暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


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カテゴリ:映画(か行)( 49 )

b0046687_17525047.jpgkossyさんの人気ブログ「ネタバレ映画館」「人生は、奇跡の詩」のコメントでトム・ウェイツの事を書いたら、この表題作のことを触れられていて、そういえば、筆者のブログにはこの作品のレビューを書いていないことに気が着いた。と、いうか、この作品って東京周辺でも結構色々なところで(勿論、ミニ・シアターだったのだか・・・)上映していて、DVD化された時もまだ、上映されていて、ネットショッピング25%引きのDVDが自宅に届いた日に、自身三度目の上映館鑑賞に行ったという、不思議な作品である。この作品に必要以上に筆者が引かれてしまうのは、この手の作品には多い、複数の短編集の中にある、根拠のない共通項である。映像的な共通項としては、基本的に二人芝居、コーヒーカップ、チェッカーフラッグ模様のテーブルクロス、そして煙草である。

兎に角、一発目の「ロベルト・ベニーニとスティーヴン・ライト」からいきなり妙に笑いが取れる。本作品はそもそも、アメリカの人気テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』において、ロベルト・ベニーニとスティーヴン・ライトを起用して撮影した「コーヒー&シガレッツ/変な出会い」が始まりで、その後、2作目の「双子」が作成されたのは暫くたってからである。このプロジェクトを一気に有名にしたのが、3作目の「カリフォルニアのどこかで」であり、作品化は1993年と、第1作の製作から既に7年が経っていたが、このイギー・ポップとトム・ウェイツの顔合わせでカンヌ映画祭の短編部門最高賞を受賞したことが、一般にも広く知り渡ったのである。そしてそれ以後も10年以上にわたって製作された全11編を纏めたのが、この「コーヒー&シガレッツ」という作品である。短編集にしては撮影のタームが長いのと、この間、ジム・ジャームッシュが全編の監督、及び製作にも当っていることが大変興味深い。

この短編集に関しては、鑑賞者によって色々な好みがあると思うし、又、その好みを色々な人に観てもらい、色々その批評を伺いたいと思う作品である。筆者は、この中では、やはり最初のベニーニとスティーヴン(ここでは、ベニーニの"スティーヴ"の繰り返しが彼らしくって良い)、それからミュージシャンの共演である、トム・ウェイツとイギー・ポップ(なんといってもオチが最高。このふたりのミュージシャンを存じている方には台詞も最高だと思う)、作品は短いが、コンセプトが一番好きな「ルネ」(自身を演じている、ルネ・フレンチも謎が多くて素敵)、そして、ケイト・ブランシェットの二役である。特に、他の作品が殆どチェッカーのテーブルクロスなのに、この短編と、2作目の「双子」は違う。ケイトは二役を演じているから、その辺りの連繋を考えると面白いし、同時に何度も見ることによって、どの作品とどの作品がどのようにリンクしているのかをフローチャートにするのも面白い作業である。筆者は時間がなくてそのチャート作成作業をしていないが、一日自由な時間があったら(そんな時間があったら朝からハ晩まで映画を観ていると思うが・・・)作業するのも良いかと思ったりしている。

それと、シガレットである。筆者は1日3箱以上は吸っていたヘビースモーカーだった20年前と比べると、未だに意志が弱く、数は4日で1箱程度と随分減ったものの、スモーカーである。煙草が1箱1000円になってくれたら絶対に止められるのにという責任転嫁をこの時代にまだ言っている。どちらかというと最近、カフェインの量は減っている。特に冬季は冷えるのと重なってやたらと利尿頻度が増えるのと、やはり、夜のコーヒーは睡眠の妨げになることがあるからだ。お陰で最近は少ない睡眠時間を熟睡し、夢を見ることも余りい。コーヒーにシガレットはつきものであるが、筆者にとっては、寧ろ、ブランデーとか、バーボンなんかの方がシガレットと似合うと思っている。でも、別の意味で、この作品にあるような「会話の妙」には、やはりリカーよりコーヒーなんだろうと納得する。

日本に無い慣習としては、コーヒーで乾杯をするところだろうか。少なくとも、筆者とその周りにはこういう風習はない。


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by turtoone | 2007-04-03 22:53 | 映画(か行)

カサノバ ~新作DVD~

b0046687_18494693.jpgジャコモ・カサノヴァという人物については、彼の自伝「我が生涯の物語」(邦題は「カサノバ回想録」)にあるように、生涯で1000人の女性とベッドを共にしたということ以外にそんなに詳しくない。それと、彼の生涯の舞台となっている18世紀のベネチアという都市には大変興味があり、この作品はやはりその二つの点が大きな見所であった。だが、銀幕の題材としてのカサノバは、過去に何度かあり、記憶に新しいのはフェリーニ監督作品である。今回は筆者も以前のミニ特集を組んだこともある、ラッセ・ハルストレム監督作品。どうも筆者の持つカサノバのイメージとは全く合わないのであるが、その辺りはこの監督の新境地なのだという多くの期待が公開時からあった。尤も、公開は昨年の6月くらいだったか、勿論、シアター鑑賞したのだがレビューを書くことをずっと怠ってしまっていた。多分、この作品は新宿のタカシマヤタイムズスクエアで観た記憶があり、この頃は「ウォーク・ザ・ライン」「リバティーン」も同シアターで鑑賞したと思うが、東京は結構広くて筆者の鑑賞したい作品をこの都市で鑑賞するには、新宿・渋谷・恵比寿・六本木・日比谷、そして銀座の各館を制していないとそれは不可能であり、逆な言い方をすると映画鑑賞には大変不便な都市であるとつくづく思う。

但し、この作品には、今までにない創作された「カサノバ」が登場する。そしてそれは単なる創作でなく、カサノバとその周りで起こった様々な出来事の集大成を作っている興味深い内容になっている。まずは、フランチェスカ。カサノバが心を寄せる女性役であるが、歴史上で同様の名前はカサノバの弟であり、有名な彼の肖像画を描いた人物としても有名だ。この辺りのオマージュというのが面白いと思っていたら、その後はそのオンパレードであった。例えば、女性をかけた決闘であったり、有名な「鉛の監獄」からの脱獄に成功したり、或いは、カサノバを継ぐ者としてジョバンニという本当の弟の名前を使っていたりと、実際の彼の生涯に本当に起こった出来事を時系列を修正して一本のストーリーに仕上げているところは大変興味深い。カサノバの恋愛遍歴が後世にも轟いているのは、彼自身の快楽と同時に、その交際する異性の側の快楽に常に注意を払っていたことにあると言われている。つまり誘惑者としてばかりでなく、誘惑されることにも喜びを見出していたり、多くの美女を同時に愛することによって、それら異性を人間として同等の存在として尊敬したという点が当時の18世紀の他の人間よりは一歩も二歩も先んじていたことにある。又、文献に寄れば、男性にも興味を持っていたり、異性装も関心があった。一般的にカサノバの生業を当時は「策術家」と呼んでいたが、彼が精通していたものは作家、或いは劇作家というだけでなく、ビジネスマン、外交官、スパイ、政治家、哲学者、魔術師等様々であった。しかし、自由人という訳でなく、寧ろこれらの職から禄を食んでいるというよりも、これらの才能を社交術として用いて、その場その時の演出ら長けており、その対価としての報酬で身を立てていた。つまりは、本物のプレーボーイだったという言い方も出来る。

18世紀のベネチアは、略、オスマン帝国の侵略下にあるという地理的にも複雑な環境であった。12世紀にはマルコポーロを輩出し、世界展望にたっていた同都市であるが、この当時は制海権をオスマンに支配されていた為に、イタリアの他の都市とは、また違った発展に繋がった。それはキリスト教的にもそうであり、その辺りをこの作品でもカサノバの「功罪」と併せて描写している、この辺りは大変物語の裏に隠されているものが深い。カサノバ以下、この作品の出演者がベネチアという都市を駆け巡るのであるが、そのひとひとつの描写・美術には満足させられる。同時期の音楽家として知られるヴィヴァルディの曲も作品内に挿入されていて、この構成のセンスは一際光っていると言える。

ラッセ監督のテイストが十二分に発揮された歴史人物モノだった。ヒース・レジャーも実にこの難しい役をこなしていたが、やはり、ジェレミー・アイアンズ、オミット・ジャリリ、オリヴァー・プラットという脇が見事であったことも上げられる。しかし、本当にこの監督は悪者を作らない。そして、幸福感あふれるラストは、この監督の新境地への成功と、新解釈版カサノバが受け入れられたことを示すものであったと思われる。


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by turtoone | 2007-03-11 18:48 | 映画(か行)

敬愛なるベートーヴェン

b0046687_044259.jpg
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。西洋音楽史上でも、他の音楽家とは一線を画した数々のエピソードと、後世の音楽家にも数々の影響と名演に繋がった、ある意味では最も数奇な運命を辿ったと思われるこの人物であるが、何故か同時代の音楽家に比べ映画作品化されたことは少ない。大体、「ベートーベン」というと犬の映画になってしまうではないか。モーツァルトがやれ没後200年だ、生誕250年だと世界中で大騒ぎされる一方で、では一般に親しみが無いのかというと全くそんなことはなく、「運命の扉を叩く」第五であったり、ナポレオンに捧げた「英雄」の楽譜を破ったり、年末になると世界中で素人オケまでが演奏する「第九」であったり、小学校1年からバイエルを弾いていた筆者ですら、初めて弾いた「有名な曲」は「エリーゼのために」であった。(余談ながら、この曲とモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が世界でも最もポピュラーな曲だと思っている)。しかも、晩年は耳が不自由であったということも、音楽ファンのみならず、殆どの人が周知の事実であり、又、バッハが「音楽の父」、モーツァルトが「神童」と呼ばれるのと同じように、彼も称号として与えられた「楽聖」が、後々も彼の別称となるほど、映画化に関してはこれ以上話題の豊富な偉人も中々見当たらない。そんなこともあり、この作品化に関しては、2006年後半のひとつの目玉でもあった。

作品は、ベートーヴェンの「交響曲第9番 合唱つき」、所謂一般に「合唱」と呼ばれる当時としては、実験的演奏の成功エピソードが中心である。ヒロインでもある写譜師のアンナ・ホルツ(ダイアン・クルーガー)は架空の人物であるが、この時代に写譜師というのは数多く存在し、ベートーベンも何人か専属の写譜師を使っていたという。特に、晩年耳が不自由だった彼は、モーツァルトがやはりそうで゜あった様に、五線譜に書く前に頭の中で音階が出来上がっていたと言われるが、これは定かではない。ただ、子供の頃に読んだ彼の「偉人伝」には、耳が殆ど聞こえなくなったにも係わらずベートーベンは第九を指揮し、その素晴らしさに拍手喝采だった会場の様子も、彼には届かなかったと悲劇的に記してあったが、後に知った歴史の事実は、初演で指揮台に挙がったのは彼と、ウムラウフという指揮者。実際に楽団が頼りにしていたのはウムラウフの方であり、演奏後も指揮が出来なかった絶望感で会場を振り返れなかったベートーヴェンを観衆に向きなおさせたのは彼である。アンナ・ホルツのモデルはウムラウフだった。しかし、この場面の演奏に関しては、実際の演奏よりも短いシーンであるが見応えがあり、19世紀当時の演奏会場の雰囲気を垣間見ることができる。後述することに関係するのでひとつ説明すると、この「歓喜の歌」の構想は彼が交響曲第1番を作曲する前からあった。

但し、少し音楽を齧ったことのある身としては(又は、そうでなくて一映画ファンとしてもであるが)、この作品はここで終わって良かったのではないかと思うが、この後「大フーガ」完成のエピソードまで引っ張ってしまった。大フーガとは不思議な楽曲で正式には、ベートーヴェンが作曲した16曲の「弦奏四重奏曲」の第13番の終楽章として後に作成しなおされた。無論、13番の初演の時に、フーガは演奏されなかったし、この曲は年代も第15番と第16番の間に作られているのに、ナンバリングがなされていない不思議な曲である。最終的にこの曲の作曲秘話へと繋がるが、この辺りの構成はベートーヴェンファンだけにならイザ知らず、可也コアな内容と展開だったと思う。確かに、この大フーガは後世でも中々認められず、評価が高くなったのは20世紀に入ってからだ。つまりは、「第九」がそうであるように、大フーガも、ベートーヴェンの「実験的音楽」の中での大きな構想であったのだろうが、この作品では、それを重視したがために、ベートーヴェンファンには受け入れられたかも知れないが、結果的には作品のポイントをずらしてしまったと思う。

ベートーヴェンの曲の中では、交響曲第7番が最も好きな筆者にとっては、「第九」ならぬ「月9」の「のだめカンタービレ」の方が良いと思わせてしまうのも、結末を余計に引っ張ってしまったところに原因がある。しかし、それ以外の部分では、エド・ハリスのベートーヴェン(ちょっと清潔過ぎるが・・・)も中々良かったし、美術・音楽・時代考証などは素晴らしかったし、彼を映画として描くには、やはりこの「第九」のエピソードしかないことが良く分かった作品でもあった。


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by turtoone | 2006-12-11 00:45 | 映画(か行)
b0046687_17362233.jpg1950年代の赤狩りがテーマである。アメリカでは、当時共和党上院議員、ジョセフ・マッカーシーの名前をとって「マッカーシズム」と呼ばれた。マッカーシーは、共産主義者とその同調者として糾弾されたのはアメリカの政府関係者やアメリカ陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家。さらにはカナダ人やイギリス人などの外国人にまでに及んだ。しかしこの強引な手法がマスコミ・民主党から大きな反感を買うことになる。マスコミをはじめ政府、軍部内にマッカーシーに対する批判が広がる中、1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローにより、マローがホストを勤めるCBSのドキュメンタリー番組「See it Now」の特別番組内で、違法な手法で赤狩りを進めるマッカーシーに対する批判キャンペーンを行ったことを皮切りに、国民の間にも広くマッカーシーに対する批判が広がった。この作品はその事実に基づいた物語である。

この作品はモノクロ映像であるが、冒頭辺りでは、何故この作品をモノクロ撮影したのかの意味と理由が良く理解できなかったが、テレビ番組のシーンになって漸くその効果が分かってきた。このモノクロは1950年代当時を表現描写、特にテレビ界とその周辺を表現するのには大変効果的であった。また、それだけでなく細かいところへの拘りも良かった。煙草を吸いながらテレビ画面で堂々とコメントするなんて現在では到底考えられないが、このシーンひとつとっても、もし、このシーンをカラーで映像化していたら多分時代背景を考えても、凄い違和感を感じたであろう。テレビ局のブースに関してもそうであり、今も昔もブースは殺風景なものではあるが、機材のひとつひとつも、カラー映像であったら現代見たら、まったくそぐわいものばかりであるから、ここにもモノクロ映像が大変生きた。つまり、時代考証を明確に鑑賞者に伝えるということでモノクロ映像を選択したところに高い評価をすることができる作品だ。

この時代の「赤狩り事件」は結果的に現代アメリカに蔓延る巨大メディアの創出に繋がった。そして一方で、ジャーナリズムに対しては言論の自由に対して、国家が規制をするのでなく、メディアの中での自主規制という方向の方程式を導き出すことに成功した。報道の自由を主張していながらこの結果というのも、何ともお粗末な話である。「赤狩り」は、主に政治関係者は然ることながら、言論や文化を対象に行われた様に描きつつも、同時に、政治的圧力を掛けることによってある意味で異分子や異端児を搾り出す効果にもなった。この辺りは、近年、アメリカメディアの報道特集等でも検証され、自社の過去を省みる局もある。マローもこの作品にも描かれている様に、民主主義国家とは、国民の自由を守ることだと言っているし、それは正しいことである一方で、如何にテレビ局が無力だったかを露呈しているに過ぎない。そしてこの時代からゴールデンタイムに、報道は不必要だとされた。メディアの限界は国民を笑わせる事は出来ても、国民を奮い立たせることは出来ないという結論である。しかし、マローの様な骨太なジャーナリズムは現在でいえば全く無いに等しく、特にわが国に至っては、朝から晩まで報道番組があるにも関わらずプライムタイムも含めて、しっかりとジャーナリズムの原点に立ち返った報道をしている番組もキャスターも皆無である。言論の自由の傘に隠れた偏向な報道、キャスター自体の無知無教養の露呈、国民の代弁に名を借りた言い放しの意見、更に、知る権利を主張したプライバシーの侵害を日々繰り返しているだけてある。その点から考えれば、是非マローの気骨のある報道姿勢に習い、反省して欲しい。

この作品はオスカー候補でありながら、作品賞を取れなかったことが大変残念であった。作品賞候補の中で個人的に一番評価を高くしたのは「ミュンヘン」ではあるが、作品賞ということでの社会性や問題提起を考えると、この作品が作品賞に最も適していたと思う。候補作の中では脚本が抜群に良く、作品の内容からどちらかというとストーリーを追いかけるだけに終始しそうなところもうまく纏めあげ、しかも90分程度に収めたという点が上げられる。

ジョージ・クルーニーという人は役者としては特にこれまで魅力を感じなかったが、この作品に見られるように監督としては、感性といい着眼点といい、今後も大きな期待の出来る人である。当然ながら筆者の評価も高い作品である。


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by turtoone | 2006-12-10 17:47 | 映画(か行)
b0046687_18561041.jpg邦画に限って言えば、ここ十年くらいは余り積極的に鑑賞していないことはこのブログでも何度か書いたが、何年か会っていなかった古くからの友人「Trap」が、何処からかこのブログに辿りついて、序にコンタクトをして来た。更に、筆者の邦画評に賛否の両論をのたまいて、結果、彼女の邦画コレクションを適当に借りることとなった。手始めに借りた作品である。というか、「かもめ食堂」に関しては、「バーバー吉野」のこともあって、劇場まで足を運びたかったのだが、確か公開が年度末でもあり、又、公開期間も短く、気がついたら終わっていたという感じだ。実は、DVDが発売されたのは知っていたが、名画座なんかでは上映も続いており(勿論、映画はシアターで観るものだから・・・)どうしようかという最中の一方的な「貸し出し」であった。

作品は殆ど思った通りの出来であった。筆者はこの映画の製作コンセプトを知った時、邦画版の「ショコラ」を想定していた。おやつと主食という違いはあるものの、異国の地で「店」を構えようというのだから、それは大変なことなのである一方、しかし、だからこそ映画の題材になるのであるという見方も出来る。フィクションだろうと思うのが、フィンランドという国を選んだということ。会話の中ではスムーズに進んで流しているものの、一般的にサーモンとフィンランドというのは、そんなに一致するものではない。又、世界地図に指差したらというが、どういう地図の開き方をしていたのか分らないが、日本版(日本が中心に位置する)世界地図を瞑目してこの国を指差すのは結構至難の業だ。意図的に予め北欧をターゲットとしていたとしても中々指せる国ではないということ。地球儀をぐるぐる回してタッチするのであれば少しは確率が上がってくる(←こんな実験をやっている筆者はヒマジン?)ので、この辺りのリアリティからこの作品は実話ではないと判断できる。ただ、もしかしたらその辺りは「了解済み」で演出しているのかなぁと思われる節が、実は全編に流れる「こじ付け」的表現である。何か、もの凄い強い意志で物事を行うのでなく、理由は後から着いてきたっていいじゃないかっていう考えが、この作品の中の大筋をなしている。具体的に、小林聡美の台詞で「そのときはそのときで」という言葉があるが、本当の人間の強さとかっていうのはこういう余裕(開き直りではない)を持てるかどうかもひとつの選択肢であることを説いている。この辺りは実践は出来ないものの、多少共感はできる。

但し、ガッチャマンの歌にあれほど固執してしまうというのが、その後の彼女の行動及び言動に補佐するところがないから、どうしてもこの部分だけは次にストーリーを進めるための強引なこじ付けにしか過ぎない。片桐も、そんなに簡単にこの地に留まってしまう理由がはっきり述べられていない。その点、もたいがここに居なくてはならない理由というのは明確だから、もしかしたら、この話だけは実話を盛り込んだのかもしれない。

フィンランドとは「フィン」の国として命名されたことを随分昔に「世界史」で習った(教科書にはなかったが、こんな雑学も教えてもらえたから、やはり高校の世界史履修は重要だ)が、それ以外のことで知っていることは実は少なく、偉大な音楽家シベリウスと、「ノキア」と「リナックス」、それにニシンの酢漬けとサンタクロースくらいで、実は、ムーミンがこの国の誕生だということも初めて知った。北欧の国はどうも(勝手に)一纏めにしてしまっている筆者自身の薄学が情けないが、一方で発見だったのは、かもめ食堂の客人の中には「箸」を使いこなせる人たちが多数いて、これが本当なのであれば大変手先の器用な民族なのだと感心した。

もたいの「落し物」のくだりにしかこの物語の唯一も重みを感じなかったところが、冒頭での記述で比較した「ショコラ」よりもテーマ的に軽かったのだと思う。因みにご存知であろうが、「ショコラ」のラツセ監督は、お隣スウェーデンの出身である。


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by turtoone | 2006-11-12 18:57 | 映画(か行)

カポーティ

b0046687_1925835.jpg
ノンフィクション作品を如何に文学として高めて行けるかどうかは、まさに、作者の手腕でしか為しえない一大事業である。冷血という小説はその存在は知っていたが、残念ながら読んだことも、又、映画化された同名作品を観たこともない。ただ概していえば、例えば「恋に落ちたシェイクスピア」や12月公開予定の「親愛なるべートーベン」などのような作品プロモーションで、彼等の名作完成秘話的なアプローチで紹介したり、どちらかというと視覚メディアに良く出てくる一般大衆を相手に適当なコメントでお茶を濁す映画評論家(おすピーは除く)なんかも同様な事を言ったりするが、この作品に関してしては、フィリップ・シーモア・ホフマンが主役を演じていることもあり、最初からトルーマン・ガルシア・カポーティの内面をどう表現するのかが観たかったので、正直なところ「ロミジュリ」や「合唱」のような成果物を知る必要はなかった。このレビューもそういう視点で書く。

大体、小説というのはモデルがある。それをノンフィクションとして書くかそうでないかは作者の自由であるが、一般的にモデルが現存している場合は後者が多い。何故なら資料が集めやすく、創作にするエネルギーと比較すると主題をどこにおくかにもよるが、取材に費やした方が効率が良い。筆者自身が、カポーティのことを、映画という軸でいえば、名作「アラバマ物語」のモデルであることくらいしか(同物語の作者、ハーバー・リーをキャサリン・キーナーが演じている)知らないが、カポーティは察するところ、大変自尊心の強い、いや、逆にいえば著述者というのは自尊心が強くないと身が持たないと考えていたようだ。パーティのトークで必要以上に有名人との交遊をひけらかしたり、列車の車掌や友人にも見栄を張ったりしている。しかし、それらは彼自身のそれまでの生い立ちの積み重ねであり、コンプレックスから発した物だった様だが、この残虐事件の犯人と知り合い対話し、犯人がこの事件に至るのまでの人生や生活環境を知る事によって、作家として今自分がしようとしている事や、必要以上に自尊心を高めようとすることに些かの迷いが生じてくる。この辺りのカポーティの心理描写を、ホフマンはものの見事に演じていた。ホフマンが、最初このカポーティ役でオスカーを獲得したと聞いた時、自身の知っているカポーティの印象とは随分食い違っている感じであったが、それは、どうも前述の「アラバマ」のせいかも知れない。この映画作品は、エンディングまでこの自身の中の葛藤描写に尽きるように、物語の構成も完全に彼の心理描写を中心に進行していった。ひとつ間違うと危険な脚本であったにも係わらず、場面の展開が良く、だらだらしないでエンディングまで引っ張れたのは脚本と演技の見事な相乗であったといえる。やはり今年公開の「スタンド・アップ」 が何人かの俳優でこの感情を見事に繋いだのと同様、この作品はホフマンが最後までひとりで繋いだ。見事なプロの仕事である。

一方で作家が題材に振り回されるというのは、冷たい言い方をすれば失格であり、それでだかどうだか分らないが、その後カポーティは断筆してしまう。一方、彼が題材となった「アラバマ物語」は、その後、アメリカの教科書に掲載されるほどの「推薦文学」になった。人生とは何とも皮肉なものではなかろうか。この事件は現代にしてみれば、頻繁とは言いたくないが似た様なものはあり、しかも、この作品の時代と違って、精神分析や弁護士もかなりスケールアップしているから、この犯人の結末はもしかしたら違うものになったかも知れない。しかし、カポーティはもっとも近いところでこの事件と人物を究明し掘り下げた。結果、それまでにない「冷血」という文学をセンセーショナルに全米に紹介し、大勢の読者の背筋を震わせた。そして、その代償の多くを実は、カポーティ自身が最も多く背負ったのである。この彼の生い立ちからは生まれなかった「真実の良心」を恐らく良しとしたからこそ、二度と文壇には戻らなかったのであろう。

ホフマンの演技に尽きるといってしまえばそれだけなのだが、お薦めの作品であることは間違いない。


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by turtoone | 2006-11-04 19:05 | 映画(か行)

クラッシュ ~新作DVD~

b0046687_17562057.jpgアメリカ、というよりも、舞台はロスなので、アメリカ全部を象徴しているのかどうか分らないが、内容的には色々考えさせる作品であった。しかしながら一方で、この作品は2006年オスカーの作品賞である。多分、作品賞を獲得していなければ(ノミネートされているから認知はしているものの・・・)、然程、気になる俳優が出ている作品ではないだけに、積極的に鑑賞することはなかったであろう。そう考えると、この作品の根底にある問題提起というものがこういう形で一般に露見されたことは、結果論としては良かったのではないかと思う。但し、映画作品として満足のいくものであったかというと残念ながらNoである。

アメリカにおける「差別」という観点は、どうも9.11以降、可也、厄介な方向に動いているのではないかと考える。勿論、9.11そのものを論じているのではなく、あの事件によって、それまで色々と清濁・均衡を保って来た様々な要因が一気にバランスを欠いて露呈してきている。特に、中東に関する部分を筆頭に、アメリカという国が「自由」の名の下に、国内に国外と同じように培養してしまった数々の「人種問題」、「差別問題」というのは、その清濁・均衡が夫々の地域で、各々の対処をしていたがために、いざ、今回のように「国家」という軸を持った「一大事」に対する処方箋は持ち合わせていなかったに違いない。総力してのアメリカが強いと同時に、各論的には大変脆弱な合衆国を露呈してしまったに過ぎない。

作品についていえば、それぞれのストーリーに関しては分りやすい表現をしているから良く分かる一方で、だから、総力として、つまりは映画作品として何を言いたかったのか、全く焦点の呆けた作品になってしまった。前述した「個々の対応」と総論が一致しないような現代アメリカ社会と全く同じ現象起こした作品といえよう。CNNやABCのドキュメントなら良かった。「NHKスペシャル」のシリーズものならこれで良かったと思うが、だからこそ、この内容を映画として発表したかった「総括」は何だったのかを述べていないし、一番重要な部分を鑑賞者ひとりひとりに「後は考えろ」といっているスタンスも全く気に入らない。取り上げた内容や、ある程度のメッセージがあっただけに残念である。映画とテレビがゴチャゴチャになっている時代、敢えて、「映画」としてのプライドを持って撮って欲しかった残念な題材であった。

そんな中で、この作品の唯一の救いは「家族」である。どんなことがあっても最後に「心の救い」になるのは家族であるという部分を前面に掲げている。これは、この100年の間で、アメリカという国がとても進歩した部分である。例えば「ジャイアンツ」という映画があるが、あの時代には全く考えられなかった夫婦関係、市民生活、世論構築がある。どんなに富も名声もあっても、あの時代に人種差別を超えるものはなかった。現代は、こういう「心の問題」(どこかで聞いたことのあるフレーズだが・・・)は随分進歩したのであると。勿論、この原動力は、市民である。つまりは、これが「テレビ・ドキュメント」っぽく終わらせないためには、もっと家族を描けば良かった。勿論、その部分の終始するテーマでないことは承知だが、ひとつの帰着点を作る事によって、作品内容が安定させられるからなのである。「妖精のマント」であり、「赤い弾薬」が、恐らく最もこの作品をより感動的なものにし、同時に差別という「お化け問題」を少しでも身近なものへと導いてくれるきっかけであったのではなかろうか。

今年のオスカー作品賞は、すべてが「差別」を扱った作品だったから、どの作品を選ぶのも難しかったかもしれない。総花的な同作品内容は一番「当たり障り」がなかったのかもしれないが、残念ながら、筆者は題材は認めるものの、表現手法としてこの内容で映画を選んだことを間違いだと思う。


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by turtoone | 2006-08-14 22:07 | 映画(か行)
b0046687_22421924.jpg1972年に公開されたこの映画作品は、色々な意味で各方面に多大な影響を与えた、余りにも有名な作品である。筆者もまだこの作品が公開された頃というのは、リアルタイムで劇場公開が出来る年齢ではなかったが、それでも当時、級友の間ではテーマ曲(テーマ曲くらいしか中心の話題には出来なかった)と同時に、色々と物議を醸したものであった。特に、当時としてはまだ、多分はじめて聞く俳優の名前としての「アル・パチーノ」は、既に友人の殆どが知っていた「アラン・ドロン」となぜか分からないが妙な比較を試みていたと思う。そういえば、後々にアイドル歌手が「アランドロン+アルパシーノ<あなた」というタイトルの曲を歌っていたが、男子校だったということもあるが、アランドロンという俳優が一番格好良くて、でも、それよりも格好いい奴が現れたって、そんな注目度なんだったのだと思う。この作品の全編を観たのは、勿論、もっとずっと後のことで、まだまだ、ビデオだって廉価版が出ている時代じゃなかったので、最初はテレビのロードショー番組だった。しかも、ご丁寧にノーカットという触れ込みで、この最初の作品(既に、Pt.2も公開された後だったので・・・)を2週にわたって放映された記憶がある。

ところで、この作品の全貌に関して、筆者の拙い映画知識と文章力で表現することは不可能だから、はじめからそんな大それた事は考えていない。だからこの作品について幾つか知っていることとか、筆者の個人的な考えを書く。

まず、面白いと思いのはこの作品が生まれた背景である。映画歴史的に言うと、この当時は、何かとこういう作品が多かった。例えば、オスカー作品的に考えてみると、1971年が「フレンチ・コネクション」、この作品を挟んで、1973年が「スティング」、1974年はこの作品の続編と、4年連続でギャング物が続く。当時のアメリカの時代背景を考えると、一向に終戦がみえないベトナム戦争はカンボジア内戦の勃発に繋がり、1971年はロサンゼルス大地震、更にはドル・ショック等、第二次世界大戦以降、国際政治・国際経済で世界のリーダーであつたアメリカの土台が徐々に崩れ始め、同時に大自然の驚異も味わった。アメリカ国民は、一体自分達が本当に信じられる物は何なのかを模索し始めた時代である。この作品はアメリカの裏社会描いている一方で、アメリカという「合衆国」という名の下にある国は、一方で他民族集合体であるが故に、国民各々のルーツを考えて行くと、ひとりひとりにある資質がイコールアメリカなんだと言うことを表現している。マフィア社会作品ゆえに、一見残酷に思える殺戮シーンが多いが、これはこのアメリカという社会が日常繰り返している、多くの人間の失敗と失望の表現である。しかし、同時にアメリカという国は、それを失敗や失望で終わらせず、その淵から這い上がり、立ち上がる人間には必ずチャンスが開かれる社会であることを描いている。要するにこの社会全体が失望の淵にある時代に、マフィアを題材にしながらも、アメリカ国家の根源を国民に伝える必要があった時代なのである。

次に、この作品の豪華なキャストに関しては改めてここで述べる必要もないが、この作品に関して言えば、2度目のオスカー主演男優賞(しかし、この作品では受賞拒否)の演技をしたマーロン・ブランドに尽きる。特に、2作の続編で定番シーンとなっていく、ゴッドファーザーの謁見場面のスタンダードを作りつつ、同時ににこの場面に作品内のステイタスを作り上げたことは、彼の演技の功績による以外何物でもない。後の2作、及び、ゴッドファーザーとなる三男マイケル(アル・パチーノ)のドンのなっていく過程の演技といい、又、Pt.2で若き時代のビトー・コルレオーネを演じるロバート・デニーロがゴッドファーザーとなったマーロンの演技に忠実に演じているところといい、この一代シリーズの根本から、同時にアメリカにおけるマフィアのドンのイメージまで作り上げた彼の影響力はこの作品以上にアメリカ全体に大きな刺激を与えたに違いない。

この作品を各論から論じていると限が無い。観点も多く、又、影響力も映画界のみならず多方面にわたっているからであり、要するにここではとても言い尽くせないからこの辺りで終わりにしたいと思うが、ひとつだけ、一映画ファンとして各論に触れれば、高速道路の蜂の巣シーンは「俺達に明日はない ~ボニーとクライド~」を思い出し、逆に同作品の先見の銘を証明した形になったのが、ウォーレン・ベイティのファンとしては嬉しかった。


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by turtoone | 2006-05-05 22:46 | 映画(か行)
b0046687_0452768.jpg素晴らしい映画作品というのは、言葉でどのように表現して良いものか本当に困るものであるが、この「恋におちたシェイクスピア」という作品もそのひとつである。この作品は最後の最後まで、作者の意図が掴めない。いや、訂正し、正しく表現すると、原作者の意図は最初から見えているのであるが、落としどころを何処に持っていくのかというのが映画の冒頭からずっと興味を引いてしまう。最初に感じたことを124分間を通して最後まで観客に維持させられるという点では、貴重な作品である。逆に言うとそれもそのはずで、主人公はかの有名な「ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)」だからである。筆者も実は、シェイクスピアに関しては相当なファンであるが、この作品はシェイクスピア好きだけでなく、色々な人が自らのレベルとペースで、この作品の謎解きが出来る。そして、それが物語の進行を全く妨げるところのない不思議な構成になっているところがまずもっては脚本の勝利である。筆者もそうであったが、シェイクスピア・フリークであれば、最初にグウィネス・パルトロウが観劇している芝居「ヴェローナのニ紳士」のところで、彼女の役名が「ヴァイオラ」というところですぐに「十二夜」が想像できる。しかし、この時点で作品の落とし処はまったく想定できない。なぜなら、その後、シェイクスピアに関わる役名や、作品のオマージュがてんこ盛りだからである。一例を挙げれば役名のフィービーや、ロザライン。また、死んだはずのシェイクスピアを亡霊だと叫ぶところは「マクベス」だったり・・・、また、ヴァイオラの"It is a new world"は「テンペスト」の台詞であることは言うまでも無い。男装変装はご存知の通り「ヴェニスの商人」である。勿論、「ロミオとジュリエット」を知っているだけでも充分楽しめる作品である。悲劇の「ロミジュリ」が当初、喜劇(もっともこの時代は喜劇しかないから悲劇は新しい提言)であったというところからの流れだけでも時代と文豪を風刺していて面白い。因みに、筆者が好きなシェイクスピアの戯曲は、月並みながら「夏の夜の夢」と、変わったところで「ジュリアス・シーザー」の2作である。

脚本だけではなく、美術は目を見張るし、音楽は思わず聞き込んでしまう。特に、舞踏会のシーンは撮影・美術・音楽の全てにおいて、最高のクオリティを演出している。特に衣装の色遣いは16~17世紀当時の物とはかなり異なっているものの、そこには映画という総合芸術の解釈として、現代の色感覚で再現した17世紀当時の宮廷舞踏の時代考証が見事に確立されている。ある意味で歴史考現学の成果である。さらに、ここにクロスフェードしてくるのが、何を隠そう、偉大なる文芸家、シェイクスピア本人作品の美しく情緒ある「詩」の数々である。勿論、脚本的に言えば、はじめにシェイクスピアの作品ありきの台詞と展開なのであるが、そのことを全く意識せず、作品にのめりこむ事ができるのがこの作品の構成完成度の高さである。そう、鑑賞者はいつのまに自分で自分に暗示を賭けているのである。

そして、それは役者に拠る所も大きい。まずは、グゥイネス・パルトロウの男女2役である。ヴァイオラ役が美しいのは元より、トマス・ケント役はなんともセクシーである。ジョセフ・ファインズが男役の方に思わず接吻してしまうが、このストーリーの流れとは別に、それくらい(髭をはやしていても)セクシーである。更に言えば、脇はもっとすごい俳優が固めている。まずはなんといってもジュディ・デンチ。オスカー史上、最も短い出演時間で助演女優賞を獲得したが、彼女だけではなく、ジェフリー・ラッシュ、コリン・ファース、トム・ウィルキンソン、サイモン・キャロン、イメルダ・スタウントン、それに筆者は彼の出演作の中ではこの演技が一番良いと思っているベン・アフレックと、これだけの演技巧者な俳優が次々と出ていると、まさに見所があり過ぎて大変なところである。しかしながら、それをもってしても、この作品はそれでいて疲れたりすることなく、トータルバランスの良さが抜群である。そう、極めつけは編集が見事なのである。余計なカットが全く無い。これらが全て相俟って、冒頭の興味を最後まで引っ張ることができる、それでいて、感動で涙を誘うというラストではなく、最後には少しコメディの要素を余韻として残すことで、この作品が実在した偉大なる文豪を扱っていながら、エクスキューズとして「実在の人物とは一切関わりがありません」というテロップの代わりにしている。

筆者の基準でいう「特A」作品である。上記の感動はDVDでも充分堪能できるので、是非、機会があったら鑑賞して欲しい。

ところで、この週末にはこの作品以来「7年ぶりのオスカー狙い」を宣伝で銘打った作品が二つ、「ブルーフ・オブ・マイライフ」と「プライドと偏見」(それぞれの公式サイトはこちらからどうぞ)あるが、この2作品がどれたけこの作品に迫れるか期待したい。


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by turtoone | 2006-01-08 22:47 | 映画(か行)

キング・コング

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今年最初のレビュー記事であるが、このプログを維持していく抱負として、今年はなるべく後ろ向きな意見は避けようと思う。なるべく作品の中で良いところを探して行こうと思う。但し、間違いはしっかりと指摘していきたいが・・・。

昨年度の公開開始だったのに、年越してしまったのは、やはり188分という本編の長さに年末鑑賞は躊躇したのかも知れない。それもあるが、世界同時公開がマイナスに働いているのかどうか知らないが、アメリカでも日本でも興行成績が芳しくない。前回のL.O.T.Rの大ヒットを考えれば、筆者の予想でもこの作品はハリーポッターに継ぐ成績を収めると思っていたが、この不振ぶりはどうしたものか? 大体、プロモーションが下手だった。筆者はてっきり六本木ヒルズの壁面とか、お台場の観覧車(おっと、これでは「きみに読む物語」か・・・)をキングコングが昇ったりして話題性を高める仕掛けがあるのかと思ったが、そういうことはやらなかった様だ。「マトリックス・レボリューション」がやはり同時公開の利点を活かしたカウントダウンを行ったが、それでも成績が今ひとつだったのは、やはり、同時公開より、アメリカでの成績や風評によって日本での人気も度合いも大きく左右されるというのが定石らしい。新年早々こういう言い方をして申し訳ないが、まだまだ日本は映画鑑賞者の数は少なく、質が高くなく、自立していないのであろう。

筆者はそもそも、「L.O.T.R」の評価は決して高くない。なぜかというと「面白くない」からだ。原作もまだ日本語版があるかないかの時代に原語で読んでいるが、つまらなかったので最後までたどり着かなかったのが事実。そこへ行くと、所謂、「世界三大ファンタジー」では、「ナルニア」や「ゲド戦記」の方が数段面白い。原作が面白くないものは、如何に映像化に話題性や工夫があっても、中々作品に入っていけないのは事実である。正直なところ、「指環物語」に関しては、殆どフリークに近い家内と次女がいなかったら、最後まで観なかったと思う。つまりは、ピーター・ジャクソンという監に対しても決して評価は低くはないが、強い興味を惹かれなかった。

しかし、この「キングコング」は別だ。「L.O.T.R」では評価できなかったが、筆者はこの作品におけるこの監督の感性を大いに指示したい。理由を幾つか書くと、まず、T-REXが出てくるが、映像の中で始めて「あっ恐竜って爬虫類だったんだ」と気づかされた。そう、「ジュラシックパーク」でも「ダイナソー」でも、恐竜を爬虫類だとは思わなかった。そして、キングコングと対決するが、ここでも、哺乳類、しかも霊長類であるゴリラに対して、やはり脳みそは豆粒程度の爬虫類をさらけ出す。そう、この「動き」と「頭脳」に思いっきり爬虫類としての恐竜を意識させてくれた映像作品は過去に無い。逆に言えば、力というより、コングは「頭」で勝負している。そして、「そうか、T-REXってこういう風に倒すんだ・・・」という退治方法まで教えてくれる。そう、我々は、T-REXの共食いはみたことがあっても、他の生物に敗れたところは殆どといって見たことがないからだ。さらに言えば、大きな昆虫も出てくるが、これも昆虫であることを忘れていない。つまりは、この監督は、単にVFXを多用化しているだけでなく、これらの撮影技術を駆使することによって、その生命体毎の本来の動きに拘っているということなのである。そう、これは「L.O.T.R」では気がつかなかった(というかそんなに色々な生物が出てこないせいもあるが・・・)。次に、コングが惚れるアンダロウ(ナオミ・ワッツ)がコングに寄せる「思い」というのが、この作品ほど見事に表現したものはない。他のキングコング作品では感じることが出来なかったが、彼女がコングに対する「思い」というのは、要するに大好きで可愛がっている「ペット」に対する「思い」なのである。だから、人間の男性とは比較できない。コングに対するシーンで、その「思い」の違いを見事に演出し分けた監督の描写と、それに従い演じ分けたナオミ・ワッツには拍手を贈りたい。ナオミ・ワッツというと、「リング」や「マルホランド・ドライブ」、「21グラム」のオスカー・ノミネート等、スマッシュ・ヒットには恵まれていたが、今回の主演で、ハリウッドを代表する女優のひとりに加わったのではないか。

同時にそれは、ジャクソン監督が、この女優を大変「綺麗」に撮っていたことにある。そういえば、「L.O.T.R」でもこの監督、女優のキャスティングは絶妙だった。特に、ケイト・プランシェツトとミランダ・オットーは、役柄と俳優がものの見事にマッチしていたと言えないか。確かにコングが映画が始まって約1時間経つまで全く姿を見せなかったが、それを差し引いてもありあまるくらい、ナオミ・ワッツの魅力を十二分に引き出してくれていたとは言えないだろうか。

冒頭に述べたようにここまで興行的にはあまり良くないが、この作品、上記の様な意味で3時間辛抱しても見る価値はある。確かに、編集でカットして欲しい場面は幾つもあった。説明過多の部分も多すぎたが、1800円払って、恐竜が爬虫類であることと、キングコングは世界で一番でっかいペットであることを認識できると思えば安いものだ。勿論、映像は期待を裏切らない。

最後にひとつ心配なのは、予告編から出ていたピーター・ジャクソンの痩せっぷりって? 何か大きな病気でもしていないと良いと心配しているのは筆者だけでは無いと思うが・・・。


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by turtoone | 2006-01-06 23:13 | 映画(か行)