暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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b0046687_21264165.jpgトム・クルーズの主演、渡辺謙・真田広之というトップスターが共演し、日本史と日本文化を始めて忠実に再現したということで話題になったハリウッド作品であるが、正直なところ前評判が高すぎただけに、筆者的には大コケした作品であった。しかしながら、この作品から自身が映画を鑑賞する上で学んだことは意外に沢山あった。そして、上記の理由で日本では興行収入が135億円と、外国映画ではタイタニック、ハリー・ポッターの2作に続いて歴代第4位、DVDセールスも105万枚と歴代第5位という好成績を残している。公開時、劇場でも筆者の周辺はシルバー層ばかりだった覚えがあるし、日本人に人気の高いトム・クルーズと馴染みのある日本人俳優効果が絶大だったのであろう。

筆者的に「許せない」部分はやはり歴史的事実との「調整」である。例えば、「勝元」という人物とその一族について。「大村」という人物との相関から、勝元は西郷隆盛、大村は大久保利通をモデルにしていることが窺われるが何れも人物を脚色し過ぎて、かなり極端な存在になってしまった。又、「吉野」という場所で政府軍との合戦が行われて、その後一行は富士山を経由して自分たちの集落へ返るが、当時、都は「東京」だった訳だから、吉野が奈良県で良いとすれば、一体彼等は何処をどのように通って合戦をし、何処に集落を持っているのだろうか?今でも不思議だ。一番笑えたのは、「勝元たちが列車を襲いました」という台詞は「大列車強盗」を観ているのかと笑った。彼等が身につけている鎧・兜も、関が原の合戦時のものと変わらない。また、明治維新に忍者が出てくるが、これは日本モノの「お約束」にしか過ぎない。さらに、全編に流れる音楽に関していえば、合いの手の掛け声などはカンフーっぽく、ディズニーアニメの「ムーラン」の曲に相応しいと思える。このあたりの例を挙げると限がない。

先日アップした「グラディエーター」では、作品と史実との違いに、製作者側の歴史的願望における操作という点を大変強く感じたが、この作品には如何せんそういうものを全く感じない。逆に言えば、これだけ日本人スタッフや関係者を抱えていながら、この程度のある意味で「鑑賞者を馬鹿にした」物しか作れなかったことには大きな憤りを感じる。日本人が係わったものでは、1980年に「将軍 SHOGUN」という作品があったが、あれよりはマシだとしても、まだまだ日本は、中国や韓国と同じ土壌で語られているに過ぎない。残念ながら、これが事実なのである。

もうひとつは、トム・クルーズ演じる南北戦争の英雄、オールグレン元大尉は、やたらとインディアンを襲撃した過去の記憶をフラッシュバックさせている。これも意味は良く分からない。彼がインディアンの生活同様に日本人の生活風習を小まめに日記に記している共通性から、過去の忌まわしい自己の戦歴への確執と自責の念を描写していることは分かるが、だからといって、最終的に彼が勝元とともに戦ってしまうという部分の論理構成は希薄で、正直、バグリー大佐への個人的な恨み以外に動機が不明である。ならば、一層のこと、もっと小雪演じる健気な「たか」の行動に対して恋愛感情が芽生えたという理由の方が単純で納得が出来るものだった。

公開当時からこのタイトルの「サムライ」は誰のことかという議論があったが、ラストをみれば分かるように当然、唯一生き残った「彼」の精神のことであるのは明瞭で、だとしたら、そのサムライの精神的な構築に関しての説明不足は歪めないのがやはり残念で仕方ない。

一方で、ロケハン等、評価すべき点も幾つかある。特に、勝元の居所になった「寺院」は、日本人観光客に然程知られている場所で無い。こういう「ハリウッド式嗅覚」は、邦画がなんでも京都太秦で撮影するのではなく、盗んで、磨いて欲しい素晴らしい手本ではないだろうか?

色々文句が多かったが、何事も一度に大きな飛躍は望めない。千里の道も一歩からということでは歴史的な第一歩である作品なのかも知れない。


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by turtoone | 2005-07-30 00:09 | 映画(ら行)
b0046687_17134095.jpg筆者がウィノナ・ライダーの大ファンであるということは、このブログで再三に亘って触れているので、既にご存知頂いていると思う。同時にこの作品に関しても、今年前半に不定期連載していたアカデミー特集「助演男・女優賞」の記事で逸話を書いているので、今回はレビューに徹したいと思う。

精神病棟を舞台にした作品には、「カッコーの巣の上で」という名作があるので、どうしてもこの作品と比較されてしまうのは致し方ない。かくいう筆者も、自然とこの作品との比較論を唱えながら、本作品を鑑賞してしまう。最近、「精神面」を描いた作品は数多くなって来ているものの、なぜか「精神病棟」という括りで考えてしまうと、他の作品とは一線を画してしまうのも、やはり、「カッコー~」という作品が如何に衝撃的だったかを物語っているのであろう。

しかし、この作品の原作はスザンナ・ケイセンの同名小説「17歳のカルテ」と「思春期病棟の少女たち」を題材にしている。ウィノナはこの企画に当初より乗り気で彼女にもコンタクトを取り、製作にも係わっている。当然、ウィノナが係わったことで、業界からも注目を浴びた。アンジェリーナ・ジョリーにとっても、彼女の参加は追い風になった。筆者はこの段階で、作品の方向性が随分変わってしまったのだと推測する。スザンナの原作は、何故、17歳の少女が精神病棟に入ってしまうことになったのかという事を1960年代という時代背景も含めて、私小説として描いている。彼女の心中の葛藤であるとか、社会への復帰や、10代のどこにでもいる女の子が背中合わせに持っている問題点に関して体験を元に鋭く切り込んでいる一方で、映画作品は、それよりも「病棟」についてに重きを置いてしまったのである。当然、作品としては、「カッコー~」でもそうだった様に、病棟にはどんな患者が居るのか、そういう患者とどうやって係わっていくのかに焦点が当てたらてしまったことが残念であった。どのように友人になっていくかは作品の中で大事なプロセスである一方、果たして、それが社会復帰へのリハビリになっているのかというと、この映画の中では、主人公の心理描写が甘かったために、結局、彼女はなんのためにこの病棟に入っていたのか、俗世間に盾を突いて、ただ無駄な時間を過ごしたのと何処も違わないという感想を持たせることになってしまったのである。これも、前述の「カッコー~」への意識過剰である。作品に抑揚を持たせるには、精神病棟患者の面々というのは格好の材料だっただけに、主題を飛ばしてしまった点は残念である。

そうはいっても、集団で夜中に病棟を抜け出し院長室に忍び込み、自分たちの「カルテ」を公表しあうシーンは秀逸である。この作品の最大の見所でもあり、各俳優の熱演も見逃せない。また短いシーンだが、ウィノナが弾き語っている貴重なシーンがある。(決して上手ではない。直後にアンジーが笑っているが、ホントに笑ったんじゃないかと思う「語り」である・・・) そのテーマ曲を筆頭に、この時代の楽曲も全編に上手くちりばめられており、60年代を生きた人には懐かしい構成である。

映画冒頭、ウィノナのMCに「夢と現実が混乱したことはある? お金があるのに万引きをしたり、落ち込んだり・・・」とあるが、この後、現実になるから意味深である。彼女自身は、まだこのリハビリから完全に社会復帰しているとはいえない。

一日も早い復帰を願う。


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by turtoone | 2005-07-29 18:16 | 映画(さ行)
石ともさまの「六本木シネマ」から、受け継ぎましたので、お恥ずかしながら筆者の「映画のタスキ」を記させて頂きます。大変光栄に存じますが、果たしてきちんと役割りをこなせるかどうか・・・。


1. 過去一年間で一番笑った作品
新作に限るのですよねぇ。そういえば、この一年って映画で「腹を抱えて笑って」って事は無いですなぁ・・・。違う意味で「笑った」というのは幾つもあるのですが。(例えば、「フォーガットン」とか「誰にでも秘密がある」とかね。) 「笑の大学」も腹を抱えて転げまわったりはしていませんし、そうそう、DVDという括りで考えると、最近はお笑い系を良く買ってきますね。これが、結構何度見ても笑えるんです。オチが分かっているのにね。だから結構コスト・パフォーマンスが高b0046687_226521.jpgいですね。インパルスの「球根」とか好きですよ。
おっと映画の話でしたね。やはり一年以内だと、「カンフー・ハッスル」でしょうか?
それにしても、本当に過去一年だと中々思い浮かばないものですな。過去二年に遡ると「ブルース・オールマイティー」とか、少し前だと「ライアー・ライアー」とか、かなり前だと「星の王子ニューヨークへ行く」、「大逆転」・・・。要するに、ジム・キャリーとか、エディ・マ-フィーの類いの笑いに飢えているのですな、きっと・・・。


2. 過去一年間で一番泣いた作品

ブログにも書いたことがありましたが、兎に角、涙が止まらなかったのは「シャル・ウィ・ダンス」のハリウッド版。しかし、余りにも自己の環境をオーバーラップさせすぎた為に、今考えると、感情移入し過ぎ、故に、鑑賞時は正常な精神状態ではなかったと分析しました。
b0046687_22123048.jpg「泣く」という行為は、映画の場合、イコール感動であり、それはまた同時に「名作」であるということでしょう。「シャル・ウィ~」がそうでないとは言うのではありませんが、その「純粋に名作」としての感動を与えてくれたのは、やはり「ネバーランド」です。特に邸宅内にネバーランドの光景を作ったシーンは涙とともに鼻水も溢れました。いよいよ8月3日にはDVDも発売になります。
因みに、人生の中で一番泣かされたのは「ラスト・コンサート」と「チャンプ」。もうこの2作品だけは、瞼と隈が自分の所有物だと思えないくらい麻痺するほど泣きました。


3. 心の中の五つの映画

なかなか難しい設問ですね。こういう問いかけだと、「マイ・ベスト5」というのと少し違いますね。自分の映画鑑賞遍歴ともいうべき、「区切り」の作品という様に理解しました。

「2001年宇宙の旅」
b0046687_22284887.jpgこの作品は小学生の時、私の誕生会を開いて友人を招いた際に記念鑑賞した作品で、勿論、ロードショウを見たのも初めてでした。で、なぜこの作品なのかというと、どうやらタイトルから母が、宇宙を探索する科学教養番組と勘違いしていたようです。私としては良かったのですが、その直前に銀座のレストランで会食をしましたから、私も招かれた友人も半分くらいは居眠りをこいていたと思います。この作品の奥の深さを知ったのは、それからずっと後のことです。

「ブラザー・サン シスター・ムーン」
b0046687_2236354.jpg中学生の時に家庭教師だった早大生のお兄さんに連れて行って頂きました。結果的にこの経験が、私の映画鑑賞のスタートとなりました。幼稚園からミッション・スクールの私にはとても分かりやすい作品でした。確か、上映館は今はなき「渋谷東急」でした。そういえば、渋谷東急には昔、東京で唯一のプラネタリウムもあり、私にはとても文化的な空間(確かビルの名前も文化会館?)でした。字幕スーパーの面白さも初めて味わいました。

「ペーパームーン」
b0046687_22405926.jpg記念すべき、ひとりで映画館に観にいった作品です。日本初公開でなく、名画座のリバイバルだったと思います。ストーリーは余りにも有名な詐欺の話ですが、中学生の時、両親に友人と一緒に行くと偽って、鑑賞中にその友人から電話があって、行動がバレたといういわくつきの作品でもあります。また、このころは「タワーリング・インフェルノ」、「大地震」、「エアポート75」などという、パニック物が流行っておりまして、映画館通いが本格的になって来た頃でもありました。

「家族の肖像」
b0046687_22463527.jpg筆者が最も好きな映画監督がこの人、ルキノ・ヴィスコンティです。彼の作品は殆ど好きですし、同時に高く評価しております。映画が総合芸術という名に相応しいのは、彼の作品だけといっても過言ではありません。「ルードイッヒ 神々の黄昏」、「イノセント」、「山猫」すべて甲乙付け難いのですが、バート・ランカスターとヘルムート・バーガーか素晴らしく、且つ美術が凝っていて、同時にその美術の撮影の仕方にも斬新さの溢れるこの作品がダントツです。

「シンドラーのリスト」
b0046687_22494947.jpg最後に私の「マイ・ベスト」です。映画とは何のために、どんな目的で、どのように構築し、どういう機会に、そして出来上がりはこういうように作るのだという定義をすべて満たしている作品です。勿論、物語も脚本も、俳優も演出も、撮影・美術・音楽に至るまで、すべてが完璧な作品です。扱っている題材も「重い」物であるにも係わらず、一方で、事実と物語を見事に結集させた芸術作品です。

不思議なことに上記5作品はいずれもこのブログでレビューを書いていないものばかりでした。早々に書きたく存じますのでその節はご高覧の程、宜しくお願いいたします。


4. 見たい映画

たくさんありすぎて・・・。未公開作品では、今秋の「チャーリーとチョコレート工場」、来春の「ナルニア国物語」「ダ・ヴィンチ・コード」がベスト3でしょうか。直近b0046687_2373389.jpgでは来月早々に公開予定の「愛についてのキンゼイ・レポート」でしょう。この作品の評価如何で今年の自分の映画ランキングもかなり固まって来ると睨んでいます。それから、リバイバルという点では、なんといっても「月世界旅行」。以前に、日本でもジョルジュ・メリエスか、H・Gウエルズのイベントで数回公開されたのみ、勿論DVDも出ていません(仏版ならあるらしいです)。
やぁ~映画って本当にいいもんですねぇ~。


5. このタスキをつなぐ人

筆者も愛読しているブログ「ネタバレ映画館」のkossyさまにお願いしました。映画作品にご造詣の深い方なので、記事が楽しみです。


ということで、何とか私の責任は果たせましたでしょうか? 私にタスキを下さった石ともさんと最後迄お読み頂いた皆様に感謝申し上げます。今回に限り、「です・ます体」で書いてみました。



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当ブログ内のレビュー記事
「カンフー・ハッスル」
「ライアー・ライアー」
「大逆転」
「Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?」
「ネバーランド」

  
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by turtoone | 2005-07-28 23:54 | 映画関連

アイランド

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自分で作品を観にいっておいてこういうのも何だが、何故こんな作品を観にいってしまったのか大変疑問に思っている。それなら、当ブログに記事を書くのもなんだと思うのであるが、下半期はなるべく新作は記事にしようと思ったし、何かどうしてもひとこと言いたかったのでアップさせて頂いた。おっと「こんな」という前置詞で表記したが、別に「物凄く悪い」という意味ではない。どちかかというと「このような~」を短くした「こんな」である。

多分、この作品をご覧になった殆どの方が思われているのは、「なんだ、予告編と変わらないじゃないか・・・」ということである。最近の予告編というのは、上手く作っている一方で、ストーリーを全部見せてしまっているものが多い。しかも以前と違い予告編は映画館だけでなく、最近はネットでもいつでも観られる訳だから、ひとり当りの予告編鑑賞数は増えている筈だ。又、映画館で気になった作品は、自宅でオフィシャルサイトで確認するという方も多いと思う。更に言えば、筆者の様にある程度ストーリーを予測している方も多い。勿論、如何に予告編を上手く作るかによって観客動員も違うから、その製作にも当然力が入る。最近で絶妙だった予告編は「エターナル・サンシャイン」「コンスタンティン」。それぞれ記事にも書いているが、予告編と本編が見事に相俟って鑑賞効果を生んだ例である。詳細はそれぞれの鑑賞記事に書いているので、ここでは触れない。

クローンというものに関して少し考えてみたいのだが、例えば、筆者に関して言えば、「私の・・・」クローンって必要なのだろうか? もし、必要だとしたら誰が? 私が、家内が、子供が、親が、まさか企業や国家が??? 少なくとも、私は自分で必要としていない。家内に聞いたら愚問だと一笑に付して終わりだろう。それは親子も変わらないと思う。残るは国家だけなのだが・・・。しかし、例えば、アメリカ大統領とか、偉大なる科学者とかはクローン体が一体や二体存在していた方がイザという時に良いかもしれないって次元の話なんだろうと思う。筆者には無縁だ。さらに言えば、クローン羊なんかが居たように他の生命体をクローン培養するなどということはもってのほかだ。地球という生命体を人間の都合で征服し、ひいては破壊する行為だということは、恐らくダーウィンの進化論を教わった学生なら「神への冒涜」なんていう宗教論を振りかざさなくって理解できるであろう。人間はそんなに偉くも、立派でもない。だが、そういう意味では、この作品は、クローンの原点が「軽かった」。そう、簡単に言えば、筆者みたいなのが、自己の意思でクローンを持っている? これ以上はネタバレになるので書かないが、そういうノリであった。これは、作品の出来不出来と関係なく、「クローン必要論」からは許されるレベル、そう、子供のときに誰しもが欲しがったパーマンのコピーロボットのレベルだけに、筆者的には許せてしまった。というか、そういうオチなので、何かもっと大きな物を期待していると裏切られるかも?

カーチェイスの迫力は凄かった。2017年には、キャデラックに750馬力のエンジンが積載されるそうだ。そんなに高額でなかったと思うので、このクルマは買いだ。それと、スカーレット・ヨハンセンの「唇」って、どうしてあんなに「絵」になるのであろうか? ユアンでなくても、あの「唇」のためなら、体を張って悪と戦っても(それで死んで本望とは言わないが・・・)いいんじゃないかって思ってしまった。また、いつもながらジャイモン・フンスーはいい役を貰うと思う。「グラディエーター2」って本当にある? あるとしたら、彼(ジュバ)が主役ということで。

それよりも、最後に解き放たれた人たちが社会に復帰すると厄介なことになると思ったのは、この映画をご覧になったすべての人が思ったのではないだろうか? ラストから始めても作品が出来てしまいそうで怖い。


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by turtoone | 2005-07-26 18:17 | 映画(あ行)
b0046687_16191959.jpg昨年から一時期静かなブームとなった「スペクタル史劇」の火付け役となった作品である。筆者の評価も大変高い作品なのだが、果たしてちゃんとレビューを書けるか余り自信が無い。

そこで、この映画の素晴らしい点を幾つか上げる。まず、「ローマ」であること。"すべての道はローマに続く"様に、やはり歴史映画の原点はローマである。「クレオパトラ」、「スパルタカス」、「ベン・ハー」と過去の歴史大作と言われるものはローマを描いたものが多い。そして、ローマ帝国を、権力の側からでなく、民の側から見た。これは、ある意味でベン・ハーもスパルタカスも一緒であるが、この作品は一人の男の復讐に終始した。勿論、前2作も「復讐劇」であるが、この作品の様に、のっけから愛するものは「家族と土地」を印象づけるシーンが出てくる作品も珍しい。要するに、舞台はローマ時代においているが、本質は時代に係わり無く人間の執着と欲望は尽きない点を、どの階層の人間も同一であるという視点を持って描いている。つまり、ここに出演する人物はエキストラも含めて、「物事に執着する」、「尽きない欲望」を表現している。それは王冠であったり、権力であったり、決闘であったり、自由であったり、愛であったり、様々である。

「ローマ」、「民衆」、「執着と欲望」とあって、もうひとつの決め手が「戦い」である。この作品は数々の色々な「戦いのシーン」がある。戦場での戦い、コロシアムでの見世物としての戦い、そして、プライドを賭けた一対一の戦い。勿論、目に見え、拳や刀を振り上げる戦いもそうであるが、そうでない自己との「形の無い」戦いは全編に繰り広げられている。そして、誰もが言うのが「真のローマの姿に・・・」である。そう、彼等はすべて「皆のためのローマ」のために色々な戦いをしているのである。そして、それをもっとも表現し易かったマキシマス(ラッセル・クロウ)という人物を軸にして、様々なローマの人間の苦悩を描いたのである。この土台の構築は見事に的中したと言える。

ここで、世界史について少し触れておくと、ここに登場するコモデゥスという皇帝(ホアキン・フェニックス)は、所謂、マキシマスの敵役でもあるが、彼の父は、マルクス・アウレリウス(リチャード・ハリス)であり、要するに五賢帝の最後の皇帝である。史実では、五賢帝は代々実子を後継に選ばなかったが、彼だけは「不肖の実子」を後継に選んだことで後々、現代においてまで可也非難をされている。要するに本作品では、コモデゥスが父を暗殺することによって、この後継選びは偉大なるアウレリウスの本意と違うことを暗に示しているが、筆者はこれには異論がある。コモデゥスは、父帝の在職時期から「共治帝」といういわば後継としての役職についており、この映画のストーリーの様に、父を暗殺する必要もなかったし、マキシマスにコロシアムで倒されることもなかった。しかし、彼を皇帝という「ローマの象徴」という描き方をしたかったがために、すべての「ローマの功罪」を彼に被せたというのが、前述したマキシマスを軸にしたローマ人の苦悩とリンクした作品の主題であろう。

余談だが、この作品で興味深いのは、コモデゥスの姉ルッシラの扱いで、史実では182年のコモデゥス帝暗殺未遂で疑いをかけられ、追放、処刑されているが、作品は全く逆の立場を取り、彼女の息子ルキウス(アウレリウスが最初に共治帝に任命し、後に病欠した父と同じ名前)が即位したと言っている。要するに、この作品では前述のように、ローマの民が、ローマに最も相応しい皇帝を、ローマの民意を結集(コロシアムという場所で)して選出したというひとつの柱に拘った。アウレリウスが犯した「歴史の間違い」をこの作品で「ローマ人が」正したというのであろうと解釈する。筆者はローマの末裔でないから、史実を云々言う積りは毛頭無いが、このストーリーは筆者のこのレビュー文章と違い、大変ローマを理解しやすいと思う。

リドリー・スコット監督について、彼の代表作というと、人によって「エイリアン」だったり、「ブレード・ランナー」、「テルマ&ルイーズ」だったり様々であるが、それは彼の多才な面の表れであると思う。ただ、この作品がオスカーで作品賞を取りながら監督賞を取れなかったことには憤りを感じる。(しかも、受賞したのがソダーバーグの「トラフィック」なので・・・)筆者にとっては、リドリー・スコット監督がどうこうでなく、この「グラディエーター」という作品を生み出したコンセプトとその表現力、表現手法が素晴らしいと思うからである。

撮影技術も美術も素晴らしい。勿論、ラッセル・クロウ、ホアキン・フェニックス(彼もまた、助演男優賞を取れなかった。「トラフィック」のデルトロだけに理解し難い)の演技もであるが、それは、到底筆者が文章で表現できることではないから、是非作品を観て欲しい。実は、筆者も是非、スクリーンで再演して欲しいと、密かに幾つかの名画座にリクエストしているのである。

最後にこのDVDのジャケットのラッセル・クロウは頂けない。折角良い作品なのに、このジャケのせいでショップで手にとっても全くそう思えないので・・・。


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by turtoone | 2005-07-25 18:20 | 映画(か行)
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人物モノとしては、先日のヒトラーの興奮が冷めやらないまま、一週置きでこの鑑賞となった。実は先週の鑑賞予定だったのだが、急用が入り一週延ばしたが、結果的にはそれで良かったと思うほど、同じジャンルとしてヒトラーが衝撃的過ぎた。

アメデオ・モディリアーニという画家は独特の線を持っており(というか、この時代の画家は皆何かが独特である)、一般教養程度以上に絵画には造詣の浅い筆者でも、シャガールやマティス程ではないが好きな画家である。しかし、その生涯は、ゴッホと並んで波乱な一生という印象が強く、特にこの人の場合は、愛人ジャンヌ・エビュテルヌ(最後はモディリアーニ夫人になったという説もある)の悲劇というのが、当人の作品と同じくらい後世には有名で、芸術家の生涯というのは、当人も周辺も波乱含みで大変である。しかしながら、それくらいでないと映画の題材にもならないのも事実である。今作品は冒頭にわざわざ「フィクションである」という趣旨の断りが入っているが、偉大なる芸術家・モディリアーニの「小説よりも奇」なる事実を、更に「芸術作品」として描くには、子孫への配慮があったのであろう。

さて、作品についてであるが、ラストの前、逆に言うと一番いい場面でこの作品は何を思ったのか思いっきり「下げ」てしまった。予告編にも出ている、画家が各々の作品を発表している直前に酒場で浴びるほど飲んでしまうという心理と、その結果の悲劇に関しては全く解せない。そもそもこのコンテスト自体がフィクションであるだろうから、事実ではないはずだが、如何に冒頭に断り書きを入れたとしてもこういう展開はないだろう。正直、この意図は全く理解できなかった。ネタバレで出来ないのでこの程度にしておくが、この1シーンがなければ、この作品のレビューは絶賛の連呼で終わっただけに残念であった。

パリのサロンの再現も見事であった。この作品、キャスティングと美術、それに撮影効果はそれぞれ満点に近い。同時に脚本に関しても、モディリアーニの影ともいうべき少年を設定した。この試みは当った。以前、「五線譜のラブレター」の設定を絶賛したように、この少年お陰で、モディリアーニの生涯を客観視しながら、一方で同時に主題になっている「愛」の部分は、モディリアーニか、ジャンヌのどちらかに感情移入できることにより、この数奇な運命を辿った天才芸術家とその愛人の生涯を描写し観客に理解させることが出来たのだった。それだけに、本当にそれだけに前述のクライマックスの展開、物語の進行はこれらのエンディングに向けての流れを一刀両断のもとに絶ってしまったのである。何度も言うが残念だ。

配役も期待通りだった。特に、主要3人は素晴らしい演技だった。アンディ・ガルシアは「アンタッチャブル」と並ぶ(「ゴッド・ファーザーPART3」もあるがアンタッチャブルとジャンルがかぶるので)彼の代表作になった。年齢も50に近づき、一段と深みを増してきた。これから益々良い俳優になっていく片鱗をみせ、今後は大器晩成型の俳優になって行くと思う。ピカソを演じたオミット・ジャリリ。彼も最近注目している俳優のひとりだが、チョイ役が多かっただけに、この作品は彼の演技を十二分に堪能できた。筆者は多分、DVD化されたら彼の演技を見るためだけの目的で購入すると思う。しかし、一方でこの作品は英語だったのが残念だった。筆者は外国語に疎いが、その筆者ですら違和感を感じたのであるから、言語に堪能な方々や、フランスが好きな方は、やはり仏語で演じて欲しかったであろうと思う。

総じて、歴史上の人物を如何に魅力的かつ内面的に描写する際の実験を色々と試みた結果、成功と失敗を同時に生み出した作品であるといえる。以降の同ジャンル作品の製作は、この作品の成功と失敗を是非参考にして欲しい、そういう判例法のような作品である。

最後に日比谷シャンテがリニューアルしていた。座席も指定になっているので、まだ新しいシャンテの利用が無い方はご注意を・・・。


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by turtoone | 2005-07-22 23:37 | 映画(ま行)

姑獲鳥の夏

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なんと、どういう訳か、この一ヶ月間に3本もの邦画をシアターで観ることなってしまった。これは、筆者に取っては大きな変革である。これに関しては、紛れもない「ブログ効果」である。このブログを始めて9ヶ月、映画専門になって7ヶ月になるが、ブロガーの方々の邦画に関する記事を色々読むようになってからであろう。ひとつ、申し上げておきたいのは、筆者は以前から邦画が苦手だった訳ではない。学生時代のそれこそ年間300本なんて時代には当然、邦画(邦画も見てないと年間300本には達しない・・・)も鑑賞した。そして、邦画を観なくなった理由というのが、面白いことに今回この「姑獲鳥の夏」を観ながら感じたことと同じだったのでそれを簡単に紹介しながらレビューを書こうと思う。

そもそも今回この作品を観にいったきっかけは予告編なのだが、そのときにオーバーラップしたのが、1970年代後半にブームになった横溝正史シリーズである。「犬神家の一族」、「獄門島」、「悪魔の手毬歌」、「女王蜂」は何れも、市川昆監督、角川春樹製作、そして石坂浩二主演という当時の最強タッグが組まれ、当然の事カドカワが全勢力を注ぎこんでプロモートに当たったシリーズであった。横溝シリーズはTV版も製作されたが、作品の出来は映画の比ではなかった。そう、この当時はメディアとしては出版社がスポンサードしていた。彼等には映画興行成績ともうひとつ「書籍」の販売向上という使命があったために、現在のテレビメディアのプロモーションと比べるとずっとスマートだったと言える。そもそもが「怖い話」が苦手だった当時の筆者の「怖いもの見たさ」感覚を刺激し、結局は映画もテレビも、そして、書棚には今でも横溝シリーズがぎっしり並んでいる。筆者に関しては、このプロモーションは大成功だったのである。

ところで、この「姑獲鳥の夏」は、驚くなかれ、電通なんかは関与しているものの、テレビメディアは何処も絡んでいない。でも、だから予告編などの事前プロモーションも「たいへんスマート」なのである。しかし、良く考えてみると、前述の横溝正史シリーズも、メディアを通してのプロモーションはこんな感じだった。寧ろありとあらゆる書店(キヨスクなんかも文庫本を販売しているので)と名の付く場所でのポスターや、リーフレット、栞などの掲示作戦は凄かった。要するに、それでも筆者の様な「邦画音痴」に情報が伝わり、上映館まで脚を運ばせる衝動にさせるのは、一重に「作品」への興味である。

キャストが大変興味深かった。これも重要である。筆者が「亡国のイージス」を下半期期待作品の上位にランクさせたのも、主要キャストが同世代という興味であるように、これも取分け堤真一、永瀬正敏、阿部寛という個性派3人の絡みは、興味津々である。さらに、「姑獲鳥」である。奇しくも、今夏は「妖怪大戦争」がリメークされ、偶然なのか、このバッティングの効果は、より筆者を作品鑑賞へ導いたと思う。要するに、これはMRである。

映画というのは、作品(原作)に興味があって、キャストが良くて、市場調査が出来ていればそこそこの観客動員は見込めるのである。そして、逆の言い方をすれば、この手順を間違えて、市場調査を優先し、原作の無いところにそれらしいものを作り、強引にメディアの暴力で作品への興味を促して、無理なキャスティングをしたものを更にメディアを使って宣伝し、如何にも面白そうな印象を押し付けるのが邦画メジャーのやり方である。そう、これは脅迫以外の何物でも無い。こういうところにカネを使ってどうするんだ?

ただ、もうひとつ、邦画の欠点を見つけてしまった。「俳優のレベル」である。今回、この作品は原作者の京極氏が言われているように「映像化が不可能」らしいが(いやいやそれ以前に原作が酷いですね。映像化以前に脚本化が難しかったのでは・・・おっとこの辺は原作を知らないので)邦画は、これで緊張が持続できない点がある。例えば、堤真一は雰囲気を持っているだけに台詞が不明瞭だったのが残念。もっと「アメンボアカイナ」の発声練習が必要である。そう、洋画と違い「字幕スーパー」が出ないので、こういう不明瞭な一言は作品全体の命取りになる。又、田中麗奈や篠原涼子は申し訳ないが、他の俳優に絡めない。もっと演技の勉強をして欲しい。宮迫も俳優として出演する以上は、ある部分、自分の形を持っていないだけにこれに近い。こういう部分は、洋画には無い。洋画は言葉の壁がある部分だけ得をしているかも知れないが、少なくとも演技のレベルの最低ラインは堅持しているし、そうでない人間は使わない。

ラスト前の「ココクチョウ」のオチとこじつけには笑ってしまった。笑っていけないところなのに、こうなってしまうのが、ヤマ場は終わっても緊張感の余韻を堅持できない作品の欠点である。そして、残念ながら、横溝正史シリーズの様にこの作品を観て原作への興味は沸かなかった。この辺りが今の邦画界の基礎体力不足を象徴している点である。

しかし、大ラスではなんと魅力的な女優が、半ばカメオ主演の様に登場する。んん、待てよ、彼女が出るのなら、次回作も観にこようかなっと、こういう「小細工」はいつの間にかハリウッドよりも上手くなってしまったりしているのだが・・・。

筆者にはこれでも進歩なので、今回のレビューはこれで勘弁して欲しい(邦画の問題点も発見できたし・・・)。「亡国のイージス」では気合の入ったレビューで報告するので。


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by turtoone | 2005-07-21 17:01 | 映画(あ行)

Dear フランキー

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最近、友人に教わるまで知らなかったのだが、東京にもレディースディ以外に1000円で見れる新作映画館が結構ある。特に、テアトル系なんて殆ど・・・。目先の欲だけで個別に会員登録している映画館や、行き当たりばったりの無計画でシネコンのレイトショーに行っていたが、曜日との組み合わせでこういうのも一度見直さないといけないと反省した。「Dear フランキー」は予告の段階からかなり気になっていた作品で、ジェラルド・バトラーがプロモのために来日したり、ミニシアター系では珍しい盛り上がり様だった。

作品の途中から、改めて「真実」とは何かに関して暫く考えてしまった。人はいつの日も「真実」というのを必要以上に追求することがあるが、その真実というのは果たして「正しい」ことなのかというとそうでないことが多い。そして「真実であるが故に」それに惑わされ画策されることが多い。同時に、誰かのための真実を追求するがあまり、別の人間の虚偽を続けること。しかし、この母親には、その嘘を続け通す必要があるだけの、「たったひとつの過ち」があり、その過ちは紛れも無い真実なのである。この物語に、必要以上に感動してしまう点はこの真実の連繋にある。だからこの作品は、シアターでも感極まってしまう場面が、観る人によって区々であるところも特徴的である。恐らく、感情移入がし易く、同時にそれぞれの人が同調するポイントが随所にある物語だからである。そして、ラストも極めてソフト・ランディングで、この後の話は、観客がどう考えても良い様に作られている。中々の構成だと感服する。

筆者はエミリー・モティマーの表情が大好きである。「キッド」の時も良かったが、今回の母親役は今までの彼女になかった「強い意志を持った女性」を表現した。そもそもが「癒し系」表情が素で出来る貴重な存在なので(日本でいうとさとう珠緒さんの表情が近い?)こういう芯の強い母親役というのは、今後も彼女の活躍の場になることを期待したい。子役のジャック・マケルホーンは、初めてである。確かユアン・マクレガー主演の「猟人日記」に出演していた(おっと、この作品にはエミリーも出ていた筈だ)が、ティルダ・スウィントンも出ているこの作品をまだ観ていないので、近々鑑賞を予定。それから、ジェラルド・バトラーは、何というかとても「人の良さ」が演技に溢れている。「オペラ座の怪人」でも、何処か「怪人」というより、その悲哀さに共感してしまったのは、この俳優の根からの人の良さだと考える。

ふと気が付いたのだが、この物語の設定って、日本のテレビドラマに適している。というか、次のクール辺りでドラマ化の計画があるかも知れない。勿論10話構成だから、可也色々なサイド・ストーリーが必要であるが、結末は別として、日本人の好きな設定である。但し、スコットランドのこの景色と、「船乗り」という職業は、海洋国日本の割には余りピンと来ないから、何か別の設定が必要だが。誰も書かないんだったら、脚本を書いてみようかなと、真剣に思っている。

舞台は旬な「知床」、職業は「サーカス団」か何かで書いてみたらどうだろうか?


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by turtoone | 2005-07-20 23:13 | 映画(た行)
b0046687_21582811.jpgリュック・ベッソン監督の最高傑作である。ジャンヌ・ダルクのことは「知っている様でよく知らない」歴史上の偉人である。世界史と聞くとアレルギーになる方が多いと思うが(かくいう筆者も歴史は得意だが、世界史より日本史に限る)この時代背景は確かに複雑だ。日本という島国はこの境界の中で2000年以上も略単一の民族が繰り返してきたものである。それゆえ、基本的に大きな変化があったとしても、稲作の普及と、封建制への転換、それに黒船から文明開化時代の3つくらいである。だからそんなに複雑ではない。しかし、世界史、ことヨーロッパの歴史というのは、現代の国家の枠組みで考えられるほど単純でない。特に、我々の日常生活にも全く馴染みの無い「基督教」という考え方で括ると、欧州人には分かりやすいが、日本人にはチンプンカンプンである。しかし、この視点を持たない限り、より深く欧州の歴史を理解することは出来ないのである。ジャンヌ・ダルクの時代背景も同じで、当時、英仏は百年戦争(1338~1453年)中であった。そして、事実上この百年戦争を終結させたのも「オルレアンの少女」と呼ばれる彼女であるし、又、火あぶりの刑という劇的な最後を遂げることで、よりフランス史とヨーロッパ史の中にきら星の如く輝く存在となったのも事実である。

そんなジャンヌ・ダルクという人物をどう描写するのかは、この作品の公開以前から、大変興味があったのを覚えているが、正直、公開時には内容の難易度とストーリーのペースが一致せず、殆ど理解できずに終わったように覚えている。当時、映画館の帰路、ジャンヌ・ダルクについて書かれた文献を地元の図書館で全部借りた覚えがある。それでも理解できなかった部分は、やはり「基督教」の考え方であった。筆者は幼稚園からずっとミッション・スクール育ちなのに、それでも(その中途半端さが仇なのかもしれないが・・・)理解できないということは、この作品に関しては生涯理解できないのかも知れないと思った。

しかし、最近になって何度もDVDを見ることで、逆にこの作品を「現代風」に捉えると、所謂、ジャンヌ・ダルクに対しての「神の啓示」とは一体なんだったかという部分を基督教は関係なく自然にストーリーとして受け入れられるところが、実は、このベッソン・ワールドの素晴らしさなんだと理解できる。ベッソンが特にその部分を強調したキャストが、ダスティン・ホフマンが演じた「ジャンヌの良心」という役である。事実、彼女は自らで洗礼(実際には献身礼では無い)を授けて、自らで受けるという奇怪な形で信徒となり、更には時と場所を選ばず告解も行う姿は、まともな信徒であるといえない。しかし、それを異端児として裁いたという当時の歴史的解釈を、最終的には自らを偽り、欺き、良心に従って自らを裁いたという結論に導いた。これは、歴史解釈としては妥当であり、同時に現代的に言えば、的を得た結論でもある。結果的には、ジャンヌを百年戦争の英雄として位置づけているし(彼女がいなかったら、現代にフランスという国家はなかった)、当時の教会の腐敗に関しても、否定説を提示していることになる。つまりは、すべてがこの作品は歴史劇を描いたのでなく、歴史をモチーフとした現代風刺作品なのである。そして、そのことに大変価値のある作品である。

正直なところ、もう少し、音楽とか撮影効果に拘って欲しかった。美術や衣装考証がとても良かったので、逆に浮いてしまった感がある。又、ミラ・ジョボビッチも、最初に見たときは何者かと思ったが、何度も作品を見直すと、大女優のフェイ・ダナウェイ、超個性派のジョン・マルコビッチ、更には前述のホフマンを向こうに回して、大胆不敵な演技をしているといえる。しかしながら、監督ベッソンとの関係で考えると、二人の結婚生活は「フィフス・エレメント」ではじまり、「ジャンヌ・ダルク」で終わってしまったとことになり、大作2本を生み出しての終止符は傍からみるとなんだか悲しい。この作品後はミラ・ジョボは「アリス」になってしまい、ベッソン作品も決定打に欠けている。このふたりの共演は、映画界に新風を引き起こせると信じて疑わないのだが・・・。


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by turtoone | 2005-07-19 23:07 | 映画(さ行)
b0046687_14381660.jpg正直なところ余り評価の高くない作品である。製作はあのジェリー・ブラッカイマー、そして監督は「ソード・フィッシュ」のドミニク・セナ、そして主演には演技巧者のニコラス・ケイジ、なのに・・・である。作品の主題が悪いわけではない。ケイジ扮するメンフィスは、以前、「60秒あればどんなクルマも盗める」という高級自動車専門窃盗をやっていたが引退。しかし、実弟の失態をフォローするために、再び高級車の窃盗をするという内容。当然、カーチェイスもある。

カーチェイスがこれといって凄い訳ではない。敢えていえば、出てくるクルマはすべて高級車だから見所としては何千万円の高級自動車を使用してのカーチェイスというくらいであろうか。主人公以下、出てくる面々はすべて「クルマ好き」で、「クルマに思いを馳せる物語」かと思いきや、そういう部分が前面に出ている訳でもない。中途半端な作品である。シアター上映ではスクリーンが大きかったせいなのか、もっと迫力や焦燥感に溢れていた。だからDVDも手に入れたのであるが、正直失敗だったかも知れない。

思うに、結末が分かっていても「楽しめる」作品、「泣ける」作品、そして「感動出来る」作品としいうのは沢山ある。アクション映画だって例えば前述した「ソード・フィッシュ」なんて何度観てもわくわくする。だからジャンルには関係なく作品のよしあし(或いは合う、合わない)があるのであれば、この作品とは余りフィーリングが合わなかったのかも知れない。

ニコラス・ケイジの演技もこの作品では余りぱっとしない。というか、彼は丁度このころはスクリーンに出まくっていたので、中にはこんなのもあるのかなァという感想だ。そうそう、こちらもパッとしないがアンジーも出ているから、いうなればオスカー俳優の共演? そういう類いの作品では無い。心なしか、トレヴァー・ラビンの音楽まで悪く聞こえてしまうから不思議である。

この作品は1974年に公開された「バニシングIN60」のリメークでもあるが、当然オリジナルも観たことがなく、又、今後も観る機会は無いと思う。何が原因か未だに分からないが、今ひとつピンと来ない作品だった。もしいつか、この作品について何かピンと来る部分があったら、又、ここに書かさせて頂きたいが・・・。


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by turtoone | 2005-07-18 23:17 | 映画(さ行)