暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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b0046687_23524699.jpg映画作品も色々あるが、この作品ほど兎に角テンポが遅いのも珍しい。この作品は180分という長い上映時間であるが普通に製作したら多分100分くらいで収まってしまうだろう。誤解の無い様に申し上げておくが「遅い」というのは別に悪い意味では無い。別の言い方をすれば時の流れがゆっくりと感じる。実は、これはこの映画の中で一番大切な部分である。ストーリーに少し触れると、一代で巨万の富と絶大な権力を得た人生の成功者ビル(アンソニー・ホプキンス)に、死神(ブラッド・ピッド)が、ビルに延命と引き換えに人間世界の案内役を強要するという内容である。ジョー・ブラックと呼ばれるようになったその青年は、ビルの屋敷に住み、次女のスーザン(クレア・フォラーニ)とお互いに惹かれあってしまう。物語としては特別に新しい物は無い。発想としてはこれも筆者の好きな作品、ウォーレン・ベイティ主演の「天国から来たチャンピオン」に似ている。但し、「天国~」はテンポの早い、半ばコメディである内容に対して、表題作は最初に青年とスーザンの出会いの部分だけはテンポが良いが、それ以外はぐっと遅くなる。

しかし、暫くするとこのテンポに慣れてしまうのである。それは、このビルの余命が後僅かということに対して、彼自身が死に対する恐れや不安という物を全く断ち切った事を示している。つまり、一世一代の成功者になるまでの生涯をまさに駆け足で上り詰めてきた65年分の休暇を数日で送り人生を取り戻すという、見方によってはとても悲しい人生に鑑賞者が同調してしまうからである。この辺りのエモーショナル・ラインをきっちり繋いでいるところがアンソニー・ホプキンスの演技巧者なところである。「羊たちの沈黙」の様に戦慄を覚えるほどの切れ味の良い「演技」ではないが、寧ろ、静の演技としてこれだけ見事に演じきれる俳優というのも、そんなに沢山ハリウッドに居るわけではない。彼の出演作の中でも(決して目立たないが)上手さという点からいえばこの作品は1.2を争う。そして、それに負けていないのがブラッド・ピッドである。彼は同世代の男優と比較すると例えば、トム・クルーズやジョニー・ディップが演技の上手い云々を取り上げられるのに比べて、寧ろ、ルックスの良さばかりが取り上げられて来た。しかし、丁度この作品の前後というのは、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」、「デビル」等しっかりと演技が出来るという作品自体にも恵まれた。筆者はブラピの演技でどれが一番上手いか(彼の場合イコールどの作品が好きかにも繋がるのだが)と尋ねられたら、迷わずこの作品か「セブン・イヤーズ~」を上げる。特に素晴らしいのが「死神」のベッド・シーンである。これはブラピの・・・ということだけでなく、所謂「初体験」の表情をこれだけアップで撮影されたにも係わらず名演技として残る物は他に例が無い。このシーン(だけではないが)は本当にお薦め、必見である。この死神の不安な表情と、一方でそれまで何も人間界に思い残すことが無かった大富豪ビルが、唯一、娘の行く末(何しろ相手は死神なので)を案じ不安に陥る。その二人の異なる不安の対比が又絶妙で中盤から後半を繋ぐので、最後のビルの英断は実に爽快である。本当にこのラインの繋がりが実に巧みな作品である。同時にこの作品は、鑑賞者にとっては実にこの二人の人間の交互に感情移入することが可能である大変珍しい作品である。これも、物語をゆっくりと描きながら、前述の二人に加え出演の役者さんの全てがこの作品の意図をきちんと理解してしっかりと重厚な演技をしているからである。役者の演技をじっくりと見ることができる。

監督はマーティン・ブレスト。彼の作品経歴は面白く、方々から大批判を食った挙句ラジー賞と日本公開なしとなった「ジーリ」があると思えば、大ヒット・刑事コメディの「ビバリーヒルズ・コップ」がある。比較的、演技をしっかり見せるという内容の物では、名優アル・パチーノにオスカーを齎した「セント・オブ・ウーマン」であろうか。しかし、静かながら理屈っぽい「セント~」に比べると、やはり本作品の方が良い出来上がりである。何よりも筆者が最も映画を高く評価する要因である「女優を綺麗に撮る」ことを実践している。事実、クレア・フォラーニの美しい映像にはブラピでなくても、死神でなくても惚れ込んでしまうのでは無いか。序ながら、美術と撮影が良い。美術は現代物としては豪華絢爛であるが、ストーリーがゆっくりなのと同じ様に、その撮影もじっくりと豪華絢爛な美術映像を表現している。これも必見である。

筆者はブラピがピーナツバターを着けたスプーンを舐める仕草が大好きである。この仕草で高慢で誇り高いが悪い奴ではない「死神」に殆どの鑑賞者は安心するのではないかと思う。これもA作品である。


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by turtoone | 2005-08-30 23:58 | 映画(さ行)
b0046687_19191266.jpg公開当時は本国でも然程注目をされたわけでもなく、オスカーに7部門ノミネートされた辺りから多少話題にも上ったが、日本での公開は半年以上も遅れた挙句、松竹が配給したにも係わらず時期がずれたり、中途半端な興行となったが、日本では「外国映画賞」を色々獲得したことから、いつの間にか映画ファンの間では「最高傑作」というレッテルが貼られる様になった作品である。今でも「最も好きな映画作品」と聞かれてこの作品を上げる人はかなり多い。かくいう筆者も、やはり10本好きな映画を選べと言われたら、多分7~8番目にはこの作品を思い出し、筆記回答方式なら何の躊躇いもなくそこに記述してしまうだろうと思われるが、今回は「公開20周年」というDVDボックスも発売されたことだし、良い機会なのでもう一度、この作品を振り返りたいと思う。

敢えて書く必要も無い事ではあるが、この作品の主題は「希望」である。そんなことはご覧になった方なら誰でも分かるし、映像の中でも何度もこの言葉が出てくる。最初の観たときのことはそれこそ20年前なので忘れたが、その後の鑑賞でも引っ掛かったのは、終身刑で刑務所に入れられた人間の「希望」といえば、当たり前のことであるがたったひとつ、「塀の外へ出る」ことしか浮かばない。しかし、この物語は早々にその希望の結果を、ある受刑者の仮釈放を通して断ち切ってしまう。この「展開」がこの物語の所謂「刑務所モノ」と違うところである。面白いことに多分殆どの鑑賞者のエモーショナルを一度ここで断ち切るという手法は余り他の作品では感じられない。しかし、ひとつには、それがスティーヴン・キングという「ホラー作家」によって書かれた作品だというところが大きい。ホラー小説や映画はそんなに親しみが深い方では無いが、この手の物語というのは何が面白いかというと、「常識からの隔離」、「常識からの逸脱」とそれに「常識への逃避(回帰)」である。つまり、一般的に日常の常識という枠の中では考えられないことがそこで起こっているのにも係わらず主人公や読者は、それを常識だと勘違いをしてしまう技法。これに填まれば填まるほどこれらの小説は面白いのである。読者が自身自らを常識から隔離して、逸脱(離脱)していく様が、この世界に没頭することである。しかし、最後までその常識外の世界に留まることは許されない。つまりはそこから逃避させられる技法に填まる。物語の中では逃避なのだが、現実社会では回帰である。「我に帰る」のである。つまりはこういうモノを書く著述家が卓越しているところは、こういう読者の存在位置を自由に動かすことの出来る業を沢山持っているということである。これは表現方法が違うが、例えば催眠術を操ることり出来る人間と似ている。すべては常識ではない世界を体験させることのできる「マジック」なのである。スティーブン・キングが原作である「刑務所のリタ・ヘイワース」で自身の技法の一部をこういう形で記したことと、それを見事に映像化したフランク・ダラボンとの作品のコンセプトの一致が、前述の様に途中で鑑賞者の方向性を断ち切るという極めて斬新な作品製作へと繋がった。この辺りは流石に同監督が「エルム街の悪魔」で脚本担当以来、原作者のツボを隅から隅まで知り尽くしているからこそ出来た部分でもある。又、筆者はキング氏の作品を沢山読んだことは無いが、彼の作品にはホラー小説でも「希望」ということが多く書かれているらしい。要するに持ち続けてこそ「希望」であるし、何かあっても失ってはいけないものが「希望」だということを氏から学べるのではないか。映画でも。結局、希望を持ち続けた者だけが勝利をするという結末にほど近い。

一般的には「グリーン・マイル」、「マジェスティック」と並んで、ダラボン3部作とも言われるが、「希望」というカテゴリーからするとこの作品が一番その部分を強く押し出している。要は「希望」は与えられるものでなく、個人が自分のために持ち続けるものであるという解釈をこの作品内では押し通している。勿論「そうでない希望」という部分で、「マジェスティック」などは主人公自体が周囲の「希望」となっている描き方をしている点から、キング独特のコンセプトである「希望」が、ダラボンにも継承されたと考えて妥当だと思う。

俳優陣も、作品のテーマ以上に自己主張していない点も好感が持てる、バランスの良い作品だ。但し、誰の演技か良かったかというと、それはティム・ロビンスやモーガン・フリーマンでなく、ウィリアム・サドラーである。なんといっても「ダイ・ハード2」で凶悪なテロリスト役を演じてから、冷酷な悪役のイメージが強かったが、この作品では元舞台俳優という経験を見事に活かした人間味溢れる演技力を見せている。

名作は多くの論評を必要としない。やはり今回の鑑賞時の採点でも筆者にとって特A作品であった。


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by turtoone | 2005-08-28 19:24 | 映画(さ行)
b0046687_1746115.jpg
現在は某国立大学理工学部の教授として教鞭をとっている友人が、20年程前にまだ学生として研究の日々を送っていた頃、「学者として大成するためには恩師の学説を否定するところから始まる、因果な身分なのです」と言っていた。又、学生時代にアメリカで知り合った電子工学を学生に教えている教授のヘルパーはWASPで、最先端の科学を研究していながらも敬虔なクリスチャンである彼は、人類は創造主が土から作りたもうという旧約聖書の創世記を本当に信じて疑っていなかった。この作品を観ながら、何れもかなり昔の体験であるが二つのことを思い出してしまったのは、研究者というのは研究内容と研究者自身との整合性を日常で、一体何処に見出していくのだろうかという疑問であった。何れの例も、この作品に関しても、筆者は(勿論そんな優秀な頭脳は持ち合わせていないが・・・)研究者でなくて良かったと思う。筆者なら前述の疑問から派生するジレンマとフラストレーションで、肉体も脳も正常に機能しないと思う。

敢えて、どうして今、この映画を製作したのか。まずこのコンセプトとその実現には個人的に高い評価と絶賛を表したい。現在アメリカ世相への批判でもあり、同時に一方で自由の大陸が表向きでありながら、いつ基督教右派が言論や活動を統制するか分からない不安定な政府と愛国心を失った世相への警鐘であると言える。つまり、この作品は筆者に取っては鑑賞前から「勝ち組」なのである。筆者においては「パッション」も2004年の最高傑作として選出されたが、これも状況は同じで、結果的にあれだけ残虐な内容でも、鑑賞前にその作品製作の意志に対して高い評価と敬意を表していたので好意的な鑑賞が出来たことが大きかった。

日本では作品タイトルに「愛」という文字が入ったが、最初この「愛についての」という表現はどうにかならなかったのかと思ってこのブログにも書いてしまったが、これは筆者の間違い。作品を観てお詫びと訂正をさせて頂く。そう、原題が"KINSEY"だけだったということと、余りにも有名なアルフレッド・キンゼイ教授のレポートの発表過程と、その反響や痛烈な批判や裁定を中心に1950年代のアメリカを描いた作品だと勝手に勘違いしてしまった故、以前にそんな暴言を吐いてしまったのだが、「とんでもない!!」 これは、本当に「愛」の物語である。しかも、キンゼイ博士もさることながら、ローラ・リニー演ずるクララ・マクミレンは素晴らしい「愛と愛の研究者」の理解者である。彼女の言動やある意味で突飛な行動もすべて「愛」と「愛の研究者である夫」をより深く理解するためというのがその動機である。この夫婦の愛の表現は、見方を変えると「きみに読む物語」と同じである。愛というものは言葉や何か他のもので表現できることでは無いという「崇高」な部分が作品の土台になっている。勿論、その土台は作品だけでなく、キンゼイ博士の土台でもある。だからこそ彼は、「性調査」という当時ではまだタブーだった領域に踏み込めたのであり、同時にそれは「父親の愛」の取り違いにも通じる。もし、博士が少年時代に父の態度を暴挙だと思わず崇高な愛だと捉えたら、この研究もこのレポートも存在しなかった訳だから、結果、現在でもまだ、アメリカは性に対して閉鎖的な環境であったに違い無い。すべては「愛」の探求と、「愛」の発見に終始するのである。そして、最後にその大いなる「愛」を表現したラストは大変感動的であった。そう、キンゼイ博士は物語の最後で、自身の「研究者としての最初」に戻るのである。良いラストである。

そして特筆すべきはリーアム・ニーソンである。特に今年は「バットマン・ビギンズ」「キングダム・オブ・ヘヴン」と大活躍。筆者は惜しくもオスカー主演男優賞を逃した「シンドラーのリスト」の演技が一番好きであるが、「ロブ・ロイ」、「マイケル・コリンズ」等実在の人物を演じることがとても多い俳優だ。しかしながら、本作もそうであるように、常に演じる人間像と自己との共通性を明確に見出した故の役作りというのは見事である。新しい役をやる度に新鮮かつ鮮烈なイメージを鑑賞者に与えてくれる俳優である。

本当に良い作品だった。ただ、採点には影響しないがエンドロールの動物たちの映像のセンスは頂けなかった。この作品で唯一残念な点である。


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by turtoone | 2005-08-27 18:06 | 映画(あ行)
b0046687_232489.jpg先日鑑賞した「リアリズムの宿」と「くるり」繋がりでこの作品を観た。「○○と△△と◇◇」という言い回しだと、「セックスと嘘とビデオテープ」とか「部屋とTシャツと私」を思いだしてしまう。何というボキャブラリーの貧困だろう。実は、最初余り引き付けられる要素がなくてどうしようかと思っていたら、なんと舞台設定が関西(言葉からそのように想定)なのにも係わらず、実際のロケーション現場が筆者の自宅付近だということに気がついてしまった。JR駅改札口の場面の縦看板に如何にもわかるように「西寝屋川警察署」とか何とか書いてあるが、これは美術のカモフラージュで、選挙ポスターやドライブの背景、サラ金の看板などは殆どが東京の城北地区から城東地区にかけての物であったので、途中から「これは何処其処の風景だ」と映像に釘付けになってしまった結果、お陰で大変きめ細かく細部までこの作品を鑑賞することが出来た。一重に感謝である。

原作は田辺聖子センセイらしい。これはびっくり。原作本が出ているのなら近々に読みたいと思う。作品ではありきたりの社会人になっていく平凡さへの否定から、漠然と在り来たりでない人生に憧れる学生の不安と葛藤が見事に描かれている。そしてそういう自分を一時期誇らしく思うものの、現実には長続きしない厳しさと一方で安楽さを知ったとき、もう青年は最初に抱いた信念に立ち戻ることが出来ない悲しさを同時に描いている。物語はこの題材であれば言いたいことが沢山あると思うのだが、敢えて、可也抑え目にしていることで良い感動を残せたと思う。余談であるが、池脇千鶴は良くこの役をやったと感服した。彼女の演技は2001年NHK朝の連ドラ「ほんまもん」で半年間付き合ったが、当時は脱アイドルを目指していたのか気合の入った役つくりをしていた。そういえばあの頃の連ドラは良く観ていた。「あすか」の竹内結子、「ちゅらさん」の国仲涼子、「さくら」の高野志穂、「こころ」の中越典子、「てるてる家族」の石原さとみという辺りは結構真剣に観てしまっていたと思う。最近の連ドラは余りぱっとしないが・・・。ただ、これがやはりテレビと映画の違いなのだが、テレビで毎回主人公のエモーショナルに付き合うのは大変である。だが映画というのは100分くらいの感情移入だから、如何に感情を繋げていけるかが役者に問われることになる。但し、映画はご存知のように「コマ切れ」の繋ぎ合わせであり、テレビのように連続したシーンは少ない。映画で感情を継続させて始めて一流の役者と言える。その点からいえば、池脇の演技はこの作品をもってまさに本当の意味での「脱アイドル」を図れたのだと思う。

さて、冒頭にも書いたタイトルに関して少し拘りたいのであるが「虎と魚たち」があんな格好でしか出演しないというのは甚だ疑問を持った。これは多分原作に対してになるのであるが、折角なら池脇のジョゼ(本当はくみ子)役は虎の子供を飼っているとか、魚が一杯の水族館の水槽の中で眠ってしまうとか、そんな設定やシーンが欲しかった。最後までこのタイトルに引きずられてしまったのが残念だ。

邦画として、この作品の方向性は間違っていないと思うが、作品自体の質はどうしても世界標準に無いのが残念。特に上野樹里がキャンギャルになってしまう経緯なんかはお粗末。但し、彼女のコスプレは悪くはなかったが。


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by turtoone | 2005-08-26 23:09 | 映画(さ行)
b0046687_17524778.jpgリドリー・スコット監督を考えるとき、筆者の場合はどうしても「エイリアン」と「グラディエイター」は欠かせない。「ブレード・ランナー」を外して良いのかと言われると、勿論、氏の評論文でも纏めるのであれば当然のこと外すわけにはいかないのだが、この程度のブログに書くのには、敢えて、あの難解な作品解釈から生じる監督論は避けたい。という訳ではないが、筆者は前述の2作がこの監督のバイオグラフィーを考えるときに前半と後半の仕事上大きな象徴だと思うからである。

映画監督冥利に尽きることって、例えばどんなことなんだろうかと最近は良く考えることがある。というのは、最近はやたらと人間の内面を描く物が多くなって来ているが、しかし、一方では軽々しく扱い過ぎて、精神面の描写を軽んじている嫌いがあると思う。しかし、これらを監督別に色々と見ていくと大変興味深く、例えばロン・ハワードなんかが「ビューティフル・マインド」で天才数学者の生涯を精神面から取り組んだという様な試みは面白く、方向転換なのかと思いきや、この作品はオスカーを独占し、ご自身も監督賞、更には「シンデレラ・マン」、「ダヴィンチ・コード」に繋がっていくと考えると、これこそがこの監督の「冥利」だったのかと思う。リドリー・スコット監督も「グラディエーター」で大きな変貌を遂げたのは、この作品から思いっきり「人間」という物に向かい始めたという点だろうか。勿論、「テルマー&ルイーズ」あたりでもその兆候はあったにせよ、筆者は以前ここにも書いた様にあのスペクタル史劇に、思いっきり人間、しかもローマでなく、現代人に近い気質で挑んだという点を高く評価した。「マッチスティック・メン」であるが、更にこの作品では人間性についての追求、いや、探求を試みている点が興味深い。

今回はその探求のパートナーにニコラス・ケイジを選んだことも正解だった。この俳優は「日本では知名度がもうひとつ」という一般的な評価には驚いた。「ナショナル・トレジャー」のテレビCMが「パイレーツ・オブ・カリビアンのスタッフ」と言い出したから驚いた。かのブラッカイマーが一番良く仕事をするパートナーだと信じて疑わなかっただけに、ああいう宣伝文句は映画ファンを興醒めさせる。事実、この作品も興行は振るわなかった。しかし、この役はケイジでないと絶対に出来ないと思わせる演技が幾つもある。特に「潔癖症」という部分と以前は偉大なの詐欺師だったのが今は徐々に仕事の規模を小さくしようとしている仕草。冒頭の窓を開けられて日光を浴びるシーン等は、彼の動揺する演技と視覚効果が絶妙に相俟っている。そう、ケイジの演技は、最早、「撮影効果」のひとつとして演出できるほど卓越している。さすがに役作りのためには生きている蜚蠊まで食ってしまう程である。俳優というのは、天性の勘の良さを持っている人も多いが、どちらかというと努力家が多く、ケイジは(無論、勘も良いが)そういう努力の積み重ねの上に今の彼のレベルがある。つまりはこの撮影効果をも演じてしまうような俳優をパートナーにしたことでこの映画作品でより人間性の探求を成し遂げたのであり、こういう玄人仕事は爽快さこそないが、映画を観ていて満足できるひと時である。

ストーリーも途中からある程度、方向性が予測が出来てしまうのであるが、それでも仕方無いと許せるのは、実はケイジの「優しさを表現した演技」に包容されているのかも知れない。


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by turtoone | 2005-08-25 18:02 | 映画(ま行)
b0046687_1027444.jpg初DVD化である。本格的にビデオからDVDにソフトの移行が進んで5年になるが、まだまだこんな名作が「初DVD化」なんていう帯が張られていると残念な気がする。更に言えば、初DVD化なのに「廉価版」というのが許せない。最近やっと気がついたのだが、廉価版って別に安くもなんともないということ。発売メーカーによって多少の違いはあるが、要するに「特典映像」、特にメイキングを殆ど削って値段を下げている。映画作品の裏まで知りたい筆者としてはこれではDVDを買う意味が余り無い。特にこの作品では、ダイアン・キートンが40歳の時の作品である。つまりこの主人公同様、女性としての大きな転換期にさしかかっている年齢であり、その辺りの複雑な思いとこの役を引き受けた意気込みがどんなだったかを聞きたいと思っていたのに残念である。ご存知の通り、ハリウッド作品の場合は殆どメイキングを残している。ひとつは、特に俳優の場合は気分展開が多い。撮影スケジュールは過密だし、予測不能なハプニングとしては天候に悩まされることも多い。そんな時にモチベーションを保持させつつ、リラックスして貰うのには作品関連の取材が最も効果的であるからだ。又、日本なんかと違い、プレス発表は多方面に渡る。一々その度に作品関係者を手配していたら映画制作よりもたいへんな仕事になってしまうので、関係各所にはメイキングを配布して対処する処も多い。又、これも映像文化が生んだ副産物として「お宝映像」がファンの間を駆け巡る。まさにメイキングを作成することは一石二鳥、いやそれ以上なので、もう、半世紀年以上も前からメイキングは存在する。もしかしたらトーキーの歴史よりも古いとも言われている。

作品に戻ると、この作品化された1987年という年は日本ではバブルの真っ只中。ダイアン演ずるJ・Cワイアット、通称タイガーレディの年俸は6桁だというから、日本円にして凡そ1000万~9999万円の範囲だが、彼女は部屋と秘書は居てもまだ役員ではないから推定2000万円くらいだから、当時、日本のバブリーなヤンエグと変わらない。(当時、大台を4桁と言わず、ドルに換算して6桁と表現していた記憶がある) しかし、アメリカとの差は役員になるかならないかである。事実、タイガーレディも作品の後半で提示されているのは年俸35万ドルプラス業績級ボーナスが年俸の150%、つまり87万5000ドルの給与で日本円で1億。トップやCEOでもなくフード会社の一重役で、又株式の含み益がなくて、この給与は流石にアメリカ。当時の日本のバブル程度では到底足許にも及ばなく、タイガー・リリー恐るべしである。

実は、この作品を公開時に鑑賞した時は、前述の背景から、女性ではないがビジネスの第一線に立っているということで彼女に大変共感した。(週70時間の労働は大したことがないと思ったが・・・)だから、赤ちゃんに関しても、なんでこんな子供を引き取ってしまうのかと思ったが、今二女の親という環境で見ると、逆に(演技だとはわかっていても)ダイアンの抱きかかえ方や、オシメの取替え、食べ物の食べさせ方など基本的な子供の扱いの粗雑さが気になって仕方無い。そういう意味で母親という境遇の方々がこの作品を観たら、気が気でなかったんじゃないかと推測した。所謂コメディなのだが、ビジネス物とベイビー物か見事に融合しているという点では、この作品の希少性は高い。又、ダイアン・キートンは役どころの広い女優である。「ゴッド・ファーザー」、「レッズ」のようなシリアスな役から、「アニー・ホール」に見られる難しい役柄、そして本作品や「ファースト・ワイフ・クラブ」の様な思いっきりのコメディなど、又最近の「恋愛適齢期」では、熟女の恋愛感を見事に描いたりと、名実共にハリウッドのトップスターである。

映像などの古さは隠せないが、時を越えて愛されるコメディ作品である。


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by turtoone | 2005-08-24 22:30 | 映画(あ行)
b0046687_21464157.jpg「リンダ リンダ リンダ」が素晴らしい出来だったので、山下敦弘監督作品を観たいと思った。というか、この「リアリズムの宿」は友人につげ義春氏の大ファンが居て大絶賛し、推薦していたが、上映館か少なくて見落としていたっ限りになっていた作品。筆者は原作の存在すら知らなかったが、かなり信頼できる筋からの推薦なので鑑賞することにした。マンガが原作だからかも知れないが、タイトルは凝っている(余談だが、漫画ってタイトルつけるの上手い。映画もオリジナル脚本は見習って欲しい。最近では小説より上手いかも・・・)。こと、映画のタイトルに限っていえば、どんな宿だろうかと思うし、逆にリアリズムの無い宿ってなんだろうとも思う。

登場人物の設定が良い。あくまでも映画作品の設定だけに拘って言えば、「リンダ~」同様、日常の描写に卓越な物があるが、やはりこの人物設定が絶妙なのだと思う。旅行に行くときに誰かが待ち合わせに遅れるというのは日常である。尤も、筆者の周りで起こるのは迷惑であるが、様々な事情でいつ起こってもおかしくない事柄である。しかし、ここが問題で、変な言い方であるが、遅れていい人間と遅れてはいけない人間がある。極端な言い方をすれば、ツアコンや幹事は絶対遅れてはならないのであるが、遅れる可能性というのは誰にも平等である。この辺りに着目する発想というのが可笑しい。また、タイトルにもなっている「宿」なのであるが、これが又、何とも良い。この作品には合計4つの宿が登場する。予約なしで休業中の宿、持ち込んだウイスキーを飲み干される宿、勝手に混浴してしまう宿、そしてとても宿とは呼べない普通の家以下の宿。しかし、この三つの宿泊体験を通して、自主映画制作の監督と脚本という二人の関係がリアリズムな物になっていくという過程がこれまた可笑しい。特に、三つめの宿の寝床の会話は爆笑で、特に男同士の旅行であればああいう体験というのは、少なからずとも一度はあるのだという鑑賞者の実体験を擽る。そう、この擽りこそがタイトルにあるリアリズムである。

もうひとつ面白いのが、この二人の監督と脚本家は、旅を止めないことである。理由は色々あって、例えば普段来れないような遠くへ来たということ、宿が休業していてももうひとりの連れと待ち合わせしているからこの場所から動けないこと、思わぬ道連れの登場で不安よりも良からぬ期待の方が大きくなってしまうこと、旅先で人情に触れそれに甘んじた結果後戻りできなくなってしまったり。積極的に止めようとしてはいないが、続けるのに積極的な訳でもない。そんな現代青年層の考えを反映している。

そんな歯切れの悪い監督・脚本家のコンビが主役であるが、この作品の監督と脚本は見事である。更に言えば良いのがくるりの音楽である。くるりは「ジョゼと虎と魚たち」の全編で音楽を担当しているが、この映画の作風を壊さずにさりげなく自分たちの音楽性を強調するところは注目せざるを得ない。もし本人たちの本意なのであれば、今後も是非邦画に良い音楽を提供して欲しい。

この作品も「お金なんか掛けなくてもここまで出来る」という邦画の代表である。というか、この作品が一番お金を使っているのは「ロケハン」で、だから邦画の良さが全て表現されている。この作品も、筆者が提唱する邦画界の方向性に適っている作品であり、こういう作品をもっと鑑賞し、評価して欲しいと映画ファンにはお願いしたいのである。


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by turtoone | 2005-08-23 21:52 | 映画(ら行)
b0046687_12162535.jpgこの作品はどうしても「インディペンデンス・デイ」と比較してしまう。しかし、「ID4」と比較すると映像的にはずっと進化している(つまりはこの作品の後に観ると、「ID4」は残念ながらとてもちゃっちく観える。改めて、この世界の日進月歩の速度は驚きだ。但し残念ながら、作品としては「ID4」のような魅力は殆ど感じない。あくまでも筆者にとってであるが、それはこういうことであると思う。

ひとつは、「宇宙人の襲来」と「氷河期到来」という非現実と現実のバランス感覚である。どちらかというと、近い将来に現実的になる確率、つまり「現実感」があるのは後者である。なぜなら、地球という惑星の長い「記憶」の中に、同様の現象が存在しているからであり、それは科学的に証明されているからである。前者はそういう事実があったかもしれないが、「記憶」という部分では地上の残されたサインなどがあると言われるが学術的には証明できてはいない。しかし、現実感がある一方でこの作品で描かれていること、つまりは学術専門家が決死の覚悟で救助に向かうということには全くといって現実感が無いというのが本音である。だとしたら、この作品が現実的に感じられるのはどういう内容なのかというと、異常気象を起こしたり、地球が氷河期状態になったときに、実際どうやって身の安全を守るのかという事についての学習マニュアルであれば現実感が沸いて来る。要するにこの物語は殆どが非現実なのである。一方で「ID4」は現実的では無い宇宙人の襲来である一方、大統領が中心となり、色々な人々が様々な知恵を出すさまが描かれている。勿論、「反則」に近いロズウェル事件なんかも引っ張り出してくる。フィクションであるが故に、その物語の落としどころも自由という便利さがある。よく、歴史物で架空の人物を設定するパターンである。架空の人物というのは最初の導入で上手く使えば使うほど、後々の展開に大変有利に描ける。そう、後々の展開次第の一番良い場面で、その人物を「生かす」も「殺す」も自由だからである。それと同じで、何時しかこのまったく自由な解釈によって作り上げられた「敵」をどう回避するのかに没頭してしまう。このバランス感覚を絶妙に保てたのが「ID4」であった。

もう一点は、「救助」の対象であった。「デイ・アフター~」は、N.Y.の図書館に閉じ込められた息子たちを共助に向かうのに比べて、「ID4」は、宇宙空間に浮かぶ母船をターゲットにするその方向性である。こういう作品は完結に導く挑戦が大きければ大きいほど「焦点」を暈かす効果にもなり、同時に鑑賞者の興味対象を分散させる効果がある。特に、「ID4」では、この母船攻撃の成否より二人組のチームワークの方に観客の心配が集中する。更にいえば、宇宙人への攻撃はこれだけでなく、その前後も色々な人が色々な手を下しているところが、効果を倍増している点がある。この辺りは作品の「主題」だけに拘るのでなく、観客がと゜ういう興味を持ち、どういうエンディングを望んでいるかという「駆け引き」が生じていて、全体的な作品のレベルを上げられたと考えられる。

「自由の女神」は又、被害にあってしまった。しかしこの手法は「猿の惑星」で使い古された描写。自由の象徴であるのなら、もう少し警告色を強めても良かったのでは無いか。


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by turtoone | 2005-08-22 12:21 | 映画(た行)
b0046687_19523967.jpg一般的に「風と共に去りぬ」という作品は映画界に残る不朽の名作だという評価があるが、筆者には単に映画作品としての興味や評価をするとしても、ビビアン・リーの美しさと彼女を見出したという功績以外にはそんなに高く評価はしていない。例えばヒロインのエモーショナルな部分は、前半と後半に大きく変わり、鑑賞者にしてみれば、あれだけコロコロ変わられると感情移入のモチベーションも保持しきれないというところがあるからだ。しかし、最近気がついたことは、所謂、「大作ドラマ」と言われて作品の教科書的な存在になっているのという点である。この「愛と哀しみの果て」という作品も、その「カゼトモ」の方程式に略当て嵌めて作られていると思われる節がある。方程式に適っているというよりも、恐らく意識をしていなくても、「カゼトモ風」になってしまうという方が正しいのかもしれない。つまり「風と共に去りぬ」はその「大作ドラマ・ヒットの法則」を作り出したことが最大の功績であると思う。序ながら、以前も「風と共に去りぬ」の記事で書いたが、このリメイク・ブームの中、折角だからこの作品もリメイクを期待している。確かに名作ではあるが、既に、映像も撮影手法も、効果も、すべてがかなり古過ぎるので、いい機会だからこの誰か撮ってくれないかと思う。「サウント・ミュージック」や「カサブランカ」はリメイク不可(リメイクしたとてしもオリジナルより良い作品は絶対に出来ないので・・・)だが、この作品は今の方が素晴らしいものが出来る要素が沢山あるからだ。

さて、表題作であるが、まさに絵に描いたようなオスカー狙いというのは、この作品のことである。主人公は女性、しかもモデルは実在の文学者、時代は第一次世界大戦前後、舞台はアフリカ、相手役がレッドフォードと、ものの見事によくこれだけの設定になったものだと関心するばかりである。公開から20年経った今も改めて鑑賞すると、やはり、メリル・ストリープは安心して観ていられるなぁと強く感じた。この作品はまた。監督がシドニー・ポラックで、彼にしては大変保守的な作りでうまく纏めたという感があるが、過去、二度オスカー監督賞を逃している学習作用が働いたのかも知れない。又、メリルもこの作品を含めて主演女優では10回、助演女優では3回ノミネートされているが、賞を獲得したのは、「ソフィーの選択」の主演と、「クレイマー・クレイマー」の助演でそれぞれ1回ずつ。この作品での受賞がないのも意外である。しかし、それをいうならレッドフォードの方で、彼は男優としては「スティング」で過去にたった1回しかノミネートされていない。監督賞はご存知「普通の人々」で受賞したが、これが、俳優兼業の監督賞ブームになったことは、既に書いた。そして、ウォーレン・ビーティ、イーストウッド、ケビン・コスナー、メル・ギブソンというスーパースターがこの方程式に乗っているという。

この作品のポイントはひとつ、メリル演じるカレン(実際は、アイザック・ディネーセンの回想録「アフリカの日々」晶文社刊、ジュディス・サーマンの伝記、そしてエロール・トルゼビンスキーの原作を基に脚色)が「物語」を語るというシチュエーションにある。彼女は創作物語を大変上手に語るが、徐々に彼女の置かれている境遇が「小説よりも奇」になって来る。サバンナのこと、アフリカ民族の生活や慣習、戦争やその戦争に対する白人の考え方等、この現実社会に生きている人間は、彼女の物語に出てくる場面や人物よりも遥かに奇怪であり、その想像を越えている。そうした中、彼女自身もこのアフリカという大自然の創りだすうねりの中に飲み込まれていく、その奔放的な男女を見事に描写している。百獣の王ライオンとの三度の対面が、彼女の立場とその進行過程を如実に描写している術は見事である。

一時期、「愛と○○の△△」という日本題が流行してそのタイトルの付け方の上手さに感服した作品もあったが、これだけは原題のように「アフリカ」をどこかに入れた方が良かったと思う。


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by turtoone | 2005-08-21 19:58 | 映画(あ行)
b0046687_18301393.jpgオレンジ・ジュースの初代「なっちゃん」でデビューした田中麗奈はCMガールというイメージよりも、最近では映画女優としての露出度が多くなって来ているようだ。かといって演技的に何か特別なものを持ってるとは思えない。敢えていえば、どこか奔放さを印象付けることの出来るキャラクターなのかも知れない。先日、「姑獲鳥の夏」を観たときにも感じのだが、どうも廻りの演技のレベルについていかれないので、とても浮いてしまっている。但し、その浮いたキャラクターという設定を上手く使うということであれば、この女優の利用効果というのはかなり高いのかも知れない。この作品では、正直なところ他の主要キャラの個性が強すぎる。柄本明、三宅裕司、伊武雅刀、六平直政、更に、篠井英介なんかも出ている訳で、出演者の名前を聞いただけで内容以前に、どんな役柄でどんな展開になるのかの期待が大きいのである。その中にあって田中の存在は、正直、演技にメリハリが無い分だけ「トッポク」見えて、その部分が逆にこの個性の強い俳優の「役どころ」と上手く相俟ったというのが率直な感想である。このあたりは「姑獲鳥の夏」もキャラの強い俳優が回りを囲んでいたが、作風と脚本の違いなのだ。

その脚本は、今一番乗りに乗ってる宮藤官九郎である。筆者は、過去にテレビ番組でしか彼の作品を観たことが無いが、直近の「タイガー&ドラゴン」も含めて申し訳ないが特別な何かを感じたことが全くないのでドラマも一度も最後まで観たことが無い。特別なものというと漠然としているが、例えば、それは「言葉」の面白さである。過去にも、非凡な脚本家には言葉の面白さか特別な会話のテンポのどちらかを持っている。クドカンには、残念ながらそのどちらも感じない。だが、今の日本のエンタメ界での脚本の使命というのはそれだけでは無い。テレビと映画の「脚本家」の位置づけや、その仕事の内容も違うように、脚本家というのは演出面でも今は監督よりも大きな影響力を持つ場合も多い。寧ろ、監督が制作業に近づいている一方で、脚本が演出に力を持っている、又、そういう才能を持った脚本家が多くなっている。クドカンもどちらかというと筆者のその類いの人物で、彼は監督業に近い形の関与がもっと良い作品が作れると思う。少なくとも、この作品では、前述したように、「配役」の部分で作品の半分は成功している。田中麗奈をそういう「存在」に位置づけたのが脚本の想定内だとしたら、彼は新しいタイプの演出家として逸材なのである。

残念なのは、「ドラッグストアー・ガール」というタイトルから受ける斬新さが作品のどこにも現れていないこと。ドラッグストアーのアルバイト店員を主役にしたというだけで、後はラクロスの普及ビデオと変わらないところは正直、少し裏切られた感がある。ストーリーの展開も今までに何かで観たり、読んだりしたことのあるものばかりである。特にラストのその最たるものである。クドカンの作品はタイトルから受ける印象よりも、実際に内容が伴っていないというのが正直なところ。これでは昨年流行った純文学と広報手法が変わらないではないか。「作品のタイトルが決まっただけで、その内容の9割は完成したに等しい」と言った文学者がいるくらいだから、そういう意味ではクドカンの成功しているのかも知れない。

ハリウッド製作のスポーツコメディなんかと変わらないが、お金を掛けていないので正直、見ごたえはまったく無い。唯一、日本語なのて字幕を追わない神経と集中力を使わないから良いかもしれないが・・・。但し、クドカンが多くの人に指示されているのは事実。もう少しまだ観ていない彼の映画作品を鑑賞しようと思う。


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by turtoone | 2005-08-20 18:34 | 映画(た行)