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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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カレンダー・ガールズ ~My Collection~

カレンダー・ガールズ  ~My Collection~_b0046687_23134496.jpgアメリカ制作のコメディ・ドラマであるが、所謂アメリカン・コメディでは無い。この「カレンダー・ガールズ」の作品化にも係わることとして、今、アメリカ映画界に蔓延している病巣として現代社会を描いた「フィクション作品」が著しく減少している。映画界だけの問題では無いが、これは一大事だと思っている。フィクションというとどうしても未来・ファンタジー物が殆どで、現代物は少ない。勿論、原作となる作品が書かれていないという問題もあるかもしれないが、これは筆者の年代から以降に、それだけの創造力が育っていないという部分にも関与してくるのではないか。そう、このテレビの申し子世代の人間は、イマジネーションというカテゴリーをそっくり削り取られたに等しいと言えるのである。例えば、桃太郎を創造した時その姿は様々で、ある人間は190センチの大男で大太刀を天から振り落とす勢いで鬼を一刀両断のもとに切り捨てると思う人がある一方、いやいや、桃から生まれたというほどだから、小さく145センチくらいの男(一寸法師が混ざったりして・・・)で鬼たちの間をすばしこく切り抜け成敗したと思い描く人間もいるだろう。さらには家来たちに至っても、犬は柴犬や狆などの伝統的な日本の小型犬だと思ったり、いや、「花咲か爺さん」のポチ(シロという節も・・・)が混ざって白い犬だったりしているが、これらはどれも間違いでない。ところがどうだろう「ドラえもん」いったら、下は一昨日やっと言葉を話せるようになった幼児から、上はお年寄りまでの内、恐らく9割以上の人は、丸顔で四次元ポケットを装着した愛嬌あるネコ型ロボットの顔を思い描くことができる。そう、これが視聴覚の強さであり恐ろしさである。現に筆者もピーターパンといって、幼少のころ枕元で聞いたジェームス・バリでなく、ディズニー・アニメのティンカー・ベルを真っ先に脳裏に浮かべられるのもこの視聴覚支配力の恐ろしさである。つまりはこういう世代から新しい創造が生まれる確率は極めて低い。

「カレンダー・ガールズ」の元ネタがフィクションでないと知ったときも、この視聴覚世代の影響を強く感じた。ひとつは、この如何にもフィクションらしい発想であるが、本当に誰もこういう設定で小説を書いていなかったのかということである。しかしどうだろうか、もし、このストーリーを書いて現代の編集者に持ち込んだり、小説の新人賞に応募したところで、恐らくデスクには上がらないし、文学賞もバイトの下読み者段階でボツにされてしまうだろう。或いは、テレビメディアの脚本賞にも該当する内容では無い。つまりは誰かが書いていたかもしれないが、現代では誰も相手にしなかったということだ。これは、審査する輩も最早視聴覚世代だから、この原作の「ババアのヌード?」というだけでそれに美的イマジネーションを感じることが全くといって出来ないのである。まさに貧困の病巣である。日本でも、恐らくこういう発想の出来る様な人は年代的にも筒井康隆センセイぐらいで、それも筒井センセイが書いたから価値があるようなものであろう。本当にこの作品のことだけでなく、フィクションの未来は暗い。宇宙モノ、ヒーローモノ、大作ファンタジーはどんどん大袈裟になるし、一方で現代モノは、現代の中で処理することができず、「精神」・「霊魂」・「近未来」といったレシピを加えることによって悪戯に終着点を誤魔化すか、或いはミステリーやサスペンス、更にはホラーの様に入り口からして無理な設定を植えつけることによって、その時代背景としての現代を表現するに留まっているのみである。悲しい現実である。

作品で一際輝いているのは、ジュリー・ウォルターズである。「リトル・ダンサー」のウィルキンソン先生であり、「ハリー・ポッターアズカバンの囚人」のロンのお母さんである。また彼女の親友役でもあるヘレン・ミレンを初めとしたイギリスの良い俳優さんがたくさん出演しているのも特徴。さらに、物語をより強く印象づける大地の景色が見事である。この大自然にはぐくまれた小さな町だからこそあった出来事という部分が強調され見事に表現されている。そして、フィクションにありがちな「妙なコンプレックス」への展開がなかったことに、更にこ物語の完成度の高さを感じる。「事実は小説よりも奇なり」の「奇」は、この場合フィクションだったら余計に話を発展させて最初の発想を台無しにするところが、適当なエンディング(勿論、事実としての彼女等の功績と募金額は素晴らしい)でラストを抑えた「事実の勝利」という「奇」であった。


より事実の様なフィクション作品に期待したい。そしてこの作品もそういう意味で映画好きにはレンタルで十分なので、ご覧いただきたい一本である。


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by turtoone | 2005-09-18 23:28 | 映画(か行)