暫く療養と入院、更に手術をしまして映画ブログは更新を怠っておりました。作品は鑑賞してますので、徐々に復帰させていただきます。今後共、よろしくおねがいします。


by turtoone
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音楽のブログでは稀に触れることがあるが、この「のだめカンタービレ」の原作者というのは、本当に良くクラシック音楽を知っているといつもながら敬服する。しかも単にクラシック音楽を知っているだけというのなら、筆者も含めてマニアックのパーセンテージは、もしかしたらジャズマニアと同じくらい存在するかも知れないが、更に言えばこの作者は楽器にも楽典にも、そして音楽家という人種を大変欲理解しているし、更に言えばそれらを含めて、それでは何故、この日本という国ではクラシック音楽が流行らないのかということも知っている。そう、日本人は残念ながら本質的にクラシック音楽がどんなものだということを理解していないが、それは文化・芸術の違いだから仕方がない。しかし、仕方がないというだけてなく、この原作者はそれでもまだクラシック音楽を楽しめる余地を残していることを実に良く知っている。だからこの作品がコミックから映像に土壌を変えたときに、初めて「音楽」がこの物語を脚色する一要素として加わったときに、大きくこの物語は再生し、そしてクラシックも随分浸透した。

例えば、ラヴェルのボレロのくだりで抱腹絶倒できた人。貴方はすでに立派なクラシックファンである。あの面白さというのは究極である。同時に楽団のオーディション風景。ファゴットのエピソードがその後に関しても極めつけで実に拘りがある。そういうコメディ要素をふんだんに盛り込みつつも、再編成した楽団の演奏曲、特にバッハのコンチェルトの弾き振りと、チャイコの悲創にのだめの心境がシンクロしているところなどは、新しい音楽の姿を描きつつ、さらに主人公である野田恵がこの物語の中心であることを見事に描写している。ただ、同時にクラシックファンとしては残念な疑問も残る。ドラマの特別編でのヴァイオリンコンチェルトから矢鱈とチャイコの曲が多いが、ヨーロッパでチャイコはあんなに絶賛されないし、大序曲1812(パリのオケだからこの曲が認められるのは分かるのだが…)を、まず1曲めには持って来ないところが少し残念だが…。こんなに最初から盛り上げてしまうと次の曲が続かないから余りこういう構成は多くない。ただ一方でこれがパリの市民に対してだという皮肉まで込められているとした(この原作者のスタンスとしてそれは無いと思う。彼女は常に調和とか尊敬というキーワードを持っている。それは音楽家同志でもあり、また客席に対してもそうだから)音楽界の現状、フランスへの風刺も訴えていて面白いのだが。また、今まではテレビで、如何に46型の大きな画面で、ホームシアターで聴いていても、やはり映画館の音響はずっと迫力があったので、この作品は映画して正解であった。

私は原作を知らないので後編への期待は大きいが、予告編を見る限り、後編はなんとのだめがミルフィと共演、しかもそれがショパンの1番、これはメモリアルイヤーを意識してもあるだろうが、ピアニストとしては最高の勲章。それと同時にショパンで与えられた幼い頃のトラウマをショパンで克服しようとするのか。そして更に時間の無いというミルフィはやはり耳が聴こえなくなってしまうのか。興味は尽きないが、クラシックにはまだまだ名曲が沢山ある。個人的には千秋真一のマーラーが聴きたい(まだまだ新鋭指揮者だからマーラーを振るには青臭いかもしれないが、ショパンが200年なら、マーラーも150年のメモリアルだから)など、後編で終わられてしまうのは大変勿体無いほど、コンセプトのしっかりした作品であることは間違いないのである。


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# by turtoone | 2010-02-11 18:13 | 映画(な行)

鴨川ホルモー

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ここ数年、秋の京都に毎年行っているので可也この街には詳しくなった。少し前までは春・秋と年2回、桜と紅葉の季節行っていたのだが、諸事情があって現在秋だけ。学生時代に一緒にバンドをやっていた輩が京都大学の准教授になって以来、友人数名で彼のお祝いがきっかけで毎年訪問しているが、いつも一見では入れない料亭を接待してくれていて、恐らく彼ではなく教授の行き付けなのだろうが、その世界ひとつを取っても都が1000年以上も置かれていた場所は奥が深く、筆者的にはこの土地を探索し続けることをしてみたいと思ったりする。そんな准教授が以前にこの4大学の位置関係を話してくれたことがあり筆者も知っていることと併せて語り合ったことがあったが、折角だから雑学(当ブログのタイトルと趣旨なので・・・)として纏めておくと、そもそも春夏秋冬は色で識別すると、青春、朱夏(赤)、白秋、玄冬(黒)、方角にすると、青は東、赤は南、白は西、黒は北になる。更に、これを動物(四神)に当てはめると青龍、朱雀、白虎、玄武というとになる。実は作品でも説明していたが、そもそもの出典は中国天文学に拠るが、わが国ではこれに中国の五行説も取り入れて、中央にも「黄龍」が配置されて更に曜日と呼応させている。相撲の土俵に以前は柱があり、それぞれの色(現在は天屋根から吊るした房になっている)で表しているので良く分かると思う。ところで、その話の席では、玄武という架空の動物に話題がそれてしまったので、それ以上この京都の位置関係には発展しなかったが、本作品の基礎となる部分を観て、なるほど、彼はもっと詳しくこの話を知っていたなと今は後悔している。

「鹿男あをによし」をテレビで久々に殆ど全部観て、万城目学氏(原作は読んでいない。読もうと思う)の世界に興味があっての鑑賞だったから、この辺りのくだりまでは大変すんなりと自分の中に入ってきたのも事実。特に、四大学の位置関係と色、及び四神を扱ったチーム名は前述した通りの要素を、文字で表すと大変難しく、また、一度読んでも中々理解頂けない(文章表現も下手だしね・・・陳謝)が、この作品のように映像にすると大変分かり易く、この作品を観た方は、四神という考えは雑学としては最高レベルにあり、企業研修会の講義でも、PTAの先生との懇親会でも、或いは銀座のスナックでも、何処ででも通用する話だから(クイズ形式にすると良い、白色の季節と動物は何かとか、白秋、白虎と言うじゃないですか・・・、というように)、是非習得して欲しいと思う。

さて、作品に関してであるが、上記の様な理由で前半で大変満足してしまったために、中盤からは可也困惑したのも事実。実際にこの「ホルモー」という競技は戦前にはあったらしいというのだが、筆者の知識ではそれ以上は分からない。しかし、最近の京都通として四条河原に四方向から集結するっていうシーンは感動した。これは本物だって思ったのだが、問題はその後が思いっきりファンタジー(というかエンタメ)性に走ってしまって、あのポリゴンのオニは(確かに分かり易いのだが)どうにかならなかったのかと、ゲーム世代(FFファンの自分もその走りだが・・・)を意識した作りになってしまったのが残念。京都から一気にアキバに越して来た様だった。前述した「鹿男~」が良かったのは、古来の風習と、現代人の因果関係が最後まで密接で途切れなかったことに「歴史ミステリー」の要素を含んでいたのだが、今回は主人公とライバルの名前(何れも陰陽師から取っているのがすぐわかる)くらいで、例えば、栗山や芦名と言ったふたりのヒロイン(この二人のキャスティングはベターである)が居たにも関わらず、殆どホルモーの根幹になる部分で活かされなかったのは残念だ。余談だが、主人公が最初は芦名の「鼻」が良いといったのに、最後には栗山の「瞳」が良いというのも、一貫してなくて(そこがオチならよいのだが)構成と台詞の拙さを露呈している。残念だ。

作者の万城目さん自身も一浪京大だから、もしかしたらこのサークルを作ろうと思っておられたのか、興味はつきない。もしかしたら冒頭に書いた友人の准教授も(奴は京大卒ではなく、東京の私大卒後、京大の院生だが・・・)このサークルの顧問だったりして、今秋逢うのが今から楽しみだ。それから、織田信長の時代にもシャンプーハットがあったという発見が出来たのがこの映画作品のもうひとつの収穫であった。おっとこれは拙いオチかなぁ・・・。


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# by turtoone | 2009-04-29 10:51 | 映画(か行)
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よく、ブロガーの方々で映画の評価を「上映料金」で表現されている方が居られるが、あの方式は大変分かり易いといつも感心して閲覧させて頂いている。筆者も評価してみようと思ったのだが、実は大変難しく、多分皆様はひとつの基準を設けられていて、例えば、筆者で言えば(作品の度にレビューでは一々公開しないが100点満点で点数をつけている)点数に対して、イ幾らに値するというのだったり、☆の評価を料金に換算されたり、様々だと思う。だが、筆者の場合、この分かり易さを二番煎じでも良いから表現しようと思いきや、なんというか、公正な映画作品評価と、映画料金というのが一致しないことが分かってしまったのだ。例えば、100点を幾らにするのかという設定がまず出来ない。それと映画料金は通常1300円か1500円(殆ど会員料金で鑑賞しているので)、1日と25日は1000円、更にレイトショーの時もあるから1200円で、基準軸が定まらなかったことと、もうひとつ重要なのが、仮に点数と呼応して「1200円」と評価した作品があったとしても、例えばお気に入りの俳優の役が気に入らなかったりとかという「公正でない評価」で、「こんな作品カネを貰っても観てやるものか!」と思う物も時たま出くわしてくるからである。だから、この評価の方法は断念したのだが、但し、筆者が日頃参考にさせて頂いている方々の「算出金額」はいつもとても妥当だと感心する。因みに、この表題作品は、まさに前述の「評価金額」が難しい作品であった。

ついにCIAもこんなコメディにされてしまうのかと思うが、実は、CIAに限らず、他人から見れば自分の人生なんてどうでも良いものだと思う。これは決して卑下しているのでしなく、他人様とか世間様というのは自分に介入してくれるほど「ヒマ」では無い。だから人間社会でそんなことに期待する方が可笑しいのだと思う。コーエン兄弟は、オスカー作品「ノーカントリー」で、現在のアメリカ社会の、世界の中で置かれている立場と、同時に古いアメリカをどう清算していくのが必要であることを力強く、且つ静かに説いた。何か偶然であるが、直前に鑑賞した「グラン・トリノ」にも通ずるところである。そして、真面目に説いたこのオスカー作同様、「ちょっと砕けて説いた」のが、本作品であるという考え方が出来ないだろうか。例えば、この作品に出てくる人たち、特にハリウッドのビッグネームたちが、こぞって「おバカキャラ」を演じているのだが、その設定といい、演技といい実に痛快なのがそもそも本作品自体が皮肉なんだという証である。要はCIAに勤務していながら、人事異動を渡されたコックス(ジョン・マルコヴィッチ)が大人しくそれに従えば良いのに、アル注の事実も棚に上げ、CIA調査官という設定でありながら妻の浮気にも気づかず、愚かにも暴露本を出版しようなとど思う、この物語の始まり自体が現代アメリカ社会への皮肉である。更に、こういう人間の周りには、「類は友を呼ぶ」ではないが、ろくな人間が集まらない(失礼、そういう作品の設定だということで、現実がそうだと言っているのでは無い。現実は努力次第で開ける道もある)というのも面白い。ipodとスポーツ・ドリンク大好きスポーツ・インストラクターのブラッド・ピッド、財務省連邦捜査官なのに不倫中のジョージ・クルーニー、全身整形と出会い系サイトで頭が一杯のフランシス・マクドーマンド、神経過敏な不倫中の女医ティルダ・スウィントンと、マルコヴィッチを含めたこの面々は、どれもが普通に存在していそうな人たちである一方、一堂に会するとなると可也厄介であるところに付け加えて、敢えて役名で記述しなかった様に、誰もが「はまり役」(というかはまり役に見えるほど、このクラスの俳優さんはスゴイのだと思う)で、この辺りも物語なのか、いや実は「ドッキリ」ではないのかという現実の儚さを風刺している。鑑賞の仕方によっては癖があるので、最初にストーリーに乗れないと最後まで何を言っているのか分からない作品になるのか要注意。最後の上司の台詞が全てを総括しているので、そこにたどり着いて欲しい。

ところで冒頭で何で評価料金のことを書いたかというと、この作品は筆者の評価得点は低い。何故なら、コーエン兄弟に「だから何なんだ」と聞きたいからだ。しかし、ブラピをはじめ、ハリウッドスターがとことん「おバカ」を演じているのは、もしかしたらこれまでの栄光を全て投げ捨てるかもしれないというのにスゴイことだと感心するから、1800円払って、二度と見られない場バカっぷりは観ても良いと思う。「ベンジャミン・バトン」の公開がこれより後でなくて良かったと思うのは筆者だけだろうか?


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# by turtoone | 2009-04-27 19:12 | 映画(は行)

グラン・トリノ

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このブログでも度々書いているように、筆者はイーストウッド監督作品に、「人間の尊厳」という観点をもって鑑賞している。特に「ミリオンダラー・ベイビー」以降、それは顕著であり、「父親たちの星条旗」で決定的になった。映画という総合芸術の世界で、俳優として、更には監督として一時代を築いたこのハリウッドの至宝とも言えるべく存在がその晩年に当っても、作品に作品を重ね言いたかったことは、本作品を見てもやはり筆者の受け取り方は変わりなく、それは「人間の尊厳」なのであった。

アメリカが変わった。そして、それは最初は主人公の目には大変愚かなことであるという描き方をしているが、多分、唯一の理解者であったであろう妻を亡くしてから、彼自身の中で彼の人生が何だったかを再確認していく。これはアメリカに関わらず、どんな人間にのもあることであり、同時に失って気づくものというのは、失ったもの自体でなく、自身に芽生えて来るものというのが大きいし、そりことに年齢差はない。ただ、彼はキリスト教徒でありながら教会に懺悔にも行かないし、半世紀以上前の戦争に対しての後悔を長いこと背負っていたが、それは自身がひとりで背負っていたのではなく、亡くした連れ合いが共に背負っていたということを牧師の忠言によって始めて気づかされる。その後、彼がこの半世紀前から全く変わり果てたアメリカの社会というものをひとつひとつ受け入れていく中で、隣人タオとその一家が大きく彼の世界と生活の中に入り込んで来る。「老兵は死なず ただ消え去るのみ」は、かのダグラス・マッカーサーの名言であるが、イーストウッド扮するウォルト・コワルスキーには、そういう人生の終着点を探していたのも事実。だから、彼はこれまでの人生では唯一得られなかった「友人」という存在をタオに求める。社会が変遷していく中で、人間というのがそれまでの経験だけで生きられなくなっているのは、いつの世にもあることであり、特に年老いた人間は時代の適応が難しい。社会は「老人は社会の宝」だとか「老人の知恵を生かす」だとか調子の良い文句を並び立てるが、本質は社会の弱者であることに変わりなく、また、その弱者は弱者の儘に放っておくということ以外に解決方法はない。何故ならどんなに美辞麗句を並べたところで全ての老人が快適に過ごせる空間など、この地球上には人類が誕生する前から存在しないのであるから。

しかし、だからといって人間という「尊厳のある」存在は決して卑下したり、諦めたりしてはいけないと言っている。「ミリオンダラー・ベイビー」以降、この「尊厳」は常に作品の主人公自身に問いかけて来たテーマであったが、今回は、主人公だけでなく、尊厳を忘れてはいけないということを物語の中で他の役柄に対して問いかけ促し、更に、鑑賞者にも強く訴えかけてきた。過去の作品以上にメッセージ性の強い作品になった。そして最も大事なことは、アメリカは昔も今も合衆国であること。アメリカが建国したときも、ヨーロッパをはじめ全世界から開拓の志の高いものが集まって出来た国であること。時を経て、現代はその構成比率が少しずつ変わってきているかもしれないが、それでもアメリカには世界中から人材と金が集まるということ。後者はどうでも良いが、「自由」を求める精神は変わることなく、そして、それをお互いに認め合っていかない限り、アメリカは国家でなく、一部の人間に支配されてしまう「機能」で終わってしまうという警告も含まれた「アメリカ人としての尊厳の回復」が主題である。

フォード・グラントリノ・スポーツは、そんなアメリカの象徴である。この名車の名前を聞くと(クルマファンでなく)エンタメファンなら、スタスキー&ハッチを思い出すと思うが、あれも名車だが1976年製。本作品では1972年のヴィンテージカーである。主人公が半世紀以上勤めていた会社の最高傑作は、自分の息子と同じであるが、一方でその父を理解しない息子たちの隠れ蓑としての作品の大きな役割にもなっている。平均的なアメリカ家庭の中にも「父親の尊厳」を失わせてしまった元凶は一体なんだったのか。一意見としてそれは「朝鮮戦争」に始まるアメリカの局地戦争への介入なんだと言っている。そして、彼は、この国家を牽引してくれると思われる「新しい世代」にそれを継承する。まさに、黒人大統領が就任したタイミングにも相応しい映画作品化なのであろう。

素晴らしい作品である。しかし、このところ(昨年の年頭もそうだったが)良い作品が続いている。筆者の採点が甘いのでなく、映画の題材になってしまうほど、現代は問題が山積しているとも言えないか。そして、最後にもう一言、この作品をオスカーに選ぶという妥協をしなかった今年のオスカーの決断には、この秀作と共に大きな拍手を贈りたい。


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# by turtoone | 2009-04-26 23:13 | 映画(か行)
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大変お恥ずかしいことながら、この作品を鑑賞するまで筆者は全くと言って良いほど、インドという国の現状と現実に関して無知であったということを冒頭に告白しなくてはいけない。筆者的に言うと、インドという国には一度だけ訪問したことがあるが、それはバブルより少し前のことで、4日間ほど滞在をしたが、三ツ星ホテルに、当たり前の観光・お土産コース、そして、21世紀には日本や中国を抜いてアメリカに次ぐ経済成長国家になるんだというポジティブな現地企業の大富豪の接待を受け、一方で、そもそも貧富の差に加え、カースト制度が残った階級社会の上に複雑に様々な宗教が係わり合い、世紀末から新世紀にはますます格差が広がるだろうという現実的な現地ガイドの両方の話が耳に入りつつも、ビジネス的には前者の話しか頭に残らず、また、新世紀になってからもこの国に関するニュースやドキュメントというのに中々触れる機会もなく、全く蔑ろにして来てしまった。それが証拠に本当にお恥ずかしながら、ムンバイという都市が旧ボンベイということも初めて知った。それだけでなく、この作品には随分色々なことを教わったが、それはインドの現状もしかりであり、同時に、映画作品の未来に関してもである。

「クイズミリオネラ」という番組がアメリカや日本以外にも、特に、このインドでも人気番組であるということは全く知らなかった。しかし、この作品が大変「得」をしているのは、この「クイズミリオネラ」という番組の構成やルールを知っていることにある。そして、日本ではアクも毒も全くない、必要以上に持ち上げるマスコミ以外にはその技量も風格も全く過去の人となってしまったと言っていいみのもんたなんていうお飾りではなく、このブレーム・クマールという番組司会者の個性と存在は凄く、彼の個性が番組と映画の両方のストーリーテーラーの役割なっているという脚本の出来は評価が高い。みのもんただったらこの両方を併せ持つことが出来なかったから、このキャラは日本公開でも相当なインパクトを与えられた。脚本的には単純に思えるのだか、逆に、クイズの進行ありきの脚本だから、見事に填まったと言っても良いし、つまりは脚色の勝利である。オスカーもその辺りは良く分かっていて脚色賞に選定しているが脚本にはノミネートすらしていない。しかし、一方でこのクイズありきの恩恵を大きく、所謂「物語の進行」に特段の説明が要らないという効果があるから、クイズ番組ではなく、もうひとつのストーリーである、主人公ジャマールの生い立ちとそれに伴うインドの時代背景に関しての説明と表現が大変容易にできた。鑑賞者はこのふたつを同軸で見ているから、最初の数問で出題内容と主人公を通したインドの現状が同軸であることに気づき、その両方に期待が係る。本物の「クイズミリオネラ」にも見られない、「次の問題内容への期待」というのが膨らんでいるところには、既にオリジナルの番組の存在すらも超えている(対日本版では・・・)。この辺りの脚色、更には演出の巧妙さは名作「クイズ・ショウ」をも上回る程の秀逸さである。

そして、筆者がこの作品をとても高く評価することのひとつに、「映画の枠」にきちんと収めたことにある。ムンバイ(ボンベイがムンバイになったことは知らなかったが、一方でムンバイのことは多少知っている。可笑しいかもしれないが、そんなにインドにのことに関して知らないという訳ではないのだ・・・)の抱える問題というのは多く、特に、世界で人口1000万人以上の都市の中ではライフライン(ミリオネラの、ではなく)の整備が著しく遅れているし、スラム居住率も高く、特に、教育と医療と飲料水(何れも作品に出てくるが・・・)の問題は現在でも顕著である。しかし、そこを必要以上に強調はしなく、また、そのすべてを主人公のジャマールに当て嵌めるのではなく、周囲の脇役を利用してその殆どを説明した。また、同時にこういう問題を描こうといると一方で極端に薄れてしまうのが、鑑賞者への訴求とエモーショナルラインの継続であるが、そこは、ラティカという初恋の女性と、唯一の身内である兄サリームを見事に使いこなした。インドの発展と共に変わっていく象徴として兄サリームを置き、一方で変わらない(というか変わってはいけないインド人の誇り)を繋ぎとめておくための効果としてラティカへの「初恋と変わらない永遠の思い」の両極端を配したことが、この作品をまさに万人向けの「映画作品」として完成させたことにある。

最後の最後まで感情が途切れない作品だった。にも、関わらず、残念だったのがエンドロール。なんだあれは。あれは良くインド料理屋に行くと流れている安っぽいインドミュージシャンのプロモと変わらない。ここで減点も考えたが、しかし、この作品、映画界にハリウッドが不要なことを証明してくれたとも言って良い内容である。だからちょっと甘いけど、今年初めて、昨年「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」以来の特A作品である。そしてまた、2001年「ビューティフル・マインド」以来7年ぶりに、漸く納得したオスカー作品賞でもあった。


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# by turtoone | 2009-04-25 23:47 | 映画(さ行)
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昨年のカンヌ映画祭上映以来、まさかの作品二分割。そして、「レッドクリフ PartⅠ」に至ってはレビューにも既に書いたが、これまでの「三国志演義」に於ける、無論歴史的事実からみれば可也脚色された「通説」があったにも関わらず、新たにジョン・ウーとしての新解釈を随所に加えた「赤壁の戦い」ならぬ「レッドクリフ」は、自他共に認める「三国志フリーク」の筆者を困惑のどん底に突き落とし、しかし前作においては、この作品は「赤壁」では無いという自分自身の勝手気儘な納得の上に、何とか、この日の上映に併せ這い上がって来た。そして本作においては「孔明、風を呼ぶ」をクライマックスへの前兆として、一体どこまでこの「通説」に対して歪んだストーリーを修復できるのかをひとつの大きなポイントとして鑑賞に望んだのであるが、前作、趙雲の劉禅救出劇と同じく、この「名場面」を削除した。この事実が判明した瞬間、筆者のこの作品に関しての緊張が切れたのは言うまでもない。「三国志フリーク」がそれぞれどのシーンに思い入れがあるかは別として、ただ、その三国志の中の名場面、名台詞を二つも切ったことには、いくら、ジョン・ウー版レッドクリフだとしても合点がいかない。ウー監督自身のこの物語への思い入れも理解はできるが、但し、一方で中国五大文学の頂点に君臨する名作、多くの故事来歴を生んだに対しての敬意を感じられないのは残念であった。

「孔明、風を呼ぶ」は、現代文学で最も忠実に演義を再構築したと世界的にも評価の高い吉川英治の「三国志」の一タイトルにもなっている。勿論、孔明が祈祷で風を呼べる訳がない。演義にも注釈があるように、諸葛亮はこの時期に南東の風が吹くのは知っていた。しかし、敢えて、それを祈祷によって吹かせたことに、この同盟の名を借りた人質孔明が、呉に対して最後の奉公を果たす訳で、この場面がなくしては「赤壁」もなければ、赤壁後の、呉蜀の婚姻による同盟と、その後、蜀の擁立に対する、魏呉の同盟もすべてありえない。周喩はこの戦いで受けた傷が元でなくなる(赤壁の後、曹仁が周喩の病気を知って攻め込むが、逆に討たれてしまうという江陵の戦いもある)が、都督無き後の呉は一気に力を失い、周喩の最後の弟子である陸遜は魏の圧力に耐え切れずに、やむを得ず、関羽をだまし討ちにする。しかし、今度はそれを理由に曹操がまた呉を攻めて来る。いわば、赤壁は、曹操時代の終焉であり、もう一方で三国時代の始まりであるのだ。三国志フリークならよく知っている人物に「諸葛謹」と「龐統」が居る。何れも呉に縁のある軍師で、前者は諸葛亮の兄であり、魯粛と共に人質孔明を呉に招聘した人物である。後者はこれも有名で孔明と共に「伏龍鳳雛」と呼ばれ(孔明が伏龍、龐統が鳳雛)、この二人を軍師にできた者が天下を取ると言われた。龐統はこの当時、呉に居たが、そもそもが文武両道な呉にあって、周喩や陸遜のように「智に長けたものは武道にも長けている」というのがこの国の伝統で、諸葛謹のような軍師オンリーというのは珍しく、龐統も大きな功績を認められなかった。結果的には龐統は赤壁の後、孔明の薦めもあって劉備の傘下に入るが、結局、蜀は「伏龍鳳雛」を手に入れたにも関わらず天下を取れなかったのである。(これには近年の研究として、天下三分の計で劉備が蜀帝になっただけでも、当時の劉備の実力から考えると、天下を取ったことよりも大きな奇跡だと言われている)。実際にこの赤壁の後に、周喩は孔明が呉以外の国に居ては後々に呉に取って厄介なことになると、暗殺を謀るが、魯粛からそれを知らされると、呉軍赤壁の勝利を確かめず夜陰に紛れて蜀へ脱出する。この作品にあるようにこの稀代の天才軍師ふたりは「ライバル」であっても「友」ではなく、孔明にとって友は「魯粛」であったのが近年の研究成果である。その解釈に立つと、劉備が「孔明を待っている」(しつこいようだが、そもそも劉備は最初から呉との同盟で呉軍になど入っていないし、孫権・周喩などとは面識がないからこれも可笑しいが・・・)、という台詞、さらに、10万本の矢の際に孔明と共に舟に乗る魯粛の立場と心境は良く描かれていて、このあたりは、「レッドクリフ」らしくなく「赤壁」である。つまりは、後編になり、その辺りの「軸」にブレが出てきてしまったのも事実である。

ただ、筆者は前述した「歴史」及び「歴史小説」の通説を遥かに越えた試みとして、「デブ助」のくだりは高く評価したい。80万分の1であるが、いつの時代にも戦争があり、そして、その一兵卒はどう生きているのか。日本人は結構こういうテーマが好きであり、だから、下剋上だったり、木下藤吉郎が大出世したり、幕末の下級武士の活躍は好きであるが、儒教という国を治めることが最も大切だとされる国教のこの国で、一兵は80万分の1ではなく、存在すらが殆ど「無い」。そんな、中国文学の主流にあって、決して秀でていない普通の人間を描いた価値は大きく、それが、孫権の妹(尚香なんて人物は出てこないが、後の劉備夫人である孫夫人であることは前編のながれからも明らか)が絡み、彼女がおなじく「民」を国の中心とした劉備に嫁ぐというのも新解釈としては面白く、ここには、中国歴史編纂への挑戦が感じられる。また、曹操がなぜ天下を取れなかったかということに関しても厳しく追及しており、呉の二人を斬ったことはもとより、大事なときに「華佗」が居なくなって同様しているが、これは、この作品にも名前が出てくる「曹沖」事件の伏線を敷いている点が大変興味深い。そう、曹操は肝心な時に肝心なブレーンが居なかったから天下を取れなかったのである。しかし、一方で先ほどの一兵卒の心境になり「家族の元に帰るのだ」と言わせている。思うに、日本の歴史と比べると、中国は「裏切りの歴史」であり、「裏切り」に関しては余り、卑怯だとか思うことはない。裏切られた自分を「魅力のない人物、徳のない人物」だと省みることが多く、だから裏切りを恨んだりということは少ない。曹操が、それまでの天下人と違ったのは、そういうことに寛容でいると「国治」にはならないのだという新しい感覚を持った人だったに違いなく、そういう人物だったからコレだけ軍事力があっても、天下人にはなれなかったという、「レッドクリフ」的解釈を残してくれたのである。

しかし、一方で、周喩と諸葛亮が音楽に精通しているところに対し、詩人曹操という側面(曹操は武人としても一流だったが、詩人としての才能も大変高く評価されている)をきちんと表現してくれたり、単なる通説だけを追うのでなく、文化面も加味してあるところは作品としての評価はとても高い。これまでの三国志というと、諸葛亮は「三顧の礼」の三度目の際、昼寝から起きていきなり詠んだ詩が素晴らしいと、次の間に控えていた劉備が感激したという逸話が残っているが、実際に作品も多数残し、また、詩の形式を新しくしたという才能溢れる曹操の姿に触れたものは少なかったからだ。

筆者が周喩と共に大好きな趙雲は、前編に続き、今度は友の大事な人を救出する。これも、演義にはない、趙雲の名場面だから、まぁいいか。それから、もう一度書くが、リン・チー・リンの美しさは「奇跡的」だと思う。そう、この美しさは数学の確率でも証明できない「奇跡的」な範疇なのである。(しかし「苦肉の計」は小喬の策だったとは驚いたって、このレビュー突っ込みなしで行きたかったが、唯一の突っ込ませて欲しい)。

最後に、まだまだ書ききれないが、採点は複雑で、Part2も特A入りは難しいが、この作品は通して観たら、つまり、カンヌの上映に立ち返れば多分、特Aである。なので、年末、前編・後編のDVDを通して観てから最終採点をすると思う。でもやはり映画館で通して見たいものだ・・・。


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# by turtoone | 2009-04-12 17:35 | 映画(ら行)

ワルキューレ

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筆者にとっては「2008年期待度ランキング」以来長きに待たされた待望の鑑賞である。

ワルキューレ(直訳すると「戦死者を選ぶ者」の意)といえばワグナーである。が、ブラームス信者の筆者からは、実はクラシックでは一番遠くにいる存在だ。リヒャルト・ワグナーについてはいずれ音楽ブログに書くとして、そんな遠くのワグナーだが、無論この名曲は知っているし、レコードもDVDもある(CDはない)。楽劇「ニーベルングの指環」の第一夜「ワルキューレ」は、4部作の中でし最も人気が高く、単独上演回数も多い(なんといってもそれぞれが4時間程度の作品なのだから・・・)。ワグナーはリストと並び標題音楽の祖とも言える逸材であるが、何しろ構想は壮大で、且つ、音楽だけでなくあらゆる才能に長けていた人だから(音楽家としてだけの括りでは難しい人だ)、この楽劇も、一度や二度見ただけでは内容は兎も角も、ワグナー自身が何を希求し、何を主張したかったのかということは明確に分からない。ただ、名曲「ワルキューレの騎行の動機」の旋律は、悪戯に戦いを増幅させる象徴にも取られかねない。筆者はワグナーという人は音楽以上に文芸に精通していて、だから音楽だけでは自分の世界を描写できなかったのだと思うし、これは、音楽の範疇を越えていると考える側面と、逆に同時期の他の音楽家と比べると音楽的表現力が不足していたという両面が考察できる。筆者は冒頭で書いたように、ブラームス派だからこの理屈で言えば後者を支持する。

ワルキューレ作戦は、多くのヒトラー暗殺計画のひとつとして認知しているが、国家という概念をしっかり堅持するように教育されていない筆者の年代には、愛国とか憂国とかいう感覚は全く分からないし、敗戦国で有りながら日米安保の傘に庇護された身に取ってはせいぜい戦前の教育勅語は均整の取れた美しい文体だと思う程度が精一杯である。日本にも愛国の精神の元にクーデターが頻発した時代があったが、その多くは世論というものではなく、見解の相違から発している言わば退廃的な結果をもたらすに留まった物ばかりである。国家一千年の大計なんて人ひとりで為し遂げられ物ではないが、かといって大志を抱けない(というか日本人を骨抜きにして抱かせなくしてしまったGHQ政策とその後の幼少年教育)というのも悲しい現実である。だが、この作品では短時間の中に、主人公であるシュタウフェンベルク大佐(トム・クルーズ)の堅持している国家像を見事に描きあげている。その効果は、誰もがわかっている結末(事実の物語というエクスキューズを冒頭に入れて鑑賞者に念を押している)であっても実はとか、本当はどうだったとか、新しい文献が出て、ドイツ国史が再構築されたのではないかと錯覚させるほどである。そして、トム・クルーズを筆頭に、個性的な役者を適役に配して、それぞれの国家観というものがあったに違いないが、それをひとりひとり細かく演出するのではなく、シュタウフェンベルク大佐の国家観なよるところの作戦であることが強調された点は、地味で、作品が単調になったという批判もあるが、作品の骨格をぶらさなかったという点で高く評価できる(とかくこういう作品には、色々な人間の価値観を表現してしまうものだ)。だからこそ、レコードを聴いて作戦を思いついたり、重要なのは独裁者の暗殺後ではなくその後の体制樹立だと言って国家の面子を守ろうとする他の人間と一線を画し、根本は政府は国民のためにあるという主張を貫いている。この作品を高く評価するのは、そういう脚本や構成の部分であり、単に作品が単調だと思う輩は映画作品の本質を理解していないのである。

前述したが、そういう意味でも演技は素晴らしく、トムは勿論のこと、ケネス・ブレナー、ビル・ナイ、テレンス・スタンプ、エディ・イザード、トーマス・クレッチマン等が、素晴らしい「脇役」を演じていた。特に、カリス・ファン・ハウテンは「ブラック・ブック」に続き、この時代の女性を演じたら今や最高だと思う。余談であるが、大佐の家の子供たちは、幼くして「ニーンベルグの指環」を演じていた訳で、流石に欧州の中流家庭には家の中に文化があるのだと感心した。そして、トム・クルーズ主演にとっては本当に久々の秀作である。


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# by turtoone | 2009-03-22 17:08 | 映画(わ行)

マンマ・ミーア!

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少し前に鑑賞した作品で、レビューを書こうか迷っていたが、時間があったので残すことにした。但し、決して評価が高いからではない。

アバに関して、彼等がダンシングクイーンの全米No.1を含め、全世界で出す曲すべてが大ヒットし、一メロディーメーカーとしてでなく、スウェーデン文化の認知を世界中に拡販していた頃、確かに気になる存在ではあったものの、ひとりのアマチュアバンドマンとしての筆者は、悪戯に音楽というのはテクニックであるという大いなる勘違いをしていて、純粋に彼等の良さを受け入れる事ができなかった。年を経て、音楽的にも自分の原点であるクラシックに回帰した現在、改めて彼等の音楽性の高さに驚き、実感している。クラシック音楽は大衆性と芸術性に加え、学問としても高度な理論を兼ね備え且つ進化をし続けた。しかも現代に置いての認知も高い。今、ヒットチャートを賑わしている音楽が100年後に受け入れられるかどうかは全く以て確証はないが、バッハやモーツァルトは間違いなく聴かれている筈だ。

一方、現代のポピュラー・ミュージックが未来に残るかどうかは芸術か文化であるかだと思うのであるが、例えばビートルズは確かに芸術性の高い音楽である一方で、最高潮だったエンタメ性が重視され、それに比べると、現代でもヒットチャートで君臨できるかというと、そうは行かない。かと言ってクラシックの領域かというとそれこそ、そういう訳には行かない。だから本当のところ100年後はどうなっているのかは全く分からない。しかし、一方でアバは、スウェーデンの現代文化としての音楽を提唱し、流布したという位置づけができる。文化の担い手として北欧にいつまでも語り、そしてスタンダードとして歌い継がれるのがアバの音楽であろう。

さて、本作品は最初から期待をしていなかったし、その通りに何一つ上回るものもなかった。メリル・ストリープはミランダ・プリーストリーの方が適役だし、ましてや、歌うの?という疑問は、鑑賞語も「なぜ歌わせたの」と評価が変わることはなかったし、それは出演者の殆どに言えることであった。この作品はストーリー自体は別に悪くはないのだが、舞台を上回ることのできる内容をミュージカル作品では製作できない。何故なら、アバの音楽は、アバが歌うのが一番良いからであって、舞台ミュージカルという領域でならまだしも、総合芸術としての映画という土壌で、なぜアバの曲をアバ以外に人にわざわざ歌わせるかは全く疑問である。ようするに、この作品で一番良かったのは「予告編」であり、それはアバのオリジナルが全編に流れているからである。ミュージカル作品の一番安易で良くないパターン(そこそこのヒットで興行成績を稼げるから・・・)である。

この作品は「楽しい」かも知れない。でも、だったらアバのCDを聴いていれば良いと思うし、劇場鑑賞した作品の7~8割はDVDをコレクションするためAmazomに発注する筆者だが、これに関してはレコードしかなかったアバのCDで満足している。こういうミュージカル(ハリウッドはこんなのばっかりだが)は、もうそろそろ(そういい続けて早10年が経つ)おしまいにして欲しい。


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# by turtoone | 2009-03-19 23:00 | 映画(ま行)

チェンジリング

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「コリンズ事件」というのはお恥ずかしながら知らなかったが、「ゴードン・ノースコット事件」は、以前にアメリカの犯罪史の研究をしていた時に、どこかで出くわした事があった。但し、文献は英文だったし、内容に関しても「養鶏場を営むノースコットが連続殺人を犯し、死体を証拠隠滅のために生石灰で処分した」という当時としては異常性だけに着目し、この作品に描かれた、「クリスティン・コリンズに起きた悲劇」に関しては全く無視してしまったために、この事件を知らなかったのである。単位欲しさの適当やっつけレポートを書いた自分の過去を悔いた。今回、イーストウッドによって作品化されなかったら、近距離まで接近していたのに知らずに終わってしまうところだったから感謝だが、実際にこの作品を鑑賞して、ここに介在する大きなテーマを見落としていたことにも気づかされ、流石にイーストウッドだと関心した。

1928年という年代は、最近何かと色々取り沙汰される1929年世界恐慌の前年である。映画史でいうと、前年1927年には世界最初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」が公開された。この作品では、クリスティンが中心でどうしても人間を中心に観てしまうが、ロサンゼルスの町並みといい、クリスティンその他出演人物の衣装といい、年代の再現は大変見事なものであり、まずはその点は高く評価したい。世界恐慌の引き金になる直前でも、アメリカという国に既に世界一だったことがこの作品を通しても良くわかるし、結果論で言えば(この作品にも出てくるが)その後のアメリカ経済の復活のスピードというのはものすごい速さであったのが分かる。そういう時代考証がしっかり出来ている作品というのは安心して鑑賞できると同時に、実は、イーストウッド作品というのは、余り今までにこういう部分を大事にしてこなかった観がある。勿論、人間の尊厳という観点をとても大事にしている監督だから、そのための心理描写や、キャスティングも上手く、人間を描くことには大変長けている監督であることは何度も述べた。そういう意味では今まで唯一この監督作品に欠如していた物が加わったのだから、中々重いテーマである一方で、見ごたえのある作品に仕上がっていた。

更に言えば、その監督の期待に見事にアンジーが応えたといえよう。「ベンジャミン・バトン」でブラピと共に、主演賞に揃ってノミネートされ(受賞ぱできなかったが)、しかし、ふたりとも演技力もさることながら、その存在感という部分では大いに監督の期待にも、また、観客の期待にも応えてくれたと思う。以前から思うのだが、やはりアンジーはアクションモノではなく、こういう人間の深層に至る部分を演じることに徹した方が良いと思う。アクションはアクションしかできない俳優に任せて、こういう役を沢山こなして早く、トップオブトップの女優になって欲しいものだと思う。また、所謂、サスペンス的に見える内容であり、妙な期待や結末を予測させる展開もあるがも、実は軸は一本しっかりしていて、揺れやブレが殆ど無い。それどころか、この作品を脚色している様々な要因、前述の時代考証や美術に加えて、特に出演人物がそれぞれに存分に存在感を発揮していて、アンジーだけでなく、牧師のジョン・マルコビッチ、警部のジェフリー・ドノヴァン、ノースコット役のコルム・フィオールといい、それぞれが完成度の高いパフォーマンスを示したことは特筆すべき点である。欲を言えば、カメラワークがこれらの水準に無かったのかも知れないが、「羊たちの沈黙」の様に、カメラによる面白さを追求している作品ではないから、この点はこれ良いのかもしれない。筆者はすぐ余計な「欲」を作品に出してしまうからいけないと反省する。

法廷シーンも久々に良かった。特にふたつの裁判(というか一方は公聴会)が同時進行しているリアルさは事実がそうだったかもしれないがスクリーンでのシンクロは見事だった。ただ、その勢いで調子に乗りすぎた絞首刑シーンは不要だった。あそこでエモーショナル・ラインが途切れたことは事実で、その後にあのシーンを持ってくるのだから全く不要といっていい。細かい部分で注文をつけたくなるほど、全体に骨太作品だったから本当に惜しいと思う。

ただ、「割礼」はどうなのだろうか。習慣があるのはイスラム教徒とユダヤ人。どうみてもイスラムではないから、これも事実だとしても、ヤケに強調しすぎは作品が終わってからも気になった。


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ディファイアンス

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第二次世界大戦ナチス独裁によるドイツの侵攻を描いた作品に関しては、以前に「戦場のピアニスト」の至って短いレビューで書いた様に、同じ様なテーマなら「シンドラーのリスト」で最後にして欲しいと懇願した。「シンドラー~」は筆者の最高得点映画であり、後にも先にもこの作品を越えるものは筆者の中では出てこないと思うが、しかし、予告に「シンドラー」とか言われると本当かいなと観に行ってしまうところも筆者の弱い部分である。しかし、現に、「シンドラー」以降も、ドイツ国が自ら先の大戦の反省の上に製作した「ヒトラー 最期の12日間」や、別の側面からナチスドイツを描いた「ブラックブック」「善き人のためりソナタ」などの秀作が続いたので、しからばと、この作品も鑑賞優先順位が高かった。しかし、この作品、予告の「シンドラーはもう一人いた」(もっとシンドラーのような人は沢山いた、日本人にも居たという突っ込みは敢えてやめたが)は却って失敗で、シンドラーとは全く違うユダヤの生きる道を探した人(というか兄弟)であった。この作品、観方によっては大変填まるし、良い作品だとは思うが、兎に角「シンドラー」を期待したら全く裏切られる作品だ。

かくいう筆者も予告に惑わされ「シンドラー」を期待していたから、最初の30分で裏切られたが、幸い136分という少し長めの作品だったので建て直しの鑑賞が出来た。この作品の根底にあるものは、寧ろ「麦の穂をゆらす風」に近い。一番の見所は戦時下の生き方もあるが、両親を殺されたビエルスキ4兄弟の強靭な絆である。特に、リーダーとして色々な側面で悩む長兄のトゥビア(ダニエル・クレイグ)と事あることに意見が合わず別の道を歩む次男ズシュ。このふたりの兄を冷静に観察し、日一日と力強く逞しくなっていくアザエル。そしてまだ幼いが兄弟の血は争えず、悲しみの絶頂からいち早く立ち直り3人の兄を誇りに思うアローン。物語はこの4兄弟のそれぞれの葛藤を軸に置いて観た方がこの作品に限っては面白い。言い方は悪いが、戦争版「若草物語」である。なぜならそれ以外の部分は、ベラルーシの森で隠匿生活を続けていたという「新発見」だけで、過去の様々な映画作品で描かれてきた(しかももっとずっと鮮烈に・・・)ことの焼き直しでしかないからだ。ソ連軍の対応に関しても、最終的にはああなるだろうという予測が最初からついてしまうし、序盤は、結局自分たちが生きるためには殺戮も略奪も何でもやっていいんだという戦禍における狂った人間性を露呈しているだけで、途中から、ベラルーシの森での共同生活を始めるものの、序盤からの展開からとはギャップがありすぎて、結局はその他大勢の流言蜚語に繋がるようなリーダーの動向というのは致し方なかったと思う。しかし、一方で、薬が必要な時に、生命も立場も省みず協力をする次兄、大移動でリーダー不在の際、長兄に変わって大英断を下す三男、ドイツ軍の襲撃情報を手に入れる四男などが、「兄弟」という絆の括りで、この大集団を引き連れるというところは、もしこれが事実より誇大な表現であったとしても、この作品の主題であり、過去に製作されたナチス関連作品とは一線を画する価値のある部分である。

物語や、その背景よりも、戦禍に生きた兄弟の絆と、もうひとつ映画作品の興味としては、俳優陣に魅力があった。次兄のリーヴ・シュレーバーは、どうも「ニューヨークの恋人」の印象が強いが、リメーク版「オーメン」でも好演していたし、今回の役柄は今までで最高だったし、ジェイミー・ベルは「リトル・ダンサー」(最近では「ジャンパー」にも出ていたが)の印象が強かったが、今作品で十分、大人の俳優の仲間入りをした。女優陣ではリルカを演じたアレクサ・ダヴァロスが素敵。その他、アラン・コーデュナー、マーク・フォイアスタンの存在感が山椒の如くビリリと利いていて良かった。そもそもの狙いとは違ったのかも知れないが色々な発見のある作品だったが、シンドラーの名は使って欲しくなかった。


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