暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(わ行)( 4 )

ワルキューレ

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筆者にとっては「2008年期待度ランキング」以来長きに待たされた待望の鑑賞である。

ワルキューレ(直訳すると「戦死者を選ぶ者」の意)といえばワグナーである。が、ブラームス信者の筆者からは、実はクラシックでは一番遠くにいる存在だ。リヒャルト・ワグナーについてはいずれ音楽ブログに書くとして、そんな遠くのワグナーだが、無論この名曲は知っているし、レコードもDVDもある(CDはない)。楽劇「ニーベルングの指環」の第一夜「ワルキューレ」は、4部作の中でし最も人気が高く、単独上演回数も多い(なんといってもそれぞれが4時間程度の作品なのだから・・・)。ワグナーはリストと並び標題音楽の祖とも言える逸材であるが、何しろ構想は壮大で、且つ、音楽だけでなくあらゆる才能に長けていた人だから(音楽家としてだけの括りでは難しい人だ)、この楽劇も、一度や二度見ただけでは内容は兎も角も、ワグナー自身が何を希求し、何を主張したかったのかということは明確に分からない。ただ、名曲「ワルキューレの騎行の動機」の旋律は、悪戯に戦いを増幅させる象徴にも取られかねない。筆者はワグナーという人は音楽以上に文芸に精通していて、だから音楽だけでは自分の世界を描写できなかったのだと思うし、これは、音楽の範疇を越えていると考える側面と、逆に同時期の他の音楽家と比べると音楽的表現力が不足していたという両面が考察できる。筆者は冒頭で書いたように、ブラームス派だからこの理屈で言えば後者を支持する。

ワルキューレ作戦は、多くのヒトラー暗殺計画のひとつとして認知しているが、国家という概念をしっかり堅持するように教育されていない筆者の年代には、愛国とか憂国とかいう感覚は全く分からないし、敗戦国で有りながら日米安保の傘に庇護された身に取ってはせいぜい戦前の教育勅語は均整の取れた美しい文体だと思う程度が精一杯である。日本にも愛国の精神の元にクーデターが頻発した時代があったが、その多くは世論というものではなく、見解の相違から発している言わば退廃的な結果をもたらすに留まった物ばかりである。国家一千年の大計なんて人ひとりで為し遂げられ物ではないが、かといって大志を抱けない(というか日本人を骨抜きにして抱かせなくしてしまったGHQ政策とその後の幼少年教育)というのも悲しい現実である。だが、この作品では短時間の中に、主人公であるシュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)の堅持している国家像を見事に描きあげている。その効果は、誰もがわかっている結末(事実の物語というエクスキューズを冒頭に入れて鑑賞者に念を押している)であっても実はとか、本当はどうだったとか、新しい文献が出て、ドイツ国史が再構築されたのではないかと錯覚させるほどである。そして、トム・クルーズを筆頭に、個性的な役者を適役に配して、それぞれの国家観というものがあったに違いないが、それをひとりひとり細かく演出するのではなく、シュタウフェンベルク大佐の国家観なよるところの作戦であることが強調された点は、地味で、作品が単調になったという批判もあるが、作品の骨格をぶらさなかったという点で高く評価できる(とかくこういう作品には、色々な人間の価値観を表現してしまうものだ)。だからこそ、レコードを聴いて作戦を思いついたり、重要なのは独裁者の暗殺後ではなくその後の体制樹立だと言って国家の面子を守ろうとする他の人間と一線を画し、根本は政府は国民のためにあるという主張を貫いている。この作品を高く評価するのは、そういう脚本や構成の部分であり、単に作品が単調だと思う輩は映画作品の本質を理解していないのである。

前述したが、そういう意味でも演技は素晴らしく、トムは勿論のこと、ケネス・ブレナー、ビル・ナイ、テレンス・スタンプ、エディ・イザード、トーマス・クレッチマン等が、素晴らしい「脇役」を演じていた。特に、カリス・ファン・ハウテンは「ブラック・ブック」に続き、この時代の女性を演じたら今や最高だと思う。余談であるが、大佐の家の子供たちは、幼くして「ニーンベルグの指環」を演じていた訳で、流石に欧州の中流家庭には家の中に文化があるのだと感心した。そして、トム・クルーズ主演にとっては本当に久々の秀作である。


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by turtoone | 2009-03-22 17:08 | 映画(わ行)

ワールド・オブ・ライズ

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新年最初のレビューだが、2008年末の未鑑賞作品である。リドリー作品であり、また、久々のディカプリオであり、この作品すら観られなかったのだから昨年末の忙しさは例年以上であったのだと我ながら驚く。しかし同時に、「原作を先に読んでおくのだった・・・」と後悔した作品でもあった。時間がないと良い作品も良い鑑賞が出来ず、結果、正当な評価を下せなかったのかも知れない。

中東問題という言い方は、アメリカの勝手な表現だと思わないか。なぜなら、この地域は、紀元前から色々な問題提起をする、歴史的にも世界の要所である。そしてそれを人間的に加速させてしまったのがイスラムとアメリカである。アメリカが介入してくるまで、ここには別の意味での戦いが演じられていた。そして何時しかそれはアメリカの勝手な定義付けにより、イスラムとキリスト教の聖戦に化してしまった様だ。少なくとも当事者も含め世界中にそう思い込ませた。しかし、これはアメリカの陰謀である。中でもCIAは良くも悪くもアメリカの頭脳である。この作品には「事実にほど近いフィクション」という趣旨の冒頭説明があったが、最早、CIA自体が嘘の塊りであり、その存在がフィクションだと言っても過言ではないほど、設立時の意味合いや崇高な理念は失われている。アメリカが建国時に掲げた自由の精神と主張の殆どがこの組織によって画策され崩壊されてしまったことを考えると、その渦中に「聖戦」の名の元に巻き込まれた中東のイスラム教徒が一番の被害者なのではないだろうか。

1929年の世界恐慌が生んだものは何だったか? 世界的にはドイツやソ連に代表されるような世界の枠の組み換えを意図した戦いの始まりであり、そのために2回目の世界大戦の勃発に繋がった。対ユダヤという共通項からヒトラーを利用したのはスターリンであり、結果、戦果が最も多かったのはソ連だった。日本は軍部の暴走にも繋がった。同じく結果満州事変を経て、世界大戦へと繋がっている。そして今また、世界は同じことを繰り返そうとしてはいないか。「聖戦」の内は良い(失礼、極論を導くための言葉のアヤである)が、やはり「背に腹は変えられない」のが人間の性であり、昨年からの経済危機がもし世界恐慌のレベルに達した時、人類は同じことを繰り返すのであろう。そして今度は、欧米・ロシア・中国に、中東も、更にはアフリカや北朝鮮も加わって来る。まさに世界大戦であり、キャスティングボードは「核保有国」が握る。無論、その裏ではCIAが暗躍するのであろうが、ハイテクな米国より、アナログな中東が優位に立つこの作品の一場面などは皮肉にしてはリアリティが高すぎて、先の大戦の様に情報戦だけでは決定的勝利に繋がらないことを示唆している。つまりは今度世界大戦になったら、終戦はないのではないかという不安が現実のものに帯びてくる。そう、何があってもこれから先、世界大戦を起こしてはいけないのであり、そしてもしかしたらこの2~3年が最も危険な年なんだと思う。そんな問題意識だけが沢山残った作品で、正直、映画が終わるまで気が気ではなかった鑑賞だった。

リドリー監督はここのところ現代作品が続いた。CIA絡みはかなりお得意の様だ。今回もラッセルに最高の共演者、ディカプリオを持ってきたが、ラッセルの役作り(メタボ作り?)といい、ディカプリオの気合の入れ具合といい中々見応えがあった。ディカプリオは今年も話題作がまだまだ続く。一ファンとして楽しみである。

しかし世界を救うのが「嘘」だなんて、クラトゥが来るまでもなく人類は処置無しの様だ・・・。


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by turtoone | 2009-01-04 00:08 | 映画(わ行)
b0046687_2149718.jpg1988年の作品である。1988年というのは、バブルの真っ只中であり、筆者もまだ独身であった。ハリウッドもエグゼ系のアメリカン・ドリーム・サクセスストーリーというのが多く、特に、このヒロインの様な出世ぶりは日本でいえばわらしべ長者に匹敵する。しかしながら、内容が企業合併ということを考えると、なんだ、ホリエモンじゃないか? なるほど、日本企業というのは、まだまだアメリカより20年も遅れているのだと今になって痛感する。ダイアン・キートン主演の「赤ちゃんはトップレディがお好き」(この作品まだ、DVD化してないのですよね・・・、早く欲しいなぁ)も企業合併だったから、やはり当時からエグゼの最高峰だったのだと思う。戦後、ひたすらモノづくりに徹してきた日本経済にとっては、1990年代のビッグ・バンは当初はまだまだ対岸の火事くらいしか思っていなかったのだろう。「ウォール街」にしてもしかり、当時から既に銀幕からは今日の日本経済を予言するメッセージを沢山投げかけていてくれたのに・・・。気がつかなかったぁ~、これから、この手の映画作品はもっとしっかり内容を分析しよう。

というよりも、考えてみると、最近はこの手のエグゼ物が本当に減ってしまった。何しろ、今年の新社会人は「発光ダイオード」らしいから、アメリカは良くなっても、日本の将来は暗いですな。しかし、この作品は、ハリソン・フォードと、シガニー・ウィバーが、やたら撮影や演技を楽しんでいるようにみえて仕方ない。主役はメラニー・グリフィスであるが、残念ながら当時、この規模の作品の主役は厳しかったかもしれない。そんな理由からか、ワキをしっかりハリソンとシガニーで固めて作品のクオリティを保った点は実にハリウッドらしい製作である。

結果、GG賞で、作品賞、メラニーの主演女優賞(何れも、コメディ/ミュージカル部門)、シガニーの助演女優賞を獲得、オスカーではこのふたりに加え、ジョーン・キューザック(彼女って雰囲気あって個性的で、特にこの役は大好き。弟とはハイフンがあるかないかの違いなので・・・英語表記でも、joanとjohnの違い?)も助演女優にノミネートされたが、この年は「レインマン」イヤーだったために、後一歩届かなかった。しかしこの内容でこの評価は、まさに企画推進力の勝利だと思う。

そのメラニーも、その後「ミルク・マネー」という作品では、グンと成長し、安定した、地に足のついた演技をしている。演技の安定もさることながら、女優としての味も出てきていた。しかしながら、その後パッとしなかったのが、結構目立ったのが皮肉にも「デブラ・ウィンガーを探して」だったのが残念である。尤も、今はバンデラス夫人なのだから良いのかもしれないが・・・。

そういえば、カーリーサイモンの主題歌"Let the river sun"はオスカーもGGも最優秀賞に輝いた。楽曲というよりも、これまでのカーリーの功績に対しての栄誉という感は拭えないが、日本でも民放ドラマ「HOTEL」でカバーバージョンが使用されたので、馴染みがあると思う。映画の冒頭で、N.Yを象徴する景色、マンハッタンからのフェリーのバックに流れるにはうってつけの楽曲だったことは、衆目の一致するところである。

さらにいえば、監督もマイク・ニコルス。ってことで、最新作「クローサー」も期待大。
今、改めて鑑賞すると、強い個性のコラボ作品だったことが良く分かるのである。


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by turtoone | 2005-04-06 22:41 | 映画(わ行)

笑の大學

残念ながら、私はこの作品の舞台版というのをみたことがない。舞台公演というのは、映画と違って、自分のTPOに併せて見られるものではないから、やはり社会人になってからここ20年以上というのは、本当に見る機会が減った。同様なのがコンサートである。だから残念ながら、舞台版と比較して論ずることは出来ない。b0046687_18375048.jpg

さて、前置きが長くなったが、これまで観た三谷の映画は「ラヂオの時間」が一番良かった。三谷はどんなメディアに於いても、常にやりたいことがはっきりしているし、それを実行するまでのプロセスというのが、作品の主題として常に明確に表現されているのがいつも驚きである。
日本には類い稀な才能と言える。

三谷というと、唐沢や、西村、SMAPでは香取というイメージが強かったが今作品はそれも払拭した。同時に、冒頭に申し上げたように舞台をみていないのでなんともいえないが、この映画作品としての完成度は高く、舞台もその発展途上の一段階に過ぎなかったと考えられる。そういう意味では、この作品は三谷作品の中でも最高傑作といえる。役所広司には、そもそもコメディ色があったが、これだけ彼自身が自分をすべて投げ出した作品も過去に記憶がなく、又、稲垣においては全く芝居がかった処がなく、その存在からして喜劇作家の風貌を持ち合わせないおかしさが、作品に更に厚みをましている。

ひとり芝居というのが流行った時代があったが、ひとりよりもふたりの方が難しい。その代わり、完成度は高い。なぜなら、ふたりというのは、お互いを評価しあうことのできる最終単位だからである。この作品は多分、この役者ふたりがそれをとトコトン続けることで、研磨仕上げつくしたものであると想像できる。

タイトルから想像する「大笑い」が沢山あるという物では無い代わりに、褒めるところがたくさんある作品であった。
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by turtoone | 2004-11-07 19:45 | 映画(わ行)