テラビシアにかける橋
2008年 01月 28日
原作は読んでいない。もし、原作を読んでこれから書く感想と一致したのであれば、本当にこの原作が凄いということになる。そこが作品を観てしまった後だと先入観が先にたち、本当の意味での原作の良さが分からなくなってしまうから残念だ。つまりは、これからこの作品を観ようと思っている方は出来れば原作を先に読んで欲しい。
ファンタジー映画作品が花盛りで、今年も可也多くの新作が封切られる中で、どうしてファンタジーがブームになるかというと、それは作品作りの骨太さとオリジナリティを失ってきたからである。現代は情報過多の時代であり、それはすべて押し付けの様に我々の周りを取り巻いている。何が真実で何がバーチャルなのかの区別も着かなくなっているし、一時期価値体系であったマスコミですら、情報を垂れ流すことは出来ても情報を整理することは最早できなくなってきている。そういう世界的な世相の中で現存するものの判断を下すことは難しい。神の見えざる手といわれた景気の動向ですら、一時期は一部の人間の介入でどうにでもなった時代から、今や、パイが大きすぎて神ですら介入できる状態にない。そういう時代に、ファンタジーが与えるものは現実逃避である。創造された世界であれば、その創造主によって何がどうあっても自由だ。そしてスターウォーズの時代が余りにも現実感がない話である一方、例えば、指輪物語やナルニア、ライラなどは全く別のどこかの世界で起こっているにも拘らず、どこか「過去の歴史」的な感覚がある。それは簡単である。その世界の「移動手段」が現実に今の世界でも考えられるものであるからだ。SWの移動手段は歩くこと以外には現実味がないだけだ。とどのつまりは誰かが作った世界の中を泳がされていたのが、ゲームや映画におけるファンタジーなのである。
しかし、この物語は、誰でもほんの少しの想像力で、新しい世界を創り出すことができるという想像イコール創造なのであることを少年少女の観点から実に見事に描いている。そしてそれだけでなく、その想像力は空想の冒険世界を作り出すことだけでなく、現実の世界で冒険をする力の源になっているんだということを教えてくれる。それが証拠にラストシーンはなぜあのような世界になったのか。簡単である。今までよりももっと想像力を持ったプリンセスが現れたからである。そう、子供というのは小さければちいさいほど想像力は豊かであり、逆に年を取れば取るほど想像力は低下していくということは誰でもそう思っているだろう。
そして今回は中心のふたりとそれを取り巻くすべての登場人物が良かった。短時間の中でそれらの人間関係もすべて説明できた。特に主人公の父親との親子関係については、お互いの誤解をきちんと解く、主人公が本当に怖がっていたものは実は一番身近にあって、そしてそれは誤解から発しているということも説明してくれた。こういう中途半端に終わらないところも良かった。そして、やはりなんといってもアンナソフィア・ロブである。彼女の演技は幼い頃のジョディ・フォスターを思い出す。「チョコファク」が印象的だったから、8年生や男たちも空手でぶっ飛ばしてしまったり、紫の花が出てきたときは顔が紫になり風船みたいになってしまわないかと心配したが(でもやっぱりチューインガムは持っていたな・・・)、兎に角、子役からの大きな飛躍のきっかけになる作品であることは事実。今後も注目したいひとりである。
そして、この作品は「映画だからできる」ということを実に明確に表現してくれた。(だからこそ先に原作を読んでおけば良かったと悔いているのである) VFXは使用していてもこういう使い方なら良いのであって、全編VFXのファンタジーなんて願い下げだ。ひとつ心配なのは、この作品これほど高く評価して、この後、ナルニアとかライラとはまともに観れるのだろうか。敢えていえば音楽に工夫がなく残念だった(ここで加点が少なくA評価作品は逃した)、「ネバーランド」 まで評価は高くないが、筆者の分類としてはこのタイプの作品であり、好感の持てた、展開の好きな作品であった。(そして久々に随分な泣かせて頂いた)
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| 2008-01-28 00:29
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