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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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姑獲鳥の夏

姑獲鳥の夏_b0046687_1533473.jpg
なんと、どういう訳か、この一ヶ月間に3本もの邦画をシアターで観ることなってしまった。これは、筆者に取っては大きな変革である。これに関しては、紛れもない「ブログ効果」である。このブログを始めて9ヶ月、映画専門になって7ヶ月になるが、ブロガーの方々の邦画に関する記事を色々読むようになってからであろう。ひとつ、申し上げておきたいのは、筆者は以前から邦画が苦手だった訳ではない。学生時代のそれこそ年間300本なんて時代には当然、邦画(邦画も見てないと年間300本には達しない・・・)も鑑賞した。そして、邦画を観なくなった理由というのが、面白いことに今回この「姑獲鳥の夏」を観ながら感じたことと同じだったのでそれを簡単に紹介しながらレビューを書こうと思う。

そもそも今回この作品を観にいったきっかけは予告編なのだが、そのときにオーバーラップしたのが、1970年代後半にブームになった横溝正史シリーズである。「犬神家の一族」、「獄門島」、「悪魔の手毬歌」、「女王蜂」は何れも、市川昆監督、角川春樹製作、そして石坂浩二主演という当時の最強タッグが組まれ、当然の事カドカワが全勢力を注ぎこんでプロモートに当たったシリーズであった。横溝シリーズはTV版も製作されたが、作品の出来は映画の比ではなかった。そう、この当時はメディアとしては出版社がスポンサードしていた。彼等には映画興行成績ともうひとつ「書籍」の販売向上という使命があったために、現在のテレビメディアのプロモーションと比べるとずっとスマートだったと言える。そもそもが「怖い話」が苦手だった当時の筆者の「怖いもの見たさ」感覚を刺激し、結局は映画もテレビも、そして、書棚には今でも横溝シリーズがぎっしり並んでいる。筆者に関しては、このプロモーションは大成功だったのである。

ところで、この「姑獲鳥の夏」は、驚くなかれ、電通なんかは関与しているものの、テレビメディアは何処も絡んでいない。でも、だから予告編などの事前プロモーションも「たいへんスマート」なのである。しかし、良く考えてみると、前述の横溝正史シリーズも、メディアを通してのプロモーションはこんな感じだった。寧ろありとあらゆる書店(キヨスクなんかも文庫本を販売しているので)と名の付く場所でのポスターや、リーフレット、栞などの掲示作戦は凄かった。要するに、それでも筆者の様な「邦画音痴」に情報が伝わり、上映館まで脚を運ばせる衝動にさせるのは、一重に「作品」への興味である。

キャストが大変興味深かった。これも重要である。筆者が「亡国のイージス」を下半期期待作品の上位にランクさせたのも、主要キャストが同世代という興味であるように、これも取分け堤真一、永瀬正敏、阿部寛という個性派3人の絡みは、興味津々である。さらに、「姑獲鳥」である。奇しくも、今夏は「妖怪大戦争」がリメークされ、偶然なのか、このバッティングの効果は、より筆者を作品鑑賞へ導いたと思う。要するに、これはMRである。

映画というのは、作品(原作)に興味があって、キャストが良くて、市場調査が出来ていればそこそこの観客動員は見込めるのである。そして、逆の言い方をすれば、この手順を間違えて、市場調査を優先し、原作の無いところにそれらしいものを作り、強引にメディアの暴力で作品への興味を促して、無理なキャスティングをしたものを更にメディアを使って宣伝し、如何にも面白そうな印象を押し付けるのが邦画メジャーのやり方である。そう、これは脅迫以外の何物でも無い。こういうところにカネを使ってどうするんだ?

ただ、もうひとつ、邦画の欠点を見つけてしまった。「俳優のレベル」である。今回、この作品は原作者の京極氏が言われているように「映像化が不可能」らしいが(いやいやそれ以前に原作が酷いですね。映像化以前に脚本化が難しかったのでは・・・おっとこの辺は原作を知らないので)邦画は、これで緊張が持続できない点がある。例えば、堤真一は雰囲気を持っているだけに台詞が不明瞭だったのが残念。もっと「アメンボアカイナ」の発声練習が必要である。そう、洋画と違い「字幕スーパー」が出ないので、こういう不明瞭な一言は作品全体の命取りになる。又、田中麗奈や篠原涼子は申し訳ないが、他の俳優に絡めない。もっと演技の勉強をして欲しい。宮迫も俳優として出演する以上は、ある部分、自分の形を持っていないだけにこれに近い。こういう部分は、洋画には無い。洋画は言葉の壁がある部分だけ得をしているかも知れないが、少なくとも演技のレベルの最低ラインは堅持しているし、そうでない人間は使わない。

ラスト前の「ココクチョウ」のオチとこじつけには笑ってしまった。笑っていけないところなのに、こうなってしまうのが、ヤマ場は終わっても緊張感の余韻を堅持できない作品の欠点である。そして、残念ながら、横溝正史シリーズの様にこの作品を観て原作への興味は沸かなかった。この辺りが今の邦画界の基礎体力不足を象徴している点である。

しかし、大ラスではなんと魅力的な女優が、半ばカメオ主演の様に登場する。んん、待てよ、彼女が出るのなら、次回作も観にこようかなっと、こういう「小細工」はいつの間にかハリウッドよりも上手くなってしまったりしているのだが・・・。

筆者にはこれでも進歩なので、今回のレビューはこれで勘弁して欲しい(邦画の問題点も発見できたし・・・)。「亡国のイージス」では気合の入ったレビューで報告するので。


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by turtoone | 2005-07-21 17:01 | 映画(あ行)