暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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<   2006年 11月 ( 7 )   > この月の画像一覧

b0046687_7132727.jpg映画というものを最近では色々な国の作品が紹介されるようになったが、筆者もそんなに色々な国の作品を観る時間というのは残念ながらない。各国の映画祭などの情報を確認すると、本当に世界各地からの出展が多い。勿論、こういう色々な国の映画も大変気になるのであるが、やはりそれは内容によってであって、特に筆者が気になるのは、その国々の歴史物、人物モノである。所謂世界の偉人伝というのは、結構これまでもハリウッドを中心に製作されてきているが、やはりそれらの多くはハリウッドの理論と解釈を反映したものが多く、圧倒的な美術効果のベールに包まれた作品は、それだけで一方的なハリウッド理論を突きつけられたものになっている。例えば、「ヒトラー 最期の12日間」という作品があったが、ドイツが戦後60年の過去の反省に立って製作したこの作品は、ドイツという国民の総論としての反省と清算としてヒトラーという人物を当時最も危険かつ恥辱であったと表現した。これは、それ以前にヒトラーを扱った他国の作品ではここまで踏み込まれたものはなく、やはり、国々の歴史に関しては自国の子孫たちが一番良く分かっているものである。

さて、戦争を題材にした映画というのも、その国々で解釈が色々違うものである。これも又、当然のことである。解釈というよりも、正しくは戦争に対する「歴史とその認識」が国々と国民によって違う。つまり、解釈以前のベースになるものが全く異なるということだ。特に、「第二次世界大戦」の様に、世界中を巻き込んだ戦争に関していえば、この大戦の参戦した国の一国一国にその正当性としての「理屈」がある。しかし、その結果は残酷で、戦勝国と敗戦国のふたつしかない。そしてその後はすべて勝者の都合によって大戦の意義という歴史は塗り替えられてしまうものである。国土が一度も戦場にならなかったアメリカや、前後に国内の動乱で揺れていて国を統治できる指導者不在のためら多くの民を巻き込んだ自国の反省もない中国というのが戦勝国だと言っている。確かに、日本の考案した「大東亜共栄圏」というのは、他国を戦争によって侵略することにその意図が果たせるものではない。しかし、当時の欧米列強に対抗していくには、肝心な中国があんな状態であったのであれば、その音頭を取ろうと努力した当時の選択を真っ向から非難できるものでは無い。だからこそ、本当の真実の歴史を我々は知る権利がある。結果として、日米安保条約というある意味では日本が犠牲となった「対等」な関係は、戦勝国の理論として大東亜共栄圏に変わる、アジア連合の形を作ろうという発端になったのは事実である。そういう意味では、まだ観ていないが、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の両作品はみものである。

ドキュメンタリー記録映画「東京裁判」を観てからというもの、筆者が大変な誤解をしていたと言うのは、当時の我等の祖先の中には、まだ「美しい日本」の精神というものが沢山残っていたということだ。人に対する敬愛の念、自然を愛する情愛、父母恩師朋友を尊敬する心というものが、当時の日本人、特に指導者といわれる人々には備わっていた。私利私欲のない、しかし、この国を愛し、この国のために自分が何をできるかという模索を常に考えていた。可也、褒めすぎの様な気がするかも知れないが、古来、これは日本人の持っている固有で、余り世界に例のない誇り高い伝統なのである。我々は戦後の喧騒と自由経済の潮流の中で、その大事なものを失ってしまったのである。もう一度、思い出さなければならないのである。

戦艦大和というのは、子供の頃プラモデルで作ったことがある。筆者は「田宮模型」の各シリーズが大好きで、700万分の1の戦艦や空母、巡洋艦を良く造ってジオラマにした。歴史的には考えられない、戦艦大和と武蔵、それに長門や空母の翔鶴、加賀、信濃、巡洋艦の那智、最上、筑摩なんかを同じ海洋に配置させて撮影したことがある。尤も、その後は35分の1のミリタリー・ミニチュアシリーズという陸軍のプラモデルに走ってしまったが。であから、大和など、海軍の戦歴に関しては全くというほど知識が無い。しかし、戦後、色々な形で戦争当時、日本の未来を信じて大切な生命を絶った方々の話を知ることにより、その思いが現在のこの国で適っているかどうかと思うと、甚だ遺憾であり、又、恥ずかしい現状でもある。

長島一茂が演じていたのは戦艦大和の哨戒長、臼淵磐大尉。彼が大和で綴ったノートが現在も残っているというが、このエリートでロマンチストな彼の遺稿には、我々の世代に問いかけんとする数々の名文が残っている。氏の思いはひとつも成就していない。


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by turtoone | 2006-11-26 23:02 | 映画(あ行)
b0046687_1224225.jpg中谷美紀というのは、本当にたくさんの映画作品に出ているという印象がある。最近でこそ、上野樹里や沢尻エリカが「良く銀幕に出てくる」度が高いかもしれないが、印象度では筆者においては中谷がダントツである。中谷の良さは、この作品でもそうなのだが、自分の回りに居そうで、実は、「ちょっと居ない女」なのである。その一見するとフツウっぽいのだが、実際は手の届かないところに居るという位置関係が、作品の中の役柄とはまた別に、鑑賞者とのベターな距離感を保ってくれるのである。筆者もそんなに彼女の出演作を観たことがあるわけではないが、「電車男」のエルメス役なんかももそんな効果なりだろう。

この作品は、また、中々面白いシテュエーションである。詐欺師チームが、列車の豪華個室で繰り広げる会話という名の駆け引きにこの物語は終始するのだが、別の見方をすると、豪華個室を大道具とした、一幕芝居でもある。筆者はこの作品を見ながらこれを舞台化するとしたら、さらにこんな演出が出来るなとか、ひとりひとりのプライベートストーリーを語る場面を多くして、ミュージカル仕立てにも出来るなぁなどと色々イマジネーションが湧いて来た。特に、出演人物は6人であり、以前から彼等はその時々によってチームを組む。しかし、苦い失敗経験があると思いきや、その苦い経験の張本人を再度チームに入れての「大興行」であるという流れ。兎角、筆者は芝居と映画を良く比較してしまうが、勿論、最初にこの「映画作品ありき」の話として、この作品は舞台化した方がもっと面白い物が出来る。なぜなら、舞台であれば同時進行している話を表現することが可能で、この作品は実は、時系列として同時進行している箇所が結構ある(それぞれの個室毎に起こっている事件の時系列)のにも係わらず、映画という1枚のスクリーン上では残念ながら、それが前後してしまう。同時にこれはこの監督の手腕だと思うのであるが、同時進行場面を前後させることによって鑑賞者に余計な負担を掛けさせない為に、ずいぶんカットしたと思われる痕跡がある。そういう意味で編集技術(及び編集のポリシー)は、邦画としてはピカイチであったと言えよう。但し、欲を言えば、「会話の面白さ」がもっと欲しかったが、これも好意的に解釈すれば会話を複雑にすることによって、前述の時系列が混同することを避けたのかもしれない。このシテュエーションはやはり舞台であろう。

同時に中谷を始め出演俳優の魅力もあり、それで助けられた観もあった。椎名、田辺という、以前はトレンディドラマの良いキャラだったところをキャスティングしている可笑しさも欠かせないし、八島は勿論のこと、伴なんかは、「ピカ☆ンチ」以来、その存在すら忘れてしまっていた。筆者的にはこの面子の中に、ジャニーズ系をひとり入れたかった気がする。入れるとしたらケンちゃんだと思うのだが、そうするとブッキーの変わりになってしまうだろう。というのは、ブッキーの役は、ブッキーが悪いという訳でなく、ブッキーを起用する必要があったのかどうか(そういう言い方をするとケンちゃんにも申し訳ないが、これはジャニーズというイメージの総称として言ったので誤解があったら失礼)疑問である。こんな超売れっ子を使わなくても新人でも良かった。(クレジットの役社名の後に「新人」と入れて・・・)。序ながら、ブッキーもたくさん映画に出ているという印象がある。

ひとつ嘘をつくと、その嘘を隠すために約三十の嘘をつかなくてはいけなくなると言うのが、この作品のタイトルであり、また、コンセプトでもあるが、日常にはその嘘が蔓延している。筆者は良く針小棒大だと指摘されるが、その辺りは職業的な部分からかも知れないしそういう指摘に批判はしない。そしてそれは嘘とは少し違うと分類しているし、逆を言えば対人関係の中で真実を語らない方が良い場合もある。勿論、良い嘘などは無いと思うが、思いやりから発する嘘というのを、良しとするかどうかに関して言えば筆者は良しとする。しかし、それが種となって悪い芽を育ててしまうこともあるということは予め覚悟しておかなくてはならない。そう考えると「沈黙は金」なのかなぁと、日常の筆者の喋りすぎ、多すぎる無駄口には反省する。そう、やはり雄弁にならなくてはいけない。

知らなかったが、この作品にある豪華個室のついた列車って本当にあるのか。北陸を走っていたが、オリエント急行までは行かないにしても、一度乗ってみたいと思った。邦画としては中々魅力的な作品だ。


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by turtoone | 2006-11-19 12:27 | 映画(や行)
b0046687_17292019.jpg最近日本では本業より、缶コーヒーのCMに登場する宇宙人という認知度が高いトミー・リー・ジョーンズ。序ながら筆者はあのCMシリーズの中では「疲れる事を喜んでいるようだ・・・」というくだりの内容が一番好きてだあるが、ふと思ったのは、宇宙人の視察だと言っているが、実は、合衆国(それもハリウッド)からの日本(の真実の姿)への視察なのじゃないかと思っている。ご存知の方も多いが、彼は映画界の中でも超エリートであり、ハーバード大学卒で、アメフトのスター選手。しかも親友はあのゴア元副大統領である。筆者も、「依頼人」「JFK」、「逃亡者」、「バットマン・フォーエヴァー」などの演技に見られるように好きな俳優の一人である。不覚にも、この作品の期待度は大変高かったにも係わらず、公開時には見逃してしまった。ミニシアターで短期間の上映だったと記憶している。また、一方でこのヒットとは程遠い作品がこんなに早くDVD化されていたのも見逃していた。最近はDVD情報誌の立ち読みも少なくなったしなぁと反省する。

もうすぐDVD化される「グッドナイト&グッドラック」と同じく、第一線の映画俳優の監督作である。但し、トミー・リー・ジョーンズのプライベートを全く存知得ない筆者としては、この俳優の理知的な部分には殆ど認識がない。例えば、キャラ的には、「バットマン」のトゥーフェース(この作品にはジムキャリーもニコールも出ている。今考えると筆者のお気に入りばっかりだ・・・)なんかが大好きなのだが、一方で「依頼人」の検事役も良い。しかし、いずれもそんなに理知的な部分は感じない。だから、この作品に関して、タイトルの奇抜さには驚いたものの、彼か監督したというだけで、期待は大きかったもののその中に「理知的」な要素は殆ど考えていなかった。そして、それは大変な間違いであったことがこの作品を観終わったときの率直な感想である。

まず、「埋葬」についてであるが、わが国のように原則は「火葬」での埋葬が法制化されている民族の慣習として、この言葉から連想されるものはごく限られる。棺桶であったり、火葬場、寺院、墓地。身内の骨を拾ったことのある人間なら誰しも埋葬に明るいイメージを持つものはいない。特に仏教が略国教と言っても良いわが国の死後の行事と先祖への供養は、とても手厚いものである。葬儀からして通夜、告別式があり、初七日、七七供養、一回忌、三回忌、七回忌と、三と七という数字を大事にし、最後は三十七回忌で漸く、「仏様」になる。一方でキリスト教的な埋葬というのは、殆ど埋葬の時に、神に召されたと神格化してしまう。
この作品で興味深かったのは、2度めの埋葬である。埋葬の形式に拘泥していない、この辺りの発想というのが、トミーの理知的な部分だと思う。

次に国境警備隊という重要な任務に関して痛烈な風刺を述べている。勿論、メルキアデスはメキシコという国境の向こう側から来た不法入国者であるが、主人公のピートとの関係から面前で文句を言うものは居ないが、死んでしまったらそんなことは関係なく、彼自身への鬱憤も含めた誹謗が開始される。一方で、任務として誤射をしてしまったノートン(バリー・ペッパー、彼の演技が素晴らしかった)は所謂平均的なこの国の忠実な市民であり、暴力的な振舞いをすることはあっても、それ以外に何か特別な性癖を持っている訳ではない。この国境警備隊員に、現在のアメリカの病巣を全て背負わせて、ピートは自身で到達することのできなかった人間としての誇りを、メルを故郷に埋葬し、彼の誇りを適える事で自らを保とうとしていることで、アメリカに蔓延る差別問題を一蹴している。特に、警備隊の知らない、川の浅瀬一本で国境を越えてしまうという部分は合衆国に対する最高の風刺ではないか?歴史に「もし」は無いが、ゴアが大統領になっていたら、彼に近いポストの準備もあったと噂されていたトミーだけに、これらの着眼点と自身の風刺・主張には桁外れの考えであり、同時にこの人間が民主党の国務長官にでもなっていたら、日本の缶コーヒーのCMどころではなく、わが国との関係も随分変化(勿論、わが国にてっては良くない方向に・・・)したと思うと、彼の主張とその頭のキレ具合は恐ろしい。

トミー・リーの初映画監督作品であるが、国境の大自然や、アメリカ・メキシコそれぞれの生活感(僅かしか離れていないのにテレビ受像機が全然違ったり・・・)を短時間と少ないカットで表現しているなど、今後の監督業にも興味津々の一作であった。脚本的にも最初は戸惑ったが、慣れてからは実に良い構成だった。また、国境近くに住む老人は上映中思い出せなかったが、ザ・バンドのレボン・ヘルムだった。これには少し感動した。


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by turtoone | 2006-11-18 17:38 | 映画(ま行)
b0046687_15282239.jpg「かもめ食堂」を貸してくれたTrapから一緒に借りた作品。レビューを上げてなかったのでここで書くことにした。その前にひとつお詫びがあり、「かもめ食堂」のことでやたらリアリティの欠如的なコメントを書いたが、あの作品は群よう子さんの作品らしい。また、監督である荻上直子さんも、若い頃からフィンランドでの生活体験があるらしい。その辺りはTrapに指摘された。その同じ、荻上作品として、最初観たときから実は結構色々印象に残っていて、「かもめ」もその辺りの流れで借りたのであった。

結論からいうと、筆者的には「かもめ」も良いが、この表題作の方が作品としては好きである。冒頭の無知から来るお詫びとして、どうせフィクションなら、原作の有無に係わらず、この辺りまでやってくれと思うからである。そして本作品で大きかったのは、伝統とかしきたりとかの大切さを再確認したこと。しかし、一方でそれが間違いの時もある。守るべきものとそうでないもの。継承出来るものと出来ないもの、これは概して一律でない。だからこそ進歩も成長もあるのが人間の営みなのである。そして社会では発展があり、文化が生まれる。つまり、文化とはただ継承していくだけでは新しいものは何も息吹かないと言っているのである。これは中々斬新な提案であり、且つ視点の角度を少し変えていて面白い。

特に、もたいを起用した事でその伝統の部分に強迫という要素が加味されたところも大きい。冷静に考えて髪型を統一、しかも時代錯誤な坊っちゃん刈りで、そのことが例えば転校生が現れたり、隣町へ行ったりという機会がなければ分からないという、なんとも馬鹿ばかしさが、前述した伝統とか文化の継承という側面においては、勘違いや取り違えの根源であることも同時に訴えている。実に愉快だ。だからではないが、もっと文化的勘違いな部分を強調しても良かった。つまりは、神道とキリスト教という妙な宗教混合行事にもこの髪型がリンクしている様に、全ては「吉野刈りありき」の時代錯誤でなく、吉野刈りは時代錯誤と文化継承の狭間で頑張っている「象徴」だとした方が良かったのではないか。もたいの持つ役者としての存在感を考えたら、どちらかというとこの土地の地元民が皆、この不条理な文化継承を良しとしているのでなく、数少ない伝統を守り反対されつつも、本当の意味で、継承されるもの、つまりは髪型という外見の修飾にのみこだわる現代少年とそれを制御しきれない荒廃した教育構造にまで問題視してくれた方が良かったと思う。

ただし、作品の動機と、最終的な着地点とのズレがあったのも事実。この作品を観た諸兄の動機は、もっと何か色々なものを修得できるので゜はないかと期待をした筈だ。そう、ただ単に「吉野刈り」だけで終わってしまうとは思わず、その辺りを考えると随分消化不良だったのではないか。筆者の年代だと、まだ幼少の頃は「坊ちゃん刈り」はある程度は市民権を持っていた。スポーツの部活をやるので坊主にしなくてはならないという事実と比較すると、まだ「坊ちゃん刈り」の方がましだと思われる節があったのも事実。そして物語も途中から少年たちの冒険小説?みたいな側面に入ってしまう。冒頭に述べたように、こりテーマにリアリティを追求していないにしても、だからこそもっと面白い展開や、少なくとも風刺のひとつやふたつは欲しかったと思う。

前述したように、文化に対する提言は良かったのだから、後はその表現手法である。「かもめ」も含めて、今後この監督作品には注目していきたいと思う。


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by turtoone | 2006-11-17 15:31 | 映画(は行)
b0046687_18561041.jpg邦画に限って言えば、ここ十年くらいは余り積極的に鑑賞していないことはこのブログでも何度か書いたが、何年か会っていなかった古くからの友人「Trap」が、何処からかこのブログに辿りついて、序にコンタクトをして来た。更に、筆者の邦画評に賛否の両論をのたまいて、結果、彼女の邦画コレクションを適当に借りることとなった。手始めに借りた作品である。というか、「かもめ食堂」に関しては、「バーバー吉野」のこともあって、劇場まで足を運びたかったのだが、確か公開が年度末でもあり、又、公開期間も短く、気がついたら終わっていたという感じだ。実は、DVDが発売されたのは知っていたが、名画座なんかでは上映も続いており(勿論、映画はシアターで観るものだから・・・)どうしようかという最中の一方的な「貸し出し」であった。

作品は殆ど思った通りの出来であった。筆者はこの映画の製作コンセプトを知った時、邦画版の「ショコラ」を想定していた。おやつと主食という違いはあるものの、異国の地で「店」を構えようというのだから、それは大変なことなのである一方、しかし、だからこそ映画の題材になるのであるという見方も出来る。フィクションだろうと思うのが、フィンランドという国を選んだということ。会話の中ではスムーズに進んで流しているものの、一般的にサーモンとフィンランドというのは、そんなに一致するものではない。又、世界地図に指差したらというが、どういう地図の開き方をしていたのか分らないが、日本版(日本が中心に位置する)世界地図を瞑目してこの国を指差すのは結構至難の業だ。意図的に予め北欧をターゲットとしていたとしても中々指せる国ではないということ。地球儀をぐるぐる回してタッチするのであれば少しは確率が上がってくる(←こんな実験をやっている筆者はヒマジン?)ので、この辺りのリアリティからこの作品は実話ではないと判断できる。ただ、もしかしたらその辺りは「了解済み」で演出しているのかなぁと思われる節が、実は全編に流れる「こじ付け」的表現である。何か、もの凄い強い意志で物事を行うのでなく、理由は後から着いてきたっていいじゃないかっていう考えが、この作品の中の大筋をなしている。具体的に、小林聡美の台詞で「そのときはそのときで」という言葉があるが、本当の人間の強さとかっていうのはこういう余裕(開き直りではない)を持てるかどうかもひとつの選択肢であることを説いている。この辺りは実践は出来ないものの、多少共感はできる。

但し、ガッチャマンの歌にあれほど固執してしまうというのが、その後の彼女の行動及び言動に補佐するところがないから、どうしてもこの部分だけは次にストーリーを進めるための強引なこじ付けにしか過ぎない。片桐も、そんなに簡単にこの地に留まってしまう理由がはっきり述べられていない。その点、もたいがここに居なくてはならない理由というのは明確だから、もしかしたら、この話だけは実話を盛り込んだのかもしれない。

フィンランドとは「フィン」の国として命名されたことを随分昔に「世界史」で習った(教科書にはなかったが、こんな雑学も教えてもらえたから、やはり高校の世界史履修は重要だ)が、それ以外のことで知っていることは実は少なく、偉大な音楽家シベリウスと、「ノキア」と「リナックス」、それにニシンの酢漬けとサンタクロースくらいで、実は、ムーミンがこの国の誕生だということも初めて知った。北欧の国はどうも(勝手に)一纏めにしてしまっている筆者自身の薄学が情けないが、一方で発見だったのは、かもめ食堂の客人の中には「箸」を使いこなせる人たちが多数いて、これが本当なのであれば大変手先の器用な民族なのだと感心した。

もたいの「落し物」のくだりにしかこの物語の唯一も重みを感じなかったところが、冒頭での記述で比較した「ショコラ」よりもテーマ的に軽かったのだと思う。因みにご存知であろうが、「ショコラ」のラツセ監督は、お隣スウェーデンの出身である。


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by turtoone | 2006-11-12 18:57 | 映画(か行)
b0046687_2195870.jpg確かこの作品が公開されたのは今年の頭だったと思うのだが、勝手にそう考えて慌てて年内にレビューをアップしようとDVDを再鑑賞した。三谷作品というのは、テレビ・映画を問わず、他の日本モノよりも若干評価が高かったりするのだけれど、表題作品に関しては、物語も脚本も細かいところの工夫はよく研究されているが、全体的には何だったのかなァという感想が残ってしまったために、邦画ということもあってこのブログでのアップはついつい後回しになってしまっていたようだ。所謂、「ラヂオの時間」の様な強いインパクトを感じられなかったというのが正直なところ。この人、公開前に「これだけの俳優が集まったのはひとえにボクの人徳です」の様なことを半分冗談、半分本気でのたまわれていたが、筆者に言わせると逆に、そんな有名人なんかを使ったがために台無しにしたシーンが幾つもあったことを最初に指摘しておきたい。また、彼の作品の特徴でもある、幾つかのショート・ストーリーの連繋によって、全体のストーリーを構成しているものの、前述同様、明らかにこのショートはいらないというものがはっきりしていた。敢えてここで、どのキャストが不要で、どのストーリーが不要だったかは指摘したくないが、こういう無駄をカットすることによって、120分以内のよりベターな作品時間に落ち着かせることが出来(もっといえば、この作品のコンセプトなら100分程度で良かった)、評価も高くなったと思う。これでも結構編集で削ったと思われるが、ごっそり落として良い設定があったのだから残念だ。

細かい部分で賞賛したいところは、ストーリーでいえば、お守りとアヒル。この流れと他のショートストーリーに絡む連繋は見事であった。つまり、三谷というのは、こういう「短編」が非常に上手い。その手法は映画でいえばすべて「ラヂオ~」で発揮されている。要はあの作品で次々に台本が変わっていく流れと、本作品における三谷の短編に関する姿勢と拘りは全く変わっていない。しかも、あの作品ではキャスティングが見事だった。「みんなの家」は唐沢、田中を除く主要キャストを失敗したために、作品の繋がりが悪くなっていたが、それらから比べるとご自身の人徳で集められた今回の俳優陣はビッグネームが多すぎたという言い方も出来る。これでは、「○○が▲▲をやっているのが面白い」という、ストーリーではなく、役者の興味の方に行ってしまうという点が上げられるからである。代表的なのが例えばオダギリで、彼の役者としてのスタンスを考えれば、もっと他の役(この映画の中には見当たらないが)があっても良いのに、こういうように使われると、この役柄の人の「苦悩」より、二枚目俳優ゆえヅラ姿のオダギリばかりにおかしさを感じてしまい、この役柄とストーリーの繋がりを忘れしまう。同時に、伊東四郎の総支配人も同じで、途中からあんな状態になってしまうのなら(だから彼を使ったのだろうが・・・)ここは伊東である必要はない。とどのつまりは最終的にこのふたりがリンクする「謹賀新年」も、途中から興味の外に出てしまうのだ。良い俳優を使うという贅沢も大事であるが、役柄ありき、更には物語ありきが先であることを今一度考察して欲しい。たまたまふたりを挙げたが、勿論、もっとたくさん使い方を間違えられた俳優は沢山いる。残念である。

一方で、携帯電話待受画面の一件に関しては、「裏の裏」をかいてくれたり、代議士脱出に関してもラストに繋がる意外性があったりと、前述したように細かいところは上手い。三谷は日本のエンタメ界には貴重かつ逸材である。だからどうしても厳しく(今回はそういう積りはなかったが、過去作やテレビの名作比べると質が低かった)批評してしまいがちであるが、益々この国の大衆娯楽の全体的な底上げのためにも、もっと頑張って欲しいし、今回のような、言い方は悪いが誰でも気がつくようなテーマではなく、あっと驚くような内容の作品化をして欲しい。そう、好き嫌いは別として、故伊丹十三作品の様な「発想の驚き」が欲しいのである。贅沢かも知れないが、彼にはそこまで今後も求めてしまうであろう。


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by turtoone | 2006-11-05 21:15 | 映画(さ行)

カポーティ

b0046687_1925835.jpg
ノンフィクション作品を如何に文学として高めて行けるかどうかは、まさに、作者の手腕でしか為しえない一大事業である。冷血という小説はその存在は知っていたが、残念ながら読んだことも、又、映画化された同名作品を観たこともない。ただ概していえば、例えば「恋に落ちたシェイクスピア」や12月公開予定の「親愛なるべートーベン」などのような作品プロモーションで、彼等の名作完成秘話的なアプローチで紹介したり、どちらかというと視覚メディアに良く出てくる一般大衆を相手に適当なコメントでお茶を濁す映画評論家(おすピーは除く)なんかも同様な事を言ったりするが、この作品に関してしては、フィリップ・シーモア・ホフマンが主役を演じていることもあり、最初からトルーマン・ガルシア・カポーティの内面をどう表現するのかが観たかったので、正直なところ「ロミジュリ」や「合唱」のような成果物を知る必要はなかった。このレビューもそういう視点で書く。

大体、小説というのはモデルがある。それをノンフィクションとして書くかそうでないかは作者の自由であるが、一般的にモデルが現存している場合は後者が多い。何故なら資料が集めやすく、創作にするエネルギーと比較すると主題をどこにおくかにもよるが、取材に費やした方が効率が良い。筆者自身が、カポーティのことを、映画という軸でいえば、名作「アラバマ物語」のモデルであることくらいしか(同物語の作者、ハーバー・リーをキャサリン・キーナーが演じている)知らないが、カポーティは察するところ、大変自尊心の強い、いや、逆にいえば著述者というのは自尊心が強くないと身が持たないと考えていたようだ。パーティのトークで必要以上に有名人との交遊をひけらかしたり、列車の車掌や友人にも見栄を張ったりしている。しかし、それらは彼自身のそれまでの生い立ちの積み重ねであり、コンプレックスから発した物だった様だが、この残虐事件の犯人と知り合い対話し、犯人がこの事件に至るのまでの人生や生活環境を知る事によって、作家として今自分がしようとしている事や、必要以上に自尊心を高めようとすることに些かの迷いが生じてくる。この辺りのカポーティの心理描写を、ホフマンはものの見事に演じていた。ホフマンが、最初このカポーティ役でオスカーを獲得したと聞いた時、自身の知っているカポーティの印象とは随分食い違っている感じであったが、それは、どうも前述の「アラバマ」のせいかも知れない。この映画作品は、エンディングまでこの自身の中の葛藤描写に尽きるように、物語の構成も完全に彼の心理描写を中心に進行していった。ひとつ間違うと危険な脚本であったにも係わらず、場面の展開が良く、だらだらしないでエンディングまで引っ張れたのは脚本と演技の見事な相乗であったといえる。やはり今年公開の「スタンド・アップ」 が何人かの俳優でこの感情を見事に繋いだのと同様、この作品はホフマンが最後までひとりで繋いだ。見事なプロの仕事である。

一方で作家が題材に振り回されるというのは、冷たい言い方をすれば失格であり、それでだかどうだか分らないが、その後カポーティは断筆してしまう。一方、彼が題材となった「アラバマ物語」は、その後、アメリカの教科書に掲載されるほどの「推薦文学」になった。人生とは何とも皮肉なものではなかろうか。この事件は現代にしてみれば、頻繁とは言いたくないが似た様なものはあり、しかも、この作品の時代と違って、精神分析や弁護士もかなりスケールアップしているから、この犯人の結末はもしかしたら違うものになったかも知れない。しかし、カポーティはもっとも近いところでこの事件と人物を究明し掘り下げた。結果、それまでにない「冷血」という文学をセンセーショナルに全米に紹介し、大勢の読者の背筋を震わせた。そして、その代償の多くを実は、カポーティ自身が最も多く背負ったのである。この彼の生い立ちからは生まれなかった「真実の良心」を恐らく良しとしたからこそ、二度と文壇には戻らなかったのであろう。

ホフマンの演技に尽きるといってしまえばそれだけなのだが、お薦めの作品であることは間違いない。


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by turtoone | 2006-11-04 19:05 | 映画(か行)