも言えよう。

勿論、演技も絶品だ。モノクロの世界はある種俳優を綺麗に見せることはあるが、代わりに、演技の起伏を隠してしまう難点がある。この作品はその典型的な一例で、とどのつまりは、この物語をすべて表現出来得る俳優陣も同時に必要だった。物申さないモノクロというハンデの渦中で、色鮮やかなる演技を披露し、正直なところ作品が開始して僅かの間にモノクロである事を忘れる。そして何と言ってもラストの歌が感動的で、二度目以降の鑑賞ではこの歌曲のために200分の作品を観ても良いと思う。また、脚本がしっかりしていて、脚本重視した製作であることが如実である。場面の展開も良い。作品自体は相当長いが無駄なカットが一つもなく、又、作品の長さはほとんど感じない。更に言えば、貴重な歴史的証言が多い一方で、記録映画になっていない。作品の中でその証言のひとつひとつを同化させ、しかもきちんと完結させている。そう、作品自体が貴重である。役者のひとりひとりが見事で、同じスピルバーグ作品「ミュンヘン」程ではないが、各国の俳優が出演している。戦争をモチーフにしている作品の中では最高作品である。それは、そうだろう。何ども繰り返すが、筆者の最高評価なのだから。

人間とは恐い側面があり、特に気を引き締めていないと平気で差別する。民族差別、宗教差別、性差別など限りない。戦昨今のいじめや家庭内暴力だって、突き詰めれば心の油断からはっする差別の類ではなかろうか? 戦争いとは国家や民族という集合体の争いであり、そこに個というのは全くもって無力極まりない。しかし、シンドラーはその中で、国家の理論とは全く違う戦い方をした。それは体制と戦うのでなく、体制には気が付かず、体制には為し得ない側面で戦った。そして後世、それは正義という戦時中には得られることの無い最高の勲章で賞讚されるに値する行動であった。勿論、その勲章の為に彼は戦ったのでは無い。彼が立派なのは、この行動が多少でも奢ったり、偏見や憐れみから発せられたのでは無いという事である。それが証拠に彼は、自分がもっと努力すれば、又、もっと早く自分の使命に気づいていれば、あと、ひとりでも、ふたりでも、もっともっと多くの人々を悲惨な目にあわすことなく救う事が出来たのだと、これだけの事を成し遂げたにも関わらず、自らをさげすんでいる。彼こそが英雄なのである。

現代でも体制を語る事の出来る人物は掃いて捨てる程いる。しかし、残念なのは体制の中で、本当に自分が何をできるかという事を実践できる人物は殆どいない。それどころか、模索すら出来ない。この作品は体制の中で、翻って、我々を取り巻く日常に刮目する事の大切さを教えてくれるのである。


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-17 23:35 | 映画(さ行)

敬愛なるベートーヴェン

b0046687_044259.jpg
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。西洋音楽史上でも、他の音楽家とは一線を画した数々のエピソードと、後世の音楽家にも数々の影響と名演に繋がった、ある意味では最も数奇な運命を辿ったと思われるこの人物であるが、何故か同時代の音楽家に比べ映画作品化されたことは少ない。大体、「ベートーベン」というと犬の映画になってしまうではないか。モーツァルトがやれ没後200年だ、生誕250年だと世界中で大騒ぎされる一方で、では一般に親しみが無いのかというと全くそんなことはなく、「運命の扉を叩く」第五であったり、ナポレオンに捧げた「英雄」の楽譜を破ったり、年末になると世界中で素人オケまでが演奏する「第九」であったり、小学校1年からバイエルを弾いていた筆者ですら、初めて弾いた「有名な曲」は「エリーゼのために」であった。(余談ながら、この曲とモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が世界でも最もポピュラーな曲だと思っている)。しかも、晩年は耳が不自由であったということも、音楽ファンのみならず、殆どの人が周知の事実であり、又、バッハが「音楽の父」、モーツァルトが「神童」と呼ばれるのと同じように、彼も称号として与えられた「楽聖」が、後々も彼の別称となるほど、映画化に関してはこれ以上話題の豊富な偉人も中々見当たらない。そんなこともあり、この作品化に関しては、2006年後半のひとつの目玉でもあった。

作品は、ベートーヴェンの「交響曲第9番 合唱つき」、所謂一般に「合唱」と呼ばれる当時としては、実験的演奏の成功エピソードが中心である。ヒロインでもある写譜師のアンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)は架空の人物であるが、この時代に写譜師というのは数多く存在し、ベートーベンも何人か専属の写譜師を使っていたという。特に、晩年耳が不自由だった彼は、モーツァルトがやはりそうで゜あった様に、五線譜に書く前に頭の中で音階が出来上がっていたと言われるが、これは定かではない。ただ、子供の頃に読んだ彼の「偉人伝」には、耳が殆ど聞こえなくなったにも係わらずベートーベンは第九を指揮し、その素晴らしさに拍手喝采だった会場の様子も、彼には届かなかったと悲劇的に記してあったが、後に知った歴史の事実は、初演で指揮台に挙がったのは彼と、ウムラウフという指揮者。実際に楽団が頼りにしていたのはウムラウフの方であり、演奏後も指揮が出来なかった絶望感で会場を振り返れなかったベートーヴェンを観衆に向きなおさせたのは彼である。アンナ・ホルツのモデルはウムラウフだった。しかし、この場面の演奏に関しては、実際の演奏よりも短いシーンであるが見応えがあり、19世紀当時の演奏会場の雰囲気を垣間見ることができる。後述することに関係するのでひとつ説明すると、この「歓喜の歌」の構想は彼が交響曲第1番を作曲する前からあった。

但し、少し音楽を齧ったことのある身としては(又は、そうでなくて一映画ファンとしてもであるが)、この作品はここで終わって良かったのではないかと思うが、この後「大フーガ」完成のエピソードまで引っ張ってしまった。大フーガとは不思議な楽曲で正式には、ベートーヴェンが作曲した16曲の「弦奏四重奏曲」の第13番の終楽章として後に作成しなおされた。無論、13番の初演の時に、フーガは演奏されなかったし、この曲は年代も第15番と第16番の間に作られているのに、ナンバリングがなされていない不思議な曲である。最終的にこの曲の作曲秘話へと繋がるが、この辺りの構成はベートーヴェンファンだけにならイザ知らず、可也コアな内容と展開だったと思う。確かに、この大フーガは後世でも中々認められず、評価が高くなったのは20世紀に入ってからだ。つまりは、「第九」がそうであるように、大フーガも、ベートーヴェンの「実験的音楽」の中での大きな構想であったのだろうが、この作品では、それを重視したがために、ベートーヴェンファンには受け入れられたかも知れないが、結果的には作品のポイントをずらしてしまったと思う。

ベートーヴェンの曲の中では、交響曲第7番が最も好きな筆者にとっては、「第九」ならぬ「月9」の「のだめカンタービレ」の方が良いと思わせてしまうのも、結末を余計に引っ張ってしまったところに原因がある。しかし、それ以外の部分では、エド・ハリスのベートーヴェン(ちょっと清潔過ぎるが・・・)も中々良かったし、美術・音楽・時代考証などは素晴らしかったし、彼を映画として描くには、やはりこの「第九」のエピソードしかないことが良く分かった作品でもあった。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-11 00:45 | 映画(か行)
b0046687_17362233.jpg1950年代の赤狩りがテーマである。アメリカでは、当時共和党上院議員、ジョセフ・マッカーシーの名前をとって「マッカーシズム」と呼ばれた。マッカーシーは、共産主義者とその同調者として糾弾されたのはアメリカの政府関係者やアメリカ陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家。さらにはカナダ人やイギリス人などの外国人にまでに及んだ。しかしこの強引な手法がマスコミ・民主党から大きな反感を買うことになる。マスコミをはじめ政府、軍部内にマッカーシーに対する批判が広がる中、1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローにより、マローがホストを勤めるCBSのドキュメンタリー番組「See it Now」の特別番組内で、違法な手法で赤狩りを進めるマッカーシーに対する批判キャンペーンを行ったことを皮切りに、国民の間にも広くマッカーシーに対する批判が広がった。この作品はその事実に基づいた物語である。

この作品はモノクロ映像であるが、冒頭辺りでは、何故この作品をモノクロ撮影したのかの意味と理由が良く理解できなかったが、テレビ番組のシーンになって漸くその効果が分かってきた。このモノクロは1950年代当時を表現描写、特にテレビ界とその周辺を表現するのには大変効果的であった。また、それだけでなく細かいところへの拘りも良かった。煙草を吸いながらテレビ画面で堂々とコメントするなんて現在では到底考えられないが、このシーンひとつとっても、もし、このシーンをカラーで映像化していたら多分時代背景を考えても、凄い違和感を感じたであろう。テレビ局のブースに関してもそうであり、今も昔もブースは殺風景なものではあるが、機材のひとつひとつも、カラー映像であったら現代見たら、まったくそぐわいものばかりであるから、ここにもモノクロ映像が大変生きた。つまり、時代考証を明確に鑑賞者に伝えるということでモノクロ映像を選択したところに高い評価をすることができる作品だ。

この時代の「赤狩り事件」は結果的に現代アメリカに蔓延る巨大メディアの創出に繋がった。そして一方で、ジャーナリズムに対しては言論の自由に対して、国家が規制をするのでなく、メディアの中での自主規制という方向の方程式を導き出すことに成功した。報道の自由を主張していながらこの結果というのも、何ともお粗末な話である。「赤狩り」は、主に政治関係者は然ることながら、言論や文化を対象に行われた様に描きつつも、同時に、政治的圧力を掛けることによってある意味で異分子や異端児を搾り出す効果にもなった。この辺りは、近年、アメリカメディアの報道特集等でも検証され、自社の過去を省みる局もある。マローもこの作品にも描かれている様に、民主主義国家とは、国民の自由を守ることだと言っているし、それは正しいことである一方で、如何にテレビ局が無力だったかを露呈しているに過ぎない。そしてこの時代からゴールデンタイムに、報道は不必要だとされた。メディアの限界は国民を笑わせる事は出来ても、国民を奮い立たせることは出来ないという結論である。しかし、マローの様な骨太なジャーナリズムは現在でいえば全く無いに等しく、特にわが国に至っては、朝から晩まで報道番組があるにも関わらずプライムタイムも含めて、しっかりとジャーナリズムの原点に立ち返った報道をしている番組もキャスターも皆無である。言論の自由の傘に隠れた偏向な報道、キャスター自体の無知無教養の露呈、国民の代弁に名を借りた言い放しの意見、更に、知る権利を主張したプライバシーの侵害を日々繰り返しているだけてある。その点から考えれば、是非マローの気骨のある報道姿勢に習い、反省して欲しい。

この作品はオスカー候補でありながら、作品賞を取れなかったことが大変残念であった。作品賞候補の中で個人的に一番評価を高くしたのは「ミュンヘン」ではあるが、作品賞ということでの社会性や問題提起を考えると、この作品が作品賞に最も適していたと思う。候補作の中では脚本が抜群に良く、作品の内容からどちらかというとストーリーを追いかけるだけに終始しそうなところもうまく纏めあげ、しかも90分程度に収めたという点が上げられる。

ジョージ・クルーニーという人は役者としては特にこれまで魅力を感じなかったが、この作品に見られるように監督としては、感性といい着眼点といい、今後も大きな期待の出来る人である。当然ながら筆者の評価も高い作品である。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-10 17:47 | 映画(か行)

父親たちの星条旗

b0046687_19433926.jpg
「ミリオンダラー・ベイビー」で、本当は凄い人なのじゃないかと自己の考え方を大きく変えたこのクリント・イースト・ウッド監督作品は、その筆者の「思い入れ」を更に強いものにしてくれた。この作品、「ミリオン~」のイーストウッド(敢えて「ミリオン~」のと言いたい、「許されざる者」「ミスティック・リバー」の~ではない)の主張を更に掘り下げ、また大きく前進した内容である。それは一言でいうなれば「人間の尊厳」である。但し、この作品が「ミリオン~」より、戦争映画でありながら好感を持てるのは、その「人間の尊厳」というテーマを「ミリオン~」の時の様に前面に出しているのでなく、静かにそれを語っている点である。イーストウッドは表現力という分野に関しても大きく前進したと言える。俳優・イーストウッドは筆者的に演技力という部分では平凡であるが、監督としてはいよいよ超一流の部類に入ってきたのではないか。

「硫黄島からの手紙」が今週公開されるとあって、いやいやのんびり構えていたのだが、急いでこちらを鑑賞しに言ったのだが、冒頭に述べた感動は、実は殆ど期待していなかった。というか、タイトルから察して(この「察する」という行為が筆者の一番悪いところ)あの太平洋戦争を象徴し、ワシントンにも銅像の建つ有名な写真の「真実の逸話」であることは大概の映画ファンであれば察しが着く。ましてや「父親」というのだから、戦後60年を経て、その子息が事実を究明するんだろうなんて展開まで容易に推測できてしまう。だからその程度であると勘ぐっていたのも事実。しかし、「とんでもない・・・!!」。筆者が、この映画で一番感情移入してしまったのは、アイラ・ヘイズ役のアダム・ビーチである。作品の流れからいけば、ライアン・フィリップに感情移入して良いのだが、敢えて、このキャストの設定に興味があり、この人物を中心に観た事によって、監督の主張がより良くわかったのも事実である。しかし、これには筆者的に伏線があつたのは、筆者がインディアンが好きだということと、アメリカの歴史の中で、唯一その本土が舞台となった南北戦争というのがもやたらと頭にこびりついていたからなのである。第二次世界大戦関連作品を観るときには、どうしても切り離せない観点が、本土決戦が無かったからこそ、アメリカはその後の世界で台頭できたという「国力」を失わずにすんだ点である。しかし、一方でこりアイラの先祖は、誇り高き、尊厳のあるネイティブアメリカンである。彼等は本質的に争いは好まない。ましてや自分たちからは仕掛けない。しかし、アイラは志願してこの大戦に参加した。このことは同時に、ネイティブの誇りを捨てたことでもある。そして、彼に取っては不運である、「旗立て」に参加してしまったのである。その後の「英雄」としての国内活動の中で、彼は本当の人間の「尊厳」とは何かと葛藤し続けるのである。そして、残念ながら、彼はそれを見つけることが出来なかった。この奥深いテーマを根底にしたところに、スビルバーグが持っていた作品権を譲って貰ってまでイーストウッドが言いたかったことは、「ミリオン~」に共通する。アダム・ビーチに関しては「ウインド・ストーカー」以来、またまた印象的な役をやってくれたと思う。

ライアン・フィリップも良い味を出していた。彼は、筆者が前述した「人間の尊厳」というテーマに関して直接関与している訳ではない。しかし、衛生兵として、決して仲間を見捨てない、一縷の望みがある限り自分の戦禍に於ける任務を全うしようとしている。そしてそれは、戦場でもそうであるが、英雄キャンペーンでもその任務に最も忠実に行った。しかし、そのキャンペーン中から、彼の中に徐々に芽生えてくるのが、戦場で共にした「本当の英雄たち」であり、しかし、戦場で英雄になってやろうなんて思っている人間は誰も存在しないということを、殉死した戦友たちが雑踏の中で叫んでいることに気づいていく。この難しい役を見事にこなしたと言える。

イーストウッドが監督として非凡な点は、これだけのテーマを「重く」圧し掛からせないところにある。何か淡々と語っている。しかしその意志は強い。「硫黄島~」は解らないが、この路線で来るのであれば、日本人に取っても、今までにない最も「人間の尊厳」を深く考えさせられる作品になっているのだろうか?


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-09 19:48 | 映画(た行)
b0046687_17554095.jpg公開時もそうであったが、兎に角最初から最後迄、息をもつけぬほど画面に食い入って観た。近年、こんな鑑賞体験は稀であった。勿論、時間が経つのも早く、1時間くらいしか観ていないのではないかと思う感じであった。公開時にレビューを書かなかった(書けなったが正しい??)のは、忙しなかったこともあるが、余りにも展開が早くて細部を理解できなかったこと、この物語が犠牲になった方々の遺族の貴重な証言よって製作されているということで、生半可な記事を書く訳にもいかないと思ったからだ。今回、DVD発売に併せて何度も細部を確認することによって、この作品をより理解したいと考えて今回のレビューに至った。

大きく分けて、この作品は二部構成である。第一部はワールドトレードセンターに突っ込んだ2機の異常な動向を管制センターの場面を中心に展開している。これも貴重な証言を繋ぎ合わせて作成した脚本である。そして第二部はハイジャックされたユナイテッド航空93便内部での、乗客とテロリスト達との壮絶な戦いである。どちらの場面にも共通しているのは、出演人物ひとりひとりの心理描写が見事なのであるが、これは、「貴重な証言」によるものなのだからであろう。そして、特に、後半の部分は本人ではなく遺族の証言である。旅客機と地上の、しかも一個人との交信がこんなに簡単にできてしまうという文明の利器にも驚く一方で、今まで飛行機のトラブルはブラックボックスでしか判明できなかった部分が、生々しく外部にも伝えられたえられた事実にも、この作品を構築している一要因だと考えると、文明の進化とは残酷である。また、この作品を筆者にとって、とても短く、画面に食いついてしまうシーンの連続にしてしまうものにカメラワークの臨場感がある。この作品は、カメラワークによってまるで「ドキュメント」を観ているような誤解、勘違いを与えてくれるのであるが、これが実に効果的だ。管制センターのシーンでも、カメラを固定させていないところで、フレーム外の人々の緊張感や動揺を伝えているし、例えば、比較的安定している(というか、まだ情報不足で緊張感の薄い)場所に関しては、カメラ自体も固定してあるので、その差が焦燥感となって鑑賞者にきちんと伝わってくる。ユナイテッド93便も方も同様(というかそれ以上で)、まだ飛行機が離陸していないときのカメラワークは、被写体になっている人間で全然違う。特に、乗客のひとりひとりに関しても、それぞれのカメラアングルを用意しているし、パイロットや客室乗務員も、それぞれのフライトに対するその時の思いがきちんと伝えられている。テロリスト達だけが、既に、異常興奮を何とか抑えようと(冒頭コーランのシーンからもそうであるが・・・)している心境も、すべて、カメラワークひとつで他の効果を殆ど使わずにこなしている。この作品を技術的に観る価値があるのは、なんといってもこの点である。そう、これに関してはラストまで凄かった。

しかし、カメラワーク以上にこの作品には、「人間」そのものを強く感じる。特に、乗客の団結と、それぞれが家族・友人・知人に連絡を取っている、このふたつの行為である。前者には、アメリカをここまでの大国にした根源を感じる。この段階で、ワールドトレードセンターに2機、ペンタゴンに1機の墜落を知っていた乗客は、当然進路からして、自分たちの旅客機がどこに向かっているかを悟る。そんな中、誰しもが何とかこの機だけは奪還しようと団結一致する姿勢は傍からみてもあの極限の状況下に信じ難い人間力である。情けないかもしれないが筆者には到底考えられない。又、後者に関しては、連絡で機内の状況をしっかり伝える者もあれば、金庫の番号を伝える、言わば遺言を残している者もいる。これは人間の持つもうひとつの力である「愛」である。自分以外の誰かに託す、或いは頼る、或いは願うということはすべて「人間愛」の業である。そう、勿論、事実であるがこの作品では、人間の「力と愛」を表現している。これがテーマである。そして、このふたつを根底に据え、同時に映像として前面に描写しているために、例えばオスカー作品の「クラッシュ」が、ドキュメントの域を出なかったと批評したのと違って、大変感動的かつ、歴史的にも貴重な作品として完成したのである。

但し、純粋に「映画作品」として受け入れられない部分もある。それは多分にこの事件の現実をリアルタイムで知っているからだと思う。しかし、この作品は映画ファンのみならず、「観なくてはいけない」と力説する。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-08 22:58 | 映画(や行)
b0046687_16295692.jpg戦争をテーマにしたの一つの観点という意味ではサイドストーリー的に面白い着眼点であり、この作品では武器商人という立場から時代の変遷の中で戦争の本質に鋭くメスを入れる。そんな作品だと勝手に思ったが、メスの入れ方は決して鋭くなかった。前半、それも武器商人に成り立ての頃は結構面白かったのだが、アフリカの某国と専属取引を始めてからは物語が単調になってしまった。

戦争に関して、勿論、一番悪いのは、米政府や大統領なんていうのは、この中で改めて述べられなくても今に始まった訳ではないが、それでも尚、彼が武器商人にこだわったのはなんだったのか。憧れの女性を妻に引き留めておくためか。単に現実となった嘘をつきとおすためなのか。移民としての幼児体験や、始めて目の前で人が銃殺されたトワウマか。不憫にしてしまった弟への自責の念なのか。その辺りが伝わって来なかったのが残念だった。もっとも、主人公は実在の人物だから、この辺りは致し方ないかもしれないが。ただ、サイドストーリーとして、こういう時期だからこそ戦争自体への批判なりを掲げて欲しかったし、それが希薄だった為に単なる人物作品に終わってしまった感は歪めない。

ニコラスケイジはやはり前髪があった方が良い。但しこの作品ではいわゆる演技巧者としての彼をみることはできなかった。寧ろ、彼独特の風貌から作品のところどころでコメディになるところも、ある意味でケイジならではだと思ってしまう。そういう意味では逸材で、前述した様に物語が単調になりかけたところを、彼の存在感で随分持ち直した箇所もあった。ブリジットモイナハンとの共演は、色々な女優との共演が多い彼だが、この俳優とは大変息があっていると思った。筆者にとってだけであるが、この俳優は演技巧者という先入観が強いから、作品が封切られると、必ずや見にいかなくてはいけないという焦燥感にかきたてられる。こういう俳優は得だ。筆者的にいえば、例えば、以前のトムクルーズ。それからディカプリオ、ラッセルクロウ、又、殆どの映画ファンが支持するであろうトムハンクス。最近ではジョニデとかなんかはその類に入る。この作品もニコラスだから観たのだし、又、彼が出演しているから冒頭に書いたような憶測と過度の期待をしてしまうのであるが、前述した物語と主人公の人物像は期待を満足させられるものではなかったし、ケイジが演じるのだからという期待には応えられなかったというのが本音である。残念だ。

考えてみれば、第二次世界大戦の敗戦国である我国に、その後の経済発展のきっかけとなったのは、ご存知の通り朝鮮戦争の特需である。又、その後も一流商社がインスタントラーメンからミサイル迄と言われた時代に象徴される様に、経済大国の成立は、憲法で戦争を放棄し、非核三原則を提唱しつつも戦争への武器弾薬の供給という死の商人という側面が大きかった事を忘れてしまってはいないか。この物語は、作品内容そのものよりも我々がこれからの時代、アジアと、そして世界とどう向き合って行くのかに警鐘を鳴らしているとも言えないだろうか。


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-07 23:58 | 映画(ら行)
b0046687_12561335.jpg新東京タワーが出来るというニュースもあって、この作品の事を思い出した。この作品は全体的にレトロであり、それも東京レトロである。また、その東京はタワーに象徴される技術革新、鈴木オートに代表されるベンチャー、さらに6番目の子、六子に代表される地方からの労働力確保によって成り立っていた。一部、団塊世代の少年期時代であるが、青森の子が6人兄弟に対し、住み込み先が一人っ子という違いも象徴的で、舞台の商店街も大人の数に比べて子供は少ない。

少し前に、下流社会という新書本が流行ったが、この時代は建設中の東京タワーに象徴される様にみんながみんな上をめざしていた。下流社会ならぬ、上昇指向時代。この後にすぐ池田内閣によって提言される所得倍増計画に向けて徐々に現実味をおびてきた時代である。収入だけでなく、精神的に自立した市民によって、初めて民主主義の都市東京の具現化が進行した。現代にこんなに国民が一丸となってみずからの意志で同じ方向を向くなんて事はない。時代考証の中にもきちんとしたポリシーを感じた。単にVFXを全面に出したのでなく製作者の意図が明確に伝わった。丁稚奉公の終焉時代、三種の神器、テレビ時代の到来等、もしかしたら、(記憶が先んじて資料だけでは正確に考証しにくい時代)多少の創作が混ざっていたかもしれないが、そこは、作品の方向性に沿っていたのだから、これで良い。こういう時代考証は映画作品なら十分アリなのだ。又、少欲知足の精神もこの時代の特有であろう。

但し、映画作品として、評価が高く無かったのは、俳優に対する演出と演技力にある。30年代を生きている人間のリアリティに欠けていた、演技力のバラツキが大き過ぎた。出演人物の時代背景や町の息吹きの研究不足だった。又、俳優陣にも今ひとつ魅力がなかった。時代考証に沿って演技が出来ていたのは薬師丸ひろこくらいで、あとは、現代モノと変わらない。この辺りがコンセプトがはっきりしていただけにこの意図が夫々の役者が自己の中できちんと消化できていたのかを問われても仕方ない。残念な点であった。そんな中で子役達は元気だった。冒頭シーンのゴム動力飛行機を何処までも追いかける姿、集団就職の少年少女のパワーは顕かにその後の経済発展の源を感じられる。

ただ、その中にあって、須賀健太の演じた子供。ああいう子は、実はどんな時代にも居る。現代は寧ろあんな子の方が多いのではないかと思わせる節もある。しかし、子供の社会もそれなりの手順とか許容のある時代で、受け入れるものや、気遣いがきちんと出来て居る。大人達が上を目指して、余り子供達にかまっていられない分、子供は子供なりの社会を模索していたのである。今の親は筆者も含めて子供にかまい過ぎで、愛情をはき違えているのかもしれない。そんなところが、冒頭にも書いた東京のレトロな作品なのである。

そういえば本日は映画の日で、テレビでもこの作品を放映する。ノーカットでCMが我慢できるのであれば、テレビでの鑑賞もお薦め。 来年11月公開予定の続編のニュースも紹介されるかも?


allcinema ONLINEの作品ページ゜

goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング

ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2006-12-01 13:05 | 映画(あ行)