暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(さ行)( 63 )

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大変お恥ずかしいことながら、この作品を鑑賞するまで筆者は全くと言って良いほど、インドという国の現状と現実に関して無知であったということを冒頭に告白しなくてはいけない。筆者的に言うと、インドという国には一度だけ訪問したことがあるが、それはバブルより少し前のことで、4日間ほど滞在をしたが、三ツ星ホテルに、当たり前の観光・お土産コース、そして、21世紀には日本や中国を抜いてアメリカに次ぐ経済成長国家になるんだというポジティブな現地企業の大富豪の接待を受け、一方で、そもそも貧富の差に加え、カースト制度が残った階級社会の上に複雑に様々な宗教が係わり合い、世紀末から新世紀にはますます格差が広がるだろうという現実的な現地ガイドの両方の話が耳に入りつつも、ビジネス的には前者の話しか頭に残らず、また、新世紀になってからもこの国に関するニュースやドキュメントというのに中々触れる機会もなく、全く蔑ろにして来てしまった。それが証拠に本当にお恥ずかしながら、ムンバイという都市が旧ボンベイということも初めて知った。それだけでなく、この作品には随分色々なことを教わったが、それはインドの現状もしかりであり、同時に、映画作品の未来に関してもである。

「クイズミリオネラ」という番組がアメリカや日本以外にも、特に、このインドでも人気番組であるということは全く知らなかった。しかし、この作品が大変「得」をしているのは、この「クイズミリオネラ」という番組の構成やルールを知っていることにある。そして、日本ではアクも毒も全くない、必要以上に持ち上げるマスコミ以外にはその技量も風格も全く過去の人となってしまったと言っていいみのもんたなんていうお飾りではなく、このブレーム・クマールという番組司会者の個性と存在は凄く、彼の個性が番組と映画の両方のストーリーテーラーの役割なっているという脚本の出来は評価が高い。みのもんただったらこの両方を併せ持つことが出来なかったから、このキャラは日本公開でも相当なインパクトを与えられた。脚本的には単純に思えるのだか、逆に、クイズの進行ありきの脚本だから、見事に填まったと言っても良いし、つまりは脚色の勝利である。オスカーもその辺りは良く分かっていて脚色賞に選定しているが脚本にはノミネートすらしていない。しかし、一方でこのクイズありきの恩恵を大きく、所謂「物語の進行」に特段の説明が要らないという効果があるから、クイズ番組ではなく、もうひとつのストーリーである、主人公ジャマールの生い立ちとそれに伴うインドの時代背景に関しての説明と表現が大変容易にできた。鑑賞者はこのふたつを同軸で見ているから、最初の数問で出題内容と主人公を通したインドの現状が同軸であることに気づき、その両方に期待が係る。本物の「クイズミリオネラ」にも見られない、「次の問題内容への期待」というのが膨らんでいるところには、既にオリジナルの番組の存在すらも超えている(対日本版では・・・)。この辺りの脚色、更には演出の巧妙さは名作「クイズ・ショウ」をも上回る程の秀逸さである。

そして、筆者がこの作品をとても高く評価することのひとつに、「映画の枠」にきちんと収めたことにある。ムンバイ(ボンベイがムンバイになったことは知らなかったが、一方でムンバイのことは多少知っている。可笑しいかもしれないが、そんなにインドにのことに関して知らないという訳ではないのだ・・・)の抱える問題というのは多く、特に、世界で人口1000万人以上の都市の中ではライフライン(ミリオネラの、ではなく)の整備が著しく遅れているし、スラム居住率も高く、特に、教育と医療と飲料水(何れも作品に出てくるが・・・)の問題は現在でも顕著である。しかし、そこを必要以上に強調はしなく、また、そのすべてを主人公のジャマールに当て嵌めるのではなく、周囲の脇役を利用してその殆どを説明した。また、同時にこういう問題を描こうといると一方で極端に薄れてしまうのが、鑑賞者への訴求とエモーショナルラインの継続であるが、そこは、ラティカという初恋の女性と、唯一の身内である兄サリームを見事に使いこなした。インドの発展と共に変わっていく象徴として兄サリームを置き、一方で変わらない(というか変わってはいけないインド人の誇り)を繋ぎとめておくための効果としてラティカへの「初恋と変わらない永遠の思い」の両極端を配したことが、この作品をまさに万人向けの「映画作品」として完成させたことにある。

最後の最後まで感情が途切れない作品だった。にも、関わらず、残念だったのがエンドロール。なんだあれは。あれは良くインド料理屋に行くと流れている安っぽいインドミュージシャンのプロモと変わらない。ここで減点も考えたが、しかし、この作品、映画界にハリウッドが不要なことを証明してくれたとも言って良い内容である。だからちょっと甘いけど、今年初めて、昨年「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」以来の特A作品である。そしてまた、2001年「ビューティフル・マインド」以来7年ぶりに、漸く納得したオスカー作品賞でもあった。


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by turtoone | 2009-04-25 23:47 | 映画(さ行)

少年メリケンサック

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クドカンと筆者は余り相性が良くなく、それは多分、最初の出会いが村上龍作品の映画化「69」だからだったと思う。この作品は、村上の「限りなく透明に近いブルー」と並ぶ自伝的な作品で、でも1969年佐世保の話だから、あの時代に生きていなくて、肌で1969年を感じていないクドカンには無理な作品化であった。大体からして村上作品の映画化というのはすべて原作が原作だけに掴み所や、中心に置く主題や、プロットの組立が難しい。現実に、村上作品の映画化で成功したものは何一つないし、「コインロッカー・ベイビーズ」、「テニスボーイの憂鬱」なんていう秀作は映画化すらしていない。余談だが「コインロッカーベイビーズ」が映画化されたら主要3人は誰が演じるのだろうか? 数年前にハリウッドで映画化の話があったが、いずこへ?。日本に彼らを演じられる俳優など全く思い浮かばないが、ハシとキクは無理にしてもアネモネは最近では香里奈とかなら筆者のイメージとしては出来そうだが・・・。おっと話が逸れたが、それ以来ちょっとクドカンからは惹いていたのだが、この作品のコンセプトは気に入った。なんといってもパンクロックといったら、隆盛期を良く知っているからこのクドカンの思いが理解できる一人だと思う。クドカンの思いよりも、レコード会社社長ユースケの思いというのであろうか。

パンクロックというのは、筆者の認識ではグラムロックの枝分かれから始まっている。ニューヨークのアングラミュージシャンの中から1960年代にはその原型が誕生していたが、やはり象徴的なのはヴェルベット・アンダーグラウンドとイギー・ポップだと思う。そして本格的に商業ベースに乗ってくるのは、1970年代になったからで、中でも、やはりラモーンズの登場が衝撃的だった。しかし、その後ロンドンのパンクロックシーンが世界を席捲し、中でも、音楽性の高いストラングラーズ、強いメッセージを持ったクラッシュ、兎に角過激なセックス・ピストルズが、筆者の認識する「御三家」である。クラッシュは後発だったが、後々のバンドに与えた影響き大きく、その流れとしてザ・ジャムなどは国民的スターダムにのし上がった。また、この頃になるとパンクロックの領域が随分広くなり(というか、音楽シーンに広く認知されたと言ってよい)、あのポリスですらもデビュー時はパンクロックという位置づけをされた。

おっと音楽の話をしだすと止まらないから困る。それで、この映画作品だが、上記の様なパンクへの思いがクドカンと筆者の考え方や、距離の置き方等のスタンスが非常に良く似ているので、結果、この作品には「填まって」しまって、ポップコーンを殆ど口にせず映画に集中してしまった。色々な出演者がいたが、そんなの誰が誰だかどうでも良いと思ったほど、ストーリーに没頭してしまった作品は珍しい。音楽物を見るときは要注意だ。なぜ今パンクなのかということに関して言えば、それは「20世紀少年」ケンヂのなぜ今グラムなのかということに等しいと思う。上記パンクロック歴の続きになるが、90年代にニルヴァーナ、そして近年はグリーンディがグラミーも獲得した。最早、このジャンルはパンクという特異なものでなく、ロック音楽のひとつとして立派に定義付けされたことに等しいが、だからこそ、本当のパンクってなんだったのだろうっていう原点はこの作品にもあるように、スリーコード中心の音を出したいという衝動が全てなのであって、そのバンドの代表としての「メリケンサック」を宮崎あおいというヒロインを通して遠巻きに観ているコンセプトが至極共感できる。

軽自動バンでのドサ回りだったり、「ニューヨークマラソン」、「さくらら」、「アンドロメダおまえ」、「僕らのネバーマインド号」など、音楽はすべて笑える。特にニューヨークマラソンのオチは最高。それからやたらとシド・ヴィシャスを意識している台詞や映像があって、メリケンサックが尊敬しているのはピストルズなのかもしれない。そういえば、シドは生きていれば50歳の筈だから。こういう邦画は最高だ。


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by turtoone | 2009-02-14 22:36 | 映画(さ行)

禅 ZEN

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仏教が日本に伝来したのは6世紀半ば(代表的な552年、538年以外にも諸説ある)であるが、筆者の持論として民衆にこの教えが啓蒙され信仰・支持されたのはやはり鎌倉仏教の影響が大きい。無論、奈良時代には東大寺の大仏や、全国に国分寺・国分尼寺が建立されたがこれは国策の域に過ぎなかった。唐から高僧を招聘したが、それは政治を支える手段であったが、平安時代に入り、最澄と空海が中国から持ち帰った密教の影響は大きかった。特に天台は教学として日本で始めてというべきオリジナルな学問として、仏教を目指すものにとって比叡山は教学最高峰として君臨し始める。だが、これも最澄当時の崇高な理念は時を経て堕落し、教学だけが残り実践としての仏教の布教や、釈尊の教えに対する帰依という志を持った者は殆どいなくなった。だが、時代が京都貴族政権から、関東の封建社会に移りつつあった時、荘園から領土に、日本は民の選択の余地がなく急速にその支配形態を変更した時に、所謂「民百姓」の生活不安から本当の意味での心の拠り所を求めていたと同時に、荒れ果てた国内と人心救済のために、己の私欲一切を捨てた高い志を持って現れた仏教伝道師が作ったのが鎌倉仏教である。法然とその弟子親鸞、日蓮、一遍、禅宗の栄西とこの映画の主人公道元がその代表である。筆者は特にこの曹洞宗とは縁があり、家の仏教も曹洞宗のみならず、祖父の菩提は東京西麻布の永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)にあり、また自身も禅を求めていた時代があり、それは、曹洞禅の持つ、生活即信仰という部分である。あるがままに座る、座禅とは特別なことでは無いという教えは、己を律するためには実は一番難しく、信仰とか修養というものが人の一生を掛けても成し遂げられるかどうかは分からないという「悟りの境地」という部分だけにあるものでなく、実生活の中で如何に己自身に向き合えるかとという実践を重要視しているところに強く引かれたからである。そして、同時期に極楽浄土を推奨した浄土宗や浄土真宗も、「南無妙法蓮華経」で「仏性」が顕現すると言った法華宗(日蓮宗)も、日本に初めて禅を紹介した臨済宗も、或いは、浄土真宗より更に進んで阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できると説いた時宗(時衆)も、皆それぞれ民に如何に釈尊の本質を伝え、人心を救済するかのために不撓の精神で修行を重ねた理念の高い僧たちによって布教されたのである。つまりはこの時代がわが国における本質的な「仏教伝来」と言っても過言では無い。

だが、過去に「日蓮」以外は余り作品化になりにくかったのは、日蓮の法華経は当時の国家だけでなく人民をも否定した。それだけ刺激の強い布教活動だったち言える。一方で親鸞は現世の行いが来世を決めるという未来待望論であり、日本の土壌には可也合致したのかもしれない。稲作国家であるわが国の民は、民俗的美学に「お任せ」という部分が根本的に強い。春に種を蒔けば、秋には実りが来る、転じて現世で唱えれば、来世は極楽に行けるということと一致するのである。また、ご存知のように曹洞宗はふたつの本山、ふたりの開祖を持つ。大本山永平寺の道元と、大本山総持寺の瑩山である(曹洞宗という呼称を用いるようになったのは瑩山からである)が、別に分派している訳ではなく、宗の基礎と教学を創設した道元とその基盤である永平寺と、一方、本格的に宣布普及を行った祖としての瑩山と総持寺である。現在でも表だっていないが永平寺派と総持寺派があり、無論、布教に力を入れだした総持寺派が圧倒的に多い。そういう意味でも、鎌倉仏教は日蓮以外は物語になりにくいという点があったのは事実である。

さて作品に関してであるが、やはり前述の通り、道元の生涯を追っただけになってしまい、例えば「偉人伝まんが」と余り変わらなかったのも事実である。ただ「典座(てんぞ)教訓」に力をい入れていた部分は、曹洞宗派にも、また一般にも余り知られるところのない部分なので良かったものの、事実、中国で「典座係り」に受けた影響は多大であると解釈され「半尺の水」(道元が川で水を一尺掬い、半分は川下に必要な人がいるから返したという教訓)も、この典座の精神から出ていると考えるとこの部分はもっと強調して良かった。弟子の俊了が教えを捨てたのも、典座担当になってから己の信仰と相反するところで葛藤してしまうオチがあるのだから、余計に開祖として求め、修得したところを強調して欲しかったと思う。また、この作品で鎌倉仏教の布教という観点では一番鍵になっていたのがおりんの存在であったにも関わらずここも説明不足に終わった。時の権力者、北条時頼に意見した(伝承にはそうあるが事実は分からない。何故なら時頼は同じ禅宗でも臨済宗の建長寺を後に建立している。波多野義重は実在の人物であり、鎌倉に招請されてはいるが意見をしたかは分からない)ところより、おりんを救済した、有能な弟子俊了を失った場面を掘り下げた部分の方が、鑑賞者には道元とこの教えの本質を訴求できたと思う。つまりは2時間余りの時間で内容が欲張り過ぎたのであろう。

また、中村勘太郎も(父勘三郎譲りで)滑舌が悪く、台詞が聞き取りにくくはないが(中国語はそうでもないが)感情移入の妨げになる部分もあった。ひとつ、裏情報であるが、ラスト前に寺院から托鉢に沢山の僧が出てくるシーンは、この作品のために寄付をしたスポンサー寺院のご住職であるらしい。エンドロールに沢山の寺院名を出すよりずっと粋な計らいだと思う。また、個人的には禅修業で訪問した大雄山最乗寺(神奈川足柄)のシーンが幾つもあり感激したが残念ながら映画作品としては今ひとつであった。


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by turtoone | 2009-01-18 14:40 | 映画(さ行)
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自慢ではないが、ここ数年はテレビドラマというものを殆ど観ない。観ないというより観られないというのが正しく、ずっと続けて観ているのは「篤姫」くらいであり、また、民放ドラマでも最近録画も含めて全部見たのは「ガリレオ」、その前は「華麗なる一族」まで遡る。日本のドラマですらそうなのだからましてや他国のものになると本当に観る時間がない。DVDが出ているが借りて来てまで観ようという気力がなく、「24」や「プリズン・ブレイク」の様に買っては来たけど一度も観ていなくて、家内や娘たちの所有ソフトに化してしまうパターンが殆どだ。「SATC」も同様でずっと観たいと思いきや、実は、一度も観たことがなく、だからこの映画作品もかなり躊躇したが、不思議とこの作品に関しては知人の間でも「賛」が殆どだったので、筆者には合わなくてもという後悔を承知で鑑賞したが、そこそこ良かったので報告する。

大体女性4人組という設定は、男性からすると大変興味がある。事実、女性というのは3人以上揃うと上辺の付き合いはするが真の友情が育たないと勝手に解釈されているのが、過去に世界中で綴られて来た文芸作品の傾向だ。しかし、筆者も友人関係でもこんなに真の付き合いがある女4人組みというのは少ない。学生時代ならまだしも、社会に出て、仕事も違う、服の好みも食べ物も、男性の好みも違う女性が、通り一遍の会話だけで済んでいる関係なら兎も角も、こんなに深いつきあいをしている4人組にあったことがない。しかも、結婚前ならまだしも結婚して家庭を持つと更にその関係の維持は難しくなるものだ。だから偏見かもしれないが、こういうシティエーションは最初から無理なんだと思いきや、この作品を鑑賞してとてもよく理解できたことがある。

それは、まずニューヨークだから成り立つということ。この街は色々な意味で他のどこにも無い都市である。仕事や生活の価値観が違う。しかも、この4人は所謂セレブであるから、土曜日の午前中9時くらいからテレビの情報番組を見ている国の人種とは違うということだ。つまり友情という価値観が少し違うのである。筆者は幸いながら、この4人の出会いを知らないし、今までの友情の経緯も知らない。知らないから幸いしていて、恐らくテレビ編を観ていたら、細かいところで突っ込んでしまったであろう。しかし、NYでは仕方ないよねってところがまず、この物語の舞台として存在していることにこの4人の関係を全く不思議に思わないところが優先したと思う。また、もう一点は、20年くらい前から言われていた「女性の時代」という言葉が、漸く定着し一般的になってきたのだと思う。それは、ニューヨークだけでなく、全世界的ことなのだ。日本でも女性の結婚願望が低下し、仕事や趣味に生きる女性が増えてきた。そして20年前はそれが、勝手な男性側の価値観から語られていたのが、今はそんなことを言い出したら時代錯誤で、寧ろ、女性の生き方を手本とする男性も多くなって来ている。大事なことは、男性だから女性だからでは無いということである。前述した、「結婚したら付き合いが壊れる」というのは、寧ろ男性の方が増えたと思える節もある。要するに、男性4人組っていうのも、昔に比べて現在は随分少なくなって来ているのは事実である。

この作品が良かったのは、軸にキャリーを置いて、彼女の目線から他の3人を描いたこと。テレビを見ていないのでそれがこの作品だけかどうかは分からないが、確かにそのせいで説明の台詞が多くなってしまったことは残念だが、テレビを見ていない筆者ですら「総決算」的に観ているだからその辺りは了承できる範疇である。また、一番最新のニューヨークを見事に紹介してくれている。ウェディング・ドレスから「VOGUE」取材の下りになり、えっこんな事を望んでいるのって鑑賞者の誰しもが思い、結果次の展開はその通りになる、鑑賞者に先をよませてくれてそこにはめ込む。この辺りの「小技」はやはりテレビの域を脱していないなって笑ってしまうのだが、バックにニューヨークって凄い大きな見方がついているから、そんなことよりもスクリーンの隅から隅までをどこも見落とせないぞっていう期待感に次の瞬間には変わっている。不思議なことに、この作品を観終わる途中から、この4人の間の人間関係って過去にこんなことがあったんじゃないかなぁっていう予想が幾つもできてしまう。これは残念ながら、六本木や渋谷あたりでの出来事だったら、全く想像も出来ないことではないだろうか。

とどのつまりは、時間があったら「SATC」を最初から観たいって気にさせられてしまった。筆者みたいな鑑賞者が増えるとDVD販売に繋がるし興行の思惑にピッタリ填まってしまったらしい。折りしも、ジュリアナ東京が復活した日、自身の過去とも相俟って、作品の良し悪しは関係なく結構愉快な鑑賞だった。


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by turtoone | 2008-09-07 18:58 | 映画(さ行)

JUNO/ジュノ

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オスカーの脚本賞というは筆者的にはとても興味深い物であるが、一時期は選出の基準に首を傾げる時期もあった。しかし、昨年の「リトル・ミス・サンシャイン」同様、この作品の脚本賞は大変頷ける。

この作品は、16歳の少女が妊娠したというところだけを追ってしまうと、数々のメッセージを見落としてしまう。しかし、その辺りは意外に本人が重大事にも関わらずあっけらかんと装うことと、椅子という小道具を上手く使っているところ等で淡々と描き、物語も進行するので、鑑賞者も余りその事実にとどまらずについて行ける。まずはこの辺りの脚本は上手いし、同時に演出も脚本を良く理解しているのと、音楽の効果が抜群だ。

そして、この物語の大事なところは三つのカップルの比較とジュノ自身がどのように関わっていくかである。ジュノを中心とした継母ブレンと、養子縁組の里親母ヴァネッサ、さらに継母の夫(つまり実父)マックと、養子縁組の里親父マーク、それに彼氏でお腹の子のパパであるポーリー。ジュノとのそれぞれの母繋がりを軸に男性陣を見るのと、直接男性陣を見るという二つの視点を、各々のシーンで楽しめるという不思議な作品だが、これが実に面白い。つまり物語の軸がここにあり、そこから妊娠とか養子縁組とかという問題を、当人やその家族や友人等のそれぞれの環境に派生させているので、一見すると単調な人間関係もきちんとサイトマップを書かないと真実は分からないという現代社会に於ける人間づきあいの難しさを表している訳である。勿論「子供求む」が、犬・猫は愚か爬虫類のペット募集の広告と同列で掲載されていることから揶揄されるアメリカの現状だったり、一方で養子縁組という現実が斬新だと思いきや、当人達は至って古きを好むという皮肉も実に愉快である。

同時にこの作品は米社会の理想と現実の狭間を実に軽妙に描写している。冒頭のドラッグストア主人とジュノの会話、中絶施設の受付女性とジュノのやり取り、継母と超音波技師の対話、そして、ジュノとヴァネッサとの会話の殆どの台詞には、その狭間から見た米社会への風刺が込められ、同時に現実に生きる人間の強さが語られている。理想と現実という事でいえば、理想派の男、現実派の女という、性的な違いも絶妙に表現しているが、特に妊娠・出産という、男女の違いが最も明確に分かれる側面に於いてのシテュエーションというのは、単純に思われ勝ちであるが、やはり題材にする価値があるほど深い。これらの細かい脚本の妙とその良さが漸く後半になって分かった。

ジュノ役の初々しさが良い一方で、容姿に似合わない悪たれをつくところのアンバランスがこの作品を常に先へ先へと引っ張るのもキャスティングの良さであり、又、どう考えても早く「大きく成りすぎるお腹」などは必要以上に鑑賞者の興味をひく、細かい演出も施されている。また、ジュノを取り巻く人たちのひとりひとりがとても丁寧に描かれているのも、昨年の「リトル・ミス・サンシャイン」に通じる部分がある。但し、同作品が現代アメリカ社会の病巣を1台のミニバンに詰め込んだ(筆者はそう評した)のに比べると、風刺は効いていたが、小さなジャブ程度で、カウンターパンチに繋がる問題提起に至らなかったのは残念だ。例えば、胎教にはほど遠いパンクやホラーが出てきて、苦笑を誘うがそれだけで終わってしまったり、前述した超音波技師との一幕も対話があっただけで結論づけてはいないから、ちょっと面白い言いあいか、継母でも愛する娘は守るぞという姿勢表明にだけに終わってしまっているから残念だ。

筆者が鑑賞した回は公開から既に1ヶ月以上達つのからか、ミドル層が多く、若くても30台のカップル(夫婦かな?)で、館内に10代の若い子の姿が皆無だったが、偶然だろうか。ジュノの同年代の男女に観て欲しいと思った。筆者も娘と一緒に観られなかったのが残念だが、家内は娘たち、特に長女はジュノと同年代だから単館に足を運んででも一緒に観て欲しいし、年頃のお嬢様がいらっしゃる母子には、是非一緒に観て欲しい作品だと男親としてはそう思うが、年頃のお嬢様のお母様のご意見や如何に?


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by turtoone | 2008-07-19 20:41 | 映画(さ行)

ザ・マジックアワー

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三谷は有能なテレビ脚本家であるが、やはり映画人ではない。というのも、不思議と彼は必ずある特定の「枠組み」を作る。名作「ラヂオの時間」がそうであるように、その枠組みの中で様々なこだわりを持って作品を構築していく。だから、当然のことながら完成度は高い。しかし「みんなの家」では失敗した。シナリオ自体が映画向きではなかったし、メインの配役も唐沢以外は技量が欠けていたり、ミスキャストが多かった。そして、なにしろこの作品は「枠組」がなかった。いわゆる、単発のテレビなら誤魔化せるレベルと映画の大きな壁を思い知ったのがこの作品である。監督作品ではなかったが「笑の大学」は舞台での実績のある作品ではあめが、「取り調べ室」という枠内での出来事で、しかもここでは登場人物を最低限に絞ったと同時に自分では監督をやらなかった。この試みでいけるかどうかを試していたに相違ない。そして続く「THE有頂天ホテル」でも同様、ホテルという枠組みの中で展開した。しかし、この作品では異常なほどに出演俳優が多いだけで、各々の個性を活かすことがまったく出来なかった。

そんな中、本作品では、前作でキャスティングが今一でその演技と役者魂が全く活かされなかったふたり、佐藤浩市と西田敏行の二人をベストポジションに据えたことがもっとも大きかった。しかも、三谷はその枠組みも前作より更に大きくし港町までに広げた。そしてギャングの世界に固執することで、鑑賞者から余計な興味を取り除いた。要は、これが三谷の最も得意とする自分ワールドへの引き込みである。三谷が、映画でこれが出来なかったのは、劇場という空間を意識出来なかったからである。テレビは至ってプライベートな空間であり、その函の中に身を投じることは、別に三谷作品に限らず至って簡単なことだ。しかし変わりに飽きられるのも早い。気に入らなければスイッチを切られるだけだ。たが、映画はそうはいかない。映画は中座されたり、眠られた方がまだましで、最後迄見られた挙句駄作という烙印を押されたら最後。そしてその可能性は不特定多数である。前作の賛否両論で三谷が学んだことは、枠組みはひとつでは足りないという事。つまり、観客の経験測に委ねるのではなく、自らの世界に閉じ込める事である。そこに「映画撮影」というもうひとつの枠組みを作りあげた。ギャングと映画。このなんとも現実感のない設定でありながら、一方で過去に名作を沢山残している事例を踏襲しつつ、鑑賞者に対しては作品序盤から何か見落とすと置いていかれるというぞという焦燥感を植え付けた。そして期待通りに最初のタイトル前に主要人物をすべて出して物語の全容を紹介した。これが大成功だった。

それから、今回は今までこだわっていた1シーン・1カット・長回しの手法を捨てた。カット割を多用することが王道かどうかは別として、少なくとも本作は前作にあったアングルの無理は少なかったという点で拘りを捨てたのも正解だった。特に親分・西田と殺し屋佐藤の出会いのシーンは秀逸で、前述したようにこのふたりだから出来た緊張の連繋は、カット繋ぎの映画でも十二分に鑑賞者を満足させるものであることを実感した筈だ。さすがは「敦煌」コンビである。又、過去の名作へのオマージュも色々と手がこんでおり、特に、「アンタッチャブル」のオマージュはリアルタイムでなく、時間差攻撃的に笑いが後からついてくるので、会場会での笑いが色々なところで微妙にズレを生じているのも面白くも、オッ、彼はこのシーンを知っているな、あの人はあの映画を熟知しているなということが、映画の本編以外にも楽しめる要素となったことも見逃せない。

しかしながら、冒険とか斬新という点では、やはりテレビにおける三谷の勢いを感じることが出来なかった。
古畑はもとより「王様のレストラン」であり、「総理と呼ばないで」にみられた日本の脚本家としては類い希な独自性を映画の土壌で発揮できないのは、いつもながら残念である。やはり「ラヂオの時間」が衝撃的過ぎたのか、映画作品として自身のデビュー作を越えることは難しいと思われる。佐藤とのコンビネーションは良かったが、やはり彼には、唐沢寿章が必要なんじゃないかって、事実、この映画でも唐沢の登場シーンが、ストーリー構成上あってもなくてもどうでも良い内容であったにも関わらず、可成り強い印象が残っており、それは「THE有頂天ホテル」と同様である。前作のレビューでも書いたが、三谷には「驚きの発想」が欲しいのである。テレビではそれが出来るのだから余計に残念だ。作品は面白かったが面白いだけでは三谷作品には満足しないし、主役の村田同様、これで終わって欲しくない逸材だ。


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by turtoone | 2008-06-08 23:31 | 映画(さ行)

最高の人生の見つけ方

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やたらと評判が良く評価が高いので、マンデラの初日を蹴って急遽鑑賞に行った。いやいや本当に隙の無いくらい良く出来てる作品だ。ハリウッドならではの作品であり、なんと言うか「優等生」なのである。しかし、どうだろうか、原題は別として邦題の「最高の人生の見つけ方」ってところに固執すると、これが人生なのかい? そんな疑問を沢山残した作品だ。

「人生は如何に人から学べるか?」ハリウッドの好きなテーマのひとつである。設定も良く、裸一貫から一代で築いた大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と、大学教授になる夢を捨てて、家族のために生涯を捧げた男カーター(モーガン・フリーマン)が妙に不自然に出会う。この辺りのリアリティが「病室は二人一室」という台詞だけに頼っていたので大変弱いのだが、そのあとの展開はハリウッド映画の教科書的な展開だ。なにしろ、演技巧者のふたりが良い。ニコルソンとフリーマン。このオスカー男優の共演は始めてだったであろうか。どちらも個性的だから、最初に病室で出会ったシーンはやけに実際もそうだったんじゃないかと興味をそそる。自分の病院が嫌ならすぐにでも変更は可能であるのに、妙にその部分だけは従順でない秘書トマス(ジョーン・ヘイズ)の存在感に、勘の良い方はその後の展開のキーマンになつていることを予測できるのだが、ラストはやられたな。そう、このラストの軽いドンデン返しも含めて、大変良くできた作品である。まるで優等生のような映画の作り、二人の老人とその人生のサイドストーリーに正直その通りだと思うが、よくよく鑑賞を終えると、ただ、その連続なだけ。とても良く出来た作品なだけで、それ以上がない。(とても良く出来たものにそれ以上が必要なのかというツッコミは別として)

例えばこのふたりの役柄が逆だったらどうなったか。違和感で終ったか、それともこの二人だからもっと刺激的に演じられ、本当に人生はどんな人にとってもかけがい物なんだって伝わったんじゃないかって考える。つまりは、勿論役者ありきの映画なんだが、要するに、この二人を持ってきたから良く出来た作品で、そうでなければ成立しないところが逆にすごく怖い作品なのである。そんなの当たり前じゃないかって言われるかもしれないが、筆者が言いたいのは、だからハリウッドは今以上の映画作品を作れる「要素」が見つからないんだよって言いたい。最高の人生は見つかったのだから、最高の作品を作れる要素をもっと見つけて欲しいと思うのは偏屈な批評かなぁ。この作品では秘書 トマスの存在が大きい。台詞に関しても、彼が絡んでいるときは常に一言一言が巧みで次のシーン、或いは後半の部分を予測させてくれている。だから二大スターの共演も良かったがその部分を上手く繋いだ橋渡しとなった。きっと撮影中もそうだったのじゃないかと憶測できる。

もうひとつ、最後は金を使ったが、そうじゃなきゃ「最高の人生」が手には入らなかったんじゃないかって誤解を受ける作りである。勿論、エドワードの立場で言えば、最良の友を見つけた。そしてその友人のお陰で後継者も。勿論トマスがその後継者の後見人になることも含んでの終わり方は素晴らしい。しかし、カーターの方はどうだった。最後の一族の団欒が彼の望みだとするのはこの脚本からすると説明不足であり、かつ弱い。つまりは大学教授になりたかった彼は、最後に優秀な弟子を得たのであるというように理解しないとこのふたりの関係はイーブンにならない。しかし、それはちょっときつい言い訳だ。つまりは、この辺りの「辛さ」が、やはり今のハリウッド映画界の行き詰まりを象徴してはいないか。邦題だけで考えれば、フリーマンとしては「ミリオンダラー・ベイビー」役柄のほうが、人生の尊さを語っていると言えないか?

蛇足だが、カーターはあれだけ雑学(だけではないが)が詳しいのに無駄にしてきたという45年の中で一度もクイズ番組に出なかったのか? 出ていたら恐らくクイズ王になれたし今から出ても遅くなかったよなと、結構そう思った方はいなかった?それからエドワードの結婚遍歴って、ニコルソンの私生活と殆ど同じだっていうのにも笑った。そう、筆者はどうも他の人と違うところで笑っていたらしい。そうそう、輪廻転生のカタツムリの話は基督教徒のジョークとしては最高だ。

人生に優等生なんかいないのに、結果的に優等生な映画を作ってしまった部分が残念だが、兎に角良くできている作品であることは間違いない。ご覧になる予定の方は、是非、細かい部分にも拘って鑑賞されたし。


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by turtoone | 2008-05-17 22:11 | 映画(さ行)
b0046687_22441310.jpgポツダムといえば、フリードリヒ2世が建造したサンスーシー宮殿である。筆者が学生時代にまだ、東西の壁があった頃、このブランデンブルグにあるポツダムへの訪問はドイツにホームステイをした際に最も楽しみにしていたひとつであった。今ですら自由に行き来できる場所にあるものの、当時、東欧諸国に入ることは大変なことであった。勿論、日本人である以上この場所で何が行われたかということは当然知っている。しかし、それ以上に祖父は第2次世界大戦以前のドイツに留学して法学を学び、父は東側に入ることはなかったが、やはりこの国で医学を学んだ。そういう筆者にとってこの国には特別な郷愁がある。だからポツダムではバッハの名曲をウォークマンで聴きながら、只管、この宮殿の素晴らしさに酔いしれていた。

この作品はいわゆる映像作品としては実に良く出来上がっている。第2次世界大戦終戦直後のベルリンの街並みを見事に再現し、同時に全編をモノクロームで作り上げたにも拘らず美術のリアリティは素晴らしく、一瞬当時の映像ではないかと思わせる古めかしさも見事に表現している。美術だけでなく、出演人物もエキストラのひとりひとりにも凝っていて、世界の大勢を決める重要な会議を行っている一方で、町や人に現れる退廃的な表情を、特に対比させるほど嫌らしく、皮肉ッぽくなく、自然に流しているあたりは素晴らしい。ど頭のワーナーのロゴと音楽効果と共に、この映像全編は本当に細かいところへの執着が感じられる。ソダーバーグらしいと言ってしまえばそれで終わりなのだが・・・。

一方でこの作品はなぜか評価が低い。これは、公開当時から、殆どの映画ファンが共通して下していた評価であった。なぜだろうかと考えるとそれはこのストーリーにある。まず設定が難しい。いや、別に難しいわけではなく、この作品はどんどん難しくしてしまっている。公開当時この作品を「カサブランカ」や「ブラック・ブック」と比較している評があったが、全然違うわけで、だがそれは評した方が悪いのでなく、この作品を作った方が悪い。モノクロだから、第二次世界大戦だから「カサブランカ」と比較するのは決して悪いわけではないが、方や当時としては俳優も音楽も最高で芸術的に高い作品だったにも拘らず、この作品には、前述した高い技術点はつけられるものの、芸術点は評価するに値しない。そうでなくてもモノクロという日常と比べると「少ない情報量」に対して、鑑賞者はなにを見て満足するかというと、それはストーリーに他なら無い。にも拘らず、前半30分あたりでこの作品は突如、話の骨格を失ってしまう。そう、誰が
この中で最後まで生き残れるかがわかってとまうのである。これがもし、「分からせた」としたのなら、この監督は余程、この時代を舐めているのか、それともこの映像作品に技術点だけで勝負を挑んだかのどちらかである。まぁ、筆者にはどちらでも構わないのだが、まず、前者ではないと信じたいのは、このストーリーにあることは、「大した問題ではない」ということ。「ブラック・ブック」のヒロインとは境遇が違いすぎる。つまりは、簡単に言えば、鑑賞者を飽きさせるほど中身のない物語というわけだ。

また、俳優も余りよくない。特に、筆者が最近高い評価をして、ここのところ筆者の選出する「助演女優」の常連であるケイト・ブランシェットは、モノクロ映画にもかかわらず「綺麗に」撮ってもらえていない。大体この監督は女性を綺麗に撮ることができないことは知っていても、だったらケイトなんて使わないで欲しい。また、主要3人では唯一、俳優陣の中では光っていたトビーも可也早い段階で引っ込めてしまう。そんな多くのリスクを背負ったにも関わらずやはり最終的に何を見て欲しかったのかという作り手のメッセージは、「技術点」以外に、なにも伝わってこになった。なぜだか、そんなガッカリ感が、この作品を鑑賞した方の殆ど正当な評価だったので、全体的に低かったのだと思う。そういう筆者も非難しながらもケイトが出ていたから仕方なく?DVDをライブラリー棚に飾ってしまうのだと思うが。

原題の「The good german」で日本公開しなかったのも残念である。作品内容も含めて、この邦題では全然意味が違うじゃないですか?


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by turtoone | 2008-05-13 22:44 | 映画(さ行)
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久しぶりにハリウッドらしい、そして骨太で、ストーリーをはじめ、監督や脚本、役者は勿論のこと、音楽や美術、効果、編集に至るまですべてにおいて「気合の入った」作品を観せて貰った。総合芸術としての「映画」という名に相応しい、そしてまた、余韻を残さないラストなのに、作品の中に沢山の問題提起をしてくれた鑑賞であった。

公開前からアメリカンドリームの闇の部分という触れ込みがあったが、この作品の時代背景は、西部開拓時代が終焉し、アメリカ人は更なるフロンティアを海外に向けていかなくてはならない時代であった。最初にこの物語の主人公ダニエル・プレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)が金を採掘している1898年は、アメリカがハワイ王国を半ばなし崩し的に併合し、その領土を太平洋まで拡大した年と同じである。その後、スペイン領キューバの反スペイン暴動に便乗し、スペインとの間で米西戦争を起こしたが、この開戦には、当時普及していた新聞が、国民の反スペイン感情を煽動するという大きな役割を果たした。新聞によって煽動された大衆が戦争を要求した最初の例となり、ご存知のように、以降米国政府はこの情報戦略を積極的に利用した。米西戦争に勝利、中米を経済植民地とし、また太平洋ではプエルトリコやフィリピン、グアム島などを領有した。さらに、日本と西欧によって中国の分割が進んでることに目をつけ、1900年に清の門戸開放・機会平等・領土保全の三原則を提唱し、中国市場への進出を狙った。更にその後1905年に日露戦争の調停役を申し出るなど、国際的な立場向上を目指した。日露戦争に日本が勝利を収めたことから、西欧諸国の矛先は日本に向けられたが、米国も同様であり、「オレンジ計画」と呼ばれる対日戦争計画を進めることになる。そして、この時代に呼応するように、石油や電力を中心とした第二次産業革命が起こり、豊富な石油資源を持ったアメリカの工業力は英国を追い抜いて世界一となった。そして強力な企業連合体や独占体が成長し、エクセル、カーネギー、モルガン、ロックフェラーは一代で巨大企業にのし上がり、巨万の富を得た。その後のアメリカ経済は彼ら財閥によって動かされることとなるが、これがこの作品の「表側の時代背景」である。また石油採掘に限って言えば、ピークの時代はもう少し以前の1860~80年代で、機械堀り油井の発明が採掘に拍車をかけ、ロックフェラーがクリープランドで成功しスタンダード石油の設立が最高のアメリカン・ドリームであろう。ダニエルの時代は少し遅れている中で映画に出てくる油井も当時のものにしては少し旧式である。

そしてこの作品で筆者が最も注目した点は、この時代の「教会と布教」であり、特に「聖霊派教会」のアメリカにおける存在である聖霊派(せいれいは)とは、キリスト教の教派のうち、三位一体(父と子と精霊)の位格のひとつである聖霊の働きを強調する教派や集団の俗称である。元来はプロテスタントのホーリネス教会から1900年頃に始まり、結果的に分岐した教派であるペンテコステ派が代表として挙げられる。時代的にも丁度この頃、1914年にアッセンブリーズ・オブ・ゴッドが設立。キリスト教プロテスタントのペンテコステ派世界最大の一派である。ここにも野心的な牧師、イーライ(ポール・ダノ)を配して、もうひとつのアメリカの闇の部分を表現している。そして、この一見すると100年前の歴史上の出来事描いているが実は、現代米社会へり風刺と提言に満ち溢れた作品である。ダニエルの持つ自立精神は、この100年間に異常なまでに合衆国が執着してきた世界一の国家権力に相当する。目的のためには手段を選ばない。また拾い子ながらわが子と育てたHWの生い立ちとHW自身の決意はこの国の過去と将来を模索している。拾い子とは、多民族を現し、だが欲望のためには子孫も顧みることはしない。また自国の意に適わないものは制裁も辞さない。世代による考えの相違は常に繰り返す。宗教観も同じである。聖霊派を題材にはしているがたまたまこの時代の象徴だっただけで、要は現体制への批判が込められている。未だ戦争に終止符を打てないブッシュは、相変わらずキリスト教を楯とした聖戦を気取っている。彼のパフォーマンスとイーライーの降臨の一体どこが違うというのだ。

ダニエル・デイ=ルイスに関しては、「ギャング・オブ・ニューヨーク」で2度めのオスカー主演男優賞(この年「G.O.N.Y」からはディカプリオも同じく主演男優の候補になっていた)を確信していたが、前回は逃がした。一時は俳優をやめて靴職人になっていたほど、自分の納得した作品にしか出演しないので有名であるが、最初の受賞である「マイ・レフト・フット」以上の演技であった。また、ポール・ダノ(2役)も期待以上だった。そして、やはり、ポール・トーマス・アンダーソンである。「パンチドランク・ラブ」以来5年振りの監督作品であったが、兎に角視点が斬新である。今作品も正統的なアメリカ映画になってしまう内容であるが、そのハリウッドにある正統性を守りつつも、例えば最初の20分は台詞らしい台詞がなかったり、音楽の使い方やラストにも象徴される奇をてらう脚本構成は、彼の斬新さと、毎回映画作品に込められた問題提起を作品内で見事に終着させていると言える。言いっぱなしの映画作品が多い中で、彼の作品ほど、誰にでも理解でき、誰にでも自分の主張を明確に伝えるという監督は、映画が物語も含めて複雑にしようという動きとは全く正反対な取り組みとして、今後も高く評価が出来るものである。エンドロールで「ロバート・アルトマン」に捧げるとあったが、アメリカの巨匠に捧げる価値のある、高レベルな作品になったことは言うまでもない。

全編で音楽をジョニー・グリーンウッド(レディオ・ヘッド)が手がける中、筆者的にはブラームスのヴァイオリン協奏曲第3楽章という、クラシックでも十指に入る個人的に大好きな曲が入っていたことも加点対象となった。 「ミュンヘン」(2006年)以来2年2ヶ月ぶり、筆者的に特A作品である。


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by turtoone | 2008-04-27 23:09 | 映画(さ行)

シルク

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良質な卵を求めての極東への行程だから、シルクロードを通るのかと思ったら、とんでもないところを通って行ったものだ。

確かに孵化してしまわない様に帰路は寒いところを通るのは分かるが、行きはシルクロードでいいじゃないかと思っていたら、そうかこの時代は日本にはないがヨーロッパには1832年にフランス、1835年にはドイツにも鉄道が敷かれ、更には馬車なるものが普通にあった訳だ。これならもしかしたらウラジオストク迄よりも、そこから先の方が時間が掛ったに違いない。

しかし、相変わらず酷い時代考証で、この時代にロシアからフランス人が酒田に入れる事など、絶対にあり得ない。海とロシアを知り尽くした高田屋嘉兵衛(残念ながらこの時代にはもう亡くなっている・・・)でも出てくるのであれば、この密入国も可能だろうし、蚕の卵だって容易に手に入るだろう。第一、日本では「おかいこ様」とも讃えられていたこの貴重な生産物の大元を、如何に大金を積まれたところで、見ず知らずの外国人に手渡す事など考えられないし、どう考えても不可能である。更に、対ロシアという大国を睨んで、樺太や日本海側の方が入国が厳しかった実際を全く無視した内容だ。ペリーの来航以来太平洋側は何かと賑やかだったが、その分、ガードも甘かった。さらに言って(しまいたくないが・・・)この時代考証のズレは対日本だけでなく、実際にフランスとイタリアにカイコの微粒子病が大流行したのは、横浜が開港した1859年より後のこと。日本から国策としてカイコを輸出した後に、この映画の発端であるカイコの病気が始まっているのだ。つまりは、何故か知らないが、鎖国しているジパングでなくてはだめで、その国の山奥深くに居る美しい少女(芦名さん綺麗だが少女ではないよね・・・)は禁断の果実なんだという設定だけが必要だった作品コンセプトで、無理やり時代設定を最初から変えているのでどんどん無理が重なってきてしまったのである。

その無理を最後まで引きずってくれたのが、あの手紙なのだ。いやここまでやってくれたら最高である。当時あの形態の書簡がどうやってあの場所に届いた? しかしその疑問で、それを映画特有の騙しのテクニックの一つとして処理するか、待てよ、でも手紙が届くのが無理だとしても、あんな和紙のほうが、作る技術も流通している記録もないから、やはりルートに無理はあっても映画的距離間でやっぱとどいてしまうんやなぁ~と思うかは、自由だぁ~。そしてその疑問は(疑問を持つことは)正しくて、ラストに繋がる。ラストの前にひとつ言わせていただきたいのが「和紙」についてである。ヨーロッパに和紙が渡ったのは筆記用としてではなく、壁紙としてである。しかも本格的には明治時代になってイギリスから技術者が来日してからのことであり、それ以外に博覧会の展示程度である。おまけに墨。画材用として19世紀後半に一部の画家が使用をしているが、正式にヨーロッパに渡った記録はこの当時には無い。筆のことまで言うと限がないからやめるが、勿論、マダム・ブランシェが個人的に日本から持ち出したって? 鎖国しているんだからそれが一番無理だろう。兎に角こういう見方をしているとラストがどんでん返しでなくなるから面白いものだ。しかし、この原作ってベストセラー。わが国が世界に誇れる「おかいこさま」と「和紙」をこれだけバカにされて、「国家の品格」を失墜させるような作品に、日本の俳優が出ているという現実。だから日本の俳優さんって、教養とか学問の面で世界から下に見られちゃうんだよね。

今年は良い作品鑑賞が続いていたので、その反動を全部ぶつけたレビューになってしまった。反省アンド陳謝。

同じ時代考証ズレでも、「SAYURI」みたいに腹を抱えて笑った(私だけ・・・、いや実は家内も・・・)のと違って、どこかキーラもやる気のなさそうな演技だし、唯一、アルフレッド・モリナだけかな、鑑賞料を払う価値があったのは。そう、彼は「ダヴィンチ・コード」では司教の役だっただけに、アリンガローサに救って貰った(ってことは、私はシラスということか)鑑賞だった。


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by turtoone | 2008-01-29 22:26 | 映画(さ行)