暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:映画(あ行)( 80 )

イキガミ

b0046687_2134748.jpg

この作品も原作はコミックらしい。今日本が世界に誇れる文化というのは、コミックとアニメとゲームの三つだということを本当に痛感する。同時に、文学とか美術とか音楽という芸術文化の基礎が底上げされずに、付帯的な文化の質だけが上がっていることに関して考えると、未来がどうなのかという点に関しては多少
心配な気がする。新しい文化の潮流であることには違いないのだが、基礎もまた重要で、その辺りが確立されていないと新しいものは生まれて来ないから。

「国家繁栄維持法」というネーミングも余り良くない(繁栄という言葉は維持するものではないから日本語的に少し可笑しい)法律が可決施行されるのは今世紀にあって、社会主義国はもとより、北朝鮮だって有り得ないだろうが、その辺りは原作者の一流の嘲笑だろう。要はそんな「形」はどうでも良いのであって、重要なことは生命の尊さを認識することが、長い歴史の中で人間ら根本から忘れ去れたものであり、同時にそれを回復することが世界平和に繋がる、基本的なことであるが、だから故、それは人類とか国家とかという大きな単位に課せられたものではなく、一個人と、個人の次に大きな集合体である、家族に課せられているというところがこの作品の根底にあるコンセプトであり、その総論のために、沢山の各論としての例を出している。実に良く考えられた内容であり、このコミック原作の土壌と展開には脱帽する。エンドロールで(連載中)とあるから、今もこの物語はショートストーリー的に色々な「イキガミ」のケースが示されていると思うが、湯川教授ではないが、実に興味深い(このレビューは次回予定)作品である。

今回映画作品で取り上げられた3話は、実際にコミックにあったものかどうかは知らないが、この3話共に実に良く出来た内容である。ストリートミュージシャンが最後に歌う歌。自分の選挙に息子ら届いたイキガミを利用する女性議員。そして、事故で失明した妹に最後の望みで角膜移植を願う兄。どれもが「精一杯生きようとしている人間」を表していて、しかし、なんらかの理由で社会から逸脱しつつある現実は、本人にも社会にも責任があると同時に、だからちょっとしたきっかけがあれば、それは変える事だって出来るのだと言っている。そのチャンスと対称軸に置かれる「厚生保健省」(ついでながらこのネーミングも少しおかしい。厚生と保健は同意語であるから行政の機関名としては不適当。敢えて言うのなら保健厚生か、省庁ではなく、委員会とかNPO・・・一例としては海外の機関で「保健省」としか和訳が無いこともあるが。まぁいいか)の存在が本来この法律の意図するところと正反対の恐怖を押し付けているところがブラックユーモアで面白い。しかも、この法律に対する罪が「思想犯」というのも可笑しく、最早、この厚生保健省なるものは、警察庁と同等の権限があるという、まさに自由主義国家には考えられない発想だ。だからこそ逆にこの物語のメッセージを伝える重要な役割になっている。

松田翔平の演技も良い。この作品は法律とか機関に捉われるのでなく、鑑賞者も人間にスポットを当てて欲しい。1000人の一人という確率は他人事ではないし、また「イキガミ」というオンも「生き神」を想像できて、また尚、面白いではないか。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついに、音楽のブログを立ち上げました。
まだ少ししか記事を書いていませんが・・・
「音楽は語るなかれ」


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
時事問題のブログ 「情報過多で悩むあなたに」
下町探索記 「東京の原景を探して」
ただの日記「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-10-04 23:08 | 映画(あ行)

おくりびと

b0046687_17421529.jpg

この三連休忙しなく、映画鑑賞に使える時間は3日間共午前中だけであるが、近所のシネコンでなんと全ての上映会で「完売」状態なのがこの作品だけで、なぜだろうと思っていたらモントリオールでグランプリを受賞したのを忘れていた。さらに、中国でも三冠に輝いたらしい。最近、映画周辺の話題には疎いが、だからといって鑑賞に尾鰭が付くわけではない(オスカーやカンヌだと厳しく観てしまうが・・・)。筆者が観た会も老人ホームの慰問試写会みたいだった。

一般的に納棺師(因みにこの師? 日本語的には士ではないの。もっとも資格とかがあるわけではないからどちらでも良いが・・・)という職業を「おくりびと」と呼んでいるのかは不明だが、もしそうでないとしたら、この機会に「おくりびと」っていう呼称の方が暖かみがあって良いと思う。そして、それくらい尊厳と誇りを持った人間がこの職業に就いて欲しいと思う。筆者の様な中途半端な人間には成られてはいけない。身内の不幸も含め今まで何度も葬儀というものを経験しているが、葬儀屋さんの対応というのは区々、特に決まったものは何もないが、ただ、いつも関心するのは一見淡々と仕事をしている様で、死者に対する労わりの心遣いは親戚以上だと思える節もある。特に財産を沢山残して亡くなった祖母や外伯父の時は本当にそう思った。だからこの作品に関しては、とにかく余計な予備知識や作品中の推測、また、カメラワークやカット割、及び、音楽・美術・効果なんかに関してもなるべく捉われることなく、物語に没頭しようと思った。結論として、そうしたことがこの作品の最も良い鑑賞であるということは言うまでもない。

日本の風土にある死者への崇敬というものは、たとえばカンヌで「楢山節考」が絶賛された様に、外国人にとっては可也稀有な風習だと思う。それは基督教文化圏だけでなく、同じ仏教圏に於いても、日本の様に、葬儀の後も初七日、七七法要(四十九日)、一回忌から始まり、三、七、十三、十七、三十三、三十七回忌までおこなって、やっと成仏が完成する。死んだときその場で神にしてしまう基督教とは相容れない風習であろう。しかし、一方でこちらも「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」の様な埋葬方法も受け入れなれない。カナダで絶賛されたのは、そんな死者への崇敬の念は本来、文化や宗教を超えたところにある物だという一種の提言なのかも知れない。特に「死に化粧」というのは知っていたが、この作品で山崎と本木が行っている納棺の準備は、所謂「儀式」の類ではなく、死者への感謝と尊敬の現われであり、本来は死に水を取るのと同じ、身内の人間が行わなければならないことであったにもかかわらず、前半で余が言っているように「隙間産業」だというところに風刺も込められている。また、山形だから死者が自宅の畳の上に横たわっているが、都会(というか東京)では全く考えられないことだ。人ひとりの生命というものがどんなに尊いものかというのは、こういう機会でもなければ分かり得ないし、同時に都会にそういう「現場」がなくなって来ていることの影響による将来に多大なる不安を感じるのは筆者だけではない筈だ。

作品は時には失笑をかいつつも全般に静かに流れるが、前述した山崎と本木の所作が素晴らしく、この映像を観るだけでも価値ある鑑賞だ。勿論、その所作だけでなく、息のあったコンビネーションは見事。また、キャスティングも良く、特に吉行、杉本は、この俳優を使っているというだけでどういう役柄なのかが殆ど分かる辺りは見事であるし、広末もこの作品鑑賞の中では(年代でなく立場として)最も鑑賞者に近いところにあるという複雑かつ難しい役柄をうまくこなしていた。この作品では、一見特徴のない彼女の役柄が最も難しい。

そしてこの物語を単に「死」ということだけで捉えてはいけない。笹野が「門」言っていたように、それは終わりではなく、先祖として、我々の存在のルーツとして立場が変わるだけである。自己の存在を肯定するには先祖を否定しては成り立たない。そして同時にそれはある意味で美しい所作のある日本人の民俗としての誇りという観点から「生命の尊厳」を見ることの出来る、与えられた機会なのだとは思わないか。筆者は少なくともカナダ人や中国人より、この点に関して理解ができるということについては、日本人に生まれたことを感謝するのである。

実は採点が難しい作品だ。今年の邦画ではダントツなのだが、ここ数年の秀作だと「ゆれる」と比較すると少し・・・、だからA作品にはならないかな。昨日の「パコ」が筆者の中ではこけた分、満足している。

しかし、冒頭に書いたような老人ホーム状態で、鼻はかむわ、ビニールはゴソゴソ煩い、携帯は鳴るで、昨日の乳飲み子上映会と変わらない場内だった。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついに、音楽のブログを立ち上げました。
まだ少ししか記事を書いていませんが・・・
「音楽は語るなかれ」


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
時事問題のブログ 「情報過多で悩むあなたに」
下町探索記 「東京の原景を探して」
ただの日記「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-09-14 17:49 | 映画(あ行)
b0046687_15304922.jpg


先行上映も含めると、略1ヶ月遅れであったが、やっとインディを鑑賞することが出来た。実は家族揃っての予定であったのだが、直前になって次女が「あんなお爺ちゃんが活躍するアクションなんて嫌だ」と言い出して(彼女は先週花男観たばかりだからね。私の宝物である過去のDVDも観たことがないし・・・)、彼女たちは来週から長女がステイに行くカナダのお宅へのお土産買い物に出かけてしまい、一人の鑑賞になった。まぁ、SW同様、インディには特別な思いがあるからその方が良いのだが。

オープニングエピソードには驚いた、最初は「ボールズ・ボールズ」でケニー・ロギンスが歌いだすのかと思いきや、突然時代は1950年代へ。更に、時代の変遷から相手がナチスから旧ソビエトになっている(予告のケイトを見たときはスターリン万歳とは思わなかったので・・・)。勿論脱出、しかし脱出先からさらに核実験でまた脱出。このあたりは、「魔宮の伝説」で毒消しがなかなか取れないじれったさ(当時はアレが売り)と違った、「これでもかっ」っていうGSのしつこさには脱帽する。良くあの冷蔵庫があそこまで飛んだものだって、これは、SWで、R2と3POがダントゥーインへ飛ばされたのと同じじゃないかと妙に納得。以降も様々な作品のパロディが組み込まれていて、インディなのか「ホット・ショット」なのか途中で分からなくなったのも事実。

しかしながら、さすがに「ジュラシック・パーク」と同じく、常に新しい科学や研究の成果を前面に出しているのは事実。特に、19年前には解明されなかった、マヤ文明に、「アポカリプト」には遅れたものの、大きく一歩踏み込んだのは事実。世界四大文明(ちなみにこういう呼び方をしているのは日本の教科書だけ・・・、メソポタミヤ・エジプト・インダス・黄河に続くのが、アマゾンと揚子江)ならぬ、新しい文明発見の可能性を、デアゴスティーニの「歴史のミステリー」と同様の研究者も頷くような高いレベルで考察したことには拍手を送りたい。最初はこのためだけにこの映画を撮影したのかと思ったので、さて、解明しきれていない文明の帰着を何処に持っていくのかと思いきや・・・、なるほど、その手があったかと、これはGSだけができる特権だよねって、だったら、最後はいっそのこと空飛ぶ自転車で脱出してくれたら良かったのにと、ならば、最後までパロディになってしまっただろう。(尤も、それに遠くないが・・・) 贔屓かもしれないが、GSじゃなかったら絶対に許されない展開である。但し、ロズウェルは引っ張りすぎ。「インディペンデンス・ディ」ではあるまいし、この引っ張りを序盤だけならまだしも、あそこまでやられると、インディもただの大衆娯楽活劇だと言い切ってしまうぞと警告する。勿論、それに対するインディの回答は台詞にあるのだが、一番いいところであれはないだろっていうのは正直な感想。相変わらずVFXを使用せず、宮殿の仕掛けの手作り感は絶妙で、今回は過去3作よりもさらに精密になっている美術や効果、撮影技術も、前述した本作製作への発想はすべて素晴しいのに、肝心の物語はボロボロでしたというのが正直な感想である。

65歳のハリソンフォード、勿論、イコール主役のインディもそうなのてあるが、年相応のアクションやキャラを用いているところの発想は良かった。つまり、インディの最新作を製作する土壌はすべて整えつつも肝心のストーリーへの執着と詰めが甘かったのは、周りの期待に応えるべくの致し方ない対応だったのだと思う。何せ、本作製作準備は20世紀から始まっていたし、ケビンコスナーが、兄役で出るという話題もとんだほど。映画関係雑誌の年頭特集にもここ数年は毎年、「インディ公開の予定は何時」という記事が掲載されていた。本作品は期待に応えただけでも鑑賞の価値があると思う。但し、正直、マーカスがいないのがこれほど寂しいのは(予想はしていたが)、やはり大いに物足りなかった。イギリスが誇る名優、デンホルム・エリオットは1992年にエイズにより他界している。このブログでは触れたことがなかったので、この場を借りてご冥福をお祈りする。

そういえば、父、ヘンリージョーンズも他界したことになっていたが、彼はインディ同様「最後の聖戦」で聖水を飲まなかったけ? これから復習しなくては・・・。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ

このブログの関連記事
レイダース 失われたアーク《聖櫃》
魔宮の伝説
最後の聖戦


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-07-13 15:37 | 映画(あ行)
b0046687_22501844.jpg人一倍音楽には精通している積もりのある筆者であるが、苦手としているジャンルのひとつにシャンソンがある。というか、一般的にはシャンソンとはフランス語で歌われる曲であって、音楽的に特別な構成を持っている訳ではないから、ジャンルという言い方をするのはおかしい。語源だってカンツォーネと同じである。結構、素人さんでもシャンソンを習っている方が居て、たまにチケットを買わされて、3回に1回くらいは付き合いもあるから花束などを持っていくが、如何せん、立派な会場を貸しきっても4割未満の入りで、500人近くの義理立て来場者が居るが、良いと思ったことは一度もない。だから、正直、エディット・ピアフも、「愛の讃歌」もシャンソンというところとは別の次元で知っていたが、エディット・ピアフの「愛の讃歌」は、パチンコのCMで流れるまで知らなかった。そう、偉そうに言うわけではないが、シャンソンというのを音楽だと思っていないのかもしれない。前述したカンツォーネの方は名曲も多く、筆者も(自ら、お世辞にも上手いとはいえないが・・・)、新宿辺りのビアノの伴奏で歌っちゃったりする。尤もピアノ伴奏ってカンツォーネに合わないが・・・。

ところでこの作品の鑑賞は本当に疲れた。シアター公開の際もそう思ったし、今回のDVD鑑賞でも同じことを思った。しかし、マリオン・コティヤールの演技を見ているわけだから物語にそんなに拘ってもいない。音楽とは天賦の才が備わって初めてそれを外部に紹介することができる、ある意味で言えば「神の領域」に存在するものであると私は確信している。才がないものにはその「オト」を発見したり、それを再現することができないからだ。多くの人間は、メロディを簡単に口ずさむことができるが、それが、オリジナリティなものなのか、そうでないのかの判断というのを瞬間的に自分で下すことは難しい。案外、オリジナリティって多いものである一方、人間は記憶のできる動物だから、以前に聴いたフレーズを何十年ぶりかに再生することだって出来る。脳の持つ力は果てしない。しかし、そのフレーズを第三者に伝えることは難しい。その媒介として音楽理論が存在する。音階とかコードとかいう便利な共通記号である。しかしながら、その限られた才能を持っている人というのは、その才能を使いこなすことなく生涯を終わってしまうのである。ヴォルフガンクが一番良い例である。同時期に追従できる音楽家は一人もいなかったが、確かに600曲以上の沢山の曲を残したが、例えばルートヴッヒの9番や、ヨハネスのブラ1みたいな、桁はずれの曲は作っていない。敢えていえば、未完成のレクイエムである。そう、残念なのは、その才能に恵まれた人々がそれを生かしきれずに終わってしまうことだ。

エディット・ピアフも然りで、同じことを繰り返す。どうして酒や薬になるのか。彼女には理解者も大勢いたのに、と考えると、鑑賞以前に興醒めしてしまうものだ。そしてその連続がこの映画作品である。逆に言えば、そう思わせるほどのマリオンの演技が素晴らしいというしかないのかもしれない。「ロング・エンゲージメント」はもとより、「世界で一番不運で幸せな私」などは忘れられない演技である。だが、ここでもやはり疑問。素晴らしいけれど、まだ30歳前半の彼女が偉大なのかもしれないが、どうしてこんな酒と薬づけの婆さまの役をやるんだ? で、もって判で押したようなオスカー主演女優獲得って訳で。このあたりは、本当に解せない。以前、オスカーは精神異常者かアル中の役が一番取りやすいって言われたが、昨今はデブか爺さま婆さま、それにキモイ役だろうね。

作品も才能溢れる音楽人生でなく、破滅色が強かった。それでも歌うぞ「愛の讃歌」って、そんなに名曲なんだろうかと、フランス人の音楽性をとても疑う。確かに芸術家の輩出は多いが音楽家っていうと、ベルリオーズ、サン・サーンス、フォーレ、ラヴェル、サティってとこで、これって言うすごい人はいないようで・・・。

あっ思い出した。ドビュッシーがいたじゃないか。ロマン派から現代音楽への橋渡しの時代に印象主義を取り入れ、且つ音楽による「心象の喚起」を目指した偉大な音楽家が。そうそう、それに、ポール・モーリアとリチャード・クレイダーマンもそうだ。なるほど、結構紳士が多いので、逆にピアフが「物語」になったのだって、妙に納得した。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-05-21 23:57 | 映画(あ行)

大いなる陰謀

b0046687_13305352.jpg


とにかくメッセージの多い作品だった。その場の台詞やカット毎には良く理解でき、受け止められたのだが、実際作品を観終わった段階で、ではトータル的に何が残っているかというと、鑑賞中に受けたメッセージを集約されたものが何一つ自分の中に残らなかったという珍しい作品鑑賞になった。なぜだろうかと自問自答したことを下記に述べてみたい。

まずは、国民とか世論とかは、もうアメリカには必要ないのかということ。翻って、日本だって重要なことは、一体だれが決めているのだろうか。特に昨今日本でも一番気になるのは「国民は納得しない」とか「国民が怒ってますよ」いう「国民」の大安売り。政治家もマスコミも皆この言葉を使う。政治家に至っては、与党も野党も、場合によっては区・市議会議員のレベルでも言われる。この場合の国民って一体誰をさしているのだ。マスコミに至ってはもっと卑劣だ。とにかく「こんなことでは国民は納得しませんね」っと、国民を出汁にして勝手な議論を振り翳す。これがまだ、討論番組か何かの一コマなら多少は許されるものの、例えば朝のニュース、特に8チャンネルかなんかで国営放送に居場所がなくなり追い出されたKYなオヤジにまで「国民」呼ばわりされると、一体あなたは何様かといいたい。結局は国民ってそういってるあんた自身なんだろうと。しかし、それを平気で公共の電波に流出しているメディアの既に大衆感覚に麻痺している昨今の実情はそれ以上に救い難いのであるが。

そして、日本を理解すれば最近のアメリカ理解できる。欧米と日本の距離感というのは、中世と比べると600年掛かったがやっと同軸で推移するようになった。前述した原因を作ったのはアメリかでは9.11であるが日本ではというと、勿論、小泉政権である。悲しいかな国民の半分以上がその物珍しさから支持・賞賛しつつ、筆者はいかに政策のひとつひとつの検証が希薄で、実現を伴うとは思えない数々の内容に対し色々な場面で反論していたが、直近の老人医療保健改革も含めて、国民は常に政治やマスコミの都合の良い様に使われるだけだ。小泉に至ってはそのシビリアンコントロールの大変長けていたし、こればブッシュがテロに対して自分の都合で敵国を特定したに等しい。「国民の声を反映する」という国民っていったい誰だったのか?要するに、「お前だろう」と言いたい。そして、この米日の国民不在の国家運営は、既に6年間も続けられている。

そういう意味で、この作品が制作された土壌というのは良くわかるし、レッドフォードだからこそ作品化できたということもその通りだと思う。しかしながら残念なのは、伝えたいメッセージを構築するシテュエーションを絞りきれなかったということと、上院議員と敏腕記者の対話のシーンが多すぎたといえないか。筆者は、寧ろ大事なのは、この時代に自らの理想を掲げ、それを実証するために戦地に赴いた若者であるし、同時に、その責任と、学問に絶望した学生を立ちなおさせようとする教授なのであって、その視点からみれぱ、上院議員と記者の会話をカット的に処理するか、そういう「会話の場があった」ということだけで、後は各々をショット的に入れ込めば良かったと思うし、作品が短いのは良かったが、この構成を守りたいのなら説明不足が多すぎて、120分を超えるのは仕方ないが、バックボーンを明確にすべきだった。問題提起をしたにもかかわらず、最終的にあとは自分で考えろという作品の終わり方は納得がいかない。

こういうジャンルの作品は筆者がもっとも好むべき範疇であるが、前述のように、脚本よりも、メッセージありきになってしまった原因は、上院議員にトム・クルーズ、敏腕記者にメリル・ストリープという超大物を持ってきたために、このふたりのやりとりが演技的にも質が高く、また上手いがゆえに面白く、結果、当初の予定からこちらが重視されたのではないかという憶測も成り立つ。単なる会話ではなく、このあたりのシーンは迫力があった。映画の作品のサカ゜というべきか、役者が良すぎて作品の主題がぼやけてしまうというの、何もこの作品に限ったことではないが。

原題にある"Lions for Lambs"は、「愚鈍は羊たちに率いられた勇敢なライオン」という、第一次大戦時にイギリス軍を皮肉ったドイツ将校の名言である。この作品における羊とは勿論野心しかない政治家であり、ライオンは自己の意思を体現する若い命である。レッド・フォードがメガホンを取り、自らも出演してまだ伝えたかったことはここにあるはずなのに、現在の世論に麻痺せられたアメリカ人、そして勿論日本人にも、一体このメッセージがどれだけ伝わったかが疑問である。これから鑑賞を予定されている方に、ひとこと言えるとすれば、もしかしたらこの作品は原題だけ深く心に刻んでいただき、作品はご覧に成らない方が良いかもしれない。いつもメルマガを送ってくれる20世紀フォックスには申し訳ないが、残念ながら筆者はそう思う。但し、政治家の戯言やマスコミの横暴にこれからも自分を見失わないという自身がある方は、是非、ふたりの勇敢な「ライオン」を中心に鑑賞して欲しいとも思う。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-04-20 13:38 | 映画(あ行)

いつか眠りにつく前に

b0046687_1763192.jpg
実は鑑賞の予定が無かったのだが、地元のシネコンで特に予告編が流れた回数が多く、これは是非家内と一緒に観にいこうと予定をして誘ったら、二人の娘の学年末テストの勉強を見てあげるとかで、あっさり断られ、情けなく一人の鑑賞となった。作品を観終わって、なるほど、母親って凄いって実体験を踏まえた実感に繋がった意義の高い鑑賞だった。

母と娘が主体だったし、且つ、人生の終焉に関する作品で、以前、「きみに読む物語」に感動したと家内が言っていたので、勝手に女性向の作品だと思ったが、とんでもない。この作品は色々な人に観ていただきたいと正直に思った。キャッチコピーが、「あなたが最期に呼ぶのは、誰の名前ですか?」と、なんだか意味深で過去の過ちを振り返るだけのラブロマンスだと思い勝ちであるが、この作品は、そんなロマンスだけでなく、人生を生き抜いた者の自信と人生に立ち向かう者へのエールが込められ、且つ、どんな人間でも、その生涯は尊く、人ひとりの一生というものがとても重く、そして素晴らしいものなんだということをち力強く説いている作品である。物語に関してのコメントは申し訳ないがこれ以上書くとネタバレになってしまう。新作に関しては原則ネタバレをしない主義なので、これでやめさせて頂くが、絶対に観て、そして、自分の人生に関して深く探求し、自分の家族や血縁者、さらに周りの人間の人生の尊さを感じて欲しいのである。

さて、もうひとつの興味である、豪華俳優陣に関してここでは書かせて頂く。兎に角凄いキャスティングであるが、やはり一番大きいのは、2組の母娘共演である。ヴァネッサ・レッドグレイヴとナターシャ・リチャードソンは母役とその長女役で、また、もう一組のメリルストリープとメイミー・ガマーは主人公アンの親友であるライラの若い頃と年老いた頃を演じている。まず、ヴァネッサはベッドに横たわっての演技のみであるが貫禄である。「ボーン・コレクター」のデンゼル・ワシントンも寝ているだけの演技で凄かったが、ヴァネッサはさらに貫禄があった。その娘ナターシャ・リチャードソンは「上海の伯爵夫人」が記憶に新しいが、寧ろ今回は次女役のトニ・コレットに重きを置いているので、長女らしい温和な演技が終始際立っていた。ヴァネッサと言えば、少し古いが「ジュリア」。あの作品をリアルタイムで観ている(またまた歳がばれる・・・)筆者としては、この役柄との違いで彼女の素晴らしい「女優人生」を感じてならないし、だからこそ、人生を語る彼女の台詞の一言一言には本当に重さを感じるのである。新しいところでは、「ミッション・イン・ポッシブル」のマックスであるが、このときの存在感も凄かったな。一方もう一組の母娘は、本格的な映画出演は、ラッセ監督作に続く本作品が2作目のメイミー・ガマーが兎に角がんばってくれた。クレア・デインズ演じるアンの親友役で重要なポジションであったが、中々無難にこなしてくれた。勿論オスカー15回のノミネートで、「クレイマー・クレイマー」の助演賞、「ソフィーの選択」の主演賞受賞である大女優の母と比較しては申し訳ないが、今後にも期待できそうだ。若い頃のメリルとは随分印象が違うが、今回の様な役どころは良さそうだし、実はとてつもない役とかが出来そうな雰囲気も持っている。不思議なのは若い頃のメリルより、今のメリルに似ているから、ここの母娘共演は同じライラという人物で登場させてキャスティングが見事だったといえよう。また、脇役では、グレンローズの嗚咽は凄かった。彼女き遅咲きの女優であるが、どうしても「危険な情事」なんかより「102」を思い出してしまうのは筆者だけ? しかしあの嗚咽だけで助演賞ものだと思うのだが・・・。また、ハリスを演じたパトリック・ウィルソンは、若き頃のケビン・コストナーを思わせる(ケビンももうそんな歳? 髪のせいだよね)今回は、「オペラ座の怪人」あたりとはまた違って、イイ男はなにをやってもいいから得ですな。そして、最後になったが、主役のクレア・デインズ。どうしてこの女優はこの豪華女優陣の中にあって、最も輝いていたのであろうか。日本では公開が先になった「スターダスト」でも、豪華共演陣を向こうにまわして一番光っていた。「若草物語」のべス役で映画界デビュー(姉のジョーがウィノナで、妹のエミーがキルストンだから初めからすごい抜擢だった)し、その後TV作品「アンジェラ15歳の日々」でいきなり主役になり、ロミジュリではレオさまの相手役などと順調であったが、暫く良い作品に恵まれなかった。だが「幸せのポートレート」で久々に見たという感じでサラ・ジェシカ・パーカーを食ってしまう演技にやはりこの人の存在感は大きいなと思っていたから、最近の活躍は嬉しい。イェール大学へも通う才媛でもあるから、30歳を目前にして、彼女いよいよジョディ・フォスター、ジュリア・ロバーツと継承されているミス・アメリカ的位置を確保できる「ビッグヒット」と女優賞が欲しいところである。忘れていた、トニ・コレットとヒュー・ダンシー(ルワンダの涙とはまた違っていて・・・)も良かった。というか、俳優はそれぞれがお互いをうまく助け合い、すべてのシーンでの演技が良かったところは大きい。

「人生の過ち」に関する見解が物語が進むごとに変わっていくところも見逃せない。映像も良かったが、一方で脚本と構成は俳優を頼りすぎていた感がある。但し、冒頭に書いたように、家内が筆者より娘たちを優先した現実は、この作品とも被るところがあり、そんな実体験が作品を良く見せたのかもしれない。序ながら、やはり随分泣かせて頂いた。残念なことに公開2日目だというのに筆者の回はガラガラ。だが、絶対に観て欲しい作品だし、(DVDでも良いが、過去の美しい風景はスクリーンの方が感動するだろう・・・)鑑賞されたらご自身の人生を見つめなおす機会にして欲しい。そういう価値のある作品だ。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-02-24 17:19 | 映画(あ行)
b0046687_22513412.jpg
英国史の中で、彼女ほど、絵にも物語にもなる人物というのはそんなに沢山いないであろう。わが国でいえば、信長、秀吉、家康といったところであろうか。不思議と年代的にも似通っているから不思議である。最近思うに、やはり世界的に色々なことが起こる潮流というのはどこかに存在していてこれは単なる偶然ではない、バタフライ・エフェクトだったり、別の言い方をすれば「神の意思」だったりするのであろう。そして、日本での織豊時代の英雄と同じく、後世にも物語になりやすいのが、このエリザベス1世であり、彼女の生きた時代である。しかしながら筆者ともあろうことか、前作の「エリザベス」を鑑賞していないのである。これは本当に不覚だった。この続編の制作が決まってからというもの、高を括っていたのでDVDで観れば良いやと思いきや、DVDは未発売。ビデオなんぞ市場に売っている訳もなく、普段は余り訪れないレンタルへ行ったものの、東京といえど、北の住宅街に隣接するレンタル店には全く扱いがなかった。ということで、続編というひとつの映画作品の楽しみは失ったものの、このエリザベスの物語は高い期待度の中鑑賞が始まった。

しかし、前作を観ていないからか、前半はかなり退屈した。史実の部分、つまり、エリザベスと姉のメアリー1世の生い立ちと処遇は、多分前作で終わっているのかどうか、この部分が、妙に簡単に描かれ過ぎてしまい、やはり筆者の様に(歴史は知っているが・・・)続編から観るものへの配慮が全くされてなかった。特に、なぜ、メアリーがあれだけカトリックを信仰しているかの理由というのが、前作も歴史も知らない鑑賞者には恐らく分からなかったと思う。これは大変不親切な脚本だった。もし、前作がなかったとしても時代的には、メアリーの斬首刑がひとつの大きなポイントになる時代背景だから、もっと丁寧に描いて欲しかった。折角、作品的には中盤のピークに達するところで上手い演出と構成だったが、その陰で脚本は甘かったと言えよう。

それからこれはイギリス映画(フランスと合作)だからかもしれないが、やたらと史実に忠実だった。しかし、逆に後述するが肝心な部分を歴史に中軸ではなかったので、少し白けたところもあった。世界史上でも十指に入ると思われる大事件、それがスペイン無敵艦隊の敗北である。エリザベス1世といえばこのアルマダの海戦であるから、ここが映画の最大の見所でもあるし、また、彼女の生涯でも最も大きな決断であった。
作品では当然だが、「カレー沖の海戦」を最も重要視した。イギリス艦隊による火船攻撃は、一方で赤壁の戦いの連環の計などを思い出させるが、この滅茶苦茶とでも言える戦法によりイギリス軍は大勝利を収めた。しかし、元寇ではあるまいし「神風」は吹いちゃいけないでしょ。この辺りは如何にスペイン艦隊が当時強かったということの証であるが、いつも言うように歴史というのは「勝者」の定義で塗り替えられる。スペインが強ければ強い方がそりに勝ったイギリスの方がより強いということで、後々に「無敵艦隊」と言われたが、正直このアルマダの海戦前にスペイン軍は相当疲弊していたし、逆に言えば唯一の戦争の口実であったイギリスに於けるカトリックの頭を失ったというので、大義名分が立たなくなったのも事実。歴史は既に東へ向かっており、スペインにとっては、小さな島国イギリスよりも、大きな大きな南米大陸の方が興味があったのである。簡単に言えばこれが無敵艦隊敗北の顛末であるが、大英帝国たるものそうは言えない。だからこそ、やはりメアリー1世はもっときちんと描いて欲しかった。そうでないと基督教に興味の無い方には分かり辛かったと思う。

そんな中でも、ジェフリー・ラッシュのウォルシンガム卿の「貴方のための法なのだ」という言葉は、神の法より王の法を重視し新しい時代の到来を示唆したこの時代のイギリスを象徴する名ゼリフである。そういえば、海戦前にエリザベスが宮殿で戦略を練っている際に床に描かれていた地図のイギリスとフランスがとても遠い距離に描かれていたのが当時の地理的感覚なのか、とても気になった美術だった。この距離感が英国を強く、誇り高い欧州一の民族に育て上げたゆとりなんだと思う。

最近の研究ではエリザベス1世は正式には王位に就いていないという説が強く、これはひとえにローマ教皇側からの見解であるが、そんなの関係ないっていう強い信念があった人であり、そういう島国風土だったのだ。しかし、戦闘の際に着用していた鎧は、時代が少し古くなかったかな。(突然ジャンヌ・ダルクの百年戦争時代にタイム・スリップしたのかと思った。)

しかし、このシリーズ続編がある?実は、エリザベス1世は晩年も面白いから、ケイトがその歳になったらパート3を制作したらどうだろうか?そうそう、ケイト・ブランシェットはお見事、また一段と好きな女優になった。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-02-20 22:55 | 映画(あ行)
b0046687_17453586.jpg
1970年代、麻薬生産地帯といえば、ゴールデントライアングルといわれる、タイ、ラオス、ミャンマー国境地帯である。当時生産した麻薬はすべて米国政府が買い取った。そもそもがアヘン戦争で儲けた連中が支配層を形成し、その麻薬業者がCIA設立に関与したのが、アメリカと麻薬の歴史である。ゴールデントライアングルの連中のいう、アメリカ政府とはCIAのことである。作品には中国国民党が出てくるが、このシーンで遠まわしであるがそのことに触れている。因みに、まだこの時代になっても国民党を武装させたのはアメリカであり、その軍資金麻薬売買であったから、アメリカという国はどこが世界の警察なんだか不思議である。ここでの売買成立がこの作品のポイントになるのであるが、実話に基づいた作品であるが、その本人は黒人だったのだろうか。だとしたら、この麻薬の取引相手の目利きが抜群だったに違いない。実際のところ、サイゴンとの麻薬取引というのは、そんなにニュースソースに上がってこないのだから。但し、70年代に麻薬輸入の主流はどちらかというとコロンビアであり、このマネーロンダリングを詳しく調べていくと、最終的にはブッシュ大統領にぶちあたる。それはここでは割愛するが、要するに、マフィアとか遠回しな言い方をしているが、世界最大の麻薬販売企業はCIAであるし、それを理解しているとこの物語は本当に良くわかる。また、リドリーがそこまでは突っ込まなかったのも幸いかな、である。それ以上はこの物語を見た人が独自で調べれば良いことなのであるから。

二大オスカー俳優の対決という先入観がありすぎて、もっと絡みが多いのかと思ったが、まったくそこは外されたが、却ってもっとずっと面白い作品に仕上がっていた。因みにこの演技巧者のそれぞれ一番演技が良いと思う作品は、デンゼルはやはり「マルコムX」であり、ラッセルは「ビューティフル・マインド」であるが、両作品共にオスカー主演男優賞は取っていない。前述したようにそれぞれが中々出会わない迄の演技というのが期待感が高まった一方で、対峙してからの迫力が今ひとつだったのは残念だった。勿論、結果的にラストは良い無難な処理になったものの、法廷シーンを引っ張って対峙しても良かったのだが、ここまでの時間が長過ぎたという印象がある。但し、前半でこのふたりは「中々出会わないぞ」という布石が作ってあったから、各々の演技は十二分に楽しめた。意外なはずされ方をされた一方で、見せるべくポイントを外さないのが流石はリドリー・スコットである。しかし、この実はこの二人よりも演技として光っていたのが、ママ・ルーカスを演じたルビー・ディ-と、ヒューイを演じたキウェテル・イジョフォーだ。ルビー・ディーはこの作品でオスカーの助演女優賞にノミネートされているがこの辺りのオスカーの目は正しい。また、キウェテルは「インサイド・マン」に続いてのデンゼルとの共演。彼は「ラヴ・アクチュアリー」がどうも印象的なのだか、(「キンキー・ブーツ」でも準主役だった)名脇役というところであろうか。そもそもが舞台俳優だけに、舞台芝居を観てみたいものだ。このふたり以外の脇役の演技にも見所が多く、その部分で作品を支えていたところが大きかったとも言えよう。

リドリー・スコットというのは、本当に型に填まった映画作りをしない人だ。 「ジェシー・ジェームスの暗殺」にも製作で関与していたが、大体からして、前監督作品の「プロヴァンスの贈り物」と、「グラディエーター」と、更には「ブレード・ランナー」を同じ監督が作ったとは到底思えない。ただ言えるのはどの作品も土台を作るのが上手く、そこがふらつかないから展開を安心して観ていられるという信頼感がある。この作品で言えば冒頭に述べたなぜ、フランク・ルーカスなる一黒人がサイゴンくんだりまで行って麻薬の元締めに信頼されてしまうのかという元々を映像で描かなくてもうまく台詞に乗っけてしまう脚本家との連携だったり、脇役の使いこなしがうまく、きちんと二大スターを置くべきところに配している演出力といい、この辺りをきちんと押さえているから多少展開(かといってドンデン返しがある訳ではないが、最後のコメントにはにやっとしてしまった)が予想に反しても、鑑賞者が見失わずに着いていかれるのである。そして、彼なりの主張も織り込んでいるから巧妙である。「グラディエーター」の彼なりの歴史解釈以来、その部分にはこちらも拘って鑑賞しているのである。

思い出したが、デンゼルの父は牧師。教会のシーンに重きを置いたのはそんなところも汲んでいるのかも。この監督だったらやりそうだし、今後はラッセルよりデンゼルと組むことが多くなるんじゃないかと思ったシーンだった。

しつこい様だが法廷シーンはもう少し見たかった。そうでないと最初のラッセルの台詞が生きないからだ。次はこのふたりの大ガチンコ対決を観たいものだ。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2008-02-09 17:53 | 映画(あ行)
b0046687_1242316.jpgメルの作品は何かがある。監督作品としてはこれが多分、4作目になるはずであるが、筆者の評価も「ブレイブハート」(96点・特A作品)、 「パッション」(93点・A作品)は、いずれもその年の年間1位に評価されている程高い。今回の舞台はマヤ。だが、メルの作品だから最初っからマヤ文明の興亡を歴史の観点から正当に描こうなんてことをこの監督がするはずないということは、ウィリアム・ウォレスを描いたときからこちらも承知済み。だからどんな観点なのかは公開時から大変興味の高かったところだ。他の監督だったら、例えば、極端に言えば、リドリー・スコットがマヤを題材にするというのとは、全く異質の期待感に満ち溢れていた。
また丁度劇場公開時には、前後して「インカ・マヤ・アステカ文明展」の開催があったが、その後の発掘や研究において国の成立や民俗など色々なことが分かってきているインカ文明に比べて、マヤやアステカはまだまだ未知の部分が多く、特に出土品の年代の特定はかなり大雑把だった。逆に言えば、今現在なら色々な考察や製作者自身の思いが込められるのも事実。「ブレイブハート」同様、そういう「歴史の想像」には大きな期待ができる作品であった。

実際に、美術が素晴らしかった。とくにマヤ文明の民俗考証はそれが正しいかどうかではなく、考え方が中々のものでとても参考になった。生贄のシーンに出てくる死刑台(あの建造物は長いことピラミッドだと思っていたが… どうもこの辺りは筆者もいい加減で、マヤとアステカが混在している?)、集落の表情、儀式の進行、民衆の装飾品、そして生贄を見送る女達の踊りといい、このシーンはすべてに見応えがあった。特に、途中で描かれ、彼らが人物たちの運命を悟る壁面というのは原型が残っているのだろうか?大変興味深いシーンである。

物語の面白さという点では、皆既日食のシーン。かなり全体の時間的には無理があったが、この場面は必須である。この時代の中南米地域の文明は太陽を神と崇めていた訳だから、この儀式と自然現象の絡みで、祈祷者(キリスト教圏で言えば教皇であろう)の立場が益々強くなって行き、結果ラスト辺りの来航者をリンクさせた時に、この文明の行く末が長くないことを想定させられる。この短時間に文明国の衰退と新文明国の侵略という歴史の展開を纏めているのは良い繋がりである。

映画として歴史的な新事実発見には繋がらない作品であったが、それは、ウィリアム・ウォレスと違い、そもそもの題材に歴史的考察の価値がない時代であるから、その部分は致し方ないが、ある意味で終盤の「追いかけっこ」には大変驚いたのは事実。いやぁ、良く走ったと思う。「炎のランナー」やフォレストよりも走ってくれた。メルの作品というのはこういうサディスティックな要素が多く、「ブレイブハート」ではエグイだけであったが、「パッション」では人間の奥底に存在するサディスティックな部分を前面に押し出した。今回は、必用に「走り」のシーンを繰り返すことによって、鑑賞者をある意味で「いじめて」いる。いつまでそんなに走るのかいと・・・、というか普通の監督なら、どこかに息抜きシーンを作るのであるが、メルは殆どといって作らなかった。しかし、一方で追いかける方もずっと着いてきているわけだから、そういうことでこの時代のこの民族は「良く走った」のだということは印象づけられたのは事実。同時に序盤に出てくるシーンとの対象で、色々な要素や仕掛け、攻略で追いかける方が徐々に脱落していくのは、「森を守る」という彼らの使命をここでも強調している。アジア人とも、ヨーロッパ人とも違う、「森の民族」の描写と主張には効果的だったかもしれない。

但し、総合的にはこの後半の走りのシーンは減点にこそならないが、間延びに繋がったのは残念。結果「パッション」よりも総合評価は低くなってしまったが、それでも高得点作品である。

折しも、この作品の公開時には「300」も劇場上映していたが、作品の質といい完成度といい、メルは筆者にとっては今後も評価が高く、目が離せない存在である。


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
「turtoone主義」
[PR]
by turtoone | 2007-12-03 23:54 | 映画(あ行)

オーシャンズ13

b0046687_22205035.jpg
「オーシャンズ11」が発表されたとき、まさか、このシリーズは続編はあっても3作目までは無いと思った。

理由は簡単である。これだけのスターを揃えるのはとても大変なことであるからだ。しかし、どうだろうか、作品を重ねるごとに次々にビッグネームが登場するという大変なことになってしまった。予想とおり、ジュリアの出演は無かった。キャサゼタも一応、大女優(というか、そろそろキャサゼタが上になるか??)対して遠慮したのかもしれない。

ただ、それよりも驚いたのは、この「13」が、「11」とも「12」とも全く違う作品に仕上がったことである。

この作品は既にコメディだ。勿論、その要素は最初からあった。監督作品では理知的な部分を前面に出し、益々魅力溢れるスターに名実共になったクルーにーと、先ごろ雑誌「Forbs」で、ハリウッド1のセレブにランキングされたブラピ(ボランティアポイントが高かったからアンジーに感謝)。そもそもこのふたりは根っからのコメディアンであるが、そこにマット・デイモンがどちらかというと今まで培ったイメージをぶっ壊しても望んでいるこの作品のキャラ作りには驚く。そう、「ディパーテッド」の時も、思わず、こっちのマットを思い出して吹き出しそうになったくらいなのだから。「オーシャンズ12」は結構、人間を追いかけた。女捜査官と世界一の大泥棒である。ストーリーはとんとんと運び、トリック的には鑑賞者をだます一方で、この二人のサブメインキャストを強く描くことにより、間接的にオーシャン、ラスティの二人の人間性を描くことに成功した。だから、「12」は、どちらかというとこのシリーズでは本筋より、サイドストーリーに近い。そこが良かったのである。

今回は色々な意味で本筋に戻った。ベガスが舞台、男っぽい骨太のと思いきや、ブラビの変装には相変わらず笑えるし(この人はトム・クルーズとは違う意味で変身願望があると思う。最近やジョニデもそうであるし、やはり美しさは罪なのかもしれない。)、取ってつけた様なデイモンのラブロマンスも笑える。つまりは、本筋に帰っても、やはりコメディなのである。

何か、評価の対象になるような作品ではないが、20年以上もベガスに行っていない筆者にとってと、毎年ベガスで遊んでいる家内が並んで鑑賞しているのも可笑しい。だから、必ず鑑賞後には彼女のベガス解説つきてある。しかしながらその中にあってやはりパチーノの演技と存在感は別格。さすがのガルシアも飛んでしまった。だが、鑑賞中にはそういう色々なことを考えずに自然体で観ていられるのが、この作品の良さであると思う。

個人的にはメキシコのシーンが一番気になった。ベガスという世界がある一方で、同じ地続きの大陸で労働者はほんの少しの権利を主張している。ソダーバーグ監督だから、勿論、そのあたりも主張りひとつだと思うので、この一晩で世界で最もお金が動く場所を題材にした風刺が込められた作品として、是非、次回作品も期待したい。

そういえば、前作のときにクルーにーが言っていた日本ロケの話はリップサービス?


公式サイト


allcinema ONLINEの作品ページ
goo映画の作品ページ


よろしかったら、こちらにご協力を。映画のブログも検索できます。
人気blogランキング


ついでながら姉妹ブログへもどうぞ
「情報過多で悩むあなたに」
「東京の原景を探して」
[PR]
by turtoone | 2007-08-20 23:19 | 映画(あ行)