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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(は行)( 72 )

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よく、ブロガーの方々で映画の評価を「上映料金」で表現されている方が居られるが、あの方式は大変分かり易いといつも感心して閲覧させて頂いている。筆者も評価してみようと思ったのだが、実は大変難しく、多分皆様はひとつの基準を設けられていて、例えば、筆者で言えば(作品の度にレビューでは一々公開しないが100点満点で点数をつけている)点数に対して、イ幾らに値するというのだったり、☆の評価を料金に換算されたり、様々だと思う。だが、筆者の場合、この分かり易さを二番煎じでも良いから表現しようと思いきや、なんというか、公正な映画作品評価と、映画料金というのが一致しないことが分かってしまったのだ。例えば、100点を幾らにするのかという設定がまず出来ない。それと映画料金は通常1300円か1500円(殆ど会員料金で鑑賞しているので)、1日と25日は1000円、更にレイトショーの時もあるから1200円で、基準軸が定まらなかったことと、もうひとつ重要なのが、仮に点数と呼応して「1200円」と評価した作品があったとしても、例えばお気に入りの俳優の役が気に入らなかったりとかという「公正でない評価」で、「こんな作品カネを貰っても観てやるものか!」と思う物も時たま出くわしてくるからである。だから、この評価の方法は断念したのだが、但し、筆者が日頃参考にさせて頂いている方々の「算出金額」はいつもとても妥当だと感心する。因みに、この表題作品は、まさに前述の「評価金額」が難しい作品であった。

ついにCIAもこんなコメディにされてしまうのかと思うが、実は、CIAに限らず、他人から見れば自分の人生なんてどうでも良いものだと思う。これは決して卑下しているのでしなく、他人様とか世間様というのは自分に介入してくれるほど「ヒマ」では無い。だから人間社会でそんなことに期待する方が可笑しいのだと思う。コーエン兄弟は、オスカー作品「ノーカントリー」で、現在のアメリカ社会の、世界の中で置かれている立場と、同時に古いアメリカをどう清算していくのが必要であることを力強く、且つ静かに説いた。何か偶然であるが、直前に鑑賞した「グラン・トリノ」にも通ずるところである。そして、真面目に説いたこのオスカー作同様、「ちょっと砕けて説いた」のが、本作品であるという考え方が出来ないだろうか。例えば、この作品に出てくる人たち、特にハリウッドのビッグネームたちが、こぞって「おバカキャラ」を演じているのだが、その設定といい、演技といい実に痛快なのがそもそも本作品自体が皮肉なんだという証である。要はCIAに勤務していながら、人事異動を渡されたコックス(ジョン・マルコヴィッチ)が大人しくそれに従えば良いのに、アル注の事実も棚に上げ、CIA調査官という設定でありながら妻の浮気にも気づかず、愚かにも暴露本を出版しようなとど思う、この物語の始まり自体が現代アメリカ社会への皮肉である。更に、こういう人間の周りには、「類は友を呼ぶ」ではないが、ろくな人間が集まらない(失礼、そういう作品の設定だということで、現実がそうだと言っているのでは無い。現実は努力次第で開ける道もある)というのも面白い。ipodとスポーツ・ドリンク大好きスポーツ・インストラクターのブラッド・ピッド、財務省連邦捜査官なのに不倫中のジョージ・クルーニー、全身整形と出会い系サイトで頭が一杯のフランシス・マクドーマンド、神経過敏な不倫中の女医ティルダ・スウィントンと、マルコヴィッチを含めたこの面々は、どれもが普通に存在していそうな人たちである一方、一堂に会するとなると可也厄介であるところに付け加えて、敢えて役名で記述しなかった様に、誰もが「はまり役」(というかはまり役に見えるほど、このクラスの俳優さんはスゴイのだと思う)で、この辺りも物語なのか、いや実は「ドッキリ」ではないのかという現実の儚さを風刺している。鑑賞の仕方によっては癖があるので、最初にストーリーに乗れないと最後まで何を言っているのか分からない作品になるのか要注意。最後の上司の台詞が全てを総括しているので、そこにたどり着いて欲しい。

ところで冒頭で何で評価料金のことを書いたかというと、この作品は筆者の評価得点は低い。何故なら、コーエン兄弟に「だから何なんだ」と聞きたいからだ。しかし、ブラピをはじめ、ハリウッドスターがとことん「おバカ」を演じているのは、もしかしたらこれまでの栄光を全て投げ捨てるかもしれないというのにスゴイことだと感心するから、1800円払って、二度と見られない場バカっぷりは観ても良いと思う。「ベンジャミン・バトン」の公開がこれより後でなくて良かったと思うのは筆者だけだろうか?


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by turtoone | 2009-04-27 19:12 | 映画(は行)
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ブラッド・ピット的に考えると、筆者の評価が最も高い作品は「ジョーブラックをよろしく」である。この作品が評価が高い理由はレビューを読んで頂きたいのであるが、ひとつには時間の取り方である。この作品は物凄くゆっくりと(確かに上映時間も180分と長いが・・・)、流れているが、それはブラピが演じる死神の時間軸であり、同時に一財を為すために仕事一途で人生を駆け抜けてきた男(アンソニー・ホプキンス)の人生最後の時間を丁寧に描いているからである。この「ベンジャミン~」の作品化を知った際に最初に脳裏に浮かんだのが筆者にとってジョー・ブラックだったのは、多分、この時間軸の取り方というものに同じブラピの主演作品という共通項から勝手に連想したのだと思う。所謂、筆者の一番良くない「先入観」であり、だから、期待度ランキングも第1位であった。同時に物語以外に求めたものも多く、しかしその中には、筆者の予想だにしない展開もあり、良い意味で裏切られたのは大きい。一番評価の難しい作品であることは事実で、逆に筆者にこの作品を評価するのは、「人生を逆に生きたことがない」から不可能だという言い逃れも出来るかもしれない。いずれにしても映像等の技術点など明確に評価できるという物と、人生を逆に生きるという作品のコンセプトのように評価をしにくいものが混在しているのも事実。やはり、これは、ジョーブラックのような存在に評点してもらうのしか無いと思う。

原作は読んだことがないから分からないが、物語の発想として80歳の人間が0歳児の脳細胞を持っているという設定は、ブラピ曰くの「演じるのも難しい」が、作品として考えた方も、随分面倒臭い設定にしたなと、年代が変わるたびにそう思った。しかしその一方で、映像的に若くなっていく姿というのに殆ど違和感を感じなかった点は、ブラッド・ピットという「ブランド」である。このブラッド・ピットの最近の姿を知っているということ、「セブン」の若かりし頃を知っているということ、更には「テルマ&ルイーズ」や「リバー・ラン・スルー・イット」の初々しい時代を鑑賞者の殆どが「認知している」ということが、逆効果としてこの若返りの過程を大変興味深く追っていかれるという点にある。そこにはひとつ、「人は年老いた自分を想像することは好きではないが、若かりし自分を振り返ることは好きである」という人間共通の法則が存在している。若かりし頃の自分を振り返る、あの頃は良かったという過去の栄光に縋ってしまうのが大部分の人間であり、だからこそ、この作品の主人公が若返ることと、ブラピという映画界の超ブランドが本来の姿に近づいていくさまをスクリーンに凝視してしまうという効果が大きかったと思う。また、同時に、その若返るベンジャミンの半生に付き合った物語を語るのが死の直前にある老婆という全体構成も、この人も同列で自分の過去を顧みるという姿が悲しみを呼ぶ一方で、最終的にベンジャミンがどうなるのか(ドンデン返しということでなく、最後を看取ったのかどうか)という結末への期待が、シーンが変わる度に増して来るところも場面設定の勝利だと思う。

そして、もうひとつ、これは人間の永遠のテーマであるかもしれない「一瞬」。日本的に言い換えれば「無常」である。人間には「確実に約束」されたものは何もない。しかし、生のあるものに死は必ずやってくる。そして、その一瞬を大事にすること、日本人精神で言えば「一期一会」である。これが美しいのだと言っている。更に、それだけでなく、ベンジャミンは「老」から始まった。ここがポイントで「老」から始まっているが「死」から始まった訳では無い。そこに、時計の逆戻しやハチドリというサブテーマが隠喩として相関しているという奥の深い脚本になっている。原作、脚本もさることながら視覚効果はそれらを見事にサポートとし、この作品をより素晴らしいものにした。筆者は視覚効果がひとつの売りであろうこの作品を単なるその興味だけに埋没させずに、原作に潜む人間観というテーマを補佐することに徹底した点で、この効果を高く評価する。老から始まろうが一生は一生で、くどい様だが、赤子の姿になって老人の病気に罹る。この辺りは鑑賞者の半数くらいは「もういいよ」という違和感を示すかもしれないが、中々どうして主張が最後まで一環していて良かったと思う。

総じてとても良い作品であった。出演者も皆良かった。ただ、父親に関してのベンジャミンの態度が、この作品考証の中で唯一違っていたのが気になった。わざとそうしたのか、それとも単に、一人間として許せなかったのか? 後々父親の財産で暮らしていた彼の生涯を考えると解せない疑問が残った。


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by turtoone | 2009-02-10 23:42 | 映画(は行)

「ハッピーフライト」

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「ハッピー・フライト」(原題はVIEW FROM THE TOP)というグウィネスが主演のハリウッド作品があったが、これは燦燦たる内容だった。中黒が間にない邦画「ハッピーフライト」はそんな過去の忌まわしい鑑賞体験が邪魔をして、全く異なる内容だと知っていたが中々鑑賞に踏み切れなかったが、後押ししてくれたのはテレビメディアで見せる綾瀬はるかの「天然」であり、要するに、このところサイボーグや座頭市という突飛な役が続き、銀幕では天然ぶりを発揮していなかったので、それが見られれば良いと思い、シネコンまで足を運んだ。

ところで、いつから「キャピン・アテンダント」という名称がメーンに使用されるようになったのであろうか。筆者の時代は「ステュワーデス」という呼称が主流で、また、女性にとって憧れの職業でもあり、筆者の友人にも「塾」やソフィアを優秀な成績で卒業して「スッチー」になり、高給(尤も筆者の知り合いは皆家も良かったが・・・)と株の売買などで、20代で一財をなし、起業して今今では中小企業のオーナー社長(ひとりは公開もしている)になっている。つまりはスッチーと言われていた時代は、現役は高級外車(BMやベンツじゃないぞ、フェラーリやカレラだったぞ)を乗り回し、広尾や麻布の億ション(不思議と皆この辺り)を賃貸で借りていて、10年以内で独立して自分の会社をもった、客室乗務員史上、最も良い時代のことを指すのかもしれない。勿論そうでない人も沢山居るはずだったが、筆者の友人に関して言えば、スッチーは人生の最終目標でなく将来のための通過点であり、その時代にしっかりと知識と知恵と経験、語学に見磨きをかけつつコミュニケーション能力を強化しつつネットワーク(常連上客とのコネクション)、さらには軍資金を貯めこんでいたのである。しかし、よくよく考えると、筆者はこの同時代を本当になにも貯め込まずに過ごしてしまったが、スッチーに限らず、当時「時代」に流されず、しっかりと自分を見つめて来たものだけが、全体の1割くらいであるが、その後、地に足のついた現代を送っていると考えると、この「ステュワーデス」という単語は筆者にとってあの時代を総称できる呼称であり、現代その呼称を使わないことには大変高い意義を感じるのである。

作品についてであるが、1フライトに関しての様々な人間ドラマが軸になっていて、映画作品なのか、ANAの宣伝なのか分からなかったほど、色々な要素をこれでもかっと詰め込みすぎた感は全くもって歪めない。しかも、別に作品に必要だとは思えない要素も多くて、この部分は宣伝以外に何者でもない。矢口史靖が可也その宣伝要素を払拭するためにカット割をいじっているが、逆にいじり過ぎてしまった部分もある。このフライトの乗客はそれは大変な目にあったと思うのであるし、こんなに1フライトに色々な事件が起こるのも作りものの世界にしか考えられない。筆者もここ2~3年は減ったが、海外・国内合わせて問わず年間30フライト程度飛行機を利用するが、まず、ビジネス・エコノミーを問わず、まず機内で何かクレームが発生したことはないし、悪天候で目的地に到着できなかったことは2回(広島行きが羽田に帰着、熊本行きが福岡に変更)、悪天候でフライトが伸びたのが台風の影響で宮崎で1回、組合のストライキで鳥飛ばなかったのがホノルルで1回、ダブルブッキングという航空会社のミスでフライト便が変わったのが台北で1回だけ。たまたま恵まれてるのかも知れないが飛行中の機体の揺れは当然あることだと思っているから、トラブルの確率は1%以下である。そう考えるとこの作品は映画をメディア化してしまった企業の横暴であり、それを綾瀬のキャラで天然に暈そうとしている節が後味の悪い鑑賞であった。唯一の救いは時任三郎の「何とかなる」的な発言。この作品の全てを象徴していて、もし航空会社の宣伝映画なら、絶対に「何とかする」が決め言葉なのに、この辺りが矢口の風刺なのだとしたら、今後の彼の作品をこの経験を活かしたもっと良いものになるだろうと、その部分だけは期待する。

どうみても「ハッピー」なフライトではない。冒頭にも書いたように「ハッピー・フライト」という言葉の呪詛がまだ続く?


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by turtoone | 2008-11-24 21:48 | 映画(は行)

ブーリン家の姉妹

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16世紀は世界中が構造的に大きな変化を遂げた世紀であったが、特に、英国と日本という極東西の島国は特にそれが顕著であったと言える。英国は、ヘンリー8世という寵児の出現に丹を発しており、中でも、ローマとの決別は画期的なことであったが、同じ様に宗教的な因子で考えると、日本では織田信長という寵児が同じ様に宗教を厳しく弾圧した。信長の場合は、人心を惑わすものとした一方で自らを神格していたが、基督教に関しては寛容であったのは、当時日本で然程影響力を持ったものとして認知していなかった点にある。この極東西の繋がりは、ローマカトリックが欧州では力を失ってきた(あくまでも国を維持するという意味で)ことに端を発して、だから、行く着くところはアジアであった流れがあり、それによって伝来した基督教は信長には庇護されたと言ってよい。しかし、その後の天下人には忌み嫌われた。こう考えると、この時代の連繋は興味深い。

さて、その稀代の君主であったヘンリー8世がといえども世継ぎには頭を悩ましていた結果、この作品から始まった一連の「後継者争い」の名実共に種蒔きをしてしまうのである。なぜ、権威にある人間は自分だけでなく、子々孫々にそれを維持しようと考えるのか。生物の種の保存とは別に、人間特有の面白くかつ難解なテーマである。これは権威だけでなく、人間の世の中にはどんな世界にも「肉親後継」問題が派生する。筆者のように権威も財産ももたない人間はそんなこと考えたこともなかったが、二女に恵まれた筆者に向かって「男子はいらないのですか」と年の若い後輩までもが聞く。実に難解な発言だ。

この作品では、ブーリン家の姉妹、アンとメアリーがいずれもヘンリー8世に寵愛されるさまを描いているが、ここで面白いのは、アンとメアリーの姉妹がどちらが上であったかは当時の文献からは読み取れない。また、姉妹の母であるエリザベス・ハワードもヘンリー8世の愛人だったと言われる。更に後年、姉妹の従姉妹であるキャサリン・ハワードはヘンリー8世の5番目の王妃になっているから、この系図はグチャグチャである。但し、ヘンリー8世が教皇クレメンスと対立し、イングランドは帝国であると発言・破門されたが、1534年に国王至上法を発布し自らをイギリス国教会長とし、カトリックを脱退、ここに俗に言うプロテスタントの誕生があるが、これをすべて、アン・ブーリンとの結婚、及び、キャサリン・オブ・アラゴンとの離別が原因とした上で、その裏で気丈に振舞った彼女を長女としているが、一般的に性格的にはおっとりした長女より、次女の方が気丈だと言うし、現に、メアリーの子孫たちは皆、彼女が長女だったと伝えられている。イギリス歴史学者の間でも学説の分かれるところだが、英国が他の欧州国より少し変わっているのが、長子とその他との区別である。これは日本にも共通するが、英国では、男女に関わらず上の者を優先する(日本は歴史的にも男尊)。しかも、アンは後の英国を築きあげたエリザベス1世の母でもあるために、姉が産んだ子が私生児で、妹が王妃という訳には行かないのであろう。この辺りは当時の人物においても、また、後世の研究者にもなかなか譲れない英国人のプライドを感じる。ヘンリー8世自身も、兄、姉、妹のいる第3子である。映画でメアリーに「下の子の気持ちが分かる」節のことを言っているが、だとしたらやはりアンが妹の方がこの国王の心情も察するし、もうひとつ言えば、最初の王妃キャサリンは最初は兄アーサーと結婚していた。兎に角、この辺りは複雑な要因が結構絡み合っている。

作品に関してであるが美術の時代考証が良く整っていた。特に「エリザベス・ゴールデンエイジ」(少し派手過ぎた・・・)よりも、宮殿の再現や、衣装に関してはかなり高い美術考証だったと思う(「恋におちたシェイクスピア」と同じ、サンディ・パウエル)が、残念なのは照明。当時の再現のためか特に室内はどうしても全体的に映像が暗くなってしまっている。それから音楽に関してであるが、リック・ウェイクマンのソロデビューアルバムに「ヘンリー8世の6人の妻」という名作があるが、以前にミュージカル作品のレビューでも書いたが、19世紀に芸術家がコラボをしていた様に、この題材なら、現代的なミュージックシーンでコラボして欲しいと思う。結構重たいテーマを背負った作品だったが、それを感じさせなかったのは、ナタリーとスカーレットがそれぞれを演じ分けていた点と、エリック・バナが、有能な君主でありながら、しかし人間というものは悩み苦しみ、結論を出していくものだという宿命を現代人に分かる感覚で演じてくれたところで作品全体がすっきりしたと思う。エリックに関しては 「ミュンヘン」同様、地味だが演じることに長けた役者であることを見直した。


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by turtoone | 2008-11-08 16:57 | 映画(は行)

パコと魔法の絵本

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予告編や予告記事で作品を見たいと思ったが、予告編で判明できる以上の要素が何もなかった作品。邦画としてはここ数年ではかなり高い期待度であったが、結果として残念賞作品であった。

物語は良く出来ているし、出演人物のキャラ設定も整理されている。又、小さなヒロイン、アヤカウィルソンも、主役の役所広司のキャスティングも間違っていない。又、ストーリーテーラー阿部サダヲの設定も良い。この辺りの構成は映画としては優等生的である。更に言えば、出演人物のサイドストーリーの挿入もさりげなく、この辺りは元が舞台作品ダケに台本の設定の質の高さを感じ、いきなり映画の脚本を書いたらプロットは同じでもこんなに洗練されないという技巧を感じる。だのになぜ筆者的に残念賞なのかを記述する。

まず、作品が優等生過ぎる。特にこれだけ色々なキャラを立てた割には行き着くところはそこかよって言う部分。特に本編もだが、サイドストーリーの方が面白そうっていうのは論外。特にオカマの息子と、天才子役の成れの果てとそれに絡む看護婦の話は、そっちの方が絶対に面白そうで、それでは本筋から鑑賞者の興味を著しく外してしまう。残念だ。

それから、何処か寄せ集め的な設定、つまりはこの奇妙な医療施設の存在と、そこに、他の患者はともかくも大社長とパコが入棟している必然性が全く理解できない。大社長なら一流の医療機関に入る筈だし、それは今すぐにでも転院は可能。パコに至ってはそんな大事故でしかもこんなに特殊な(しかも事故による後天性疾患)病態なのだから国立の権威的脳疾患専門医が扱う患者である。そこをパロディだからで流してしまうのであれば、最初から作品化に値しない。パロディは現実があってのパロディであり、どうも日本の作品はそこを別次元で語ってしまうのが間違い。つまりは、だから悪い言い方をすれば、キャラ一人一人に「それ以上の意味がない」という様に感じてしまう。主軸二人がここにいる必然をきちんと描く事により、この施設の性格がはっきりし、翻って各々のキャラがもっと魅力的になる。ここに居ることに意義があることを説明市内限り、大社長のやな奴も、パコの悲劇も際立って来ないのである。この点も残念だ。

そして極めつけは美術。美術は酷かった。まず、映像に一貫した拘りがなさすぎる。この物語はある意味で空想が多い。だが明確に舞台と想像部を分けるという術を知らしめることができなかった。極端に言えば、冒頭の現代と、物語の舞台である過去の分け隔てすらもきちんと出来ていなかった。これは美術の基本的な色遣いに問題がある。だから冒頭の部分って結構取っ付きにくかった鑑賞者が多いと思うのは、ギャグのセンスもあるが、半分以上は美術の重たさに付いていかれないのが原因である。更にポリゴンの蛙を筆頭とした絵本場面の美術感覚もお粗末。ましてや、この医療施設の庭と待合室のセンスは最悪だ。多少、劇中劇の場面展開で救われるものの、やはり本質的に美術がよくないし、そこに引きずられる効果はすべて良くない。唯一、カエラの歌だけが救いだったが総じて音楽も平均的なものだった。結局はこれにより何処まで現実なのかの区別と区域が明確に伝わってこなかったのは、物語のテンポが最後まで上がってこなかったことに繋がってしまう。ティム・バートンを見習えとは言わないが、こういう作品の映像化は一貫した世界観が必要で、結局は「金をかけていないお粗末な美術」というところに終着してしまうのであるが。邦画故の悲しさである。

しかし筆者が観た回は、子供が多くて五月蝿かったな。信じられないことに、乳飲み子も居た。乳飲み子は連れて欲しくないし、映画館側もどうしてベビーカーを入れるのか。ここは託児所じゃないぞ!


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by turtoone | 2008-09-13 21:12 | 映画(は行)

ハンコック

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この作品に関しては、作品のストーリー自体より他に幾つかの興味があったのだけど、結局、ヒーロー物の大衆娯楽作品なのか、後半から終盤の部分が主題なのかがはっきりせずに終わってしまった。消化不良な展開だったことは歪めないが、斬新さはないものの、ヒーロー作品としての異質さは十分表現してくれたと思う。

幾つかの興味について書く。まず、ウィル・スミスについてであるが、どうして彼はここいう中途半端な作品にばかり出演するのだろうか。私は黒人男優の中では、デンゼル・ワシントンに並ぶ存在だと思っているし、特に、ハリウッドの黒人スターとしては特別なオーラを放っているひとりだと思う。シャー子さまと共に映画のために来日していたときも、ふたりの放つオーラはそれぞれ違っていたが、片や御曹司でラップミュージシャンとして若くしてグラミーの栄誉に輝いた華やかな存在である一方、DVを受けた幼少の過去、体を壊してバレエを断念した経験を乗り越えて、モデルとして、また女優として一流になったそれぞれの威光はお互いのパワーがぶつかってしまうのではないかと思うくらい警戒したが、なるほど、こういう展開だったのかということに関しては納得した。ある意味では上手いプロモーションだったと思う。おっとウィルの話だったのだが、彼は「エネミー・オブ・アメリカ」の演技が一番好きだし、抜きん出ていると思うが、それは、こういう人間ドラマを演じた方が良いと思うのだ。勿論、彼の作品の中には、「インディペンス・ディ」を筆頭に、「アイ、ロボット」、「アイ・アム・レジェンド」と、メッセージ性の高い作品には出ているものの、どうしても役柄より作品の背景に特異なものが多いから、どうしても見過ごされてしまうのかもしれない。実際、シリアスな「幸せのちから」や「ALI」などはドラマ作品として自体の内容構成が悪く、演技をとやかくいう以前の問題であったからである。しかし、彼に期待するところは大。作品と役柄によっては、いつでもオスカーを取れる演技力の持ち主であることは事実である。

ふたつめの興味として「ハンコック」を製作した背景と意図である。スーパーヒーローの受難時代が長く、このブログで何度も書いているが、だったら最初から嫌われているヒーローにしてしまえという短絡さは何なのかと思いきや、展開の中で相棒を登場(しかし、これは殆どの映画ファンは予想できた筈)させ、結局はその相棒との係わり合いからハンコックというヒーローの出自と存在を明確にしようと試みたが、負のエネルギーが生じるが如くの、物語まで負の展開になってしまったのは可也問題が多い。スーパーヒーローの不器用さというのは、力の使い方が分からないというところで、スパイダーマンやインクレディブルなどにも一部表現されているが、背景として時代がヒーローを作り出して来たことへの終焉を物語っている傾向にあることを真っ向から否定するのかと思った。歴史に記されるが如く、ヒーローというのは一時のものに過ぎないし、それはたとえば、北京五輪におけるマイケル・フェルペスやウサイン・ボルトも生身のヒーローである。だが、敢えて4年に一度、五輪と米大統領選があるこの年にこの作品ぶつけてきたということに関してはそれ相当の意図をもってのものと思ったが、太古から脈々と人間を具に観察してきた神に近い立場という表現がある一方で、結局はヒロイズムが必要なのだいうことに落ち着いてしまったところは顕かに脚本のお粗末を露呈したに過ぎなかった。「ダークナイト」の潔いラストと比較するとそのコンセプトに雲泥の差が歴然である。

但し、ヒーローは時代に作られ、また、時代に抹殺される。その歴史的悲劇にたってみれば、後者を前提として前者の出自という皮肉なのだとしたらこれは大変興味のあるコンセプトだったのだから、その為には作品の土壌を大衆娯楽に来たことがそもそもの大失敗なのであろう。過去に無いコンセプトだけに、同じテーマでもう一度チャレンジする価値はあると思うが続編はやめて欲しい。(勿論、それだけはないだろうが・・・)

それと、来日していた際のシャー子はちょっと太っていたが気のせい?


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by turtoone | 2008-09-06 17:45 | 映画(は行)
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インディの続編に関しては数年前から囁かれ、期待も大きかったが、まさか、この作品まで続編を予定しているとは知らなかった。ハムナプトラに関しては、勿論初版のBOX-DVDもあるが、これは家内のために買って来たようなもので、正直、内容に関してはVFXが凄いというくらいで、そんなに詳しく覚えていない。ただ、1作目と2作目がまるで時の流れの軸を歪めてしまうような訳のわからない出演人物の相対関係があり、2作目ではその関係の中に、オコーネル夫妻も取り込まれてしまったということと、そういえば2作目にはふたりの子供アレックスが出てきて、当然のことながら、本作品には主役級で登場してくるという映画ファンなら誰しもが憶測できる程度にしか、この作品は熟知していない。というか、2作目でエブリンの前世迄が分かってしまった今、何ゆえに続編なのだろうと思ったが、そうか、北京五輪に向けた興行目的だったのかとしか思わさざるを得ない作品の設定と、実際鑑賞をしてもその域を脱せなかったのは事実である。したがって、今ひとつの興行成績に封切り後も盛んに首都圏ではテレビスポットが流れている。

そもそもレイチェルが出ていないというのはどういうことなんだろうと思う。同時にレイチェル抜きでこの作品化をする意味があるのだろうかとも思わないか? ブレンダン・フレイザー、ジョン・ハナー、それに、アーノルド・ヴォスルーとレイチェルはこのシリーズには不可欠な存在だ。しかし、今回は物語の舞台が全く違うところに行ってしまったから、アーノルドはいたし方ないにしても、レイチェルがいないハムナプトラは全く意味がないし、第一、タイトルだって、ハムナプトラって違うのでないかと思う。いきなり、夫妻の絡みが出てきたりするが、やはりあの二人でないとあの味は出せていないし、読書会を開催していて次作を期待されるらしいが、「あんたが書いたんじゃないだろ」って大人気なく突っ込んでしまったりする。(読書会から入っているのは「ジェイン・オースチンの読書会」に引っ掛けてあるのだろうか? 安易だ・・・)。別に筆者は特別なレイチェルのファンではないが、この作品に出演しなかった理由を聞きたい。まさか、オスカー女優になったので、こういう興行重視の作品には出られないとでも言うのだろうか。但し、代役のマリア・ベロになってひとつだけ良いことがあった。そうアクションは彼女の方が上だということ。だが、それだけである。(彼女というと「コヨーテ・アグリー」しか印象にないのだが・・・)

また、内容に関して言えば、筆者としては、始皇帝を前2作のバケモノ同様に扱われることには遺憾である。始皇帝が暴君ではなかった説はここ2~3年で定説になりつつある。そももそ始皇帝を暴君に仕立てあげたのは、かの司馬遷であることは、筆者と同年代くらいの方は漢文の授業で(当時は必修科目だったから)既に了解済みであろうが、要は、司馬遷は「漢王朝」の正統性を書き綴っただけで、そういう意味では水戸光圀と内容は変わらない。そう、いつも言うように歴史はその時々の勝者の理論なのである。しかも都合が良いことに、始皇帝には兵馬俑が発見(1974年)されていてうってつけの題材であったに違いない。そこへ、ジェット・リー、ミシェル・ヨーといった中国・香港のトップスターをつぎ込んだ。まさに繋ぎ繋ぎの連携みたいな作品構築になってしまっていないか? また、いつも疑問なのだが、彼(等)を蘇らせてどう世界を統制しようというのだろうか。前2作のロマンスの部分の出典は良く分からないが、始皇帝もこの手の逸話は多いが、その多くは後世に作られたものであるし、実際に不老不死の話も残ってはいるが、このような傾国の美女は出てきておらず、かなり話がごちゃごちゃだし、極めつけは万里の長城の映像があったが、あの部分は明代に建造されたもので、始皇帝の存命中の映像として出すのは絶対におかしい。いつもこの辺りを突っ込んで申し訳ないが、映画人なら最低の時代考証は実在した人物を使うのであればきちんと調べて本物の映像を流して欲しい。

というか、物語も実に浅はかで残念であった。それから唯一売りであるVFXも物足りなかった。というか、中国のロケハンが足りなかったのではないか。虚構の物を作るのにも、実物は明確に把握をしておかないと、結局はこういう結果になってしまうという残念な作品を残した。やはり2作目でやめておくべきだったと思う。(そういう意味からすると、レイチェルは出なくて正解だったのか・・・?)


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by turtoone | 2008-08-18 22:55 | 映画(は行)
b0046687_20474557.jpg公開以前からオスカーを賑し話題になっていた作品であるが、日本公開後も一段と世間の話題をさらったという印象がある。第79回(2006年)アカデミー賞では、メキシコ/スペイン/アメリカ合作ながら、撮影賞、美術賞、メイクアップ賞を受賞。この勢いで外国語映画賞も獲得するのかと思われたが、これは「善き人のためのソナタ」が受賞した。オスカーに何からの形で絡んだ作品の中では、作品賞をとった「ディパーテッド」よりも、賛美両論を浴びたのではないかと思うほどである。公開中にレビューを書けなかったので、新作(といっても、もう1ヶ月以上たってしまったが)DVDの発売で再度鑑賞したので、この機会に書き残しておきたい。

この作品を称しては色々な言い方をされているが、「大人のファンタジー」と等というよりも、別に大人だとか子供だとかではなく、ダークでグロテスクな世界観という言い方があっていると思うが、これはPG-12作品で公開時には確か吹替もなく、ファンタジー作品としては、子供が観ることが殆どできなかったから言われたのであろう。しかしながらこのダークでグロテスクな世界観というのは、はっきりいって子供向きではないことは事実である。むしろ、登場人物やキャラクターも含めて、ともすると子供が観てしまいそうな設定であり、そうなると結構殺戮のシーンなどがのリアリティの高い部分があるので、大人同伴という「警告」のための指定ではないかと思われる。

また、この作品に関しては、VFXの使い方も中々細かくて、大仕掛けがあるわけではないが、VFXの効果を十二分に生かした使い方をしている。特に、蟷螂が妖精になるあたりは、中々巧みであり、この作品におけるVFXの意義を象徴している使い方である。この監督の「作り物」に関する姿勢が一番現れている。そして、勿論、筆者もそうであるが、この細かい部分での美術とか撮影という部分には大変高い評価をくだしているし、一般的にもこの作品はこういう部分の評価が高く話題にされ勝ちであるが、実はこの作品は根底にあるテーマに関してが筆者にはそれら以上に興味をひいた。

この作品のテーマは「自立」である。主人公の少女オフェリアに「早く大人になって」といいつつも、実は一人で生きられない母。前後をわきまえず短絡的な判断で事を為す大尉。自らも言っているように「長年の勘」だけが頼りで行動も結果も信念がない軍人である。反政府ゲリラも多くの内通者の協力なしには成り立たず、結束も、また、ひとりひとりの意思も弱い。そして、その結果、様々な顛末はすべて自分にふりかかってくる。天に唾を吐けば自分に降りかかるという奴だ。しかし、その中で唯一純粋に振る舞うオフェリアであるが、面白いのは、他のファンタジー作品にある程度保障されている、主人公故の安心感はこの作品には微塵も無い。その一方で彼女だけが自立というものに背負わされてその試練を乗り越えていく。勿論、そこには、少女らしい可愛らしさが蠢いている。ドレスをグチャグチャにしてしまったり、食べ物を口にしてしまったりと、その辺りのオフェリアの愛くるしい一連の行動が作品の中で唯一の救いであり、また、全体的に暗くなりがちなストーリー展開に光明を残していてくれる。だから、普通の人でも最後まで鑑賞に絶えられる作品なのである。

冒頭のシーンが結末に繋がるという部分は、作品の途中で分かってしまう脚本であるから、意外に安堵してご覧になっていた方は多いと思われ、ラストの心の準備は出来ているが、結局あれしか終わり方がなかったのかと思うと寂しい気がする。筆者がこの作品をA評価にしなかったのは、このエンディングにある。エンディングで作品の評価を格下げしてしまうというのは極めて珍しいがここ数年はそういう作品が増えてきたのではないかと思う。

オフェリアの洋服の色や、蟷螂、森といい、「緑色」がとても大事に表現されていた。ご存知の通り緑とは「平和」「平穏」「癒し」「安らぎ」を現す色。この要素の多い作品を最後まで困惑せずに鑑賞できたのは、もしかしたらこの「緑色」のお陰かもしれない。


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by turtoone | 2008-05-03 23:39 | 映画(は行)

バンテージ・ポイント

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年に何回かあることだが、筆者の早とちりから思わず作品を妙に違った方向に勘違いしてしまうものがある。この作品もそういう意味では鑑賞前には大いなる勘違いをしていたために、大きな意味で裏切られた。但し、裏切られ方が悪いわけではないから、まぁ作品としては楽しめたというのが、全体の感想である。但し、予め申し上げておくが、評価は余り高くない。

この作品は、果てしなくドキュメントに近いフィクション作品であると勝手に思っていた。事実、事前情報で得た映画関係の雑誌等には、それらしい下りが多かったし、しかも勝手に単館上映作品だと思っていたから、近所のシネコンで観られると知ったときは少々驚いた。だが、長々映画ファンをやっているのなら、キャストを観た段階で「ドキュメントに近いフィクション」であるとは思ってはいけないはずだ。迂闊であった。

但し、作品の構成としては、11時59分58秒からを繰り返すこの方法はある意味で短編集の様な趣向もあり、これはこれで良いと思ったが、但し、時間軸が多少違うのか(この部分はDVDを買って復習しなければ)不自然な繋がりがあった点は歪めない。この方法を取るのであれば、時間軸を象徴する何かひとつの「タイムキーパー」を存在させるべきであった。例えば、折角中継車から始まっているのだから、テレビキャスターの文言をその時間軸の基準としておけば、その「決まり文句」を何度も聞くことによって、鑑賞者は、この様々なポイントがそれぞれどう動き、どうリンクしているかということをもっと明確に分かったはずである。勿論、この表現法でも、作品自体が複雑ではないから別に見落としているというものはないが、逆に、そういうタイムキーパーを作ることで、もっと見落としがないかという臨場感を鑑賞者に味わってもらえる効果を作り出せたはずだ。この点は大変残念である。

それから、ラストへもっていく流れの中で、それまでの内容を全部払拭してしまう展開はどうなのかと思う。簡単に言えば、カーチェイスのことだ。なんだ。これがやりたかったのかっていう伏線は、ハワード(フォレスト・ウィッテカー)が家庭ビデオカメラを撮影しながら追跡する辺りでお決まりになりそうだって分かってしまうんだが、まだ、このあたりではドキュメントっぽさを残していたのに、やっぱり最後でここまで積み重ねたものを全部投げ出してしまったと思う。この点は残念だし、もっとうまい繋げ方はなかったのかと、今現在では筆者にも浮かばないが、これも後で復習の楽しみとして残しておきたい。

筆者的には、デニス・クエイドが良かったかな。このところ何か代表作が無かったし、筆者的には「エデンより彼方に」以来、何かピンと来るものがなかったのと、作品には出ているのだが日本未公開が結構多かったので、彼がスクリーンに出てきたときはシガニー・ウィーバーと同じように驚いていたと思う。あと、前出のウィッテカーは良かった。あと、「ミュンヘン」に出ていた、アイェット・ゾラーが出ていて、中々目を引いてしまう素敵な女優さんだと思う。

前述したが、折角中継車が入っていたのに、ここからの展開がなかったのも残念。勿論ストーリーとしては悪くはないと思うので、ドキュメントタッチ版「ボディガード」とでも言えばよいのであろうか。筆者的には見事に裏切られたが、ドキュメントも娯楽も好きな人には、実は1本で2倍楽しめる作品なのかもしれない。


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by turtoone | 2008-04-13 23:55 | 映画(は行)

ヒトラーの贋札

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今までその名称くらいしか存知得なかった「ベルンハント作戦」だが、謀略工作の専門家アルフレート・ナウヨックス親衛隊少佐が発案し、書類偽造課長ベルンハルト・クリューガー親衛隊少佐が指揮・実行した。その名前をとってこの作戦名が付いたということも全く知らなかった。この映画作品にあるように、のはザクセン・ハウゼン強制収容所に集められたユダヤ人技術者たちが実際に贋造した。1944年までに贋造された額はポンド札で1億3200万ポンドという驚きべき数字に上り、その量は当時の全流通量の約10%に相当したという。約50%がスパイへの報酬、秘密工作資金、武器調達用などの海外の秘密工作に使用されたという記録が残っている。この作品はドイツとオーストリアの合作であり、2007年オスカーの外国語映画賞にもノミネートされているが、正直なところ、戦後60年以降、ドイツは先の大戦における反省を色々な側面から検証している点は素晴らしい試みであるし、この作戦をテーマに据えたのもそうした一環であるが、正直なところ、映画作品としては残念ながら筆者に好きな分野だっただけに、却って高い評価ができるものではなかった。

それはひとつに主人公に魅力がなかった点が大きい。サロモン・ソロヴィッチ、通称サリーと呼ばれるユダヤ人技巧者が主役であるが、例えば、この人物が名画「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーの様に清濁併せ呑むような人物であれば、それだけで人物への魅力が先行し物語にも起伏が出てくるのであるが、こちらは単に、ユダヤ人がその職務に当てられたことと同時に、他のユダヤ人仲間は迫害を受けているという当人間のジレンマというものを前面に押し出したかったのだろうが、結果それだけになってしまい、何だかまた、いつものこの手のパターンの作品を100分くらい観たという感じであった。こういう作品は「戦場のピアニスト」で最後にして欲しいと言ったはずだ。また、この贋札製造は、キケロ事件とも大きな関係があったり、それ以外にも有名なのは、幽閉されたイタリアのムッソリーニの救出資金にも使われたといわれているから、作品の中にも、つまらないフィクションを散りばめるのでなく、歴史的事実を追求して欲しかった。ただ、ドル札の部分に関しては、事実と違うかどうか分からないが、ラストに繋がる持って行き方は決して悪くはないと思うが、やはり映画作品としてのメリハリがなく、NHKスペシャル(Nスペの方がもっと突っ込むと思うが)みたいになってしまったと思う。確かにこういう映画作品作りは難しいのは分かるが。ただ、題材が面白いだけに、ハリウッドが作ったら、撮影や美術がもっと細かかっただろうかと思うと、とても残念である。また、主人公に関しても(この人の著作が原本にはなっているそうだが)その任務と苦悩の間にある心理描写をクローズアップすることにより、この主人公をきっともっと魅力的に演出できたと思う。

しかし、結局のところこの主人公サリーは、自分がドイツの下でして来たことを自身として正当化しているのか、それとも仕方が無いけれど忌まわしい過去だったのかということのどちらにも取れるようなモンテカルロのシーンになってしまったのは残念。彼自身の自伝が映画の原本になっただけに、そのどちらか一方へのケジメはつけて欲しかった。勿論、それ以外の部分に関しては興味のある内容であったし、改めてヒトラーの指導力と一丸となったナチス首脳部の戦略にはただただ驚かされるばかりである。

また、ハリウッド作品を全面的に肯定するわけだはないが、カット割とかカメラワークにはもっと独創性を持って欲しいと思う。その辺りの技術が進歩してくれるとオーストラリア映画作品というのももっと期待ができるのであるが。


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by turtoone | 2008-02-16 23:56 | 映画(は行)