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暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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アビエイター

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念願の日本公開である。この作品を全く観ないうちからこのブログでもかなり大々的かつひとりで騒いでいたが、色々な意味で「ギャング・オブ・ニューヨーク」を引きずっていたのだと思う。本日、初めてこの作品を鑑賞することによって、その一連の騒ぎに取り敢えずの終止符を打つこととなった。

こういう書き出しをすると、ネタバレしてなくても、このブログ記事が何を言わんとしているかがなんとなく分かってしまうと思うが、筆者の文章構成で得意(特異?)とする、冒頭に結論を持ってくる形式でなく、まずは、今回の鑑賞での率直な感想を順序だてて公表させて頂く。

まず、物語と構成については、168分という作品が長いとは感じなかった一方で、息をつく間がなかったというのも事実。映画作品というのは、ある意味で「捨てカット」というのが必要だということをつくづく感じた。歌舞伎でいう「弁当幕」というのであろうか、この作品は、次々と展開していく一方で、残念ながら、それらのシーンを完結させていない点が、余計なストレスを生んでしまった。もし、これを逆手にとってハワード・ヒューズという人間像を描きたいという、スコセッシのテクニックが背後にあるのだとしたら、それを全ての観客レベルに終着させるには、作品全体を通しての確固たるポリシーが不可欠だったとしか言えない。その辺りがこの巨匠には珍しく、伝え切れずに終わってしまった。そしてこの原因の多くはこれはファースト・シーンに問題がある。史実としての伝染病も良いが、同時に"The Aviator"(飛行家)というタイトルをつけたのであれば、寧ろ平凡かもしれないが、氏が何故、空に拘ったか、飛行機に関する興味を示したか(途中のシーンでは何箇所かあったものの、弱い・・・)の動機を明確にした方が、観客に何を基準としてこの作品を鑑賞して欲しいかの導入になったと思う。この点がまず残念である。

また、ファースト・エピソードを引っ張り過ぎたのも失敗であった。筆者は基本的にフラッシュ・バックは好まない。ストーリーは分かり易く、単純明解なものをより好むのは普通であるが、この作品は逆で、現在進行形に忠実過ぎるが故に、作品自体のテンポと、主人公の実際の生き様のテンポとの不一致が大き過ぎた点が作品全体をより分かりにくくしてしまったことは歪めない。筆者の知っているハワード・ヒューズの印象をことごとく崩壊させてしまったことも事実であり、その点は氏を良く知る、アメリカのエンタメ・ファンにとってはそれ以上だと推察する。「策士策に溺れる」という格言があるが、前述したように、これが全て「テクニック」だとしたら、本作は完全に策に溺れたというのが筆者の評価である。

ディカプリオ始め、演技に関しては誰もが素晴らしい演技だった。特にディカプリオの強迫神経症の演技は、実際に彼が何度も病棟に通い、患者の症状を研究した成果は全て出し切っていた。脇役の面々でも、アラン・アルダの上院議員の憎々しさ、嫌らしさは絶品。オスカーも獲得したケイト・プランシェツトのキャサリン・ヘップバーンは彼女の再来かとも思った。また、往年のプレイボーイ、クラーク・ゲーブルに「世界一美しい女性」と言わせたエヴァ・ガードナーの神秘的な妖艶さを再現したケイト・ベッキンセールといい、共演者のすべてが、それぞれこれまでの輝かしいパフォーマンス以上の物を発揮した点も、その水準の高さは目を見張るものであったことも事実である。

しかし、役者がどんなに見事な演技をしようが、その結果がイコール作品のクオリティを上げるとは限らないという難しさを改めて認識させることになった映画であることも事実である。

このことは、美術と音楽にも言える。美術は欲張り過ぎだったし、音楽も全体を通しての一貫性は感じられなかった。この辺りの「効果」も奇をてらった狙いは十分に考えるものの、それぞれの選曲の統一性とその裏にひしめいている共通項を感じるのが、かなり後半になってからその法則性をやっと理解できるようになるが、時既に遅しと、作品を総合的に観れば観るほど、これらの「効果という脇役」のひとり歩きも大きい。各々が各々の立場で最高の精神状態とパフォーマンスをみせてくれたのは事実。しかし、物語の根底に流れるものを作品に盛り込めなかったのは事実であり、この点は制作者サイドの包括力が足りなかったと言わざるを得ないのもまた事実である。

これらのことを総括すると、この作品は、オスカーの「一年の象徴」である作品賞に届かなかった理由が大変よく理解できた公開となった。個々のパーツは完全に近いのに、その統合体、所謂「総合芸術」としての映画という観点からみたときは、残念ながら、本作品はその年を代表する作品にはなれなかったというのが筆者の結論であり、「ミリオンダラー~」の良し悪しとは別に、作品賞にならなかったことは、かえって今後の取組みに良い影響になるという事を実感させられた作品であった。

スコセッシとディカプリオは次回作、更に次々回作でも共演する。(バス・ラーマンの「アレキサンダー」は何処へ・・・) 今回は評価の難しい作品となった。筆者の個人的な希望は、史劇である。このコンピでの史劇も是非鑑賞したいものある。


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by turtoone | 2005-03-27 01:42 | 映画(あ行)