「ハッピーフライト」
2008年 11月 24日
「ハッピー・フライト」(原題はVIEW FROM THE TOP)というグウィネスが主演のハリウッド作品があったが、これは燦燦たる内容だった。中黒が間にない邦画「ハッピーフライト」はそんな過去の忌まわしい鑑賞体験が邪魔をして、全く異なる内容だと知っていたが中々鑑賞に踏み切れなかったが、後押ししてくれたのはテレビメディアで見せる綾瀬はるかの「天然」であり、要するに、このところサイボーグや座頭市という突飛な役が続き、銀幕では天然ぶりを発揮していなかったので、それが見られれば良いと思い、シネコンまで足を運んだ。
ところで、いつから「キャピン・アテンダント」という名称がメーンに使用されるようになったのであろうか。筆者の時代は「ステュワーデス」という呼称が主流で、また、女性にとって憧れの職業でもあり、筆者の友人にも「塾」やソフィアを優秀な成績で卒業して「スッチー」になり、高給(尤も筆者の知り合いは皆家も良かったが・・・)と株の売買などで、20代で一財をなし、起業して今今では中小企業のオーナー社長(ひとりは公開もしている)になっている。つまりはスッチーと言われていた時代は、現役は高級外車(BMやベンツじゃないぞ、フェラーリやカレラだったぞ)を乗り回し、広尾や麻布の億ション(不思議と皆この辺り)を賃貸で借りていて、10年以内で独立して自分の会社をもった、客室乗務員史上、最も良い時代のことを指すのかもしれない。勿論そうでない人も沢山居るはずだったが、筆者の友人に関して言えば、スッチーは人生の最終目標でなく将来のための通過点であり、その時代にしっかりと知識と知恵と経験、語学に見磨きをかけつつコミュニケーション能力を強化しつつネットワーク(常連上客とのコネクション)、さらには軍資金を貯めこんでいたのである。しかし、よくよく考えると、筆者はこの同時代を本当になにも貯め込まずに過ごしてしまったが、スッチーに限らず、当時「時代」に流されず、しっかりと自分を見つめて来たものだけが、全体の1割くらいであるが、その後、地に足のついた現代を送っていると考えると、この「ステュワーデス」という単語は筆者にとってあの時代を総称できる呼称であり、現代その呼称を使わないことには大変高い意義を感じるのである。
作品についてであるが、1フライトに関しての様々な人間ドラマが軸になっていて、映画作品なのか、ANAの宣伝なのか分からなかったほど、色々な要素をこれでもかっと詰め込みすぎた感は全くもって歪めない。しかも、別に作品に必要だとは思えない要素も多くて、この部分は宣伝以外に何者でもない。矢口史靖が可也その宣伝要素を払拭するためにカット割をいじっているが、逆にいじり過ぎてしまった部分もある。このフライトの乗客はそれは大変な目にあったと思うのであるし、こんなに1フライトに色々な事件が起こるのも作りものの世界にしか考えられない。筆者もここ2~3年は減ったが、海外・国内合わせて問わず年間30フライト程度飛行機を利用するが、まず、ビジネス・エコノミーを問わず、まず機内で何かクレームが発生したことはないし、悪天候で目的地に到着できなかったことは2回(広島行きが羽田に帰着、熊本行きが福岡に変更)、悪天候でフライトが伸びたのが台風の影響で宮崎で1回、組合のストライキで鳥飛ばなかったのがホノルルで1回、ダブルブッキングという航空会社のミスでフライト便が変わったのが台北で1回だけ。たまたま恵まれてるのかも知れないが飛行中の機体の揺れは当然あることだと思っているから、トラブルの確率は1%以下である。そう考えるとこの作品は映画をメディア化してしまった企業の横暴であり、それを綾瀬のキャラで天然に暈そうとしている節が後味の悪い鑑賞であった。唯一の救いは時任三郎の「何とかなる」的な発言。この作品の全てを象徴していて、もし航空会社の宣伝映画なら、絶対に「何とかする」が決め言葉なのに、この辺りが矢口の風刺なのだとしたら、今後の彼の作品をこの経験を活かしたもっと良いものになるだろうと、その部分だけは期待する。
どうみても「ハッピー」なフライトではない。冒頭にも書いたように「ハッピー・フライト」という言葉の呪詛がまだ続く?
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| 2008-11-24 21:48
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