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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(た行)( 42 )

チェンジリング

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「コリンズ事件」というのはお恥ずかしながら知らなかったが、「ゴードン・ノースコット事件」は、以前にアメリカの犯罪史の研究をしていた時に、どこかで出くわした事があった。但し、文献は英文だったし、内容に関しても「養鶏場を営むノースコットが連続殺人を犯し、死体を証拠隠滅のために生石灰で処分した」という当時としては異常性だけに着目し、この作品に描かれた、「クリスティン・コリンズに起きた悲劇」に関しては全く無視してしまったために、この事件を知らなかったのである。単位欲しさの適当やっつけレポートを書いた自分の過去を悔いた。今回、イーストウッドによって作品化されなかったら、近距離まで接近していたのに知らずに終わってしまうところだったから感謝だが、実際にこの作品を鑑賞して、ここに介在する大きなテーマを見落としていたことにも気づかされ、流石にイーストウッドだと関心した。

1928年という年代は、最近何かと色々取り沙汰される1929年世界恐慌の前年である。映画史でいうと、前年1927年には世界最初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」が公開された。この作品では、クリスティンが中心でどうしても人間を中心に観てしまうが、ロサンゼルスの町並みといい、クリスティンその他出演人物の衣装といい、年代の再現は大変見事なものであり、まずはその点は高く評価したい。世界恐慌の引き金になる直前でも、アメリカという国に既に世界一だったことがこの作品を通しても良くわかるし、結果論で言えば(この作品にも出てくるが)その後のアメリカ経済の復活のスピードというのはものすごい速さであったのが分かる。そういう時代考証がしっかり出来ている作品というのは安心して鑑賞できると同時に、実は、イーストウッド作品というのは、余り今までにこういう部分を大事にしてこなかった観がある。勿論、人間の尊厳という観点をとても大事にしている監督だから、そのための心理描写や、キャスティングも上手く、人間を描くことには大変長けている監督であることは何度も述べた。そういう意味では今まで唯一この監督作品に欠如していた物が加わったのだから、中々重いテーマである一方で、見ごたえのある作品に仕上がっていた。

更に言えば、その監督の期待に見事にアンジーが応えたといえよう。「ベンジャミン・バトン」でブラピと共に、主演賞に揃ってノミネートされ(受賞ぱできなかったが)、しかし、ふたりとも演技力もさることながら、その存在感という部分では大いに監督の期待にも、また、観客の期待にも応えてくれたと思う。以前から思うのだが、やはりアンジーはアクションモノではなく、こういう人間の深層に至る部分を演じることに徹した方が良いと思う。アクションはアクションしかできない俳優に任せて、こういう役を沢山こなして早く、トップオブトップの女優になって欲しいものだと思う。また、所謂、サスペンス的に見える内容であり、妙な期待や結末を予測させる展開もあるがも、実は軸は一本しっかりしていて、揺れやブレが殆ど無い。それどころか、この作品を脚色している様々な要因、前述の時代考証や美術に加えて、特に出演人物がそれぞれに存分に存在感を発揮していて、アンジーだけでなく、牧師のジョン・マルコビッチ、警部のジェフリー・ドノヴァン、ノースコット役のコルム・フィオールといい、それぞれが完成度の高いパフォーマンスを示したことは特筆すべき点である。欲を言えば、カメラワークがこれらの水準に無かったのかも知れないが、「羊たちの沈黙」の様に、カメラによる面白さを追求している作品ではないから、この点はこれ良いのかもしれない。筆者はすぐ余計な「欲」を作品に出してしまうからいけないと反省する。

法廷シーンも久々に良かった。特にふたつの裁判(というか一方は公聴会)が同時進行しているリアルさは事実がそうだったかもしれないがスクリーンでのシンクロは見事だった。ただ、その勢いで調子に乗りすぎた絞首刑シーンは不要だった。あそこでエモーショナル・ラインが途切れたことは事実で、その後にあのシーンを持ってくるのだから全く不要といっていい。細かい部分で注文をつけたくなるほど、全体に骨太作品だったから本当に惜しいと思う。

ただ、「割礼」はどうなのだろうか。習慣があるのはイスラム教徒とユダヤ人。どうみてもイスラムではないから、これも事実だとしても、ヤケに強調しすぎは作品が終わってからも気になった。


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by turtoone | 2009-03-08 00:47 | 映画(た行)

ディファイアンス

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第二次世界大戦ナチス独裁によるドイツの侵攻を描いた作品に関しては、以前に「戦場のピアニスト」の至って短いレビューで書いた様に、同じ様なテーマなら「シンドラーのリスト」で最後にして欲しいと懇願した。「シンドラー~」は筆者の最高得点映画であり、後にも先にもこの作品を越えるものは筆者の中では出てこないと思うが、しかし、予告に「シンドラー」とか言われると本当かいなと観に行ってしまうところも筆者の弱い部分である。しかし、現に、「シンドラー」以降も、ドイツ国が自ら先の大戦の反省の上に製作した「ヒトラー 最期の12日間」や、別の側面からナチスドイツを描いた「ブラックブック」「善き人のためりソナタ」などの秀作が続いたので、しからばと、この作品も鑑賞優先順位が高かった。しかし、この作品、予告の「シンドラーはもう一人いた」(もっとシンドラーのような人は沢山いた、日本人にも居たという突っ込みは敢えてやめたが)は却って失敗で、シンドラーとは全く違うユダヤの生きる道を探した人(というか兄弟)であった。この作品、観方によっては大変填まるし、良い作品だとは思うが、兎に角「シンドラー」を期待したら全く裏切られる作品だ。

かくいう筆者も予告に惑わされ「シンドラー」を期待していたから、最初の30分で裏切られたが、幸い136分という少し長めの作品だったので建て直しの鑑賞が出来た。この作品の根底にあるものは、寧ろ「麦の穂をゆらす風」に近い。一番の見所は戦時下の生き方もあるが、両親を殺されたビエルスキ4兄弟の強靭な絆である。特に、リーダーとして色々な側面で悩む長兄のトゥビア(ダニエル・クレイグ)と事あることに意見が合わず別の道を歩む次男ズシュ。このふたりの兄を冷静に観察し、日一日と力強く逞しくなっていくアザエル。そしてまだ幼いが兄弟の血は争えず、悲しみの絶頂からいち早く立ち直り3人の兄を誇りに思うアローン。物語はこの4兄弟のそれぞれの葛藤を軸に置いて観た方がこの作品に限っては面白い。言い方は悪いが、戦争版「若草物語」である。なぜならそれ以外の部分は、ベラルーシの森で隠匿生活を続けていたという「新発見」だけで、過去の様々な映画作品で描かれてきた(しかももっとずっと鮮烈に・・・)ことの焼き直しでしかないからだ。ソ連軍の対応に関しても、最終的にはああなるだろうという予測が最初からついてしまうし、序盤は、結局自分たちが生きるためには殺戮も略奪も何でもやっていいんだという戦禍における狂った人間性を露呈しているだけで、途中から、ベラルーシの森での共同生活を始めるものの、序盤からの展開からとはギャップがありすぎて、結局はその他大勢の流言蜚語に繋がるようなリーダーの動向というのは致し方なかったと思う。しかし、一方で、薬が必要な時に、生命も立場も省みず協力をする次兄、大移動でリーダー不在の際、長兄に変わって大英断を下す三男、ドイツ軍の襲撃情報を手に入れる四男などが、「兄弟」という絆の括りで、この大集団を引き連れるというところは、もしこれが事実より誇大な表現であったとしても、この作品の主題であり、過去に製作されたナチス関連作品とは一線を画する価値のある部分である。

物語や、その背景よりも、戦禍に生きた兄弟の絆と、もうひとつ映画作品の興味としては、俳優陣に魅力があった。次兄のリーヴ・シュレーバーは、どうも「ニューヨークの恋人」の印象が強いが、リメーク版「オーメン」でも好演していたし、今回の役柄は今までで最高だったし、ジェイミー・ベルは「リトル・ダンサー」(最近では「ジャンパー」にも出ていたが)の印象が強かったが、今作品で十分、大人の俳優の仲間入りをした。女優陣ではリルカを演じたアレクサ・ダヴァロスが素敵。その他、アラン・コーデュナー、マーク・フォイアスタンの存在感が山椒の如くビリリと利いていて良かった。そもそもの狙いとは違ったのかも知れないが色々な発見のある作品だったが、シンドラーの名は使って欲しくなかった。


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by turtoone | 2009-02-15 13:52 | 映画(た行)

チェ 39歳 別れの手紙

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第1部「チェ 28歳の革命」のレビューでの懸念が、筆者に取ってはそのまま反映した鑑賞になった。なぜ、今、この時期にゲバラなのか。そもそも1本の作品を2分割することによって得られる効果はあるのか。ゲバラが革命を通して生涯残したたかった事を作品で表現できたのか。総括してこの3つの疑問に対し、やはり、作品を2分割してしまったことは大いなる間違いであったし、作品としてのゲバラの探求も十分出来ていたにも関わらず、これも2部構成にしたためにエモーショナルラインを途中で遮断されたしまったことで、第2部はリスクの大きなスタートになった。それが証拠に、この作品の冒頭部分は、まだ第1部の名残が残っていたために(本編から興行用にどの場所で切るかは大変難しかったと思うが、ここに前編の余韻を残したはじまりは大変良かったと思う・・・)、作品の期待感が増したが、物語が進むに連れ、残念ながらその期待度が徐々に低下し、結局、途中からはひとつひとつの発言に関しても、前編の何処に相関しているのだろうという戸惑いが生じて、中々困難な鑑賞となってしまった。4時間30分を越えても、これが1本の作品であったら、こんなことは無かったと思うと大変残念である。

但し、全く別の見方も出来るのであって、つまりは、前編が存在しなかったという前提だ。実は、奇才ソダーバークなのだから、興行に当たってはその辺りを狙ったとも思える。何しろ、主人公が有名人であるからにして、所謂、キューバ革命の一般論的な作品を作っても面白く無い訳だ(と、思う)。現に、ゲバラの代表作として「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、「まだカストロに出会う前のゲバラ青春の回想」という様なサブタイトルで、今まで余り語られなかったゲバラの青春時代を見事に描写・作品化し、関係各位の注目と高い評価を受けている。勿論、筆者もこの作品は大好きだ。青春があるのだとしたら、当然、後日談もあるわけで、つまりはもソダーバーグが本当に作りたかったのは、こっちの作品なんじゃないかという作品手法を随所に感じたことも事実である。前作はやたらと回想シーンが多かったし、プロットの組み立ても、最初は中々掴めなかった。しかし、本作品は所謂我々が歴史として知っているゲバラの要素をなるべく取り除き、彼が本当に求めたものは何かの「映画作品」としての追求を行い、その組立としてこの作品を作り上げたという言い方が出来る。そう考えると逆に静かな作品で、起伏も少ないが、只管平和を願った一人の男の終末を見事に描いているのである。

つまりは、4時間30分通してで見た時と、前編・後編を分けた場合ではそれぞれ評価が変わってしまうという面白い作品で、特に後編に関しては、前編を見た場合の評価と、前編が無かった場合との評価も違ってくる。ああ、なんというか、ソダーバーグらしいというか、彼はひとつの作品で、ひとつの主張をしたのではなく、我々に色々な物を問いかけて来たということが言える。だが、それも、この、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナという極めて稀な人物を扱ったからこそ出来る離れ業であり、評価の高低とは別に、映画史上に残る作品であることは事実である。

全編を通して、デルトロの演技も良かった。喘息で苦しむシーンは実際には然程なかったものの、彼の(演技としての)表情には、常に、喘息で悩む主人公の姿を見てとれた。そして、エンドロールの試みは館内が長いこと静まり、離籍する人も少ない中スクリーンだけが淡々と流れていた。筆者も色々な思いが交錯して席を離れられなかった一人であるが、死亡時に遺体を公開されたり、更に30年後には墓を発掘され遺骨の公開と、死後2度もその姿を公開されるという非情な仕打ちを受けた革命の英雄に対し、何も関係の無い筆者ではあるが、彼への鎮魂の念と、自身は何が出来るのかという問いかけの時間を与えてくれたのだと、このエンドロールの趣向には感謝している。


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by turtoone | 2009-02-11 19:21 | 映画(た行)

誰も守ってくれない

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邦画が今よりもずっときちんと主張をし、一般に問題提起をしていた時代に映画鑑賞に時間を沢山割けたという点で筆者はとても幸せだったのだと思う。所謂、「社会派」というジャンルには、当時、普通に暮らしている日本人にとっては同じ国、同じ国民の中にもこういう考えやこういう主張、こういう人間が存在するのだということを認識する数限られた情報ツールであった。なぜなら、当時テレビというメディアは、報道という部分をより客観的に伝達しようという、良い意味である種の抑止作用が働いていたからであるが、何時の日からか、この国はアメリカと同じ様に、全ての報道に関して、茶の間のワイドショーと同等の扱いをするようになった。思うに、地方局が沢山増えて放送局過多になったこと、ゴールデンやプライムに長い尺で報道番組の枠が設けられたこと、更に、新聞社系キー局報道局が番組制作するのでなく、子会社、系列会社の扱いになり編成局が厳しく内容を考査できないことが要因になったに違いない。そして、大変残念なことは、そういうワイドショー的報道番組が増えるに連れ、映画の題材から骨太な社会派作品が徐々に姿を消し、変わって、サブカルチャー的なアカデミックな内容が現れて来てしまい、そもそもそういう題材を得意としていたテレビのドラマとのガチンコになり、結果、邦画はつまらない物に変化していったという見方も出来るのではないかと思う。

そもそもなんでこんなことを言うかというと、この「誰も守ってくれない」は、折角良い題材を扱っているにも関わらず、結論は愚か、結果的に問題提起にもならなかったという、現在の映画製作に於ける体力と知力の低下を露呈してしまたに過ぎないのである。しかし、よくよく考えるとそれもそのはずであり、体力という部分ではこの作品製作はテレビ関係者の関与が殆どである。だから、「守る」対象は過剰報道のマスコミであるという実際を出したにも関わらず、ではそれが良いのか悪いのかということに関しては何もコメントしていない。しかも、驚くべきことに、その責任はすべて警察にあるという論点の摩り替えを志田未来の台詞によって行っている。また、もうひとつはネット社会に対してである。報道陣の執拗な攻撃からは守れるものの、本当の悪者は姿や実態の見えないネット社会であり、このネット社会から自らを守るということは出来ない。友人ですら信じられないという言い方をしている。果たして本当にそうだろうか。逆に巨大メディアだからこそ、ネットを助長させるも無視することも可能であり、また、ネットが巨大化はしてもメディアとして君臨できるか否かは、新聞やテレビというメディアの力でどうにでもなる。にも関わらず、彼らは自分たちも系列でネット組織を持っている現実は無視して闇サイトばかりをクローズアップし、必要以上にネットをご都合主義として取り上げる。そしてよく考えるとそれは昨今の日常の報道にも通じる部分であり、犯罪の陰には必ずネットが存在するということを取り上げているのと変わらない。これは事件や物事の本質の摩り替えでしかなく、最早メディア系がこんな内容の作品しか作れないと思うと、逆に残念な話だと思わないか。

筆者はよく価値体系の観点で物を語るが、この作品もしかりで、価値体系がマスコミからネットに移ったとでも言うのだろうか。そして、それはマスコミの暴言であり責任転嫁ではないのか。マスコミはもっと襟を但し本来の姿に戻るべきではないのか。いずれにしても歯切れの悪い内容と結末だった。

物語は殺人事件の加害者の家族を守るという内容。だが、この殺人事件に関しての情報が少なくて、鑑賞者には申し訳ないが加害者の家族の気持ちにも、また、映画という特性からかニュースを見る一般の視聴者の立場にも立てなかった。もし、この脚本と演出が志田未来の立場をクローズアップするための仕掛けだとしたら、これは大失敗だった。映画という媒体の素晴らしさは役の誰かに感情移入できること。テレビでは到底出来ない特別な部分である。だが、最低限の情報、例えば、冒頭シーンで加害者宅に乗り込むシーンがあるが、それと志田の学校生活とをクロスフェードさせ音楽をのせて綺麗に描くのではなく、なぜ、長男が容疑者として逮捕されたのかの理由を公開して欲しかった。知識なしでこの重たく大きなテーマを理解しろといっても、結局は、マスコミはしつこいな、ネットは無責任だな、警察は大変だなで終わってしまうのである。いや、もしそこまで思ってくれる鑑賞者がいるとしたら、それは鑑賞者に潜在する正義感とか良心であり、最初からそういう物に依存して、結果、何も結論を出さないというのでは、なんのための作品化だったのだろうか。

唯一の救いは俳優陣の演技にある。佐藤浩市は安定しているから言うことはないが、志田未来、そして松田龍平は今までとは違う、新しい一面を出してくれた。筆者はシニカルな松田優作に縛られて似たような背伸びをしている松田より、この作品の演技の方がずっと良いと評価した。


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by turtoone | 2009-01-25 14:18 | 映画(た行)

チェ 28歳の革命

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筆者の好きな映画ジャンルはなんといっても歴史モノ、人物モノであるが、かといって然程に高評価を下した作品というのは余りない。勿論、「シンドラーのリスト」「恋におちたシェイクスピア」も人物モノではあるが、その人物がどう生きたかというストーリーではなく、背景になるものが大きい。そう考えると特A作品で人物モノって「レッズ」だけの様な気がして(「アマデウス」なんかも人物伝というよりフィクション性が高いから)、今、過去のデータをひっくり返しているところだが、エルネスト・ゲバラ・セルナに関しては、「モーターサイクル・ダイアリーズ」もさることながら、丁度、最新の検証を「歴史のミステリー」で特集していて、やはりそこでも2度にわたる南米旅行で、祖国並びに南米全域の国民生活が疲弊を極めていることが、自らを立たせるきっかけになったことは事実の様で、そういう意味では今世紀に入り、彼の評価も大分変わって来たと思う。今まではカストロ兄弟あってのゲバラという解釈が、逆にゲバラあってのキューバ革命だったと、これから特に母国アルゼンチンの歴史研究家からこの観点での歴史検証がなされ論文化されることを期待したい。しかし、そんなこともあって、やはりカンヌの様に全編を一気に観られなくて残念な鑑賞であったのも事実。

同時に今、なぜこの時期に彼なのか。この作品だけでなく、今全世界的にゲバラの存在が見直されているという。地理的、及び言語的なこともあり、どうも南米は苦手である。残念なのは特に文献が手に入らず、入っても読めないことだ。だからアジアに置き換えてみると、アジアで革命の祖と言えば、筆者が尊敬する中国人5人に入る「孫文」であるが、彼もまた実はこれまで母国中国での評価は低い(というか、最近は歴史の教科書にも載っていない筈だ)。辛亥革命は清朝を打倒したことの評価はされるものの、その後の新政府の設立には日本色の強い孫文は毛嫌いされたからだ。筆者も「日本人であるが故の視点」で孫文を英雄視しているに過ぎないのかもしれない。やはり革命の歴史がない日本人のDNAにはアジアを例にとっても分かりづらい。ゲバラに戻ると、ひとつには、フィデル・カストロが昨年、国家評議会議長を退任したことにより、カストロという人の総括が世界的にも自由に論ぜられるようになり、同時にキューバ革命の功労者としてのゲバラがクローズアップされたのであろう。また、これにはフィデルを継いだ弟のラウル・カストロへの求心力を危惧する声(ラウルには現在パーキンソン病説があり、2006年のフィデルの手術中から政権を継承しているものの、余り人前にも出ていない)があり、真の革命により建国をした世界でも数少ない功績と意思を世界に残すためには、死後40年以上も立つ、ゲバラを登場させざるを得なかったという中米なりの理由があったのだと思う。しかし、その仕掛け人はロシアかも、欧米かも、もしかしたらアメリカかもしれない。

映画作品について少し書くと、冒頭に述べたように全編を通して観たかったのは事実。これは残念のひとことに尽きる。作品自体は、前半、場面の切り替わりが多いが30分で全体構成のパターンが分かるのでストーリー展開を把握するのは比較的楽である。但し、我々は字幕で観ているから感じないが言語が何ヵ国語かあり、その切り替わりの度に、特に作品として意図しているところがあるのでは気になるところがあった。これは1回や2回の鑑賞では把握できない。ただ単に、状況に従っているだけなら良いのだが。しかし、小細工や難解な展開は殆どなく、淡々と事実を追っていて構成がしっかりして、ストレートにゲバラとその行動を伝えようとしたところは昨今の作品では珍しく評価できる。大体からそもそもが一般的に分かりにくい地域と歴史なので、それを承知してか否かは分からないが、兎に角「ゲバラ」を伝えることに徹底していたことは良く、作品構成とともにデル・トロの演技は、特別な場面こそないが、この役どころと作品の意図を良く理解しつくした演技に賞賛したい。第2部には更に期待したい。

作品中、何度か「モーターサイクル・ダイアリーズ」の河を泳ぐシーンを思い出し、ゲバラとは何でも可能にする男、そして、大義のためには自分の立場など何も気にしない男だという熱い彼の思いが伝わった。しかし、後半になる部分は、最新の研究でも意見が分かれるところである「最終的にゲバラは何をめざしたのか?」が主題になる。筆者が年頭の「2009年期待度ランキング」で第1部を高くしたのは、第2部には定説がないのと、ボリビアに何を求めたのかがそれまでのゲバラからは分からない点が余りにも多いから、正直、今このテーマで映画を作るには無理が多いと解釈したからだ。その辺りは、第1部でも大事な場面になっている「回顧インタビュー」の演出が余程上手く作用しないと難しいと思う。今月末の封切りが不安である。

全編観てから評価したいが、現時点でなら高めの評価も、前述の理由で第2部だけでは作品として成り立たせるのは難しいと思うことから、やはり4時間30分程度なら、鑑賞料金を2回分払っても良いから一気に見せて貰いたかったというのが本音である。


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by turtoone | 2009-01-12 17:17 | 映画(た行)

地球が静止する日

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昨日書いた「ワールド・オブ・ライズ」のレビューに続き、これも2008年未鑑賞作品。関連づける訳ではないが、前レビューに一触即発でお先真っ暗な未来を書いたが、そう、クラトゥが現れ何とかしてくれないと行き場が無いのではないかと真面目に思ってしまう。

1951年のオリジナル作品はうっすら覚えているが、それよりも、あのロバート・ワイズがメガホンを取っていたことをこのリメイクの公開で初めて知った。ロバート・ワイズ監督といえば、確かに「スタートレック」なんかも撮っているが、なんと言っても「ウエストサイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」で2回のオスカー監督賞に輝いている、いわば、ミュージカルで高名な監督だ。まずはその点に大いに驚いたから、それに比べたらこの新作に関しては余り驚きがないだろうと思って鑑賞した。

正直、旧作を殆ど覚えていないから比較にはならない。但し、このクラトゥ役にキアヌを持ってきたのは正解で、「マトリックス」以降、何か、人間を越えているところに居そうな感じが漂うのは「コンスタンティン」、 「イルマーレ」なんかを観てもそう思うし、何しろ人類のみならず、多分、宇宙に行っても「イイ男」なんだ(地球以外に男女という性が別れているかどうかはしらないが・・・)と思う。冗談は抜きで、こんなイイ男からの忠告だから、ジェニファー・コネリーだって科学の領域を超えて「彼を説得してみせる」なんて思うのだろうと・・・。何か、作品に対しては危機感のないレビューだとご指摘を受けるかもしれないが、この作品は地球危機は外敵によるものでなく、地球を食い尽くした人類によるものだと言っているのだから、そう考えるといまから50年以上も前にそんな提言をしているのだからハリウッドもまだまだ捨てたもんじゃないと関心した。

しかしながら作品はというと、これは酷いモノで突っ込みどころのオンパレードになってしまう。いちいち指摘していると日が暮れてしまうので、どう考えても理解できないふたつだけ。最初のシーンは何だったのだろうか? 確か1928年というクレジット(おっとここでも世界恐慌絡みなのかぁ~)があったが、この時のキアヌの役どころはどう見ても人間だと思う。つまりまこの間に人間から地球外生命体クラトゥに変身したのか? それともこの球体の中で冷凍保存されたのだろうか? DNA鑑定していたらしいが、地球生命体に良く似てるって、そんないい加減な鑑定しか出来ないところが笑ってしまった。もう少し真剣にやって欲しい(鑑定でも脚本でもどっちでもいいから・・・)。もうひとつ、今回の教訓をこの地球はどのように実行しようとしているのだろうか。その辺りの明確な方向性が全くみつからない。クラトゥが心変わりをした理由も突発的で、そんな「個人愛」みたいなものが「残された希望」なんだというところ全く以って説得力に欠ける。これではトミーリージョーンズの地球探査員とそんなに変わらないじゃないか? 一体最初に集められた科学者たちは何かの役にたったのだろうか? 全てが知りきれトンボで、大風呂敷を広げたところ、何も結論を出せず、後はみんながそれぞれの立場で考えろっていう、昨今のハリウッド映画の悪い部分を全て踏襲してしまったね。

映画だからこれで良いという部分と、映画だからもっと先までやって欲しかった(人類は破滅するが、クラトゥとヘレンだけは残って新しい人類を作り出すって、これじゃあ「復活の日」みたいだなぁ)と、どちらに転んでも中途半端な作品だった。原作を読んでないが、1951年の映画化だから、多分「核戦争」への危惧かなんかだろうと憶測すると、このタイミングでもリメイクは果たして良かったのか? 映画化そのものへのポリシーの無さ心配してしまう。

唯一見応えがあったのがヘレンの師の科学者との数式のシーン。分かり合える者が居たというのはあの場面で説明してくれないと説得力に欠ける。確かに、「愛」というのは地球上における人類が最も誇れる要素であることは疑わないのであるが・・・。


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by turtoone | 2009-01-04 15:34 | 映画(た行)

ダークナイト

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今年は7月の後半から特に忙しなくなってしまい、思うようにレビューが書けず滞っているが、若干休みがあったのでやっと落ち着いてレビューを書ける。

そんな中、いきなりであるが、この作品、タイトルから「バットマン」がなくなった理由が実は映画作品の最後でわかる。但しこれがいわゆるこの作品の主題であるから、この事について書いてしまっては、作品全体のネタばらしをしてしまうことになり、筆者の当ブログの基本方針に外れてしまうので、今回は中途半端なレビューになることをお許し頂きたい。

筆者にとってのバットマンとの出会いは、勿論「バットマンムービーズ」である。最初に映画作品として登場し、そののちテレビ・シリーズになった。日本でも何度か断片的に放映されていたし、なにしろ、このバットマンは当時からとても、「愛すべき」ヒーローであった。逆に言うと、当時の日本のヒーローというのは、常に色々なものを背負っていて、たとえば星飛雄馬なんかは貧乏と同時に大リーグ養成ギブスも背負っていたし、あしたのジョーも、タイガーマスクも暗かった。極め付きのウルトラマンは、作品全体のコンセプトから、常に世相に批判的であり、その象徴である「怪獣」を正義の味方が「倒さなければならない」という風刺は、幼いながらも色々なものを背負わされた悲劇のヒーローだと痛感しながらテレビを見ていたものだ。それに比べると、バットマンとはなんとおおらかな存在なのだろうかと大変興味深く感じていた。また、出てくる悪役というものが、ジョーカーにしても、ツーフェイスにしてキャラが強すぎて、逆に愛すべき存在になっていたことも事実だし、色々秘密兵器を持っていのが、結構笑ってしまうものも多かった。しかし、このバットマンの印象を大きく変えてしまったのが、ティムバートンである。筆者はティムの創出したバットマン像、及び、ゴッサムシティーの世界観に大変興味を惹かれた。そして、何時の頃からか、バットマンというヒーローはとても影のあるキャラとして認知されてしまったようだ。確かに、ティム・バートンが、サブリミナルのように各作品に埋め込んだ、「バットマン幼少の記憶」に関しては、作品を追う毎にそのパーセンテージが強くなり、孤高のヒーローとして変化していったが、まだ、ティムの作品シリーズには、ある種の「可笑しさ」がストーリーやキャラの中に残されていて、悲しさや内面を強調する反面、苦笑や希望を作品に残していたために救われていたと思う。但し、世紀末から9.11など一連の事件や世相という時代背景も可也強く相俟ってか、ヒーローがどんどん暗く、かつ受難していく時代に突入していったのは言うまでもない。そんな中で「こうもり」の名前を持つこのヒーローは、そのほかのどのヒーローよりも更に暗く、更に悩まなければならない宿命を持たされているというのが実際なのであろう。

前作の「バットマンビギンズ」からして、新しいバッドマンシリーズの輝かしい第1作という訳にはb0046687_1254036.jpg到底ならなかった。バッドマンに与えられた使命とは、最早街を守ることではなく己の出自との戦いでしかない。たとえば、この作品でも前作同様、170分という長い作品の中で、敵との戦いを描いている訳ではない。寧ろ、それは現在の世相と同じく、誰が正しくて誰が悪者なのかをはっきりとさせない(できない)。ジョーカーもそうであるが、彼が悪役なのか、いや悪いのは、狂っているのは世間ではないのかという部分が強すぎて、正直、単なるヒーローものという目線で見ていると理解ができない展開である。そう、この作品はもはや、ヒューマンドキュメントに近く、そして可也難解な作品になった。だが、色々な点で的を射ている作品であるのも事実。もしかしたら、過去のバットマン作品の中では最高傑作なのかもしれない。残念ながら、ヒーロー物の鑑賞を予定していた筆者にとっては、その辺りの心の準備が出来ておらず、物語を追うのがやっとで、中々それ以外の要素を追っかけられなかった。しかしながら、それだけ秀逸な作品であることは間違いなく、年内にDVDの発売を期待したい。

また、この作品がヒース・レジャーの遺作だと思うと残念だ。彼の最後の素晴らしい演技に多大なる拍手と敬意を表したい。

同時に、このバットマン・シリーズはここで終わってしまった方が良いのではないかとも思う。


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by turtoone | 2008-08-17 22:15 | 映画(た行)

つぐない

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タイトル(邦題「つぐない」、原題atonement「償い・贖罪」)からして、どうなるか結末が見えてしまうのは上映以前に残念ではあるが、妹なりの始末の仕方には感動。このラストのために考えられたタイトルであるのなら可也凝っていると賞賛するし、同時に本作品は全編を通しての起伏も良く、秀逸な作品だった。

このブログには良く書くが(いや、何度も書いて恐縮だが・・・)日本と英国の時代が、いよいよこの頃には既に同軸で動いている。片や資本主義の発祥で20世紀初頭までは世界一の国であるのと比べ、つい、160年前までは鎖国をしていた日本という可也開きが大きかった二国間は、20世紀の初頭には日英同盟を締結している。物語の設定である1935年はヒトラーがヴェルサイユ条約を破棄し、ナチス・ドイツの再軍備を宣言した年。当然ながら欧州第一国のイギリスには極度な緊張が走る。日本はというと、この年は目だって大きな事件がなかったが(大きいといえば、「天皇機関説」が正式に批判され、自由主義が後退、ファッショに向かう国内情勢は翌年、226事件で最悪の方向に・・・)、欧州の動向と呼応するように、アジアの中での孤立化へと向かっていく時代であった。つまりは英国がこの年代の時代背景の中でこの原作を作った文化的土壌と比べると、日本は大きく後退しているという言い方が正しい。なぜなら、この時代の日本でこの作品のようなを舞台を設定することはできないからである。同じ島国でも、第一次大戦と第二次大戦間のわが国は言い方を変えれば「暗黒の時代」である。

さて、本作品に関してだが、オスカーその他の評価が高かったが、同じコンビの前作「プライドと偏見」が良くなったので、それこそ偏見を持っていたためと、ミニシアター系上映だったために鑑賞も遅れた。しかし、ブロガー各位の評価が高く、これが躊躇していた背中を強く押してくれた。そしてそれはとても大正解であった。いつもながらブロガー各位に感謝、色々と見るべきものがたくさんあった作品だった。幾つか代表的なものを羅列すると、まず、脚本の手法としての小刻みはフラッシュバックは効果的だった。人が何かを認識する際に最も伝わり易いのは結論を先に示す事である一方で、確かに言葉等を媒介にする場合には時間の短縮になるが、語彙の理解度が著しく異なる関係に於いてはそこから連想されるものの差異は大きく、結局は最上の方法ではなく、そこから生む誤解は大きい。考えてみれば人間世界の争いの殆どは結論を急いたことによる物だと言って良い。そしてそのことはこの映画の中でも、ブライオニーの事件の認識と、更に彼女の証言という部分に取り上げられている。手法そのものを物語にもリンクさせているところは大変興味深い。そして、その為にこの作品の構成のにくいところは、結論としての映像手法を幾つか先に見せておいて、一番肝心な場面は言葉で言い切った。だから余計に迫力があったし、劇中の人たちだけでなく、鑑賞者に対しての説得力を上げた。この構成、及び脚本・演出は見事である。

又、これは誰しも高評価を下したと思うのが、計算されつくしていた効果音である。軸にはタイプライター音を使い、ボールの壁当て、棒を持った襲撃等、それらがすべて主人公の心臓の鼓動に同機すると同時に観客にも同期する。蜂の音もそうだ。ブライオニーの鋭い視線を遮るためには全く異質の素材を持ってくる必要がある。それを蜂にすることにより、彼女を誘導すると共b0046687_21291127.jpgに鑑賞者にも彼女のエモーショナルラインを引き継ぎつつ、大事な庭の場面へと導く。まぁこれはほんの一部なのであるが、実にひとつひとつのシーンが丁寧に作られ、効果だけでなく、美術も特にブライオニーの部屋の中など、細かいものに沢山の拘りとその後への布石を作っている。兎に角「プラ偏」では序盤良くて、後はトントンと進んで退屈だったが、本作品はすべてのシーンに見ごたえがあった。その後の戦闘シーンもしかり、ブライオニーの告白もしかり。物語の構築には何の不満もなく、期待以上の作品だった。銀幕で観られて良かったと思う。

キーラは余り好きな女優ではないが、相手役を見事に演じたのがなんとタムナスさん。また、3人のブライオニーは、大女優ヴァネッサ・レッドグレーヴを差し置いて、シアーシャ・ローナンが圧倒的に良かった。この人はまだ13歳だが公表されている写真をみると素顔は本役よりもずっとオトナっぽくて凄い存在感のある女優。俳優的にも今後が楽しみな作品だった。


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by turtoone | 2008-06-07 23:54 | 映画(た行)
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オスカー作品賞に輝いた 「ノー・カントリー」と同年代が舞台の作品である。9.11以降のアメリカから揺るぎい自信が失われたのか、特にメディア系はやたらと過去に遡ろうとする。アフガンという地域との関係を考えると、それはこの時代1979年に始まっているからであろうが、不思議とアメリカという国は歴史に学ぼうとすればするほど、その歴史の真実を掘り下げるのでなく、その歴史にある汚点を消去し、都合良く書き直そうとはしていないか。歴史で消去できないものは現在、そして未来そま元凶を断ち切るための消去を画策していないか。「ノー・カントリー」同様、この作品を鑑賞してただ一人の議員が何かをしたというより、この国家としての基盤が脆弱な国が長いこと世界を引っ張ってきたという現実と、今後もそれを継続しようとする恐怖に苛まれたのは筆者だけであろうか?(筆者だけなら良いのだが・・・)

憶測であるが、ご存知のようにこの作品はトム・ハンクス自らが放映権を買ったが、実は、もっと「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のようなコメディとしての作品化を考えたのだと思う。しかし、実際に本年75歳になる通称チャーリー・ウィルソン(本名チャールズ・ウィルソン)本人にあって、多分、随分映画のコンセプトを変更したのではないか。そう思うのは、まず、説明調の台詞が多すぎる。周知の事実として、1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した際、当時大統領のカーターは十分にこの侵攻に対応できず、「弱いアメリカ」を全世界的に植えつけてしまった。結果、同年の大統領選でカーターの再選はなく、レーガンが大統領になり、名実共に完璧な操り人形としての役者大統領を前面に出した、米国民にとっては悲劇といえる長い共和党支配が始まる。筆者もチャーリーという人はこの作品化の話まで全く知らなかったが、対ソビエトに対する軍事費が10億ドルという話は、如何に委員会があるとはいえ、民主党政権では考えられるものではない。事実、彼は議員になる前は海軍士官であり、しかも民主党のテキサス選出議員。よくよく考えると条件がかなり揃っているのである。またジュリア・ロバーツ演じる大富豪、反共の愛人が彼のパトロンであることも、なるほど、小説より良くできた話ではないか。だから、軍事に金を出しても、その後の学校建設などには「強いアメリカ」には全く興味がなく、予算が出るはずがない。要するに、政治家の正義感が何処に働くかって奴で、例えばよくある族議員が環境を訴える人たちに共鳴し、委員会で反対を下して英雄になるっていう美談と同じパターンであり、たまたま、「強いアメリカ」を表現するために、レーガン政権はアフガニスタンからソビエトを蹴散らし、モスクワ五輪もボイコットした(勿論日本も・・・)という「オモテの歴史」を裏で支えていた一人である。しかし、例えば、その後学校を作れなかったとか、「いずれわかる」なんていう部分は物語的にも可也不自然で、2003年時(9.11より後なので・・・)の小説発表時に付け加えられたものではないかと推測できる。更に、その後の異常なブッシュ政権による当地域への対策が更にこのストーリーを脚色する手伝いをし、仕上がった物語ではないか。残念ながら、筆者としてはノンフィクションとしての面白さより、どこをどう後付してこの実話(的)を構築したのかの方に気をとられた鑑賞になった。

要はこういう内容ならああいう予告編はないだろうという典型的な作品で(筆者は良く予告編に騙される)勝手な先入観を持って鑑賞してしまったので、随分ヘンテコなレビューになったが、何か「ホワイトハウス狂想曲」みたいなお気楽議員と思いきや全然な違い、出身や選挙区の事情、票のバックボーンも色々ある部分なのだから、予告編はもう少し本編に近いところで作って欲しかったなと思う。

個人的に、トム・ハンクスはコメディが良いから。また、ジュリア・ロバーツは久々でこのブログでも勝手ながら随分長いこと心配しているが、今作品については処置無しってところ。化粧シーンが、なるほどオモテの顔はこうやって作るのかというのが良かったかなという程度。このふたりの共演は初めてなのになぜか期待もなく、鑑賞中も殆ど演技的な発見がなかったのは残念。それよりも、フィリップとエイミー、それにチャーリーズ・エンジェルが美女だけでは無いってところが良かった。それと、エンドロールで監督がマイク・ニコルズって遅まきながら気がついたが、確かこの監督はもう喜寿くらいだよね。未だに彼の名前を聞くと真っ先に「バージニア~」と「卒業」が出てくるのってダメかなぁ。本作品は彼の得意分野でもある風刺が利いていなかった。最早、何をいっても今のアメリカに風刺なんて効き目がないのかもしれない。

それと予告編には流れていたドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」は本編に使われていなかったような。1972年のヒット曲だから仕方ないかも。


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by turtoone | 2008-05-18 15:37 | 映画(た行)

テラビシアにかける橋

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のっけからいきなりで恐縮であるが、今年は素晴らしい作品が本当に多い。この作品は、所謂分類としてはファンタジーに入るのであるが、兎に角、他のファンタジー映画が消えてしまうほど、というよりも一体ファンタジー映画って、そもそもどんな意味があるのだろうかということを真剣に考えさせられる作品である。筆者の見方が特殊なのかもしれないし、作品自体の狙いとは少し外れたレビューになっているかもしれないが、実に見事だと思った点を以下に記したい。

原作は読んでいない。もし、原作を読んでこれから書く感想と一致したのであれば、本当にこの原作が凄いということになる。そこが作品を観てしまった後だと先入観が先にたち、本当の意味での原作の良さが分からなくなってしまうから残念だ。つまりは、これからこの作品を観ようと思っている方は出来れば原作を先に読んで欲しい。

ファンタジー映画作品が花盛りで、今年も可也多くの新作が封切られる中で、どうしてファンタジーがブームになるかというと、それは作品作りの骨太さとオリジナリティを失ってきたからである。現代は情報過多の時代であり、それはすべて押し付けの様に我々の周りを取り巻いている。何が真実で何がバーチャルなのかの区別も着かなくなっているし、一時期価値体系であったマスコミですら、情報を垂れ流すことは出来ても情報を整理することは最早できなくなってきている。そういう世界的な世相の中で現存するものの判断を下すことは難しい。神の見えざる手といわれた景気の動向ですら、一時期は一部の人間の介入でどうにでもなった時代から、今や、パイが大きすぎて神ですら介入できる状態にない。そういう時代に、ファンタジーが与えるものは現実逃避である。創造された世界であれば、その創造主によって何がどうあっても自由だ。そしてスターウォーズの時代が余りにも現実感がない話である一方、例えば、指輪物語やナルニア、ライラなどは全く別のどこかの世界で起こっているにも拘らず、どこか「過去の歴史」的な感覚がある。それは簡単である。その世界の「移動手段」が現実に今の世界でも考えられるものであるからだ。SWの移動手段は歩くこと以外には現実味がないだけだ。とどのつまりは誰かが作った世界の中を泳がされていたのが、ゲームや映画におけるファンタジーなのである。

しかし、この物語は、誰でもほんの少しの想像力で、新しい世界を創り出すことができるという想像イコール創造なのであることを少年少女の観点から実に見事に描いている。そしてそれだけでなく、その想像力は空想の冒険世界を作り出すことだけでなく、現実の世界で冒険をする力の源になっているんだということを教えてくれる。それが証拠にラストシーンはなぜあのような世界になったのか。簡単である。今までよりももっと想像力を持ったプリンセスが現れたからである。そう、子供というのは小さければちいさいほど想像力は豊かであり、逆に年を取れば取るほど想像力は低下していくということは誰でもそう思っているだろう。

そして今回は中心のふたりとそれを取り巻くすべての登場人物が良かった。短時間の中でそれらの人間関係もすべて説明できた。特に主人公の父親との親子関係については、お互いの誤解をきちんと解く、主人公が本当に怖がっていたものは実は一番身近にあって、そしてそれは誤解から発しているということも説明してくれた。こういう中途半端に終わらないところも良かった。そして、やはりなんといってもアンナソフィア・ロブである。彼女の演技は幼い頃のジョディ・フォスターを思い出す。「チョコファク」が印象的だったから、8年生や男たちも空手でぶっ飛ばしてしまったり、紫の花が出てきたときは顔が紫になり風船みたいになってしまわないかと心配したが(でもやっぱりチューインガムは持っていたな・・・)、兎に角、子役からの大きな飛躍のきっかけになる作品であることは事実。今後も注目したいひとりである。

そして、この作品は「映画だからできる」ということを実に明確に表現してくれた。(だからこそ先に原作を読んでおけば良かったと悔いているのである) VFXは使用していてもこういう使い方なら良いのであって、全編VFXのファンタジーなんて願い下げだ。ひとつ心配なのは、この作品これほど高く評価して、この後、ナルニアとかライラとはまともに観れるのだろうか。敢えていえば音楽に工夫がなく残念だった(ここで加点が少なくA評価作品は逃した)、「ネバーランド」 まで評価は高くないが、筆者の分類としてはこのタイプの作品であり、好感の持てた、展開の好きな作品であった。(そして久々に随分な泣かせて頂いた)


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by turtoone | 2008-01-28 00:29 | 映画(た行)