墨攻
2007年 02月 10日
そもそも文化大革命以降、中国に自国の立派な歴史を編纂しようという考えは、国家の政策に反する事とされるようになり、六四天安門事件後の政府政策により、一般の国民にまで正確な中国史を伝えることさえ禁じられた。今日、悠久なる中国4000年の歴史の中の数々の事件を取り上げて作品化するというのは、大変困難なことになってしまったのかもしれない。しかし、そんな中で、本作品のように、中国、日本、香港、韓国という4つの国と地域の融合プロジェクトとして仕上げたことの試みには大変大きな拍手を贈りたい。
以前は中国で最初の皇帝国家となった「秦」が、古代史の中心として研究されていたが、最近では、この「秦」の前にその皇帝という構想を持っていた「趙」が「周」の流れを最も継承した国として研究の中心となっている。周といえば、儒家を取り入れた(皇帝という名称は使わなかったが)国家としての機能を最初に持った国であった国家として、その後の中国の歴史興亡に大きな影響を与えているが、戦国七雄の中でも、秦に政(始皇帝)が現れるまでは、趙は七雄で最も勢力があった。政の出生も趙である。そういう意味では、この作品は中国の歴史を紐解く中でも新しい解釈であり、勿論、推測・想像の部分多いが、歴史に限らず新しい研究は仮説から始まるものであり、同時に墨子を扱ったという大胆な発想にも脱帽である。今や、世界で最も携帯電話販売数が多い国であるが、一方で、歴史は1949年から始まっていると教わって来た年代が成人しているという世代の、99%が最も尊敬している人物は「毛沢東か周恩来」である。世界の色々な国から中国史を研究するグループも来ているが、輸入品と変わらなく冷遇されているのも事実。国家の存亡に歴史が邪魔になるというのは分らなくも無いが、ギリシャやローマ帝国よりも、もっと昔から国家という概念を持っていたこの国の海外からの研究者には、協力をしないまでも、せめて自由に活動させることにより、新たな歴史的事実が発見できるものと確信する。
また、この作品には「儒教」という思想ら対して、ひとりの人間が、国と戦争と愛と人生の中で、何が大切であるのかということを真剣に考え、また、それらを語り合っている。日本でも、封建時代の武家というのは、「武士は食わねど高楊枝」という言葉の通り、階級・貧富に係わらず常に高い志を持ち、立派な生き方をしていた。中国では紀元前400年から、こんな立派な人たちが居たと思うと、我々は素晴らしい祖先を持っているのだと思う。ローマにも共通することであるが、この時代の人間は、良く「考える」ことを訓練され、実際にも良く考えて行動していたと思う。折りしも六カ国協議が再開した昨今、我々はもっと考え、知恵を出し、融和していかなければならないと反省させられた。
作品も見事だった。アンディ・ラウは良かった。又、ファン・ビンビンという女優を始めて知ったが、大変素敵な人だと思う。(私がソフィア・コッポラだったら彼女を主役にして楊貴妃を撮るだろう・・・って、失礼、これは言い過ぎ)。脚本も良かったし、美術で言えば、あの趙軍の気球の様な乗り物というか攻撃法は気になった(筆者の認識では気球を始めて軍事利用として戦法に使ったのは18世紀ナポレオンだ)が、まぁ、この辺りの自由な発想は良しとしたい。ただ、音楽はどうも「トロイ」以降、史劇はみんな同じ様な旋律と遣い方をされているのが気になったが、総合的には予想以上に良い出来だった。ラストでもうひとり、人物が並んで歩いていることを望んだところは裏切られたが・・・。
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by turtoone
| 2007-02-10 23:12
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