暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カテゴリ:映画(か行)( 49 )

b0046687_1920848.jpg新しい映画の可能性を示唆したフランク・ダラボンとスティーブ・キングの傑作「ショーシャンクの空に」から待つこと5年。このそもそもはホラーなコンビの話題作である。「ショーシャンク」は刑務所が舞台だったが、本作品は更に突っ込んで、死刑囚収監所が舞台である。結構色々な体験をしている筆者ではあるが、この辺りに関しては全く接点が無い。最も、一般人の生活からは可也かけ離れた世界の話であるから、それだけ「好奇心」という純粋な期待は、こういう作品に対して最初から余計な偏見を持たずに鑑賞することが出来るから良いのかもしれない。

最近、特に思うことなのだが、映画に適している時間って、どのくらいの時間なんだろうかと考える。色々と意見があると思うが、筆者の経験からは90~100分くらいがベターだと思う。勿論作品の主題や内容によるから、この時間は一概に、そうとは言い切れない。というのも、どちらかというと筆者が高得点をつけている作品は、例えば「シンドラーのリスト」にしても「ダンス・ウィズ・ウルブス」にしても、或いは「ブレイブ・ハート」なんかにしても皆、180~200分と、先ほどの適切な時間といっている倍以上である。では、何ゆえ、高い得点になつているのかというと、もしかしたら、これらの作品には「2作品分」の楽しみがあったのかも知れない。それに、これらの作品は余り長く感じていなかった。今年の新作で言えば、「アビエイター」なんかは然程長いと思わなかったが、「アレキサンダー」「Ray/レイ」はやたら長いと感じた。ご存知のように、「アビエイター」と「アレキサンダー」はそんなにどちらも170分程度と変わらないし、「レイ」に至っては150分と少し短い。この「グリーンマイル」も180分を越える長い作品であるが、前述した高得点作品の様に然程「見所」が随所にあるわけではないが、なぜか全く「長さ」も感じないし、筆者の採点も高い得点である。だが、もう少し編集をきっちりつめれば150分に出来る内容でもあり、だとしたら「ショーシャンク」並の評価・採点、「特Aランク」の作品になったと思うと、その辺りは残念だった。

何かとどうしても「ショーシャンク~」と比べてしまうのだが、「ショーシャンク」がしっかり現実を踏まえた希望を主題に置いたのに比べて、表題作は何かと幻想に委ねた。大男コーフィの演じる癒しの治療シーン描写は現実では考えられにくく、又、この一件の始終に係わった、看守主任ポール(トム・ハンクス)のその後の境遇に関しても、残念ながら受け入れられる物では無い。但し、現実にあるファンタジーだと割り切ってしまえば、似たようなこと、例えば平凡な人が未来を予知したりとか、虫の知らせみたいなものの、(よく分からないが)もっと大きな物だと思えば納得できないところもなくはない。ただ、解せないのは、ラストに繋がる部分、看守主任のポールと、鼠に生命を託した部分。あの辺りの解釈も理解に苦しむ。例えば、イエス・キリストは、「復活」をすることによって人間を「越えた」。しかし神に近い存在になったかも知れないが神になった訳ではない。要するに、生命根源を司る存在にまでは成れなかった。しかし、このコーフィは、復活は出来なかったが、生命を与えることが出来た訳で、この辺りのキリスト教的な整合性が着かないところが今ひとつ、感動を抑えられてしまう点ではないかと思う。

役者について書くと、トム・ハンクスは、尿道感染症に侵されて放尿するシーンが最高である。勿論、他の演技も見事だが、この作品はこの表情に尽きる。オスカーにはコーフィ役のマイケル・クラーク・ダンカンがノミネートされたが、これは印象度が強かったからであろう。筆者にはなんといっても、パーシーを演じた、ダグ・ハッチソンの演技が群を抜いている。その憎々しさといい、又、内面の弱々しさといい、どの演技を取ってもこの演技巧者を揃えた作品の中で、最も見応えのある演技をしてくれた俳優であった。残念ながら、この後映画出演ではパッとしないので、近々に復帰して欲しいと望むのである。

所謂、「いいお話し」である。そして、このいいお話しは言葉では中々通じないので、映像で分かりやすくしてみましたっていう、そういう鑑賞の仕方が一番、的を射ているのであろう。


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by turtoone | 2005-11-26 23:28 | 映画(か行)
b0046687_23134496.jpgアメリカ制作のコメディ・ドラマであるが、所謂アメリカン・コメディでは無い。この「カレンダー・ガールズ」の作品化にも係わることとして、今、アメリカ映画界に蔓延している病巣として現代社会を描いた「フィクション作品」が著しく減少している。映画界だけの問題では無いが、これは一大事だと思っている。フィクションというとどうしても未来・ファンタジー物が殆どで、現代物は少ない。勿論、原作となる作品が書かれていないという問題もあるかもしれないが、これは筆者の年代から以降に、それだけの創造力が育っていないという部分にも関与してくるのではないか。そう、このテレビの申し子世代の人間は、イマジネーションというカテゴリーをそっくり削り取られたに等しいと言えるのである。例えば、桃太郎を創造した時その姿は様々で、ある人間は190センチの大男で大太刀を天から振り落とす勢いで鬼を一刀両断のもとに切り捨てると思う人がある一方、いやいや、桃から生まれたというほどだから、小さく145センチくらいの男(一寸法師が混ざったりして・・・)で鬼たちの間をすばしこく切り抜け成敗したと思い描く人間もいるだろう。さらには家来たちに至っても、犬は柴犬や狆などの伝統的な日本の小型犬だと思ったり、いや、「花咲か爺さん」のポチ(シロという節も・・・)が混ざって白い犬だったりしているが、これらはどれも間違いでない。ところがどうだろう「ドラえもん」いったら、下は一昨日やっと言葉を話せるようになった幼児から、上はお年寄りまでの内、恐らく9割以上の人は、丸顔で四次元ポケットを装着した愛嬌あるネコ型ロボットの顔を思い描くことができる。そう、これが視聴覚の強さであり恐ろしさである。現に筆者もピーターパンといって、幼少のころ枕元で聞いたジェームス・バリでなく、ディズニー・アニメのティンカー・ベルを真っ先に脳裏に浮かべられるのもこの視聴覚支配力の恐ろしさである。つまりはこういう世代から新しい創造が生まれる確率は極めて低い。

「カレンダー・ガールズ」の元ネタがフィクションでないと知ったときも、この視聴覚世代の影響を強く感じた。ひとつは、この如何にもフィクションらしい発想であるが、本当に誰もこういう設定で小説を書いていなかったのかということである。しかしどうだろうか、もし、このストーリーを書いて現代の編集者に持ち込んだり、小説の新人賞に応募したところで、恐らくデスクには上がらないし、文学賞もバイトの下読み者段階でボツにされてしまうだろう。或いは、テレビメディアの脚本賞にも該当する内容では無い。つまりは誰かが書いていたかもしれないが、現代では誰も相手にしなかったということだ。これは、審査する輩も最早視聴覚世代だから、この原作の「ババアのヌード?」というだけでそれに美的イマジネーションを感じることが全くといって出来ないのである。まさに貧困の病巣である。日本でも、恐らくこういう発想の出来る様な人は年代的にも筒井康隆センセイぐらいで、それも筒井センセイが書いたから価値があるようなものであろう。本当にこの作品のことだけでなく、フィクションの未来は暗い。宇宙モノ、ヒーローモノ、大作ファンタジーはどんどん大袈裟になるし、一方で現代モノは、現代の中で処理することができず、「精神」・「霊魂」・「近未来」といったレシピを加えることによって悪戯に終着点を誤魔化すか、或いはミステリーやサスペンス、更にはホラーの様に入り口からして無理な設定を植えつけることによって、その時代背景としての現代を表現するに留まっているのみである。悲しい現実である。

作品で一際輝いているのは、ジュリー・ウォルターズである。「リトル・ダンサー」のウィルキンソン先生であり、「ハリー・ポッターアズカバンの囚人」のロンのお母さんである。また彼女の親友役でもあるヘレン・ミレンを初めとしたイギリスの良い俳優さんがたくさん出演しているのも特徴。さらに、物語をより強く印象づける大地の景色が見事である。この大自然にはぐくまれた小さな町だからこそあった出来事という部分が強調され見事に表現されている。そして、フィクションにありがちな「妙なコンプレックス」への展開がなかったことに、更にこ物語の完成度の高さを感じる。「事実は小説よりも奇なり」の「奇」は、この場合フィクションだったら余計に話を発展させて最初の発想を台無しにするところが、適当なエンディング(勿論、事実としての彼女等の功績と募金額は素晴らしい)でラストを抑えた「事実の勝利」という「奇」であった。


より事実の様なフィクション作品に期待したい。そしてこの作品もそういう意味で映画好きにはレンタルで十分なので、ご覧いただきたい一本である。


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by turtoone | 2005-09-18 23:28 | 映画(か行)
b0046687_1118486.jpg世間は休みモードに入っているが、筆者は何と無く落ちつかない日々である。シアター作品鑑賞も一段落、8月27日公開作品からまた少しに賑やかになって来るので、こういう機会に少し自分のコレクションに関して纏めて鑑賞してレビューを記録してしまうと考えた。夏休み(休みでは無いが)の自由研究みたいなもんだ。そこで最初は、特に理由は無いがラッセ・ハルストレム監督作品特集。彼の作品は色々と考えさせられるところが多いのと、見るたびに鑑賞者のその時点のスタンスで、感動が変わってくる部分を強く感じることができる。そう「新たな発見、新たな出会い」である。そうはいっても、彼の作品をこんな形で記録するのは始めて。大概が一言メモしか残っていない。この「ギルバート・グレイプ」に関しての一言は「出演俳優が皆素敵、特にディカプリオは将来的逸材」と、これは上映当時の感想でそう書いてある。ディカプリオの演技に関してはこのブログでも度々触れているが、確かにこの作品最初に観た公開当時は、本当にその症状を持った俳優と思ったくらい(それ以前の彼の出演作品を見たことがなかったので・・・)である。その後、彼は本当に「役柄」を研究している熱心な俳優である。ジョニー・ディップに関しては、「プラトーン」、「シザー・ハンズ」で既に知ってはいたが、以前にも書いた通り、ディップの俳優としての良さを発見したのは、お恥ずかしながら最近だから、この鑑賞はそういう意味でも「新しい発見」が出来ると期待していた。

今回、この作品鑑賞で感じた点はふたつある。ひとつは、「青春の旅立ち」である。ジョニー演じるギルバートは、グレイプ家の次男であるが、父の他界とそれに伴う母の変貌、長男の逃避、そして弟の精神疾患等に献身的な努力をしている反面、現実はそれを理由に自分を偽っている。しかし、ベッキー(ジュリエット・ルイス)との出会いや、彼を取り巻く環境の変化、母の生死を掛けた大英断で、結果本当の自身を求めて旅立つ。そう、前向きに生きなければいけなかったのはギルバート自身であるということを家族や廻りの環境から教えてもらう。失うものは大きかったが、それはすべて、自分で築いた物ではなく与えられた物であることの本質を身心に培ったギルバートが一段と大きくなって本当の人生に旅たつという話である。過去にも色々な「青春の旅立ち」ドラマは見てきたが、これほど力強く、且つ、これほどひとりの人間を追及し、説得力のある内容は他に例がない。

もうひとつは「アメリカ」という国家である。この国は大きな括りで言うと「合衆国」という多国籍民族の集まりであるが、しかしそれがイコール「国家」ということでは無い。本当に国家を形成しているのは、この小さな町で起こっている様な「依存」である。誰かが誰かに必ず「依存」しているサークルであること。ギルバートは「アニー連れ」を条件によろず屋で働いている。大型スーパーが出来ても、よろず屋は「お得意様」で持っているがそこには買い物以上の顧客サービスがある。更にそのサービスを受けている旦那からはそのバーターとして、保険加入を勧められる。(一方で友人には葬儀屋もいる) そういう日常に常に疑問を感じている部分が、例えばギルバートの「家の改築」という部分にも現れている。そこに、まったく依存性の無いベッキーとの出会いにおいて、彼は補強ではなく再建を考えていく。さらに付け加えれば、このひとつの家族を通して、家族という最小単位の集まりが合衆国国家を形成していることを強調し比較している。

この二つの部分がクライマックスのギルバートの大団円に繋がるところで、この作品は最大の感動を呼び起こす。この、主人公のみの内面描写だけに集中せず、廻りの人間関係の表現を、巧みな台詞回しと連繋、それにちょっとした行動や仕草を用いて因果関係を顕わにしていく手法は、この監督の独特且つ、秀逸な部分であると考える。

演技的にはディカプリオだけでなく、出演者の誰もが自身を演技的に代表する作品であるが、これは監督と作品のコンセプトがしっかりしているからである。映画ファンなら一度を観て欲しい作品である。


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by turtoone | 2005-08-14 23:39 | 映画(か行)

ゲロッパ! ~My Collection~

b0046687_110160.jpg井筒和幸監督といえば、「ガキ帝国」でメガホンを取った当時、深夜番組で「これからの日本のあり方」的な討論を島田伸助と共にしていたときに、表向き過激な発言している割に最終的には保守的な人だなぁという印象があった。但しその放送中、当時「なんとなくクリスタル」を引っさげて文壇に輝かしいデビューをした田中康夫現長野県知事に関しては、彼のコメントひとつひとつに敵意を抜き出しにしていた姿がいまでも印象的だ。当時は、好き嫌いは別として「なんクリ」で新しい文学の潮流を志した一橋大学生田中氏に対して、能書きの割には作品の程度が今一であることと、だったらこんな閉鎖的な日本みたいな土壌で映画制作なんかしなければ良いのにと、氏の才能をこの段階では見極めることができなかった自分が懐かしく思う。井筒氏の作品に関しては、その後「岸和田愚連隊」まで、その類い稀な才能に筆者が気がつくことはなかった。逆にいえば、最初の段階で井筒氏のインプットをしていなかったので、例えば「二代目はクリスチャン」等の、当時、メジャーの広告宣伝に乗っかった邦画作品として一纏めにしてしまい、公平な視点で評価をしようとは考えられない中に入れてしまった。要するに井筒監督作品の評価に象徴されているのが、筆者が邦画に対して持つスタンスの一番の「失敗例」である。

今回、改めてこの作品を鑑賞しようと思ったきっかけは、「星になった少年」ですごい演技をしてくれた常盤貴子である。彼女の映画出演作品は少ない一方で、とても印象的な作品が多いので、見方によっては圧倒的に出演の多いテレビよりも、映画女優だと思ってしまう節がある。勿論テレビでも衝撃的な役柄の「悪魔のkISS」から始まり、「ビューティフル・ライフ」、「カバチタレ」等、彼女は色々と作品にも恵まれている。恵まれているが故に、中々「女優」としての正当な評価をされにくい点も、逆に彼女には不利な面もあったと思う。「綺麗な女優さんだけど、演技はどんな役をやっても同じ」というというのが、彼女の一般的大多数の評価である。「星に~」での母親役は見事であったが、その瞬間に筆者は「ゲロッパ」でも母親役をやっていた事は一切忘れてしまっていた。それほど、「星に~」の演技は今後の彼女の役者人生の中でも大きな転機になるのだと思う。

作品に戻ると、ヤクザといい、音楽といい、青春グラフィティっぽい要素の含みといい、井筒監督の得意分野を終結した様な作品で、公開当時にも中々脚がシアター向かなかったのを覚えているが、予告編でJBのそっくりさんを本物の出演と勘違いして、観にいった覚えがある。西田敏行の演技は別格としても、このとき印象に残ったのは、子役の大田琴音くらいで、演技的に事を言えばストーリーに泣かされることはあっても、演技に泣かされる部分は、少なくとも常盤に関しては無かった。そしてそれは今回も同じであった。

それよりもこの作品ストーリーに少し触れると、こういう作品の流れというのはどんなものかと思う。つまりこの作品の着眼点は面白いが、最初に「出口」を作ってしまっているストーリー展開だけに、作品へ入り込めない。物語の始まりは親分の長期拘留を機会に思い残すことがふたつあり、そのひとつが別れ離れになった実娘と、もうひとつがJBのコンサートであるというが、いずれもそんなことは「昨日・今日」決まることでなく、何で直前になってそんな話になるんだろうという「動機の根拠」が足りない。更に、可也早い段階から首相なる人物が登場して、エンディング・マジックが予想されてしまうこと。ようするに、最初から出口に向かってストーリーが走っているために、出演人物それぞれのエモーショナル・ラインが確立されていないまま展開してしまった。唯一、そのラインが明確だったのは、前出の子役、大田琴音ちゃんが演じた、親分の孫娘役だけであった。だから、彼女の演技がやたらと印象に残ってしまったのである。しかし、それでも今回「泣いて」いるというのは、もしかしたら常盤効果なのかもしれない。この辺は分析が難しい。

又、邦画ならではの不要シーンも多すぎる。借金取り、タクシー運転手、フィルム受取人のシーンというのは、わざわざそのシーンの為にビッグネーム俳優をそれぞれ使っているにも係わらず作品の展開上全く不要なシーンである。このシーンをカットして、冒頭の希薄な動機付けをもっと丁寧に描くべきである。平均点なのかも知れないが、この作品で「良し」としてしまうようでは、残念ながら邦画の将来は暗い。

そういえば、プライベートの常盤貴子に通じる部分でいえば、長塚圭史さんはどんな人か忘れていたのでそれを確認できて良かった。

最後に筆者が「常盤貴子」に他の俳優よりもやたら思いを馳せるのはごくごく単純で、誕生日が同じだからである。有名人・著名人の誕生が大変少ない日なので余計である。これが筆者における「常盤効果」なのかも知れないが・・・。


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by turtoone | 2005-08-13 22:12 | 映画(か行)

コーチ・カーター

b0046687_20383117.jpg
この世の中には、何かを成し遂げた者にしか行き着くことの出来ない世界というのがある。世界というよりも境地という言葉の方が適切かもしれないが実は良く分からない。映画「ザ・エージェント」で、プロアメフト選手のロッドが「クワン」という単語で表現している境地。クワンとは報酬だけで得られる境地ではないが、言うなればこれが最も近い世界かも知れない。日常で言う、「達成感」の最高のランク、最大レベルにあるものであろうか、勿論、筆者には体験の無い世界である。そう、この作品は「文武両道」なんて言葉で現せる次元ではない場所へいざなう、カーターは導師なのである。そういえば、ケン・カーターを演じるサミュエル・L・ジャクソンは、「スター・ウォーズ」ではジェダイ・マスター、いわば指導者であり導師の役であったが、あのシリーズでは新しい可能性を認めようとしないもどちらかというと保守的で、余り、導師としての存在感はなかったが、その代わりかどうか知らないが、この作品での存在感とその教え導く姿はヨーダに近い。

勿論、スポーツモノであるから、それなりの轍は殆どすべて踏んでいる。脱落もするし、戻る時にはドラマもある。恋もあり、従って悩みもあり、そして自惚れも油断もある。バスケットというチーム・プレーだからこそという連帯感も備わって来るのも大事な要因だ。しかしながら、今までのバスケ映画(スポーツ映画)と明らかに違う点がふたつあった。

ひとつは音楽である。全編に流れるのはHIPHOPである。これは学校のある街、生徒の置かれている環境を表現するのにはとても効果的に使われていた。台詞もリリックが生徒たちの日常の会話に用いられている点を表現する場面もあり、音楽が所謂、「効果としてのBGM」でなく、文化的要因として舞台設定の土台のひとつに使われた点は高く評価できると同時に、ストーリーをより分かり易い物にしてくれた。

もうひとつ、これは文章だと余り伝わらないかもしれないが(鑑賞すれば言いたいことはすぐ分かって頂ける)、エンディングの部分である。「シュートを放つまでは一緒だが、しかし・・・」というストーリー。その後はご自身でお確かめ頂きたいが、言うなれば、クライマックスがシュートとイコールで無い。そう、クライマックスはもう少し手前にある。だからこれでも良いし、感動する場面は既に終わっている。感動の場面をシュートの前後に持ってきている。これは、事実に忠実だからというだけでなく、スポーツ物が、クライマックスで感動し、そのままエンドロールという最後にどっと畳み掛けて終わりというだけでなく、この作品の様に、感動を前後におくことで、実話であるところを強調し、且つ、最も映画を通して言いたかった余韻というのを観客に保持してもらう効果を生み出した。当然、この余韻が会場が明るくなっても残っていた。この最後の作り方、筆者は高く評価したい。

良く例に挙げるが、このタイプの作品で最も完成度が高いと筆者が評価するのは「ヤング・ゼネレーション」であるが、あの作品も最後は畳み掛けてしまい、いわば「勝利」に酔いしれ、作品の主題を最後に喝采の中にうやむやにしてしまった。あの映画もこういうラストの纏め方にすれば、感動の余韻をもっと残せたと思う。

昨日はバンド映画で、本日は、筆者的に言うと、その前にやっていた部活である「バスケット」が題材だ。実は我々も母校では20年ぶりの全国大会へ行った。そして、この作品と同じ様なラストになった。しかし、こんなコーチは居なかったし、こんな指導は受けられなかった。なぜなら、我々はロッドのいうところの「クワン」には遭遇できなかったからである。


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by turtoone | 2005-08-10 21:44 | 映画(か行)

皇帝ペンギン <吹替>

b0046687_17291539.jpg
生物の進化の過程を習った時、鳥類と哺乳類の違いは本能と理性だと教わった記憶がある。しかし、この映像を見る限り、この皇帝ペンギンたちの一冬の行動はとても「本能」だけでなせる業だとは思わない。序ながら、その「理性」の中でも人間が他の哺乳類より強いものが「愛」だと習った記憶がある。だとすると、この混沌とした社会を構成してしまう要因のすべては「愛」の仕業であり、逆に言えば「愛」なんて物が強いばかりに地球環境に多くの弊害を生んでいるのかもしれない。

東京も、連日真夏日で、自動車のインパネメーターに装備されている温度計は、極端かしれないが39度を示していた。こんな日は体の内部から涼しくするしかない。かといって最近は「恐怖感」に関して以前より麻痺しているので、「怖い」系ではそんなに涼しくなれない。という訳ではないが、「皇帝ペンギン」の鑑賞に至った。実は、近隣では<吹替>しか上映していなかったのだが、ブログのお陰でこの<吹替>は評判が悪くないので筆者の背中を押して貰った感じである。以前の筆者だったら情報収集が足りないから見送っていたところを、ブログの効用はこんなところにも出ているのが有り難い。吹替としては石田ひかりが少し気になったが、この程度は想定内のことなので猶予はあった。

大自然と動物との係わりを実写しようとする構想と、その実現に関しては脱帽である。であるが故に、作品としての構成と最後の仕上げに関しては幾つか気になる点があったので報告させて頂く。まず、この<吹替>に関しては、本当に「純粋な日本語訳」なのかどうか? つまりはこの大自然の記録作品のペンギンたちをどうして「擬人化」する必要があるのかは不思議だ。「子供向け」だから? だとしても、それは映画の間口を狭くする以外に何の効果も生まれない。ドキュメントというジャンルの作品が増えているが、一方で、ドキュメントではなく、ノンフィクションという名前のフィクションも多い。勿論、この作品も撮影の過程で生まれたストーリーがあるかも知れないが、純粋に筆者は、ストーリー化や擬人化は余り関心しない。ナレーションはシンプルに、そう、「シルクロード」的な取材報告がベストだと思う。スクリーンに映されているペンギンが夫婦とか親子とかそうでないかとは、鑑賞者が各々判断すれば良いと思う。

もうひとつ、<吹替>は悪くなかったが、この3人の声(というか日本語というべきか)と音楽に微妙な違和感を感じた。映像と音楽でいい感じになって来ているところへ挿入される「日本語」が、ガクンとその雰囲気を起こす部分もシバシバあった。改めて<吹替>の難しさを感じた。しかしながら、「サシスセソ」が言えない元アイドルや、声に抑揚の無い美女タレントが、ネームバリューだけで吹替えをやっている外国作品に比べたらずっと良かったが・・・。

大事なことで言えば、子供向けの作品というのなら、幾らペンギンであっても「死」を描写してしまうのは如何なものだろうか。上映客の半数以上は小学生だったが、彼等に「死の映像」を受け止める準備があるのだろうかと心配した。大自然の厳しさや現実を描くのは結構であるが、それは、理科の教科書の書体や、母が夢枕で話してくれるものと違い「想像」が無い。言い換えれば映像の持つ力の大きさに対しての免疫力が不足しているとも言える。これは映像の功罪でもあるが、昨年までピカチュウを観て、想像力の芽を間引かれていた子供たちには少々刺激が強すぎる映像の暴力だとも思えてならない。

映像が「現実」だけに、作品としてはストーリーを作るよりも寧ろ、色々脚色をする必要があることを強く感じた。


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by turtoone | 2005-08-08 19:03 | 映画(か行)
b0046687_16191959.jpg昨年から一時期静かなブームとなった「スペクタル史劇」の火付け役となった作品である。筆者の評価も大変高い作品なのだが、果たしてちゃんとレビューを書けるか余り自信が無い。

そこで、この映画の素晴らしい点を幾つか上げる。まず、「ローマ」であること。"すべての道はローマに続く"様に、やはり歴史映画の原点はローマである。「クレオパトラ」、「スパルタカス」、「ベン・ハー」と過去の歴史大作と言われるものはローマを描いたものが多い。そして、ローマ帝国を、権力の側からでなく、民の側から見た。これは、ある意味でベン・ハーもスパルタカスも一緒であるが、この作品は一人の男の復讐に終始した。勿論、前2作も「復讐劇」であるが、この作品の様に、のっけから愛するものは「家族と土地」を印象づけるシーンが出てくる作品も珍しい。要するに、舞台はローマ時代においているが、本質は時代に係わり無く人間の執着と欲望は尽きない点を、どの階層の人間も同一であるという視点を持って描いている。つまり、ここに出演する人物はエキストラも含めて、「物事に執着する」、「尽きない欲望」を表現している。それは王冠であったり、権力であったり、決闘であったり、自由であったり、愛であったり、様々である。

「ローマ」、「民衆」、「執着と欲望」とあって、もうひとつの決め手が「戦い」である。この作品は数々の色々な「戦いのシーン」がある。戦場での戦い、コロシアムでの見世物としての戦い、そして、プライドを賭けた一対一の戦い。勿論、目に見え、拳や刀を振り上げる戦いもそうであるが、そうでない自己との「形の無い」戦いは全編に繰り広げられている。そして、誰もが言うのが「真のローマの姿に・・・」である。そう、彼等はすべて「皆のためのローマ」のために色々な戦いをしているのである。そして、それをもっとも表現し易かったマキシマス(ラッセル・クロウ)という人物を軸にして、様々なローマの人間の苦悩を描いたのである。この土台の構築は見事に的中したと言える。

ここで、世界史について少し触れておくと、ここに登場するコモデゥスという皇帝(ホアキン・フェニックス)は、所謂、マキシマスの敵役でもあるが、彼の父は、マルクス・アウレリウス(リチャード・ハリス)であり、要するに五賢帝の最後の皇帝である。史実では、五賢帝は代々実子を後継に選ばなかったが、彼だけは「不肖の実子」を後継に選んだことで後々、現代においてまで可也非難をされている。要するに本作品では、コモデゥスが父を暗殺することによって、この後継選びは偉大なるアウレリウスの本意と違うことを暗に示しているが、筆者はこれには異論がある。コモデゥスは、父帝の在職時期から「共治帝」といういわば後継としての役職についており、この映画のストーリーの様に、父を暗殺する必要もなかったし、マキシマスにコロシアムで倒されることもなかった。しかし、彼を皇帝という「ローマの象徴」という描き方をしたかったがために、すべての「ローマの功罪」を彼に被せたというのが、前述したマキシマスを軸にしたローマ人の苦悩とリンクした作品の主題であろう。

余談だが、この作品で興味深いのは、コモデゥスの姉ルッシラの扱いで、史実では182年のコモデゥス帝暗殺未遂で疑いをかけられ、追放、処刑されているが、作品は全く逆の立場を取り、彼女の息子ルキウス(アウレリウスが最初に共治帝に任命し、後に病欠した父と同じ名前)が即位したと言っている。要するに、この作品では前述のように、ローマの民が、ローマに最も相応しい皇帝を、ローマの民意を結集(コロシアムという場所で)して選出したというひとつの柱に拘った。アウレリウスが犯した「歴史の間違い」をこの作品で「ローマ人が」正したというのであろうと解釈する。筆者はローマの末裔でないから、史実を云々言う積りは毛頭無いが、このストーリーは筆者のこのレビュー文章と違い、大変ローマを理解しやすいと思う。

リドリー・スコット監督について、彼の代表作というと、人によって「エイリアン」だったり、「ブレード・ランナー」、「テルマ&ルイーズ」だったり様々であるが、それは彼の多才な面の表れであると思う。ただ、この作品がオスカーで作品賞を取りながら監督賞を取れなかったことには憤りを感じる。(しかも、受賞したのがソダーバーグの「トラフィック」なので・・・)筆者にとっては、リドリー・スコット監督がどうこうでなく、この「グラディエーター」という作品を生み出したコンセプトとその表現力、表現手法が素晴らしいと思うからである。

撮影技術も美術も素晴らしい。勿論、ラッセル・クロウ、ホアキン・フェニックス(彼もまた、助演男優賞を取れなかった。「トラフィック」のデルトロだけに理解し難い)の演技もであるが、それは、到底筆者が文章で表現できることではないから、是非作品を観て欲しい。実は、筆者も是非、スクリーンで再演して欲しいと、密かに幾つかの名画座にリクエストしているのである。

最後にこのDVDのジャケットのラッセル・クロウは頂けない。折角良い作品なのに、このジャケのせいでショップで手にとっても全くそう思えないので・・・。


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by turtoone | 2005-07-25 18:20 | 映画(か行)
b0046687_7421764.jpgキャットウーマンという響きから、筆者は当然の様に、イコール「セリーナ・カイル」だと思っていたが、そうか、あれは「バットマン・リターンズ」のキャラとしてであって、所謂、「キャットウーマン」というのは猫女であって、本作品ではその「猫女」のストーリーであった。どうも事前情報で、企業の秘密を知ってしまって殺害されるという辺りがバットマンのそれと全く同じ構成なので、ついつい勘違いしてしまい、ハル・ベリーがペイシェンス・フィリップスという役名で出ていた時には少々戸惑ってしまった。勿論、この作品にバットマンが出てくるなんて勘違いは最初からしていないが・・・。

しかし、逆に大変興味深い内容であった。特に、冒頭のタイトルバックや、劇中でも猫女の検索をしているシーンには影響を受け、自分でも色々な単語で検索してみたが、日本語サイトは、この作品に関する物と、猫愛好家の個人ページしかヒットしなかったが、英語検索だと、中々興味深いサイトを探すことが出来た。一本の映画作品を見終わった後に、その作品の背景についてこれだけ資料を探したのも珍しい。そして、これは筆者の様に、キャットウーマン=ミシェル・ファイファーという方程式が出来上がっている人間にとっては、冒頭からこれを打ち崩してくれたお陰で、より、この作品自体と同時にハル・ベリーという女優を客観的に見ることが出来た点は作品のコンセプトさながら、演出が際立った点だと思う。個人的にはハル・ベリーは、キャットウーマンのコスチュームもを装着したときよりもも生まれかわって短髪にしたペイシェンスを演じているときが一番格好よかった。この女優さんは来年40歳になろうというのに、歳を感じさせないそのパワーとチャレンジ精神に高い敬意を表したい。「ソード・フィッシュ」ではその健康的な美脚を披露していたが、残念ながら今回はあまり生あしが見られなかったは残念。それに引き換え、シャロン・ストーンは頑張り過ぎ? 本作品の彼女は観たくなかったというのが本音。こちらは当年47歳。気持ちは分かるのだが「氷の微笑」で止まっている筆者としては、「デブラ・ウィンガーを探して」で自己反省していたはずではなかったのかなぁ~と、これは筆者の認識違いだろうか。

それから、ベンジャミン・ブラッドはやはり「デンジャラス・ビューティー2」に出演するべきだったのはないかと。勿論、この役も素敵だが、こっちは彼でなくても幾らでも代用が利いたのに、あっちはやはり出て欲しかったと思う。ヒロインが少しでも若い方を取ったのか? 失礼、これは男としての勝手な感想、いや、レビュー記事である。

という訳で、作品そのものよりも、その周辺に色々興味が行ってしまった点をひとつ指摘するとすれば、折角、「猫女」を前面に出して作品に厚みを持たせようとしてのならば、最後までそれを踏襲して欲しかったと思う。特に、監督は「ヴィドック」のピトフ。そもそもは「エイリアン4」等で、ヴィジュアル・エフェクトを担当してきた映像クリエイターで、監督デビュー作の「ヴィトック」ではフランスのヒーローを心理描写も交えた興味深い作品に仕上げた秀逸な才能の持ち主。だからではないが、余計に、猫女のサイドストーリーを中途半端でなく、前面に描いて欲しかったと思う。次回作があるのならその部分に期待するが・・・。ただ、一映画ファンの希望としては、この「猫女」の伝承については、このシリーズとは別でも構わないので、是非一度総括作品を期待したい。

この作品、ラジー賞を受賞しているのだが、作品賞は「猫女」の中途半端な考察が授賞理由なのかも知れないが、どう考えてもハル・ベリーより、シャロン・ストーンの方が受賞に相応しかったのでは・・・?


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by turtoone | 2005-06-25 08:54 | 映画(か行)
b0046687_16361284.jpgウィザースプーンという苗字は大変珍しいと思ったら、彼女の先祖18世紀のアメリカの教育者で、独立宣言にも署名した人だと言う。詳細は不明だが、恐らくイギリスから渡って来たのか、それともその子孫かは分からないが生年が1723年というのは微妙である。リースの両親はそれぞれ医師博士号を持っている人たちで、アメリカ的には大変由緒ある家の出身である。それがどうかは分からないが、この作品の役柄でも、決して嫌味な感じがひとつもしないのは、「育ちの良さ」であると思う。正直なところ、彼女が現在全米スターの中でも十指に入るというのは、その風貌からは理解できなかったが、この作品に出でいる彼女を見て、最初は理由が分からなかったその特異な存在が、後々から前述の「育ちの良さ」に結びついたのである。

このシリーズ(続編があるので・・・)でも、その育ちの良さというのを随所に感じることが出来る。例えば、洋服の着こなしの良さである。勿論これは美術班のスタイリストがついているのだからと思うかも知れないが、これだけ一流ブランドのすべてをまるで一点物のように着こなしてしなう人もそんなに沢山いない。これは持って生まれた天分でもある。又、役どころも「お嬢様」であるが、その「お嬢様」を演じることに全く無理がない。板についているのである。彼女はこの作品の続編と前後して「メラニーは行く」にも出演しているが、役どころはこの「キューティー~」シリーズの方がずっと良い。「氏より育ち」という言葉があるが、彼女の経歴がそうであるように由緒ある先祖で、両親も立派で裕福な家庭に生まれただけでなく、その中で彼女なりの生き方を貫き、一族にはコネクションの無い世界で自己を高めてきた。その辺りの「育ち」が、特にこの作品とはオーバーラップするので、コメディ作品でありながら、リースの魅力を十二分に感じることが出来るのだと思う。

この作品はストーリーも単調で作品の構成的な部分では見るべき物は、続編よりはましであるが何もない。しかし、例えば、彼女のファッションの着こなしであったり、アクセサリーや持ち物などがとても凝っている。コメディで、こういう部分を見れるというのも面白い。但し、この作品のコンセプトを支えているひとつの「ピンク・カラー」に関しては、続編も含めて個人的には全く頂けないのであるが・・・。


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by turtoone | 2005-06-20 23:32 | 映画(か行)
b0046687_13545964.jpg昨年末の忙しない時期に劇場公開された作品であったために、見落としてしまったが、DVDで鑑賞して今、本当に後悔をしている。しかしながら、近々、名画座・早稲田松竹「ビヨンドtheシー」との2本立ての上映があるので、これは見逃せ無い。

兎に角この作品は一言では語りつくせない要素と映画の枠を超えた実験的な試み等、類い稀な作品である。まず、ジャンルが多岐に渡っている。コール・ポーターという1920年代から音楽シーンで活躍したアメリカを代表するミュージシャンの伝記である。しかし、単に伝記映画という訳ではなく、やはり音楽家なので当然、音楽のシーンは必須である。だが、例えば、前出の「ビヨンドtheシー」とも、「Ray/レイ」とも、はたまた「アマデウス」とも違う。なぜかというとこの作品はミュージカル作品でもあるからだ。過去の音楽家の伝記はミュージカルの要素を取り入れたものではない。そのミュージカルの部分でも、様々な実験をしている。更に、崇高なラブ・ストーリーでもある。しかし、これもラブ・ストーリーの枠には到底収まらない人間の存在意義を世間に問うという哲学的なテーマが介在している。要するに、色々な部分を採ってみても、特定の枠内に収まるものではないという作品である。

この辺りのことをズラズラ書いていると、この記事も収まりきらなくなってしまうので、まずは音楽の部分を紹介すると、この作品に出ているミュージシャンのすべてが素晴らしい。ナタリー・コール、ロビー・ウイリアムス、エルビス・コステロ、アラニス・モリセット、シェリル・クロウ、キャロライン・オコナーそれに、ダイアナ・クラール。名だたる音楽フェスでもこれだけのアーティストを集めるのは難しい筈なのに、この作品では、これらのミュージシャンを更に脚色し、彼等の持つそれぞれのオリジナリティーに加え、コール・ポーターの要素と、プラスこの作風に即したアレンジをどのアーティストのシーンでも見事に完成させた。そういう意味では映像的大実験の成果である。本当にすべてのアーティストのシーンが見事だが、筆者として、やはり全く新しい側面を見せたアラニス、そして何をやってもエンタメ的には確立しているコステロのテイクは芸術という表現に相応しい物である。

この作品そもそもは、アシュレイ・ジャドが出るくらいしか筆者の認識はなかった。それに主役がケビン・クラインだから、演技巧者たちの玄人好みの作品になるのだろうと、そんな程度の認識だったので、昨年末も見逃したのである。勿論、この二人はまさに演技巧者であるが、まずアシュレイはこの時代にピッタリ。というか、この作品をモノクロで観ていたら、本当に1930年代の作品だと勘違いするであろう。アシュレイには往年の名女優の風貌がある。もう、彼女は今後もこの路線だけで行ったらどうかと思う。1930~1940年代に撮影された素晴らしい映画がたくさんあるが、その名画リメイクを今のアシュレイなれば演じきれて、しかもオリジナルより素晴らしい映像がスクリーンに映しだされるのではないか。彼女を見ていると、そんな際限ない期待が止まらなくなってしまう。ケビン・クラインも、この作品は彼の最高傑作である。確かに、メイクで年老いた役もやっているが、その演じ分けもさることながら、作品中で歳を取るごとに変わる彼の表情が、人間というものは、長く生きることによって沢山の物を背負うのだということを本当に良く表している。

脚本も演出も、勿論美術も素晴らしい。特に、冒頭の設定は見事だ。年老いたコールが自らの人生を劇場で振り返るという設定は、どこにでもありそうであるが、この作品に関して言えばベストな選択であった。この手法を取ることによって、フラッシュ・バックの多用が不要になった。更に、「ガブリエル」というストーリー・テーラーを置くことによって、自伝でありながらそれを客観視してみれるという不必要な感情移入をなくした。さらに、シアター・モードにすることによって、より、ミュージカルの要素が高まったのである。そういう意味では一本の作品を色々な見方ができる作品であると同時に、以前、「キング・アーサー」の記事で書いたかも知れないが、これもある意味で原作と音楽の現代的なコラボレーションなのではないか。そういう意味では実験的作品であり、こんな新しい作品をもっと作って欲しいと願うのである。

取り合えず、7月の名画座2本立ては押さえたい。劇場で観れば、又違うものも分かってくるので・・・。しかし、その前にDVDを観倒して台詞まで覚えてしまうかもしれない。それほど、最近では衝撃的な作品だ。


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by turtoone | 2005-06-14 14:44 | 映画(か行)