暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(ま行)( 26 )

マンマ・ミーア!

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少し前に鑑賞した作品で、レビューを書こうか迷っていたが、時間があったので残すことにした。但し、決して評価が高いからではない。

アバに関して、彼等がダンシングクイーンの全米No.1を含め、全世界で出す曲すべてが大ヒットし、一メロディーメーカーとしてでなく、スウェーデン文化の認知を世界中に拡販していた頃、確かに気になる存在ではあったものの、ひとりのアマチュアバンドマンとしての筆者は、悪戯に音楽というのはテクニックであるという大いなる勘違いをしていて、純粋に彼等の良さを受け入れる事ができなかった。年を経て、音楽的にも自分の原点であるクラシックに回帰した現在、改めて彼等の音楽性の高さに驚き、実感している。クラシック音楽は大衆性と芸術性に加え、学問としても高度な理論を兼ね備え且つ進化をし続けた。しかも現代に置いての認知も高い。今、ヒットチャートを賑わしている音楽が100年後に受け入れられるかどうかは全く以て確証はないが、バッハやモーツァルトは間違いなく聴かれている筈だ。

一方、現代のポピュラー・ミュージックが未来に残るかどうかは芸術か文化であるかだと思うのであるが、例えばビートルズは確かに芸術性の高い音楽である一方で、最高潮だったエンタメ性が重視され、それに比べると、現代でもヒットチャートで君臨できるかというと、そうは行かない。かと言ってクラシックの領域かというとそれこそ、そういう訳には行かない。だから本当のところ100年後はどうなっているのかは全く分からない。しかし、一方でアバは、スウェーデンの現代文化としての音楽を提唱し、流布したという位置づけができる。文化の担い手として北欧にいつまでも語り、そしてスタンダードとして歌い継がれるのがアバの音楽であろう。

さて、本作品は最初から期待をしていなかったし、その通りに何一つ上回るものもなかった。メリル・ストリープはミランダ・プリーストリーの方が適役だし、ましてや、歌うの?という疑問は、鑑賞語も「なぜ歌わせたの」と評価が変わることはなかったし、それは出演者の殆どに言えることであった。この作品はストーリー自体は別に悪くはないのだが、舞台を上回ることのできる内容をミュージカル作品では製作できない。何故なら、アバの音楽は、アバが歌うのが一番良いからであって、舞台ミュージカルという領域でならまだしも、総合芸術としての映画という土壌で、なぜアバの曲をアバ以外に人にわざわざ歌わせるかは全く疑問である。ようするに、この作品で一番良かったのは「予告編」であり、それはアバのオリジナルが全編に流れているからである。ミュージカル作品の一番安易で良くないパターン(そこそこのヒットで興行成績を稼げるから・・・)である。

この作品は「楽しい」かも知れない。でも、だったらアバのCDを聴いていれば良いと思うし、劇場鑑賞した作品の7~8割はDVDをコレクションするためAmazomに発注する筆者だが、これに関してはレコードしかなかったアバのCDで満足している。こういうミュージカル(ハリウッドはこんなのばっかりだが)は、もうそろそろ(そういい続けて早10年が経つ)おしまいにして欲しい。


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by turtoone | 2009-03-19 23:00 | 映画(ま行)
b0046687_14334422.jpg劇場公開中にレビューを書けなかった作品のDVDが出たので買ってきた(尤も当作品DVDは次女が購入した。ふたりの娘共に親に似たのか、小遣いの殆どは音楽・映画のソフト代に消えている。もっと本を読め、パパは音楽もやっていたが、実は文学少年だったんだぞ~)。実は、このレビューが遅れた理由のひとつにディズニーが何を目指して、何処へ行こうかという趣旨が作品から読みとれず、実はそういうことを沢山含んでいた作品だったと思ったからである。筆者とディズニーの長い付き合いの中で、一見、単なるパロディ作品であるが故に、では、何故この作品を制作したのか、誇り高く、且つ、綿密なディズニーは思いつきで作品を作ったりしない。そこをもう一度確認したあとでレビューを残したかったのである。その前に、以前にもこのブログの何処かに、筆者の「ディズニー三大ヒロイン」というのを記したと思う。要は出てくるお姫様で誰が好きかってことで、筆者の場合、音楽のアリエル(リトル・マーメード)、歴史のムーラン、インディアンのポカホンタスであり、これはイコール、筆者自身が人生の中で多くを学び取った(なんていうと格好いいが、ただ好きなだけ??)要素と呼応していることも以前に書いた。今作品のヒロインはジゼルであるが、ディズニー作品においてのヒロインは自分の好きなヒロインと対比させてみるととても面白い。いや、陳謝。このことは、これから書くこととは何も関係ないので、余計な一節だった。

そもそも「白雪姫」を最初に試写した際の観客というのは皆おとなであった。映画「ネバーランド」 みたいに、客席に子供を散りばませたりしなかったのは凄い自信の表れで、いい大人がハンカチを取り出したとき、ウォルト・ディズニーは成功を確信、「重要なことは皆子供の時代があったことだ」というけだし名言を残した。つまりはディズニーの製作理念というのはここにある。そう考えると、この作品に出てくるディズニー過去作品のパロディはすべて単にパロディとして扱っているのではないという部分が見出せる。特に、冒頭の飛び出す絵本からジゼルの登場と、囀って森の仲間に掃除をさせてしまうのは、観客が「シンデレラ」を知っているという前提の下に作成されている。しかし、ではシンデレラを知らなかったらつまらないかというと、恐らく、この作品を観ようと思った人の10%程度だとは思うが、シンデレラを知らない人でも楽しめるようにニューヨークの実写版でも同じことをやってみせる。つまりは、よく考えるとはじめにシンデレラありきではないのである。次はスノーホワイトのパロディとして鏡が出てくる。また、オーロラ姫のパロディとしての王子継承問題と、既にこの時点で3つの作品が互換して出来上がっているヒロインがジゼルである。(顔はアリエルが一番近い?)。しかも王子様と出会えればそれですべて夢のような薔薇色の世界が約束されるという前提は、最初から過去に製作・発表してきた名作を全否定しているのであるから驚きだ。それから、お家芸でもある撮影特殊効果に関しては、ナルニア物語等でその集大成を見せているように完成度は大変高い。しかし、これも白雪姫の時代には、実際に人が踊ったり、演じたりしてみせたのをアニメーションに書き起こしたように、今回も軸は人であり、それは俳優である部分がなんとも感慨深い。特にジゼルが窓から動物を呼ぶシーンは、半世紀前に同じようにシンデレラの原画を書くときに当時のモデルが同じようなことをしたと思うと、時を越えても一貫して「人」に焦点をあてている姿勢は一ファンとして嬉しい。鳩やコックローチはともかく、鼠がたくさん出てくるのは仕方ない。ディズニーは鼠で儲けた企業なのだから、最初に鼠ありきは当然のお約束である。コックローチだって、ニューヨークなんだから、キリギリスにするわけにはいかないだろう。また、徹底しているところでは、ロンドンではないからピーター直接をパロっていなかったりするが、ジゼルに妖精(この場合の妖精はティンクでなく、眠れる森の妖精に近い)という言葉を言わせたり、エンドロールのバックにティンクが出てきたりするところも抜かりない。

そしてストーリーも決して横柄でなく、Dreams come trueという創設以来の主題を掲げているのも納得する。面白かったのは「怒」に関してのジゼルの考え。確かに、これまでのヒロインは余り怒らなかったが、人生には「喜怒哀楽」がなくてはいけない。ニューヨークに来て最初に声をかけるのが「おこりんぼさん」という辺りにも伏線を引いている流れもとても良い。但し、頂けない部分が残されていた。魔女の巨大化である。どうも「リトル・マーメード」以降、このいままでの蓄積を一度破滅させようとするパターンは良く理解できないし、「あっ、またこれか?」って思ってしまうから、残念だ。マーメード同様「真実の愛」が呼応していねから、どうも魔女っていうのは「真実の愛」が嫌いなのか、それに裏切られてみな魔女になってしまうのか、そんな余計なことまで考えさせられる羽目になった。もし、この場面が大仕掛けだとしたら全く間違いであり、わざわざおとぎの国から主要キャラを全部呼んでおいてドラゴンがクライマックスじゃあ、ゲーム「キング・オブ・ハーツ」の方が余程面白いって、ここまでお膳立てを作っておいて最終的に斬新さは何もなかったと言いたい。冒頭に書いた部分の疑問はただの取り越し苦労であったのだろうか。結論は先送りしたい。

しかし、全体的にすべてディズニーらしいミュージカル構成で、特に「セントラルパーク」のシーンは、「アンダー・ザ・シー」に匹敵するミュージカル場面となった。おとぎの世界以外でこんなに魅力的なキャラが揃っているのもニューヨークのこの場所しかないというところも設定からして流石であり、全く違和感のない(現実として感じさせない)作りは一朝一夕の思いつきではなく、この発想の元こそディズニーの財産である。筆者としては同時に、なぜニューヨークにディズニーランドが不要なのか妙な納得もしてしまったが。ただ、「ベラ・ノッテ」はニューヨークにあったんだっけ? あの場面でアコーディオンで一曲欲しかったと思ったのは筆者だけ?


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by turtoone | 2008-07-21 14:34 | 映画(ま行)
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こんな作品を観にいきたくなる時というのはやはりそれなりに色々と理由があると思うのだが、そういう境遇に人生ってみんなそうなんだよって優しく答えてくれた作品だった。

しかし、贅沢な映画作品だ。ノラ・ジョーンズが歌い、ノラ・ジョーンズが出演しているのだから、冒頭からストーリーよりも、ノラのボーカルとノラの演技(演技よりもそれを見事にカバーしたカメラワークは最後まで見事だったかな・・・)に見入ってしまった。が、ジュード・ロウ。彼は最近素晴らしい役者になったねぇ。彼の演技がそのノラへの凝視を見事に遮ってくれた。そのことによって物語に戻ってこれたというのが本当のところ。正直、数年前まではジュード・ロウって余り好きな俳優ではなかったのだが、最近は良い作品に出ているし、もともと演技は良かったが最近は輪を掛けて演技巧者になってきたね。筆者の中では、トムとか、ディカプリオとかという、もうこの人が出ている作品は絶対に見逃せないという領域に久々に入ってきた男優である。

信じること。至極単純なテーマだが、この作品の根底には「信じる」ということがどういうことなのかを丁寧に描いている。信じられるものとは何か。どこまで人を信じられるのか。自分を信じるとはどういうことか。そんな人間関係の中の基本的なことなのだが、世の中というのは逆に人を疑いだしたら限がない。最初にブルーベリーパイの話が出てきて、そんなにこのパイが売れ残るのかと思いきや、これがこの伏線になって、鍵の話へと進む。もし、パイを食していないのならこの物語、つまりは、エリザベス(ノラ・ジョーンズ)の新しい人生は始まらないのだから、この辺りの展開は単純に見えるが、既にテーマを最初から提示している構成はいきなり手の内を明かすという点では如何にも作品自体に相当な自信をもっているウォン・カーウァイ監督の姿勢が感じられる。

というか、こんなこと色々書いていては限が無いがこういう作品は余り論じるものではないと思うのでこのへんにしたいが、前述したカメラ・ワークが結構気になったのはスチル映像である。
アングルには必要以上な拘りがあった割にはスチルの使い方が安易だった気がする。そう、気がするだけでこういうところは1回の鑑賞では法則性が見出せないし、それよりもストーリー重視で観ていたので中盤以降は殆ど気にならなかったが・・・。カメラといえば監視カメラも気になった。そんなものコレクターしてるなんて 「セックスと嘘とビデオテープ」なのって、一瞬思い出したが、ラストでなるほどあの席にっていうところへの布石になっていたところも、カメラの拘りって部分では脚本全体から拘っている部分を感じた。

俳優も皆良かった。特に、デヴィッド・ストラザーンは「グッドナイト&グッドラック」が凄く渋くて好きだったのだが、また、違った一面を出してくれて、比較的若い出演陣をうまく引っ張っていたと思うし、レイチェルに至っては、出番は少なかったがオスカー助演受賞作よりずっと良かった。

何か特別なものは何もないのだが、丁寧な作品製作と主題の設定に、妙に心に残る作品だった。


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by turtoone | 2008-04-16 00:19 | 映画(ま行)

ミス・ポター

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実は筆者はピーター・ラビットについては独身の頃は殆どといって知らなかった。勿論、あの所謂少し絵画っぽいウサギのイラストを称して「ピーターラビット」と世間が呼んでいることくらいは知っていたが、それ以上は全くと言って良いほど分からなかった。大体、色々な兎の兄弟が居て、みんなピーターラビットとというのかと思ったら、ピーターというのはそのウサギの兄弟のうちの一匹の名前だということも最近になって漸く知ったのである。筆者とピーターラビットの出会いは、娘たちが小さいときに使用していたウェッジウッドの食器セットである。ソーサーとかマグカップにすべてピーターラビットがついていて、娘たちも絵本が読めるような頃になったのてせ大変興味を持ち出した。だから、彼女たちの本棚の高いパーセンテージをピーターラビットの本が占有し始めた。幸いなことにピーターの本はしっかり出来ていたし、又、中々ストーリーも良く、高校と中学になった彼女たちの本棚にも、まだハリポタシリーズや、ナルニア全巻と共に並べてあるから面白い。そう、長女などハリポタの最新刊は英文の原本になったというのに・・・。ということで、娘たちに教わったピーターラビットなのである。

とはいうものの、根っから歴史と人物好きな筆者は、娘たちに教わったピーターラビットの作者はどんな人物なのかということは、随分前に調べた。しかし、日本語の文献はとても少なかったのは事実。というより、彼女を調べているとすぐに作品群に突き当たってしまい、だから、お陰で彼女の作品には大変詳しくなったし、その私の興味もあって娘たちの本棚にピーターの出てくる作品が沢山並んだというのが実際のところである。また、一時期、友人のおこちゃまのプレゼントには最適だったので、これらの本をセットで贈ったことも多かった。無難というより、それだけ詳しくなってしまったのかもしれない。そして、同時にこの作者、ビクトリア・ポターという人が作家である以上に後の世の中に大きな貢献を残している発見者であることも知った。彼女は作家である以前に偉大な自然ウォッチャーであった。

ピーターラビットの出版化にあたっては幾つか説があるが、この最初の物語が別に出版を意図したものでなく、友人宛の手紙の文章だったことが定説であるのは間違いないようだ。出版化も自分から売り込んだという説は信憑性が薄い。しかし、映画作品であるからにして、こういう展開が良かったことは事実。映画でもナショナリスト運動を部分を出してはいたが、やはり映画作品だけあって、その活動のすべてを彼女の執筆活動に直結させていたところは、事実がどうあれ主題を逸らさないところは脚本が良かったと思う。事実、以前に彼女について調べた筆者はかなりその主題が逸れ、一体この人は、活動家なのか作家なのか、そして彼女の中で、ピーターを中心として執筆活動というのは一体どんな意味があるのか。単に、自然保護のために土地を買収するための資金源にしていたのではないかと思ったほどだ。だから、この映画のタイトルが「ミス・ポター」と聞いたとき、この「ミス」に強く引かれてしまったのは事実。つまりは、彼女の執筆活動、自然保護活動ともうひとつ、若い頃のロマンスの三すくみでこの作品を描きたいのだなって。うーん、それでレネーを主役に持ってきたのかと納得した。なぜなら、文献だけで知る限りのビクトリア・ポターは僅かに残された写真の風貌も、どちらかというとレネー・ゼルウェガーというより、二コール・キッドマンという印象が強かったからだ。だが、前述のような描き方をするのであれば、レネーを持ってきて正解なんだなぁと鑑賞前から妙に納得した作品であった。

監督のクリス・ヌーナンは「ベイブ」しかイメージが無い。でもベイブが視覚的に素晴らしかったようにこの作品もアニメとしてのピーターとの調和や、自然の描写は、特別なところはなにもないがさり気無く処理している。しかし、このさり気無さは必見である。ピーターがおしつけがましかったら、読者だってうんざりしてしまう、その、ポターの作風と生き方をすべて掌握した上での作品監督というのは素晴らしい仕事である。久しぶりに難しいことを何も考えずに観ることができた作品だ。


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by turtoone | 2007-11-12 23:05 | 映画(ま行)

魔笛

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下半期最も期待度の高い作品であったが、内容その他に関しては期待通りの鑑賞であった。

しかしながら、一方で不思議で奇妙な映画体験だった。

何しろ、ストーリーはどうなるか知っているし、勿論結論だって知っている。半年に1回くらいは、i-podで聴いているから、音楽だって流石に暗唱出来るのは3曲しかないが、殆どどころか全部知っている。筆者はオペラに関しては素人同然だから、月並みだが好きなオペラ楽曲は、この「魔笛」と「フィガロの結婚」である(でも、全曲鼻で節は唄えるぞ…)

だが評価する点は大変多い。なんといっても筆者が日頃から切望している、実験的ミュージカル(この作品をミュージカルという枠に填めて良いかは別にして、)にほど近いということだ。物語の全貌がこれだけ分かっていたにも関わらず、これだけ次のシーンへの期待に膨らんでいたという映画鑑賞も面白い。尤も、オペラ自体の鑑賞だって、言語こそ違うものの、新作で無い限りは、要は知っている内容を鑑賞するのだが、オペラ通の方々は、出演アーティストをご覧になっているのかも知れないが、筆者などは(そんなにオペラの鑑賞経験などないが・・・)言語の障壁が高すぎて、内容を追うのがやっとである。その点に関してもこの作品の鑑賞は筆者にとって斬新な体験であった。特に「魔笛」には名曲、名シーンが多く、その前後関係をこの作品の設定でどのように結びつけめかは興味の高かったところであり、それに関しても満足でき、且つ、高い評価をすることの出来る構成だった。

モーツァルトを筆者が楽曲の好き嫌いは別として、最大級の評価をするのは、ひとえに、彼が宮廷でなく当時、大衆に指示されたことである。いわゆる音楽に、ポピュラーという概念を持ち込んだのは、彼が最初だと言っても過言ではない。しかし、彼の音楽はその後の評価が音楽家にも一般にも大変高かったために、ある意味でクラシック音楽の代名詞的な存在となってしまい、ステイタスとなった。これは同時に悲劇とも言える。モーツァルトの旋律はとにかく音数が多いし、その辺りが後世の音楽家たちに刺激と影響を与えたどうかは、筆者は音楽家ではないから分からないが、例えば、シューベルトの様に、所謂、テクニックに走った作曲に現れているのも事実だと、凡人としてそう思う。モーツァルトが余りにも「わかりやすい音楽」を作ったことに対して、当然のことながら、その逆も出てくるのは、芸術という環境では常にあることだと思う。

特にこの「魔笛」は、大衆劇場で大いなる指示をされた作品だ。音楽的な膨らみは、同じオペラ楽曲でいえば、「ドンジョバンニ」なんかの方がずっと面白いと思うが、一方で難しく、又、楽曲よりも舞台の大仕掛けに目がいってしまい、しかも大衆受けはしなかった。だからという訳ではないが、本作の様な、「魔笛」の新解釈というのは、後世の総合芸術である映画文化としては、当然あり得る世界であると賞賛する。まつりは筆者が「総合芸術」として求める映画という世界の中で、どうもミュージカルというものは斬新なものを見出せずに来ていた。今世紀入りいろいろな側面でコラボレーションが実現化し、産業や研究の場まで入り込んできているのに、そもそも芸術というものは、コラボという言葉が定着するずっと以前から、その融合を図ることによって新しい物を生み出してきていたのに、こと、文芸と音楽の世界のコラボは実現性の土壌が狭かったのかもしれない。メンデルスゾーンがシェイクスピアを扱ったような時代を超えた芸術家の出会いというのが、これからはもっと新しい芸術を生み出すのに必要である。

以上の点からこの作品の意義は大きい。18世紀の人たちの恋愛感情が今とそんなに違わないのであるのだから、芸術という側面からは、もっこういう観点を大事にするべきだと思うし、その点から言えば、今回のケネス・ブレナーの試みを支持・賞賛したいし、同時に、映画という土壌にある意味で降りて来てくれた、クラシック世界最高峰の声楽家出演者に対しても感謝と賞賛を述べたい。

魔笛を良くご存じの方も、また、全く知らない方の、どちらにも観て頂きたい作品である。


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by turtoone | 2007-08-17 23:14 | 映画(ま行)
b0046687_9284055.jpg昨年冬の公開作品であったが、DVDを観なおしてレビューを書きたかった。そのタイミングとして「クィーン」の直後というのも、筆者としては色々な意味で英国に向いていたので効果的ただったと思う。ヨーロッパの歴史、取分けイギリスの歴史は大変分りにくい。特に、日本人からは実はヨーロッパというところは最も理解できる範疇の外にある。その大きな要因を占めているのが、民族と宗教である。日本は(一応・・・)単一民族であり、宗教に関しては神道と仏教がある。民族の争いがあったわけでもない。又、宗教といっても、唯一絶対神ではない。このふたつの人間精神の骨格を形成する要因の違いは大変大きい。筆者がヨーロッパ人を理解できない根本がここにある。そして、ヨーロッパに対して日本人が大きな勘違いをしているのは、歴史教科書と観光である。世界史の歴史教科書は、所謂受験用のものであり、その本質を記述してあるかに関しては残念ながら乏しい。また、高度成長期以降、懐が暖かくなった日本人はヨーロッパへ大挙して観光へ出かけ、ルーブル美術館やトレビの泉などを見て、ヨーロッパのを知ったという勘違いを起こした。そのことが悪いとは言わないが、それらは上っ面のもてなしであって、入国で揉めたり、財布をかっぱらたりしない限り、その国の本質は分らない。

しかし、イギリスというのは、この理屈からは理解できないが、いつも言うように「島国」という地理的条件で、わが国とは共通点が多く、つまりは、日本人がヨーロッパを理解するには、この国の歴史と現代を分れば、それがとしも近道になるというのが筆者の持論である。(何度も書いて申し訳ないが、余り発想力が乏しいもので・・・) だが、イギリスで言うアイルランドに当る日本周辺の国家や地域は全く該当するものが無い。だから、長いアイルランド史においても、また、この作品の時代、つまりは一般的に「イギリス併合時代」と言われている時代も、更には、自由国と共和国に分かれて以降の歴史も、筆者には全く理解できない。なので、この作品も、もっと本質的にこの国のことを分っていれば今以上に細部が分るし、(正直、日本人の感覚では分らない台詞や単語が幾つかある)、さすれば多分、評価ももっと高かったと思う。残念ながら、筆者の持つ「島国理論」でも、この地域の、(極東の人間として)難解かつ複雑な歴史とその上に語られた物語の主題を十二分に理解することは出来なかった。

ただ、一方で映画作品として高い評価を与えられるのは、この作品の設定にある。つまりとしても分り易いのが、主役に兄弟を持ってきたことである。普通の兄弟である。一人はアイルランド義勇軍のリーダーであり、弟は優秀な医師である。しかし医師になる筈が、友人の残酷な最期に遭遇し、義勇軍入りをする。そして、この二人がその後、イギリスとアイルランドの間で合意された「英愛条約」を機会に袂を分かつことになる。これ以降、アイルランドは、条約によりイギリス連邦下のアイルランド自由国が建国されたが、アイルランドを分断することになった条約が批准されると、国内のナショナリストたちは条約賛成派と条約反対派に二分され、両者の間には内戦が発生し多くの犠牲者を出した。この民族主義者間の分断は現在のアイルランドの政治にも大きな影響を与えている。1937年にはアイルランド憲法が公布されエールと国名を変えた。そして、特筆すべきは、第二次世界大戦には度重なるアメリカからの勧誘を断り、中立を維持したことである。テッドとデミアンの二人の兄弟で言えば、彼等は、条約差賛成派と反対派に分かれている。そして最終的には争い違う道を行ったが、その功績と思いは民族に継承された。憲法の公布、大戦への不参加は、彼等兄弟が切実に願った歴史的結果だったのである。この兄弟を軸としてアイルランド史を見ると大変分りやすい作品なのである。構成、コンセプトの勝利である。又、それを必要以上に重視させない効果として、ダンという人物をうまく使っている。彼こそが、彼等兄弟より前に、民族のために戦ってきた人間である。この人物を兄弟の間にいれることによって、この作品そのみのからドキュメンタリー性を取り除くことに成功した。

映画作品としては、例えば、音楽(主題歌は良かったが・・・)とか、撮影、さらに編集に拘って欲しい部分もあり、それが秀逸なら更に高く評価できたかも知れないが、個人的には大変支持したい作品である。DVDを購入して、もう4回も観たが、まだまだ細部は観落としていて、勿論この作品だけでこの時代のアイルランドを理解しようなんて所詮無理な話であるが、やはり分らない箇所が多い。

ただ、作品の最後に余計なテロップ、つまりアイルランドはどうなったかとか、北アイルランドにも触れていなかった点は大変高く評価する。この物語はただ歴史を追ったのでなく、歴史に翻弄された二人の兄弟の話だという製作者の誇りを強く受け止めたからである。


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by turtoone | 2007-04-27 23:45 | 映画(ま行)

マリー・アントワネット

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今年の期待度でこの作品を第2位にしたのは、明らかに「期待度」という言葉に相応しく、作品の良し悪しでなく「期待」が高いということである。おっと、そんな書き方をすると、この作品の出来が悪かったように聞こえてしまうが、それに関しては後述する。

何故、この作品に多くの期待を寄せたかというと、まずソフィア・コッポラ。こういう作品の監督をやれば、彼女の本当のところの実力が分ると思ったから。筆者は「ロスト・イン・トランスレーション」くらいしか知らないが、あの作品に関しては、筆者は然程高い評価は出来なかった。確かにオスカーで賞を取っているが、全体的に邦画的な流れを感じた作品であった。そういう意味ではカット割は結構面白かったと思うが、偉大なる監督である父親譲りというよりも、スタッフ構成などを見ても、親の七光りを強く感じてしまったせいもある。簡単に言えば、評価がしにくい作品であった。今回は筆者も鑑賞者として、又、一研究者としても多少評価を出来得る範疇だからしっかりみれると思う。それと、キルスティン・ダンスト。まずは。彼女をこの有名な王妃役に抜擢した感覚には脱帽する。キルスティンとマリー・アントワネットの共通項というのを探すのは大変難しい。しかし、この辺りにも、ソフィアのこのテーマに対する考え方が現れていて、要するに歴史上の人物を、現代女性の視点で捉えようという試みであることは良くわかる。この辺りから、可也、期待度が上がって来たのであろう。

しかしながら、正直なところ、全体を通して作品の安定感が無かったのが事実である。簡単に言えば、マリーを追っているのか、歴史を追っているのかが最後まで掴めなかったのが事実。世界史の一事実として、それは彼女がギロチン処刑されたことと、フランス市民に新しい国家観念が芽生えたという時代の偶然の重なりであり、現代のフランス国民には、彼女を庇護する声が多いことも事実。あの、プライドの高い国民がそう述べるのであるから、これはフランス史の悲劇としか言いようがない。だが、日本人には「ベルばら」のお陰で、ナポレオンよりも何をした人なのかの認知度としては、可也高いヨーロッパ史の人物である。だから随分誤解も沢山受けていて、この作品でも、当時のフランスの対外政策が、国家の威信を保つためと同時に国民生活を窮乏させていったことを述べている。だとすれば、14歳でフランスの皇太子妃となり、当時、ヨーロッパでも最も権勢を振るっていた王国の後継を委ねられた一少女を、もっと期待通りに少女の観点で描いて貰いたかったのは事実。ドレスと靴とケーキと美少年に憧れるのは、時代が変わっても同じなのかも知れないが、それは、今の時代の少女には普通のことかも知れないが、当時はごく限られた一部のことであるのだから、もっと「同盟のためにフランスへ嫁いだ少女の動揺」を描き続けて欲しいと思った。例えば、彼女は、国境の儀式には驚くものの、ヴェルサイユ宮殿を見てもそんなに驚かないが、本当にそうか? オーストリアの王家に生まれた彼女だからこそ、同じ皇族でも、これだけ格式が違うのかということは、他の誰かではなく、彼女だから分ることではないかと思う。冒頭に書いたような言い方をしたのは、この作品の評価は一般的にかなり低い様であったからで、でもそれは、筆者にとっては、物語の軸がマリーなのか、フランスなのか、その辺りが明確でないために全編にわたり焦点が呆けたせいであると思う。残念だ。

衣装など美術は素晴らしかった。この辺りには随分お金を使っていると思う。特に、ケーキや靴や帽子は、多少現代を意識して作られているのかも知れないし(というか、筆者の知る限りこういう資料を知らないので・・・)キルスティンの着ているドレス等はもう少し後世のデザインの様な気もしたが、その辺りは「忠実な史劇」を作ったわけではないから良いと思う。しかし、だとしたら前述もしたが、オーストリアからフランスへ行った辺りの「格差」を表現した方が良かった。事実、衣装等には現れているが、例えば、馬車1台をとっても、然程の違いは分らない。この序盤のシーンを彼女なりに脚色することで、この作品は随分鑑賞者を「掴め」たのだと思うのだが。音楽も中途半端だった。選曲でなく、使い方である。現代の音楽を前面に出すのなら、いっそのこと、オペラも現代曲でやったらどうか。確かにミュージカルではないが、そのくらいやらないと「ムーラン・ルージュ」の様に、鑑賞者に訴えられない。また、選曲がマニアックな部分もあり、それが余り映像的に面白いシーンでないと、誰の曲だったか聞き込んでしまう部分もあった。音楽に凝るのは良いが、ミュージカルでもミュージシャンの作品でもなく、あくまでもこの作品にとっては物語を飾る一部でしかない。「ロスト・イン~」でも感じたが、どうもこの監督は、音楽を懲りすぎる嫌いがある様だ。

全体を通して、マリー・アントワネットの作品でなく、良く、民放の世界を旅する番組にあるような、最近の若い女優が、一日マリー・アントワネットを体験した、そんなレポートみたいな作品になってしまったと思ったのは、筆者だけではないと思う。また、もうひとつ、やはり本物のヴェルサイユ宮殿にはフランス語しか似合わない・・・?


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by turtoone | 2007-02-02 23:52 | 映画(ま行)
b0046687_17292019.jpg最近日本では本業より、缶コーヒーのCMに登場する宇宙人という認知度が高いトミー・リー・ジョーンズ。序ながら筆者はあのCMシリーズの中では「疲れる事を喜んでいるようだ・・・」というくだりの内容が一番好きてだあるが、ふと思ったのは、宇宙人の視察だと言っているが、実は、合衆国(それもハリウッド)からの日本(の真実の姿)への視察なのじゃないかと思っている。ご存知の方も多いが、彼は映画界の中でも超エリートであり、ハーバード大学卒で、アメフトのスター選手。しかも親友はあのゴア元副大統領である。筆者も、「依頼人」「JFK」、「逃亡者」、「バットマン・フォーエヴァー」などの演技に見られるように好きな俳優の一人である。不覚にも、この作品の期待度は大変高かったにも係わらず、公開時には見逃してしまった。ミニシアターで短期間の上映だったと記憶している。また、一方でこのヒットとは程遠い作品がこんなに早くDVD化されていたのも見逃していた。最近はDVD情報誌の立ち読みも少なくなったしなぁと反省する。

もうすぐDVD化される「グッドナイト&グッドラック」と同じく、第一線の映画俳優の監督作である。但し、トミー・リー・ジョーンズのプライベートを全く存知得ない筆者としては、この俳優の理知的な部分には殆ど認識がない。例えば、キャラ的には、「バットマン」のトゥーフェース(この作品にはジムキャリーもニコールも出ている。今考えると筆者のお気に入りばっかりだ・・・)なんかが大好きなのだが、一方で「依頼人」の検事役も良い。しかし、いずれもそんなに理知的な部分は感じない。だから、この作品に関して、タイトルの奇抜さには驚いたものの、彼か監督したというだけで、期待は大きかったもののその中に「理知的」な要素は殆ど考えていなかった。そして、それは大変な間違いであったことがこの作品を観終わったときの率直な感想である。

まず、「埋葬」についてであるが、わが国のように原則は「火葬」での埋葬が法制化されている民族の慣習として、この言葉から連想されるものはごく限られる。棺桶であったり、火葬場、寺院、墓地。身内の骨を拾ったことのある人間なら誰しも埋葬に明るいイメージを持つものはいない。特に仏教が略国教と言っても良いわが国の死後の行事と先祖への供養は、とても手厚いものである。葬儀からして通夜、告別式があり、初七日、七七供養、一回忌、三回忌、七回忌と、三と七という数字を大事にし、最後は三十七回忌で漸く、「仏様」になる。一方でキリスト教的な埋葬というのは、殆ど埋葬の時に、神に召されたと神格化してしまう。
この作品で興味深かったのは、2度めの埋葬である。埋葬の形式に拘泥していない、この辺りの発想というのが、トミーの理知的な部分だと思う。

次に国境警備隊という重要な任務に関して痛烈な風刺を述べている。勿論、メルキアデスはメキシコという国境の向こう側から来た不法入国者であるが、主人公のピートとの関係から面前で文句を言うものは居ないが、死んでしまったらそんなことは関係なく、彼自身への鬱憤も含めた誹謗が開始される。一方で、任務として誤射をしてしまったノートン(バリー・ペッパー、彼の演技が素晴らしかった)は所謂平均的なこの国の忠実な市民であり、暴力的な振舞いをすることはあっても、それ以外に何か特別な性癖を持っている訳ではない。この国境警備隊員に、現在のアメリカの病巣を全て背負わせて、ピートは自身で到達することのできなかった人間としての誇りを、メルを故郷に埋葬し、彼の誇りを適える事で自らを保とうとしていることで、アメリカに蔓延る差別問題を一蹴している。特に、警備隊の知らない、川の浅瀬一本で国境を越えてしまうという部分は合衆国に対する最高の風刺ではないか?歴史に「もし」は無いが、ゴアが大統領になっていたら、彼に近いポストの準備もあったと噂されていたトミーだけに、これらの着眼点と自身の風刺・主張には桁外れの考えであり、同時にこの人間が民主党の国務長官にでもなっていたら、日本の缶コーヒーのCMどころではなく、わが国との関係も随分変化(勿論、わが国にてっては良くない方向に・・・)したと思うと、彼の主張とその頭のキレ具合は恐ろしい。

トミー・リーの初映画監督作品であるが、国境の大自然や、アメリカ・メキシコそれぞれの生活感(僅かしか離れていないのにテレビ受像機が全然違ったり・・・)を短時間と少ないカットで表現しているなど、今後の監督業にも興味津々の一作であった。脚本的にも最初は戸惑ったが、慣れてからは実に良い構成だった。また、国境近くに住む老人は上映中思い出せなかったが、ザ・バンドのレボン・ヘルムだった。これには少し感動した。


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by turtoone | 2006-11-18 17:38 | 映画(ま行)

M:i:III

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このシリーズも三作目となると、どんななってしまうのかと思いきや、意識してかどうかはわからないが、過去のシリーズ物とは一風ちがった構成には少し驚いた。シリーズ物にはお約束がつきもので、それだから、ファンもすぐ作品に入っていける。いわば、安パイである。それから考えるとこの作品は、まず、何か、スパイの象徴的なシーンから入る。特に、第1作は特徴的なスパイ行動から入っている。

しかし、このシリーズは、それぞれのストーリーのポリシーを、これから語られることを暗示するかの様に冒頭に持って来ている。工夫としては評価できるが、昔からの「スパイ大作戦」ファンには如何なものかと思う。もっとも、テレビ版はいつも決まって指令テープから始まる訳だから、この映画シリーズは、最初から、大ヒットテレビの恩恵には授からないという方針だったのかも知れない。そう、良く分からないがスパイには過去も未来もないだろうから…。

監督をその度毎に変えているのもこのシリーズの特徴のひとつ。だから筆者は2作目はバイオレンス色が強すぎて苦手だった。個人的にトムにかんしては余り暴力ものは好まない。彼は、「レインマン」や「ザ・エージェント」「ザ・ファーム」「ア・フュー・グッドメン」 の様な役柄が良い。だから、このシリーズも、第一作目が内容もトムも一番良い。

ところで、全く話が飛躍して恐縮するが、思うに、日本という国ほど、長い事スパイ大国だった国は少ない。日本国内という枠の中では、封建時代以降のいわゆる二元政治的構造の中で、スパイは多用された。室町時代後半からは正に花盛りである。スパイは彼等の流儀がはっきりして、与えられた命以上の事はしなかった、と、歴史からはそう思われる。例えば、敵将の寝首を取れる千載一遇のチャンスであったとしても、刺客の命を持っていない者はそれ以上の事はしないし、自分の与えられた命のみに徹した点はある意味で賞讚に値する。勿論、時代が混沌としてくると刺客も多く放たれたが、これはスパイという任務からは一線を画していたのかも知れない。

さて現代においては、ベルリンの壁崩壊以降、東西の冷戦という構図が崩れ、そのことにより、スパイの存在そのものも変わって来たようだ。特に、この作品にも有るように、その指示命令系統が信じられるものかどうかも危うい時代である。二重三重スパイだったり、囮作戦だったり、物語としては面白いが、一体、真実はどこにあるのかは見極めにくく、そんな作品になってしまうということはやはり、世相が混沌としているからだと決めつけてしまうのは短絡的であろうか? 筆者は当ブログで、機会ある毎に、現代はスーパーヒーロー受難時代である節に触れ、且つ、憂いているが、スパイも同様だとということであろうか。

しかし、最後にあんな仄々としたIMF本部を 見せてしまったという事は、このシリーズもこれで終わりなのだろうかと、(但し、ラビットフッドは一体なんだ? まさかそれが次回への伏線?)筆者の興味がこれで薄れてしまったことをつけ加えておく。


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by turtoone | 2006-09-13 00:13 | 映画(ま行)

ミュンヘン

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この事件は筆者もリアルタイムで記憶している。いつかはこの事件が作品化されることを当時から信じて疑わなかったが、まさか、大御所スピルバーグ程の大物がこのテーマを扱うとは夢にも思わなかった。だから、この作品化の第一報を聞いたときから、近年、稀にみるほど自分の中で公開が待ち遠しい作品であった。公開直前にオスカー作品賞ノミネートの吉報も入り、まさか、監督賞は考えていたが、作品賞(尤も、今回は作品賞と監督賞のノミネートが同一)とはオスカー委員の傾向としては意外だった。ミュンヘン五輪の悲劇は自分の生活にもリアルタイムに直結していたので、例えば、「浅間山荘」や「よど号ハイジャック」よりも鮮烈に覚えている。丁度、父がドイツへ行って、この五輪開会式その他の観戦する予定だったので、家族でも心配していたり、この事件の後も、競泳選手スピッツを始め、多くの有名選手、メダル有望なユダヤ系が途中帰国するというハプニングもあった。五輪が終わってからも様々な問題が発生し、筆者の中で政治とスポーツが密接だと初めて知った出来事で、スポーツが純粋な世界で行われているという希望を打ち砕かれた事件でもあった。

それだけではないが、スピルバーグがこのテーマをどういう描写、また、どの辺りをクローズアップさせるのかは大変興味の多い作品であった。作品の冒頭は、実写との組み合わせが絶妙でありこの辺りの掴みは大変見事である。スピルバーグは兎に角「掴み」がうまい。時代考証も良く、自身が鮮烈に記憶しているミュンヘン五輪の1972年時に一気に引き戻された感覚であった。その後、五輪事件のシーンは断片的に、しかもフラッシュ・バック方式と主人公(エリック・バナ)の回想と相俟って物語が進行していく重要なファクターとして使用されている。しかしこの作品で大事なことは、その表現手法でなく人間がごく普通の人間として生きられるかどうかという主題について、それが自分の一生涯の中で完結することがなく、子々孫々の永代なテーマだとしても、その繋ぎの一要因としての自己の存在を「誇り」に思うことが「人生」であり「運命」であるということを受け入れている民族がこの時代に存在するということである。そして、同時に、このことは、過去の人間の歴史の中で、ありとあらゆる「民族」が勝ち取って来た「権利」であるということで、たまたま、今は「中東」という地域(地域性が問題というだけではないが・・・)に、その途上の民族(作品を尊重に、敢えて「国家」という言い方はやめた)が居るということである。彼等の行為は(勿論、テロリズム行為の正当性を善しとはしない)この何千年間の間、人間が地球上で繰り広げてきたことのプレイバックに過ぎないのである。

中東問題、更にそこにユダヤ問題が絡まって来ると、島国の住民という免疫力しか与えられていない日本人である筆者には正直なところピンと来ない。中東やユダヤ系に友人がいない訳ではないが、言葉・信教・風習の壁は大きく本質的な付き合いは無い。但し、一緒に酒を飲んだり、下町を歩いたり、歌を歌ったりした経験はある。それくらいしか出来ない。それくらいでも良いと今までは思っていたが、「人間が繰り返して来たこと」の渦中に今でも関わりのある友人に、果たしてそれだけで良いのかという自問自答が新たに生まれてきた鑑賞であった。それ以外にも色々な事、それも自身にも人類にも大事なことを沢山盛り込んだ作品であるので、何回も鑑賞したい映画である。これは中東の問題でなく、東アジアの一民族として子々孫々の為に自らを考えなければいけないという使命感をも喚起させる内容である。テーマは奥深い。

演出、美術、効果は満点である。勿論、問題提起、そしてこの作品、出演人物が全て素晴らしい。主役のエリック・バナや、ジェフリー・ラッシュ、ダニエル・クレイグという著名俳優だけでなく、他民族・他人種すべての俳優さんの演技が素晴らしい。これだけ多くの他民族俳優が一堂に会した映画作品というのを観たことがない。正直、3時間を越えても、冒頭五輪のシーンをもう少し長く、強調して欲しかった(映像が良かったので)と思ったが、それはリアルタイムにその時代を鮮烈に記憶している筆者の身勝手な要望であり、構成としての時間配分も実に的確であった。

2000年の「グラディエイター」以来、筆者評の「特A」作品(95点以上/100点満点)である。


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by turtoone | 2006-02-04 23:50 | 映画(ま行)